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ラジオ受信解析センター〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-09-15 | 軍艦

 

それまでのCICに、防空を目的にコンピュータによる情報処理能力を
搭載したのが、この頃「ミッドウェイ」に導入された

「ネイビー・タクティカル・データ・システム」

でした。

艦隊司令部が配置されていた艦橋真下のハンガーデッキ階には、
このNTDSを始め、(艦ではなく)艦隊の頭脳部分となる施設が
集まっているというわけです。

冒頭写真にも赤で「制限区域」という札が見えますが、
乗員であっても関係者以外立ち入りを禁止されているのがこの区域。

まずこの画面右側の前面にインストールされているのは

NAVMACS 
Naval Modular Automated Communications System

海軍モジュール式自動通信システムです。

船舶同士、または船舶と陸の間の通信を処理します。
また、船舶内のさまざまな場所にあるターミナルやワークステーションと
やりとりすることができます。

最初にNTDSが導入されることになった時、試作品として、あの
シーモア・クレイが発明したコンピュータの使用が検討されました。

最初に搭載されたコンピュータシステム、

AN/USQ-20(UNIVAC CP-642)

は、「たかつき」「たちかぜ」型、「しらね」型にも搭載されています。

ここに搭載されているのはその何世代か後になる

AN/UYK-20 Data Processor

で、1970年代に普及した小型タイプとなります。
技術者たちはこれを「Yuck=ヤック20」と呼んでいたとか。

気持ち悪いものなどを見たとき、アメリカ人は頻繁に

” Yuck! "(おえー、とかゲー、とかうえー、とか)

と言いますが、UYKを無理やりそう読ませる何かがあったのでしょうか。

部屋のこちら側にあった非常ベルのようなもの。
各ベルからパイプがあちらこちらに伸びていて、伝声管のようになっているのかな。

右側から

AN/USQ-60 データ中継セット

AN/USH-26 録音再生セット

AN/USQ-61 データ中継セット

といったコンソールの並びとなっています。

今となってはレトロな当時の最新鋭コンピュータ機器の数々。

ひな壇のようなコンソールからは紙に印刷されたデータが
随時プリントアウトされて出てくる仕組みになっています。

ロール紙が黄ばんでまだ残っている部分もありますが、
最後にここから情報が取られたのはいつのことだったのでしょうか。

各ロールをちぎる部分には、

CLEANED UP TO AND INCLUDING TOP SECRET

トップシークレットを含め、情報を残さないように、
としつこくしつこく何枚もテプラが貼ってあります。

一番右のコンソールは

TT-192C/UG

で、(こんな型番日本にいながら瞬時に調べられる時代・・・)
アメリカン・テレフォン・アンド・カンパニー(今のAT&T)製の

Reperforator, Teletypewriter

「レペーフォネーター」というのはテレタイプ伝送のための
受信穿孔(せんこう)機のことです。

と言われても何のことですか?という人が(わたし含め)多いと思いますが
この頃コンピュータの情報を記録するためには、自動パンチ機で

テープに穴をあけて情報を打ち込んでいたのです。

ここには「テレタイプライター」とあるので、コンピュータ以前の
テレタイプ受信穿孔機のことだと思われます。

1970年代のSFアニメなどでコンピュータが作動している場面には
オープンリールデータレコーダと共にテープが描かれていたものです。

ちなみに、穴あきのテープを見るだけで当時のコンピュータ技師は
だいたい何が書かれているかわかったそうです。

現在紙テープは規格のものが販売されていますが、記録媒体としては
使われませんし、これからも使われることもないでしょう。

テレタイプでしゃオペレータがタイプしたメッセージは
紙テープに格納され、その紙テープを使って送信されます。

通信速度は75WPMで、一般に1つの75WPMの回線に対して、
3人かそれ以上のオペレータがオフラインで作業していたと言います。

また、受信局で受信したメッセージも紙テープに鑽孔されるので、
それを使って別の局に中継することも可能。

読み取るのもコンピュータで、コンピュータは最高で
毎秒1000文字の速度で紙テープを読み取ることができました。

ただし、この媒体が「紙」であるということは結構な問題で、
テープの巻き戻しの際引き裂いてしまう危険がありましたし、
データが大きすぎると物理的にテープには記録が不可能です。

紙なのでちぎれたり擦り切れたりすれば全て、
あるいは一部が読み取れなくなる可能性もありました。

ただし、同時期の磁気テープは磁気に影響を受けやすく、
確実に経年劣化し、そうなるとデータは取り出せなくなるので、
紙の質によっては紙テープの方が耐久性はあったのです。

逆に紙は廃棄しやすいことも、暗号などに使われた理由でした。

先ほどの向かい側の壁にはほぼ同じコンソールが並びます。
一番左にある

TT-333A/UG

もテレタイプの機器でした。

ちなみに、当時の乗員の証言によれば、これらの機器のある部屋は
人間様より機械を大事にする観点から、夏場に冷房が入っていて、
そうでないところで働く者たちの羨望の的だったそうです。

CY-4516 A/S CABINET ELECTRONIC EQUIPMENT

が壁のように立ち並んでおります。
ここ全体を

「ラジオ・メッセージング・プロセッシング・センター」と言います。

海軍は大変広範囲の通信を無線ネットワークに頼って行います。
この部屋ではそのメッセージを受け取り、処理して各部署に伝達します。

メッセージの派出はラジオ・テレタイプを使って行われ、
受け取る方はそれを穿孔機で記録していました。

 ところで、MARS (Military Auxiliary Radio System)
補助軍用無線システム、というものがアメリカにはあります。

軍の活動に理解のあるアマチュア無線の資格を保持する民間人が
艦船や沿岸などで非常時、緊急時に通信を協力して行うシステムで、
ここミッドウェイには現在も MARSのステーションがあるのだそうです。

ミッドウェイのモールス信号デモンストレーターです。

ここには「MORSE CODE」とあるので、一瞬それが
「モールス」ということに気づかず『?』となってしまいました。

サミュエル・フェンレイ・ブリース・モールスはアメリカ人なので、
「モース」と英語圏では発音しているわけですが、当時の日本人が
律儀に「R」を発音することにしたので、こうなってしまったのです。

ここでは体験型展示として、コンポーネントを解放し、実際に
モールス信号を打たせてくれる企画なども
あるようですが、
この時は人手がないせいか、ケースで覆われたままでした。

皆が勝手に触ると壊してしまうからかもしれません。

ある通信士の思い出から。

「しばらく航海していると、通信を傍受しただけで、
誰が打電しているかわかってくるんだよ。
なぜかって、通信士には打電の癖みたいなのがあって、
コードを送るのにも一人一人違うスタイルだからさ」

こちらはテレタイプのオペレーター。

「現役時代、僕はモールス信号は覚えなかったね。
なぜって、テレタイプライターはモールス信号のトンツー
(dits and dahs)
をテキストに替えて
プリントアウトされたものを受け取っていたから」

トンツーのことを英語でdits and dahsというんですね。

モールス信号は "dots=・" と "dashes=ー"を使うのですが、
ドッツよりディッツアンダースの方が言い易いのでこうなったのかな。

日本で「ドッツ」がトン、「ダッシュ」がツーで「トンツー」です。

 「私たちはまるで電話会社のそれのようなスィッチボードを使って、
メッセージの送受信を行っていました」

「1日に何百ものメッセージを受け取るために、我々は
艦の周波数がその時々に応じて正しくチューニンングされているかどうかを
いつも確かめることが必要でした」

テレタイプライターを打っている皆さん。

「コードをタイプするより早く読むことが僕は得意だったんだ。
ただし時々夢の中でもコードが出てきたよ」

今では全く必要のなくなった技術であり、彼らの努力も今では
コンピュータの発展によって過去のものになりました。

しかし、この時にはこれが確かに「最先端の通信技術」であり
これ以上ない最善の方法でもあったのです。

 

 

続く。




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2 Comments

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NAVMACSとUYK-20 (Unknown)
2018-09-15 07:01:06
NAVMACSではピンと来ないと思いますが、簡単に言うと電子メール以前の「パソコン通信」です。

電信室で陸上司令部や他の船から受信したメッセージを翻訳(暗号化されている内容を平文にする)し、NAVMACS導入以前は、紙に印刷して、一々必要な部署に配布していました。24時間365日、ひっきりなしに来るメッセージが翻訳されると、まず通信士はそれをどこに回覧すべきか決め、電信員が印刷して配布していました。

通信士はメッセージが来ると、いつでもおかまいなしに叩き起こされるので、結構大変でした。RIMPACのような大規模な演習では、受信するメッセージ数も多く、かつすべて英文なので、英語が苦手だと精神的に参ってしまう人もいました。

NAVMACSは、この業務を自動化し、電信室で翻訳された後、艦内の各部署にある端末にパソコン通信の技術で自動的に配布されるようになりました。導入時期はNAVMACSより遅いですが、自衛隊にも同じものがあります。

右から「USQ-60」「USH-26」・・・と書かれた写真の「USQ-61」の画面の上にある弁当箱みたいなのがUYK-20です。拡張は出来ますが、16ビットマシンでRAMが64K。ハードディスクのような外部メモリーはありません。1980年代のPC98と同じくらいの能力です(笑)

自衛隊でも「はつゆき」型と「あさぎり」型合計20隻には積まれていましたが、これは面白いコンピュータで、16ビットでRAMが64Kなので、プログラムは絶対番地で指定出来ます。プログラムを1インストラクション毎に実行出来る機能があり、バグがあるところで停まるので、デバッグには非常に便利でした。

これをやるためにはアッセンブラでプログラムを読めて書けないといけないので、自衛隊では高級言語よりもむしろアッセンブラを教えていました。アッセンブラが出来れば、多少の書換が出来、訓練等のデータ取りに使っていました。もう、こんなコンピュータはなくなってしまったので、今となっては夢のまた夢です(笑)
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大型電子計算機 (お節介船屋)
2018-09-15 15:13:51
我々の時代はデーター入力はパンチカードで実施しました。
約20cm×10cmくらいの固い紙に穴をあけたもの数百枚を箱に入れて電算機室に持ち込み、計算してもらい、約50cm幅の数十枚のミシン目の付いた長い紙に打ち出してもらいました。
間違いがあるとそのパンチカードを打ち直して差し替えて再度計算してもらうの繰り返しでした。
紙テープと違い破れることはなく、間違いはそのパンチカードの差し替えで容易でしたが、箱を落としたりしてカードがバラバラになったりすると大変でした。
遠い昔話です。

>各ベルからパイプがあちらこちらに伸びていて、伝声管のようになっているのかな。
これ通信筒の送達装置ではないでしょうか?
通信文を丸い筒に入れ、空気でそれぞれの部屋に送ったり、受け取ったりする装置のように見えます。
ベルは通信筒が来れば知らせ、筒の下が蓋になっており、開けて受け取り、送付する時は蓋を開けて入て、黒いハンドルを操作し、空気を入れて送付するのではと推察します。
何かで見たような気がしています。間違いかもしれませんが?
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