ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

初めての山形 歯医者と足湯とイタリアン

2015-09-09 | お出かけ

週末、山形に2泊3日で行ってきました。
わたしは関西生まれのせいで東北には数えるほどしか行ったことはなく、
山形と福島には一度も足を踏み入れたことすらなかったのですが、
この度ひょんな用事ができたからです。

それは、歯医者。

歯科衛生は、実は体の健康そのものを左右する重大時であると知ってから、
我が家では歯のケアには最大限の注意を払ってきました。
保険適応はしない代わりに、1日ですべての治療を終わらせてくれる歯医者を見つけ、
ずっとお世話になってきたのですが、その先生が心臓病で倒れ、復活してきた後に
自分の体がうまく動かないことへの苛立ちか、スタッフを怒鳴ったり、
あるいは治療にミスをするなどということが相次いだため、
そろそろ医院を替え時かなと家族で話していた矢先、見つかった先生は、

「悪くなってからくるのではなく、悪くしないための治療」

をすることで全国的にも有名になった山形の歯科医院でした。

TOが見つけてきてわたしも共感したこの先生のポリシーについては
もしご興味があればこちらを見ていただくことにして、

予防歯科 日吉診療所

とりあえず最初の診察のために、わたしは一人で東北新幹線に乗りました。

 

東京駅から東北新幹線「とき」で終点新潟まで。
実はわたしはこの路線に乗ったのも生まれて初めてです。
越後湯沢ってここだったんだーと思いながら日本列島を横断し、
新潟からは「いなほ」に乗り換えます。
「いなほ」はご覧の通り、大変ゆったりしたシート。



しばらく走っていたら日本海が見えてきてびっくり。
山形に行くのに、まず日本海まで突っ切るとは知りませんでした。
やはり太平洋とは海の色が違う気がします。



山形県の酒田駅に到着。
台湾の台南駅に佇まいがそっくりです。
というか、向こうがこちらにそっくりに作ったんですね。




酒田駅前には駅モールはもちろんスターバックスなどありません。



タクシーの運転手さんは「日吉歯科」と言っただけで連れて行ってくれます。
それだけこの歯科医院のために酒田まではるばる遠くからやってくる人が多いのです。



まず診察に入る前に、20分くらいのビデオを見せられます。
おもに虫歯と歯周病になる原因について、そして口中にどれくらい菌がいるか、
調べることから治療は始まるということを説明します。

ミュータンス菌は知っていましたが、このラクトバチラス菌は知りませんでした。



第一回目は治療らしきことはしてもらえません。

「歯が痛いのに何もしてくれなかった」

と昔は怒る患者さんもいたそうです。
この日にするのは、レントゲンを撮り、詳細な歯の写真を撮り、
(専門のカメラはニコン製で、黄色いNikonロゴ入りのカメラケース入り)
検査のために唾液を採取します。



唾液が多ければそれだけで虫歯になりにくいそうで、小さなビーカーに
パラフィンの味のないガムを噛んでは唾液を吐きだしては溜めてゆき、
その量、pH、そして菌の有無を測るためにそれをしてこの日は終わりです。

それだけのために、というか、そもそも山形まで歯医者のために通うというのは
大変なことですが、来年には汐留に診療所分院ができる予定であることで
この医院にお世話になることを決めました。

先生がレントゲンと写真を見て初診をしてくれたのですが、ショックだったのは
虫歯の治療のために神経を抜いてしまい、セラミックの歯を被せるというやり方は、
うまくいっていればいいけれど、わたしのはレントゲンを見る限り形が合っていず、
そこから新たな虫歯になる可能性がある上、神経を抜いてしまっているので
もしそうなったら痛みもないまま進行してしまうかもしれないという言葉でした。

今のところわたしには一本も欠損した歯はないのですが、
このままでは将来どうだろうかといったところです。

かぶせたブリッジのやり直しを含めて見てもらうことになり、次の予約を取って、
近くのビジネスホテルに泊まりました。



ホテルの窓から見た周りの景色。
いやー、本当に何にもないっす。
街並みも、わたしが子供の頃の神戸の住宅地そのままの懐かしさを感じさせます。



次の日、前日深夜に到着した家族と合流しました。
息子の診察予約時間まで、郷土出身の写真家、土門拳の美術館を見学です。



まるで水の上に浮いているかのような美術館の建物はおそらく安藤忠雄。



本当に田舎、という酒田ですが、それだけにこんな素晴らしい景色が広がっています。



土門拳の作品、ことに戦前の海兵団や従軍看護婦、出征兵士たち、そして広島の原爆被害者、
そんな写真を見ていると、戦前の日本人の方が人間が上等だったというか、
一人一人が貧しいけれど美しい佇まいをしていた気がしてなりません。

昔の人にはあって、今の日本人が失ってしまったものって、それではなんなのだろう・・。
そんなことを、帰ってきた時東京駅の雑踏でも思わずにはいられませんでした。



土門拳の作品の中でも「子供」は重要なモチーフです。
炭鉱街で遊ぶ子供達、着物を着て傘を回す子供達。
子供の持っている目の輝き、これだけは現代も同じであると思いたい。

お母さんと池の鯉のためにわざわざパンの耳をやりにきた姉弟。




彼らがやってきただけで全鯉が集まってきました。
ここに落ちたらピラニアのように食われるのではないかというくらいの勢い。



ここの鯉に餌をやるのは、近隣の子供達の楽しみの一つのようで、
いくつかのグループが現れては餌を与えていました。




お昼ご飯は、地元銀行の方に酒田で一番美味しいフレンチをご紹介していただきました。
サザエのつぼ焼きがある!とおもったら、これはエスカルゴ風に、
バターとブイヨンで味付けしてあり意外なおいしさでした。



メインはマトウダイを選びました。
さすがにグルメな方の推薦だけあって、なかなかのお味でした。



息子の診察が終わり、わたしたちは本日のお宿に向かいます。
これから何度となく来ることになる山形ですが、この日は初めてのため、
家族旅行をついでにすることにしたのです。

まず、酒田からあつみ温泉(温海とかくらしい)に移動。
このときに乗ったのがこのとおり超カラフルな列車。



カフェ付きの列車で、カフェ車両にはこんなコーナーがありました。
「きらきらうえつ」というのが、驚くなかれこの列車の名前です。
 テーブルでお茶のセット500円など頼み、田園の景色を見ながら行くこと40分。 



THE日本の温泉街、という感じの、どこかで見た景色。
お宿もどこかで見たことのあるような大きな温泉ホテルです。



街中には無料の足湯と、



このような足湯カフェがあります。



足湯カフェで足を温めながら(というか、ずっと浸けていられないくらい熱い)
お茶を飲んでいると日が暮れてきました。

 

どうせ巨大温泉旅館の料理なんてどれも同じなので、 今回は夕食は頼んでいません。
足湯カフェでロコモコプレートやお子様ランチならぬ「大人様ランチ」
といったノリのもので済ませました。



温泉街の夜は風情のあるものです。



こちらは街の無料足湯。
足湯というものができたのは割と近年のことだと思いますが、
このちょっとした楽しみがあるとないのでは、若い人の集客が
全く違ってきそうです。

カフェの物販コーナーでこんな素材のバッグや小物を売っていました。



これらは「しな布」といい、シナの木の樹皮を使って作った日本最古の布でできていて、
手織りしかできないため大変高価です。
写真のバッグはどれも3万円!

わたしはバッグではなくシナ布で作った小さな花のブローチを記念に買ってもらいました。




ホテルの売店で見つけた「つや姫」のパッケージ、これは!

今大変巷を騒がせているデザイナー、佐野研二郎さんのデザインではありませぬか。
このデザインの良し悪しはさておいて、これは代理店に依頼したら
佐野氏が代理店経由で「勝手に」デザインしたもの、ということらしいですね。



さて、次の日、あつみ温泉から2両のローカル線に乗ります。
この写真を撮っていたら大きな汽笛を鳴らされました。
こういう路線の運転手さんは、さぞ日頃「鉄オタ」の行動に悩まされていると思われ。



目的は鶴岡。
徳川四天王の筆頭、酒井忠次の酒井家が約250年にわたり統治した城下町です。



駅前に米を担いだ男性とその家族、的なモニュメントがありました。
それが、このほとんど人通りのないロータリーで、(左のモールらしき建物は使われておらず無人)
大音響の民謡みたいなのを鳴らしながら回転しています。

「あの・・・うるさいんですがこの音は」

しばらく我慢していましたが、あまりの耳障りさに呟いたとたん音楽は止みました。

「あ、止んだ」

「時報かな」 

周りに住んでる人から文句が出ないのかと心配するレベルでしたが、後から調べると
どうも電車が来るたびに鳴っているとのこと。



駅前から目的地までタクシーで向かいます。
ブティック「ジョン・デリンジャー」、閉店セール。
稀代の強盗、パブリックエネミーNo. 1を店の名前にしてしまいますか。
まあ、パスタ屋に大泥棒の名前をつけてる例もありますが。



わたしたちの目的地はここ。
山形のみならず美味しいことで有名という話のイタリアン、アル・ケッチァーノ
・・・・のデフュージョンライン、イル・ケッチァーノ



こちらが第一号の「アル」の方ですが、予約多過ぎで、
並んで待つ「イル」に挑戦することになったのです。

ちなみに、ここの物販は「ウル・ケッチァーノ」といいます。 
・・・・物販だから。 



山形の新鮮で美味しい食材を使ってのイタリアン、という触れ込みの割には、
周りの環境はこんな感じ。
産廃工場が目の前にあるのに地元のNo. 1イタリアン店とは、よほど実力があるのでしょう。
立地条件には全く頼らず味だけで勝負!ということですね。



幸い全く待たずに席に着くことができました。
ここの売りは「野菜がとにかく新鮮で美味しい」こと。




家族で1つ注文したピザ。



アンチョビとキャベツのパスタ。



辛めのペンネ・アラビアータ。
どれも大変美味でしたが、わたしの住んでいる地域はイタリアンの激戦区で、
これは美味しい、というピザを食べさせるお店がたちどころに数カ所挙げられるほど。
ここがそれらのどこよりも勝ると言う風には思えませんでした。



一番感心したのがジェラート。
山形ならではの「ずんだ」を使ったジェラートは絶品でした。



鶴岡は城下町ならではの遺跡を多くのこす趣のある街です。
そんな史跡が移築され一堂に集められた致道博物館に行きました。
庄内藩主酒井家の御用屋敷だったものを博物館として公開したものです。
重要文化財の西田川郡役所。中は博物館になっています。




指定重要文化財の「田麦俣の多層民家」。
豪雪地帯特有の「かぶと造り」と言われる建築様式で、
1822年に建てられたものであることがわかっています。



中の写真は暗かったのでほとんどが失敗でした。
「長話無用」とあるのは電話台でしょうか。
昔は公衆電話も10円で何時間でも話せた時代があったそうですね。



家の主人夫婦が寝ていた部屋、と言うことですが、冬は寒そうです。



ここには酒井氏入国前の最上家時代から高級武士の屋敷がありました。
旧藩主御隠殿北面には庭園があります。
庭園脇に立っていた松の木がどう見ても何かの顔。




致道博物館には和風お食事処があり、なんと偶然にも

「庄内藩 しるけっちぁーの」

であることが判明。
アルケッチァーノの一味?で、ラーメンなどの汁物を出すので「汁」けっちぁーの。
お茶をいただいてついでに名物らしいロールケーキを三人で一つ頼んでみました。
まるで厚焼き卵のようなスポンジケーキは味にコクがあって滋味深かったです。



というわけで二泊三日の旅、帰りはMAXとき(二階建て)に乗って帰ってきました。
これから歯医者のために何度か通うことになる山形にご挨拶といったところです。