代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

真田はなぜ徳川に勝てたのか?

2006年12月25日 | 真田戦記 その深層
 先月の11月22日放送のNHK「その時歴史が動いた」で、「我が手に郷土を ―真田昌幸・信州上田の市民戦争―」と題して、1585年と1600年の二度にわたって展開された、「真田VS徳川」の上田合戦が取り上げられていました。二度とも小大名の真田軍が天下の覇者の徳川の侵略軍に大勝したのです。私の地元の話しなので、この番組の感想をエントリーします。  今回、NHKが焦点を当てていたのは、守り手の真田軍が、農民・商人など「全上田市民」を篭城戦に参加させていたという事実でした(市民という言葉の使い方が妥当か否かに関しては異論があると思いますが・・・)。真田昌幸が、市民防衛隊による郷土防衛戦争としての性格を持たせて合戦を戦い、これが徳川軍に対する勝利につながったという分析です。 . . . 本文を読む
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ピノチェト死す

2006年12月19日 | 時事問題
 このブログの今年の2月16日付けで「ラテンアメリカとフリードマン: 神話の捏造」という記事を書いて、経済学者のミルトン・フリードマンと、フリードマンの経済理論を国家規模で初めて実践したチリの独裁者アウグスト・ピノチェトを批判しました。先月フリードマンが亡くなり、一ヶ月遅れて今月の10日にはピノチェトが亡くなりました。市場原理主義を唱導したフリードマンと、軍事的抑圧体制によってそれを実現したピノチ . . . 本文を読む
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脱新古典派宣言: (書評)進化経済学会編『進化経済学ハンドブック』(共立出版)

2006年12月13日 | 新古典派経済学批判
 新古典派経済学は、「均衡」と「最適化」という二つのドグマを正当化するために、さらに多くのドグマとパラドックスを積み重ねてきました。本書で塩沢由典先生が批判するのは、「均衡のドグマ」「価格を変数とする関数のドグマ」「売りたいだけ売れるというドグマ」「最適化行動のドグマ」「収穫逓減のドグマ」「卵からの構成のドグマ」「方法論的個人主義のドグマ」と合計7つのドグマであり、それらは全否定されます。「均衡のドグマ」を拒絶した後、「進化経済動学」の教科書の第一章に書かれるべき基礎的理論は、生物学で発達した個体群動学の理論だと私は思います。ロジスティック関数とその応用系であるロトカ=ヴォルテラ競争方程式などは、大学で生物学を勉強した人なら皆が知っている理論です。でも、これまでの経済学者は無視し、体系の中に取り込もうとはしませんでした。 . . . 本文を読む
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新古典派経済学とピグマリオン症

2006年12月03日 | 新古典派経済学批判
新古典派経済学は、「消費者は限界代替率と価格の比が等しくなるように商品を需要し、生産者は限界収入と限界費用が等しくなるように商品を供給する」とします。私は誓って言いますが、この地球上にそのような事を行っている消費者も企業も存在しません。実験的事実に基づかない公理系を捏造して、理論体系を構築するのは科学を冒涜しています。  新古典派は限界費用は逓増すると主張しますが、ほとんど全ての近代産業において、限界費用は逓増せず、逓減します。そのような地球上に存在しないような空想上の費用曲線の仮定の下に「証明」された定理など、全く意味はないのです。 . . . 本文を読む
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自由経済と官僚主義 -自由市場経済のボリシェビキ-

2006年12月01日 | 政治経済(国際)
 市場原理主義は、IMFという極めて閉鎖的で不透明で非民主的で官僚主義的な体質を持つ国際機関によって、軍事力も動員しながら、民意を無視して、まず中南米諸国に押し付けられ、それが世界に拡散していったのです。ロシアではしばらくしてIMFのことは「自由市場経済のボリシェビキ」と呼ばれるようになりました。つまりとてつもない官僚主義的な方法で、議会や民意も無視して、強圧的に国営企業の民営化や急激な関税の撤廃など、ロシアの工業基盤を根こそぎ破壊するような暴挙を行ったのです。 . . . 本文を読む
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