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ハリアーとシュペル・エタンダールのフォークランド紛争~イントレピッド博物館

2015-09-07 | 航空機



イントレピッド航空宇宙博物館について順番にお話ししていますが、

今日は2機の飛行機についてです。


British Aerospace/McDonnell-Douglas AV-8C Harrier 1969

これは珍しや、迷彩塗装のハリアーです。
垂直、バーティカルに上がることができるという艦載機にとっては願ってもない
便利な機構を持ったこのイギリス製の航空機、インピッドによると

「ジャンプジェット」

とその機能を一言で説明しています。

最初のハリアーは1967年の12月には初飛行を行なっており、それから15年後には
ブリティッシュロイヤルネイビーが、フォークランド紛争にも投入しています。


海兵隊は1991年の「砂漠の嵐作戦」(湾岸戦争において、アメリカ始めとする
多国籍軍の航空機とミサイルによるイラク領南部とクウェートへの空爆作戦)
において、アメリカ軍としては初めて、ハリアーを実戦投入しました。

ここにあるハリアーはアメリカ海兵隊が注文したオリジナルで、
マクドネルダグラス社によってよりパワフルなエンジンに換装し、
アップデートされて「リ・デザイン」されたAV-8Cモデル。

国立海兵隊博物館(っていうのがあるんですね)から貸与されています。


ハリアーはそのユニークな能力ゆえ、数々の「blockbuster」に登場しています。
007、ジェームスボンドの「リヴィング・デイライツ」(1987)では
西から東に要人を脱出(?)させるため使われ、またシュワルツネッガー主演の
「トゥルー・ライズ」(1994)では、戦闘機の着陸シーンのために、
海兵隊から借りたハリアーIIを使って撮影が行われています。


ちなみに「blockbuster」という言葉ですが、これそのものは大型高性能爆弾のことで、
転じて映画で大ヒットした作品のことをいいます。
昔はアメリカには街のあちこちに「blockbusters」というレンタルビデオ屋があり、
わたしも会員だったものですが、今アメリカは本屋ですらなくなってますからね。
って関係なかったですか。
 
ところでこのハリアーは、砂漠の盾作戦の際、わずか31歳で殉職した

Captain Manuel Rivera Jr.

をでディケートしているという説明がありました。

 

名前からもわかるようにプエルト・リコ系アメリカ人であるリベラ大尉は、
移民の両親の元、ニューヨークのサウスブロンクスで生を受けました。
学業優秀で、大尉に昇進したときにもNASAの宇宙飛行士として候補に挙がるほどでしたが、
彼はそれを断り、砂漠の盾作戦に参加する部隊に行くことを選んでいます。


1991年、ペルシャ湾オマーンでの訓練飛行において、リベラ大尉は、
乗っていたハリアーが強襲揚陸艦「ナッソー」にクラッシュして死亡しました。

キャノピーの結露のせいで、水平線を見失ったのが原因ではなかったかと言われています。

ハリアーの初期型は特に操作が難しかったということですが、
リベラ大尉の事故原因なども、これに続くハリアーIIの安全対策に生かされ、
同じ事故を起こさないための教訓が生まれたに違いありません。


死後、リベラ大尉はパープルハート勲章を始め数々のメダルを叙勲され、
出身のサウスブロンクスの学校にはその名前が冠されています。





外国機つながりでこれ。
みなさん、この飛行機ご存知でした?
わたしも結構いろいろとアメリカの航空博物館を見てきましたが、
フランスの戦闘機をアメリカで見たのは初めてのことです。

Dassault Étendard IVM 1962

ダッソーのエタンダール。
エタンダールとはフランス語で「軍旗」を意味します。

フランス海軍が艦載のための軽戦闘機を要求し、98台が生産されて
1962年から2000年まで運用されていました。
フランス海軍にとってこれが最初の国産艦載機となりました。



レバノン内戦(1983~4年)では地対空ミサイルに被弾して被害を受け、
ユーゴスラビア紛争(1993年)、コソボ紛争(1999年)にも投入されています。

このシェイプから容易に想像されるのですが、エタンダールは低空での高速飛行が得意でした。
1978年以降には「シュペル(スーパー)エタンダール」が開発され、
イラクーイラン戦争、(1980-88年)、
そしてフォークランド紛争(1982年)にも参加しました。



マリーンと書いてあるので海兵隊かと思ったら、これはなんのことはない、
フランス語で「海軍」、つまりフランス海軍のサインなんですね。

このエタンダールは当博物館が、フランス退役軍人会を通じて
フランス政府から直接貸与されているものだそうです。



ところで、ハリアーとエタンダールが並べて展示してあるのには、
キーワード「フォークランド紛争」つながりではないかとわたしは思いました。


どちらの機体もフォークランド紛争に投入されており、

もしかしたらここに展示されている二機は、一緒に飛んだことがあったかもしれませんし、
さらにはNATO(North Atlantid Treaty Organization)か、あるいは
同盟国の関与した任務において、同じ任務を果たしていた可能性もあります。

しかしそれだけではなく、この両機の派生形が、フォークランド戦争において、
実質互いに敵味方になっていたと聞いたら、皆さんは少し驚かれるでしょうか。




ここでフォークランド紛争について簡単に説明しておきましょう。

アルゼンチンは、自国で「マルビナス諸島」と呼ぶフォークランドの島を巡り、
長年イギリスと領有権を主張し合っていました。

この均衡が破れたのは、1982年にアルゼンチンが国境の南端を超えて
サウス・ジョージア島に軍隊を侵攻させ、民間人を上陸させた時です。
(アルゼンチン政府の内政の不満そらしのためだったという説濃厚)

アルゼンチンはすぐさま実効支配に入ったのですが、イギリスはこれに対し、
自国の領土を守るため軍事力を発動することを選択し、戦争が始まりました。

イギリス海軍のハリアー部隊は、派兵が決まったとき、まずフランス軍に支援を依頼しました。
敵であるアルゼンチン軍はフランス製のシュペル・エタンダールを運用していたので、
製造元でありその長所短所を知り尽くしているフランス空軍に、
エタンダール必勝法のためのトレーニングをしてもらったのです。



ルゼンチン軍のシュペル・エタンダールは、その当時アルゼンチンが
フランスのダッソー社から購入したばかりで、ついでにこれもフランス製の
エグゾセ(Exocet)ミサイルAM39(MBDA社)を5発搭載していました。

このシュペル・エタンダール2機が放ったエグゾセ・ミサイルのうち1発が

イギリス海軍の駆逐艦「シェフィールド」HMS Sheffield,D80に当たり、
「シェフィールド」はその後沈没しています。


そして一連の戦闘において、イギリス軍のハリアー(シーハリアー)は
爆撃中に対空砲火によって、ハリアーとしては初めての戦没となり、
さらにはその翌日、悪天候の中、シーハリアー同士がおそらく空中衝突で
一気に2機が失われることとなりました。

フォークランド紛争は、第二次世界大戦後に起こった初めての西側諸国同士の
戦闘であったため、このハリアーとエタンダールのようなことがいくつかこりました。

アルゼンチンは当のイギリスから兵器を一部輸入していましたし、
エタンダールの例のように、両軍ともアメリカ、フランス、ベルギー
などの兵器体系を
多数使用しており、同一の兵器を使用した軍同士の戦闘になったからです。

つまりそれだけ相手の兵器について知悉しながら戦っていたため、
少なくともハード面において、両軍は「同じ条件」で戦ったことになります。
しかし、ご存知のように、結果はイギリス側の圧勝でした。


なぜだったと思われますか?

はい、これはいわば集団的自衛権の勝利”だったんですね。
英陸軍特殊部隊の経験が豊富だったことや、長距離爆撃機の運用が成功したことが、
イギリスの勝利に大きく寄与したというのはもちろんですが、
なんといっても、最大の勝因は、

同盟国アメリカやEC及びNATO諸国の支援を受け、情報戦
を有利に進めたから

だったのです。
衝突が起きた時、南米諸国は、相互に領土問題を持つチリを除き、
一応口ではアルゼンチン支持を表明しましたが、
実際に軍隊を派遣した国は一つもありませんでした。

「メスティソ」、つまり”白人の国”として自らを「南米のヨーロッパ」と称し、
内心、他の南米諸国を蔑視する傾向のあったアルゼンチンは、
こんなところで
人望のなさ(つまり嫌われてた?)が露呈してしまったということだったのかもしれません。


しかし、比較的親アルゼンチンであるペルーからは、この戦争を
「帝国主義との戦い」と位置付けた
義勇軍も参加しましたし、ペルー政府からも、

ミラージュIII(フランス製ですね)

が10機、有償にて調達されました。(結局間に合いませんでしたが)
アルゼンチンは、こういう事態になって、自分が南米諸国の一員であることを
改めて自覚せざるを得なかったのではないかとも言われています。


何かと「日本が孤立する!」と叫ぶみなさんは、本当の孤立というのは
フォークランド戦争におけるアルゼンチンのことをいうのだと認識していただきたい。

たとえ中国と韓国と北朝鮮から孤立しても、中国と韓国と北朝鮮との間にしか
領土と拉致の問題を持たない我が国としては、何の問題もないということもねっ!




さて、戦争は終了し、イギリスとアルゼンチンには国交が再開しましたが、
じつはフォークランド諸島における領有権問題はいまだに


未解決のままなのです。

驚きましたか?今わたしも驚きました(笑)
つまり、アルゼンチンは今もフォークランド諸島の領有権を主張しているんですねー。

映画「マーガレット・サッチャー~鉄の女の涙」(だったっけ)で、
サッチャー首相が、戦死した一人一人の家族に宛てて、自筆で
お悔やみの言葉を書き綴るシーンがありましたが、英国首相として

「イギリスは決して決して決して奴隷にはなるまじ」

という「ルール・ブリタニア」の歌詞通り、自国の領土を侵されたときには
いかなる状況であろうとこれを取り返す、という国是のもとに派兵を決意し、
大勢の若者たち(戦死者256名)の命を実際に犠牲にもしたというのに、
結局領土を完全に取り戻すことはできなかった、ということになるのです。

これは虚しい。虚しすぎる。
今現在の英国民のフォークランド派兵に対する評価を知りたいものです。



さて、ハリアーとエタンダールの話題ですので、最後にフォークランド戦争が

各国の兵器に与えた影響についてひとことだけ付け加えておきましょう。

この戦争の後、実戦を経験していなかったほとんどの兵器が
実際に使用されることによって、
評価すべきは評価され、欠点の見つかったものは
欠点を改善すべく軌道修正されることになり、
結果的に、世界の軍事技術は飛躍的発展を遂げることになったと言われています。


実際の戦争が、人類の科学技術そのものを発展させる原動力であるという説は、

フォークランド紛争においても、正しいと証明されることになったのでした。



続く。