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令和三年度年忘れお絵かきギャラリー その2

2021-12-31 | 映画

今年一年にアップした映画の扉絵と共に内容を振り返るシリーズ、
年忘れお絵かきギャラリー2日目です。

グリーンベレー The Green Berets
物議を醸したジョン・ウェインのベトナム戦争肯定映画



当時ハインツ歴史センターのベトナム戦争シリーズが続いていたため、
ベトナム戦争ものをと思って選んだため、短期間の間に
ジョン・ウェイン晩年の戦争ものを2本も扱うことになりました。
しかも本作は、ジョン・ウェインの監督作品でもあります。

61歳で空挺隊の司令官役という誰が見ても無茶な役を演じてまで、
ウェインが映画を世に送り出したかった理由というのは、
当時国内に蔓延していたベトナム戦争反戦の動きに危機感を抱き、
映画によって国民の世論を動かすことだったと言われています。

つまり、ウェインはベトナム戦争の「共産主義との戦い」という
政府の理念に全面的な共感を持っていたということになります。

ウェイン演じるマイク・カービー大佐率いる米陸軍特殊部隊「グリーンベレー」が、
ダナンで繰り広げる死闘が、ストーリー全体を支配します。

「反戦の声」を象徴するのは、デビッド・ジャンセン演じる新聞記者で、
彼は彼はその実態を見極めるために従軍記者となって同行します。

カービーの部隊の死闘と、ベトナム人民の悲惨を目の当たりにし、
彼の考えが変わっていく、という手法によって、
映画はメッセージ性を持って戦うことの正当性を訴えようとします。



カービーの部隊と共に行動する政府軍の若い司令官を演じるのは、
当時「スター・トレック」で人気だったジョージ・タケイでした。

晩年のドラマでの姿しか知らないわたしは、この時代の
精悍でセクシーな容姿の彼の姿にちょっと驚いてしまったものです。

ちなみに右下の子供は、戦災で家族を失い、隊員の一人に懐くという設定で、
犬を可愛がっていることや、懐かれた方の隊員が戦死を遂げる、という
戦争映画にありがちな境遇を背負った存在ですが、
同時にこの子供こそが「大国アメリカに庇護される南ベトナム」を象徴している、
とわたしは最後に位置付けてみました。

ちなみにデビッド・ジャンセン演じる新聞記者は、それまでの反戦意識を改め、
最後には自分も従軍記者として部隊に加わることになるのですが、
その大きな理由は親しくなった村長の娘がベトコンに惨殺されたことでした。

彼がアメリカが庇護すべきは何かを認識するようになったという意味で、
村長の娘もまた映画の目指す理念にとって象徴的な存在です。



映画で描かれた「最大の作戦」とは、北ベトナム軍の将軍を、
ハニートラップで油断させておいて誘拐し、それをネタに交渉して
南ベトナムに有利な条件での終戦交渉に持っていくことでした。

こんな芝居じみた(芝居なんですけどね)作戦であの戦争が終わるくらいなら、
実際何年間にもわたって泥沼の戦いが続くわけねえ、と誰もが思ったでしょう。

その発想は、ほとんど西部劇の舞台になる街レベルのスケールの小ささ。
この映画が特にベトナム兵士たちには嫌悪感すら与えたという理由もわかります。

ただ、それらのことどもはあの戦争の結末を知っている後世の人なら
誰でもしたり顔で言えることにすぎません。

ベトナム戦争がまだ緒についた頃、ウェインがそうであったように、
少なくないアメリカ国民は、アメリカの正義を信じ、
決してアメリカは戦争に負けることはないと信じていました。

ちなみに最終日のブログタイトルは、
ウェインがベトナム人孤児の手を引いて歩いていくこの映画のラストシーンで、
劇中ダナンとされている彼らのいる地域からは、
決して見えないはずの「西に沈む夕日」(ダナン海岸は東にしかない)
であったという「グーフ」から来ています。

映画の興行成績は、作品そのものが激しい議論の対象になったこともあって、
皮肉なことに、彼の映画の中でも最大のヒットとなりました。


シン・レッド・ライン Thin Red Line
静かなる哲学ポエマー総出演戦争映画


ブログに取り上げていて何作に一つは他の作品の数倍気力が必要な作品があります。
おそらく本年度におけるその最たるものがこの「シン・レッド・ライン」でした。

当ブログでは、初日の多くを割いて、いかに出演を希望した俳優が多かったか、
またその際のキャスティング秘話をご紹介しましたが、この作品はそれほどに
関係者にとって特別のキャリアとなると制作前から見做されていたようです。

作品そのものに対する専門家の評価もやたら高く、まるで
この作品を評価しない者は頭が悪いというような空気さえあります。

しかし、一般大衆の「ウケ」は決して良くありません。

特に英語がネイティブでない国の鑑賞者にとっては、翻訳の介在がネックとなり、
戦争ものと言うだけで選んだ人は、ネイチャー系ポエムに早々に退屈し、
そうでなくてもサラッと聞いただけでは解釈しにくい内容となっているからです。


わたしも解釈を試みたのですが、従来の戦争映画と違い、この作品の目指したのは
人間を形作る「肉体」という、地上での「魂の容れ物」が遭遇する出来事より、
その肉体を支配する精神世界を優先して表現することだったような気がします。

戦争という、大量の肉体がいとも簡単に破壊され無になる空間で、
この映画は殺戮をまるで傍観しているかのような視座を見せているからです。

当ブログでは、「シン・レッド・ライン」というタイトルの意味を、
歴史的事実から紐解き、解釈するという、
自分で言うのもなんですが、意欲的な作業をゼロから試みました。



こういうふうにタイトル画の中心に据えてみると、まるで主人公みたいですが、
天下のジョージ・クルーニをちょい役で使い捨てしたのがこの映画の剛毅なところ。

あまりにもキャストが多すぎて、ちゃんと契約してギャラももらい、撮影もしたのに
登場場面が削られて、結果的に出演しないで終わった俳優すらいました。

第二次世界大戦のガダルカナル島での戦闘を描いているので、
映画には日本軍の将兵が登場するのですが、
彼ら敵役の表現法においても、この映画は画期的だったと思います。

そんなことについても考察してみました。

彼は何故撃たれたか



最初から最後まで、戦場にいる兵士たちが頭の中で、あるいは会話で
「分裂症的な」哲学ポエムを繰り返して止まない当作品。

全てのことが、戦闘行為ですら、何かの暗喩なのではないかと
最後の頃には懐疑的になってしまうくらいです。

ウィットが何故撃たれたかについても、彼が最後に浮かべるこの表情も、
部隊から脱走して原住民の村に隠れていたという彼の前歴を考えると、
何かしらの意図あってのことなのだろうか、と深読みしてしまいます。

戦争を素材に哲学と真理を追求しようと試みた作品、
とブログでは一応最後に恐る恐るまとめてみましたが、シニカルな見方をすれば、
「哲学」「真理」は、雰囲気をただ纏わせているだけかもしれませんし、
もしそうならば「真理の追求」などと大上段から振りかぶるのは、
口幅ったいようですが、買い被りすぎだったかなと思わないでもありません。

受け手がどう解釈するか、あるいは受け手の能力、感受性で如様にも価値が変わる
まるで映し鏡のような作品、というのが今の本作に対する評価です。



海軍特別少年兵
国策映画「水兵さん」の昭和焼き直しバージョン

「艦船勤務」



最近、戦時中海軍省の後援によって水兵募集の宣伝用に作られた国策映画
「水兵さん」を観てその紹介ブログを制作しました。

もちろんそんなことがなければ一生観ることのない映画ですが、
びっくりしたのは、この「水兵さん」で描かれた海兵団の様子がほとんどそのまま、
この「海軍特別少年兵」では再現されていたことです。

「少年兵」の舞台が横須賀第二海兵団、「武山海兵団」というのも、
「水兵さん」の舞台とぴったり同じです。

「水兵さん」は、海軍が全面的に協力したため、実際に海兵団の施設で撮影され、
実際の訓練生の訓練風景などがそのまま劇中に再現されるのですが、
この映画は、その訓練の様子だけでなく、演芸会の最中に訓練生の姉が訪ねてくる、
陸戦訓練で民宿に宿泊して久しぶりに畳の上に寝るなどというディティールを
もはやパクリといってもいいくらい、そのまま流用していたことが判明しました。

とはいえ、もちろんこちらは、あの戦後の「東宝8・15シリーズ」ですから、
「水兵さん」の登場人物のような純粋で真っ直ぐな少年ばかりでなく、
不幸な家庭状況によって拗ねていたり、家族と縁がなかったり、
銃剣を無くして怒られるのが怖くて自殺してしまったり、と
思いつく限りの不幸なバックグラウンドを背負わされているだけでなく、
最後には全員同じ部隊に配属されて、一挙に死んでしまったりするのです。

「水兵さん」は来年アップする予定なのでその時に読んでいただけますが、
こちらは分隊長が出征して戦果を上げるニュースを聞き、
自分もまた海軍軍人となって国の為に戦地に赴く、というところで終わります。
海軍兵募集の宣伝映画ですから、もちろん誰も死にません。

彼らの行く末に待ち受ける運命については、あくまでも
「戦争なのだからそういうこともあるかもしれないが、自己責任で」
という感じで具体的には語られることもありません。




主人公となる少年たちを演じる俳優が、皆未成年で無名なので、
その分、彼らの家族や教範長などに有名俳優を使いまくっております。
さすがは当時の「8・15」シリーズです。

この映画の少年兵のうち、かろうじて最も有名になったのは、
銃剣を紛失して自責の念から自決してしまう林を演じた中村梅雀でした。


ところでわたしは、映画紹介ログの扉に使う絵は、通常、
映画がカラーならカラーで描くことにしていますが、
この映画はカラー映画なのに色なしの絵を描いています。

理由は特になく、まさに「なんとなく」そうしたにすぎず、もちろんそのとき、
この映画がベースにしたモノクロ映画、
「水兵さん」があることは夢にも知リませんでした。

「水兵さん」を見て、この映画がそれをベースにしていることを知ってから、
改めて「画面に色を感じられなかった理由」に納得がいったと共に、
自分の直感のようなものをちょっと見直す気になりました。

なお、ブログのタイトルは、両日とも、劇中少年たちが歌う軍歌から取っています。


続く。