代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

宇沢先生は「反経済学」ではなく「反市場原理主義」なのである

2014年10月04日 | 新古典派経済学批判
 宇沢弘文先生がお亡くなりになってから、ネットや新聞・雑誌などでさまざまな「宇沢弘文論」が語られるようになっている。私から見て違和感を抱く論調が多い。いくつか紹介しながら反論させていただく。
 まずyahooニュースに載っていた田中秀臣氏(上武大学ビジネス情報学部教授)の以下の記事を取り上げたい。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141004-00010001-bjournal-bus_all&p=1

 田中秀臣氏は、宇沢先生を「反経済学」思潮の代表的論客として見ている。引用させていただく。

*****田中秀臣、前掲サイトより引用****

 
反経済学ブームの主役は、例えば佐和隆光『経済学とは何だろうか』(82年)、塩沢由典『近代経済学の反省』(83年)、西部邁『ソシオ・エコノミックス』(75年)などの書籍であった。これらは後に浅田彰や柄谷行人らのニューアカデミズムブームと混じり合い、若い世代に大きな影響を与えた。宇沢はこの反経済学ブームの中でも、とりわけ大きな影響力を持っていた。宇沢の反経済学的な主張は、『自動車の社会的費用』(74年)、『近代経済学の再検討』(77年、以下『再検討』)、『近代経済学の転換』(87年)、『経済学の考え方』(89年)等に集約されている。

*****引用終わり*****

 田中氏は、こうした「反経済学」の流れは、内橋克人氏らの左派論客と、西部邁氏や中野剛志らの右派論客に分裂していくが、宇沢先生の考え方は左右の両派に共有されていると見ている。

 たしかに宇沢先生は、内橋克人氏も西部邁氏も大好きで、とくに西部邁氏の思い出話などよくされていた。
 宇沢先生は青木昌彦氏や西部邁氏ら、60年安保闘争に「ブント」の指導者として参加し、日本に留まっていたら危ない状況に置かれていたであろう人々を、アメリカに留学させて、安全にかくまってあげようと尽力された。青木氏は無事にアメリカに留学できたが、西部氏は留学前に、「彼ら」につかまって凄惨なリンチを受け、留学できなくなってしまったのだという。宇沢先生は、西部氏をアメリカに留学させて学ばせてあげることができなかったという、50年前のその事件を、晩年まで悔しがっておられた。

 西部氏の流れである中野剛志氏も著書の中では盛んに宇沢先生の社会的共通資本の考え方を紹介されており、明らかに宇沢先生の影響を受けている。田中氏の指摘は間違ってはいないかも知れない。

 
 しかしながら、どうしても気になるのは田中氏による、「反経済学」というレッテル貼りである。宇沢先生は、「反自由放任主義」「反市場原理主義」ではあったが、もちろん「反経済学」ではない。経済学を愛するがゆえに、フリードマンの自由放任主義やルーカスの合理的期待形成仮説や、ラッファーのサプライサイド経済学などの誤った理論が許せなかっただけである。経済学を正常な姿に戻したかっただけである。

 田中氏は「経済学=新古典派経済学」というバイアスに毒されているから、新古典派の誤ったテーゼを批判する人々がすべて「反経済学」に見えてしまうのだろう。田中氏が、「反経済学」の論客として挙げている塩沢由典先生も、宇沢先生の系統とは異なるが、経済学を再生しようとしているだけであって、「反経済学」でも何でもない。こういう根拠の無いレッテルを貼りつけられたら、さぞご立腹になられるだろう。
  
 
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14 コメント

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Unknown (12434)
2014-10-05 18:10:00
稲刈り終了しました。籾すりはまだ残っていますが。近々TPPの違憲訴訟にも登録したいと思います。
しかしまあ、経済学=新古典派経済学というのはどう考えても偏見ですね。それが経済学のすべてではないです。恐らくは、マクロ経済学と同じく近代経済学とされているので、そうした見解があるのでしょう。

農業経済学者にも宇沢先生の主張に同意して、TPPに反対している人も多いでしょうし、やはり反経済学というレッテル貼りはまずいですね。
稲刈りおつかれさまでした (関)
2014-10-07 00:33:47
12434さま
 稲刈りおつかれさまでした。かなりの面積なのではないかと推察いたします。今年は米価が下がって本当に大変かと存じます。
 TPP違憲訴訟は、まさに生存権をかけた闘いと思います。がんばりましょう!
 
関先生の自由貿易神話解体新書について。 (12434)
2014-10-11 17:24:41
感想を一言でいいますと、「良い意味で分かりやすい」ですね。私は関先生のブログを見るまでは、農業経済学者以外のTPP反対論にはほとんど興味がなかったです。鈴木宣弘や田代洋一などの経済学者がTPPに反対していたので、非専門家の主張に目を向けてはいませんでした。

農業経済学に基づいた自由貿易批判は多いのですが、農業関係者以外には非常に解りにくいものに思えます。田代氏の書籍なんかは典型例で、何度も熟読しないと飲み込むのは容易でありません。
それに比べて関先生の本は、今まで自由貿易に関心がなかった人も理解できるように思えます。
せっかくなので、各章ごとの感想もあとでコメントするつもりです。
はじめまして (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2014-10-13 09:44:53
他所のブログでのりくにすさんの書き込みからこのブログを知り寄せてもらいました。よろしくね!

当方は、宇沢氏の学問的着眼が、マルクスの資本主義理論の地平を拡張するものであるとさえ思いますね。
「内部経済の外部不経済化」を抉った氏の社会的費用論は、実は、その随伴現象としての、資本主義社会における「内部不経済の外部経済化」にも照明を当てることになった。そう、農業分野などの環境貢献側面の存在です。三菱総研が年額10兆円あまりの環境貢献効果を産出した市場外要素の存在。商品-市場関係が評価しない(=労賃や商品価格に反映されない)農業分野の経済学的意味・意義が再確認されたこと。これも、宇沢理論の再生産論上の貢献でしょう。

ご紹介の田中秀臣氏の議論には目を通していませんが、現存する経済システムや経済学への批判を「反経済学」と規定するような態度では、日本社会批判を何でもかんでも「反日」だと拒絶、攻撃するネトウヨのようなものですね。悪しき現状の奴隷にすぎませんw
上記補足 (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2014-10-13 10:07:57
なお、上記で「内部不経済の外部経済化」と書いたのは、「内部経済の外部不経済」における「内」「外」が、「市場の内外」を指しているのに対し、「内部不経済の外部経済化」の「内」「外」は、経済活動場面にとっての「内」「外」であり、この場面では「外」こそが商品-市場関係そのものであることを意味します。

また、「マルクスの資本主義理論の地平を拡張するもの」というのは、マルクスによる生産場面での費用の外部化(例えば産業公害対策)だけでなく、宇沢氏は消費の場面での費用の外部化を問題にした、という意味です。
はじめまして。 (12434)
2014-10-13 12:30:41
>バッジ@ネオ・トロツキスト様

農業や農村の多面的機能についですね。ただこれについては、プラスだけではなくマイナスの面もあるのが事実です。
また、そうした外部経済効果を市場評価する研究も進められていますが、いかんせん「市場の外のもの」を市場で評価するのだから、どうしても難点があるようです。主観性を完全に排除するのは無理でしょう。そうした限界性を理解した上で、試行錯誤していく必要があります。

農業輸出大国には、他の産業とは異なる農業の独自性を認めようとしない国もあります。アメリカには農業の多面的機能なんて言葉はないらしいですし。
しかしそういう考え方が、アマゾンの熱帯林破壊などの自然環境悪化の原因だと思います。世界各国が関税等で農業を保護することにより、その自給率を高めれば、アマゾンの森林を農地に変える必要も減らせるでしょう。それについては関先生が詳しいと思いますが。
農業の多面的機能の自覚 (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2014-10-13 14:59:44
は、中山間農地が多い日本、それも片方で工業が非常に発展して産業公害を経験した日本ならではのことなのかもしれませんね。
でも、「主観性の排除」とはどういう意味でしょうか?
いくつかの財界系シンクタンクは、もし日本農業を破壊し切ってしまった場合に必要な、公務化した環境保全の費用を年額10兆円内外と算出していたはずですがね。つまり、日本農業を焼け野原にしてしまうと、国民負担は毎年そのぐらいになる、と。

なお、教条主義左翼の一部が生産力(この場合は正確には原発のような「疎外された生産力」ですが)の発展水準の違いも無視して、また社会変革スピードの展望や現実性の違いも等閑視して、さらには日本農業の置かれた地形・環境上の特殊性も顧みず、またさらにはTPPが果たして本当に「自由貿易」の形態なのかどうかという判断も行わずに、革命運動発展にとっての合目的性からのみ「自由貿易に賛成」と結論したマルクスの「貿易」論を祭り上げ妄信していますが、マルクスの産業構造発展観や戦争論などに19世紀的生産力発展水準を反映した歴史的制約があったことは確実なんですね。
だから、今日の農業問題などでは、もっと長期的展望に立った現実的且つ創造的な対応が求められます。
恐慌革命論時代の大陸左翼理論に依拠することなんて出来ないはず。
ましてや、食糧問題とも直結するマルサス人口論への対応見直しなども求められている人類100億人時代が間もなく到来するのですからなおさらです。

宇沢氏の「市場外部化」などの問題提起は、マルクス派こそが批判的に摂取し継承・発展させるべきものなのです。
Unknown (12434)
2014-10-13 16:50:56
主観性を完全に排除するというのは、ようするに「客観的に誰が見ても正しい評価をする」のは難しいといいたかったのです。もちろん可能だった事例もあるとは思いますが。
TPPに反対している田代洋一は、農業の多面的機能は外部経済であるので、これをあえて市場評価しようしても主観がつきまとうのは免れないから、その欠点を理解した上で他の様々な政策を利用し補うべきだと主張しています。

市場の外部経済は先に述べたように、プラス(外部経済効果)とマイナス(外部不経済効果)があります。これをあえて市場評価するなら、前者にはその分を換算して支払いを、後者には課税もしくは公害排出権の価格を定めて売買するということになります。
これを客観的に評価するのは中々難しい思います。いや、今正しい判断ができても後から歪む可能性は否定できません。将来に向けての試行錯誤が必要です。

ちなみに関先生は、市場の矛盾を市場の力で解決しよういうやり方(二酸化炭素の排出権取引)については痛烈に批判しています。
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/7665ec009312d4158ea5021fbfb9bd1e

まあ私は別に市場原理主義者ではないので、なんでも市場評価で決めるやり方は反対です。少なくとも別の政策も必要ですね。
はじめまして (関)
2014-10-14 11:27:10
 バッジ@ネオ・トロッキストさま、はじめまして。よろしくお願いいたします。
 
>「内部不経済の外部経済化」

この議論は、外部不経済の内部経済化の間違いでは、と一瞬思ったのですが、深い意味があったのですね。
 ちなみに宇沢先生は、「外部不経済」という言い方が大嫌いでした。仕方なく使わざるを得ない局面では使用していましたが。
 実際、新古典派が「外部」と呼ぶものは、経済活動の外部でも何でもないからです。宇沢先生は、外部不経済効果を、社会的費用と呼びたがりましたし、新古典派が生産要素のとしてカウントしていない社会的共通資本を、生産要素としてモデルに組み込みました。
 
> ご紹介の田中秀臣氏の議論・・・・日本社会批判を何でもかんでも「反日」だと拒絶、攻撃するネトウヨのようなものですね。

 彼のツイッター見てみてください。キモチ悪いですよ~。論理も何もなく、レッテル貼り付けて罵倒しているだけ、池田氏と同じです。あれが知識人として通るのですから、泣きたくなります。
関先生 (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2014-10-14 14:52:14
早速のリプライ、ありがとうございます。
宇沢先生についてのご紹介ご教示も感謝致します。

>この議論は、外部不経済の内部経済化の間違いでは、と一瞬思ったのですが、深い意味があったのですね。

実は、当方のその書き方、説明の仕方には内容自体にも問題があるのですね。宇沢先生の学的把握態度の到達点についての過小評価も含めて問題があったようです。「市場の内外」という問題設定に引きずられ過ぎました。
「内部不経済の外部経済化」における「内部」とは、農業分野の内部でのタダ働きなどのことを指して「不経済」と書いていますが、「外部経済化」とは、実は、商品-市場関係にとどまらず、より根本的にはマルクス的な3項連結における自然-社会-労働する諸個人の「自然」だと思います。
資本関係を疎外された物象連関の自立化・主体化とみるマルクスの立場からは、本来は商品-市場関係を「内部」とみるような認識態度はあり得ないでしょう。
「仮象としての内部」は「本物の内部」ではあり得ません。

だから、「ちなみに宇沢先生は、『外部不経済』」という言い方が大嫌いでした。仕方なく使わざるを得ない局面では使用していましたが。」とご紹介頂いた宇沢先生の対象把握態度は、事実上マルクスと同一のものだと思われます。
宇沢経済学の到達点は、唯生産力主義(=疎外された生産力信仰たるスターリン的な物財生産説など)と生産関係主義(=所有論的社会主義規定)の間での振動を続ける凡百のマルクス経派の立場より深いとも言えましょう。

当方は都留重人先生の著書中紹介で知った『自動車の社会的費用』しか拝読していませんが、宇沢経済学は市場経済における無政府性を消費過程での無政府性にまで視野を拡大して展開された点で学ばされました。
この問題分野は、当方流に表現すれば、「自然と人間との物質代謝」における異化過程(=マルクスの射程外領域)に属する現代的喫緊課題を再生産論に位置づける上でも重要に思われます。

関先生がもし宇沢シューレの一員ならば、今後も多々ご教示頂きたいので、以後、よろしくお願い致します。
なお、当方の問題意識は、「リベラル21」ブログや「阿蘇地☆曳人のブログ」などにも書き散らさせて頂いてますので、おヒマな時にでもご笑覧を。

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