代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

原市之進暗殺と赤松小三郎暗殺は連動している

2021年07月21日 | 赤松小三郎
 先日(2021年7月18日)の「青天を衝け」では、凄惨な原市之進の暗殺シーンが描かれた。この慶応3年8月14日の原市之進の暗殺は翌9月3日の赤松小三郎暗殺と連動していると私は考えている。このことは拙著『赤松小三郎ともう一つの明治維新』(作品社、2016年)でも書いた。

 原市之進暗殺は、幕臣で水戸学に帰依した鈴木豊次郎と依田雄太郎の犯行であることから、薩摩・長州とは関係ないと思われている。しかし、原が暗殺された8月14日とは、長州と薩摩が武力討幕の挙兵計画を策定したその日である。この日に、原が血祭りにされたのは、偶然とは思えないのである。8月14日、薩長の武力討幕派は、御所を襲撃し、天皇を拉致し、「幕府」と会津の屯所を襲撃するという壮大なテロ計画を固めた。

 長州藩士の品川弥二郎の日記を読むと、原市之進が暗殺された8月14日の日記には以下のように記されている。「二氏小松之処ヘ集会 今朝西郷ヲ訪フ 夜内田ニテ原市天刀ヲ加ラレシ事ヲ聞ク」と。
 
 この日、品川が西郷のところを訪れたのは、挙兵計画の打ち合わせのためである。その夜、「原市之進に天刀が加えられた」と、薩摩藩士の内田仲之助が品川弥二郎に告げているのである。

 「天刀」という表現の用い方は、まるで薩摩が原市之進に天誅を加えてやったと、長州藩の品川に自慢でもするかのような言い方である。もともと水戸藩周辺のテロリストは薩摩藩と深くつながっている。もともと井伊直弼の暗殺も水戸と薩摩の尊攘派の共同謀議である。アメリカ公使ハリスの通訳のヘンリー・ヒュースケンを暗殺したのは伊牟田尚平など薩摩のテロリストたちであるが、伊牟田も水戸学に帰依し、江戸で水戸藩士や清河八郎・安積五郎・山岡鉄太郎、清河八郎らの「虎尾の会」に名を連ね、彼らとの共同謀議を経て、ヒュースケン暗殺を実行していると思われるのだ。

 つまり水戸周辺の尊攘激派と、薩摩藩の西郷周辺のテロリストたちは一連托生の関係なのだ。「原市之進を殺れ」と、西郷周辺が、鈴木と依田に指嗾しても何らおかしくないし、そうした人間関係は存在したのである。

 赤松小三郎は、8月17日付けの兄宛ての手紙で、「原一之進一四日朝害せらる、一人才を失ひ候」と綴り、原市之進が暗殺されたことを悲しがっている。原市之進は、小三郎と親交があった。5月に小三郎が議会政治の建白書を公儀に提出した折、原市之進はそれに理解を示していた一人だったと思われる。原も大政奉還を実施し、薩長との内戦を回避するというシナリオを描いていた。小三郎とは、その方向性において志を同じくしていたはずである。

 御所を襲撃し、天皇を拉致し、「幕府」と会津の屯所を襲撃するという壮大なテロ計画を固めた薩長にとって、原市之進も赤松小三郎も、事前に取り除かねばならない障害だった。二つの暗殺事件は連動しているのであろう。 
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