覇権国に従属しながら、国民や近隣諸国に対してはきわめて尊大で抑圧的にふるまうのは明治維新以来の長州レジームの特質である。現在、覇権国の指令が、長州神社への参拝を否定し、慰安婦問題での韓国への謝罪を促している。今日の日本にとって最悪の事態は、長州レジームが、松岡洋右的な転換を図ろうとすることだろう。今年は敗戦70年であると同時に、大坂の陣で戦国が終焉した元和偃武400年であった。元和偃武400年に関しては本年ほとんど語られることがなかったのは遺憾であった。今後日本が長州レジームから脱却して目指すべき姿は、松岡洋右的転回ではなく、元和偃武後の徳川政権が志向した内需志向型経済への転回なのだ。 . . . 本文を読む
佐藤優氏の『官僚階級論 ―霞が関といかに闘うか』(モナド新書、2015年)は、冒頭、霞が関官僚による鳩山政権の打倒は「静かなるクーデター」であったと説き起こされる。佐藤氏は、いまの日本の「官僚階級をこのまま放置すれば、戦争とそれによる国家的破滅は避けられないと思う」と冒頭に書き、強い危機意識でこの著作を世に問う姿勢を明らかにしている。私も佐藤氏と同じ危機意識を共有する。
官僚による「静かなクーデター」は、「政治主導」を掲げる民主党政権に対して、「日本国家を実質的に支配するのは官僚であることを思い知らせ」るための、官僚階級総体の「集合的無意識」によって成し遂げられたとする。その際に、米国の「ジャパン・ハンドラー」たちは、日本の官僚階級に全面協力したのだ、と。 . . . 本文を読む
テレビや映画で描かれる大坂の陣の真田隊の旗には必ず六文銭が描かれている。あれはウソである。大坂夏の陣における真田隊は、夏の陣図屏風で以下のように描かれている。一目瞭然であるが、隊旗は無地の赤旗であり、六文銭は使われていない。
真剣に歴史を再現しようというのであれば、そして何よりも、この旗にこめた真田信繁本人の「想い」をドラマで再現し、それを伝えようというのであれば、旗は無地の赤旗でなければならない。
幸村の甥である信吉と信政の真田隊も、徳川の家臣となった叔父の真田信伊の真田隊も六文銭の旗を使っているから、それに配慮して、幸村は六文銭の旗印を使わなかったのだ。
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ダム利権のために水害を引き起こしやすい堤防のまま放置する土木学会の見解をまとめた方々は以下の諸委員です。宮本さん講演会の会場には、耐越水堤防の開発にかかわっていた国交省土木研究所のOBの方も会場にいらっしゃいました。「技術的に確立されているにも関わらずそれをさせないというのは犯罪だ」と述べておられました。同感です。この見解をまとめた方々は、本来ならば有罪だと思います。悲しいかな日本の司法が機能停止状態にあるのでダメですが。この方々の答申のおかげで、今後も脆弱な堤防は放置され、堤防決壊による水害は今後も発生してしまうからです。この委員の方の中には、今回の鬼怒川水害の原因究明のための鬼怒川堤防調査委員会にも入った方がいます。水害の戦犯が、自らの犯罪を隠蔽するため、調査委員会に入って揉み消しを図っているいるようなものです。 . . . 本文を読む
従来の国交省は、発生した洪水を一滴も溢れさせることなく河道内に完全に閉じ込めて河口まですみやかに流し切る、という立場を大原則としてきました。
嘉田由紀子さんが滋賀県知事時代に制定した滋賀県流域治水条例は、「一滴も溢れさせることなく」が財政的にも技術的にも不可能ということを前提とした上で、まちづくりのレベルで災害に対応する工夫を施し、たとえ溢れても、「命だけは守る」を最優先にするシステムの構築を制度化したものです。
これまで「一滴も溢れさせない」を前提にしていた国交省。国交省の朝堀さんは、溢れた場合に関しては、「何も対応していないのが基本的な姿勢だった」と率直に認められ、土地利用規制の仕方に多少の違いはあるものの、「われわれも(=国交省も)、ほとんど滋賀県のやり方をを追っかけているような状態で、こんごの制度設計を進めていきたい」と語られました。
この嘉田さんと朝堀さんのやり取りを見ても、「立場の違いを超えて」の出口を模索する様子が伝わってくるかと思います。 . . . 本文を読む