代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

「ブラック企業」と「ゆとり世代」言説なのはどちら?

2014年10月13日 | 教育
 授業の中で「言説分析」の手法を取り上げている。
 本日の授業の中では、「マスコミなどを通して流布されている物言いの中で、『これは言説である』と思うものがあったら出してみなさい」という質問をしてみた。

 こんな意見が出た。「『ブラック企業、ブラック企業』ってよく言われるんですけど、これって言説ではないですか? 実際のところは、残業代を払わなかったり、休憩を取らせなかったり、ちょっと法律に違反しているって程度のことだと思うんですよ。その程度のことで『ブラック』と呼ぶのは言説ではないかと・・・」

 意外にこれに同調する学生が多かった。

 「あー、そう思い込んでしまっているところが、もうみんな権力の側の言説にやられちゃってるってことなんだよ~。法律に違反するって十分すぎるほどブラックなんじゃないの。破ってもいい労働基準法って何? それが許されると思いこんでしまっている時点で、もうブラック側の言説のとりこなんだよ」とため息。
 
 言説とは何か正しく理解できている学生は次のような例を出した。

 「引っ越しのバイト先で、ギッシリ本を詰め込んであるでっかい段ボール箱を一人で持ち上げられなかったんですけど、そしたら『こんなのも持てないなんて、だからゆとり世代はダメなんだよ』と言われて・・・。これってひどくありません? 「ゆとり世代」って言説じゃないのですか?」

 この意見に同調する学生もまた多かった。さっき、「ブラックは言い過ぎではないか」という意見に同調していた学生たちが、こっちの意見にも同調。

 「言説」って、本を読むとものすごい難解な書き方をしてあるけど、要するに、権力を持つ側が、自らの責任を棚に上げながら、弱い者を服従させ、コントロールしようとして発するプロパガンダのことだと思えばよい。
 
 以下の二つの言い方を比べてみよう。

 「ゆとり世代の連中は根性がないもんだから、3年も経たずにすぐに離職する。それで会社のせいにするのは、「ゆとり」の連中が甘ったれだからだ」

 「3年ももたずに離職せざるを得ない若者が増えたのは、心身ともに疲弊させて若者を使い捨てにするブラック企業が増えたからだ」

 どちらが言説だろう? 言説とは、権力と結びつき、権力者に都合のよい制度的慣行を維持、創出するのに寄与するところの言語表現のネットワークなのだ。
 前者は現行のグローバル資本主義を礼賛し、それを推進する権力の側にとってきわめて都合がよい物言いである。
 後者は、権力側が流したプロパガンダではない。使い捨てにされ、ボロボロにされた側の悲痛な叫びである。

 
  
 
 


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