代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

【書評】斎藤幸平著『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年)

2020年12月14日 | 運動論
私は、いまさらマルクスなんか読んでも未来は何も見えないと考えている。このブログでもたびたびマルクスを批判してきた。それゆえ「資本論」がタイトルに入る本など、敬遠してほとんど読んでいなかった。しかしこの本に関しては、内容はほとんど環境問題についてということなので、読んでみた。  本の内容を簡潔に述べれば、晩年のマルクスは、『資本論』までに自ら構築した理論の誤りに気づき、成長神話を捨て、エコロジーの原則に立脚して、循環型で自然と調和していた資本主義以前の農村共同体を評価し、それを発展させる形での「脱成長コミュニズム」という境地に達していたということ。そして、その晩年のマルクスのビジョンを活かして未来社会を構想しようということである。 . . . 本文を読む

糾弾的知性から止揚的知性へ

2015年08月20日 | 運動論
 薩長公英陰謀論者さんが、ガメ・オベール氏のツイッターとブログの記事を紹介しながら以下のようなコメントを寄せられました。「左」と「右」とを問わず「天然全体主義」の文化を持つ日本(長州政権以来の伝統?)において、「止揚的知性」は何よりも必要とされているのだ、と。以下の投稿内容に心より共感いたします。  実際、ネット空間を見ても、右と左を問わず、新古典派とケインズ派とマルクス派を問わず、糾弾的知性だ . . . 本文を読む

民主制が壊れるのが先か、水が入れ替わるのが先か

2015年08月09日 | 運動論
ガメ・オベール氏「日本社会は20年の停滞と、覆えなくなった衰退の苦しみを通じて、おおきく変わりつつある。遠くから見ていて、最も顕著な変化はいままでの攻撃的糾弾的な口調が疎まれだして、古く感じられて、『議論をしたい』『自分の意見を聞いてもらいたい』という自由社会ができあがっていくには絶対に必須の姿勢が若い世代を中心に生まれてきたことだとおもう。これだけたくさんの、急進的右翼、体制側、反体制側、リベラル・・・あらゆる階層の「ガミガミおっちゃん」「皮肉屋おじさん」「軍人口調の軍師気取りおやじ」たちに囲まれながら、まっすぐに自分が保持している自由の主張に向かった若いひとびとの魂は、他国、とりわけアジアの若い世代のなかにおおきな共感を呼んでいる。民主制が壊れてしまうのが先か、かろうじて踏みとどまって、民主制という容れものが戦後70年間、『国民的情緒』として湛(たた)えてきた澱んだ全体主義に、自由主義の新しい、冷たく透明な水がいれかわっていくか、時間との競争で、はらはらするような気持ちで見ています」 . . . 本文を読む

鶴見俊輔さんと岸信介首相

2015年08月04日 | 運動論
 りくにすさんと岸信介元首相の「サイレントマジョリティ論」と、先月にお亡くなりになった鶴見俊輔さんの「ファシズムに対抗できるのは欲望むき出し個人」という議論との関係について、以下のような対話がありました。鶴見俊輔さんの追悼をかねて紹介させていただきます。水色字がりくにすさんのコメントです。 >岸首相が「サイレント・マジョリティ」論を展開して甲子園球場で野球を観戦したり、銀座でショッピングしたりし . . . 本文を読む

敵は米国の1%と日本の1%である

2011年11月14日 | 運動論
  私は以前「自由化・民営化・規制緩和を煽り立てる日本のマスコミは、じつは世界革命を志すトロッキストである」と書いたことがあった。(この記事参照)  今回の騒動で、TPP推進を煽り立てた新聞各社社説の愚劣さを見るにつけ、いよいよそのテーゼの正しさを確信している。  資本主義は延命可能である。過度に貧富の格差が拡大したり、文化や歴史や環境が破壊されないように規制を設け、守るべき社会的共通資本は守り . . . 本文を読む

拝啓 佐藤優様 マルクスなんか読む必要ないって!

2008年05月08日 | 運動論
 「今こそマルクスを読み直せ」と声高に叫んでいる人がいます。佐藤優さんです。佐藤さんは団塊世代ではないので、彼の主張ははるかに貧困に苦しむ若い層に対する共感に満ち、政府と資本家に対する覚醒を促すものとなっています。だから団塊オジサンたちの妄言に比べるとだいぶ質の高い議論ではあります。しかしながら、反論させていただきます。  自称「右翼」の佐藤優さんと、自称「左翼」の日本共産党がそろって「マルクスを読みなおせ!」と威勢よくキャンペーンを張っているのは、なかなか面白い光景です。 . . . 本文を読む

分断統治への反撃 ―こんどはこっちが分断する番だ

2008年04月25日 | 運動論
 このブログを始めてからというもの、若者たちとの論争をだいぶしてきました。中国・韓国に対する差別的バッシングにあけくれる若者たちとの論争です。私もカーッとなって「差別はやめろ」などと口泡飛ばすような論争をしてきました。しかしながら、最近になって、「自分は分断の罠にはまっていただけなのではなないだろうか?」と思い直すようになったのです。中国・韓国を叩いてウサを晴らそうとする、絶望的な状況に追い込められた若者の気持ちも分かります。絶望的な状況に置かれて未来が見えない中、しかも自己責任論で上の世代からバッシングされる中で、「自分よりダメな人々」を求めて、韓国・中国に攻撃の矛先を向けてしまっているのでしょう。人間は弱いものです。 . . . 本文を読む

世代間闘争論、あるいは団塊の世代の精神的病理について

2008年03月30日 | 運動論
全共闘の人々が犯罪的だと思うのは、彼らがバカげた運動をしたせいで、その後の日本人の大多数が社会運動そのものに決定的にネガティブなイメージを持つようになってしまったこと。そして民衆が歴史を動かすという具体的イメージを日本社会が失ってしまったことです。学生運動が実際に社会を動かしてきたフランスや韓国などの活力と比べて、日本がここまで硬直してどうしようもなくなっているのも一重に全共闘運動の責任だと思うのです。いま全国で起ちあがっているロスジェネ世代は、団塊ジュニア世代でもあります。ぜひ両親の世代をギャフンと言わせるだけの成果を勝ち取りましょう。そして「団塊の世代の呪い」による日本の社会運動の沈滞を、創造的に乗り越えていきましょう。 . . . 本文を読む

マルクスから孫子へ: 共産党問題再論

2007年01月17日 | 運動論
 マルクスは「自分だけが正しいんだ」という態度で、たとえばプルードンのように、本来は当然に共闘すべきと思われる社会運動家をも、口をきわめて罵り、徹底的に批判し、敵に回して行きました。そのくせ、「アソシエーション」のような重要概念を、ちゃっかりプルードンからパクったりしているのです。  国際労働者協会(第一インターナショナル)においても、マルクスは自分の主張を押し付けようとばかりして、他の派閥の怒りを買い、ついにバクーニン派と決定的に対立して第一インターナショナルそのものを崩壊させてしまうのです。マルクスは運動の組織者としても、運動の戦術家としても全く才能がなかったといえるでしょう。 . . . 本文を読む

保育園の民営化

2006年05月26日 | 運動論
 5月22日に、横浜地裁が「横浜市の性急すぎる保育園民営化の手続きは違法」と判断し、保育園児の保護者一世帯あたりに10万円づつの賠償を認める判決が出ました。先月の4月20日には、やはり大阪高裁で、大東市の保育園民営化によって子供達が損害を受けたとして市に賠償を命じる判決が出ています。    というのも、私の子供の通う保育園も民営化の対象になっていて、大揺れに揺れているのです。最近の一連の判決には、 . . . 本文を読む

日本版「オリーブの木」の可能性  -民主党と共産党は共闘を-

2006年04月13日 | 運動論
 前のエントリーで「日本版オリーブの木の結成を」と論じたところ、oozora通信様からオリーブの木について質問をいただきました。「オリーブの木」は、イタリアの中道左派連合のシンボルマークです。イタリア左翼民主党(=旧イタリア共産党)を中心として結成された政党連合のことであり、1996年から2000年まで政権を担当し、ユーロ加盟や財政再建など多くの政治的成果をあげました。おりしもイタリアの総選挙で中 . . . 本文を読む

小田急高架裁判と構造改革

2005年12月08日 | 運動論
 昨日、最高裁において画期的な判決が出ました。国が事業認可した小田急線の高架化事業に関して、騒音被害を受ける周辺住民が行政訴訟を起こした「小田急高架訴訟」において、最高裁は、通例の判例を変更し、地権者以外の周辺住民にも原告適格を認めたのです。これまで公共事業に対する行政訴訟の原告は、「事業地内の地権者に限る」とされてきたので、画期的な判決でした。最近、ろくなニュースがない中で、久々に嬉しいことでし . . . 本文を読む

本来の構造改革論とは?

2005年02月14日 | 運動論
 50代後半より上の世代の方々は、ご存知の方が多いと思いますが、かつて「構造改革」という言葉は、現在とは180度違う意味で使われていました。本日は、1950年代後半から60年代を通して一世を風靡した、本来の意味での「構造改革論」について書きたいと思います。  いま私は、1967年に発行された力石定一著『転形期の経済思想 ―その政治力学的考察―』(徳間書店)を読み返しているのですが、その発想の新鮮さ . . . 本文を読む