代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

ブログをはじめてから10周年

2014年10月18日 | 政治経済(日本)
 気が付いたらブログをはじめてから10年が経過していた。途中、震災の後にブログのタイトルを「代替案」から「代替案のための弁証法的空間」と変更させていただいたが、同じサイトに10年間延々と書き続けてきた。10年同じ場所で延々と続けているブログというのはけっこう珍しいかも知れない。
 私はスマホも持たないのでツイッターはできない。そもそもあまり時間を取られそうなめんどくさいことはしたくない。不器用な自分にできることと言ったら、不定期にブログに書き続けることぐらいしかなかった。片意地張らずにマイペースでやってきたから、長続きしたのだろう。
 最近gooがブログランキングへの参加キャンペーンを貼っていたので、思わずつられてクリックしてしまい、10年目にして初めてブログランキングに登録した。入ってみたところ、あまり意味がないということは分かった。

 10年前に初めてブログに書いた記事を以下に再掲しておく。「市場原理主義と土建ケインジアンのアウフヘーベン」という私の基本的な考えは10年前と全く変わっていない。しかし、10年前と比べ客観的情勢には大きな変化があった。

 当時、郵政は民営化されていなかった。郵政を民営化せず、郵貯が国債を引き受けられる限りにおいて、日本国債は暴落しない。ゆえにコンクリートからエコロジカルな公共事業への転換を条件に積極財政をせよと、私は訴えていた。

 周知のように郵政は民営化され、外国人投機家たちの国債保有量は着実に増え、いまは本当に日本国債暴落がいつ起こってもおかしくない危機的状況だと認識している。国債が暴落したとき日銀が国債を直接的に引き受けていけば、いよいよ破局的なインフレの引き金となるだろう。

 日本のマスコミは、まだ財政余力があった10年前に「国債が暴落するから緊縮財政を実施せよ。年間の財政赤字を30兆円以内に制限せよ」とわめき散らしていた。その同じマスコミが、年間45兆円もの財政赤字を出し、本当に国債暴落の危機にある現在にあって、日本を財政破たんに追い込むであろう狂気の国土強靭化計画を推進する側になっている。小泉改革に踊らされてバラマキ反対と緊縮財政を叫んでいたネトウヨたちは、今度はアベノミクスの大バラマキ政策を熱狂的に支援している。マスコミもネトウヨも恐るべき無節操さである。宗旨替えするのであれば、せめて自分たちの過去を自己批判すべきであろう。

 この日本の惨状に、ただ天を仰いで慨嘆し、なお言葉を失うのみである。安倍政権は、私がもっとも嫌うところの市場原理主義的構造改革路線と、その次に嫌うところの土建国家+軍事ケインズ主義路線をヌエのように折衷させた最悪の政策を遂行中なのである。

 
 10年前、私はまだ希望の光を信じていたし、危機を回避しながら日本を再生させる途はあると思っていた。しかし今は半ばあきらめている。いつ破たんしてもおかしくないし、いつ戦争になってもおかしくない。

 若い人々に訴えたいことは一つである。バカバカしい戦争で死ぬ必要はない。戦争が起きそうになったら逃げろ。自分がいかにして生き残るかを考えろ。そして生き残ることができれば嵐がすぎ去った後、日本に帰国して、再生の途を模索して欲しい。杜甫の時代と違って、国破れ、なお山河も荒廃するだろうが、日本を再生する途を考えて欲しい。再生のヒントは、現代の科学技術力を駆使しつつ、なお心は内需主導、地方分権、小規模分散、物質循環、スローライフの江戸文明に回帰することだろう。


****以下、10年前の第1号記事を引用******

代替案提示の必要性   2004年10月12日 | エコロジカル・ニューディール政策


 小泉内閣の支持率は何故落ちないのであろうか。これだけ弱者を切り捨て、政策さえしっかりしていれば救えるはずの多くの人々を、みすみす自殺に追い込んでいる「殺人政権」といってもよいものである。
 本当に謎であるが、おそらくは、小泉の政策には決して満足していないが、「抵抗勢力」と呼ばれる人々のイメージがあまりにも悪く、彼らに政権が戻るよりは、「次善の策」として「消極的支持」をするという人々が、いまだに根強く存在するのだろう。

 私の基本的な立場を述べておくと、不況の今こそ、大胆な公共投資・公共事業が必要だというものである。その点に関する限り、亀井静香氏を、小泉の100倍は支持したい気持ちである。

 それ故、公共投資の原資になる郵貯と簡保は決して民営化してはならないものである。郵貯と簡保の民営化は、その資金によって、今にも暴落しそうな米国債を買い支えさせ(=イラク戦争の戦費を拠出させ)、ウォール街にも潤沢に資金を流し込もうとする、米国の金融業界と米国財務省による内政干渉の産物に他ならない。

 その意図を見抜けず、「民営化=効率化=絶対善」とする新古典派のドグマを、無邪気に信じ込んで、郵貯・簡保民営化論を礼賛してきた日本のマスコミの責任は本当に大きいと思う。
 
 もちろん、郵貯のあり方、財政投融資のあり方が今のままでよいなどと言うつもりは毛頭ない。未来のための公共投資・公共事業の新しい戦略は、もちろん従来の田中角栄型土建政治の延長であってはならない。

 小泉の「市場原理主義路線」にも、「土建国家延命路線」にも、ともに未来はない。マスコミが、その二者択一(両方最悪である)を人々に迫り、他に選択肢はないかのような報道をしてきたことが、今日の惨状を生み出しているのではなかろうか。

 他に選択肢はあるのである。思考停止してはならない。未来社会を建設するための、積極的な代替案をみなで考えていくことが必要なのである。
 「思考停止」状態に陥った「市場原理主義的構造改革派」と「土建国家ケインズ派」の二つの路線を、創造的にアウフヘーベンするための具体的な戦略を論じていきたい。

 その「具体的な戦略」を一言で表現すれば、「エコロジカル・ニューディール政策」である。これは、力石定一氏(法政大学名誉教授)が提起した政策である。簡潔に述べれば、総需要管理としてのケインズ政策と、技術革新による創造的破壊というシュンペーターの戦略を、エコロジーの大原則に立脚して統合しようというものである。
 この政策に関して、このブログでも記述していくが、より詳しくは『発想』(力石定一・牧衷編、季節社)の第1号から第4号を参照されたい。


 
 


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