ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

ブーメラン戦隊ジミンガー~民主党の懲りない面々

2013-03-12 | 日本のこと

復帰早々嬉々としてこんな絵アップしてんじゃねーよ、
と思われたかもしれません。

特に、ipadで入力しただけで優しく叱ってくださったmizukiさんなどが
「ぶりかえしても知りませんよ」
と呆れる様子が、お会いしたことは無いけど目に浮かぶようです。

ともあれ、全壊しました!


じゃなくて全快ですね。まだ完璧じゃないかもしれないな、うん。

お見舞いのメールくださった方々、本当にありがとうございます。
お見舞いに添えて、「自衛隊派遣部隊の帰還」で語られた話にインスパイアされた
サブストーリー「彩雲」を送ってくださった方、ありがとうございます。

鼻の通りが万全でない状態で読んだので涙とのコンボでえらいことになった、
ということだけ少し気に留めていただければ幸いです。

ついでに、このストーリーはもし読者に読みたいという方が一人でもいたら
こっそりアップしますのでそのつもりで。

御礼を言ってんだか脅迫しているんだかこれじゃわかりませんね。
それはともかく。



病に伏していた期間、むろん寝ているのがやっとで生けるしかばね状態の時は
しおらしく横になっておりましたが、熱が引き、これまで「家族モード」だった家族が、
家事をしたりわたしが寝たまま食事できるようにしてくれるなど、
「マニュアルモード」に切り替わってくるころには、ipadで今まで気になっていた
政治経済ブログなどを読んだり、(これ普段なかなかできません)映像を観たり、
少し勉強したり、そんなことをしていたんですが、
本日の絵を描かずにはいられないビッグネタが飛び込んできました。


いやこれね。

3月7日の衆院国会質疑がなんかすごいことになってたらしくって、
民主党が存亡をかけてこの日

「海江田万里」

「岡田克也」

「細野もなお」(本名度忘れしたけどこれでいいよね)

最強の布陣()で質疑に当ったものの、それがことごとくオウンゴール、
本人気付いてないけどでっかいブーメラン刺さって全員額から血がだらだら、
みたいな状態で完全崩壊したということを知りました。

で、この国会中継、最初から最後まで、観ました。


野党になってどうやらこのまま座して死を待つことなく、
積極的なヒールとしてマスゴミというレフェリーを抱き込み、
あの政権交代よもう一度、という作戦なのか(今さらあほな作戦である)
見たところ彼らの基本姿勢は、ただ一つ。

「自民の反対をする」

ジミンガ右なら左。ジミンガ白なら黒。ジミンガ悪いジミンガ責任を。

もう自分たちのやってたことでもなんでも、
とにかく自民の出した案に反対し、成功を阻止し、
景気をどん底に突き落として自分たちが政権を取り戻す、という・・


おいふざけんなよ日本の復活の足引っ張んな、
とまともな日本人なら言うでしょうし、もう現に言ってます(笑)

しかし驚くべきことに、彼らは全くそれを意に介する様子が無いらしい。
全員が他の野党にすら憐れまれているような失笑を浴びているのに
あまり気づいていない。のかもしれない。


「参院選では政権交代しますから!!!!!!!」


と声を裏返して捨て台詞(本人決め台詞のつもり)を叫んだ海江田総裁
いいからおまえは裁判行って来い。

最初から最後までキーキーと声を張り上げてくだらん言いがかり質疑を
わめき散らした細野幹事長は、案の定、質疑中事務所に

ジャンジャンクレームの電話がかかってきたらしく(笑)

「確かに声は大きかったかもしれないけど私には主張する使命がある」

皆声がでかくてクレームしてるんじゃないっての。
わからんかなこの総身に知恵の回りかねてるウドの大木は。
しかもこの事務所悪質で、「細野の質問が酷過ぎる」とクレームしたら、

「じゃなんで安倍総理は前回腹痛でやめたんですか!!!!」

ってキレるらしい。

頼むから日本語の通じるスタッフ雇ってください。お願いします。
日本人の成り手がいなさそうなのはよくわかるけどね。


病の床にありながらこの三人に加え、辻本清美、玄葉光一郎、原口一博、
とこれらの「エース級」(ぷっ)の質疑も聴いてみたのですが、はっきりいって
そのあまりのスカムっぷりに熱が少し上がったかもしれません。

いや、回復期に観るべきものではありませんでしたね。
はっきりいって。



閣僚のときにまだなんぼかまともに見えた気がしたのは、
それは閣僚席にいてあおったり乱暴な口を聞いたり、ましてや切れたり、
それらがご法度であったからにすぎず、いやそのときですら閣僚席から叫んで

「閣僚が野次らないように」

って注意すらされていたような連中ですからね。
その縛りが解けた今となってはもはや言いたい放題。
思うがままに、心のままに質疑もヤジも生き生きと。

・・・もう滅んでいいから。明日にでも。


で、今日、この三人の質疑の聴き所をまとめてみました。
それではどうぞ。

海江田万里

(補正予算について)

「補正予算、本当に必要なところに使わず建設国債を使って
無駄な公共事業をしようとしている!」

アベ「地方まで恩恵を被るような成長のために公共事業必要です。
雇用の場も増やさないといけないし」

「そりゃわしらが子供の頃の話やw
どうせあまり人が通らないところの道とか作って金をどぶに捨てるだけw
俺らが『コンクリートから人へ』やったのにまた先祖がえりか?」

アベ「公共事業って・・・。防災、減災予算だろjk」

「そんなこと言ってどうせやりやすいことだけやって金をどぶに捨てるだけw
無駄だ!次世代へのつけ回しだ!」

太田「あんたなんか誤解してない?
1.8兆円のうち1.2兆円が防災・減災対策費用、あと調査なんだけど」

「たぶんそういうと思ってたから総理に聴いたんだ!」

アベ「ですからこれらはデフレ脱却のために・・・あのすみません、
静かに聞いていただけます?せっかくしゃべってるんだから。
金融政策をしていく中で地方まで隅々・・・・

すみません、すみません長妻さんね、そうやって何回も話の腰を
折られるとね、またもとに戻らないと説明できなくなるんですよ。
これね、本当にね答弁しにくいのでちょっと、目の前で、
いろいろいうのやめてくれませんか。
後ろから注意されてますよ?

大切なことは税収を増やしてデフレから脱却していくということです」

「総理は質問に答えていません!
造りやすい道路とか作って金をどぶに捨てることになる!
もういいです!総理おんなじことしか言わないからいいです!」



「公共事業は悪」言いたいだけでは?



(復興予算)

「コンクリート、人手資材、何もかも足りない。なぜですか」

アベ「我々自公政権には専門家がたくさんいますから、原因をすべて
明らかにしてきました。詳細は太田さんからどうぞ」

太田「政権発足2か月で生コンプラント1基建設済です」

「・・・・生コンの工場一つ作るってことでは全く足りないんですよ!
国交大臣だけでもだめなんですよ!
もし現地から復興遅れたって声がでたら潔く謝れ!」



(福島原発)

「われわれは第2ステップ終息宣言をした!
でも担当大臣は残したぞ。今の自民の担当はいるのか!」

茂木経産相「(ずいっ)俺がそうだ。
アンタは掌に忍の字を書いたり泣いたり大変だったなw
おれは言っとくが4号基の中にも実際入ってるんでそこんとこよろしく」

(びくっ)「汚染水の処理ひとつとっても政府が前に出なくてはいけない!
汚染水どうするのかもう話し合ったのか?」

茂木「そういうことを担当する部署を総括するのがわたしです」

「ということは話し合ってないってことだな?
東電は井戸を掘るっていってるけどそれはやってはいけない!
危ないんだ!
これはどうしたらいいかというと、
地下水と海水の間に遮蔽壁を作って・・・・(以下延々と工法説明)
東電と話し合ってやらなきゃいけないのになにもしてない!
どうなってんですか!なにやってんですか!」

茂木「いろんな問題があるから終息したとは言えないつったんだけどな。
あんたらだらだらやってたけど俺らまだ政権ついて2か月やど?

そこんとこはちょっと言葉の使い方が違うんちゃうか?

あんたら長いことやってきて何をしたんかさっぱりわからんが、
政府はすでにここに850億円予算を付けた。

ここに初めて予算を付けたのはわしらやねんけどわかっとるか?」

「次の質問行きます」



(原発廃炉)

「廃炉の説明を聞くと完全撤廃に10年かかるんですね。
わたしどもは30年代でゼロを目指すと決めました。
10年でゼロって遅すぎるんですよ!
代替エネルギーだってすぐにできるわけじゃないんだから。
もっと早くならんのか!これじゃ誰も納得しない!
さあ、いつまでにやるのかその時期を答えろ!」

茂木「オマエラ廃炉の年度目標だけ決めたかて、
その方法も方向性も決まってないのにどうするつもりやったん?
俺らは具体的に、政策も決めて実行していくつもりだからよろしく。

例えば現段階では7月に詳細な調査結果が上がってくる。
高性能の火力発電も造る。
シェールガスを効果的に活用することも検討中だ
全体を貫く電力システム改革を進めていく」

(このあたりでさえぎるヤジを飛ばしだし議長に叱られる)

「わたしは総理にお尋ねをしているわけど、
まあ、経産大臣が手を上げてこの答弁席に来たんですから、
まあ、経産大臣の答弁を聞いてもいいなっと思っておりましたけど、
あーんまり長く、やって時間を、費やされますと、こらわたくしも、
ガマンにも限度があります!!!(ホントーにこう言った)

わたしたちは原発事故収束の大臣を置いていましたけど、
やっぱりこれ、置いたほうがいんですよ。
申し訳ないけど経産大臣じゃダメなんですよ。(なんで?)
大臣、置くのか置かないのかお答えください。

それからいつ終わるのか年度をはっきり言うべきだ!言え!」

アベ「経産相で何が悪いの?簡単でいいじゃん。
それからこの3年集中的にやって短くなればいいとは思うし、
できるだけのことをやるけどじゃいつまでなんていえません」

「まあ、10年でやるというのは難しいと思いますから、
わたしどもはの参院選総選挙で当然のことながら
政権奪取を目指すわけでございますから
そりゃやらないということと同じでございます。(意味不明)
わたくしはそのように理解します」

…10年後どころか参院選後民主党があるのか?



(経済対策)

「強い日本を作るっていうけど、あなたの演説にはオバマの演説にあった
『分厚い中間層を作る』という言葉が無かった!なんでなかった!」

アベ「日本はアメリカではありません。わたしはオバマ大統領でもありません。
アメリカではそれを大統領が改めて言わなくてはいけない状況だけど、
日本はそんなこと言わなくたって常識だから」

「日本でもそれは大事だ!じゃ聞くけど、
『頑張る人は報われる』という所信表明演説のこの意味は?」

アベ「朝早く起きて一生懸命汗を流して働いて知恵も出して頑張って行けば
それに対応する対価が得られる社会を作っていくという意味です。
そういう経済状況をデフレから脱却して作っていくといことです。

自由民主党というのはまさにそういう層に軸足を置いている政党なんですよ。
真面目に汗して、そして家族を愛してさらには地域をよくしたいと願う、
日本の未来を信じている人によって支えられているのが
自由民主党ですから。

(明らかに民主党の支持母体が日本人ではないことへの含みが感じられた)


(揶揄して我々政治家がするのはそういうスローガンを叫ぶことじゃなくって、
具体的な制度や仕組みを作って、なぜ報われない人がいるかということを
議論する場じゃないですか!

わたしはデフレの原因は『分厚い中間層』が失われたことだと思う。
そう思ってないんだったら経済政策なんてできない!
なんでそれが失われていないって言いきれるのかオイ?」

アベ「そんなことないでしょ。
アメリカみたいなとんでもない金持ちもとんでもない貧困層もいないし。
デフレの原因は行き過ぎた円高です。今変わりつつあります。
政治は結果ですから。

民主党政権、残念ながら3年間やって

できなかったじゃないですか。


われわれは今2か月半だけど、これ、変わりつつありますよ?
その中において賃金を上げようという会社も出てきましたね。
これ、もうちょっとやらせていただけばどんどん変わってきますよ。

まさに、

日本の経済は

変わろうとしています。

国民の多くもそう思っています。
海江田さんも経産大臣として頑張ってこられたのは知っていますよ。
困難な内閣だったと思いますよ。

そのなかで、わたしは海江田さんは頑張ったと思いますよ。


わたしは民主党がやっていたことを総て
否定するわけでも肯定するわけでもありませんが、要はですね、

わたしたちは次々と結果を出していきたい。
このように思っております」

「・・・・・・・確かに今日も株が最高値を更新した。
為替も円安に向かっている。

ただ、これが結果だと勘違いすんな。
まさに市場で、実体経済じゃないんだから!
実体経済に影響を及ぼすにはまだまだ時間かかるから!

自分でも言ってただろ?
為替や株の動きで政治家は一喜一憂するなって?

(総理を指さしながら後ろに向かって)

い、今の話を聞いてると自分の手柄だみたいなこと言って、
そら、おかしいですよおおお!

そうでしょ?(しつこい)
一喜一憂してないんでしょ?
今一喜してたじゃないですかあ?

どおですかあええおい?(ホントーにこう言った)」

アベ「私は株価の水準に対しても為替の水準に対しても、
一回もお話をしたことは

あ り ま せ ん 。

要は、要はですね。
(外野で『今結果が出たって、結果が出たって』。言ってねーから)
どういう変化が出てくるかについてはあらゆる金融政策を進めて
まずは株価と為替に変化が出てきますよ、すると
インフレ期待が進んでくる。
企業が強調して賃金を上げると従業員が享受できるような社会ができる。

まさにそのいま第1段階に入ったじゃありませんか。

皆がだんだん実感をされているんですよ。
(この間ずっと『委員長』『委員長』と繰り返す)

(にやにやしながら)
「だからまだ結果が出ていないんですよ。(後ろに向かって)
結果が出たかに話をしているから、そこは違いますよと。
結果出てないんですよこれは。ね。結果これからですから」


以上


・・・ふう。


いや、安倍さん、ひとことも「結果出した」なんて言ってなくない?

「今我々の政策によって今景気が少しずつ変わりつつある」

「政治は結果である」

「しかし民主党は何もできなかった」

この三つを言っただけですよね?
おそらく三つ目を聞いて何かがはじけたんでしょうね。
この男の脳みその中で。
なんか途轍もなく高いだけのつまらんプライドみたいなもんが。

そのまま自分も一緒にはじけ飛んでどっかに行ってしまえ。

エリス中尉、今回の病気以降民主に対しては
思ったことをそのまま書くことにしております。
アグレッシブです。


本当はこの後、「企業に賃上げをお願いした」という部分を
「自分のブレーンみたいなとこにやらせた」だの
「税制で後押しって言っても個人にやらなくては意味もない」
だの、税制や経済対策以前に、円高を注視することしかしなかった
昼行燈経産相がいたけど、あれ自分なんじゃなかったけ?と思わず
胸ぐらをつかんで(汚そうだからやだけど)聴き質したくなるような
特大ブーメランが最後にはざっくりとささっていた、
元経産相の海江田万里民主党代表質疑でした。

さて。
今日はこの辺にします。
抱腹絶倒で聴いていたのでエントリ作成も簡単に行くかと思ったら、
意外と時間がかかってしまい、疲れました。

本当に、疲れました(怒)


というわけで、いよいよ面白くなる岡田、細野編、次回に続きます。


書きかけの防衛省編、旅行もまだまだエントリに上げたいのですが、
このネタが少しでも新しいうちにと思いまして。

エリス中尉一人で面白がっていては罰が当たる。


本当に民主党って馬鹿ばっかりだったんだ・・・・。
こんなんに二度と政権取らしちゃいけませんね。

・・ってか二度と取れない。(断言)
彼らの頼りにしているマスゴミも絶賛崩壊中だし、
なんか今じわじわと日本が変わっていっている気がします。





 


ブログ主急病のため

2013-03-09 | つれづれなるままに

ほんの暫く更新をお休みします。

頂いたコメントへのお返事も復帰早々させて頂きます。

何年ぶりかでインフルエンザにかかってしまい、

ベッドで寝たままipadから入力するのがやっとです。

どうやら鹿児島に行ったときの機内でもらった様子。

体中痛くてもう廃人状態です。

皆様方くれぐれも今年のインフルエンザには御用心!

 

辛いですよ~!(迫真)

 

 

 

 


市谷・防衛省ツアー~スディルマン将軍像

2013-03-08 | 日本のこと

「外に駐機してあるヘリを観るだけ」と教えていただいたので、
ヘリ見学を含む午前コースを最初は選択していなかったのですが、
時間の都合でこちらに参加することになりました。

しかしこの選択によって、わたしはある需要な事実を再確認することができました。

「日本のおかげでわれわれは独立した」と東南アジアの国が思ってくれているらしい、
その一つのあらわれをそこに見ることになったからです。



このヘリが駐機している部分は、昔の歩兵第一連隊の門の部分を
再現した塀に囲まれています。
この、まるで漫画に出てくる「お城」みたいな作りの門柱ですね。

・・・しかし、その写真を撮り忘れました。 ○| ̄|_

とにかく、そんなものを見ながら駐機していあるゾーンに向かいます。



展示ヘリは「ひよどり」。
OH-1H、多用途ヘリで、今ではUH-1Jに置き換えられ引退が進んでいます。



ヘリの片側にはプラットホームが備えられているので、見学者は簡単に
内部に乗り込んで写真を撮ったり操縦席に座ったりすることができます。



操縦席には座りませんでしたが、後ろから写真を撮ってみました。
操縦桿は動きます。



年代を感じさせるシートベルトとドリンクホルダー。
これが金属でできているのがまた時代を感じさせます。

 

一般シートの部分はまわりが緩衝材で覆われています。



当たり前ですが、ヘリは垂直に着地するので、
操縦者が自分の足元を見ることができる作りになっています。
この写真はパイロットのフットレバー部分を横から写したもの。

「こんな飛行機はいやだ」というシリーズに
「床がガラス張りの飛行機」というのがありましたが、
ヘリの操縦部分は「床がガラス張り」が標準です。

ちなみに余談ですがわたしがいやだと思う飛行機は、

「タービュランスのときコクピットから小さな叫び声が聞こえる」
「FAがジャンプシートでさりげなく数珠をまさぐっている」
「『お客様の中で操縦資格のある方はおられませんか』とアナウンスがある」
「周りの客がみんなコーランを一心に読んでいる」
「ビューティフル・ランディングをキメた操縦士がコクピットから出てきて
降機する乗客を満面の笑みとともに一人一人握手してお見送りする」





相変わらず自衛隊機のボディにはわかりやすい日本語が書かれています。
「手かけ」「足かけ」。
手かけはともかく、足かけは展示の際に外してしまったようですね。



わかりやすい表示その2。
「消火器はこの内側にある」「回す」「ひく」



はい。



珍しく英語ですが、パイロットなら一目瞭然なのでしょう。



おすな。

おすなと書いてあるのに明らかに手形があるように見えるのは気のせいか。



にもかかわらず機体を押す人。

まあ、この「おすな」はこの機が現役のときに
「ここを押したら飛行に悪影響がある」ということで書かれたもので、
今となっては押そうが引こうが構わないのかもしれませんが。



ところで、このヘリの駐機ゾーンに、銅像がありました。
皆このように「なんだろう」と眺めながら歩いていくのですが、
ツアーガイドは何もこれについてコメントしないので、
皆もほとんど無関心で通り過ぎてしまいます。



このブロンズ像、非常に新しいように見えますが、それもそのはず、
これはまだこの場所に建てられて2年くらいしか経っていません。

これはインドネシアの初代国軍最高司令官、スディルマン将軍像。

1945年に独立宣言後、オランダと独立戦争を戦った英雄です。
2011年1月、国防相のプルノモ氏が、防衛相会談のため来日した際、
インドネシアは、両国友好の象徴として、この銅像を日本に寄贈しました。

・・・・え?そんな話今初めて聴いたぞ?
そもそもインドネシアの英雄の像がなぜ日本の防衛省にあるの?

そう思われた方、ごもっともです。
かく言うわたくしも、このツアーに参加しなければおそらく一生知らなかったでしょう。

今回、このニュースを検索しても、出てくるのは

1、防衛ホーム新聞の記事
2、当時の副総理(笑)安住淳のHPの「活動報告」でこれに出席したという記事
3、産経新聞のコラム(現在閲覧不可)

の三件だけ。
大手新聞やマスコミは当時全くこの寄贈に付いて記事にしなかったようです。

その理由はといいますと、インドネシアがこの像を日本に贈った意図というのが、

「我々の国の独立の英雄は、日本軍の軍事指導を受けていた」

という、特に当時の政権与党であった民主党にとってははなはだどうでもいい、
というかむしろ黙殺したい史実に基づき、即ち

「我が国の独立は日本のおかげで(も)ある」

というインドネシアからの感謝を表すものだったからにほかなりません。

インドネシアであろうがフィリピンであろうが、日本軍がそこでしたのは
侵略であり、虐殺、略奪だけであった、と断罪し続ける人たちがいます。
彼らは、たとえば以前当ブログでアップした映画「ムルデカ17805」に対しても
「アジア侵略を美化する映画」などと史実を何も知ることなく決めつける人々です。

そういう「反日本」的な勢力やマスコミを味方に付けて政権を取った民主党にすれば
このインドネシアが何に感謝しているかはむしろ「不都合な真実」に属し、さらには
「独立への感謝と友好の印」など、全くはた迷惑としか思わなかったに違いありません。

それが証拠に、防衛相は当時この除幕式についてほとんど広報しませんでしたし、
この像がここにある経緯、なぜインドネシアがこの像を日本に贈ったのか、
こういうことに関しても、このおざなりな展示からは何も読み取ることができません。


1945年、日本が敗戦でインドネシアを去って2日後、スカルノは独立宣言を読み上げました。
日本はその年の10月にインドネシアに独立を約束しており、
そのために「ムルデカ」でも描かれた日本軍の将校などが軍事訓練を施していましたが、
敗戦により撤退を余儀なくされ、独立は自然発生的に早まったのです。

しかし、彼らにはその後、独立を勝ち取るための戦争が待ち受けていました。

300年続く支配中、たった3日で日本軍にインドネシアから駆逐されたオランダが
日本の敗戦後、再びインドネシアを植民地にするために帰ってきたのです。
連合軍の尻馬に乗り、戦勝国気取りで。

オランダの論理によれば、この独立宣言は日本のお膳立てによるものであり、
日本が敗戦したからには全く無効で、この地は再び我々が占有すべきだというのです。
通常、ある国の独立宣言は、世界に認められてはじめて成立しますが、
この時のスカルノによる宣言は世界には全く無視されました。

日本軍は敗戦とともに連合国側の支配下に入ったので、その命令に従い、
インドネシアの要請にもかかわらずに武器を渡すことを拒否しました。
これを奪おうとするインドネシア人が武装解除した日本軍を襲い、
終戦後に2000人の日本人が殺害されたと言われています。
ちなみに、この人数は1942年に日本がインドネシア攻略をしたときの
インドネシア人の死者を数倍上回っているそうです。

日本軍は、そういう事件があってもインドネシアを支援しようとしました。
「古くて使えない」という名目で、武器をそのままわかりやすい場所に捨て、
インドネシア人にわざと拾わせたりもしたのだそうです。
「ムルデカ」にも描かれたように独立軍を指揮した日本軍人もいました。

(ただし、映画「ムルデカ」はジョグジャカルタの戦いにいなかった日本人が
戦ったという創作をしたため、インドネシア人には不評だったとか)

このスディルマン将軍は、日本が組織したPETA(郷土防衛軍)の大団長となり、
(日本側と対立することもあったそうですが)武器の調達の交渉などを始め、
国軍を率いてこれを勝利に導きます。
そしてインドネシアの独立宣言が正式に発効した一か月後にわずか38歳、
病気のため亡くなりました。

そういえば独立のために戦い、38歳で病に倒れた、というのは、
やはりオランダと戦って勝った台湾の中興の祖といわれる鄭成功と全く同じです。
この偶然の一致にたった今わたしは気づいて驚いてしまったのですが・・・・
この話はともかく。


それにしても、現代の日本においてインドネシアと日本の、
このような因縁を知る者は、日本の近代史にかなり興味を持ってでもいなければ
ほとんどいないと言っていいのではないでしょうか。 

戦後の自虐史観にこの部分はかなり「都合が悪かった」ため、
塗りつぶされてしまい、日本人が知る機会に無かったということもあるでしょう。

インドネシアの防衛省がスディルマンの銅像を贈ります、と言ってきたとき、
反日売国政党の民主党の面々は勿論のこと、防衛相の担当者も、
両国のこのようなかかわりの歴史を知らず、スディルマンというのが誰だか
わかっていない人間ばかりだったかもというのは想像に難くありません。

ですからそれがためにインドネシアの関係者に対し、日本が礼を失した対応、たとえば

「なんでこの人の銅像をくれるのかさっぱりわからない」

といった「有難迷惑」な態度を露骨に取って気を悪くさせたのでなければいいが、と
わたしはこの除幕式の時の寒々とした写真を見ながら願わずにいられませんでした。







市谷・防衛省ツアー~日本を蝕む組織

2013-03-07 | 日本のこと

厚生棟でしばしの休憩(15分)をしたツアー御一行様は、
厚生棟を出るときも点呼をいたします。
それもこれもこっそり厚生棟に残って職員専用食堂でご飯を食べたり、
機密を求めて変なところに入り込む輩がいないとも限らないからですね。

ところで先日、横須賀の在日米軍基地に中国人が忍び込んだ事件がありました。
この中国人がとっ捕まって言うには
「米軍に入隊してアメリカに行きかった」

どう見てもスパイですがスパイにしては言い訳が酷過ぎます。
だいたいこの中国人、来日して10日。
アメリカに行きたいなら最初からそっちに行けつーの。
それとも、ジョージ・ワシントンに積み込まれる樽にでも隠れるつもりだったのか?


それはともかく、この市谷見学ツアー。
参加するには何人たりとも身分証明を提示せねばなりません。
なので、身元のアヤシイ外国人はその時点でカットされるのです。

というか、外国人の見学って、受け付けではねられるんでしょうね?



これを少し見てください。
掲示板で見つけた入間基地の体験搭乗会の参加者募集のお知らせです。
入間基地でのイベントの参加者を神奈川の地本が集めています。
本部からマイクロバスをチャーターするので地域限定なのはわかりますが、
この募集資格のところに「日本国籍を有する方」となっているでしょう?

このイベントの目的が「将来の自衛官リクルート」につながるらしいことを考えると
この資格限定は当然のことにも思われますが、保護者一名同伴可、となっており、
子供をダシにして某国人が見学、ということを未然に防ぐためでもあると思います。



ところで割と最近、帰化した中国人が防衛大学に入学し、
すごい勢いで幹部になりそうになっていた、という話がありました。

防大に帰化中国人の学生がいて成績優秀だそうです。
その母親が先に来日し中国にいる夫と別れ日本人と結婚し、
この学生が中学生の頃祖父母と暮していた彼を呼び寄せて
日本に住むようになったそうです。
母親は中国のエリート層で、高学歴で
通訳業などで中国と繋がっているそうです。自衛隊が心配です。

これは何を隠そう、田母神俊雄氏のツィート。

あるいは、

防衛大学校海上防衛学教室には准教授(2等海佐)のある教官は、

(1)櫻井よしこの悪口
(2)アメリカと産経新聞の悪口
(3)中国が日中中間線よりもギリギリ中国側でガス田を掘っているのは
  中国側の日本側に対する配慮があるからだ。
(4)私は中国のVIPと親しい。
(5)台湾は親日国家ではない。

このようなことを講義で公言していた人物だったそうですが、驚くことに
日本人の奥さんと離婚して中国人女性と結婚していたというのです。
防大生の間では、「ハニートラップに引っかかった教官」として有名だったのですが、
騒がれたせいなのか、転勤(事実上更迭)になったそうです。
 

また、TOの所属している社会貢献型クラブでは
やたら中国からの女子留学生に気前よく奨学金を出す傾向があるのですが、
そういう風にやってきた留学生はなぜか皆結構美人で、
日本で猛烈に政府関係者や自衛官に接近し、露骨に結婚を迫るのだそうです。

金美齢さんの講演を聞きに行ったとき、まさにそれそのものどんぴしゃりの、
医学を勉強に来ているという美人留学生が会員に連れられて紹介されていました。

金さんが彼女が紹介されるところを見ていたのかどうかはわかりませんが、
その講演の中で、気前よく中国人を留学させて痛い目に遭う企業の話や、
そんなことに大金を費やしてハニトラ要員をやすやすと招き入れる日本を批判し、
わたしは「あーあ」と思いながらそれを聞いていました
その女子学生が金さんの日本語をどのくらい理解したかはわかりませんが、
鼻の下を伸ばして彼女を連れ歩いていたおじさん会員にはさぞ耳が痛いだろうな、
と思ったものです。

現在、中国人妻を持つ自衛官は非常に多く、問題になりつつあるようですが、
ことほどさように帰化する人間が政治や軍(自衛隊)に入り込むことに対し、
あまりにも日本は無防備すぎるという現状がこのようにあるわけです。

政治もしかり。
もう、絶滅寸前で夏には命運が尽きると思われている民主党ですが、
今回選挙で大敗した一番の原因は、表舞台に出たこの政党が実は
「日本人のための政党ではなかったことが国民に知れたから」
だとわたしは思っています。
マスコミは隠蔽していましたが、ここの党員になるのに日本国籍は必要なく、
したがって党首の選挙に多数の在日外国人が参加することができ、
さらに帰化した外国人の議員が非常に多いらしいことがインターネットによって
国民に知られてしまったというのもその原因でしょう。

「祖国からの指令を受けて帰化し、敵国の中枢部に入り込む」人間が
現実に暗躍していると言われる現在の日本にとって、
帰化人が多数である政党が政権を担っていたことは
まさに国体の危機一髪だったとわたしは正直なところ思っています。


先日雛祭りの「雛人形倒し」事件で、テレビ局には相当数非日本人が入り込んでいる、
なぜなら「雛を的にして倒し点数を競う」などと日本人が思いつくはずはないからだ、
ということを述べました。
テレビ局の「外国人占有率」は非常に高く、それに触れるのはタブーとされていて、
それを公言した野坂昭如氏はそのためテレビから姿を消したと言われています。

多民族国家のアメリカと違い、
「日本人のふりをして組織に入り込む」という行為の最終目的とは
「自分の祖国への利益供与、あるいは一握りの自国民組織による日本支配である」
と考えれば、われわれはもっと危機感を感じなくてはいけないのかもしれません。


この日本で「差別」や「人権」を声高に叫ぶ組織には常に胡散臭さが付きまといます。
これらを楯に組織に入り込んでも決してそれは「日本国のため」ではないと断言します。
つまりなにかというと「人権差別」「人種差別」と騒ぐ団体は、つまり「そういう出自」
であると考えるのが妥当でしょう。


アメリカでも「レイシスト」であるという烙印を押されることを人々は怖れます。
それは社会人として失格であると同義だからで、多民族国家のアメリカでは
「いかなる民族もユナイテッド(団結)して旗の下に平等である」
という建前を持つ以上、それが致命的な烙印となってしまうからです。

日本は単一民族であるから「民族的な締め出し」が是であると言う気はありませんが、
この国とアメリカの国情をいっしょくたにして、差別を叫ぶのは間違っています。
そして、たとえば在日外国人による犯罪報道の際、
素性を明らかにせず本名を報じないというような配慮をする必要があるのか、
などという基本的な疑問から、上記のような「中枢に入り込むスパイ、あるいは反日組織」
の侵蝕に対し、今までのように「差別」を楯にしてこられても毅然と跳ね返すような姿勢が
少なくとも問われているとわたしは考えます。



冒頭の「アメリカに行きたくて横須賀基地に忍び込んだ中国人」ですが、
この人物が実はイーサンハントも真っ青の腕利きのスパイで、
捕まったときにはすでに米海軍の機密を手に入れており、
うつけ者を騙って強制送還となったあと、中国共産党あるいは軍に
情報を渡している可能性が全くないとは誰にも断言できないですよね?

スパイ映画の観過ぎだ、と思ったあなた、
かつてゾルゲ事件が起こったときも、世間は「驚天動地」と称したのです。

現に2005年、中国人と結婚した海自の自衛官がイージス艦のデータを漏えいし
中国妻がそれを持ち出そうとした事件がありましたでしょ?
信じられないことですが、中国にはそういう女性を送り込む組織が存在するのです。

ゾルゲ事件では主犯のゾルゲ博士や尾崎秀美は処刑されましたが、
現代の「平和(ボケ)日本」では、このような売国行為に対しても
せいぜい執行猶予つきの有罪どまりです。
スパイくらいで死刑になるなんて、と思ってしまうのは
わたしもまた平和ボケの日本人であるからでしょうか。



この市谷ツアーは、確かにそんな機密の類にかかわるところを見ることはできません。
アナウンスも日本語だけですし、当日身分も照合します。
ツアーの要所要所で点呼をとりますし、とりあえず対策はされています。

しかし、こういった「日本に蔓延るスパイ」について色々と知ると、
「皆さまの自衛隊」というアピールはともかく、情報を公開しすぎることは
ほどほどにしておいた方がいいのではないかという気がしないでもありません。
「帰化」というスパイのいい隠れ蓑が現実として脅威となっている昨今では特に。








市谷・防衛省見学記~厚生棟でお買いもの

2013-03-06 | 自衛隊

ツアーの「目玉」は市谷法廷と「三島割腹」の部屋。
それを観終わったわれわれは、外に出ました。



ツアーには女性の姿もちらほら。
主婦と思しき三人組の「ママ友グループ」や、
両親と一緒に来た娘さんなど。
夫婦と思しきカップルも何組か。
男性はそれこそ老いも若きも各種取り揃えといった感じです。



この前の広場で、全員が5列縦隊に並ばされました。
何のためかというと人数確認です。
法廷の中に誰も残っていないかチェック。
実に日本的な確認方法です。

「番号!」と言われて「いち!」「に!」「さん!」
とかやらなければいけないのかと思いちょっとドキドキしました。

場所が場所だけに念には念をいれてというところでしょうか。
しかし、どうしてこんなに全員が肩を寄せ合う必要が・・・・。

 

ここを出たら、あとは敷地内をぐるりと歩くだけ。
まず、隊舎棟を横目に通り過ぎます。

ヘアカット専門店 カットファクトリー。
ヘアカット1,000円。イッツリーズナブル。

メニューはカットだけ。
パーマやヘアダイや、ましてや眉毛カットなんてメニューは存在しません。
何しろ自衛隊員専門の床屋さんですからして。
きっと長さの好みなんかもあまり聞いてもらえないんじゃないでしょうか。
黙って座れば阿吽の呼吸でオヤジは10分もかけずにクルーカットに。
新入隊員にはさらに有無を言わさず5厘刈りにされてしまうに違いない。
あたかもそれは工場の鋳型にはめられたかのような規格そのままのスタイルへと・・。

あっ、それで「カットファクトリー」なのか!(納得)


ちゃんと聞こえなかったので確信は持てませんが、確かこの隊舎は
部屋がゆったり作られていて二人一部屋だと言っていたような。

防衛大学で五百籏頭前校長の講演を聞いたときに、
この人物が「学生の待遇はその時代によっていろんなことがあった」
という話をしておりました。そのなかで、
一度「良かれと思って二人一室にした」ことがあったそうですが
それが原因で問題が起こったので、今の6人(だったかな)に戻した」
というのです。

?????

二人一部屋が原因で、問題?

いったい、なにがあったの?
いや、その問題の内容をどうしても知りたいというわけではありませんが、
なんだって五百籏頭氏はこんな話を一般人も聴いている講演でするんでしょう。
しかも、これだけ思わせぶりな言い方をしておいて、後はスルー。

中途半端にこういうことを世間に垂れ流すこの人物の「ゆるさ」と言うか、
学生を「守る」という立場であったとは思えない「揶揄」「侮蔑」
をこの言い方に感じてしまったのは、巷間ささやかれる氏の言動から
わたしがこの人物の校長としての資質に疑問を持っているせいでしょうか。

それはともかく、ここでは自衛官二人に一部屋、です。(たぶん)
そこまでするなら狭くても一人一部屋にすればいいと思うんですが、
何が何でも一人にさせないのにはなんか理由があるんでしょうか。



厚生棟。
ここには広報展示室があります。
もし午後のツアーに参加していたら見学できたのですが。
ここには、陸海空各自衛隊の装備品、
技術研究本部による研究成果を展示するコーナー、
広報ビデオを視聴するシアタールーム、情報コーナーなどがあります。

これについてはまた午後ツアーに参加した時のお楽しみってことで、
午前ツアーもここに立ち寄り、休憩と自由行動があります。
ショップで自衛隊ならではのグッズを買うのはこのとき。
そこは写真撮影禁止だったので撮らなかったのですが、
実はここにスターバックスがありました!

鳥取県にはいまだに一つもないスターバックスが、ここでは
ただ自衛隊員のためだけに存在しているとは・・・。

実はうちのTOの職場が今の場所に移転したとき、
「職場内スタバ」があれば便利だよね、ということでスターバックスに
出店を要請したそうです。
「うちみたいな職場に出店できるなんて、おたくとしても悪い話じゃないでしょ?」
とばかりの勢いだったのですが、スターバックスの方にすげなく断られたのだとか。
つまり、スタバの方が「選ぶ立場」だったということです。

いやでもしかし、自衛隊にはあるんですね・・・。


さてここでお土産と休憩のために与えられた時間、わずか15分。

じゅうごふん、だあ?

15分で何ができるというの。
わたしここでネタになるような(おもにそれが目的)面白いお土産を
探すのに気合を入れて来たというのに。

とりあえずお店に飛び込んで、嵐のような勢いで
棚の隅から隅まで鋭い目で物色するエリス中尉。
バーゲン売り場でもこんな真剣にお買いものしたことありませんわ。

しかしその甲斐あって、いいものが買えました。



ありましたよ、鷲さん!パンの缶詰。

自衛隊の名前がついたというだけの、パンの缶詰めです。
自衛隊協力企業として名高い(たぶん)岡根食品が出している優れもの。
わたしはいざというときのためにこれをせっせと食糧庫にため込んでいます。

このパン、普通に食べても美味しいですが、とくに食べる前にひと手間かけて、
布巾に包んで少し蒸すと、出来立ての美味しさとなりセ•トレ•ボン。

ちなみにわたしはパンは食べる前に必ず少し蒸すのですが、
これをしてからトーストするとどんなパンでもかなりましになりますよ。

この「自衛隊パン」は、
海自「チョコチップ」陸自「キャラメル」空自「苺」自衛隊「ミルク」
と味がついていて、ほんのり甘く、おやつ感覚。
実はこの缶詰シリーズはほかにもいろんなバージョン(キワモノバージョン、萌えバージョン)
があることが判明したのですが、その話はまたいずれ。



お土産、その2。
トートバッグ?違います。
実はこのバッグには

折りたたみ椅子が。

お正月明けの第一空挺団初降下のときに、
「なんでもいいから座るものを持ってくるべきだった」と後悔し、
次回の為に持ち運びができて軽い折りたたみ椅子を探していたら、
なんとこの



アーミーショップ「さくら」にそれがあったのです。
このプラスティックバッグのキャラがかわいいd(゜∀゜*)
アーミーショップと言いながら、海自と空自にも気を遣っていますね。

それはともかく、15分でこれをほかの折りたたみ椅子と比較検討し、
お店の方に「どちらがいいか」と相談して決めるという充実の品選びでした。
満足のいく買い物だったのですが、もっといろいろ見たかったので、レジで

「買い物に15分じゃ全然時間ないですよね」

こういうと、お店の人は

「午前のツアーのときにいろいろ見ておいて、午後のときに買うんですよ」

とこういうところによく来る人の買い物の極意を教えてくれました。
午前午後と1日に両方申し込む人って結構いるみたいです。

このお店にはがっつりとゴツい迷彩柄のバックパックがあり、
椅子になって座ることもできるという便利ものだったのですが、
ふと我に返って「エリス中尉がこの迷彩の馬鹿でかいバックパックを担いでいる図」
を想像したところ、あまりに似合っていないのでやめました。

ツアーのメンバーは、わたしのように買い物している人もいましたが、
スターバックスのコーヒーをまったりと飲んでいる人も多くいました。
厚生棟での飲食は、このスターバックス以外では許されていません。

ところでツアー御一行様が厚生棟に入って行ったとき、
なんと店員さんがここぞと出てきて
「ツアーの休憩にスターバックスのコーヒーはいかがですか」
と客引きをしていたので、結構驚きました。

自衛官と防衛省のお役人だけではあまり儲からないんだろうか・・・。



こんなつまらない景色をわざわざ写真に撮る見学者は、
過去この市谷ツアーに参加した30万人の中でも
おそらくエリス中尉だけに違いありません。

何をお見せしたかったかというと、このATM。
「防衛省共済組合」のキャッシュカードがあるってことなんですね。

この本省支部というのは福利厚生施設らしく、
ドアの向こうには役所のように窓口があって、
貼り紙によるとどうやら

「煙草はカートン単位でここで扱っている」
「切手もある」
「階級章はここ売っている」
「レジャーという窓口があり、旅行の相談にも乗ってくれる」

らしいということがわかりました。
わかったからなんだって話ですが。

しかしさすがは公務員ですね。福利厚生がしっかりしている。



煙草といえば、喫煙は意外と緩いらしく、屋外はここで吸うようになっています。
灰皿がこのようにたくさんある一角なのですが、この灰皿に書かれた文字、
「脱帽不可」とはいかなる意味でしょうか?

疑問に思えば何でも聞いてみるエリス中尉、案内のお姉さんに聞いてみると、

「ここで喫煙するときについリラックスして制帽を脱いでしまう隊員が多いので、
どんなときにも着帽したままでいるようにとのことです」

うーん、煙草を吸うときも着帽していろとは。
というか、わたしはタバコ吸わないのでわかりませんが、喫煙のときには
なんとなく帽子脱ぎたくなるんじゃないかなあ。
煙草臭くなりそうだし。

わざわざこんな灰皿に大書きしないといけないようなことだろうか。
でも、このあたりがわたしたち一般人にはわからない「軍規」ってやつでしょうか。


というわけで、見るもの聞くもの珍しいので変なところばかりご紹介し、
案の定話が全く前に進みません。

ツアー概要、もう少し続きます。






市谷・防衛省見学ツアー参加記

2013-03-05 | 自衛隊

東京裁判における海軍大将、嶋田繁太郎について
「嶋田大将最後の戦い」という稿を昔書いたことがあります。
そのログに対し、最近になって「東京裁判の行われた市谷法廷が見学できる」
と言うツアーの存在を教えていただきました。

それを聞いた実行の人エリス中尉はすぐ、ブレーンに内容を確認し(笑)、
市谷ツアーの申し込みをすることにしました。

HPによると午前ツアーと午後ツアーでは内容が違うとのこと。
午前ツアーは自衛隊の広報展示室、午後ツアーは、ヘリ見学と、
メモリアルゾーン(慰霊ゾーン)見学が含まれます。

自衛隊の広報展示室の方を推薦していただき、最初はそのつもりだったのですが、
ふと気づけは午後ツアーの終了が3時半。
このツアーは一旦参加したら途中でやめて帰ることが許されないので、
息子を学校まで迎えに行く時に遅れるのが少し心配です。
というわけで午後ツアーはいつか時間に余裕のある時の楽しみに取っておくことにして、
今回は午前ツアーに参加することにしました。

というか、ヘリ見学はともかく慰霊ゾーンには最初に行くのがいいかとも思いまして。

このツアーはHPから見学の申し込みができ、
空きがあれば二日前なら受け付けてもらえます。
しかし、申し込みの後になぜかメールが来て

「登録無料アカウントのメールでは申し込めない」

という意味不明なお返事。
というか、世の中のほとんどの人が無料アカウントでメールしていると思っていた
わたしには結構びっくりでした。
そこであらためて電話で申し込みしたところ、まるでデパートの交換手のような女性が
懇切丁寧、しかも感じよく受付をしてくれました。


浅田次郎著、市谷の自衛隊員の青春を描いた「歩兵の本領」には、
高度成長期で世間の若者がヒッピーだのフーテンだの、はたまた学生運動だの、
そんなことにうつつを抜かしている中でわざわざよりによって

「自衛隊に来てしまった」、あるいは
「自衛隊に来るしかなかった」

こんなはみだし青年たちの悲哀すら漂う青春群像が描かれていて私の大好きな一冊。
この頃の社会の自衛隊(とくに陸自)に対するイメージというのは
おおむねこの小説に描かれたようなネガティブなものであったようです。

ところが今回、申し込みのために防衛省に電話したところ、
無愛想な窓際自衛隊員どころか、明るい声の女性が懇切丁寧に応対し、
まるで三越のツアーデスクに電話して見学を申し込んでいるような錯覚に陥りました。
ツアーによる内部公開を、国民に対する防衛の理解を深めるために積極的に行う
オープンな姿勢、そしてこのソフトな対応。
「歩兵の本領」に書かれたことがリアルなら隔世の感を禁じえません。

最近はこのイメージアップと「公務員の堅実さ」、加えて空自などのスマートなイメージで
「婚活市場」でも自衛隊員は人気急上昇。
自衛隊員限定の合コンは盛況で、参加は「順番待ち」という噂もあるくらいですから。



というわけで行ってまいりました。市谷ツアー。
最初にお断りしておきますが、相変わらずいったん見学したら
あれこれとこだわってしまうのがエリス中尉のブログ。
とても一日ではお伝えすることができません。
今日明日は、自衛隊広報に成り代わったつもりで、
とりあえず現在行われているツアーの概要をお伝えすることにいたしましょう。

ついでにちょっと文句も言ってしまうのだった。

周りに車を停める場所があるかどうかわからなかったので、
とりあえずいつも停めている靖国神社の駐車場に車を入れ、
ここまではタクシーに乗りました。
おりしも防衛省は通勤時間真っ最中。
右側は職員専用通路ですが、車の出入りもこの時間は頻繁です。
これに対応する職員だけでもこの人数。

車が一台入ってきたら、皆でピーピー笛を吹きまくり必ず停めてチェック。
あたり前ですが、関係者でなければトランクも皆チェックされます。

そういえば三島由紀夫と楯の会のメンバーはここを「顔パス」で入ったんですよね。
それからこんなにセキュリティが厳重になった、ってことは無いのかしら。



そんな中、ツアー参加者が三々五々集まり始めています。
実はエリス中尉このツアーを申し込むときに
「もし誰もいなくてわたしだけだったりしたらどうなるんだろう」
などと心配していたのですが、そんな心配は杞憂に過ぎず、
いまどきの防衛に対する国民の関心の高さを反映してか
結構毎日ツアー申込者は多いようで、実は電話で日取りを決めるときにも
「その日はもう満員です」と何回か言われたくらいです。
ブログなどの感想には会社の研修で申し込んで行ったという容なものが散見され、
団体では一か月以上前から申し込んだりするのだそうです。



こちらの出入り口からも職員が出勤するので、
見学者が貯まってくると邪魔にならないよう左のスペースにまとめられます。




見学希望者はこのようなリストに名前が載せられ、
身分証明書の提示を求められたうえチェックします。
空いていても前日に申し込めないのはこのリストがあるからです。

なんとこの赤いコートのお姉さん方は「ツアーガイド」。
一日二度、二時間半のツアーのための専門ガイドさんがいます。
防衛省、わざわざこの役職のために制服まで(しかも何種類も)作りました。
この赤色は非常に良く考えられていて、こういうツアーに参加する人々は
主にダークな色調の集団でぞろぞろ歩き回るのですが、目を引くこの赤は
いったん解散してから再集合するときなどに見つけやすいのです。

ツアーを率いない、解説専門のガイドさんの制服の色は



こういったブルーだったりします。


さて、いよいよツアー開始。
今日午前ツアーの参加者は25人というところでしょうか。
必ず構内に入るときには「参加者」のタグを首から下げます。



ガイドさんの基本姿勢。
というか、ガイドさんはなぜ手を上げるのか。
「こちらにお進みくださーい」



それにしても、全体的にここ、ものすごく新しく見えませんか?
今見えているのは防衛省の庁舎ですが、これが六本木から移転してきたのは
2000年。(鷲さんはこちらに勤務されたんですよね?)
もう13年経ちますが、まだまだ出来立ての風情があります。
ちなみにこの建築を請け負ったのがエリス中尉の知り合いである

「元陸軍士官学校卒(ぎりぎり)少尉」

である超大御所建築家で、ここは地下5階まであると教えていただいたことがあります。
勿論有事の際の安全を確保するための仕掛けはそれこそてんこ盛り。(噂)



ここは幕末の頃、徳川御三家のひとつ、
尾張徳川家第二代光友が徳川家綱から5万坪を拝領。
ここ市谷台に上邸を築いていました。
これがその頃の写真。
屋敷っていうか、どう見てもこれは学校ですね。



明治維新になって返上されたこの地には、明治七年、
京都兵学寮が開かれ、その後昭和12年には
陸軍士官学校がここで座間と朝霞に移転するまでの間ありました。
これはその頃の写真。
細い板を渡る競技をしていますね。

ちょっと楽しそう・・・・?

士官学校の後はご存知のようにここに陸軍参謀本部が、
そして終戦後はここで極東軍事裁判が行われたのです。



市谷「台」と言うくらいで高低差が大きいこの土地、
こういった庁舎を建てる際に屋外にもエスカレーターを敷設しました。



横には大きな階段があり、職員は割と普通にそちらを歩いていました。
われわれは見学組なので、このエスカレーターも見学のために乗ります。



ここがA棟で、防衛大臣を補佐sる内部部局、統合幕僚幹部、
および陸海空の幕僚監部など、防衛の中枢機関があります。

ここが占拠されたら日本の防衛はもう終わりなので(たぶん)
ツアーの身元証明は非常に厳重なのです。あたりまえですが。

向こうに見えているのは通信鉄塔のあるB庁舎。
陸、海、空各自衛隊の通信部隊が使用する通信庁舎です。

ここが万が一占拠されたら日本の防衛通信はもう終わりなので(略)



クリスマスシーズンにLEDライトを取り付ければさぞかし・・・(自重)



儀仗広場に到着。
ここで内外の要人が儀仗礼を受けます。
この国旗掲揚台横の生垣向こうにはスペースがあります。

 

そこに二つほど顔を出している石灯籠。
おおさすがに日本の施設、
陸軍参謀本部の昔から、和の風景を大切に・・・・・・

え、違うんですか?

これは実は灯篭は「目隠し」。
この灯篭の立っている下には地下壕があり、
これは通風孔が上空から見つからないように立てたものだったのですね。
今なら庁舎が地下5階のちょっとしたシェルターになっているわけですが、
この頃はお偉方がここに避難するための地下壕には換気孔が必要でした。

米軍がここを接収したとき、この仕掛けを見て
「うはww通風孔の目隠しに灯篭wやっぱ日本人は日本人だわ」
とちょっとウケたのではないか、と想像します。



やっぱりガイドさんの赤いコートが目立っていてわかりやすい。



途中で何台か公用車を見ましたが、どの車もノーズに
桜の花のマークが入っています。



というわけで本日のメイン、市谷法廷跡。
実はこの大講堂は元からここにあったのではありません。
2000年の大移転の際、先ほどのA庁舎があった場所にこれはありました。
A庁舎を作るためにこの歴史的な建物は保存を目的としてここに移転したのです。

その移築の様子なども、中で観ることができる映画では説明されていましたが、
これが「元の場所にあったものではなく、新しく作った部分が多い」
と知ったとたん、なんだかがっかりしてしまったのはわたしだけでしょうか。



おかげでこのエントランスなども、こぎれい感が漂ってしまい、
いくらドアが本物でも感興が殺がれることはなはだしい。

とはいえ市谷台ツアー30万人達成、おめでとうございます。



さすがに床材、玉座の床や壁、
照明器具もそっくり持ってきたこの大講堂に入ったときには感動するのですが、
江田島の旧兵学校の大講堂に入ったときに感じる、あの「匂い」が無い。

「まさに、この建物で、この場所で」
といった「時を経て今そこに立っているという興奮」が湧いてこないのは否めません。

ここまでこだわるわたしは異常ですか?

見学者は、皆ここで市谷の歴史についての映画を観ます。
映画は著作権の関係で撮影禁止。


ところで。
大講堂の歴史を語るうえで皆が最も興味を持つと思われるのが、

「ここで極東軍事裁判が行われた」
「三島由紀夫が切腹した」

という二点であると思われるのですが、しかしながらこれは
どちらも防衛省にすれば「黒歴史」の範疇の出来事なんですね。

軍事裁判の頃は戦争に負けて占領されていたからまあ他人事みたいなもんですが、
三島事件に関しては完璧に「触れられたくない過去」なのか、
見学者の興味に全くお答えすることなく、映画で紹介された写真はごくわずか。
そういう事件があった、ということを伝えるにとどまりました。



映画を観終わって玉座に畏れ多くも近づきました。
写真はその一段お高いところから望む講堂内。



玉座には専用の階段がありますが、この階段に付いて「秘密がある」
と鷲さんに教えていただきました。
今日は概要ですのでこの種明かしはまたいずれ。(引っ張ります)
でも、この写真からでも少し何かお分かりいただけますか?

ヒントは

「天皇陛下専用の階段」
「気配り」



この後、下の展示物を観る自由時間があります。
ここで観たものについてもまたいずれ。(引っ張ります)
そして集合して皆で二階に上がり・・・



陸軍大臣室だったところや便殿の間を見学。
そう、ここがあの「三島切腹の場」ですね。
しかしながらここも当然ながらすべての内装を取り替えてしまっているので、
「ここで三島が・・・」
という臨場性はここでも全く感じることができません。

三島事件の頃のままに家具を配置しておいてほしかった、
とまでは言いませんが、なにしろあの切腹の場に




よりによってこんな模型のガラスケースをでーんとおいてますからね。
わざとか?わざとなのか?

やっぱりあの事件は防衛省にとって「触れられたくない」汚点だったのでしょうか。
さて、刀傷や、あと少し気が付いたことはまた後日お話しするとして
(引っ張ります)、大講堂のツアーはこれでおしまい。
即されて皆で外に出ます。



昔の時計は今は飾られているのみ。
平成9年に解体された一号館のシンボルでした。



この桜も。
というか、どうしてこれどちらも使わないんです?
陸上自衛隊東部方面総監部のシンボルだったというのに。

防衛省が省と自衛隊に対して理解を深めるために
このようなツアーを大々的に企画し、イメージを良くするための
広報活動としているのは大変結構ですが、なんだか、
全てがピカピカで、移築された市谷法廷と言い、ほとんど触れない「三島事件」といい、
「はい、これですよ」と防衛省の差し出すものに、わずかではありますが

「それじゃない感」

がうっすらと感じられたのは、わたしの期待しすぎというものでしょうか。



しばらくこのツアーについて岡山や鹿児島の旅行記を挟みつつお話しします。
どうぞお付き合いください。




日本文化を冒涜する人々

2013-03-04 | 日本のこと

何を隠そう、先週末は霧島にいたエリス中尉です。
霧島屋久国立公園の中の温泉に浸かって少し癒されてきました。

宿泊したのは霧島温泉旅館。
昔与謝野鉄幹と晶子が来たというのが売りの一つである老舗です。
その旅館のロビーにこのお雛様が飾ってありました。
老舗の旅館の雛らしく、非常に立派な、格式のあるものです。

しかし、ちょうどこのお雛様を見ていたころ、読者のmizukiさんが
このようなコメントをしてこられました。

タイトル ;;

この記事についてのコメントとしては不適切なのですが、
今のわたしは、悲しくて、悔しくて涙が止まりません。

これは一体なんなのでしょうか。
お雛様なのに、とても悲しいです。

http://www.youtube.com/watch?v=FV-JOZE6HeU

動画は削除されてしまうかもしれませんが、「笑っていいとも」で
お雛様を的にして倒すゲームをやっておりました。
あまりにも悲しすぎます。


戴いたコメントを受けて検索してみたところ、とんでもないことを知ってしまいました。

ご存知ない方のために一応説明しておくと、

フジテレビの昼のバラエティ番組「笑っていいとも!」内で、
2月25日(月)から3月1日(金)まで行われたミニゲームは、
「もうすぐひな祭り!ひな人形を倒センス~!」と題され、
ひな人形を倒す内容のものが用意された。

25~27日は、ひな人形を倒すゲームが競われ、
そのことへの批判が高まってきた28日と1日には、
ひな人形ではなくパネルに差し替えられた。1日には、
番組終了間際に謝罪が行われる事態へと発展した。

ひな人形は、皇族を人形(ひとがた)として模したものであり、
娘の成長を願う意味で飾られる。
ネットでは、天皇御一家への冒涜に当たるのではと、批難が起きている。


みなさん、あなたは、普段ご飯にお箸を突き立てることができますか?
たとえ降ろす前の靴でも、履いて畳の上を歩けますか?
お箸からお箸に食べ物を移す「合わせ箸」は?
敷居や畳の縁を踏んで歩くことは?

もしこれらを全く平気ですることができる人を見たら、
おそらくみなさんはそれは「日本人ではないのだろう」と思うでしょう。
なぜそれが悪いのか、理由を深く考えるよりなにより、
「常識が、それ以前にDNAレベルの感覚がそれをすることをとても許さない」
というのが一番正確ではないかと思います。


わたしの家にも、両親が心を込めて買い調えた雛人形がありました。
女の子が生まれて最初の三月三日の雛の節句を迎えるときに、
成長と幸せを祈って親や祖父母が贈る雛人形。

姉のためには細面の臈たけたお公家顔の七段飾り。
わたしのためにはガラスケースに収まる、小ぶりの、
しかしうっとりするほど可愛らしい「横に面長」の真多呂人形。

雛の季節が近づいたころ、みんなで雛飾りの箱をあけ、
一年ぶりに対面する「自分の雛」に、歓声をあげます。
そして桐の小箱から出した雪洞や小さなお道具の薄紙を外しながら
その精巧な作りにあらためて子供心にも感心するのでした。

そして雛を飾った最初の夜、その部屋に休むときの気持ち。

電気を消した暗がりの中にぼうっとひな壇が見えます。
大好きなお雛様のはずなのに、その人影が闇に乗じて今にも動き出しそうで、
薄目を開けて見ていると怖くて仕方がありません。
しかし朝になって目を覚ました時にはすっかりそのような気持ちはなくなります。
日中の雛はただただにっこりと優しい笑みを浮かべており、これが
「わたしのおひなさま」である誇りと喜びが体の中からわいてくるのです。

そんな憧れと、一種の畏れを「人形(ひとがた)」である雛に持って、
女の子は雛の季節を過ごすのです。

そして少女時代にこのような雛祭りを過ごさせてくれた両親を持ったことは、
わたしの、やはり誇りであり喜びでもありました。


mizukiさんのコメントにこうありました。

「悲しくて悔しくて涙が止まりません」

これを読んだ男性の中には、何を大げさなと思う方もいるでしょうか。
しかし、わたしにはよくわかります。
わたしもまた、雛人形を両親の愛情のしるしとして授けられ、
そして毎年の季節ごとにそれを出し入れする行為を通じて
大人になる前の少女としての「心構え」のようなものを
同じ女である母親から同時に授けられたと思っているからです。

その象徴である雛を、おそらくは故意に侮辱するようなことを
公共の放送局が悪ふざけでする。
これが悔しくないはずがありましょうか。

今回のフジテレビの行為に対しては、まず
「雛はお内裏様とお雛様、つまり天皇皇后両陛下を意味するものを倒す」
という意味ではないか、とまず抗議の声が上がりました。

「不快である」「子供が真似をしたらどうする」
こんな声もテレビ局には殺到し、番組は謝罪に追い込まれましたが、
謝罪に「天皇皇后両陛下を意味する雛人形」という文言はなかったようです。

mizukiさんにコメントをいただいて調べたところ、「チャンネル桜」の水島代表が、
フジテレビに対して抗議の電話をかけている様子がyoutubeで上がっていました。
わたしがこれで驚いたのは、彼らがのらりくらりと逃げ回り電話に出ないことではなく、
(それはある意味当然というか、予想されうる対応なので)
担当が「コナカモモコ」という女性であったということです。

日本に生まれて、雛祭りを両親から祝ってもらったことのある女性が、
テレビの番組を制作するときに雛人形に扇子をぶつけて倒す、
という企画に不快感を示すどころか、それを良しとしたというこの気持ち悪さ。

「皇室に対する侮辱であり世が世なら不敬罪だ」

と、youtubeでは水島氏がこう言っていましたが、
わたしはそれ以前に「現場の女性はこれに対し誰も何とも思わなかったのか」
ということを考えました。

たとえわたしやmizukiさんが過ごしたような、雛祭りを心を込めて
家族から祝ってもらうような環境とは縁がなかった女性であっても、
「ご飯に箸突き刺し」や「合わせ箸」のように「雛にモノをぶつける」など
「それはどうしてもできない」
というDNAレベルの忌避感が生まれるはずなのです。

もし日本人ならば。



先日、NHKの韓国新大統領就任式の生放送に関して
「あなたたちは本当に日本のテレビ局なのか」と書きましたが、
このフジテレビという局に関しても、特にここ数年、
彼らのほとんどが日本人ではないのではないかと疑ってしまう
状況証拠が多すぎると言わざるを得ません。

(わたしが見聞きしただけでも、そうと知れる事柄がいくつか・・・)

例えば、youtubeのインタビューで水島氏が
「お雛様は皇室とその周りの方々を表しているんですよ」というと、
驚いたことに電話の対応をした広報の女性は

「なるほど。わたくしその辺は不勉強で」

と言ったのです。
小中学生ならともかく、テレビ局という報道機関に属する人間が
こういうことを「勉強していないので知らない」というとは・・・。
やはり、異常な状態なのではないでしょうか。

ただ、彼女がもし日本人ではなく、日本の風習を全く知らないまま
育ってきた人間なのだとしたら、これは辻褄が合います。
そして、スタッフは「不勉強で知らなかった」のではなく、
「知った上で、陰でこっそり舌を出して嗤いながら企画した」
ということなら、これも合点がいきます。

つまり、何度か問題にされてきたこの局にまつわるいくつかの事件のように
「日本人を愚弄する」
ということを挑戦的に、わざとやっているのかもしれない、と、
これまでの前科からも疑わざるを得ないのです。
(ご存知ない方はいろいろとありますから検索してみてください)

日本の精神的なもの、思い入れのあるものを蔑み馬鹿にする、
こうやって、たとえば「お雛様」をまるで射的の的のように、
軽くあしらうことで、その価値をより落としてほくそ笑む。

こんなことが白昼堂々と行われるに至っては
「たかがテレビのすること」
と看過できない状態にきているという気がします。

「たとえ夜店のテキヤでも、射的の的にお雛様なんか使わない」

水島氏はフジテレビ広報との電話の中でこのように言っていましたが、
わたしはこれを聞きながら「日本人ならね」と苦々しく心の中で付け加えました。


われわれの怒りはもう限界にきています。






さよなら、プリンス

2013-03-03 | つれづれなるままに

雨にも負けず、風にも負けず、
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、
東に自衛隊のイベントあれば行って写真を撮りまくり、
西に旅行すれば美味しいものから名所旧跡までやっぱり写真撮りまくり、
北に売国政治家とマスゴミあればBKDと批判し、
南に護憲論者がいれば、行って白洲次郎も改憲論者だったといい、
その他書くのも面倒になるほど毎日の雑用をこなしつつ、
早朝は公園をウォーキングで歩き、講演あれば聞いてメモを取り、
チェロを弾き、ピアノを弾き、時々はパイプオルガンも弾いて絵を描き、
しかもブログを毎日アップする、そんな人間にわたしはなりたい

というより、エリス中尉、行き掛かり上そういう人間になってしまい、
結果としてこのような忙しい毎日を送っていました。

にもかかわらずはずみで去年の秋から乗馬を始めてしまうはめに。
乗馬クラブに入ってしまった、と言うことは、つまり入会金と、
毎月発生する月会費を払う義務が発生したということです。
そればかりが理由ではもちろんありませんが、これほど忙しくとも
かなりコンスタントに馬場に足を運ぶことができています。

月4回は行きたいのですが、今のところ三回が限界。
何しろ馬場まで車で一時間以上ありますし、息子の学校が終わるまでに
帰ってこなくてはいけないので、朝早くから行かないとゆっくり騎乗できません。

このクラブは個人経営なので、一日いれば何鞍でも変えて乗らせてもらえます。
勿論わたしはほかのクラブを知らないのですが、
大手のクラブではそれは「ありえないこと」なのだとか。

それなりに乗れるようになってわかってきたのですが、
乗馬とは全身運動で、久しぶりに行くと脚とか腕の付け根が痛くなります。
いかにも「コアが鍛えられる」と言う感じで、運動としては理想的ですし、
なんといっても富士山を見ながらという贅沢なシチュエーションで馬に乗れる。

さらに時折自衛隊の演習の轟音がずずーんと聞こえ、チヌークが空を飛びまわるのが
見えるのも(わたし的には)なかなかおつなものです。

一生できる手ごろなスポーツと巡り合えたと心から喜んでいるのですが、
さらにこのスポーツは乗るのが無機質な機械ではなく生き物の「馬」であることが、
より一層その楽しみを深めていると言っても過言ではありません。



犬や猫を飼っておられる方にはわかっていただけると思うのですが、
動物と触れ合うのは本当に心和み、さらに彼らは無条件でかわいいものです。
相手が賢くてこちらの言うことをよくわかる動物であれば、
意志が疎通することでより一層愛情も深まるのですが、馬と言うのは
本当に頭のいい動物だということを通うようになって実感しました。

先日youtubeで、自分で馬房のケージのラッチを開けて出ていく
賢すぎる馬の映像を観ましたが、馬の賢さと言うのは、人を乗せることを
「自分の仕事」だと認識し、「仕事モード」に入るすべを知っていることです。
仕事だと思っているからどんな初心者が乗ってもそれなりに走ってくれます。

しかし賢いので、こちらがへたくそだと、微妙にサボる馬もいるし、
じっと顔を見て「仕方ないね」みたいに、それでもちゃんと走ってくれる馬もいます。

総体的にこのクラブの馬はいい環境でかわいがられているせいか性格が良く、
中でも「100頭に一頭しかいないほど性格が穏やか」なスティーブン爺さん、
若いけど「よくできた馬」のベイリーなど、みなとてもいい子です。

そして冒頭画像の、文字通りクラブのプリンスであった馬「プリンス」は、
8歳の牝馬で、気立てもよく、少々要領のいいようなところはありますが、
何しろ美しいので雑誌の撮影にも使われ、大変皆から人気のある馬でした。


先々週のことです。
わたしが一週間ぶりにクラブに行こうとして電話をしたところ、コーチが

「実は、昨日お電話差し上げていたのですが・・・」

なんと、プリンスがその前の日に骨折してしまった、というのです。
なんでも、放牧していたときにほかの馬に蹴られた、とコーチは
沈痛な口調で語り、もし今日来られるのなら午後からなら乗れますが、
とおっしゃっていただいたのですが、

「昨日の事故ならそれどころではないでしょう」

とわたしの方で気を遣い、その週はクラブに行くのをやめました。

「プリンス、骨折したんだって」
「えー、可愛そうに」
「今度お見舞いの人参でも持って行ってやれば?」

などと家族で心配していましたが、実はそれどころではなかったのです。
その電話から五日後、レッスンの予約を取り、クラブに行きました。
着いてさっそく、プリンスは馬房にいるのだろうかと見に行くと姿がありません。
新しく来た馬子のフレイザーに「プリンスは?」と聞こうとしたら、ちょうどそのとき
下からコーチと生徒のジーンが上がってきました。

「プリンスは病院なの?」

そう聞くと、二人は顔を曇らせました。

「He died. He passed away.」



ジーンの言葉に私は息を飲みました。
コーチは電話で彼の死を伝えなかったのです。

プリンスはよく立ち上がってほかの馬にちょっかいをかける馬で、
そのときも放牧場で立ち上がったため、
「気立てのいい」スティーブンに蹴られて、最も重要な骨を折ってしまったのでした。
その場で座り込んでしまったままの彼を皆で囲んでコーチはあちこちに電話し、
アドバイスを仰ぎ、何とか手術して助けられないか検討したのですが、結論は
「予後不良」。

つまり安楽死させるしかなかったのでした。


馬が脚を骨折すると安楽死させるのははなぜかと言うと、
馬と言うのは三本の脚では生きていけない動物だからです。

馬は、細くて長い脚で400〜500kgの重い体重を支えています。
その1本でも重度の骨折をしてしまうと、他の3本の脚に非常な負担がかかります。

そうすると、骨折をしていない脚の蹄に蹄葉炎(ていようえん)などが発病します。
蹄葉炎とは蹄の内部が壊死してくる病気で、これは馬にとって死に至る病です。

もしこれにかかると馬は立てなくなります。
4本足で立っているのが基本姿勢の馬は、体重が重いので、
立てなくなると自分の体重の負荷がかかった部分から皮膚が壊死してきます。
そうなると衰弱死もしくは痛みによるショック死しかありません。

プリンスを助けるには手術をした後も蹄葉炎を起こさないように、
胴体を吊るすしか方法は無かったのですが、そもそも馬にとっては
そんな姿勢でじっとしていることもストレスになり、
暴れてせっかく手術した部分を脚を痛めてしまうので、
どちらにしても死は避けられなかったというのです。



安楽死させることが決まり、死に至らしめる劇薬を注射する前に、
彼には麻酔が与えられました。
おそらく骨折の激痛から解放され、眠ったままプリンスは逝ったのです。

その話をするコーチの眼はすでに涙で潤んでいました。

「私は40年近く馬と付き合ってきましたが、こんなことは初めてです」
「誰にとっても初めてだわ」

この馬はもともとジーンの14歳の娘であるハナの持ち馬です。
彼女はプリンスとともに試合に出るために毎週練習していました。
すらりとした金髪の美少女であるハナが白馬のプリンスに乗った様子は
あたかも一幅の絵のようで、見るものを幸福にすらしたものでした。

「ハナは大丈夫なの?」
「ショックを受けて泣いていたわ」
「かわいそうに・・・・」

するとジーンは突然、

「He'was beatiful. Beautiful horse」

わたしたちは思わず抱き合って泣きました。


瞳を涙で満たしたコーチを見て、わたしはその前日、
知り合いの女性が母親を亡くした話をしているうちに
見る見るその目のふちに涙がたまっていたのを思い出しました。

最後の晩、彼女に母親から「会いたい」と電話があったので訪ね、
ベッドの枕もとでしばし語らって別れたほんの数時間後、
母親は眠りながら安らかに息を引き取っていたのだそうです。

ごくごく近い時間の間に「愛しい者」を失った人の涙を立て続けに見、
忘れていた単純な、しかし絶対の真理を思い出しました。
全ての生きとし生けるものには死が訪れる。

何人たりとも死を避けることはできませんが普段は皆それを忘れています。
そして、死ぬのはいつも、他人。
身近な者の死に出会って初めて人は本当に「死」を感じるのかもしれません。

そして人生の過程において親しい者の死を何度となく嘆くうち、
ある日突然自分にもそれはやってくるのだ、とわたしは思いました。



今にして思えば、プリンスはわたしが生まれて初めて乗馬した馬でした。

今でも彼が白い鬣と尻尾をなびかせて馬場を走る姿がはっきりと目に浮かび、
彼の背中に最初に乗ったときに感じたぬくもりも容易に思い出すことができるというのに。


さようなら、プリンス。






ある日の仕事

2013-03-02 | つれづれなるままに

     

今回の旅行は仕事でもあったのですが、それがこの録音。
わたくし、ブログプロフィールに「休業中の音楽家」と書いておりますが、
そもそも音楽家とは自由業ですから、言ったもん勝ちみたいなところがあります。

毎日のように音楽仕事をしてそれで確定申告をしていたころは、
パスポートにoccupation=Musicianともあり、
そう自称するのも何の抵抗もなかったのですが、
最近のように「頼まれた場合だけ仕事する」と言う状態で音楽家と称して良いものだろうか。

職業を書くような必要に迫られたとき、「主婦」に丸をつけるべきかどうか、
真剣に考えてしまう今日この頃です。

音楽の仕事というのは自由業の方ならお分かりでしょうが、「流れ」というものがあり、
現役でやっている間はそれなりに途切れることなくあるのですが、
一端やめてしまってその流れから遠のいてしまうと、安定した供給先はなくなります。
仕事を続けていると、同じ供給先から別の話が来たり、別の関係者から紹介があったり、
あるいは音楽事務所などから絶えずオファーがあるのですが。

というわけで定期的な仕事から遠ざかった後は、
たまに知り合いから依頼を受けたときに限り「音楽家」になっています。

今回はその「たまの機会」がやってきたというわけですが、
依頼された仕事そのものがその後の「営利目的」のためではありませんので、
ここで「エリス中尉の仕事現場」を公開することにしました。

とはいっても、録音の前に編曲し譜面を作成することで
わたしの仕事は九割終わっています。
その製作の様子を少しですが先日「海軍軍人の音楽鑑賞」でお伝えしました。
本日はその出来上がったものを音にする段階をご報告します。

録音は夜から。
そこでわたしたちはまず依頼主と一緒に腹ごしらえです。



ご飯を食べたのはここ。
アイビースクエアの中のホテル。
もっといろんなところを計画してくださっていたのですが、
残念ながらこの日はお休みが多く、最終的にここになりました。



息子の頼んだチキンソテー。



ステーキシチューというか、シチューライスというか、
ドミグラスソースが非常にレトロな味わいでした。

というか習慣で食べたものをアップしましたが、
これはわりとどうでもいい話でしたね(*゜ー゜)>

食事の最中、ちょっと打ち合わせをしようとして、
プリントアウトした総譜と間違えて全く別の印刷物を持ってきたことに
気付き、あわててホテルまでパソコンを取りに帰りました。

パソコンで作業しているので、データは皆そこに入っているのです。
便利な時代になったものだ。
・・・というか、仕事の資料を忘れるんじゃねー、エリス中尉。

パソコンをゲットして録音場に駆けつけます。
スタジオでするのかと思いきや、オケの練習場に、テレビ局が
コンサート録音に使用する機材を持ち込んでセッティングしていました。



こんな感じ。
テレビカメラが来ていますが、これはかの有名なエリス中尉が編曲をしたので
それをニュースにするため、ではもちろんありません。

この仕事の依頼者は地元でも有名な企業だったので、つまり地元TV局には「お得意様」。
機材を貸し出してくれたのもこの企業の力ですが、さすがは地元局、
この「地元優良企業と地元オケのコラボレーション」ということで、
ちょっとしたドキュメンタリータッチのニュースにする予定なのだとか。
ちなみにわたしはオーケストレーションと編曲をしましたが、
「菊作り菊見るときはただの人」状態で、別にインタビューもされませんでした。

「ニュースになるかも」
という話を聞いてオケの人たちはちょっと喜んでいました。



まだ練習開始前なので人があまりいません。
このオケの練習日に、すべての練習が済んでから録音時間を取ることにしました。



練習が終わって音合わせが始まります。
実は編曲者にとって一番怖いのがこの時。
オーケストラの場合、全員にパート譜を配るのですが、
この譜面に間違いや少しおかしな部分があろうものなら、
メンバーはまるで鬼の首でも取ったような態度で指摘してくるからです。

ある意味、これが作曲、編曲家にとって一番の「勝負どころ」でもあります。

今回、最終的なスコアができてから依頼者の変更があり、
一週間前に初音合わせがあったのですが、それに間に合いませんでした。
それで、録音直前ではありますが壇上で口述による訂正を行いました。

すると、でた。

「ちょっと、アンタこっちきてこの部分歌ってみて」

楽器を持っていなければスーパーのタイムサービスで
むんずと人の横から手を伸ばしてお惣菜をつかみ取るタイプのおば、いや女性。
おとなしくその人の横に行って「ら~ら~らら~」と歌うエリス中尉。
それで納得したのかと思いきや、

「こんなこと直前に言われても困るわ~。
こんな変更あるなら先週来ればいいのに」

・・・・・はい?

いやまあ、ここに住んでいれば来ましたがね。
今回の来訪も、クライアントに交通費をいただいて来ているんですよ。
そんなに毎週来られるほど請求なんてできませんですよ。

こういうタイプに逆らってもまず勝ち目がないことを、
エリス中尉今までの人生経験から知り抜いております。
返事もせず反応もせず、能面のような顔でそれをやり過ごしました。


次に音合わせが進んで、「ここは少し音が薄いかな」という話になったとき、
早速こちらを見て
「ここ、もう少し音増やすわけにいかへんの」
と指揮者でもないのにこちらに横柄にご提案なさいます。

まあ、現実にはこういった現場での変更も決して珍しい話ではありません。
その個所に休んでいたトランペットを復活させることで話はまとまり、
さて演奏になったとき、この方再び

「この部分がねえ、静かすぎて云々」
どこのオケにもいる(たぶん)お局団員。
典型的な仕切りたがり屋さんです。

ちなみに、一流オケでも団員の「指揮者、作曲者いじめ」は当たり前で、
今はそこそこ中堅と言われるある指揮者が、新人の頃ゲネプロで苛められ、
控室で号泣したという話を聞いたことがあります。
ベテラン指揮者にとっても、怖いのは評論家でも聴衆でもなく、実はこの
一人一人が「ソリスト」でもある楽団員なのです。

たとえ団員が納得しても、一秒でも仕事時間が延びるととたんに「労組委員長」が
立ち上がって、延々と文句を言う様子も、わたしは目撃したことがありますし。

そのような壮絶な状況を考えれば、この程度の仕事で仕切りたがりのおばちゃんが
ちょっくら騒ぐなど酷いというレベルにも当たりません。

指揮者の方もいつものことなのか、
「ここは伴奏の部分じゃからええんよ」

それをきいておば、いやその女性、

「あんた、(あんたですよあんた)そうなん?」
「はい」

さらにダメ押しで

「ほんとにいいの?」

ここで『そうですねだめですね』といって編曲しなおせとでも?

「 い い ん で す 」

ここで引いてはこの勝負(何の勝負だ)こちらの負けです。
思い切りどすを聞かせて(当社比)一言。
果たして勝ったのかどうか。
彼女はこちらを睨みましたがそのまま黙りました。

その後、なんテイクか録音する間、わたしは指揮者の後ろに座っていたのですが、
皆が何ということもなく演奏する中、
そのおばちゃんだけが、一度間違えたらしく、
演奏をやめてがくっという感じで派手に体を動かしました。

そうか・・・・要するに直前に訂正されると譜面を読みそこなうのね。
だからあれだけ文句を言ったのね。
理解しました。

さて、この様子を部屋の隅からハラハラして見ていたのがクライアントでした。

「先生~、お気を悪くされませんでしたか?」
後で心配そうに尋ねてくださったのですが、わたしの返事は
「大丈夫です。わたしも負けてませんでしたから」

心配していただいたほどにはエリス中尉、こういったことには気を悪くしません。
まあ、こういうタイプも音楽家に限らず「どこにも一人はいる」と思うからです。


さてそんなこんなで録音終了。
全部で録音は6テイク取ったのですが、最後になって指揮者が
「この曲、覚えてしまって他の曲やってるときにも浮かんできそうだ」
すかさずクライアントが大声で
「ありがとうございます!!○○会社でございます!」


この編曲は、仕上げた段階でデジタル音源に仕上げ、
データとして先方に渡して、それで了解を取ってから進めていたので、
クライアントはだいたいどんな感じになるか納得していたのですが、
やっぱり生のオーケストラで聴くと全く印象が違ったようで、
「すごいです、やっぱりフルオーケストラはいいですね!」
などと感激してくださいました。

全くそういう分野をご存知でない方々だったので、オーケストラが練習するのも
おそらく生まれて初めて立ち会い、その意味でも喜んでいただいたようです。

次の日にはテレビ局から送られてきたデータを何度も聴いて、
できるだけ傷のないものを二つ選び、それを報告。
先方はそれをもう一度バランス調整などして、最終的に仕上げです。

こちらに帰ってきてから「お疲れ様でした」のやり取りがあったので、
「当方は納品後のメンテナンスも無料で行っておりますので、
もしもう少し違った編成でやってみたいということがあったらお申し付けください」

と知り合いのよしみでそのように提案しておきました。


先方には大変喜んでもらえたようだし、地方旅行もできたし、
なんといっても女性奏者のおかげでネタ貰えたし(←)
久しぶりの仕事、とっても楽しかったです。





帰りには、クライアントの社長が、自社製品とお菓子を出口において、
社員さんが皆に配っていました。
件の奏者は、それこそその瞬間ただのおばちゃんになって、
お土産とお菓子を受け取り

「ニコニコと機嫌よく帰って行きました」

ということです。
めでたしめでたし。




海軍軍人のクラシック鑑賞法

2013-03-01 | 海軍

去年の暮、引き受けた仕事が録音も含めすべて終わりました。

演奏の仕事なら身体をその日そのときその場に運べばすんでしまうのですが、
このたびは編曲アレンジ込みなので、莫大な(当社比)時間を労しました。
しかも編成がフルオーケストラなので、今までの無料ソフトでは追いつきません。
そこで、プロ用の「フィナーレ」という譜面ソフトを買いました。

いや、この便利なこと。
譜面への均等な音符の割り振りや、移調も勝手にやってくれるのです。

しかし、使い方をゼロから読んでやらなくてはいけないので、手間のかかることかかること。
手書きで書けば一秒もかからない音符記入も、最初はドラッグ&ペーストで
「よいしょ」とばかりにやっているのですから、時間の無駄もいいところです。
ほとんど使い方を把握した頃には曲はあらかたできあがっておりました。
しかも、パーカッションの記譜をする段階になって初めて、もっと便利な
「高速入力法」というのがあることがわかり、愕然としてしまいました。

まったく、頭で考えたり構成をしたりという時間より、実は、
こんなことに時間を使うんですよね。作曲編曲という作業は。
せっせと音符をドラッグし続けた時間を返して!


・・・・しかしながら、わたしが学生時代に過ごした無駄な時間、
鉛筆で書くのは一瞬でも、これをさらにペンで清書し、間違えたところはホワイトで修正し、
という、気の遠くなりそうなあの作業と比べれば、こんな手間を苦労と言っては罰が当たる。

なぜなら今時のソフトは使い方さえ覚えてしまえば、全く楽です。
そして美しく、ミスがない。
いったんスコアを仕上げてしまえば、パート譜の作成はソフトが勝手にやってくれますし、
この段階で写し間違いが決して起こらないのはまるで奇跡のようです。

全く今のミュージシャンは恵まれているのお・・・。

「ああ、今学生だったら、もう少したくさん曲が書けたかも」とつぶやくと、TOが
「建築家なんかもそうらしいね。昔は烏口とかロットリングとか、たいへんだったらしい」

そうですよね。
今の建築家なんて、コンピュータで図面をちょいちょいと作ったら、3Dにしたり、バーチャルにしたり。
うちの息子でさえ、「マインクラフト」というゲームのバーチャル世界で
「ライト風」な建物などをデザインして、内装に「オープンキッチン」「暖炉」などちょいとしつらえ、
ちょっとしたアーキテクト気分なんですから。

「でも、手書きには手書きの良さがあるんだよ」

そりゃまそうでしょうが、フランク・ロイド・ライトやモーツァルトのならともかく、
フツーの人の図面や楽譜が手書きだからって、見にくいだけで何の価値もないっつの。


さて、あんまり関係の無い出だしでしたが本題です。
皆様はクラシック音楽、お好きですか?

一時「モーツァルトを聴かせると植物がよく育つ」なんていう説が流布し、
「クラシックはスピーカーの前に正座して沈思して静粛に聴くもの」から、
ヒーリングやらアルファ波やら、ゆらぎやら気づきやらという言葉を多用する
「リラクゼーション界」にとって「BGMとして聞き流すもの」と変わりました。

クラシック音楽に詳しくて、ラフマニノフのピアノ協奏曲二番はリヒテルがいいけど、
同じリヒテルが弾いていてもロンドン交響楽団のものは駄目、などという聴き方をするような
「本当のクラシック好き」にはほど遠いが、鳴っているのをただ聴くだけなら嫌いではない。
こういう「雰囲気好き」の方は結構多いのではないでしょうか。

それもこれも、あるときからクラシックは「BGMにしてもかまわない」ということになったからです。

「音楽ってそんなもんでしょ」
と今の人たちは思われるでしょうが、昔は「音楽鑑賞」というのは行為自体が立派な「趣味」。
さらに大昔は、趣味と言うよりそれは教養の範疇で、
「鑑賞道」とでも言うべき、一種構えたものだったのです。

それもそのはず、それを再生する装置は庶民にはおいそれと手の出るものでもなく、
さらにレコード一枚がサラリーマンの月収レベルの高額商品であったわけですから。 
昨今の「クラシックの敷居の低さ」は、科学の進捗状況に反比例している、
つまり手軽に誰もが音楽を「手に入れる」ことができるようになったことと無関係ではないでしょう。


今日は海軍軍人とそのクラシック鑑賞についてのいくつかのお話です。


桜花隊隊長、野中五郎少佐はべらんめえ口調で部下に訓示し、
「野中一家の組長」を名乗るようなやくざな、あるいは剛の面を持ちながら、
またクラシックをこよなく愛し、帰郷の折には銀座でレコードを買い求める音楽青年でした。

以前この話をコメント欄で読者の方としたときに、その方と
「野中隊長はベートーヴェンが好きだったのではないか」
という予想をしたことがあります。
確かに、野中五郎の生涯には、モーツァルトでもショパンでもなく、ベートーヴェンの
「運命―第3楽章」あるいは「エロイカ」などがぴったりくる気がします。

それは巷間伝わる野中少佐の生と死について後世のわれわれが持つイメージに過ぎず、
じつのところ野中少佐がどのような傾向のものを聴いていたのか、もはやわかりません。
しかし、当時の青年の間ではベートーヴェンを聴き、またその音楽の内包するドイツ的な哲学―
ゲーテやシラーについて論じ合う―というのが、インテリゲンチャとしての「トレンド」でした。


海兵68期卒、闊達で平易な文章で海軍生活を綴り、戦後作家としても活躍した
松永市郎氏が、初めて最新式の再生機を見たのは、兵学校生徒が週末に集う
「クラブ」でのことでした。
ある日のこと。
都会出身の学生が作る輪の中から、いとも妙なる音楽が聞こえてきます。

「蓄音機か」

相手は冷ややかに
「ポータブルだよ」

松永学生がさらに驚いたことに、彼らの聴いている音楽には
「最初から最後まで前奏で、歌詞がさっぱり出てこない」のです。

「おい、歌のないつまらんのはやめて、歌の出るレコードをかけろ」

と抗議すると、クラスメートがさらに冷笑して、

「そんなことを言っているようでは、教養ある女性との結婚はできないぞ」

この言からも覗えるように、「クラシックに通じている」というのは、
教養ある人間としての一つの必須項目であったようです。

このときクラシックを輪になって聴いていた同級生の中には、
クラシック鑑賞法に通じているのみならずピアノを弾ける者がいました。
松永学生は、自分とはあまりに違うかれの育った環境に目を見張ります。

兵学校の生徒館にはピアノが置いてあり、興に乗った生徒が
代わる代わるそれを奏で、視察に来た陸軍士官学校の牛島校長を驚かせた、
という話をしたことがあります。(『井上校長の第二種軍装』)。
因みにこのピアノ、誰が弾いてもいいのですが、上級生がいれば必ず一言お伺いを立て、
許可を得なければいけないことになっていました。

将軍の息子や皇族、貴族華族からお百姓や漁師の息子が一同に会していた兵学校では、
4年生で楽々と入学を果たした上、芸術も能くする「多芸多才」が数多くいたのです。

松永氏は戦後、「青葉」勤務、機関学校コレスで「学校の点数にならないことなら何でも得意」
と豪語する、才人の自宅に招かれたとき、応接間にはピアノとバイオリンがあり、
夕食後、彼のバイオリン+彼の妻の独唱+義母のピアノのミニ・コンサートが行われ、
さらに当然のように「次はお客様どうぞ」と勧められ大いに困った、という経験があるそうです。

ヨーロッパの上流社会のような世界が、日本にもこのようにあったのですね。

倶楽部のクラスメートは、姉妹が演奏するのを横で見ていて「覚えてしまった」という、
今なら「進む道を間違えたのではないか」と言われそうな才人でしたが、
かれはまた松永生徒に「クラシック鑑賞道のポイント」を伝授してくれました。

「ただいまの曲は『青きドナウ』である。
作曲者はヨハン・シュトラウス二世。
指揮はクレーメンス・クラウス。
楽団はウィーン・フィルハーモニー。
レコードはビクターである。」

つまり、一曲に付きこの5点をデータとして、100曲くらい覚えたら、
「貴様も一人前の洋楽通になれる」。

ん~。
そんなもんでしょうか。
というかそんなもんだったんですね。
その昔、洋楽の通と言われようと思ったら、すなわち教養のある人だと言われたければ、
こんなことを覚えなくてはいけなかったんですね。

今現在「美しき青きドナウ」を聴いたこともない、という人はあまりいるまいと思いますが、
どんなクラシック曲でも、誰の演奏で誰の指揮で、ましてやレコード会社がどこであるかなど、
全く関心無く楽しむ人がほとんどではないでしょうか。

こういう「レコード黎明期」のクラシック鑑賞「界」のあり方を見ていると、
どうもいつのまにか「敷居を高くしてしまった」のは、こうやって事柄をいちいち「道」にしてしまう、
他でもない日本人自身だったのではないかと思わざるをえません。
まあ、この生徒の言う「データ」も、本当に好きであれば難なく覚えてしまうのでしょうが、
「教養のある人に思われたい」という理由では、なかなか頭に入ってきませんよね、きっと。


せっかく「クラシック通」になるための近道を教えてもらった松永学生でしたが、
ピアノ遊びの合間にちょいちょいと勉強して兵学校に入ったような秀才の言うことですから
素直にはいそうですかと真似する気になれません。
憮然としていると、別のクラスメートが、助け船を出してくれました。
いわく、

音楽が鳴っている間、軽く両眼を閉じ、静かに首を前後に振って、
いかにも感に堪えないとの風情を示す。
音楽が終わったら二呼吸半してから目を開け、首を少し傾けて
「いいですねえ」と一言だけ言う。

なんだってこんなおまじないのようなことをせねばならぬのか。
現代のわれわれには、その意図すらもはやさっぱり判じかねるのですが、
とにかく「通のふり」をしろということです。

しかし、兵学校生活の中で都会育ちの「通」と付き合ううちに、
「ふり」だけでなく門前の小僧習わぬ経を読む状態で、
それなりの知識を身につけた松永学生、晴れて少尉任官となり、
その成果を試す機会がやってきました。

戦争直前の我等が帝国海軍の艦隊訓練は厳しいものでした。
たとえば軍艦「榛名」では、明けても暮れても照準発射の猛訓練、
まさに月月火水木金金の毎日であったのですが、
それでも「やるときはやる、遊ぶときは遊ぶ」がモットーの海軍。
日曜の薄暮訓練は早めに切り上げて「酒保開け」が行われます。

この号令がかかると、ガンルームではよくレコードコンサートが行われました。
訓練の合間に、ただでさえ疲れ切っているのに、レコード鑑賞。
いや、今ならばそれも一つのリラクゼーションでしょうが・・・。

ある日のコンサートのときのこと、松永甲板士官のとなりにいた軍医中尉が、
「ショパンとベートーヴェンとどちらがお好きですか」
と聴いてきました、
これは、本当にどちらが好きかが知りたくて聴いたのではなく、つまりは
「腕試し」、試験というやつです。

キター!
松永中尉、少し考えてこのように答えます。

「オレも洋楽鑑賞を始めた頃は、あれこれと生意気言ったものさ。
しかし、ながいことやっていると、やはりいいものはいいねえ」

そうですよね。
わたしもたぶんそう言うと思います。
そもそも、ベートーベンとショパンどちらが、なんて答えの出る問題ですか?
どちらにもその作曲家しかない素晴らしさがあり、曲によってもそれは違う。
そんな質問をすること自体
「わかってないなあ」
などと一応音楽関係者のエリス中尉としては思ってしまいます。

昔、カジュアルな演奏形態のとき「あなたの一番好きな曲をやってください」
なんていうことをいう観客がいたものですが、実は、
これを言われると相手に思わず殺意を覚えるくらいイヤなリクエストなんですよね。
演奏者に「一番好き」「どちらが好き」なんて無いの。
皆さんも、良かったら今後の人生に役立つ瞬間があるかもしれないので、
頭の片隅でいいから、このこと覚えておいてね!

それはさておき、その珍問に松永中尉が無難に答えた瞬間、
隣の主計中尉(短期現役、帝大卒)が突然立ち上がって

「甲板士官謝ります!」

なんだなんだ。何事だ。

「兵学校での人たちは洋楽などわかっていないと勝手に思い込んでいて、
甲板士官がレコードコンサートに来るのはせいぜい酒を飲みに来るんだろうと
今まであなたを馬鹿にしていました」

うわー、なんたるスノッブ。
さすがぁ帝大卒。兵学校出を頭から「軍事馬鹿」だと決めてかかってたってことね。

「しかし、今の一言で、あなたが並々ならぬ実力の持ち主とよくわかりました」

・・・・・実力?
実力って何の実力?
音楽鑑賞に実力が必要なの?

なんだか、いちいちこの一連の物語に出てくる人々の感覚が不思議に思われるのは、
この「衒学的ワールド」で展開される音楽鑑賞というものが、
現代とは全く方向性の違う語られ方をしているせいでしょう。


とにかく、この帝大卒主計中尉が今まで「ガンルームにおける洋楽鑑賞の第一人者」
であったおかげで、そのお墨付きをもらった松永中尉はその後、他の士官から
尊敬され、実力を試されることもなくなったそうです。


以前「第二〇四航空隊の『ラボウル航空隊の歌』」に登場した軍医、
小林勝郎軍医が書いていた話です。
軍医は北支那海封鎖作戦のとき、軍艦「厳島」に勤務していました。
旅順に寄港したときには、市内の楽器店でレコードを聴いたものだそうです。

因みにこの小林軍医は、付け焼き刃でも、松永士官のような「フリだけ」でもない、
本物の音楽通で、著書に残されている「音楽鑑賞日記」には、
演奏者と演目、そして鋭すぎる意見が細々と述べられ、この人こそ
「道を間違ったのではないか」と思われる精通ぶりです。

事実軍医は自分でも作曲をし、戦後は素人作曲家としてそれなりに
活動をしていたということですから、鑑賞法も何も、本ちゃんの音楽家。

そんな軍医が旅順のレコード店で、しばしば若い海軍航空兵たちが
レコードを買い求めているのを見かけ、ある日ふと興味を持って
彼らが何を買っているのかを注意して見たところ、そのほとんどが
モーツァルトとかシューベルトのものだと分かって、驚いたそうです。

「おまえたちは洋楽が好きなのか?」
「いいえ、特別に好きと言うほどではありません」
「海軍に入る前に洋楽を聴いたことがあるのか?」
「レコードでたまには聴きました」
「それはどんな曲だったのか?」
「たいていはジャズでした」
「モーツァルトやシューベルトの名は知っていたか?」
「知ってはいましたが、その音楽を聴いたことはありませんでした」
「では、おまえたちはいつ頃からそういう音楽を聴くようになったのか?」
「今度の事変に出征してからです」
「どういうわけなのか?」

小林軍医、詰問口調です。
このような時代、帝大出や兵学校出の間でも
「高尚な趣味で、インテリゲンチャでないと理解できないもの」
と思い込まれていたクラシック音楽を、このような若い航空兵が、
しかも見栄やフリではなく、買い求めてまで聴くのですから、
小林軍医には不思議なことに思えたのに違いありません。

「戦線からいったんこのように後方に戻ると、気持ちが落ち着かないので、
仕方なく楽器店でいろいろ聴くうちに、
モーツァルトとシューベルトの曲を聴くときに、一番気持ちが静まることが分かったのです」
「では、今おまえたちの一番好きな曲は何かね」
「シューベルトの未完成交響曲であります」


この北支那海封鎖作戦では、敵機による攻撃と地上放火とを警戒しながら、
敵陣地爆撃を行うということを、この若い航空兵たちは連日のように行っていました。
そんな彼らの戦場を見た後に訪れる異常な心理状態を慰めたのが、
シューベルトでありモーツァルトであった、というのです。

おそらくは、音楽を趣味で楽しむような環境に育ってきていない彼らの、
しかし白紙の状態の純粋な耳には、何よりもこの夭折した二人の天才作曲家の、
天真爛漫かつ濁りのない透明な美しさを持つ音楽がまっすぐに入ってきたのでしょう。

当時のインテリクラシック愛好家と同じく、松永士官や軍艦「榛名」の面々、
「道」として洋楽鑑賞をムツカシく捕らえて、やたら構えていた士官の皆さんより、
この若い飛行機乗りたちの方が、遙かに本来人間が享受するべき芸術の喜び、そして
真の価値を知っていたように思える、というのは、少々意地悪な言い方でしょうか。