代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

右派と左派に共通する明治維新の物語とプロクルステスの寝台

2015年05月31日 | 長州史観から日本を取り戻す
最近読んだ本の中で、鵜飼政志著『明治維新の国際舞台』(有志社、2014年)の内容は非常に興味深かった。少し紹介したい。著者は、明治維新の解釈に関しては、「皇国史観・王政復古史観」と「戦後日本のマルクス主義歴史観」は基本的に同じものであるという。私も以前、自民党も共産党も基本的には同じ長州史観を核に持っていると書いたことがある。「日本近代化の原点」「国民国家の形成」「歴史の進歩」としての「明治維新の物語」は、左右両派に共有されているのだ。    鵜飼氏は前掲書の「はじめに」において、明治維新の物語という国民的な神話があり、歴史学者はその物語の枠組みに合致するように考証してきたのであり、その「物語」に矛盾する事実が明らかになっても物語は修正されない、と述べる。 . . . 本文を読む

長州史観の歴史的瓦解その2 ―『維新の肖像』の紹介

2015年05月30日 | 長州史観から日本を取り戻す
長州史観に染まった自民党・清和会の政治家たちがポツダム宣言を否定するどのような主張を展開したところで国際的に相手にされるわけがない。長州軍閥が用いてきた手口は、アメリカの軍産複合体のそれ以上に汚らしかったからである。アメリカを批判したいのであれば、先ずは、私たちがそれに見合うだけの道徳的高潔さと国際平和主義を取り戻さなければならない。それは長州=靖国史観を否定し、自民党・清和会の支配を終わらせ、長薩閥の支配の中で失ってしまった本来の日本の姿を取り戻すことなのである。 . . . 本文を読む

長州史観の歴史的瓦解 その1

2015年05月30日 | 長州史観から日本を取り戻す
ポツダム体制を打倒し、アメリカに押し付けられた日本国憲法を廃棄し、大日本帝国憲法が支配した輝かしい長州支配の明治の御代を取り戻そう・・・・・。首相の歴史観を簡潔に述べればこういうことだ。これは安倍首相の祖父である岸信介元首相の持っていた歴史観(=長州史観)であり、岸派の流れを汲む自民党・清和会系の政治家に広く共有されている。いま進行している事態は、この「長州史観の歴史的瓦解」ともいえる現象なのではないか。 . . . 本文を読む

西洋学問の受容と西周と赤松小三郎

2015年05月29日 | 赤松小三郎
明治になってから西周は品川弥二郎や山縣有朋の長州閥とは親密な関係にあった。山縣は西周に「軍人勅諭」を起草させた。品川は自らが設立した独協大学の初代校長を西周に委ねた。慶応3年の時点で、徳川慶喜の側近であったはずの西周がすでにスパイとして、赤松小三郎を薩長に売り渡していたのではないか・・・? それ故に、明治になってからも長州閥から厚遇されたのではないか・・・と。考えたくないのだが、品川の日記を見て、その疑念がどうしても頭から離れない。あくまで仮説として書き留めておく。 . . . 本文を読む

大坂都構想否決よかったです

2015年05月18日 | 時事問題
 大坂都構想否決。薄氷を踏む結果でしたが、大阪市民の決断に敬意を表します。大坂落城から400年目の今年、大阪市の落城が回避できたのは、秀吉も秀頼も喜んでいるのではないでしょうか。まあ、これは大阪市民が判断すべき問題なので、外野はとやかく言うのは良くないのでしょうけど。  ただ国政レベルに関しては、安倍首相が進める集団的自衛権と憲法改正に賛成する応援団の一角が陥落したのはよかった。橋下さんのよう . . . 本文を読む

県営ダム計画における基本高水計算の虚構

2015年05月17日 | 八ッ場ダム裁判
長崎県の石木ダム、長野県の浅川ダム、石川県の辰巳ダムの三つのダム計画は、いずれも住民と行政のあいだで大きな対立がもたらされてきました。石木ダムの場合、水没する土地に居住し反対する人々の土地の強制収用が行われるか否かの瀬戸際になっています。 これら、いずれのダム計画においても、貯留関数法の恣意的な運用によって過大な流量計算がなされているという点で同様です。貯留関数法のパラメータを比べて下さい。これらのパラメータには、二つの明らかな誤謬があます。中規模洪水に合致したモデル定数を、大規模洪水に適用して計算値を過大な値にしていくという点で同じ過ちをしています。上の図にあるように三つのダム計画でいずれも p=0.3 程度、最終流出率1.0という値が採用されていますが、この数値が虚構なのです。 . . . 本文を読む

文科省のスーパー亡国大学化政策

2015年05月10日 | 学問・研究
国際水準の質の高い研究を海外に発信したいのなら、英語で教育をすることに無駄な投資をするのではなく、むしろ日本語で教育をし、日本語でとことん考え、そこから生み出された学問研究の成果を英訳発信することにこそ投資をすべきであろう。繰り返すが、日本語で育った日本人に英語で思考し英語での研究を強制したところで、国際的に価値のある研究成果などほとんど出てこないだろう。日本の研究水準は確実に低下する。英語で思考し英語で研究をする人々と、日本語で思考し日本語で研究をする人々が出会って、アウフヘーベンする中で、科学研究の新しい発展が生まれる可能性がある。日本語での思考、日本語での学問研究が滅び去ってしまい、この地球上から英語以外の言語での学問研究ができる機会がなくなってしまえば、実りある発展が生まれる可能性の芽を摘み取ってしまうだけなのだ。 . . . 本文を読む

新刊書紹介『社会的共通資本としての水』(花伝社)

2015年05月09日 | 自分の研究のことなど
 手前ミソで恐縮ですが、まさのあつこさんと梶原健嗣さんと私との共著で『社会的共通資本としての水』(花伝社)という本を出しました。紹介させていただきます。  出版元の花伝社には非常に美しい装丁の本に仕上げていただいて、感謝しております。何か新選組の羽織を連想させる装丁です。     日本の水行政の「闇」に切り込むつもりで書きました。この間、経験してきた「小説より奇なり」と思うしかなかった、唖然とする . . . 本文を読む

東京新聞が『社会的共通資本としての森』を紹介

2015年05月06日 | 自分の研究のことなど
 2015年5月5日付けの『東京新聞』の特報面で、宇沢弘文先生と私との共編著である『社会的共通資本としての森』(東大出版会)が紹介されました。記事の一部を以下に貼り付けておきます。  「なぜ経済学者の宇沢氏が晩年に森の本を編集する気になったのか?」という質問を受けました。共編者の私の立場として、なぜ宇沢先生が森林に対して強い関心をもっておられたのかを説明しておきました。  一つは、宇沢先生が気候 . . . 本文を読む