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ま・た・も・や・ヘロキャス見学~日向灘・掃海隊訓練

2015-12-24 | 自衛隊


「うらが」に乗り移ることができなかったため、わたしたちの休憩所として
「えのしま」は士官室を提供してくれました。




掃海艇の艇内らしく、木製で作ることが可能な家具類は全てこの通り。
木の温もりを感じさせるインテリアが気持ちを和ませます。

壁に掲示されている自衛官命名書の命名人は北沢俊美元防衛相。
「えのしま」が就役したのは忘れもしない前々回の観艦式の年、つまり3年前。
そのときの観閲官は、民主党党首野田佳彦元総理でした。

民主党の防衛大臣が、軒並み目も当てられないくらい酷かったのはご承知の通りです。
その中で北沢防衛相だけは、なぜか自衛隊の内部で評価されていた(らしい)
ことをわたしはちょっと聞き及んだのですが、未だにその理由はわかりません。

誰が命名しようと自衛艦にはなんの関係もないこととはいえ、
巡り合わせで田中真紀夫に命名された船よりは(実際にあったかどうか知りませんが)
「えのしま」にとっては、北沢防衛大臣のときでラッキーだったのかも、と思いました。



東海道五十三次の「えのしま」。
江ノ島に渡るあの連絡道のようなのは人工ではなかったんですね。
当時も地続きで人が歩いて渡っていた様子が描かれています。
大昔は引き潮のときだけトンボロ現象によって形成された砂嘴が現れ、
歩いて渡ることができたそうですが、あるときから海上に出て現在に至るということです。
 

この部屋は掃海艇の船室らしく適度に手狭で暖かく、
居心地もよかったので、テーブルでうたた寝をする人もいました。
わたしは船酔いの後何も口にできなかった昼食が終わり、ここに来て
少し休憩をしていましたが、午後からの訓練見学が始まると聞いて上に上がりました。


さて、「うらが」と「えのしま」の接舷がうねりが強すぎて中止になったあと、
午後にどうするのかを考えます、と言った掃海隊司令に向かって、
艇内ツァーを始める前に、一人の男性(非報道系)が、

「ヘロキャスティングをもう少し近くで見られないのか」

とリクエストをしているのをわたしは耳にしました。
確かに、この「えのしま」から見ることのできるものは限られています。

「しかし、あれ以上近くに寄ることは・・・できないんですよ」

司令は渋りましたが、軽い押し問答の末、

「わかりました。なんとかするように言ってみます」

と結構な決心を思わせる口調でそう請けあいました。
わたしは、本来報道に見せるのが目的ではない訓練に
参加させてもらっただけで十分とするべきと思っていましたので、
この注文にはいささか驚きを禁じ得ませんでした。

わたし自身もそうじゃないかと言われれば返す言葉もありませんが、
報道のためのツァーに紛れ込んでいるからには、ただの一般人ではなく、
おそらく自衛隊的には無下に扱えないような紹介者がいるはずです。
この初老の男性は、例年そういった伝手でこの訓練に毎年参加しているようでした。

しかもこの男性、自分の帰る時間が何時だから何時に帰港してほしい、
などと艦の行動まで指図しておられたくらいなので、きっと、
よっぽど偉い人の紹介で参加していたのに違いありません(棒)



艦橋に上がったとき、ちょうど「うらが」にヘリが着艦し、
中から水中処分員が降りて歩いているシーンに遭遇しました。

全員がウェットスーツを着たままで荷物を持っています。
バディ二人ずつの3組のグループであろうかと思われました。



甲板の水中処分員の皆さんをアップ。
もし「うらが」との接舷が滞りなく行われていたら、わたしたちは
「うらが」の応接室でカレーを食べ(多分ですけど)終わり、
この着艦をどこからになるかはわかりませんが艦から見学していたはずです。



完全に彼らが甲板から姿を消すと、今度は代わりののEODが。



腰のベルトは赤、背中に「海上自衛隊」の文字が読み取れます。



彼らが乗り込むと、ヘリの降着装置を外すために8名の隊員がお仕事。



外し終わって退避。
この間ローターは回りっぱなしなのですが、
ローター稼働中のヘリコプターの真下を歩く隊員は、例外なく
首をすくめるようになってしまうらしいのに気がつきました。

まっすぐしゃんと頭を掲げて歩いたって全く支障はないのに、
人間ってどうしてもそうなってしまうんですね。
わたしはヘリコプターに乗ったことはありませんが、もし
そんなことになればきっと首を竦めてしまうんだろうと思います。



そして発艦。
この写真ですが、シャッタースピードを80分の1で撮ってみました。
250分の1がヘリを撮るときの「ぎりぎり安全ライン」と言われていますが、
このときには「(こちらの)船が止まる瞬間」だったのか(笑)このスピードで
奇跡的にブレないで撮ることができました。ハラショー。




発艦したヘリはまたしても後ろにじわじわと下がっていき、
ヘリの起こすダウンウォッシュが海面に白い霧を作ります。



EODを乗せ、また再び訓練海域に向かうMHー53E。
あれ?気のせいかなんだかさっきより写真が撮りやすいぞ。

ここでわたしは、「えのしま」が、たかが一参加者のリクエストに答えて、
先ほどの訓練見学のときより、かなり近くに艇を寄せていることに気づいたのです。

無茶しやがって(AA自粛)

というか、素人考えにすぎませんが、人が生身で海に潜るというこの訓練には、
ただでさえ頭上にヘリがホバリングしてそれだけでも十分危険なのだから、
危険因子は少ないに越したことはないのです。

理論的に近くに艇を寄せることくらい、いくらでもできるに違いありません。
ただ、何かあったらそのときどうするの、ってことですよね。

だから、司令だってたかが見学者のいうことなんか無視していいのよ、
とわたしがもし司令より偉ければ言ってあげたいくらいでしたが、
「うらが」に接舷できなかったことを済まなく思ったためか、
「えのしま」はおそらくいつもの規定線よりも内側に入ってくれたのです。

その気遣いに、その配慮に少しは感謝しろよ?

とわたしは誰にともなく心の中で語気を荒げるのでした(修辞的表現)



訓練海域がどれだけ近いかというと、はい、これくらいです。



そして海面へと近づいていきます。
EODがラペリングしている間にホバリングし続けるのも、
ヘリパイロットにすれば決して簡単なことではないに違いありません。
特にここは風を遮るものが全くない洋上、しかも風の吹き荒れる冬の日向灘です。



ホバリング中のヘリから降下用のロープが降りてきました。

そういえば急に思い出したんですが、昔金魚を飼っていた時ちょうどこんな(略)



ロープは伸びて海面にちょうど達します。
ヘリのパイロットはロープが達したかどうか見えていないはずですが、
どうやってこれを知るのでしょうか。

先ほどと全く同じような位置に、「何かあった時のために」
待機しているEODをのせたディンギーの影が見えています。



ヘリはさらに高度を落とし、海面に近づきます。



EODが降下。
気のせいか、この隊員の降下する高度は極端に低いように思えます。

降下の救助では降下する者よりも、実はヘリのパイロットの方が大変だと思います。



二人の水中処分員が相次いで降下し、その後引き上げです。

ところでこの引き上げのためのホイストはヘリの天井から下がっているのでしょうか。
そう思って内部画像を検索してみたのですが、
それらしいのがこの模型製作者のHPしかありませんでした(笑)

シコルスキー MH-53E 掃海ヘリコプター



 
引き上げられる瞬間。
もしかしたら手を伸ばしている?



さすがは30-700m望遠レンズ、 スポンソンの鋲とか、
機体に書かれている文字まで読めてしまうという・・・。

ちなみにこのレンズですが、入間の航空祭の時にレンズ交換していて
見事にエプロンに膝から落とした結果、胴を動かすと異音がするようになりました。
この時には修理に出していると間に合わなかったのでそのまま使用しています。

帰って、潮風に当たり続けたレンズとカメラ本体を掃除に出すついでに
ちゃんと修理してもらったら、なんと部品交換されて帰って来ました。
外側の筒を取り替えたため、見た目がまっさらになったのは嬉しいですが、
レンズ価格の4分の1の修理代がかかってしまい、カード会社に泣きついて
なんとか傷害保険を申請するところまでこぎつけたところです。

って全く関係なかったですね。 



この降下と引き上げが終わった途端、さっさと「えのしま」は移動を始めました。
まるで「踵を返す」といった感じで訓練海面を離れ、接舷しようとしていたのとは逆の、
「うらがのうらがわ」(誰うま)を見ながらすごいスピードで帰路につきます。

よっぽど帰港を急ぐと見えます。

もしかしたら、訓練中抜け出してまた帰ってくるつもり?




ふと後ろを振り返ると、訓練海面では二組目のEODが吊りあげられていました。
これが、この日わたしの見た、最後の訓練中の光景となりました。


続く。