後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

米朝さんご逝去

2015年03月20日 | Weblog

ご近所の白木蓮が満開だ
電車通勤のころはいつもこの木の下を通った

米朝はんがお亡くなりになった
ある時期、約10年間ほど 毎年お会いした

ずっと前、勤め先で「米朝一門会」を企画した
地域文化企画の一端を担おうとの基本提案に
不思議おじさんが企画提案したのが落語
5年間ほどは企画、交渉、広報、運営を担当した

当初 700席の会場は満員が続いた
大きなニュータウンでの開催とはいえ
さすがに5年間ほど続くとマンネリ気味になる
福祉施設の皆さんをご招待もした
しかし結局は10年ほどで終了したかと思う

開演前の楽屋は緊張感で張り詰めている
若手の噺家は開演前も座席を歩き回り
ネタ繰りを繰り返して行っていた
あの雀三郎さんの人を寄せ付けない真剣な目つき
人の前で お金をもらって喋る
プロの姿をいつも見せてもらった

米朝さんは毎年必ず高座に上がってもらった
その他の噺家は年によって入れ替わった
楽屋には担当の女性がお茶やお菓子をお持ちした

ミーハーな不思議おじさんも 
さすがに張り詰めた緊張感漂う中では
楽屋の前は通るものの目礼だけで
話もせずに通り過ぎるしかなかった
10年ほどもお会いしていながら
サインの一枚も頂いていない

自殺された枝雀さんにももちろんお会いしている
電車で会場に来られていた
毛糸の帽子を被って何気なくおいでになったので
不意を突かれてびっくりした記憶がある

ある回のこと 米朝さんが高座に上がって話をはじめられた
暫くして当時の小米朝(5代目桂 米團治)さんが袖から舞台に
何んと 米朝さんが手拭いをお忘れになっていたのだ
翌日 何気なくラジオを(多分車で)聞いていると
「うちの親父が 手拭い忘れて高座に上がってしもたんや」と
世間に暴露されていた
懐かしい思い出話

ところで不思議おじさんは落語好きだ
もっとも好きなネタは6代目笑福亭松鶴の「らくだ」
1時間に及ぶがほぼ喋ることができる
もちろん落語にはなっていないが…
米朝さんの「らくだ」も悪くはない
悪くはないが、米朝さんには気品がありすぎて
酔っぱらって悪態をつく屑屋にはなり切れない
どちらのCDも繰り返して聞いたものだ



もう40年も通っている道なのに
不思議おじさんの家から600mくらいの場所なのに
こんな銅像が道際にあることに気づかなかった

石碑によれば「嶋田安治郎」とある
ウイッキでは「嶋田安二郎」になっている
明治から大正にかけての教育者とのこと
その孫が、高石市や大阪市で福祉事業を行っている

室町時代に鹿児島から高石に居を構え
農耕と油搾りで屈指の豪農となったようだ
御室(仁和寺)の門跡・法親王が嶋津家へ立ち寄る際
嶋津家から「とろす池)までの450mの道に
白布(恐らく絹)を敷き詰めて迎えたとの逸話があるそうだ
因みに「とろす池」は今はもう無い
先日もこのブログで触れたが
清少納言や藤原定家が立ち寄ったとの記録もある
しかし第2次世界大戦の食糧不足時に埋め立てられた

西南戦争時、薩摩藩の残党は徴用されるとの噂が全国に広まり
嶋津家は「嶋田」に姓を改めたとのこと

嶋田安治郎さんがこれほどまでに顕彰された理由
精励 恪勤 孝順…(あといろいろ書いてあったなぁ)
不思議おじさんの価値観とはちょっと違うみたいだが
他者に敬われるだけの人の厚みがあったのだろう

そう 
人との付き合いには
リスペクトが前提としてなくてはならない

他者を貶ることに快楽を感じる
それでは人との関係は結べない

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