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「エリスのキャビン」〜帆船「スター・オブ・インディア」

2017-12-23 | 博物館・資料館・テーマパーク

サンディエゴで展示公開されている「生ける帆船」、
「スター・オブ・インディア」についてお話ししています。

「スター・オブ・インディア」は港町であるサンディエゴの、
ダウンタウンにあるノース・エンバルカデロという埠頭に、
サンディエゴ海自博物館の展示船の一つとして公開されています。

これは「スター・オブ・インディア」船上からみた埠頭前の様子です。

右側に「スター・オブ・インディア」。
その向こうには海自博物館所蔵の船舶が見えています。

右側の帆船は「HMS サプライズ」という復元船で、左の潜水艦はなんと
ソ連の攻撃型潜水艦B−39です。

このBー39も見学してきましたので、そのうち取り上げるつもり。
このほかにもの潜水艦「ドルフィン」なども公開展示されていました。

「スター・オブ・インディア」は実際に可動するだけあって
手入れが行き届いていましたが、潜水艦はどれも放置されていてボロボロでした。

 

さて、「スター・オブ・インディア」の説明に戻りましょう。

「スター・オブ・インディア」は、アメリカに渡ってその名前になる前、
「エウテロペ」時代に、英国からニュージーランドへの移民を運んだことがあります。

このコーナーは、そんな中の一家族の残された日記から
彼らにスポットライトを当ててみたもので、

ステッド・エリスとその家族(子供6人)

について説明されています。
イギリスからニュージーランドまでの5ヶ月の航海の間、エリスは
奇しくも同名であるネイ恋ブログの主も顔負けの詳細な日記をつけ続け、
航海中の天候や家族の健康状態に始まり、操船のあれこれについても
記録を残し続けました。

ニュージーランドに無事入植後、エリス氏は教育委員会の事務局長となっています。

写真は、新天地に到着し全員で写真を撮るエリス家のみなさん。

ニュージーランドに到着して2〜3年後に撮られた家族写真。
いつのまにか子供が3人増えて9人になってるんですが・・・。

到着した後は生き生きと子供を増やし新天地に増殖することに
成功したエリス家ですが、それでは「スター・オブ・インディア」での
半年はどのようなものだったのでしょうか。

当時(1879年)の帆船で、5ヶ月の船旅。
これはよほどの覚悟と気力、何より健康に自信がないと不可能だったのでは?

ここに、当時を再現したコーナーがありました。
薄汚れた(展示しているうちに埃が積もったという説もあり)洋服に
伸び放題の髪と髭。
ベッドには生気なく横たわる妻の姿が。
あまりの揺れに起きていられないという状態だったのかもしれません。

しかも夫婦だけならともかく、彼らには子供が6人もいたのです。
展示場所とご予算の都合で子供の姿は一人しかここにはいませんが、
実際にもエリス家の子供は不安で退屈な日々をこのように過ごしたのでしょう。

「ひどく寒い朝、海は黒い氷のように見え、雪混じりの風が吹き渡っていた。
今日のリジー(妻)はとても具合が悪く、ベッドから頭を起こすこともできない。
赤ん坊が泣いたりするので夜中彼女は休むことができないのだ。
あまりに寒いので3人でバンクの隅にひとかたまりになって寝た。
狭くて彼女の腕を退けねば息子を置く場所がない。
なのに、船が時化で揺れると、バンクは広すぎて皆が転がってしまう。
狭いバンクで少しでも快適に過ごそうと思えば、体を縛り付けるしかないのだ」

彼らの名前をとって、ここは「エリスのキャビン」と名付けられているそうです。
全く関係ないですが、なぜか親近感が湧きます。

エリス家は二等船客として船会社に25ポンド(現在の2748ドル)
を払い、ニュージーランドまで行ったということらしいですが、その船賃で
家族全員がベッドと食器、什器、リネン類を貸与されました。

彼らのように数ヶ月かけてニュージーランドにこの船で入植した人数は
400人に上るということです。

「朝食は、スプーン2杯の煮た米に、モラセスか砂糖、
コーヒー、バター付きパンというものだ。
夕食には牛肉か羊の缶詰にポテト、週に一、二回ピクルスがつく。
望めば週に三回か四回、ボイルした塩漬け肉を食べることができたはずだが、
なぜかその機会はあまり訪れなかった。
私の丸い布袋腹はすっかりどこかに消え失せ、
それがいつも何かを欲しがっているような気がした」

そんな数ヶ月をおしてまで、どうして彼は移民したかったのか・・・。

寝て起きて食べ物を求めるだけの生活にはとても耐えきれない、
と思ったエリス氏は、「パッシングタイム」(暇つぶし)のために
日記をつけるだけでなく皆に配る読み物を発行しようと考えます。

「エウテロペ・タイムズ」と名付けたニュースをインクとペンで書き綴り、
他の乗客に読んでもらうことで、人を楽しませることを思いついたのでした。

賛同したもう一人の人物と共に発行したそのニュースには、
詩、随筆、スポーツニュース、地理や自然についてのトピック、
そしてローカルニュース(船の中の?)などが掲載されていました。

ますます同名のブロガーとしてはエリス氏に親近感が湧くところです。

過酷な船内生活を少しでも人間らしく過ごしたいというのは皆同じ。
夜になると、弦楽器や空き缶などで深夜まで賑やかに演奏が行われたりしました。

ある乗客はこんな風に日記に書き記しています。

「もしこんなことを陸にいるときにやったなら、
我々はどんなに無教養で粗野だと思われていたことだろうか」

ちなみにここにある楽譜は「エウテロペ」という曲名で、
ピアノのために書かれた平凡で(ごめんね)ロマンチックなワルツです。

発行元がニュージーランドなので、おそらく移民が
無事に入植したあと、思い出のために楽譜を発行したのかもしれません。

Chantey、シャンティとは水夫が船の作業をしながら歌う歌。
このほかにも「フォクスル・ソング」という、オフの時に歌う歌もありました。
内容は有名な海戦だったり、ラブストーリーだったり。

人魚伝説もそんな中から生まれてきたということです。

ここにはバンジョー、フィドル、ハーモニカ(バンジョーの上)など、
実際に船上で使用された楽器が展示されていました。

最初にボトルシップなる模型をこの世に生み出したのは、
実は余暇を持て余した海の男であった、とここには書かれています。

船底を仕切りを通して覗くことができたので、カメラを出して撮りました。
昔からここにあったらしい樽と、電気コードが混在しています。

さて、ここでまた再びエリス氏親子が登場してきました。
サニタリーコンディションズ、つまりトイレ事情です。

"Disgracefully Constructed" (恥ずかしい設計)

とタイトルがあり、エリス氏がトイレット、イギリス人のいうところの
W.C (ウォッシュ・クローゼット)について不満たらたらで
このように書き残していたことが説明されています。

どう恥ずかしいのか。

つまり穴の空いた板の上に座り、下の桶でそれを受ける。
非常に原始的な仕組みであったわけです。

ところで、日本でトイレのことを昔「ダブリューシー」と
称していたこともあったわけですが、イギリス式だったんですね。

ボースンズ・ロッカーと称された区画は立ち入り禁止になっていました。

Boatswainと書いて「ボースン」と発音するこれは帆、索、錨、などを
扱うオフィサーのことを称しました。
この区画はオフィサーの監視下において扱われる索具などに
必要となる作業をするところであり、道具の収納場所でもあります。

錨鎖のロッカーはこの階下に位置しました。(先ほど覗いた部分)
錨鎖の鎖一つの重さは35パウンドでした。(6.8kg)

というわけで船内の見学をすべて終わり、再び甲板に上がってきました。

説明がないのでわかりませんが、JOHN H WILSON & Coでググってみると、
1800年台後半に船のためのホイストやクレーンを作っていた
リバプールの会社だとわかりました。

つまり、これは「エウテロペ」時代からここにあったことになります。

工作室のようにも見える一室は雑然といろんなものが並んでいます。

艦橋の操舵室は改装工事中らしく見られませんでした。

船首部分にたどり着きました。
もやいの巻きつけ方がいい加減だと思うのはわたしが日本人だから?

これももしかしたら本来の用途ではないのかもしれないと思ったり。
というかこれなんでしょうか。

甲板下の階の空気抜き・・?じゃないだろうし・・。

スター・オブ・インディア」を次世代に残すために、150年そのままだった
甲板を張り替えることにした、というお知らせ。

しかしそんなプロジェクトも資金がなくては動きようがありません。
というわけで、船上ではいつもこうやって寄付を募っています。

企業や団体がこういうことに理解を示すアメリカにおいても、
民間レベルでは歴史的遺産を残すことにやはりそれなりの苦慮があるのかもしれません。

 

 

 



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9 Comments

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エリス家、立派! (Unknown)
2017-12-23 06:08:26
>当時(1879年)の帆船で、5ヶ月の船旅。
これはよほどの覚悟と気力、何より健康に自信がないと不可能だったのでは?

「よほどの覚悟と気力、何より健康に自信がない」と住み慣れた土地を離れて、何が待っているかわからない土地にわざわざ移民に行かない気がします(笑)

出る前でもお子六人だったのに、行った先でまた三人。ただものではないですね。エリス家。ゴールデンゲートブリッジの設計や「ネイビーブルー」執筆等々。偉人の家系と見ました。

「スター・オブ・インディア」の船首の先にサインが見えるレストラン「Anthony's」お勧めです。夜だと向かい側の空母がバッチリ見え、生ガキがおいしいですよ。

「スター・オブ・インディア」繋留状態のまま展帆していますが、大丈夫なんでしょうか。

繋留状態で風をはらむと危険なので、横浜の日本丸が展帆する時は、帆の裾の索は引き詰めず、いつでも放せるようにしてあります。

船尾の星条旗を見る限り、そこそこ風があるように見えますが、星条旗のたなびき方と帆の具合から想像される風向きが一致しないので、ちょっと変な感じです。
Capstan (お節介船屋)
2017-12-23 10:14:35
>これなんでしょうか。
ロープや錨鎖を巻き取るキャプスタンです。
写真のようにロープを数回巻いて回転をさせ、巻き取ったり、繰り出したりする装置です。現在は動力は油圧ないし電動ですが、この時代蒸気機関か手動だと思います。上部の穴の部分に棒を差し込み人間が押して回転をさせるか、甲板下に蒸気で動く歯車で回転させたのではと思います。下側に何か所は小さな金具が見えますが逆転防止のラチェットで下の台に何か所か四角な出っ張りが見えますがこの部分にあったって逆転しないようになっています。反対に回転させる時はこのラチェットを回転させ、反対方向で逆転を止めるようになっています。普通はこの下の部分で錨鎖が勘合出来る回転部分が別にあって縁を繋いだり、離したりでどちらでも使用出来るようになっています。右にちょっと出っ張って穴が開いていますがこれはブレーキのハンドルを差し込む所ではと思います。
甲板を広くとるため縦型となっているのがキャプスタン、横型になっているのがウィンドラス(Windlass)と呼ばれています。軍艦はキャプスタンが多く、商船、軍艦でも商船構造の艦はウィンドラスとなっています。甲板の広さ、価格と構造も違うので現在はほぼそのようになっています。
皆さま (エリス中尉)
2017-12-24 13:47:51
unknownさん
アンソニーは少し内陸に入った高台にあるんですね。
サンディエゴは本当に美味しい店が沢山ありますが、シーフードは特に、
鮨も含めて感心してばかりでした。
毎日レストランを探して歩くのが楽しみでしょうがなかったものです。

スター・オブ・インディアは何故か帆を張って展示してましたね。
風が強くなかったか、それとも帆を張る練習をした後だったのかもしれません。

エリス氏は祖国で食い詰めて新天地に活路を見出すといった逃避型のではなく、
教育者として移民のために尽力したいという理想を抱いて海を渡ったようですね。
自分の子孫をこの国に根付かせるために子供も思いっきりつくり・・・。
9人の子供がそれぞれ家庭を持てばその次世代にはエリス家の血を引く者は
最低でも2、30人に増え、その次の世代は鼠算式に増えていきます。
そういう将来を思い描いての決心ですから、逆境でも前向きでいられたんでしょうね。

お節介船やさん
やっとわかりました!キャプスタンの穴の活用法が。
下と繋がってて空気抜きくらいしかそうぞうできなかったのですが、
棒を差し込んで人間が巻き取るための穴だったんですね。
また、逆回転防止の設備など、船には人類の歴史が生んだ知恵が至る所にあると
今更ながらに感心させられます。
本シリーズ (お節介船屋)
2017-12-24 17:04:55
スター・オブ・インディアのシリーズは3回で終わると思いますが、詳細な記事と写真ありがとうございました。
1800年代中後期の現存する鉄船の詳細が分って大変楽しく拝見しました。1回目のコメントに書きましたが、まだこの時代鉄鉱石から鉄を取り出す炉が発達しておらず、炭素量の多い銑鉄であり、脆く、不純物も多く腐食にも弱く、炭素量を2%以下の炭素鋼やニッケルやクロムを入れ特殊鋼で靭性や強度を強くするのはもうちょっと後の時代であり、よく手入れをされ現存していると感心しました。
また穴からカメラを入れ撮影された船底内部写真等で外板や骨の鋲接接合や、フレーム間隔、甲板ビーム、ロンジ等構造も分かりました。また木甲板の張替説明写真も興味深いものでした。
全体写真でもフォアマストの上部とヤードが取り外して岸壁に置いてあるものと復旧して完全なものとありましたが日時が違う時に撮影されたと思いますが、メンテナスが不断の努力でなされている事が分ります。
寄付とボランティアで苦労し維持努力されているのでしょうがこのアメリカの実状と海洋国家であるはずのわが国の船や海洋への関心のなさは資源の豊富なアメリカと輸入にたよる我が国の立場を考えると唖然とします。
何時もの持論ですがもうちょっとわが国民が海洋に感心を持って欲しいなと思いつつ、エリス中尉の本プログに感謝します。
Unknown (名無し)
2017-12-28 22:55:03
興味深く拝読させて頂いております。

どうでもいい話ですが船員(海技士)の知人から、
船の寝台はボンクと呼ぶと聞いていました。
このブログを拝読し bunk である事に今更気付きました。
なんで海事用語ではボンクになる(訛る)のか分かりませんが……。

さて、現代の商船ではボースンは甲板長、
つまり甲板部の部員の長なので、
職員(海技免状が必要)たるオフィサーとは立場が異なるようです。
海技免状が無かった帆船時代の頃は立場的にどうだったんでしょうかね。
う~ん、どのように展示説明がされていたか気になります。
名無しさん (エリス中尉)
2017-12-29 11:11:38
ボンクですか・・・。
壁に取り付けた形式や二段ベッドなどを指すbunk、ローマ字読みで
「ブンク」となるならわかりますが、発音記号「ʌ」は最も日本語の「ア」に近く、
なぜ「オ」になったのか興味深いですね。
そういう発音をする地方があるのかどうか知りませんが、
ネイティブのアメリカ人が訛って発音したのを輸入してしまったのか・・・。

>「ボースンズロッカー」の詳しい説明の写真をもう一度家に帰ったら確認してみます。
確か本文の説明の通りだったと思うのですが・・・。
このあたりのことはお節介船屋さんが詳しくていらっしゃるかもしれません。
お節介船屋さん (エリス中尉)
2017-12-29 11:20:19
最近は船の写真も軍艦の写真も、取り敢えずどこでも撮りまくって後で詳細に見る、
というのが基本になってしまいました。
一般の人には興味を引かないような部分でも、見る人が見れば発見がある、
という事をこのブログの運営を通じて発見したからです。
隙間から手を入れて撮った写真一枚でそれだけの分析をして頂けるのですから。

この場でわたしがあちらこちらで見たものをご紹介しているのも、
それを通じて歴史の遺産に目を向ける人が一人でも増えてくれることを
なんとなく(笑)期待しているからでもあります。
お節介船屋さんのような方の詳しい解説によってそれはより一層目的に近づくでしょう。
こちらこそいつもありがとうございます。
ボースン (お節介船屋)
2017-12-29 14:03:04
おだてに乗ってついついコメント。
ボースンは掌帆長、字のごとく帆船時代は帆をつかさどるボスでした。海軍での1等海尉や商船での1等航海士と違いオフィサーではなく、古参の船員で船の事を熟知している者が任命されていました。それがそのまま現在でも使用され、海自でも1分隊先任をこう呼んでいると思います。甲板作業を海自では砲雷長から、商船では1等航海士から委任され砲雷長、1等航海士の号令の下、安全に、作業を完遂させる重要な役目です。

「ボースンズロッカー」はロープや滑車等甲板作業に必要な道具等をしまっておく倉庫の事です。写真に撮られた場所は船首楼の部分であり、錨鎖が貫通してこの下の錨鎖庫へ降りています。これもボースンの所掌の区画であり、荒天等対応の緊急時に素早く役立つため甲板作業の近い区画に設けられています。
帆船時代には帆は破れる物、ロープは切れる物で現在のように耐久性も余りなく、戦闘、荒天では消耗品であり交換用の帆やロープの作成等を実施しており航海には欠かせない役目であり、場所でもありました。マストが折れれば、組継や、上陸して、必要な木材を取ってきて加工も実施していましたので、ボースンの役目は絶対的であり、知識も豊富で人間性も指揮能力等は抜群の人でなければなりませんでした。
私も船屋として造船や船体の修理でボースンにお付き合いさせて頂いた事がありますがボースンは本当に立派な方であり、船の知識も豊富でした。
掌帆長 (Unknown)
2017-12-30 05:44:03
細かい話ですが;

> ボースンは掌帆長、字のごとく帆船時代は帆をつかさどるボスでした。海軍での1等海尉や商船での1等航海士と違いオフィサーではなく、古参の船員で船の事を熟知している者が任命されていました。それがそのまま現在でも使用され、海自でも1分隊先任をこう呼んでいると思います。

掌帆長は運用員の先任者で、必ずしも分隊先任とは限りません。一分隊には運用員以外に射撃や水雷、掃海等他の職種の者もいますので、その中で先任者が分隊先任になります。

> 甲板作業を海自では砲雷長から、商船では1等航海士から委任され砲雷長、1等航海士の号令の下、安全に、作業を完遂させる重要な役目です。

商船と違って、護衛艦(自衛艦)は大所帯なので、甲板作業の指揮全般は砲雷長(武器のない護衛艦以外の船では運用長)が執りますが、掌帆長は前部に配置され、前部指揮官(砲雷科(運用科)の次席幹部)の指揮を受けます。

前部はもやい作業の他、投(抜)錨を行います。もやいを取れというところまでは幹部が指示しますが、取った後の細かい調整や投錨の際の幹部の「錨入れ」の後のブレーキ操作による錨鎖のスピード調整等は掌帆長が行います。

中部は舷悌の出し入れと内火艇の揚げ降ろし。後部はもやいの出し入れを行いますが、掌帆長は前部配置なので、中部と後部の作業指示は行いません。

とは言え、掌帆長は迫力ある人がほとんどです(笑)

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