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ティムさんの涙

2011-09-27 | 日本のこと

この夏中国で起きた列車衝突事故で、世界はあらためて中国と言う国が
「グロテスクなまでに巨大な身体を持つ赤ん坊」
のようなものであると感じたのではないでしょうか。

6億の人口を有する大国でありながら「遅れてきた覇権主義」と呼ばれる中華思想により、
あくまでも外へ外へその権力を拡大していくさま、
近代国家として体をなし得ていない未成熟さ。

中央が情報を隠蔽し操作して民衆の統率を図るという構図はこの国に限ったことではなく、
原発事故に見られる政府民主党の迷走ぶりは、それが日本にも起こりうることの証左となったわけですが、
日本と中国の大きく違う点が、この「赤ん坊のようなエゴ」が社会全体に蔓延しているかどうかです。

欲望のままにふるまって決して省みないという未発達な部分が、
中央だけでなく一人一人の中国人に多々見られるということにあります。
一般社会がマチュアでない(成熟していない)のです。

技術を盗んでおいて「独自技術だ」と言い張り「なんだったら技術指導してやる」とうそぶく。
日本の懸念を「嫉妬」とせせら笑う。
事故が起きたら負傷者の救出、遺体の搬送もろくにしないうちから、車両を粉砕して埋める。
国際社会にそれが暴露されていることに気づき体裁だけ事故調査をすると表明する。
遺族に圧力をかけて証言させないようにする。
二日も経たないうちに運行を再開する。
補償金問題を終息させるために「早期報奨制度」で金額を4倍に吊りあげる。
(一般は160万元だが早期に補償に応じれば650万)

一連の震災、原発事故対応においては日本政府も酷いものでしたが、
事故調査もしないで遺体ごと車両を粉砕して埋めてしまった、というのは
「レベルが違いすぎる」とあらためて震撼する思いです。
そして、さらに「引いた」のは、事故現場が解放されたとたん、
金属探知機まで持ち出して現場を掘り返し金属片や遺品を漁り始める中国人の姿でした。
何よりも民度に差がありすぎると感じました。

こういうことを書くと必ず
「震災の時に泥棒もあったし被災者差別もあった、日本人だって酷いものだ」
と言う人が出てきます。
その時の火事場泥棒が全員日本人であったかは差し置いても、そう言う事実はあったでしょう。

日本に限らず犯罪率が0パーセントの聖人君子ばかりの国などありません。
民度とは、ある一定の人数の中で、どれくらいの人間がたとえ非常時にも欲望のままに行動せず、
人としての尊厳を守れるか、という割合の多寡ではかるものではないでしょうか。
つまり、個人の行いの積み重ねであると思うのです。



今回、日本のこの惨状がどのようにアメリカで報じられ、一般の人々がどう受け止めているかは、
日本人である私にとって非常に気になるところでした。

ところが拍子抜けすることに、災害当時はともか数か月以上経ったアメリカでは、
ジャパン・チャンネル以外で日本のことが報じられることは全くありませんでした。
一度「フクシマ」という言葉が聴こえたのでびっくりして画面を注視したら、
アメリカ国内の原発施設に何らかのトラブルが起こったらしく、
関係者が、全く心配ないということを説明するのに
「第二のフクシマではない」
という言い方をしたのがそれらしい言葉を聞いた唯一の機会でした。

ここでは日本人が災害の後遺症に苦しみ放射能の危険を心配しつつ生きていることなどより、
子供を殺した美人母の裁判のニュースの方がよっぽど人々の関心を集めていたのです。
(ケーシー・アンソニー事件)
因みにこの被疑者は証拠不十分で無罪になり、識者の討論が連日行われていました。


しかし、日本人とかかわりのある人々は、その災害を覚えており、
日本人がどう振る舞ったかもちゃんと記憶に留めておいてくれていました。
冒頭画像は今住んでいるアパートのロビーに貼られていたポスター。
近くにあるジャパンタウンの日系アメリカ人のコミュニティが音頭を取ったイベントのお知らせです。

サンフランシスコのアパートに着いて二日目、
バスタブの水の流れが悪いので管理会社に配管工を頼んでくれるように電話しました。
電話に出たのは社長のティムさん。
もう10年近い付き合いですが、毎年メールのやり取りだけで契約しているので、
本人に会ったことは一度しかありません。
私が律儀にミスターをつけてメールしていたところ2年前に
「ティムと呼んでください」
という返事が来たほど事務的な付き合いです。

しかし、今回の契約時メールにティムさんは個人として
「地震のお見舞いとともに、私たちが日本人の気高い態度に感嘆している」
というような言葉を送ってきてくれたのです。
「残念ながらここでで同じような災害が起こったとしても、
我々が日本人と同じように振る舞えるとは思えない」
という印象的な言葉をつけて。

電話で名前を告げると
「ああ!あなたでしたか」と一気に親しげな声音に。
用件を済ませたあと、私が

「ところで、ティムさん、地震の後の契約メールで励ましの言葉をくれたでしょう。
本当にありがとう。
あのメールがわたしをどんなに力づけたことか。
あのメールは私をして泣かせました(直訳)」といったところ、ティムさん、
「OH・・・・」と絶句。

ティム「大変だったですね。それにしてもあなたにそう言ってもらえるなんて・・。
あなたのその言葉こそ私をして今泣かせます(直訳)」
わたし「大変な災害でしたが、またこうしてあなたと話せたことは私にとって大いなる喜びです(直訳)」
ティム「そう言っていただけると・・・・私も嬉しい」
驚いたことに、ここでティムさんは声を詰まらせました。

何だかとても温かい気持ちになりました。

この会社との付き合いにおいては、常にずっと歓迎される客であるために気を遣ってきました。
ルールを守るのは勿論、部屋をきれいに使い(絨毯に息子がジュースをこぼしたときは絨毯掃除セットを買ってきてシミを取ったことも)滞在中に生活のために買ったドライヤーや、DVDプレイヤーなどを(安い物ですが)部屋に残して寄付したり、週一回来るお掃除の人たち(クリーニング代は税・サ別25ドル)にはちゃんとチップを渡したり・・・。
つまり、日本人なら普通にするように

民度への評価を上げるも下げるも、個人の小さな行動の積み重ねからはじまること。
微々たるものであっても日本人の評価を上げる一助をこれからも積み重ねていこうと
僭越ながら密かに誓うのです。

日本人の民度に感嘆しつつニュースを見る人たちが
「だから日本人は信用できるんだ」
と一人でも思ってくれるように。







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