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旅順港閉塞作戦~「広瀬中佐は死したるか」

2013-09-13 | 海軍

「坂の上の雲」の放映によって、主人公の秋山兄弟以外に注目されたのが
なんといっても広瀬武夫中佐(戦死後)でしょう。

海軍から派遣された留学先のロシアでロシア軍人の娘と恋に落ちたこと、
現地で最も愛された日本軍人であったこと。
そしてその魅力的な人間性と、軍人としての死にざまが今日も共感を呼ぶのでしょう。

本日タイトルの「広瀬中佐は死したるか」
この言葉は、二曲作曲された軍歌「広瀬中佐」の有名でない方から取りました。

因みにこの軍歌はこのようなものです。

1.
一言一行いさぎよく
日本帝国軍人の
鑑を人に示したる
広瀬中佐は死したるか

2.
死すとも死せぬ魂は
七たびこの世に生れ来て
国のめぐみに報いんと
歌いし中佐は死したるか

この軍歌、この後も情景を語りつつ14番まで(!)延々と続きます。
巻末に残りを記しておきますので、興味のおありになる方は読んでみてください。



広瀬を演じた役者の配役の妙もこの傾向に輪をかけたと思われます。
(今調べて、この藤本隆宏が元オリンピックの水泳選手だということを知り、
驚いてしまったわけですが)


さて、近代になっての最初の軍神が、この広瀬武夫です。

日本の軍神と呼ばれる軍人たちの死にざまを見ると、
敵を壊滅させたり大戦果を挙げた人物ではなく、たとえ佐久間大尉のように
事故における死において、指揮官として恬淡と、莞爾とその途に就いた者、
加藤健夫少将のように技量もさることながら非常に人徳があり慕われていた者、
何と言っても象徴的な犠牲となった者(真珠湾の九軍神、関行男、松尾敬宇
そして決死隊と自らなった者(肉弾三勇士)、そしてこの広瀬武夫のように

「自らの命を顧みず、部下を案じ気遣った」

つまり、That others may live を地で行くような、
他のために殉じた死に軍神の名が与えられています。
他の国の軍神が(あるのかな)どんな場合に認定されるのかわかりませんが、
このあたりが実に日本的であると思われます。



さて、冒頭写真ですが、記念艦三笠に保存されている広瀬中佐の直筆の手紙。
「松島」艦長の川島令次郎大佐に、第一次作戦と第二次作戦の合間、
おそらく第二次作戦の決行のために訓練をしていた福井丸船上でしたためられています。

第一次作戦に続き、第二次作戦に参加する心境を綴ったものですが、
文中自分のことを「武夫ハ」、川島大佐のことを「大兄」と称していることから、
「朝日」の副長であった川島と、乗り組み士官の広瀬は、もしかしたら
兄弟のような親しい付き合いをしていたのかもしれません。

この書簡は3月22日、第二次作戦の5日前に記されましたが、
最後となる3月27日の作戦決行前、福井丸に乗船する際家族に宛てて書かれた絶筆には

「再び旅順港閉塞の挙あり。
武夫は茲(ここ)に福井丸を指揮して武臣蹇々(けんけん)の徴(しるし)を到さんと欲す。
所謂一再にして己まず、三四五六七回人間に生まれて
国恩に酬いんとするの本意に叶ひ、踴躍(ゆうやく)の至に不堪候。
今回も亦天佑を確信し。
一層の成功を期し申候。


七生報国 七たび生まれて国に報ぜん

一死心堅 一死 心堅し

再期成功 再び成功を期し

含笑上船 笑みを含みて船に上がる

時下、母上様、叔父上様始め、各位のご自愛を望み、一か親籍の

倍倍の繁栄を祈り居申候也。

再拝 武夫」


と書かれています。

含笑上船、を自分で四文字熟語にしてしまっているあたりに、
諧謔が垣間見え、自分の死を恬淡とこのように語ることで
家族に心配をかけぬようにする気遣いすら見えて、

「崇高な義務心に満ち満ちた玲瓏玉のごとき快男児」

(広瀬と親交のあった帝大の政治学者小野塚喜平次博士の広瀬評)

という広瀬の人間性がこの文章と、のびやかで美しい筆致から覗えます。




これは作戦に参加する人員名簿。

第二閉塞隊は指揮官広瀬武夫を筆頭に名が連なっていますが、
名前のあとのカッコ内は所属の艦船が書いてあります。
さらに、あの杉野孫七上等兵曹は、指揮官附き、つまり
広瀬のアシストのような役目を帯びて乗船していたことがわかります。

そして皆さんもご存知の通り、自沈させる福井丸を、部下である
杉野孫七兵曹の名を呼びつつその姿を探し求めた広瀬は、
部下に促されて船艇に乗り移りますが、砲弾の直撃を受け、
「一片の肉片を残して姿を消した」とされます。


ここで、当時の資料の間違いらしき部分を発見してしまったエリス中尉です。



この作戦の四名の戦死者は広瀬、杉野のほかは、この資料の
3月30日、つまり作戦3日後に朝日艦長によって作成された報告書の資料によると

「菅波政次 二等通信兵曹」
「小林吉太郎 一等機関兵曹」(赤で囲んだ一番左)

となっています。
防衛庁資料室所蔵、『第二回閉塞作戦ニ関スル報告書』より)

しかし、「坂の上の雲」ではどうしたわけか、
この最後の一人、広瀬の乗っていたカッターでやはり砲撃されて戦死するのが

「小池幸三郎 二等機関兵」

となっていました。
NHKの考証係が間違えたのか、
それとも原作の「坂の上の雲」がそうなっているのか、と思ったら・・・・・



この写真。
以前、やはり記念艦三笠でその写真を撮ってきて、
説明が無かったのでてっきり日本海海戦後の写真だと思っていたのですが、
棺の上に書かれた戦死者の名前をご覧ください。

海軍一等機関兵小池幸三郎の棺

海軍一等信号兵曹長菅波政治の棺

菅波政治は閉塞作戦の戦死者の名前です。
そう、これは紛れもなく広瀬の乗った福井丸の乗組員の、
寄港直後の写真なのです。

そこで、棺の名前が「小池幸三郎」で、報告書とは違うということがわかります。
福井丸の乗員が戦死者の名前を間違うことはありえないので、
朝日の艦長が戦死者の姓名と傷病者を間違えた、と考えるのがよさそうです。

ところで。

この写真、以前、第一次記念艦三笠見学記において
「目も上げられないほど、戦友を失った悲しみに打ちひしがれている」
と、全くモノを知らない状態であったエリス中尉、このような
適当なことを書いてしまったわけですが・・・・。

ここに写っているのは真ん中で簀巻きになっている者を合わせると13名。
両端の棺に入っている人を加えると15名。
広瀬少佐と、杉野上等兵の体は、ここにはありません。

しかし、福井丸に乗り組んだ下士官兵たちは、何とか二人を写真に加えようとしました。

それが、前列右側の目を伏せる兵が両手に持つ、ちいさい白木の箱です。

彼の左手の箱には作戦前に遺した杉野兵曹の遺髪が、そして右側には
広瀬少佐が船艇に遺した「一片の肉塊」が入っているのだそうです。


そう思うと、この兵のみならずここに写っている全員の、悲壮な表情の意味は
随分と重いものを伴って胸に迫ってくるのを感じずにはいられません。


広瀬中佐のことについて、もう少し話をつづけることにします。



広瀬中佐

3.
われは神州男子なり 穢れし露兵の弾丸に
あたるものかと壮語せし ますら武夫は死したるか

4.
国家に捧げし丈夫の身 一死は期したる事なれど
旅順陥落見も果てぬ 憾みは深し海よりも

5.
敵弾礫と飛び来る 報国丸の船橋に
わすれし剣を取りに行く その沈勇は神なるか

6.
閉塞任務事おはり ひらりと飛乗るボートにて
竿先白くひらめかす ハンカチーフに風高し

7.
逆まく波と弾丸の 間に身をばおきながら
神色自若かえり来し 中佐の体はみな肝か

8.
再度の成功期せんとて 時は弥生の末つ方
中佐は部下ともろ共に 勇みて乗り込む福井丸

9.
天晴れ敵の面前に 日本男子の名乗して
卑怯の肝をひしがんと 誓ひし事の雄々しさよ

10.
かくて沈没功なりて 収容せられし船の内
杉野曹長見えざれば 中佐の憂慮ただならず

11.
又立ちかえり三度まで 見めぐる船中影もなく
答うるものは甲板の 上までひたす波の声

12.
せん方なくて乗り移る ボートの上に飛びくるは
敵のうち出す一巨弾 あなや中佐はうたれたり

13.
古今無双の勇将を 世に失ひしは惜しけれど
死して無数の国民を 起たせし功は幾ばくぞ

14.
屍は海に沈めても 赤心とどめて千歳に
軍の神と仰がるる 広瀬中佐はなほ死せず



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広瀬中佐と夏目漱石 (フリーマン大佐)
2021-03-29 15:10:56
6号潜水艇の事故における佐久間艇長の遺書について調べているときに『夏目漱石は遺書への感動を「文芸とヒロイック」及び「艇長の遺書と中佐の詩」という2作品で著し』という記述を見つけましたが、近所の図書館にはこの作品が収蔵されておらず、確認に至りませんでした。

昨年ネットにこれらの作品がアップされており、全文を読んだところ後者の中佐は軍神広瀬武夫中佐でした。

(以下「艇長の遺書と中佐の詩」より抜粋
「艇長の遺書と前後して新聞紙上にあらはれた広瀬中佐の詩が、此この遺書に比して甚はなはだ月並つきなみなのは前者の記憶のまだ鮮かなる吾人ごじんの脳裏に一種痛ましい対照を印いんした。~中略~
誰でも中佐があんな詩を作らずに黙つて閉塞船で死んで呉くれたならと思ふだらう。」

漱石、最後の2行凄すぎ!と、このブログの写真を見ながら思い出しました。

作家でも文学者でもない素人(その道では結構有名ではあったそうですが)である広瀬中佐の漢詩を批判する漱石の意図は何だったのだろう?

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