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「最後のガンファイター」F8Uクルセイダー〜フライング・レザーネック航空博物館

2021-12-14 | 航空機

ヴォートF8Uクルセイダー(1962年にF-8と改称)は、
ヴォート社がアメリカ海軍および海兵隊のために製造した
単発の超音速空母艦載用ジェット機です。

先日、偵察バージョンのフォトクルセイダーについて取り上げました。
順序としてはこちらが先のはずですが、写真が先に出てきた関係で後になりました。



ヴォートF7Uカットラスの後継機、F-8は主にベトナム戦争で活躍しました。
銃を主武器とした最後のアメリカの戦闘機であり、
"The Last of the Gunfighters "とも呼ばれています。

ヴォートF8Uクルセイダーは、海軍および海兵隊で初めての超音速機であり、
水平飛行で時速1000マイルを超えることができる初めての戦闘機でした。

サンディエゴの海兵隊航空博物館、フライング・レザーネックには、
基本的に海兵隊が運用していた航空機が展示されています。


■ リング-テムコ-ヴォート・エアロスペース
ヴォートF8U-2NE(F-8E、J)クルセイダー
Vought Crusader

製造会社のLing-Temco-Voughtは、かつてアメリカに存在した
巨大複合企業体(コングロマリット)の名称です。

1947年テキサス州で個人が起こした電気工事業、
リン・エレクトリック・カンパニーが販売戦略を成功させて巨大化し、
ミサイル製造で知られるテムコ・エアクラフトと合併し、
続いて敵対的買収によりチャンス・ヴォート航空宇宙を買収してできました。

手掛けた航空機は以下の通り。

LTV A-7 コルセアCorsair II
ヴォートVought YA-7F
LTV XC-142
LTV L450F
Vought Model 1600

LTVとはリン・テムコ・ヴォートから取られた社名です。
1999年に破産しましたが、この破産については
「アメリカ史上最も長く最も複雑な破産のひとつ」
と言われているそうです。

何があった。

【最後のガンファイター】

ヴォートF8Uクルセイダー(1962年にF-8と改称)は、
ヴォート社がアメリカ海軍および海兵隊のために製造した
単発・超音速の空母艦載用制空ジェット機です。

前にも書きましたが、あまり現場のパイロットに評判が芳しくなく、
「ガッツレス」(根性なしという意味)と呼ばれたこともある
同じヴォートF7Uカットラスの後継機として登場しました。

カットラスと違い、滅法出来がいいので、クルセイダーは文字通り
チャンス・ヴォート社の「十字軍」となった、などという
誰もそんなことは言っていない的洒落をつぶやいた記憶があります。

登場時期からして、F-8の主戦場は主にベトナムとなりました。

「最後のガンファイター」The Last of the Gunfighter
と言うネーミングの由来はというと、
クルセイダーは搭載銃を主要武器とした最後のアメリカの戦闘機であり、
それ以降は戦闘機はマルチロール機となっていくからです。

それではマルチロール機とはなんぞや、というと、英語では

MRCA(Multirole Combat Aircraft)

空対空戦闘、空爆、偵察、電子戦、防空など、
戦闘中にさまざまな役割を果たすことを目的とした戦闘機のことです。

「マルチロール」という言葉は、本来、

「ひとつの基本的な機体を複数の異なる役割に適応させ、
共通の機体を複数のタスクに使用することを目的として設計された航空機」


に与えられた名称で、目的はコスト削減にあります。

攻撃任務として、航空阻止、敵の防空阻止(SEAD)、近接航空支援(CAS)を
全てこなすことができ、さらに空中偵察、前方航空管制、
電子戦などの能力を持たせることによって莫大な節約ができます。

歴史的にはたまたま複数の役割をこなす機体はいくつかありましたが、
マルチロール機の定義に当てはまる一番古い機体はF-4ファントムであり、
この言葉が最初に使われたのは1968年の
「マルチロール戦闘機計画」からで、このプロジェクトは最終的に
F-15の派生型にまで発展しました。

「ラスト・ガンファイター」といいながら、クルセイダーの運用開始は1967年で、
マルチロールプロジェクトが緒についたのとほぼ同時期です。

航空機の発展が一筋ではなく多層的な流れの中にあったからといえましょう。


ちなみにジョニー・キャッシュの曲に「ラスト・ガンファイター・バラード」
という曲がありますが、こちらは西部の荒くれ者的な、
老いた元「デスペラード」を歌ったものだと思われます。

"The Last Gunfighter Ballad".. Johnny Cash and Cheyenne Bodie

つい全部見てしまった・・

クルセイダーは全部で1261機が製造されました。
F8Uクルセーダーは、海兵隊の戦闘機部隊で
ノースアメリカンFJフューリーに代わって使用された機体となります。


いかにも終戦直後っぽいデザインのFJフューリー

F8Uクルセイダーの特徴は、なんと言っても2ポジションの可変入射翼です。

これは、離着陸時に翼を胴体から7°回転させる仕組みで、
そうすることで離着艦の際の機首上げ角を抑えると言う効果があります。

当時主翼を油圧で上下に動かすことで迎角を調整できる唯一のシステムでした。

このシステムによって運用時の低速での安定性が大幅に向上します。
迎え角が大きくなると何がよくなるかというと、
前方視界を損なうことなく揚力を高めることができるのです。

これはチャンスボート社の前作F7Uカットラスの致命的な欠点だった、
視界不良を克服することから生まれた技術でした。



アメリカ海軍の最後の「新生産」クルセイダーは、
1961年6月末に初飛行したF8U 2NEでした。
それはまさにここフライング・レザーネックにある機体そのものです。



この機種は、ズーニーZUNIロケット弾


AGM-12ブルパップ空対地ミサイル

爆弾などを搭載するために、取り外し可能な2つの翼下パイロンを追加し、
攻撃機としての役割を強化しました。


このアップグレードには、全天候型運用のために改良された、
捜索および火器管制レーダーも含まれています。
F8U-2NEは全部で286機が製造された。

17の米海兵隊飛行隊がクルセーダーを使用し、
そのうち4つの飛行隊がベトナムで戦闘に参加しました。

装備した航空隊は、

USS「オリスカニー」(CVA-34)のVMF(AW)-212
「カウボーイズ」Cowboys

Active

VMF(AW)-232「デス・ラトラーズ」 Death Rattlers

Active
rattlerはガラガラなるもの(赤ちゃんのガラガラでもある)

VMF(AW)-235「デス・エンジェルス」 Death Angels

1943-1996

VMF(AW)-312 「チェッカーボーズ」 Checkerboards


などはダナンの陸上基地から任務を遂行しました。

クルセイダーは、1957年12月にVMF-122で海兵隊に初飛行しました。VMF(AW)-235は、1968年クルセイダーからF-4ファントムIIに移行しました。

クルセイダーはアメリカ海軍、海兵隊、フランス海軍でも使用され、
アメリカで最初に戦地に赴いた航空機の一つとなりました。


クルセイダーのベトナムにおける初空戦は1965年4月、
米海軍とベトナム人民空軍の間で行われました。

戦時中に失われたクルセイダーは約166機(なぜ『約』なのか謎)。
そのうち76機は事故によるものだったので、半数以上が戦没となります。

喪失機の中でも地対空ミサイルによる戦闘喪失は
MiGとのドッグファイトによる損失よりも多かったということですので、
戦闘能力は高かったと判断できると言って差し支えないでしょう。

搭載エンジンはプラット・アンド・ホイットニー社製のJ57-P-20A


全軸9段LP7段HPコンプレッサー、8本のフレームチューブキャニュラー燃焼器、
全軸1段HP2段LPタービンを備えたアフターバーナー式
(ジェットエンジンの排気に対してもう一度燃料を吹きつけて燃焼させ、
高推力を得るしくみ)ターボジェットエンジンです。

クルセイダーは、航続距離2.558km。
胴体下部に20mmのコルトMk12キャノンを4門搭載可能で、
胴体側面のY字型パイロンにはAIM-9サイドワインダー
ズーニーロケットを搭載するためのハードポイントが2つ、
翼下のパイロンにはLAU-10ロケットポッドを2基搭載できました。

ちなみに例のサイトによると、ベトナム戦争期間における
アメリカ軍のベスト戦闘機10の中に当然ですが入っています。
ちなみにその順位は、

1.スカイホーク Douglas A-4 Skyhawk 
2. コルセアLTV A-7 Corsair II 
3. ファントム2McDonnell Douglas F-4 Phantom II
4.サンダーチーフ Republic F-105 Thunderchief
5. クルセイダーVought F-8 Crusader
6. タイガー2Northrop F-5 Tiger II
7. Mikoyan-Gurevich MiG-15
8. Mikoyan-Gurevich MiG-17
9. Mikoyan-Gurevich MiG-19
10. Mikoyan-Gurevich MiG-21

評価の高い順番だとすれば、クルセイダーはちょうど中程となります。
まあ、前にも検証した通り、これはこのサイト主の個人の感想というものですが、
スカイホークがあの時代のナンバーワンという考え方にはわたしも賛成です。


【FLAMのクルセイダー】

海兵隊予備軍は1976年までクルセイダーを使用しました。
F-8E BuNo.150920は、1964年7月16日にアメリカ海軍に受け入れられ、
VF-201「ザ・ハンターズ」に納入されました。


1970-1999

1965年4月、USS「オリスカニー」 Oriskany (CVA-34)に搭載されて
ベトナムに向けて出航し、1965年12月にNASミラマーに帰還しました。

1966年5月には、VF-162と共に再び「オリスカニー」に搭載され、
ベトナムに派遣されました。

しかし、1966年8月2日、大規模な修理のために
日本の厚木基地に陸揚げされたことで、その活動は中断されます。

修理は1966年10月末に完了し、

厚木の戦闘作戦支援活動(COSA)に移され
新しい任務に就くことになりました。

1967年1月3日には、USS「タイコンデロガ」(CV-14)
「サタンの子猫」Satan's Kittensに代替機として送られ、
再びベトナム沖に出撃して北ベトナムとの戦闘任務に就きました。


1943-1978
(自衛隊の猫好き艦長が無理やり変更した某護衛艦のマークを思い出します)

1967年5月29日、「タイコンデロガ」が日本からサンディエゴに戻ってくると、
当機920は降ろされて、NARF(Naval Air Rework Facility)のある
ノースアイランドに移されます。

1967年10月には、ダラスのヴォート社の工場に戻され、
「J」バージョンにアップグレードされました。
改良の内容は、スラットとフラップのデフレクションを大きくして
翼の揚力を大幅に増加させることと、境界層制御システムの追加でした。

また、外部燃料タンク用の "ウェット "パイロン、
J57-P-20Aエンジン、AN/APQ-124レーダーも搭載されています。
このとき、合計136機の航空機がこの規格に基づいて改造されました。

1973年、VF-211の「ファイティング・チェックメイツ」とともにミラマーに帰還。
1975年、同隊がF-14Aトムキャットに移行したため、VF-191に戻されます。
同年、VF-191と共にUSS「オリスカニー」の最後のWESTPAC巡航に参加。

その1週間後、VF-191がF-4JファントムIIに移行したため、
デービス・モンサン基地の倉庫、通称骨董品置き場に飛ばされ
ゲートガードとして最後のご奉公をして引退しました。

この機体の塗装はVMF(AW)-321のチェッカーボーズの仕様が再現されています。


続く。