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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

港めぐり船で出会った自衛艦(プラス支援船)たち~軍港の街舞鶴を訪ねて

2015-10-12 | 自衛隊

今このエントリを制作している日、「いずも」が横浜の大桟橋に入り、
いよいよ平成27年度観艦式も間近の雰囲気が高まってきました。
この日、舞鶴で遭遇した自衛艦の中には、その後ここを出港し、
横須賀などに向かったものもあるようです。

冒頭に写っている自衛艦旗は「ましゅう」のものですが、
「ましゅう」は瑞穂埠頭(横浜)に着いたそうです。



さて、「港巡り」の船の元海自OBによる「岸壁の母」独唱が終わり、
舞鶴港が引き揚げ船が寄港して、外地にいた人々の踏む最初の日本の地になった、
という説明が終わった頃、船はJMUの前を通り過ぎました。



大型船舶の一部分であることはなんとなくわかる部品です。



大型貨物船の船尾部分でしょうか。
お節介船屋さんの解説をお待ちしたいところです。



これはわたしにもわかる。船体の甲板部分ですね。



おそらく今まで上げていったパーツは皆一つの船のものだと思いますが、
こういう画像で船の規模なんかもわかってしまうものですかね?



JMUの敷地内に昔防空壕だったらしいこんなトンネルを見つけました。
赤れんが街近くの駐車場の隅にもやはり同じような防空壕があり、
夕潮台公園のふもとにもトンネルがまだ残されています。
今はJMUの倉庫となっている模様。 



ここで訳もなく望遠レンズの限界を試してみました。
肉眼では見えなかったトンネル入口にオミナエシが咲いているのまでわかるのだった。



ドックのナンバーはだんだん遡ってきてNo.2まで来ました。



連休中だったせいか、稼働しているクレーンは一つもありません。



人の姿もまったくなし。
逆に、この辺りの工場や自衛隊が休みになる土日祝しか、この
港巡りの船は出港しないことになっているようです。



ここもJMUの岸壁だと思うのですが、「あたご」艦上から見えた、
修復中の「みょうこう」の近くを通りました。



「みょうこう」の補修はかなり大々的なもののようです。






シウスもアンテナ類にも、全てカバーがかけられているところを見ると
塗装を上から下までがっつりやり直す模様。



甲板の不思議な半透明のチューブは何でしょうか?
気体が通っているのは間違いないところですが。



艦尾に向けたしうすくんもカバーが掛けられています。
これ、なんだか専用カバーみたいですね。
一台購入につきもれなくカバーもついてくるサービスだったのかも。 




そしてこれ。
不思議なマーキングがされているなあと思ったら、標的艦なんですね。
艦名までわからなかったので雷蔵さんにこっそりお聞きしたところ、
「いそゆき」であることが判明しました。
「いそゆき」は2014年3月13日、「すずつき」の就役と同時に引退し、
その後JMU舞鶴事業所へ回航され、実艦的改造を実施されたということです。


実験的改造・・・・・?



なんだろう。
現役艦にはとても施せない、例えばトランスフォーマー的魔改造かな。

ペイントはやはり「照準用及び計測用と見られる」とwikiにはあります。
用途は公開されていないということなんでしょうか。





BTG EVERST というばら積み船ではないかと思われます。
もしそうだとしたら竣工は今年1月にJMU津工場で行われたばかりですが、
ここには仕事できているのかな?



さて、この辺で船は左に回頭を始めました。
右手に海上自衛隊の岸壁を見ながら出発した岸壁に戻ります。
艦番号177「あたご」の前にいるのは艦番号118「ふゆづき」。



朝方見学した護衛艦を海側から眺めるのもおつなものです。
「あたご」はこのあと出港し、観艦式のために今は横須賀に到着しています。
受閲艦艇部隊の旗艦を務めるということです。


艦長と「観艦式でご縁があればお会いしましょう」と約束をしましたが、
今回は残念ながら「あたご」ではありません。



「あたご」と退役した「しらね」後ろ姿。



この角度から見るイージス艦が一番かっこいいのよね。

左側は新型ミサイルの標的艦になることが決まっている「しらね」ですが、
遠目に見ても、明らかに右側の「生きている船」とはオーラが違います。

主砲は砲身だけを外し、シウスやアンカーもリサイクルに回したようで、無くなっています。
そして・・・、



喫水線部分を拡大して「あたご」と比べると、退役した「しらね」が
どれだけ軽くなったのかが、よくわかりますね。



迫力の補給艦「ましゅう」、 AOE-425。
なんども言いますが、「ましゅう」の大きさは戦艦「大和」とほぼ同じです。



「ましゅう」の一部。
「ましゅう」「おおすみ」ともに観艦式参加組です。
受閲艦艇部隊の第6群所属として航行します。



「ましゅう」が海外派遣から帰ってきたときの映像は、映画「男たちの大和」の
冒頭シーンに使われましたが、撮影はここ舞鶴で行われています。

それを見ていた鈴木京香が、次の瞬間呉に移動していたのには笑わせてもらいました。



支援船たち。
支援船は自衛艦ではないので自衛艦旗をあげたりすることはありませんが、
自衛艦の文字通り支援をする縁の下の力持ちです。

支援船の識別番号はかならず『Y』から始まりますが、
ここに見える「YO」はオイルの「O」らしく、重油船です。
三隻とも「アブラブネ」とよむ「油船25型」です。


一番右の「YW-23」は「水船」。
『W』はウォーターの意味ですね。
水を運ぶ船と考えていいのでしょうか。



それでは「T」は?
これはタグ、つまり「曳船」です。
艦首には大型船を押すためのタイヤが装着されています。

曳船は1から始まって57番まではもう退役してしまっています。
なのになぜここに「01」があるかというと、99番まで行ったので
もう一回01から番号をやり直した結果、今の最新型が「03」なのです。



曳船につけられた赤いノズルのようなものはなんでしょうか。
自衛隊関係の施設で「赤」を意味するのは多くが消火なのですが、
これも消火バルブだったりします?



ミサイル艇「うみたか」が見えてきました。
午後からは曇りがちの空だったのですが、雲が不穏な雰囲気です(笑)

「うみたか」は「はやぶさ」型ミサイル艇の2番艦。
「はやぶさ」型の命名基準は「4文字の猛禽類」なので、これ以降

「おおたか」「くまたか」「うみたか」「しらたか」

と続いているわけですが、「はやぶさ」以外全部が「たか」になっています。
なぜ「わし」にならないかというと、海保が「うみわし」で使ってしまったからです。



90式艦対艦誘導弾連装発射筒をたくさん搭載しているんだなあ、
と思ってよく見たら、向こうにも同じ「はやぶさ」型が係留してるんだった。

おそらく向こうのは1番艦の「はやぶさ」でしょう。

今年の観艦式には「おおたか」「くまたか」「しらたか」が参加しますが、
またミサイル発射による「昇竜の舞」を見せてくれるのかな?






岸壁に書かれている番号は艦番号だと思ったら、単なる距離でした。
どこからの距離で何を表すのかは不明。



「ふゆづき」は引き渡し・就役式に立ち会っています。
そういうフネと再会すると、なぜか親近感を覚えるものですね。



「ましゅう」と直角に繋留してあるのは「ひうち」。
見るのも聞くのも初めてのフネですが、これは多用途支援艦といい、
海外では航洋曳船(オーシャン・タグ)と言われるジャンルのものです。

つまり外洋で曳航、サルベージ、潜水作業支援、水難救助、消防など、

多用途に活躍する海の何でも屋さんみたいな感じでしょうか。




何でもするのでこんな変わった形のボートも甲板に搭載しています。

その他、

消防装置一式
艦艇曳航装置一式
自走式水上標的・管制装置一式
魚雷回収装置一式

このようなものを搭載しているそうです。



「ひうち」というのはこの「ひうち型」の命名基準が「灘」であるからで、

「燧灘」「周防灘」「天草灘」「玄界灘」「遠州灘」

からとられたそれぞれの名前を持つ同型艦があります。





というわけで、舞鶴湾を一周して元の岸壁まで帰って来る途中、
こんなところでお弁当を広げている家族を発見しました。
釣りをする人が糸を垂らすスポットだと思いますが、楽しそうで何より。

この日はお休みだったので、舞鶴にいる護衛艦をほとんど見ることができました。
この後だったら幾つかは観艦式に向かってしまっていたはず。

さあ、それでは、彼女たちとの観艦式での再会を楽しみに待ちますか。




 



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9 Comments

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JMU舞鶴事業所 (お節介船屋)
2015-10-12 16:55:55
エリス中尉への言い訳
JMU舞鶴事業所は残念ながら詳しくありませんが推定させてもらいます。
2、4、6枚目の写真は5枚目の第3ドックの写真に写っている船尾部分の船(バルクキャリア)の船倉部分のガンネル(船側の立ち上がった部分と甲板部分の角部)部のブロックです。
3枚目が船底と船側部の立ち上がり部分のブロックです。
断言してもいいのかな?

大きさですが18枚目のバルクキャリアがエリス中尉の言われる「BTG EVERST」と同型であればJMUの81型省エネ型バルクキャリアで229m81,000トンです。
ただ津事業所建造船が就役から半年で舞鶴事業所に来ているのか不明です。
津では3月にもBTG SHIPPINNG社(バハマ)の同型「BTG KAILASH」を建造しています。(海事プレスによる)
普通は就役と同時に積載のため原産地に赴いているはずです。

81型バルクキャリア建造を舞鶴に振り向けたので参考に見ている?
JMUが建造を各事業所でどのように振り分けているか分かりませんが舞鶴の建造はあまり多くありません。
一応8万トンが建造限度です(JMUホームページから)。

この3号ドックが舞鶴海軍工廠の第2ドックで大正3年竣工、2号ドックが旧工廠第1ドックで明治37年竣工です。
拡大されているでしょうが、舞鶴市ホームページの紹介では工場も明治建造物も多くあるようです。
ちなみに舞鶴工廠は明治34年創立され大正時代縮小され工作部になった時代もありますが、一貫して駆逐艦建造工廠でした。

戦後は飯野産業、日立造船、ユニバーサル造船、JMUと変遷しましたが、日本海側で建造するメリットがあまりなく四苦八苦の経営だったと思いますが、自衛艦の建造、修理は日本海側ではこの1社のみであり、貴重な存在だと思います。

15枚目の写真の白いチューブは移動式のエアコン(左の甲板に上に写っている箱)から延びるエアダクトです。
艦内に冷気を送っているのです。(艦内エアコン停止中では)

曳船の赤いノズルは泡沫消火剤放出用ターレットノズルでしょう。
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ひうち (アーサー)
2015-10-13 00:12:59
 懐かしい思い出のある艦です。新造後、初の配置が大分県(地理的からか九州で大分県だけ呉地方総監部の管轄)でした。佐伯海軍航空隊跡の佐伯基地に配属されていました。
 その後、他の艦艇も就役したので、舞鶴に転属となり、手元には初代のパンフレットとネクタイピンが残っています。
 海上保安庁の巡視船みたいに転属の際に名前を変更したりしませんので、日本海側に転属しても瀬戸内海の名前です。
 たぶん、日本海側の寒さに驚いていることでしょう。
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やはり軍港といった感じですね (佳太郎)
2015-10-13 00:38:42
多くの自衛隊関連の船が見られるあたり軍港と言った感じですね。
横須賀も軍港ですがまた違った感じがします。
「ひうち」ですが、ミリタリー雑誌でこの船が特集された漫画を読みましたが本当になんでも屋さんみたいですね。災害時に荷物を運び、自分のクレーンで荷揚げもできるようです。そしてましゅう型補給艦でも曳航できるようにエンジンの馬力も船体に見合わないものすごい力を持っていると。

話は変わって先日横須賀に護衛艦を見に行きましたが、あたごの艦橋に入れたのが良かったです。また、くらまが停泊していましたので、これが見納めかも…と思いつつ写真を撮っておりました。
かがの就役とともに引退のようですからね…
返信する
諸々 (雷蔵)
2015-10-13 02:35:09
油船ですが、商船や巡視船は重油ですが、自衛隊を含む海軍の艦船は軽油です。そのため、自衛隊と海保の間では燃料を融通出来ません。

以前、古い護衛艦を海保に供与してはどうかという話題がありましたが、海保は軽油を使わないので、立ち消えになりました。軽油は重油より高価です。

多用途支援艦は、確かに航洋タグですが、任務のほとんどは護衛艦が水上射撃を行う際の標的支援です。

写真のボートはバラクーダと呼ばれる自走標的(リモコンのモーターボート)です。これを搭載するため、後部甲板が広くなっています。
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半透明のチューブ (お節介船屋)
2015-10-23 20:07:28
今頃思い出しました。
スポットクーラーから伸びるダクトです。
エアコンではなく、冷気の送風のみです。(誤り訂正)
工場等で夏場良く使われているスポットクーラーは工員さんに短い可動式ダクトを向けて、冷気を送って使いますが、造船所ではブロックの中等に長いダクトで溶接作業等実施の工員さんへ冷気を送り、作業環境を向上させています。
夏場はこれを引っ張らないと60℃くらいになります。
修理艦艇でもエアコンが修理等で使えない場合はスポットクーラーの使用となります。
昔は扇風機だけでしたが。

ミサイル艇の艦尾が写っている写真ですが、推進がウォータージェット推進である事が分かります。
海水を吸い上げポンプで加圧し、後方のノズルから吐き出し推進力としています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%88%E6%8E%A8%E9%80%B2
ノズルの頭が可動式と固定式があり、可動式が舵の役目もします。
水線部の艦尾に大きく出っ張った物がノズルであり、その上のパイプの構造物はノズルの保護ガードです。

巡視船艇には多く採用されています。
返信する
お節介船屋さん (エリス中尉)
2015-10-24 09:36:45
なるほど、ダクトですか。
このときシルバーウィークの9月下旬でしたが、艦内の作業中は暑いんでしょうね。
昔はそんなことも耐えて労働していたのだと思いますが・・。

ウォータージェット推進といえば、今回の観艦式を見ていて、
ミサイル艇と海保の巡視船の波の立ち方が似てるなあとチラッと思いました。
はからずも同じ推進であったということだったんですね。
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JMU舞鶴事業所 (フリーマン大佐)
2021-11-13 12:02:21
海側からの素敵な写真ありがとうございます。舞鶴は通過するだけで街に立ち寄ったことはないのですが、ぜひ行ってみたい所の一つです。
さて、日本海海戦に参加し、大正年間に練習艦に転用され、太平洋戦争末期には武装を更新し、対空戦闘も行い更には終戦後は復員のための特別輸送艦として運航された八雲が昭和21年に舞鶴で解体されました。

「解体後、八雲の主錨、艦長机はユニバーサル造船株式会社舞鶴館に展示されてい
る。」という記事を見つけたのでおそらくJMUに引き継がれたことと思いますので、それを見学したいと思っております。
返信する
JMU舞鶴事業所 (お節介船屋)
2021-11-15 10:18:11
残念ながら本2021年5月末8万トンバルクキャリアを造船所として最後の新造船を引き渡し、6月商船造船から完全撤退となってしまいました。

今後は艦船の修理に特化した事業所として運営することとなり、300名の配置転換となりました。

ただ舞鶴市長が怒っているように昨年急に発表されての商船新造撤退でしたが舞鶴市の基幹産業であり下請け等産業部門も7~8割の空洞化となり、舞鶴市の屋台骨を揺るがしています。
日本海側唯一の大手造船所が新造を止め、修理のみとなっても商船修理は全くなく、舞鶴所属の自衛艦船が主体であり僅かに巡視船等の官公庁船があるくらいでしょう。
JMUとして因島事業所と同じ修理部門のみとなりました。

自衛艦の建造は砕氷艦「しらせ」が平成21年竣工させて以来ありませんでしたので商船新造撤退として造船部門の300名の配置換えで、おそらく自衛艦、巡視船等の官公庁船の新造もないこととでしょう。

旧海軍舞鶴工廠の後身であり、結構多くの工場等が残っていましたが今後縮小等で跡地の売却等で無くなっていかない事を願っています。
また舞鶴市等周辺地域の産業衰退や過疎化が進むことがないようなんらかの対策がうたれますように。

護衛艦建造造船所は昔、三菱重工長崎、石川島播磨東京、三井造船玉野、日立造船舞鶴、住友重工業浦賀と5社体制でしたが住重浦賀はなくなってしまい、IHI東京もなくなりJMU横浜に集約、三井玉野の後身三菱マリタイムシステムズと日立造船舞鶴の後身JMU舞鶴は修理部門のみとなってしまいました。

自衛艦建造で護衛艦は三菱重工長崎造船所、JMU横浜事業所磯子工場の2社体制、潜水艦は三菱重工神戸造船所と川崎重工神戸造船所の2社体制、
掃海艦艇はJMU横浜事業所鶴見工場1社、補助艦艇は旧海軍佐世保工廠の後身の佐世保重工も来年1月新造部門撤退予定であり自衛艦新造も出来ないでしょうから、上記工場に三菱重工下関造船所が加わるのか?ではと思います。
上記工場等でも従来は新造部門に占める自衛艦建造は売上の数%でしたので熟練工員を振り分けて資格等も取らせて従事していましたが、多くもない建造数で受注が修理を含めコンスタントに得られるわけでもなく、工程上従事しない期間等があり、四苦八苦の運営を強いられると想像します。米国や英国のように艦艇建造に関して国の施策が緊急に必要です。

防衛所要もあるのでなんとか建造数を多くし、維持させるため競争させることなく、法律上の問題がありますがある程度振り分ける施策も必要と思います。

造船王国の残影もなく、LNG船等高付加価値船も中国、韓国に取られ、韓国政府の過大な造船所援助のWHO提訴も不発であり、大手造船所の衰退は本当に残念を通り過ごして、地方経済の衰退や自衛艦艇の建造維持すら脅かされています。
返信する
誤り訂正 (お節介船屋)
2021-11-16 10:17:28
前コメントでWTO世界貿易機関をWHO世界保健機関と間違えていたと思いますので訂正します。

JMU舞鶴事業所のコメントを投稿したことに付随しSSKについてもコメントします。
舞鶴と同じく海軍工廠の施設等を引き継いだ佐世保重工業通称SSKは発足当初は旧海軍軍人も多く、労働組合とも折り合い良く経営されていましたが何度も経営危機に陥りました。
特に昭和54年頃経営状態の悪化に対して当時の市長が首相等に嘆願し、来島ドックの坪内社長が経営再建することとなり大改革が実施されました。小説にも描かれた政治的な動きであり、原子力船「むつ」の改修も発注されました。
親会社の経営が悪化し、来島ドックの傘下を離れましたが、助成金の不正受給等の事件を何度も起こしました。
再度名村造船の傘下に入り再建されていましたが中国の台頭や韓国の政府による異常な造船所保護等により新造船が見込めないことから2022年1月新造部門からの撤退でLNG船修理、海上自衛隊及び米海軍艦艇の修理に特化した事業のみとなります。

舞鶴と同じく佐世保市にとっても基幹産業であり市及び周辺地域の産業全体への影響が大変大きいです。
佐世保市長は強襲揚陸艦や掃海艦等米海軍艦艇の修理受注増大を期待する発言をしています。
ドックも多く施設も海軍時代のものもあり非効率的な面があり、新造から撤退してこれらの施設等の維持をどうするのか、下請けを含め工事量が少なく、修理ではあまり必要ない部門の整理等課題が多くあります。

呉市も海軍工廠跡地にありました日新製鋼改め日本製鉄の傘下となりました製鉄所が本年高炉を止めて撤退となっております。
広大な跡地をどうするのかも決まっていません。
呉市のもう一つの基幹産業、これも海軍工廠後のJMU呉事業所もあのピンク色のコンテナー船を建造していた時代を通り越し、なんとかタンカーやバルクキャリアを建造していますが小さく数も少なく日本造船界の衰退を色濃く反映しています。

舞鶴、佐世保、呉ともに基幹産業の衰退で元気がないこの頃です。
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