ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

装備展示を見にいく〜平成30年度 自衛隊記念日 観閲式総合予行

2018-10-10 | 自衛隊

平成30年度観閲式の予行が行われる朝霞訓練場に、開始の3時間前に入場しました。

ところで入場を待つ間、門の外に並んでいると、整理係の自衛官がやってきて、

「もう少し詰めてお座りください」

などと指導していくのですが、その時点ではまだ朝も早く、
ただでさえぼーっとしている頭がさらにぼーっとしていたので、
彼らの制服を見て、

「空自の自衛官が応援で来ているんだな」

と思ったわたしをどうぞ笑ってやってください。

だってまだ一向にこのニューユニフォームに目が慣れてないんだもん!

会場で大量の陸自隊員を見るうち、徐々に納得しましたが、
それでもはっきり言って遠くから見ると空自と見分けつかないんだよ。

陸自の制服には文句ばっかり言ってるようですが(じゃなくて実際言ってますが)
お断りしておくと、この制服そのものは大変評価しているのです。
色も今回間近で見ると、文字通りの紫紺で、
華やかな色合いが大変センスを感じましたし。

ただなあ・・・・アメリカ軍のアーミーブルーのように、
上下色を変えるとか、陸軍らしい赤をあしらうとか、
もう少しやりようがあったんじゃないかと思うわけです。

この写真の手前に立ってる自衛官なんか、遠目に昔の警察官ですよ。

なんかギリギリのところで壁を越すことができない、
日本人の洋服のセンスの限界を見るような気がします。

年配の人が着ると妙に地味になってしまうし(まだ言ってる)

さて、式場に訓示台が運び込まれました。

ちょうどその頃、スタンド後方を歩く米陸軍の皆さん発見。
はて、今回は米軍の行進参加はなかったと思うけど・・。

さらに遠方では、体操を行うこざっぱりとした一団あり。
気持ち全員スマートで脚が長いところをみると第302警務中隊かな?

と思ったらその通りでした。

こちらは喇叭隊の皆さんが到着したところ。
車の移動にも楽器を持ったまま乗るんですね。

いかなる時にも喇叭を離さないのは木口上等兵以来の伝統です。

スタンド後方には各地から人員や資材を運んで来た車、
通信関係の車両などがぎっしりと停められています。

観閲式が終わった途端、ここは来年の東京オリンピックに向けて
関連資材が運び込まれることになります。

 

さて、開始時間まで3時間もあるので、交代で装備展示を見ることにしました。

装備展示の会場に行くには、スタンドの後ろをずっと歩いて、
会場になっている部分を横切って反対側まで行く必要があります。

道が狭いのでこれからやってくる人たちと一列縦隊ですれ違うのですが、
この時に遭遇したのが新潟地本コシヒカリの精まもる君でした。

カメラを構えると敬礼をしてくれたまもる君の額に不審な影があるのに気づき、
アップにしてみますと・・。

なるほど、ここから中の人が外を見ているわけか。

昔某地本の本部長だった方から聞いた話によると、地本キャラには基本的に

「頭だけキャラ」

「全身着ぐるみキャラ」

があって、例えばトウチくんは着ぐるみキャラ、まもる君たちは頭キャラ。

どちらも所有している地本は、大掛かりな広報やテレビ取材など、
ここ一番!
の時、着ぐるみキャラを投入し任務遂行に当たるそうです。

着ぐるみは運ぶのにマイクロバスが必要(普通の車に乗らない?)なので、
どちらのキャラもいる場合、普段は頭キャラを機動運用する作戦を取っている、
という内部情報でした。

例えば千葉地本は頭キャラだけなので、運用に際して非常にフットワークが軽い、
と言うこともできます。でって言う。

 



向かいの展示場に行くには、観閲行進を行う戦車や装備の間を通ります。
近づけないように自衛官がこの手前にも見えている黄色いロープを
ずっと持ったまま立っている前を歩いて行くと、この光景。

10式と90式戦車が一山10円状態で並んでいる状態は見ものです。

89式装甲戦闘車、FVも縦列駐車で。

装輪車は車どめが要りますが、履帯車は勝手に動き出したりしないのね。

96式装輪装甲車

最近、ようやく陸自の装備をネットと首っぴきしなくても
だいたい間違えずに言えるようになりました。

そんな自分を褒めてやりたい。

日頃は滑走路である会場を横断したところにはゲートがありますが、
ここにも警備犬班発見!

ハンドラーの後ろ姿が似ているのでさっきの二人かな?と思ったのですが、
ジャーマンシェパードの色が違いました。

でも、この警備犬もハンドラーにもたれかかるようにして
お座りしているのは同じ(≧∀≦)

うーん、かわええのお・・・。

しょっちゅう犬の頭や首筋を撫でてやるのも同じ。

あ、写真撮ってるのに気づかれちゃった。

 

ところで、ブログに自衛官の写真を掲載するにあたって、
基本任務中、特に行進の写真ではマスクなしを基準としておりますが、
もし当ブログ掲載の写真に写っており、さらに

「顔出しは困る」

という方、コメント欄でご連絡くだされば迅速に処理します。

以上業務連絡でした。

あっ、かけるくんが移動してきている。
それにしてもこのかけるくん、あまりにもナチュラルな存在感なので
中に人が入ってる気が全然しません。(感想には個人差があります)

始まる前なので装備展示場はガラガラです。
本番に行かれる方も、早く着いたら先に展示を見ることをお勧めします。

展示順に行くと一番はじめに出てくるのは74式。

「総火演にも今年は遂に出ませんでしたね」

「徐々に引退していっています」

「それでは今日の車両行進も・・」

「やりません」

まあ、最後の姿を見せてくれているということなのでしょう。
わたしは確認しませんでしたが、この車両は1993年に改造された

74G

といい、車体の後方銘板には

「74式戦車(改修)」その下に「形式 74(改)」

と表記されているのだそうです。

この時の改装は非常に良好で、性能も大きく向上したのですが、やはりここでも

ご予算の関係

というまほうの言葉がその生産を阻み、結局量産は4台に留まり、
その4台が主に総火演に投入されていたという話を聞きました。

こちら最新鋭の、といっても装備化されてもう8年、10戦車。
前々回の展示では人が周りにたかっていたものですが。

90式戦車の正面顔。

註(最初10戦車とか書いていたんですが、コメントでうろうろする人にご指摘を受け
訂正させていただきます。まだまだ自分を褒めてる場合じゃなかったっす)

水陸機動団に全面フォーカスしていることを考えると、もしかしたら
今後新型戦車の導入はしばらくないかもしれません。

ただ、

「作るでしょ。戦車って男のロマンみたいなものだから」
(by男)

ロマンかー。ロマンね。
だから今後もほとぼりが冷めた頃にまた「男のロマン発動」する?
(あーロマンがゲシュタルト崩壊した)

まあ、それを許す程度に日本が平和であってほしいと祈るばかりです。

ちゃんとワイパーがついている96式装輪装甲車の窓。

朝の空いている時間でも人が集まっていたのがまずここでした。

AAV7水陸両用車

アサルト・アンフィビアス・ヴィークル7と名前もそのまんまです。
ところでWikipediaのAAV7の写真は、今回の観閲式のものです。
4日にも予行はあったそうですが、早々に写真を差し替えた人がいますね。

渡米直前に見学に行ったイギリス海軍「アルビオン」で搭載されていた
水陸両用車BvS10を見ましたが、小さい車両を数珠繋ぎにして、
この「大きな船型」とはずいぶん思想が違うものだなと感じました。

ちなみに日本ではこれは船舶ではなく、船舶法の対象外ということになったようです。
これを操縦するのに小型船舶の操縦免許を取る必要はないってことですね。

チュータこと中距離多目的誘導弾は、知る人ぞ知る優秀な装備なんだそうです。
この装備には「何年式」という制度採用年が冠されていません。

Wikiには

「制式化ではなく部隊使用承認の形で採用されているため、
○○式という名称は付けられていない」

とありますが、これには深慮が働いていて、制式年度を付すと
改装するときなどにいちいち手続きがややこしいから?
つまりバンバン魔改造していくつもり満点のネーミングなんだとか。

陸自内でも実はチュータ、

「あれはチート」

と言われているという話も小耳に挟みましたが、
何がどうチートなのかまでは詳しくは聞けませんでした。

撃つだけ撃ったらさっさと逃げられるからかな。

今年は前回のように「塹壕まつり」は開催されてませんでしたが、
(きっと前回片付けが大変で懲りたんだと思う)
さすが皆様の自衛隊、見学者に泥を踏ませまいとマットまで敷いてます。

総火演ではクルクル回るちょんまげアンテナでおなじみ、

87式自走高射機関砲

砲塔の両側の機関砲は2基シンクロに動きます。

 

ここには制服の試着体験コーナーもあり、朝も早くから
新制服のお子様バージョンの初試着(多分そうですよね)を
しに来ている熱心な親子の姿がありました、

咆哮する10式戦車をバックに写真を撮ってもらえますが、
子供が着るとさらに国際線パイロット感が漂う陸自の新制服・・・。

(え?しつこい?もう決まったのにいちいち文句言うな?)

早速敬礼でポーズを取るわきまえたお子さんですが、
すかさず本職から、

「敬礼は右手でね!」

とポーズ指導が入ります。

お子様のごっこ撮影にも正確さを追求し、間違いを決してスルーしない。
この自衛官の熱心さを

(゜゜ゝゝ(。・ω・)ゞ( ̄^ ̄ゞ(`・ω・´)ゞ(゜◇゜)ゞ

こんな顔文字を使って憚らない人たちにぜひ見習ってほしいものです。

素直に敬礼をやり直すお子様。

ところで、迷彩服の試着するコーナーを予定していたところ、

「市民に不安を与える」

と共産党が騒いでイベントそのものを中止させた件がありましたが、
ここ朝霞では、そんな基地の人(あ、駐屯地か)を想定した
余計な忖度など図らず、今まで通り迷彩服を試着させていたことを願います。

 

 

続く。

 

 

 


入場 地本キャラと歩哨犬〜平成30年度 自衛隊記念日 観閲式総合予行

2018-10-09 | 自衛隊

本来ならば自衛隊記念日に伴い海自の観艦式が行われるはずでしたが、
今年はオリンピック開催の都合により、陸自の観閲式になりました。

その総合予行に行ってまいりましたのでご報告します。

どんなイベントにも全力入魂を旨とするわたしは、
当日朝も暗いうちから朝霞訓練場の第1ゲートにイス持参で並びました。

携帯で「ザ・ラストシップ」の第4シーズンを観ながら待っていると
あっという間に開門の7時となったので、最初の一団で手荷物検査を受け入場。

ちなみに観閲式には総理大臣が来臨するということで手荷物検査は
他のイベントに比べて慎重です。

手荷物検査と別にもちろん金属ゲートも潜りますし、驚いたことに
検査済みの荷物には赤いプラスチックの紐を付けられて

「会場を出るまで絶対に外さないでください」

と念を押されました。

どうですか、この誰もいないこと(笑)
わたしの同行者(イベント友達)はすでに一足先に小走りで
席を取るために行ってしまっています。

遠くから、ヘルメットをかぶった牛がご挨拶してくれているではないですか。

長野地本のキャラクターは「しんちゃん」という牛です!
キャラクターにはメスの牛もいて、こちらが「なのちゃん」なので、
二匹合わせて「しん・なの」=「信濃」というわけです。

聞いたわけではないけれど間違いないと思います。

続いて待ち構えていたのは東京地本のトウチくん。
自衛隊おそるべし。
いたるところにキャラクターを配して波状攻撃をかけてくるつもりです。

以前この中に当時の東京地本本部長(ちなみに階級は陸将補)が
入っていたとご本人から聞いてショックを受けたものですが、
まさかこんな朝早くから本部長は入っていないでしょう(と思いたい)

ところで、朝早くに行くと、誰もいないところを歩いて行くので
ずいぶん向こうの方から皆がこの!わたしだけに手を振ってくれるのですが、
こういう時って、なんかすごく気恥ずかしいというか、
近づいて行くまでのあの気まずさというかなんというか。

そんなときに便利なのがカメラです。

しかも彼らはこちらがカメラを構えるとすかさず敬礼してくれます。
(ただしトウチくんは手が短いのでパタパタするだけ)

ほら、こんな感じで待ち構えられるとさあ・・・。

ちなみに手前が新潟地本キャラクター、おにぎり(コシヒカリ)の妖精、
ヒカリン・マイさん。

奥はゆるゆるの自衛隊地本キャラの中でもなかなかよくできている、
とわたしが評価しているところの千葉三兄弟の長女未来さん。

7時に入場すると、こんなにガラガラです。

次に待ち構えてたのは千葉衛(まもる)くんだ!

と思ったらこれは衛くんではなくかけるくんでした。
陸自が衛、空自は翔でしたね。失礼しました。

ところで、後ろに展示してある装備の上にもキャラクターが!

と思ったら本物の自衛官でした。

どの装備にもフル装備の自衛官が、朝の7時から
生ける展示となって、微動だにせず座っているのです。

特に装甲車の上の人、これ皆からずっと観られているわけで、
居眠りでもしようものならリアルタイムでSNSに投稿されてしまうのは必至。

改めて自衛官って大変、と思ってしまいました。

さて、スタンドまで後一息、というところに埼玉地本のサイポン。

このサイポンの中の人、ものすごく背が高くて細身なので
サイポンのイメージが若干変わりました(笑)

さて、というわけで連れが確保した席に合流。
なんと一番上の一番端、しかも観閲台寄りではありませんか。
隣には記録班で配されている防大カメラマンがいるという席。
でかした、連れの人。

観閲台の下ではSP部隊の打ち合わせが始まっていました。

席に着いてからあらためて装備点検(わたしの場合カメラ)をし、
調整をして適当に周りのものを撮ってチェックをします。

今回はD810にオールインワン、ニコン1V2に広角レンズ、
ニコン1V3に超望遠を付けて参加です。

ニコン1専用の望遠レンズは数字では300mmまでですが、
フルサイズ換算で800mmになり、一眼レフに付けたら
バズーカ砲になるレンズ並みに被写体に寄れる(ただし画質はいまいち)
ということなので、軽いこともあって持参しました。

ニコン1望遠の試し撮りで先ほどの生ける展示自衛官を狙ってみると、
やっぱりちゃんと目を開けていました。当たり前か。

試し撮りその2。はるか向こうのスタンドの陸自女子会。

わたしの座ったスタンドの裏側は偉い人専用駐車場になっていて、
次々と三自衛隊高官の車が到着してはベタ金ベタ銀の将を降ろしていきます。

ここに、わたしはまだ絶滅していないアーミーグリーンの
従来型の制服を着た将を発見しました。

新制服の制定以来、上から順番に変わっていっていると思ったのに、
まだこれを着ている人がいたとは。

しかし今更言っても詮無いことではあるけれど、
どうしてこの色を変えてしまったかなあ(個人の感想です)

スタンド後方はるか向こうも望遠で狙ってみました。
赤い風船があるのでこれは気象班に違いありません。

今日はパラシュート降下も予定されていると聞きますが、
決行するかどうかは気象班の判断にかかっています。

コシヒカリの精(♂)ヒカリン・マモルが会場を引廻されています!
スタンド席が埋まり出した時を狙って、地本キャラを投入してきたのです。

そういえば、さっきすれ違った時に敬礼してくれたんだった。

投入といえば、地本キャラクターに比較的詳しいわたしですら
全く知らなかったネコ型自衛官が突如現れ、会場は騒然としました(嘘)

はて、神奈川地本が全面的にネコ型を採用していることは知っていたけど、
確かそれは「はまにゃん」というあまり可愛くない(失礼)ネコだった気が・・・。

「たま、だって・・・」

「そりゃまネコですし?」

「でも直球すぎません?」

とか言ってたのですが、あとで調べてみると、直球と言っても

たま=弾

であったことが判明しました。そっちのたまかよ。
性別は不明とありますが、三毛だから当然♀だと思います。

特技:ほふく前進

おお、かかとが地面に付いている!(かかとを上げると撃たれるらしい)
基礎ができてます。
しかも第4ほふく前進を行なっているぞ!ネコなのに。

たま(弾)さんは予備自衛官で、普段は会社勤めをしているそうです。
ってどこだよその会社。(猫の手も借りたい禁止)

終わって敬礼。

これを、各ポイントの芝生でやっては移動するわけですが、
中の人が(え?中の人などいない?)空気読んでいて、
心持ち動きがネコっぽいんですよこれが。

歩き方とか、こういうお辞儀とかね。ネコはお辞儀しませんけど。
しかし、この観閲式登場でたま(弾)さんファンが増えたと思います。
周りもニッコニコに和んで盛大な拍手を惜しみなく送っていました。

ちなみに今わかったのですが、はまにゃんは海自、たま(弾)は陸自、
空自のネコは「トップニャン」といって28歳、血統書
(ベンガル猫)持ち
のクールでスマートなパイロットだそうです。とほほ。

会白いヘルメットの警備係が整列して入場し、自分の警備場所に着いたら
ピタッとそこに止まってスタンド側を向き、あとは微動だにしません。

少しでもスタンドから目を離さないように命を受けているのでしょう。

わたしの隣の防大くんに聞いたところ、防大の記録部隊は
いずれも写真部で、何人か会場に配置されているそうです。

スタンドの向こう側にも彼と同じ三回生らしく、
超望遠レンズのカメラを持っている防大生の姿がありました。

なんと、招待客用の座席の拭き掃除まで行なっていました。

ニコン1の望遠レンズを試していたときに向かいスタンドのさらに向こう、
第2ゲートの荷物検査のところに空自の歩哨犬とハンドラーを発見しました。

不審者やテロリストなどにも果敢に立ち向かう訓練を受けている
精悍なドイツ・シェパードですが、見ているとこのわんちゃんがもう健気。

時々こんな風に熱い視線を送り、ハンドラーが好きで好きで仕方ないんだろうな、
って感じがこんな離れていても手に取るようにわかるのです。

それに応えるようにハンドラーは犬を愛撫してやって・・・。
「人獣一体」という言葉がふと浮かびました。

この時など、どちらともなく同時に後ろを振り向きました。
同じところを見ているのがなんともいえません。

自衛隊で犬の訓練をする部隊を歩哨犬管理班と言いますが、
自衛官として本来の警備も行うそうで、側が思っているように
犬と一日一緒にいればいいというような任務ではないそうです。

振り向いたあと、犬がハンドラーにもたれかかるようにして
立っているのを見て、その可愛さに胸がキュンキュンしました。

おそらく彼らは入間基地から警備任務で派遣されているのでしょう。

歩哨犬は不審者の制圧だけでなく人命救助にも当ります。
先の北海道の震災にも入間基地始め各空自基地の歩哨犬たちは派出されました。

自衛隊のいま「航空自衛隊入間基地・警備犬班」

その頃、スタンド後方から陸海空三自衛隊の一団が行進してきました。
一番後ろを歩く自衛官は巻いた国旗を捧げ持っています。

「ああ・・・・国旗を守ってるんですね」

「旗は大事です。国旗も、軍旗も」

「ですよね!」

そのあと、わたしたちが観艦式での自衛艦旗の掲揚を巡って今回韓国がやらかした
「あの」干渉について、散々熱くなったのはいうまでもありません。

 

 

続く。

 

 


潜水艦「おうりゅう」進水式

2018-10-06 | 自衛隊

 

アメリカから帰ってきて最初に参加を予定していた行事は、
高松市に寄港した砕氷艦「しらせ」の艦上レセプションでした。

わたしは帰国後中一日で高松に前乗りし、高松からレンタカーを借りて
瀬戸大橋を渡り、岡山での用事をこなして次の日は高松でレセプション、
(合間には高松観光)というスケジュールを立て、
なんて美しい計画なんだ!悦にいっていたのですが、
豈図らんや、大型台風が直撃するという予報に続き、
呉地方総監部から入港が中止になったとの連絡を受けたのです。

連絡があった日は爽やかな秋晴れで、

「こんないいお天気なのに台風なんてくるの?」

と信じられない思いでしたが、さすが日本の気象予測はきっちり外さず、
台風は律儀に予報通りの日にやってきました。
うちの近所でも公園の木がざっと5本はなぎ倒される被害を受け、
ここ何十年かの間で一番強い台風であったことを実感したものです。

現地の報告によると、レセプションの当日朝には強風が吹き始めたとのこと。
たとえ強行していても、翌日の直撃で飛行機は飛ばなかったはずですから、
わたしなど高松で足止めをくらうことになっていたでしょう。

中止の決定は主催者として心苦しいものだと思いますが、結論としては
今回も自衛隊らしい英断でことなきを得たということになります。

その後、呉地方総監部からは、地方総監名で

「天候の都合とはいえ、楽しみにしていただいたご来賓の方々には
ご迷惑をおかけいたしました。
また、行事開催直前のご案内となりましたことを合わせてお詫び申し上げます」

という丁寧な封書によるご挨拶が送られてきたこともご報告しておきます。

 

さて、神戸は三菱重工業で行われる潜水艦の進水式は、
台風が去った翌週の10月4日に行われました。

天候があまり優れないのを心配しながら空港に向かいます。

今回は荷物を軽くするためにニコン1に広角レンズで乗り切りました。

神戸空港行き0620の飛行機(こんな時間しかなかった)に乗り込むと、
今ちょっと話題になっているスターウォーズANAを目撃しました。

昔聞いたことがあるのですが、この飛行機のペイントって、
重量が大幅に増えて(数百キロ)燃費が悪くなるそうですね。

三田あたりの山間部でしょうか。

到着後、神戸空港の上島珈琲店で軽く朝ごはんを食べて、
電車を乗り継いで三菱重工に到着したのは受付開始の9時過ぎでした。

いつものように門のところには受付のテントが設えてあって、
名札とリボンをもらうと、自衛官が控室までエスコートしてくれます。

歩きながらエスコート自衛官が、

「今日は注水式なので迫力はないかもしれません」

ああ、そうだった。
三菱は滑り降り式ではなく、潜水艦ごと船渠に沈降させる方式、
「進水」式ではなく「注水」式だという話を聞いたことがあります。

そういえばわたし、三菱での進水式は初めてでした。

案内してもらいながらこの自衛官と話をしたところ、
彼も艦艇出身で、今は陸上勤務をしているので、
潜水艦についてはあまりよく知らないということです。

「長崎の三菱では滑り台の進水を見たことがありますが」

艦艇乗り、と聞いてふと何に乗っていたか尋ねてみると、1年以上前、
一般見学の時に見学者がエレベーターから落ちて騒ぎになった、
あの護衛艦「ホワイトベース」(仮名)でした。

そこでさらに実際のところを聞くと、やはりあの事故は
わたしがここで予想したとおりの経緯だったことがわかりました。

しかも、事前に本人には周りが注意していたとか・・。
つまり注意を聞かずにフラフラ歩いて落っこちたってことですよ。

「やっぱり・・・そんなことだろうと思ってました」

ただ、彼は、

「いくら一般客が多かったといっても、私どもの方にも
もっと注意するべき点があったと反省するところです」

と組織の一員であるご自身の立場をきっちりと弁えた一言も忘れず、
さすが自衛官、とわたしを感心させたことも書いておきたいと思います。

 

進水式開始は11時。

控室で式典開始の45分前まで過ごし、現場まではバスで移動します。
この間も現場でも、写真撮影は禁止を言い渡されています。

バスを降りてからクレーンの下を通るようにして進水式現場に行くと、

           (潜水艦)
  音楽隊         

自衛官・社員   自衛隊高官・防衛省  招待客

こういう配置で観覧席が設けてありました。

いずれの席も櫓を組んで、少し高くなっているのが大掛かりですが、
このやり方も三菱が大正7(1918)年に手がけた最初のライセンス生産、
呂ー51潜水艦の建造を始めたころから少しずつ形を変えつつ
受け継がれてきた形にそっているのでしょう。

ここで立ったまま、人が入り、一番最後になって
命名を行う命名者が入場してくるのを待ちます。

皆することがないので目の前の景色をぼーっと見ているわけですが、
わたしが注目したのは潜水艦のスクリューでした。

スクリューを見れば性能がわかってしまうという潜水艦、
進水式の時にはスクリュー全体をカバーで覆ってしまっていたのです。

カバーは巨大なスクリューを完全に根元までおおう茶色のもので、
もしかしたら従業員に対しても日頃は秘匿しているのかもしれません。

観覧台は真ん中の支綱切断台がある席にはもちろん、
自衛官や音楽隊の部分には天蓋があるのですが、招待客の部分だけ
どういうわけか露天で、雨が降ったら悲惨なことになる気配が濃厚。

今にも雨が降りそうな天気とはいえ、始まってしまえば
10分で全てが終わるとプログラムに書いてあるので、
それまで保ってくれと祈るような気持ちです。

もちろん傘は持っているので、もし本格的に降ってきたら
傘をさしていいのか、近くにいる自衛官に聞いてみようと思いましたが、
彼らは日頃傘をさすことなど全く認識にない生活を送っているせいか、
細かい雨が降り出していることすら気づいてなさそうだったのでやめました。

 

待つこと3〜40分、海自には珍しく、定刻を少し過ぎて
今日の命名者である村川海幕長が入場してきました。

通常進水式の命名は防衛大臣か政務官が行うことになっていますが、
まだ第4次安倍内閣が組閣して2日目という状態だったので、
防衛省関係の議員の予定が抑えられなかったのでしょう。

個人的には、わたしは政治家より海幕長の方が防衛省代表として
相応しいと思うので、これが見られたことを嬉しく思いました。

 

その後、開式に先立ち、冒頭の産経新聞ニュースにもあるように、
三宅由佳莉(あ、今初めて彼女の名前が一発変換できた)三等海曹が
無伴奏で「君が代」を奉唱しました。


ところで本当にどうでもいい話ですが、彼女が国歌を凛として歌い終え、
きりりと回れ右をした時に、なぜかわたしの脳裏に、

「三宅海曹が滑る映像」

がありありと浮かんだのです。
もっとびっくりしたのはその次の瞬間本当に彼女が足を滑らせたことでした。
あまりのタイミングにわたしは心臓が凍るかと思ったのですが、
さすが彼女は転んだりせずホッとしました。


わたしは稀に出来事をその寸前に予知することがあるのですが、
あの角を曲がったら犬がいて追いかけられる→本当にいた!という
レベルの実にしょうもないことばかりで、なんの役にも立ったことがありません。
今回もその無駄な能力がなぜか発動してしまったというわけです。

 

冒頭に挙げた産経のニュースでは三宅三曹ばかり映っていますが、
それは制作側が、注水式が挨拶も何もなく粛々と行われ、
さらに絵面として面白くないので、この判断をした結果でしょう。

進水式そのものは大変シンプルなものです。

ただ粛々と国歌を奏し、命名の儀式として支鋼切断を行うと、
ピタゴラ装置によって酒瓶が艦体に叩きつけられて割れ、
同時に名前を覆っていた布が外れ、あとは進水して終わり。

アメリカなどは最近でも命名者の女性が瓶で艦体を殴打します。
たまに割れないことも(ex.オバマ夫人)あるようですが、
我が日本ではそんなことになりようがないと今回確信しました。

上に紐で支えられている瓶は振り子状に艦体に叩きつけられますが、
艦体には瓶が当たる位置がちょうど構造物の角のある部分で
その角が確実に瓶を仕留めるように計算されているのです。

そして当然のように瓶が割れ、「おうりゅう」の文字が現れたとき、
今回「桜龍」を予想していたわたしは内心快哉を叫んだのですが、
後から「おうりゅう」は「凰龍」であったことが判明しました。

うーん、惜しい。

 

この日参加者に配られた記念の栞には、ご覧のように
鳳凰が払暁の空に飛び立つ姿が描かれています。

そして命名式が終わり、いよいよ進水の準備が始まりました。
以下、できるだけ事実に忠実に描写してみます。


岸壁にヘルメットを被った三菱の作業員が立つ。
旗を持った手を振り上げ、

「進水準備」「進水準備完了!」

「進水!」

♪ジャーンジャーンジャンジャカジャッジャッジャジャジャジャジャッ!
(呉音楽隊の奏でる行進曲『軍艦』)

・・・じょぼぼぼぼ(水の出る音)

「・・・・・」観客

しゅわしゅわ〜(立ち上る水煙)

「これをもちまして進水式を終了します」

「(これだけかいっ!)」(皆の心の声)


つまらないつまらないとは聞いていましたが、本当につまらなかったとは。

会場のアナウンスが注水式進水の仕組み?について、

「注水された船渠に潜水艦の艦体が沈降していきます」

と言っていたので、この後じわじわと艦体が沈んでいくのかと思っていたのに。
後で潜水艦出身の方にお聞きしたところ、

「あれから潜水艦を沈めるのに3時間はかかります」

まさか進水式でそれをずっと見ているわけにもいかないので、
水を出すところだけでお茶を濁す?のが注水式だと理解しました。

 

ところでね。

この日(朝日はいませんでしたが)毎日新聞の記者を報道席で見つけました。
どんな記事を書いたのか確かめてみましょう。


海上自衛隊の最新鋭潜水艦の命名・進水式が4日、
三菱重工業神戸造船所(神戸市兵庫区和田崎町1)であった。
同造船所で建造された潜水艦は戦後28隻目で「おうりゅう」と名付けた。
潜水艦としては世界で初めてリチウムイオン電池を搭載し、速力が向上する。

進水式では、防衛省や同社関係者ら約300人が見守る中、
村川豊海上幕僚長が支綱を切断、紙吹雪が舞った。

「おうりゅう」は知識が豊富で、人間性や性格などを良くする竜という意味だという。
(略)
建造費は約660億円。
内装工事をして、2020年3月に防衛省へ引き渡す三菱重工業は
今年で潜水艦建造100周年を迎えている。

 

うへー、なんて稚拙な文章を書く記者なんだ。
内容はともかく、文章下手すぎ。
高等教育を受けたのかどうか疑われるレベル。

最近のモノ書きは、自称ジャーナリストとかいってる連中など特に、
変な思想に染まっている以前に基礎的文章力がないのが多いですが、
特に

「知識が豊富で人間性や性格を良くする龍」

って何なのこれ。

知識が豊富なのは龍?

人間性や性格を良くするって、誰が誰を良くしてあげるの?

そもそも「人間性や性格を良く」って学級会のテーマじゃあるまいし、
もうちょっと他のそれらしい言葉は見つからなかったの?

と呆れたので思わず書いてしまいましたが、それはともかく、
産経デジタルIZAの記者はどう書いているかと言うと、

艦名は豊富な知識を持つ縁起の良い龍にちなみ、
「おうりゅう」と名付けられた。

せめてこれくらい書いてもらわなければね。

ただし、この産経記者、本当に現場にいたのかどうか
記事を読むと大変怪しいのです。

海自呉音楽隊による「軍艦マーチ」の演奏とともに、
海上幕僚長の村川豊海将が潜水艦を固定していた支鋼を切断すると、
海中へ潜行していった。

だから海中に潜行していってねーから。
潜行させる人は誰も乗ってないしそもそもまだ中空っぽだから。

だいたい、支鋼は艦体を固定していたのではなく、ピタゴラスイッチで
シャンパンの瓶を割り、名前を隠していた垂れ幕を外すためのもの。

案の定この記事を取り上げたネットサイトには、

>海中に潜行していった
いきなり?

と不思議がる(まともな)人がおりました。
おまけに、知ったかな人がもっともらしくこんなことを書いてます。

舵とスクリューはバレちゃいかんから、もともと半分は潜ってる

半分も何も全く潜ってねーから。

舵がどこのことを指すのかわかりませんが、スクリューは
先ほども書いたようにカバーで隠していただけ。


自分がこの目で見たことを記事と照らし合わせて検証すると、
いかにメディアが本当のことを伝えていないかがわかってしまいます。

そうではないかと思っていましたが、見たことを正しく伝えることすら
ろくにできない者が記者を名乗れる世の中になってたんですね。今は。

 

さて、気を取り直して次に行きましょう(笑)
進水式の後、我々は社内敷地のビルにある
祝賀会会場に移動しました。

続く。

 

 


平成30年度陸上自衛隊総合火力演習

2018-08-27 | 自衛隊

今年も総火演の季節がやって来ました。

ただし、2018年8月26日日本時間現在、わたしはまだアメリカにおり、
今回は、遠く離れたアメリカで現地のライブを観ながら
エントリ制作をする、
という画期的なご報告をすることにします。

 

例年総火演の行われる8月下旬は帰国している時期なのですが、
今年は滞在のちょうど半ば頃にかかってしまうことになりました。

今回チケットがいただける話を頂いた時には、
途中で一度帰国して
総火演に参加後、もう一度とんぼ返りをする、
ということも真剣に考えていたのですが、そんな企みも
息子の大学のオリエンテーションと当日が重なってしまい砕け散りました。

しかもここだけの話ですが、春頃、某所から来賓扱いで
本番を観戦させていただくというお話をいただき、
お受けしておいてもしダメなら代理でもいいか、と聞いたところ、

「これはご招待なので本人でないと駄目です」

と言われ断腸の思いで断念したという経緯がありました。

頂いたチケットも紫だったし、どうしてこんな年に限って・・・(涙)

 

しかし、その代わりと言ってはなんですが、いつも自衛隊イベント関係で
お世話になっているKさんが予行演習に参加し、
その時に撮った写真を送ってくださったのです。
というわけで、頂いた写真を見ながらお話していこうと思います。

これは今見ている画面のキャプチャ。

それにしても本番の富士演習場、激しく霧で曇っていますか?
体感的には暑くなくていいかもしれませんが、これじゃ見えないのでは・・。

 

さて、前段演習は、装備紹介です。
遠距離、中距離、近距離火力、ヘリ火力などを順番に紹介していきます。

特科火砲の実演は、155ミリ榴弾砲、FH70の入場に始まります。
この火砲を40キロ平方の島に一つ配置すると、島全体をカバーすることができるそうです。

この予行演習の時にはご覧のように裾野が欠けてしまいました。

そして今行われている現地の曳火射撃の結果・・・・
集中砲撃も、富士山も、な〜〜〜んにも見えません。

現地で観戦している人とリアルタイムで会話したところによると、

「全滅でした

何も見えなかったってことでよろしいか?

続いて迫撃砲部隊。
これは、実際に見るより射撃準備がわかりやすくていいですね。
81ミリ、120ミリ迫撃砲の砲撃合図を行なっていたのは女性でした。

つまり隊長は女性であるということでよろしいか?

しかしこの時もニコニコのコメントでは「弾着なう」「見えない」「霧が」・・。
これは本番というのに、いまいちというかかなり盛り上がりには欠けるかも・・・。

 

87式対戦車誘導弾。
これはインターネットで見ている人だけが見られる角度。
こんなことして撃ってたのね。

ただし、現地の報告によると、各種誘導弾は

 

「目標が見えないので軒並み射撃してません」

 

だったそうで・・・。


いて近距離火力など。

狙撃手の大アップもライブ映像ならではです。

当たったかどうかも肉眼よりよくわかる。
狙撃はちゃんと行われ、見事窓を撃ち抜いたようです。

WAPC96式装輪装は頂いた写真になかったのでキャプチャ画像でどうぞ。

出たー!これが今年の目玉、16式機動戦闘車。
総火演初お目見えのはずです。これ見たかったなあ・・。

後進高速走行しながらの砲撃に会場は湧いているようです。

ヘリAH-1Sの対戦車弾発射。
ニコニコのコメントでは「おじいちゃん無理しないで」という声が・・・。 

今年、アパッチは姿を見せませんでした。
佐賀で墜落事故があったからだということです。

フライング・エッグは偵察で顔を出しますが、OH-1も
ここのところ総火演には来たことがありません。

10式戦車が射撃が行う頃には会場は晴れて来たように見えましたが・・。

この日、本番で一台、的を外した!という声がコメントに上がっていました。
これはあとで正座反省会コースかな・・・。

後進しながらの一撃。

続いて90式戦車。
90式は後退射撃は行いません(行えません)。

特筆すべきは、最後だ最後だと言われながらも去年まで参加していた
74式戦車の姿が今年見えなくなっていたことです。

74さん、ついに・・・・(´;ω;`)。


さて、ここまでで前段演習が終了しました。

休憩後、後段の演習は名付けて「電磁スペクトラム作戦」
島嶼奪回作戦という言葉は今年はなくなり、その代わりより具体的な
内容を表す作戦名になったということですね。

警戒、監視を行うP-1が会場に進入してきました。

・・・ただし本番の行われている画面上、音はすれども姿は見せず。
雲の上を飛んでいたような気配は確かにありましたが。

 

電磁スペクトラム作戦というのは電子戦で、新型の装備で電波情報を収集し、
情報を共有し、電子戦部隊が相手を叩く電子攻撃を実際に行います。

電波攻撃は敵のレーダーを縮退し、電磁優勢を獲得するのが目的ですが、
こればかりは総火演でいくら何かをしても、何もお見せするものはありません。

「電波攻撃を実施せよ!」「了解!発射!」「攻撃成功!」

とか言われても、へーそうですかとしか・・・。

レーザーJDAMに寄よる対地攻撃でレーザー照射したところが無事爆発。

「ミッション、サクセスフル!」

F2が来てるってアナウンスがいうんですが、もちろん見えません。

「F-2が飛行しています!」

ごおおおおおおお。

どかーん。

って感じ。

この後も電子戦は継続されます。

ドローンとか。

ボート持って走る人(情報小隊)とか、初めて見るものも多数。
あー、行きたかったなあ。

ネイ恋的におっ!と思ったのは、この時情報部隊から情報を受けた
護衛艦「てるづき」が
「シルバームーン」という英語名で交信していたこと。

となると、あとの「つき」型護衛艦は
「オータム・ムーン」「ウィンタームーン」そして「クールムーン」?

水陸両用車AAVが真っ白に煙幕を張るのも初めて見ました。

AAVから降りて来た「アンフィビアン」部隊。
みなさん重い装備を担いで信じられないほど俊足です。

こ、これがMCV、16式機動戦闘車の攻撃ですか!

写真がまたすごいわ・・・。
ちなみにKさんの武器はキヤノンの60Dでレンズは18-300mmだとか。

これ、ライフル砲ならではの曳火なんでしょうね。

ところでMCV、時速は100キロ出るそうです。
タイヤを装着し、市街戦を想定しているということでしょう。

続いて敵前地の施設小隊による障害処理が始まりました。
まず発煙弾で支援を行い、もともと霧がかかっている上、先ほどAAVが煙幕を張り、
ただでさえ白い周囲をさらに真っ白にしてから
地雷原処理ロケット弾を発射します。

MCV、施設小隊を支援するため、陣地変換の走行しながらの射撃です。

ヒトマル式が総出演で一斉射撃。

これは最後の総攻撃をしている90式。
90式もかなりのお歳ですが、まだまだこの先も活躍しますよね?
自衛隊は物持ちがいいから・・・。

 

さて、無線機が電子戦で妨害されたのに対し、こちら側は
通信衛星「きらめき」から敵の部隊の所在位置を味方に送り、
その後誘導弾の火力で相手をやっつけます。

もうこの頃には現場は自然の霧と煙幕により、山など何も見えません。

シャレになっとらん。

そして最後の「状況終わり」のナイアガラの滝。

本番では流石にこれはそれなりに見えていましたが、
やはりこの写真の日に比べると
いまいちの効果だったと思います。

Kさんの参加された予行日は気温も30度まで上がらない
比較的涼しい日で、楽な観戦だったようです。

フィナーレ。

Kさんが行かれたのは19日で、予行は予行でも陸自広報のご招待、
人の少ない日だったらしく、真ん中に誰も座ってません。

Kさんのご報告にもありましたが、本番の総火演を見ていて、
これからの主役は完全にMCV、
そして電子戦と水陸両用部隊に移行したと思われました。

ヒトマル式戦車が陸自装備の「主役」だった頃、

「戦車の出番がある頃には日本はもう終わり、って聞くし、
確かにすごい装備だけど、専守防衛の日本で、いつどこで使うんだろう。
ってかそもそも戦車って抑止力になるんだろうか」

というかすかな不安というか疑問がないではありませんでしたが、
時代はすでに水陸両用部隊を必要とする段階に来ていたのです。

防衛省は陸上イージスの取得に具体的に動き出しましたし、
より実践的な装備こそが国防の現場に求められているということでしょう。

 

ところで今回の総火演、Kさんに言わせると、

「4回程予定されている予行・本番のうちで19日は最初の予行の為か、
曳火射撃での富士山模様は裾野部分が欠けたり、戦車小隊の一斉射撃は
バラついたり、状況終了!は自衛隊らしくない15分遅れだったりして、

相当の修正が必要と感じました。

ということですが、現状を鑑みた結果、前年度から訓練の内容が
ガラッと変わったことも、これらの不手際の一因だったのではないでしょうか。

何れにしても、水陸機動団と電子戦が、これからの陸自の
中心になっていくことが如実にわかった総火演でした。

 

ともかく、Kさん、現地で観戦された皆さん、お疲れ様でした。
そして、74式戦車さん、長い間お疲れ様でした。

あなたの遺志はMCVが引き継ぎます。
沖縄前知事と同じく遺言の音声データは公開出来ませんが。

安らかにお眠りください。 R.I.P.

涼しいアメリカで画面だけを見ているのは楽は楽でしたが、
空気の振動も、耳栓も必要のない総火演なんて!と、
去年のあの現地での感覚を懐かしく思ったのも事実です。

来年は参加できるといいなあ・・・。

 



護衛艦「さざなみ」見学〜平成30年阪神基地隊サマーフェスタ

2018-08-02 | 自衛隊

阪神基地隊で行われたサマーフェスタシリーズ、最終回です。

サマーフェスタというイベントに行くのは今回初めてだったのですが、
暑さに考慮しているのか開催は2時までとなっていました。

わたしは「ちはや」見学の後、プールにラジコン潜水艦を観に行き、
移動の合間には野外ステージのパフォーマンスも聴きながら、
精力的に?イベント消化をこなし、最後の「さざなみ」見学に向かいました。

「さざなみ」と同じ岸壁には掃海艇の「なおしま」もいました。
「なおしま」は以前の訪問で見学を済ませているので、今回はもし
「さざなみ」の見学が終わって気力と時間が残っていたら、ということで
前を通り過ぎました。

「なおしま」では見学も受け付けていて、混雑した場合を考えて
後甲板から乗艇させて舷梯から降りるというコースを設けていたようですが、
ご覧のように入場者は若干遠慮気味。

人がいないところに自分が率先して入って行くのをなんとなく避ける
日本人気質(他の国のことは知りませんが多分)ってやつでしょうか。

「さざなみ」の艦首部分では撮影会状態。

「さざなみ」のイメージキャラクター、金太郎ならぬ「漣太郎」、
さざなみたろうの顔出しパネルも用意されていました。

もちろんモデルは金太郎。

金太郎のイメージは気は優しくて力持ちですが、「さざなみ」には
海上自衛隊で初めて民生品が採用されています。

これは強力であると同時に操作性に優れ、オペレーターにとって
使いやすく優しいシステムであることとかけています。

「太郎」は長男につける名前です。(イチローは長男ではないらしいですが)
民生品システム採用の1号艦、つまり長男であるという意味もあります。

漣太郎くんと名前通りのさざなみのモチーフの描かれたバナー。
舷梯の下には三人が待機するというのが基本みたいですね。

見学路はまず前甲板から。

前甲板越しに臨む六甲山脈と神戸港。

画面で見ると爽やかですが、実際は湿気で物凄い不快指数です。

主砲の周りには乗員(幹部と曹クラス一人ずつ)の説明を聞くために
いつも人が集まっています。

「さざなみ」の主砲はオトー・メララ54口径127ミリ速射砲、
対空、対水上目標に対し用途に合わせた弾薬を選択して発射します。

自衛隊では「こんごう」型、この「たかなみ」型に搭載されています。

いろんな自衛艦で主砲を見ましたが、砲塔の砲身両脇に梯子がついて
上に登れるようになっているタイプは初めてのような気がします。

なんのために階段があって上で何をするのか、調べてもわかりません。
現場で聞けばよかった・・。

弾薬と薬莢?が並べて展示してありました。

「さざなみ」の127ミリ砲は基本無人操作です。
砲塔内は無人化されていますが、下部揚弾ホイストへの給弾は人力で行うので、
この弾薬を手で抱えて給弾する役目の人が二人配置されています。

最大発射速度で発砲する場合、砲塔には8名が配置されます。

砲弾に書かれている文字に

ダイキン工業(株)

の名前発見。
ダイキンといえばエアコン、と世間の人は思いがちです。
というか、エアコンの生産ではアメリカのキャリアを抜いて世界一位である
このダイキン、エアコンの他にもフッ素化学の分野でも高いシェアを持ちますが、
元はと言えばダイキン、大阪金属工業として創立当初、軍需産業として

伊号潜水艦の空調

を手がけていた経歴を持ちます。
なんと伊潜、冷房付きだったんですね。
南方に展開させるために空調は必須だったようですが、
それでも艦内は
30度にはなったそうです。

ところで先ほど体育館のプールを泳いでいたU-boat、冷房は知りませんが、
手塚治虫の「アドルフに告ぐ」によると暖房はなかったみたいです。


ウィキによると、ダイキンが砲弾を作り始めたのは昭和26年となっています。

朝鮮戦争が始まって1年以内であり、陸上自衛隊の前身である
警察予備隊はすでに組織されていた頃に当たります。

空調機械と砲弾がどう結びつくのかというと、

砲弾連射の熱換気装置を作るよう海軍から依頼があり、
その技術がエアコンに活かされた

ということなので、エアコンが先ではなく砲弾が先のはず、つまり
大阪金属時代の戦争中に砲弾を作っていたはずなのですが、
なぜかダイキン工業のHPにはその辺の社史は割愛されています。

まあ、こういうのはブラザーミシンなど、軍需に関わったが、
戦後はそんなことはなかったというふりをしている企業に
ありがちな傾向なので別に驚きません。

軍需産業だからといって今頃目の敵にするパヨっちも世の中には多いので、
「雉も鳴かずに射たれまい」としているのかもしれませんね。

ダイキンは軍需産業だから不買!のループ

ちょっと面白かったので。
ここのコメントにもありますが、それをインターネットで呟くことの馬鹿馬鹿しさよ(笑)

ちなみに現在、防衛省向けにダイキンは以下の装備を納入していますが、

96式40mm自動てき弾銃用擲弾
06式小銃てき弾
120mm戦車砲弾
105mm戦車砲弾
84mm無反動砲弾
81mm迫撃砲弾
120mm迫撃砲弾
155mmりゅう弾砲弾
50口径5インチ砲弾薬包(127mm速射砲弾)
62口径76mm砲弾薬包(76mm速射砲弾)

これって、陸海自衛隊の砲弾のほとんどなんじゃあ・・・。

「さざなみ」は昨年、「ロナルド・レーガン」を含むアメリカ艦隊と自衛艦隊の
共同訓練を南方海域で行なっています。

また、創作では架空戦記「超空自衛隊」に出演しております。
災害派遣派出中の「さざなみ」が補給艦「おおすみ」らとともに
大東亜戦争中の過去にタイムスリップするというよくある話ですが、
特異なのがタイムスリップした主流艦が「おおすみ」、補給艦であること。

つまり、戦闘ではなく近代的な後方支援が当時の日本軍に行われたとしたら
あの戦局はどうなっていたでしょう、という話らしいです。

これ面白そうだけど、誰か読んだ方おられませんか。

左舷沿いに見学路を後ろに進んでいくと上部に見えてくるのが
90式艦対艦誘導弾。

SSM-1Bは「むらさめ」以降の護衛艦の必需品で、「あさひ型」にも搭載されています。

ころで、七隻目のイージス艦は「まや」でしたね。
神戸出身としては嬉しい限りです。

わたしは進水式に出席される方から前の日に模型写真付きで

27DDG、順番だと「なち」「はぐろ」「たかお」「まや」あたりでしょうが、
兵庫県民の元気が出そうな名前だとの事前情報を頂いています(笑)

というメールを頂いており、事前にまやであることは知っていました。
前日に知っていたからといって威張ることでもありませんが。

 HOS-32(三連装短魚雷発射管)は両舷に1基ずつ装備されています。

後甲板にはヘリコプターがローターを広げたままで展示されていて、
両側ドアからコクピットに座らせるサービスをしていました。
コクピットには座ったことがあるので列に並びはしませんでしたが、
この写真で後部も公開していたことに気がつきました。見に行けばよかった。

護衛艦というのはメカは内部に集中しているため「ちはや」のように
見学順路でメカメカしい(by・unknownさん)内部に興奮、ということがありません。

そこで格納庫でのラッパ展示や装備などの紹介イベントが行われるわけですが、
ここでは耐火スーツの着用体験ができます。

もう少し涼しかったらそういう気にもなるかもしれんけど、この時の気温では、
着ている人を「よくやるなあ」と感心してただ見るだけ。

ラッパの展示を終わった後は、なんと!
見学者に実際にラッパを体験するという大サービス中でした。

信号ラッパはバルブがなく、息で高さを調節するというのは知っていて、
ただ全く吹いたことはないのでどんなものだろうと興味はありましたが、
人の楽器を吹く勇気が、わたしにはどうしても出ませんでした。

子供と話すときには子供の目の高さでね!

こちらでは救急救命の実践的指導を受けられます。

AEDの使い方を覚えられるコーナーのようですね。

自動体外式除細動器は心停止をした人に行われる救急救命装置で、
救急車到着の間までにこれを使うことで助かる命も増えたということです。


各地の消防本部や日本赤十字社の都道府県支部、または
病院や保健所で講習会が行われているそうですが、サマーフェスタの
艦艇見学で講習が受けられるなんてお得だと思いませんか。


そのとき実習希望者が現れました。
心臓に腕を組んで当て、体重をかけて押していますが、見ていて

「なんか見たことあるのより速いなあ」

と思った途端、

「もう少しゆっくりお願いします」

と指導が入りました。

格納庫からは艦内に入ることはできず、見学路はそのまま外に繋がっています。
それとは別に、艦橋を見学するための列ができていましたが、
そろそろこちらも暑さで体力に限界が来ていたので、まっすぐ外に向かいました。

朝と同じ道を通って駐車場に向かい、停めていた車に乗り込んだのですが、
シェイドも何もなしで長時間炎天下に停めていた車はハンドルも座席も焼けて
しばらくは席に座ることもままなりませんでした。

しかもこのとき借りたノートという車、走っている間はエアコンが効きますが、
停止しているときには送風だけなので、走り出しは大変辛い思いをしました。

実は基地隊の方から、お昼をもし出店で買って食べるのならば
ぜひ館内を利用してください、とありがたい申し出をいただいていましたが、
現地で買えるもので食べたいものといえばかき氷だけだったので、
とりあえずもう一度朝チェックアウトしたホテル神戸オークラに戻り、
朝ご飯を食べた同じレストランで昼ごはんを取りました。

レストランの窓からは海上保安庁の巡視艇「あわぎり」PC-40
が停泊しているらしいのが見えます。

何度もここに来ていますが、巡視艇が係留されているのに初めて気がつきました。
今までも目には止めていたけど、意識しなかったのかもしれません。

向こうの大型船は「神戸エキスプレス」

宮崎カーフェリーが運行する神戸〜宮崎を往復するフェリーで、
新港第3突堤、三宮フェリーターミナルを発着場所にしています。

この後、TOがチケットを持っていたので、なぜか三宮にあるサウナで
親子三人汗を流して帰ることになりました。
サウナなど行ったことがないので、当初あまり乗り気ではありませんでしたが、
行ってみるとサウナつきのおしゃれなお風呂屋さんという感じ。

出た時にはすっかりさっぱりして、疲れも吹っ飛びました。
何よりこの日にかいた汗を流してから飛行機に乗れるのはありがたかったです。


ところで今回、大阪伊丹空港に久しぶりに行ったらものすごい改装を遂げていました。

特に変わったのがバゲージクレームで、あまりにも設備が新しいせいで、
空港を降りた途端ターンテーブルのゴムのものすごい匂いが鼻についたくらいです。

付随するターミナルビルの内部にも新しいお店がたくさんできていて、
夕食は家族の意見が一致してマグロ専門店黒門市場になりました。

 

というわけで色々あった阪神基地隊サマーフェスタも終了しました。
自衛隊の「今」について、また色々と知ることができたような気がします。

ちなみにこの日の目玉だったアイドル参加パネルディスカッションの経緯を
後から主催側に伺ったところ、
もともとこのアイドルグループ、彼女らを
阪神基地隊前司令が「登用」したのは、やはり予想通り、
人寄せパンダにして
募集適齢者を呼び込みたい、という下心?からだったようです。

しかし、実際アイドル目当てに集まってくるのは、コメント欄でも言われていた通り、
自衛隊に入ることなど全く考えていないor色々と無理そうなコアなファン層ばかり。

そこで、彼女らを使いつつ、少しでも当初の目的に近づけるアイデアはないか?
と考えた結果が、今回の特別企画だったというわけです。

わたしも書きましたが、阪神基地隊側でも、最後の方には立ち見も出たことを、
それなりの広報効果はあったのではと感じておられるということでした。

サマーフェスタの最大の目的は広報です。

アイドルを目当てにやって来た人が自衛隊に入隊するということはありえなくとも、
物珍しさで立ち止まってみただけの人たちが、初めて知った、聞いたと思うことから
少しでも自衛隊への理解と関心を深めることができたのなら、
十分それは成果と言ってもいいのではないかとわたしも思います。

 

最後になりましたが、今回お招きくださいました阪神基地隊司令、
阪神基地隊の皆様方に心からお礼を申し上げます。

 

 


ラジコン潜水艦のプール展示〜平成30年阪神基地隊サマーフェスタ

2018-07-31 | 自衛隊

 

阪神基地隊というのは決して広い基地ではありません。

今回来阪した「ちはや」「さざなみ」、掃海艇の「なおしま」が繋留されて
それだけでフルになる岸壁を二面、あとは芝生とヘリ発着のサークル、駐車場。

建物以外はそんなもので、つまり来場者が見て歩くような施設はないのです。

それだけに、一般解放のイベントには人々を惹きつける工夫が必要となってきます。
アイドルを呼んでのパネルディスカッションという試みもその一つですが、
なかなか画期的なイベントだと思ったのが、プールでの潜水模型実演でした。

プールはパネルディスカッションが行われた体育館の階下にあります。
阪神大震災の時、プールの底には亀裂が入り、水が抜けたそうです。

あの時、関西地区に所在する自衛隊基地は等しく被害に遭いましたが、
その中でも一番酷かったのがこの阪神基地隊でした。

地盤が埋立地であるため、液状化現象による地盤沈下がおこり、また、
護岸及び道路の一部が1~2m沈下するという壊滅的な状態だったそうです。


そのプールに到着すると、模型の潜水艦が水面に浮遊していました。

・・・・・なんだこの妙なシェイプの潜水艦は!?

と思ったらダイバーでした(笑)
といっても、「ちはや」に所属しているようなガチンコな人たちではなく、
シュノーケルと水中眼鏡をつけて時々水中にも潜るだけの、
つまりこの模型クラブのメンバーだと思われます。

潜水艦をプールで航行・潜航させたりするうちに、どうしても
水の中に潜らなくてはいけない事態になるということなのでしょう。

ちょうどこのとき、プールサイドの人が潜水艦を引き揚げていて、
水中の人はそれを支援していました。

引き揚げられた潜水艦が、ドイチュ国軍の旗の上のラックに置かれました。
ドイツということは、当然Uボートです。

この潜水艦模型を実際に水に浮かべているのは一体どんな団体なのでしょうか。

日本模型潜水艦協会、JMSSというのがこの団体の名称です。

この直前、わたしは飛行機のソリッドモデル展を見たばかりだったのですが、
同じ模型でもどうやら全く趣向が違いそうです。

まず、このクラブにおける「模型」とは「ラジコン模型」のことです。

地元六甲アイランドにその前身の発祥を持つこのクラブは、
アイランドシティーにある深さ50センチmの人工の川(透明度が高い)
今でも毎週日曜日の午前中、定期潜航会を行なっているそうです。

つまりソリッドモデルのように艦体そのものを作り上げることではなく、
操縦することがメインのクラブだったわけです。

いやー、一口に趣味の模型といっても奥が深いわ。

見たところ、現場のラジコン模型は、ソリッドモデルの作品のような
マイナーな機種より、Uボートや伊号潜水艦といった
「潜水艦の王道」が中心であるようにお見受けします。

立派な金属のプラークを埋め込んだ名札には、

U-Boat VII-C 1940

と刻まれています。

当方、Uボートに関してはまだ全然調べが足りておらず、
今のところ
Uボートとは

「ウンターゼー・ボート(海の下の船)」

という意味であることくらいしか知らんのですが、
たった今調べた付け焼き刃知識によると、第二次世界大戦が始まってから
ドイツは「I」からU-boatの建造を重ねていっており、この「VII」は
その7番目で、名実ともにドイツ海軍潜水艦の主流となったタイプです。

この模型では船殻の外側に膨らみが確認できますが、
これはバラストタンクで、 VII型の大きな特徴です。

ところで、ソリッドモデル展の時に逆卍のハーケンクロイツは
物議をかもすので使わない、という話をしましたが、
このU-boat(ちなみに発音は”ウーボート”でビッテシェーン)も、
バリバリナチスドイツ海軍の潜水艦なのに鉤十字はありません。

どうも鉤十字自粛は模型界の鉄則となっているようですね。

プールで航行&潜航させていい潜水艦は基本一隻、せいぜい二隻のようです。
野次馬としては、伊号とU-boatの同盟国競演なんてのを見てみたいですが、
これだけ広いプールでも(競技用50m)コリジョンの可能性があるのかな。

これは遠目でよくわかりませんが(近くてもわからないという説も)、
アメリカの潜水艦ではないかという気がします。

なんかこんな甲殻類いたよねー。
なんだっけ。カブトガニ?三葉虫?

引き揚げられたのを確認したらノーチラス号でした。

ノーチラス号はジュール・ベルヌの冒険空想小説「海底二万哩」に登場する
架空の潜水艦で、「ノーチラス」という言葉にはオウム貝という意味があります。

アメリカが世界最初の原子力潜水艦にこの名前をつけたのはご存知の通り。

自衛艦旗の上は一番左が「そうりゅう型」、二つ向こうは「うんりゅう」、
その向こうは「ゆうしお型」のような気がしますが、確信はありません。

左から二番目、この丸いノーズはUボートかな?

このテーブルの出品者の作品は伊号と呂号です。
伊潜は366号、回天を搭載しています。

わたしが来たときには、製作者が若い男性に「伊」「呂」の説明をしているところでした。

「回天戦は実際にやってるんですか」

と聞いてみると、どこかわからないが南方で、との返事です。
ウィキで調べると伊366がパラオで回天3基を出撃させたのは
昭和20年の8月11日、終戦の4日前のことでした。

伊366は終戦まで生き残り、五島列島で米軍により海中投棄されましたが、
かつて戦艦三笠内の会議室で行われたラ・プロンジェ深海工学会による

「海底の潜水艦探索プロジェクト」

でその姿が確認されているそうです。

 

そして手前は呂号第35潜水艦。こちらも三菱重工の生まれです。

1943年の8月25日、サンタクルーズ諸島沖で、米駆逐艦パターソン(DD-392)
に発見され、爆雷攻撃を受けて戦没しました。

艦橋がリアルに表現されていて泣けます。
手前の人は艦内と通信を行っているのでしょうか。

しかし、呂号35が戦没したのは就役してわずか1年半後ですが、
それにしては
艦体が古くなりすぎてやしませんか。


ところでわたしはこの時点でまだ、この模型を作ったのも出品者である、
と思い込んでいたのですが、実は
彼らの「仕事」は、装置を仕込み、
それを操縦することだと一連の会話でようやく知りました。

しかし全員がそうであるということでもなく、中には
自分で模型から作る人もいるということです。

伊号54の艦橋も人体を配して再現されています。

伊54は昭和19年に就役し、捷号作戦に出撃して消息を絶ちました。
米軍の記録によると、撃沈したのはアメリカ海軍の

駆逐艦「グリッドレイ」DD380

駆逐艦「ヘルム」DD388

であったということです。

話を聞いていると、上の部分をぱかっと外して見せてくれました。

当たり前ですが、中身が本物通りに再現されているはずもなく、そこには
水中を航行潜航するためのラジコン装置が内蔵されていました。

なぜこの人たちがラジコン潜水艦に夢中になるかというと、それはひとえに

「操縦の複雑さ」

が人を飽きさせないことにあるのだとか。
同じラジコンでも、水上をただ平面的に動かすのと、三次元的に
水中を自由に動き回るまでに習熟するのとでは文字通り次元が違います。

そういえば、呉にある「てつのくじら」を併設した自衛隊資料館で
潜水艦について説明する

「Knou Your Boat!」

のコーナーに

「海面を二次航行するだけの水上艦と比べ、
三次元の海中を航行する潜水艦の操作が難しいのは当然である」

と上から目線で?書いてあったのを思い出しました。

難しいからこそやりがいをそこに見出し、幾つになっても、
何年やっても飽きることがない、というのがこのラジコン潜水艦に
夢中になる人たちの「萌えポイント」のようです。

これを見てもわかるように、ラジコンで動かすのが目的なので、
その「ガワ」は既製品でもいいわけです。

この、まるでエイのような潜水艦は、テレビドラマ

「原子力潜水艦シービュー号」Voyage to the bottom of the sea

に登場する架空の潜水艦、

シービュー号

だそうです。
当クラブによると、「SFクラス」として会員の所有しているモデルには

ノーチラス号

原潜シービュー号

”謎の円盤UFO”「スカイダイバー」

”海底大戦争”「スティングレー」 

”海底軍艦”「轟天号」

小沢さとる作「サブマリン707」

があるそうで・・・・。

謎の円盤UFOって、エリス中尉のあれですよね。
それから、轟天号!
このブログでは散々「海底軍艦」で盛り上がったもんですよ。

まさか空は飛びませんよね?

六甲アイランドの人口川でなら問題はないと思うのですが、
潜水艦ラジコン操縦を野池で行うのは大変なスリルと緊張です。

一つ間違えば非常に長い製作時間を費やした作品を失う危険と隣り合わせ。

そもそも、ラジコン潜水艦の水密(可動部分、スクリューを回す軸の防水、
水圧対策)及び潜行・浮上は技術的に大変難しく、そのハードルを
クリアーするのは簡単なことではありません。

だからこそ、その達成感は何ものにも代えがたい喜びとなるのでしょう。

目の前で潜水してくれないと写真に撮ることができず、
結局潜水中の写真は唯一このシーンだけです。

ひとしきり見学が終わって、外に出てみました。

会場では野外ステージでこの日「防衛パネルディスカッション」をした
メンバーの属するアイドルグループのパフォーマンスが行われていました。

ちなみに、このグループは芸能事務所に所属するれっきとしたタレントですが、
阪神基地隊の催しには他の出演者(近隣大学のブラバンやアカペラグループなど)
と同じくボランティアで出演しているのだそうです。

この炎天下、日陰もないアスファルトの上で皆さんご苦労様なことです。

前列どころか、見物しているのが全員男性(平均年齢35くらい)です。
しかもその最前列の席には海上自衛隊の制服姿が!

うーむ、このお姿は先ほどパネルディスカッションを行なったばかりの(略)

最前列の椅子の背中には「指定席」という貼り紙(笑)

ちなみにアイドルの出番が終わり、ファンがすっかりいなくなった後も、
同じ席でずっと後続のパフォーマンスに拍手を送っておられました。




続く。




自衛隊の「奉仕精神」と「リスクヘッジ」の兼ね合い

2018-07-28 | 自衛隊

阪神基地隊のサマーフェスタ会場に展示されていたパネルです。

この日一般公開されていた「ちはや」と「さざなみ」は、
今回の西日本豪雨災害で支援を行ない、交代してここに来ていました。

 

関係者に聞いた話だと、発災後の呉では広島からの取水管に問題があり、
断水がしばらく続いているということで、教育隊や「かが」、
「くにさき」、「しもきた」等の大型艦を開放して入浴支援を行いました。

江田島も幹線道路がほとんど分断されたため、一術校から小用には出られず、
早瀬、音戸経由で何とか呉に出ていましたが、この画像の左下にもあるように
呉地方隊はなんとLCACを出して、呉まで希望者を乗せて、
入浴をするというなんとも裏山、いや心憎い支援を行なったそうです。

今HPを見たら、断水している地区の中学校で入浴支援を行なっていますが、
水道復旧の見込みが立ったので支援は8月9日に終了する、とあります。

また、呉地方総監部によると、7月20日には断水が復旧したため、
艦艇による入浴、給水、洗濯支援を終了した、ということです。

この写真からは、どんな支援任務においても、自衛隊が「顔の見える」、
心からの接遇を心がけているのが窺え、国民の一人として頭が下がります。

 


ところで話は変わります。
まずはこの写真を見ていただけますでしょうか。

左舷格納庫部分に水平に三本の線状にの傷がついています。

メールで「いつかブログに取り上げてください」と読者の方が送ってきてくれた写真です。
この護衛艦は「まつゆき DD-130」。

この無残な傷は、哨戒ヘリSH60Jのローターが接触した痕なのです。

覚えておられますでしょうか。
事故は2012年4月15日、大湊基地を出航後に起こりました。

この事故は、恒例の練習艦隊寄港を済ませ、大湊基地から出航した
「かしま」「しまゆき」「まつゆき」3隻の練習艦隊を見送るため、
低空を展示飛行中だった大湊基地の哨戒ヘリSH-60Jが
「まつゆき」艦体にメインローターを接触させ、墜落したというものです。

ヘリは海中に転落し、7名の乗員のうち機長であった三佐以外は
全員救出されました。

機長は引き揚げられた機体の操縦席で発見されました。
機体が海に落下したら、まず脱出を試みるのが本能的な行動のはずですが、
操縦桿を握ったままというのはそれを全くしようともしなかったということです。

メールを下さった方は、

「他の乗員は皆脱出出来ているので、恐らくは
ローター接触後も何とか機体を立て直すことに全力を上げつつ、
責任を感じて脱出しなかったのだと思います」

と推測しておられます。

わたしも、おそらく機長は自分の操縦ミスであったことから、
乗員を全員無事に脱出させることを優先したのだろうと思いました。

それでは今回、ヘリはなぜ艦体に接触したのでしょうか。


海上自衛隊では遠洋航海に向かう練習艦隊を他の隊員たちがいろんな形で見送ります。
海軍時代から続く伝統であり、見送る者と見送られる者が交わす海の儀礼は
見る者を感動させずにはいられません。

たとえば、練習艦隊が遠洋航海前の内地巡航で地方隊に立ち寄ると、
基地所属や最寄りの航空部隊のヘリが見送りのために上空に飛来するのも
海上自衛隊になってから生まれた習慣でしょう。

そのとき、ヘリコプターの機長はサービス精神を発揮して、
ぎりぎりまで艦に接近することもあるのだそうです。

サービス精神。

機長がその優しさからこの言葉に忠実であろうとしたことが事故に繋がりました。
このことにわたしは胸が塞がれるような悲しみを覚えるのです。


 

サービス精神といえば、今回のサマーフェスタ会場でも思ったのですが、
自衛隊が一般人を対象にするいかなるイベントにも見られるのが
一種健気なまでのサービス(奉仕)精神であり、つまるところ安全への配慮です。

一般人を乗せる体験航海や観艦式などでは、彼らが事前にどれほどの準備を行い、
主に安全を確保するために最大限の注意を払い気を遣っているのかが、
当日現場を訪れると至るところに感じられて感動するのが常です。

 

しかしどんなに安全対策に気を遣っても、事故は起きるときには起きるものです。

護衛艦「かが」見学中の男性が転落、けが

14日に金沢港に入った海上自衛隊第4護衛隊群所属の
護衛艦「かが」艦内で同日午前10時40分ごろ、
関係者らへの特別公開に参加していた金沢市の男性(83)が
甲板と格納庫を結ぶエレベーターの隙間に落ちた。
男性は約20分後に救助され病院に搬送された。

左まぶたの上を切るけがをしたが、意識ははっきりしているという。

同艦によると、男性は自衛隊石川地方協力本部友の会の役員。
山野之義・金沢市長らと20人のグループで艦内を見学中、
航空機運搬用エレベーターの
ケーブルが通る隙間から
約3メートル下にある可動式の甲板の床に転落した。

自衛官10人が引率にあたっていたが、隙間の周辺には誰もいなかったという。

遠藤昭彦艦長は

「艦内のお客様への対応の警戒が十分でなかった。深く反省している」

と述べた。
1万人超の来場者を見込む15日の一般公開では隙間周辺に柵を設け、
警戒にあたる人員も増やして安全確保に努めるとしている。

「かが」は海自最大の基準排水量1万9500トンのヘリコプター搭載護衛艦。
就役訓練中で、金沢港大浜埠頭(ふとう)で15日にある
「港フェスタ金沢2017」にあわせて入港し、17日まで停泊する予定。
3月の就役以来、民間港への入港や内部の一般公開は初めてという。

 

少し前にわたしはこの話を自衛隊内部に詳しい知り合いから

「『かが』の一般公開でエレベーターから人が落ちて、艦長は更迭された。
自衛隊の中だけの話だから他には言わないでください」

という注釈つきで聞かされていたのですが、実はこの事件、
その方(とわたし)が知らなかっただけで、石川県の地方紙、そして
案の定朝日新聞がしっかり当時記事にしておおごとにしていたのでした。

その「内部だけの話」に驚いてわたしは帰宅後すぐに調べてみました。
が、当時の艦長は事故後が起こってから次の3月まで艦長のままですし、
後職も群司令部の首席幕僚と、更迭どころか左遷というわけでもなさそうです。

わたしはそのことを確認し、安堵しました。

誤解を恐れず言わせていただくと、状況を鑑みるに、
悪いのはこの怪我をした見学者だとしかわたしには思えず、従って
この責任を艦長が取るのはあまりに不合理だと思ったからです。

ニュース映像をみていただければお分かりのように、
落ちた穴というのは
艦載機を乗せるパレットの隅にあります。
言っちゃなんですが、小さな子供でもあるまいし、この方は
エレベーターの端っこまで行って何がしたかったのでしょうか。

によるとこの83歳の男性、

●エレベーターの写真を撮ろうと後ろに下がった結果、
ちょうどワイヤを通す角の隙間にはまってしまった

●ワイヤの穴を覗き込んでいてバランスを崩した

らしいのです。
写真なら高級機種持ちの「カメ爺」なのかインスタバエなのか知りませんが

(年齢的にこの可能性はないと思いますが)とにかく、たまたま自衛官の
目の届かないところで勝手な行動をして落ちたとしか思えないのです。

一般公開であれば、もっと厳重な見張り体制が敷かれていたでしょう。

しかし自衛隊側はこの日の見学者の主体が防衛団体の関係者であることで
一種安心してしまい、
あるいは市長への接遇に気を取られて、
フラフラ歩き回る人に
気がつかなかったということなのかもしれません。

 

そして、事件からちょうど1年後の今月始めのこと。

当時の艦長と副長二名が書類送検された、という報道があり、
わたしはこの事故が「内々の秘密」でなかったことを知りました。

考えたら、人が実際に怪我をしているのに自衛隊がそれを隠すなど
ありえないことでしたが、考えがそこまで至らなかったのです。

それを伝える石川新聞の記事によると、

去年7月、海上自衛隊の護衛艦「かが」で見学者が落下し
大けがをした事故で、金沢海上保安庁は当時の艦長ら2人を
業務上過失傷害の疑いで書類送検した。
書類送検されたのは護衛艦「かが」の艦長と副長の2人。
2人は去年7月、見学者の男性をエレベーターの隙間から
3メートル下に落下させ大けがを負わせた疑い。
金沢海保は設備管理者の2人が転落防止の措置を怠ったとしている。

書類送検されたからそう書くのが常道とはいえ、

「落下させ大怪我を負わせた」

という語調には個人的に不快なものを感じずにいられません。

それはともかく、この一年の間、元艦長と元副長は、警察組織である
海上保安庁に赴いて取り調べを受けていたことになります。

書類送検というのはその結果を検察庁に送ることで、今後は
検察による事故についての取り調べが行われることになるでしょう。

安全対策に不備があった(つまり男性の動きに誰も気づかなかった)
ということは艦長本人も認めているところですが、怪我人が
地本友の会の会員だということなら、自分の不注意で起きた怪我の責任を
自衛隊に負わすようなことは(おそらくですが)していないでしょう。

つまり全てがこの事件を重く見た警察組織である海上保安庁の判断です。

今後を注視していきたいですが、当事者たちが不起訴となることを祈ります。

 

さて、前々回「ちはや」の見学記で、この日もヒールのサンダルに
スカートの女性が艦艇見学に来ていた、と書きましたが、ここで
この女性によって引き起こされる「リスク」を仮定してみましょう。

もしこの女性が階段から足を踏み外して落ち、運悪く骨折したとします。
しかし、わたしがきっと言うように、

「そんな格好でくるお前が悪い。以上」

ということにはまずなりません。
「かが」の件での艦長と副長のように

「監視を怠ったため階段から落下させ大怪我を負わせた」

として、当艦長は海保の取り調べを受けることになるでしょう。

 


かつて横須賀の米軍基地で「ロナルド・レーガン」を見学した時、
事前にパスポートのコピーを提出させられ、さらに

「65歳以上は乗艦お断り」

という通達がありました。
自分は65歳以上だがどうしても乗りたいと言う人は、

「もし何かあっても自己責任、アメリカ海軍には決して責任を問いません」

という念書を書け、ということでした。
さすがは訴訟大国のアメリカです。

日本人の65歳なんてまだまだ老人などではないですから、
この年齢制限は厳しすぎないか?と個人的には思わないでもないですが、

これがアメリカ軍の考える「生物としての安全限界年齢」なのでしょう。

 

 

公僕という言葉があります。
文字通り公衆に対して奉仕する者、
という意味ですが、
自衛隊はまさに究極の公僕かもしれません。

しかもその奉仕とは、公的機関でありながら決して機械的でも
事務的でもないことは、
例えばあの東日本大震災において

「一人一人の顔の見える災害支援を心がけよ」

と号令を下した現地の指揮官の言葉に表れているでしょう。


わたしも日本国民の一人としてその奉仕精神を尊く有難いと思いますが、
その奉仕精神が、表層的な部分で本日語ってきたような事故に結びつくこともあるのです。

米軍ほど厳格にする必要はありませんが、せめて80歳以上の見学は断るとか、
付添人の同伴を条件にしていれば、少なくとも「かが」の事故は起きていません。

不適切な服装の艦艇見学も、舷梯を上る前に

「乗艦をご遠慮ください」

の一言で済むことです。

自衛隊は現場でたとえ小さな不興を買うことになったとしても、
リスクヘッジを優先することが時には必要ではないかと思うのですが。



 

 




潜水艦救難艦「ちはや」と「えひめ丸」事故〜平成30年度阪神基地隊サマーフェスタ

2018-07-27 | 自衛隊

阪神基地隊のサマーフェスタで一般公開されていた
潜水艦救難艦「ちはや」についてお話ししています。

見学の列は艦橋まで誘導され、そこから外付けの階段を降りて
後甲板に抜けていくというコースになっています。

艦橋窓に貼ってあった信号員の写真も紹介しておきましょう。

こちら手旗信号で通信中。
っていうか、こんなところに立って行うのは普通のことなんですか?

左舷側デッキに出ると、発光信号を行う探照灯があります。

探照灯で行う発光信号についての説明。
「ツートン」の「ツー」では長く、「トン」では短く光らせます。
手が滑ってつけたり消したりするタイミングを間違うと、
読み取ってもらえない、というようなアクシデントもあるのでしょうか。

デッキからは体験航海で一般人を乗せて航行する交通船が見えました。
今日は波もないし、海の上をかっ飛ばしたら少しは涼しいかもしれません。

「ちはや」の艦橋デッキからは外付けのこんな階段を降りていきます。

この左側は当たり前ですが、海。
今から降りようとしているおばちゃん、呑気に写真を撮っていますが、
いざ降りるとなると怖くてなかなか足が踏み出せず、やっとのこと
降りだしたと思ったら気の遠くなりそうな時間をかけて下に到達しました。

岡山玉野の三井造船で行われた「ちよだ」の引き渡し就役式では、
最後に乗艦した艦長がこの外付け階段を猛烈な速さで上っていましたが、
まあ昇りだから自衛官なら当然としても、実際に上から見ると凄い角度です。

回数を経て、この手の階段に比較的慣れているわたしも、
ここを降りるのはスタスタというわけにはいきませんでした。
そこで下にいた乗員に、

「海が時化ているときに怖くないんですか?」

と聞いてみたのですが、あっさりと

「もう慣れてますから」(にっこり)

と返されました。


本艦の使命は沈没潜水艦の救助であり、そのための装備が搭載されているわけですが、
そのメインとなるのが背中に赤いシマシマが4本入ったチョウチンアンコウ、
じゃなくて潜水艦救難艇DSRVです。

DSRVが海中に投入されるときには赤丸で囲んだ「センターウェル」
(中央の井戸)から降ろすと前回書きましたが、英語ではセンターウェルではなく、

「Moon Pool」

というのが名称のようですね。

この他潜水艦救難艦には、無人の探査機(画面右下の赤い装置)もあり、
それはこの後、艦の左舷側で見学することができました。

「ちはや」中心線で艦体を縦切りにすると、こんな風になります。
前回unknownさんも「なんとなく気持ちが悪い」とおっしゃっていたように、
穴はこの部分だけとはいえ、見ていてなんだか不安になる形状ですね。

救難艇をセンターウェル(ムーンプール)からクレイドルで海中に降ろすと、
艇はクレイドルから浮き上がってそこから発進していきます。

ダイバーを海底に運ぶPTC(Personnel Transfer Capsule)もここから出し入れします。

二つ上の画像の赤丸で囲んだ部分、ムーンプールの横に、

「DDC」Deck Decompression Chamber

なるものが4基ありますが、これは潜水士が深海に潜る前に、ここで
作業を行う深度と同じ圧力に加圧し、
潜水病にならないようにするカプセルです。

この逆で、作業を終わったダイバーは、母艦に帰ってくると、
また時間をかけて
体を減圧していかなくてはなりません。

昔のダイバーは、ある程度の深度まで潜ったら海中で何十分か静止し、
だんだんと圧力に慣れながら少しずつ潜り、帰りも時間をかけて
少しずつ圧力に体を慣らしながら浮上していたものだそうです。

階段を降りると左舷側(冒頭写真)に出てきます。

そこにあったDSRVの詳細断面図。
大変見にくいですが、ここは三つの球だけに注目してください。
前回のコメントでお節介船屋さんが解説してくださっていましたが、
これは耐圧球で、人員が必要に応じて乗り込む場所となります。

一番前は操縦室であり乗員(4名で乗るらしい)がいる場所、
真ん中の球は下のスカートを通して沈没潜水艦の乗員を揚収する部屋、
そして後部が機械室となります。

お供えしてあった模型にも赤いシマシマあり。

画面左下の潜水艦はロシアの原潜「クルスク」です。

今回わたしは飛行機の待ち時間、たまたまナショジオの

「衝撃の瞬間 ロシア原子力潜水艦の悪夢」

を観ていたのでその偶然に少し驚きました。


現場にあったこの絵は、DSRVの発進から潜水艦へのドッキングの様子です。

2000年8月12日にバルト海に沈んだ「クルスク」救出の際、
まずレスキューチェンバーは母船の動揺が激しくて失敗しています。
次にDSRVが出動しましたが、「クルスク」の艦体が斜めになっており、
さらにハッチの部分の破損が激しく、接合さえできませんでした。

このナショジオの動画を見ればわかりますが、実は救出作業以前に、
艦内で爆発が起こり、生存していた乗員もそれで全員が亡くなっています。

救難艇DSRVはアームでワイヤを切断することもできます。
前部のスラスタートンネル(覚えたての言葉)の穴が目に見えてかわいいっす。

潜水艦救難は、沈没した潜水艦の擱座の状況によってやり方を変えます。
艦体が傾かずに沈んでいれば、チェンバーを降ろし脱出筒からの救出を試みます。

チェンバーは潜水艦から出されたメッセンジャー・ブイを巻き取りながら降下、
脱出筒の上に到着すると、まず下の区画に注水をして接合部を密着させます。

その後、区画内の海水を排水し、ボルトで潜水艦に固定。
ハッチを開けて乗員を収容してから浮上するという仕組みです。

ダイバースーツとヘルメットが展示されていました。
左にちょっと写っているのは潜水員です。(ものすごい筋肉質スリム!)

潜水艦救難艦のダイバー・・・きっとこの人たちとんでもない肺活量なんだろうな。

と先日測った肺活量が2000台だったわたしが言ってみる。
これでも昔水泳選手だったんだけどな・・あ、小学生の時か。

腰の右部分にノズルが付いているので、これは何かと質問すると、
海中で40度のお湯を循環させて人体を温めるためのチューブを繋ぐそうです。

深海では零下にはもちろんなりませんが中緯度である日本近海でも
特に冬はこのような仕組みが必要となってきます。

この時は展示されてはいませんが、ヘルメットには潜水時、
頭頂部にビデオカメラとライトを装備します。

先ほども説明しましたが、潜水士は必ず潜水前にDDC装置の中に入り、
作業を行う深度の圧力までゆっくりと加圧を受け、
しかるのちPTCカプセルに乗り移って海中に運ばれます。

海中での作業が終わると、潜水員はPTCで再び母艦まで戻り、
PTCに接続したDDCにまた移乗して再び加圧。
作業が終わるまでなんどもこの行程はくりかえされます。

驚くのはここからです。

作業が全て終わったら、潜水員たちはDDCの中で、
ゆっくりと
室内の圧力が大気圧に戻るまで生活します。


ちなみに、水深300mの気圧に加圧するのには3日かかりますが、
逆に減圧には

11日(!)

かかるので、DDC内部にはベッド、テーブル、トイレ、
シャワーが設けられて生活が営めるようになっています。
(食事などの差し入れはどうやって行うんでしょう)

それにしても11日、狭い部屋から一歩も出ずに過ごすって・・。

気圧以前に、精神的圧迫感が凄まじいのではないかと思われます。
11日間も何をして過ごすんだろう・・まさかネットはできないだろうし。

ダイバーの資質って、体力以前に強靭な精神力という気がしますね。

左舷舷側を歩いていくと、今度は

無人潜水装置 ROV(Remotely operated vehicle)

が現れました。

DSRVの補助のために「ちはや」だけに搭載された無人潜水艇で、
マニピュレーターも付いています。

 

ところで、皆さんは2001年2月10日におきた「えひめ丸」事件をご存知ですね。

アメリカの原潜(グリーンヴィル)が、宇和島水産高校の実習船に
浮上した際衝突し、実習船がハワイ沖に沈没したという痛ましい事故です。

あの事故が起こってから、呉で準備をしたのち現地に赴き、
現場海域でアメリカ側とともに
遺体捜索を行ったのが当「ちはや」でした。

 

少し寄り道になりますが、先日、この時の日本とアメリカの対応について
ジャーナリストの有本香氏がおっしゃっていたことを書いておきます。

海底に沈んだ「えひめ丸」からの遺体の収容は困難とみられました。
沈んだのが水深約600mと作業ができない深度だったからです。

この深度での作業は普通のやり方では不可能としたアメリカ側は、
当初、船と一緒に沈んだ9名の遺体は諦めるようにと日本側に申し渡しました。

これはアメリカ人なら十分有り得る対応で、

「魂の無くなった身体はただの形骸に過ぎないのだから、
二次災害の危険までおかして引き揚げる必要はない」

というドライな考えによるものです。
(日航機墜落事故の時に犠牲となったアメリカ人男性の家族は
遺体に全く執着せず、事故後日本に来ることもなかったと聞きます)

しかし、日本側、つまり当時の首相森喜朗氏は粘りました。

遺体はなんとしてでも収容しなければならない。
家族に遺体を返すことを放棄することは許されない。
それが日本人の考え方だ。

と捜索続行を米側に強く要請したのです。
交渉の際、森首相はアメリカ側からこのような言葉を投げつけられています。

「そんなことをいうなら、アリゾナの乗員の遺体を収容して返してくれ」

真珠湾で日本軍に沈没させられた「アリゾナ」は記念艦として展示されていますが、
実は艦とともに沈んだ乗員の遺体は収容されておらず、今も艦内に眠っています。

これは日米彼我の宗教観から発生した遺体に対する扱いの違いによる齟齬でした。

この時、いわば「執拗に」遺体収容にこだわる日本側に、おそらく
プラグマティックなアメリカ人はうんざりし、このような言葉を投げたのでしょう。

そもそも、事故直後早々に、捜索活動を打ち切っていいかと打診してきた米側に
当時の外務政務官桜田義孝外務政務官は

「だが断る!」

と言い放ったという話すらあったくらいです。

しかしとにかく、最終的に日本側の熱意は通じ、沈没から8ヶ月後になって
遺体収容作業がアメリカの手で行われることになりました。

作業は、600mの海底にある「えひめ丸」を水中で吊り上げ、
安全な潜水作業を行うことができる水深35mの海域まで、
約25km船体を移動させたうえで行うというものです。

途中、吊り上げ用ワイヤーが切断するなどの数々の困難がありましたが、
予定より約1か月半遅れた10月12日、ついに吊り上げは成功し、
アメリカのダイバーの手によって8名の遺体が1ヶ月かけて収容されました。

「ちはや」は現地入りして訓練を行い(潜水士の加圧を含むものでしょう)
米海軍からの要請に基づき、DSRV、ROVによる付近海域の捜索を行なっています。


まさにここから、周辺海域捜索のためのROVが海面に降ろされたのです。

ROVは操作卓から操縦を行います。
下の写真が海底を撮影したものらしいのですが、なんだかよくわからないですね。

そして後甲板に出てきました。
柵に沿って列ができていますが、これはなんと、
退艦を待つ人たちがこれだけ溜まってしまったのです。

この待ち時間はなかなか辛いものがありました。

「ちはや」は潜水艦救難だけでなく潜水母艦としての機能も持ちます。
その巨大な艦体には、充実した医療施設を備え、この広い甲板には
救急搬送のヘリも発着することができるのです。

それから、この写真をご覧ください。

同じ甲板で行われた、「えひめ丸」犠牲者の追悼式です。

ちなみに、探索を終えた「えひめ丸」は、引き揚げされず、
もう一度海深1800mの海域まで運ばれて遺棄され、今もそこで眠っています。

この時「さざなみ」からはラッパの音が風に乗って聴こえてきていました。
おそらく格納庫内でラッパの展示が行われているのでしょう。

 

さて、次は何を観に行こうかな。

 

続く。


潜水艦救難艦「ちはや」見学〜平成30年度阪神基地隊サマーフェスタ

2018-07-25 | 自衛隊

ご当地アイドルを迎えての防衛パネルディスカッションが無事終わり、
わたしはまず潜水艦救難艦「ちはや」の見学に出撃しました。

艦内は通路に沿って最後まで見て歩くコースらしく、そのせいで
十人ずつ混雑具合を見て乗艦させていたため、結構長い列ができています。

「ちはや」の舷門は低く、乗艦は容易。
ただし、退艦は甲板から階段を降りていきます。
一般客の見学については、自衛隊は気を遣いすぎるくらい配慮をするのが常で、
この写真でもお判りのように舷梯の下には海への転落を防止の
ネットが張られています。

乗艦するとまず潜水艦救難艦の救難装備品の一つである深海救難艇、
DSRV (Deep Submargence Rescue Vehiecle )があります。

カバーをしている部分は非公開か安全対策?

小型潜水艇とはいえ、この角度から見ると大きさに圧倒されます。
DSRVの揚収設備は艦体のほぼ中央(上部構造物の後方)にあります。

外殻のところどころに穴がありますが、これは耐圧のためでしょうか。
海中を照らすライトが下部に確認できます。

潜水艇の艇首は甲板の方向を向いていますが、これは、
「ちはや」のの搭載艇(09DSRV)は艦尾側に向けて発進し、
艦首側から進入して揚収される方式を取っているからです。

揚収施設の下部分。
この写真からは想像できませんが、救難艇の発進は、艦隊船体中央部にある
ムーンプール(センターウェル)から行われます。

センターウェル下部には艦底閉鎖装置が設けられていて、
2分割した閉鎖板が油圧によって外側に向かって観音開きに開閉する方式です。

見上げるとすごい迫力。
プロペラを囲むようについている「天使の輪」は何かと思ったのですが、
英語では、

「Steering Shroud」

 ステアリングは「操舵」でいいのですが、「シュラウド」というのは
一般的には遺体を包む布(聖骸布)の意味があり、海事用語では
マストに掛かっているネット状の舫のことであり、原子力用語では

原子炉内中心部の周囲を覆っている、円筒状のステンレス製構造物

のことを言ったりします。
潜水艇のシュラウドというのはどれなのかいまいち意味がわからないのですが、
とにかく「周りを取り囲むような形状の操舵装置」でいいかと思います。
(違ってたらすみません)

ふと装置の隙間を見るとダイバースーツが干してありました。
「ちはや」にはやはりセンターウェルから出し入れする

PTC(Personnel Transfer Capsule、人員輸送カプセル)

も備わっていて、潜水員を水中に輸送することができます。

か、かわいいじゃねーか////

「ランタン・アングラー」

というのはこの絵でも薄々お判りのおようにチョウチンアンコウです。
潜水艦救難艇をチョウチンアンコウに見立ててアイコンにしてるんですね。

実際には見ることができませんが、この絵でわかる艇体下部の「スカート」、
このスカートを救難艇は
遭難した潜水艦のハッチに連結し、
そこを通って脱出してくる潜水艦乗員を揚収します。

このマークのチョウチンアンコウくんの背中にはシマシマがありますが、
潜水艦救難艦の上部には赤く太いラインが4本入っています。

これがシマシマ。

「ちよだ」のDSRVがセンターウェルに沈んでいくところ。
どうも、艇体を一度吊り上げて持ち上げ、下支えをレールで移動させると、
そこはセンターウェル、という仕組みのようですね。

救難艇の前からきっちりと仕切られた見学路ができていて、
見学者は一列でじわじわと周りを見ながら進んでいきます。
救難艇を格納するらしい部分から見た救難艇。

皆暑さに耐えながら黙々と並んでいますが、このあと、
格納庫奥にある
それはそれは細くて急な階段を上っていかねばならず、
そのため列は遅々として進みません。

前の方に12cmのストームヒールサンダル+スカートの女子がいましたが、
登るときはまだしも、この後の舷側の階段を降りるとき大変だっただろうな。

本人は「ヒール履き慣れてるから大丈夫!」ってところかもしれませんが、
下で一般人が滑り落ちたりしないか見張っている自衛官は
ハラハラさせられる上、人によっては見たくもないものを見せられるわけで、
はっきり言って大迷惑ってやつだったと思います。

厳しいようだけど、こんなお洒落番長は舷門で乗艦禁止にしてもいいと思う。
何かあったらこんなのでも自衛隊の責任が問われたりしますから。

救難艇の発進&揚収作業の時に使用すると思われるヘルメット。
上は潜航士用のマーク入り特別製?で下は普通用。

当潜水艦救難艦には自転車も搭載しています。

上から見た深海救難艇。
背中の赤いラインがかろうじて見えています。

艇体に入った切れ込みを見る限り、ステアリング・シュラウドとやらは
前後に角度を変えることができるだけみたいですね。
ぐるぐる回ったりはしないのか・・。

階段を上っていったところにあったのはDSRVの電池室でした。
電池といっても、あれだけのものを動かすための動力ですから、
こんなに大きいわけです。

深海救難艇の機関は蓄電池により電動モーターで駆動させるので、
ここで充電して入れ替えるということなんだと思われます。

入ってすぐ気がついたのは、この部屋の涼しさ。

「電池のために冷房しているんですか」

とそこにいた乗員に聞くとそうだとのことでした。
充電した電池そのものが放熱するのでしょう。

まさか、この、カバーのかかっていない白いのが電池なの?

電池室の後は、右舷デッキに出てきました。
この日やはり一般公開されている「さざなみ」が絶好の角度で見えます。

それにしても眼に突き刺さるような夏空の青さよ・・・。

わたしの前を歩いていた男女は「ちはや」乗組員のご両親らしく、
一人の海士くんがやってきて、少し照れくさそうな、ぶっきら棒な様子で

「あとで別のところ案内するから」

などと言いつつ、母親と並んで写真に収まっていました。

この日は関西出身の乗員の家族が息子娘に会うために来ているらしく、
会場では時々「隊員家族」というタグを掛けた人を見かけました。

艦橋の操舵室にたどり着きました。
艦首側左舷に向いたジャイロレピータ。

艦尾側にあるジャイロは稼働可能タイプです。

こんなところに測距儀が!(予備かしら)

「国際信号における緊急信号」

とあり、

「O」人が、海中に落ちた

「IT」私は、火災を起こしている

後はWが見えますが、「医療の助力を求む」かな。

それにしてもこの文章、句読点要る?

艦長(二佐)の座る艦長席。
一般公開で見学者が座るのは全く問題ありませんが、
艦長以外の自衛官が座っているのを見られたら、たぶん大ごとです。

訓練中の環境における人員配置がわかりやすく写真で説明してありました。
ただしこの写真では艦長は赤い椅子なので、「ちよだ」ではなく
イージス艦、ヘリ搭載型護衛艦、輸送艦などの大型艦での一コマでしょう。

一般客の目から数字を隠すパネルがわりに航海科の看板が(笑)
舫でかたどった錨、そしてJSLTは

日本リンパ浮腫治療学会(Japanese Society for Lymphedema Therapy)

んなわけあるか〜い!

艦橋から艦首甲板を望む。
「ちはや」はサイドスラスタを搭載しているのでタグボート要らずです。

「ちはや」にはサイドスラスタの他に可変ピッチプロペラも使用されています。

可変ピッチプロペラ(CPP: Controllable Pitch Propeller、 CPP)は、
艦の全速から微速、停止、後進の全範囲の運転に対して、翼角の制御させることで
前後進の必要な速度が簡単に得られる仕組みです。

サイドスラスタは横に動くため、CPPは速度をコントロールしながら
前進後進ができるというわけ。

もしかしたらこれはカモメプロペラの製品かもしれないので、
HPをあげておきます。

カモメプロペラ可変ピッチプロペラによる安全航行と省エネ

 

ふと海面に目をやると、そこには内火艇(交通船)が、
明らかに一般人と思われる乗客を乗せて航行していました。

そういえば、サマーフェスタ事前に応募すれば乗れる、
とかHPに書いてあったような気がします。

落ちないようにネットを張っているとはいえ、
船上の人たちはずっと立ったままなのね・・・。

信号ラッパの収納場所見つけた。

降りれます!!じゃないだろ?降りられます!!だろ?
と突っ込むのも面倒臭くなるこの存在の耐えられない軽さ。

「ご当地ゆきお」というこのシリーズ、めんたいこ以外にも

「かぼす」「かすていら」「デコポン」「とんこつ」

などが展開しています。ってなんなのよこれ。

 

続く。


ご当地アイドルと考える日本の防衛〜平成30年阪神基地隊サマーフェスタ

2018-07-24 | 自衛隊

前回阪神基地隊に来たのは、昨年の暮れに行われた
餅つき大会(という名称かどうかは知りませんが)の時です。

その懇親会会場に、年端もいかない場違いな少女たちが混じっており、
異彩さで目を惹いていたのですが、後から彼女らが
阪神基地隊御用達の
「ご当地アイドル」であることを聞かされました。


ご当地アイドル(ローカルアイドルともいう)というのは、
文字通り、地域を活動拠点とする「地域限定アイドル」です。

全国各地にに2018年6月現在で1,245組存在するそうですが、
基本的に一つの地域にアイドルが混在することはなく、
したがってここ神戸にも
ご当地アイドルは1組しかおりません。


これがその神戸担当ご当地アイドルのメンバーですが、
何というか、全員その辺を普通に歩いていそうな感じ。
いかにも街で見かけるちょっと可愛い女の子というのがポイントかと。

このご当地アイドルグループと阪神基地隊の縁は結構古く、
基地隊御用達のようになったのは前司令の時からだそうで、
サマーフェスタなどの一般公開の時に文字通り「客寄せ」として
イベントに花を添える的な役割を担ってきたようです。


今回のサマーフェスタでは、彼女らのうち二人をパネラーに据え、
防衛についてのパネルディスカッションが行われました。

これは考えたな、とわたしはちょっと感心しました。

自衛隊のイベントなので、防衛について一般人を啓発するような
真面目な催しも行いたいが、たとえ評論家を呼んできたところで、
いわば週末のお祭りに楽しみを求めてやって来た人たちが、
このクソ暑い(失礼)中、青山繁晴氏や百田尚樹氏ならともかく、
知らないおじさんの難しい防衛講話なんぞに脚を止めてくれるでしょうか。

やっぱりここはアイドルで釣って(笑)熱心に聞いてくれる層の固定化を図り、
人がいるところには人が集まるという群集心理を巧みに利用し、
ちょっと自衛隊の宣伝もしてしまおうという戦略が正解でしょう。

体育館の半分ではトートバッグ製作や鉛筆画の展示、
組紐や南極の氷展示が行われていますが、舞台側の
パネルディスカッション会場では、開場と同時に
パイプ椅子の最前列に席を占める一団あり。

わたしが車で正門前を通りかかった時、ちょうど開場となり、
開門前から待っていたらしき人々が門内になだれ込んでいたのですが、
それはもしかしたらこの人たちだったかもしれません。

というわけで、時間となり、パネルディスカッションが始まりました。
向かって右テーブル、自衛隊からは隊司令、総務科長、先任伍長の三人、
左のご当地アイドル側には大学生と高校生のメンバー二人が座り、
ハラハラドキドキの(嘘)ディスカッション開始です。

わたしは最後列に座りましたが、始まるまでは
椅子にもまだまだ余裕があるという感じでした。

となりではパソコンでモニターにテーマを映す作業をしています。

「どうなる?ニッポンの海上防衛!」

うーん、これはもしかしたら尖閣の中国船による海洋調査の話まで行くか?
と思いたいけど、相手がアイドルではなあ・・・。

ディスカッションはメンバーの紹介から始まりました。
この写真を出してきたのは、基地隊司令の履歴を明らかにするためではなく、
当方、うっかりしていてアイドルの写真を撮るのを忘れてしまい、
後から見ると写っているのがこれしかなかったからです。(しかも一人だけ)


そして、前列の男性陣は、全員が彼女らの熱心なファンだと思われます。
父兄参観に来た彼女らの父親といってもおかしくないような年齢層です。

「誰々(メンバーのあだ名)が一番!」とマジックで書いたTシャツを
来ている人などは
少なくとも父親とかではないことは確かですが。

ディスカッションは三人の自衛官が一つのテーマにつき一定の時間喋り、
アイドルが時々振られるクイズ形式の質問に答え、解説を受けて

「全然知りませんでしたー」

「勉強になりましたー」

と〆るのがお約束、という感じで進みます。
当初の予想通り
アイドルは文字通りの飾り物確定。

彼女らの防衛関連における知識は見たところ皆無で、というか
一般常識的にもそれは如何なものか、というレベルだったわけですが、
しかしながら、世間一般の人の防衛に対する関心なんて、
この平和に暮らしていける日本においてはこれが平均かもしれない、
とわたしはふと考えました。


たとえば、この画面のホワイトボードにお日様マークが見えますね?

これは、彼女らの一人が「機雷」という言葉を知らなかったため、
(機雷の『き』の漢字を聞かれて『奇襲の奇ですか』という名言アリ)
改めてどのようなものか説明した跡、つまり機雷の絵です。

そこから始まるんかい、とわたしは結構ワクワクしてしまいました。
(ネタ的な意味で)

しかし、そのようなやりとりを通じて、彼女らに噛んで含めるように、
海上自衛隊と
防衛の基本について説明していくことによって、おそらくですが、
そこに集まった一般人、前列に陣取っていた彼女らのファンにとっても、
結構な啓蒙になったのでは、
とわたしは進行中考えていました。

 

パネルディスカッションは、「日本にとっての海上交通の重要さ」、
具体的には日本の輸入は海上輸送と航空輸送の割合はどのくらいか、
から始まって、
ソマリア沖アデン湾の海賊対策にまで及びました。

「海賊て、お話の中にしかいてないと思ってたー」(神戸弁)

アイドルがいうと、基地隊司令が、

「パイレーツ・オブ・カリビアンみたいな?」

「そうそう、ジャック・スパローみたいな」


わたしはこのアイドルとほぼ同じことを、
民主党政権下で
当時の国対委員長(平田健二)が言い放ったのを覚えています。

「海賊というのは漫画で見たことはあるが、イメージがわかない」

70過ぎの現役政治家が同じことを、しかも国会で言っていたのですから、
わたしにはとてもアイドルを無知をだなどと笑うことなどできません。

ディスカッションの最後のテーマは

『海上自衛官って?』

お休みはいつか、休みには何をしているのか、どこに住んでいるのか、
年俸はどれくらいもらっているのか。

最後は、わたしにとってこの日唯一全く今まで知らなかった情報でした(笑)

このテーマでも、自衛官が一人ずつ、自分のことを中心に話していきます。

とにかく海上自衛官は家を空けることが多い。
若いうちは家を出るとき奥さんが

「あなた、今度いつ帰ってくるの」

と言って送り出してくれたのに、最近では家にいると

「あなた、今度はいつ行くの」

になってきた、と総務科長が皆を笑わせると、基地隊司令が

「亭主元気で留守がいい、っていうんですよ」

アイドル1「・・・?」
アイドル2「・・・?」

なんと彼女ら、この言葉を生まれてこのかた聞いたことがない様子。
まあこれは時代のせいというより単に本人たちの問題でしょう。


総務科長の話の途中で、アイドルはこの対談中、唯一この時だけ

「(総務科長の)奥さん、(外国)人って聞いたー」

「どこで知り合ったんですか」

などといきなり積極的に質問しだしたのにはふふっとなりました。
お年頃の女の子らしい。

そして、最後の小テーマ、「自衛官にはどうやったらなれるか」。
この大事なポイントには海上自衛隊としては何が何でも着地せねば。

自衛官への登用について簡単な説明をした後、

「あなたたちだって自衛官になれますよ」

「えー、女性の自衛官なんているんですか」_(┐「ε:)_ズコー

「いますよ。今は護衛艦の群司令にも女性がなっていますし・・。
(高校生の)なんとかちゃんは防大に入ることもできるし、
(大学生の)かんとかちゃんは大学卒業後、
一般幹部候補生になるという道もあります」

「でも・・・体力ないからやめときます」(あっさり)

「それじゃ自衛官と結婚するというのはどう?
この基地にもたくさん独身の自衛官がいますよ」

前方の男性たちの空気が瞬間凍ったと思ったのはわたしだけでしょうか(笑)

 

さて、そんなこんなであっという間に1時間が経ち、
パネルディスカッションは無事終了。

決して皮肉でも冗談でもなく、普通の防衛講話とは全く違った意味において、
大いに勉強させていただいた、と言っておきます

さて、会場には陸自駐屯地からの装備展示もありました。
こんなのが伊丹から一般道路を走ってきたのね、とつい考えてしまう、
巨大な発射機(LS:Launching Station)。

これによると、機動時には全長15.90m、全高約4mなので、
連節バスよりは短いくらいでしょうか。
問題は高さですが、これも作業車にはその倍くらいのがあります。

現地の説明がこれ。

あのう・・・これ、パトリオット・ミサイルの発射機ですよね?
なぜ「ペトリオット」という説明が全くないんでしょう。

もしかして何かの配慮?

(とこういうことにはやたら疑い深いわたしである)


パトリオットミサイル(MIM-104 Patriot、MIM-104 ペトリオット)は、
レイセオン社が開発した広域防空用の地対空ミサイルシステムです。

一般的な名称は「パトリオット」(愛国者)ですが、自衛隊では
より英語発音に近い「ペトリオット」を正式名称にしています。

ペトリオットはシステム名で、どのシステムもトレーラーで移動でき、

「射撃管制車輌」「レーダー車輌」「アンテナ車輌」「情報調整車輌」

「無線中継車輌」「ミサイル発射機トレーラー」「電源車輌」

「再装填装置付運搬車輌」「整備車輌」

の10両でワンセットです。
本日ここに展示してあるのはこの10両のうちの一つミサイル発射機です。

現地にはこのペトリオットミサイルの発射機以外にも
偵察警戒車や軽装甲機動車などのほか、偵察用オートバイがいました。

ヘルメットをかぶってオートに乗った写真を自衛官が撮ってくれます。


自の迷彩の人も暑そうでしたが、ここでずっとヘルメットをかぶせ、
バイクに跨らせて写真を撮っている陸自の隊員さんも大変そうでした。

でも、不思議なことに彼らが汗をぬぐったり暑そうにしている様子は全くないのです。
むしろどの自衛官も端然として涼し気にすら見えます。

例のパネルディスカッションで、自衛官に何か質問は、と聞かれたアイドルが、

「海賊対策で暑いところに行ってる自衛官の人たちは体は大丈夫なんですか」

と聞いていましたが、答えは

「そのためにわたしたちはいつも体を鍛えています」

それはよく知ってるけど、体を鍛えると汗の出方までコントロールできるのか?
とわたしはこの日の自衛官たちを見ていて不思議でなりませんでした。

続く。

 


2018年度阪神基地隊サマーフェスタ

2018-07-23 | 自衛隊

阪神基地隊で行われた本年度のサマーフェスタに行ってきました。

例年この時期にはわたしはアメリカにいるので、各地方隊の
サマーフェスタには参加したことがないのですが、今年は渡米が
例年より二ヶ月近く後になったおかげで参加が叶ったものです。

サマーフェスタの前日は、神戸にあるわたしの実家と義母に、
しばらく日本を離れる息子の顔を見せに行くことにしました。

いきなり私ごとですが、今回は実家のこのピアノ、わたしが小学生の頃から
高校受験まで弾き続けたピアノを、実家ではいよいよ処分することにしたため、
お別れの弾き納めをするというのも実家に立ち寄った理由です。

長年弾きこんで紙のように柔らかくなった鍵盤のタッチや、真ん中のレとミの白鍵に
傷があるのも、練習中にコーヒーを置いてできてしまった輪じみの痕も、
その前に座った途端完璧に思い出し、かつてここにいた日々が蘇りました。

iPadに入れていつも弾いている曲や、妹のリクエスト(The very thought of you)
などをひとしきり弾いて納得し、蓋を閉める時に心の中で

「長い間ありがとう」

と呟いてお別れをしてきました。

ところで、私ごとついでに、先日わたしは今年の人間ドックを房総半島にある
亀田総合病院というところで一泊して受けてきたのですが、(写真は個室から)
その日のうちに胃にヘリコバクターピロリ菌がいることが判明しました。

実家に行ってその話をすると、やはり除菌済みだという妹が

「小さい時に川遊びしたことがある子にはほとんどいるらしいよ」

といい出しました。
その時、わたしにはピンと閃くものがあったのです。

「もしかして学校の横に湧いていたあの水・・・?」

わたしたちの通った中学校の外側には農業用に引くための清水が湧いていて、
わたしはバスケットボール部、妹は陸上部のクラブ活動の休憩時間に、
とめどなく湧く冷たい天然の水を一時期飲みまくっていたことがありました。

「あれね、水道水とは違う味だったけど、冷たくて美味しかったのよねー」

「自分でも大丈夫かってくらい飲んだ(笑)」

「やっぱり大丈夫じゃなかったんだ・・」

しかし、ピロリ菌、10代最初に体内に侵入して、宿主が弱ってくる
ウン十年後までじっと息を潜めていたとはなんて我慢強い奴。

医者にも言われてその日から除菌を始め、薬を一週間分与えられましたが、
ピロリ菌が、

「ぐえええ苦しい」「もうあかん」

と死に絶えて行く様子をできるだけ具体的に想像しながら飲むようにしています。

わたしの胃の中の話などどうでもよろしい。

実家で夕食を食べた後は、いつものホテルオークラ神戸に宿泊しました。
チェックインすると、窓の下ではビアガーデンが大盛況。

ビアガーデンの向こう側に見えているのが震災復興記念モニュメントです。
震災で破壊された突堤の一部分が保存されています。


明けて次の日。
雲ひとつない・・・・今日もまた酷暑となりそうな悪寒。

関東も大概ですが、関西の暑さの方が酷い気がします。
なので、今回は車を借りたのは大正解でした。

なんとバックミラーがそのまま車載カメラです。
今時のレンタカー(日産)って進んでる。

阪神基地隊の前まで行くと、別の場所に借りたらしい臨時駐車場に
案内され、そこに留めて基地まで歩きます。

まだ10時なのにフライパンの上のように炙られながら、
皆黙々と基地までの工場街の道を歩いていきます。

「よくこんな日に外のイベントに来る気になるよなあ・・」

こんな時には、自分もそのうちの一人であることをすっかり棚に上げて
世の中の人々の自衛隊イベントへの熱心さにただ感心してしまいます。

実は阪神基地隊というのは、こんな街並みの一角にあったりします。
一帯が埋立地を利用して工場が立ち並ぶ地域で、震災の時には
阪神基地隊そのものも液状化現象で大変な被害を受けました。

駐車場にも正門前にも自衛官が立ってずっと誘導を行なっています。
皆が口々に

「水分の補給をしっかりお願いします!」

と来場者に声をかけていました。
サマーフェスタで熱中症患者を出したら大変ですから。

この日は呉で入浴支援にあたっていた潜水艦救難艦の「ちはや」、
そして護衛艦「さざなみ」が一般公開のためやってきていました。

広島・呉の災害支援を終え、任務を交代しての来神となります。

この時にも呉地方隊では入浴支援任務は行われていましたし、
本来なら一週間違いで行われるはずのサマーフェスタも今年は中止です。

阪神基地隊も水害とその前の震災には出動したというのを聞いていたので、
わたしはサマーフェスタが行われるのかどうか心配でメールしてみたところ、
一部部隊を派遣しているが予定通り行うつもりという返事でした。

基地に到着したので、まずは阪神基地隊司令深谷一佐にご挨拶。

応接室で冷たいお茶を一杯いただきました。

早速応接室の写真に目が釘付けになるわたし。

この写真、神戸湾で機雷を掃海隊が爆破した瞬間なのです。
阪神基地隊には第43掃海隊が所属していますが、戦後すぐから
神戸湾では浚渫の際に機雷が発見されることが何度もあったからです。

この写真には、ポートアイランドの「一文字灯台」ではないかと思われる
赤い灯台が左のほうに見えているので、機雷爆破場所はどう考えても
六甲アイランド付近だろうなと思って見ていたのですが、
こんなニュース映像が見つかりました。

神戸で第2次大戦中の機雷を処理(10/06/12)

左はわたしも出席した「せいりゅう」の引き渡し式の写真です。

応接室と司令室はドアで繋がっています。

年代物の東郷平八郎の掛け軸、「一死報国」という額がありましたが、
どちらも由来についてはわからないとのことでした。

新しい基地なので、昔から所蔵されていたというものでもないわけで・・。

艦番号102「はるさめ」を先頭にした護衛艦群と哨戒機のコンボ。
近くで見なかったので水彩かリトグラフかはわかりません。

さて、応接室で関西水交会の新会長にご挨拶し、
しばし歓談後、いよいよ外に出撃です。

いよいよ、と書いたのは、それだけ過酷な時間になることが予測されたからです。

ご覧のように、阪神基地隊というのはただ建物とこのような広場と岸壁で構成され、
全く日陰というものがないわけですから、夏は暑く、そして冬は
何の遮蔽物もないので、風が海から吹き上げられてさぞ寒いと思われます。

まず、11時から行われる予定のパネルディスカッションを見るために、
体育館に行ってみました。

広い体育館の半分では、サマーフェスタの予定されていたイベントが行われています。

こちらは組紐講座。
舫の結び方を利用して何か作っているようです。

南極の氷の展示もあり。

「どうぞ触ってみてください」

この時で開場してから30分ですが、暑さでもうこんなになっています。
サマーフェスタ終了まで溶けずに残っていたんだろうか。

ちなみに、うちのTOの職場にはなんのツテがあったのか、
南極の氷が送られて来ることになり、皆でかき氷をしようとしていたため、
お節介なわたしが、

「溶ける時に空気が弾ける音を聴くのが南極の氷の楽しみ方ですよ」

と口出しをしておきました。
ここの氷がプチプチ弾けていたかどうかはわかりません。

体育館の中は、日差しこそ差しませんがまるで蒸し風呂のような暑さで、
そのせいか皆が積極的に氷を触りにきていました。

それにしてもこの海上迷彩の隊員さん、こんなもの着て暑くないのかしら。

イベント予告にあった「海図トートバッグ」製作コーナー。
地図柄の、大変おしゃれなこのトートバッグですが、
何と本物の海図(多分破棄処分にする予定のもの)を使って作るのです。

ちなみに右は長崎市、左は下関市の部分です。

クレートにはトートバッグの大きさに裁断された海図が収納されているので、
こだわり派?はこの人のように、あれこれ見比べて、良さそうな図柄を選びます。

そして現場の自衛官に指導してもらい、まず裁断された海図を
木型に乗せて折り目をつけ、糊で貼り、取っ手紐をつけて出来上がり。

旧海軍の艦内帽を被った少年も熱心にトートバッグ製作中。

同じ体育館の一隅には、鉛筆画家の菅野泰紀氏の作品展が行われています。
実はわたしが今回楽しみにしていたのがこれでした。

大阪で行われた練習艦隊の艦上レセプションで菅野氏とご挨拶をし、
その後三笠で行われるという個展のことをお聞きしていたのですが、
多忙で結局横須賀に行くことができず残念に思っていたからです。

HPをみていただければわかりますが、菅野氏はこれを全て鉛筆で描いています。

「産声ー鋼鉄の咆哮 大和」という作品。

「瑞鶴」(左)と「伊勢」。

重巡洋艦「衣笠」と軽巡「神通」。

海大IV型a 潜水艦「伊168」。

なんと魚雷発射の瞬間です。

艦対空ミサイル発射中のイージス艦「こんごう」。
オスプレイが着艦しようとする航空母艦(じゃないけど)「かが」
除籍になって今はもう無い、護衛艦「はるゆき」。

「はたかぜ」はミサイル発射の瞬間です。

「あさぎり」はシースパロー発射かな?

想像で描かれた武器発射の瞬間には不思議なリアリティがあります。

絶対に写真では残せない瞬間も可能。
そう、絵ならね。

というわけで、「おやしお」型が魚雷を放った瞬間。

対潜哨戒機P-1が対潜戦で対潜爆弾か短魚雷を投下!

水平線が斜めなのがいいですね。

掃海ヘリコプターMH-53Eが係維掃海で機雷を爆破させています。
恒例の硫黄島での訓練の一コマでしょうか。

わたしがここで一番気に入ったのは二式大艇の離水する瞬間の絵ですが、
よりによってそれだけ写真を失敗しました。

今HPを見たら、なんと画伯の作品、複製画ならお安く購入できるんですね。
二式の作品のA3サイズ、買ってみようかな。

 

さて、この後、体育館ではサマーフェスタの「目玉」(かもしれない)
ご当地アイドルを迎えての防衛パネルディスカッションが行われました。

 

続く。

 


地下指令室とZ (ズールー)時間〜海上自衛隊八戸航空基地

2018-06-28 | 自衛隊

八戸航空基地見学シリーズの途中ですが、ご報告しておきます。
当ブログで折に触れご紹介してきた呉地方総監の「愚直たれ」が
ついに全国ネット、しかもメジャーな番組で紹介されたそうです。

わたしでも知っている「王様のブランチ」。

ここでも食レポをさせていただいた「愚直たれ使用によるホットドッグ」を、
海自呉資料館(別名『てつのくじら館』)で出演者が食べるという企画です。

TOの職場の方がこの番組を見ていたところ、見覚えのある
池総監のお名前が出てきたので、写真に撮ってくださいました。

そういえば、何日か前に「愚直たれ」について書いたログが
閲覧数上位に上がっていて、はて?と思っていたところでした。

ちょうどこの時期に、P-3Cパイロットである池海将のことが話題になるなんて、
ちょっとした縁を感じます。

「ユーモア発動」というのは、海軍伝統の、

「ユーモアは一服の清涼剤である」

という言葉を引用して「愚直たれ」の由来を説明しているわけですが、
この池総監の表情と「ユーモア発動」のギャップがシュール・・。

レポーターのお嬢さん方、そのホットドッグを食べる時には、
手で持たず、ドック型のケースに乗せたまま食すんですよ〜!
池海将、注意して差し上げて!

こちらの海曹は広報のようですが、もしかしたら考案者?
もしどなたかこの番組をご覧になった方がおられたら教えてください。

 

 

さて、その池呉地方総監がウィングマークを取った八戸航空基地
訪問レポ、続きです。

 

航空機の火災発生時に備えて航空基地に常設されている
航空警備隊の消防設備を見学し終わった後、わたしたちは
カメラと携帯を預け、管制塔に上っていきました。

下総航空基地のもそうでしたが、管制塔のエレベーターは、なぜか
途中までしか行くことができません。
わたしの心象によると、エレベーターを降りてから、約3〜4階分は
(繰り返しますが心象ですので本当はどのくらいかわかりません)
階段を登っていかないと上に到達できないのです。

悟られないように息を整えながら(笑)管制室の説明を聞きました。

内部の光景は下総とほとんど同じで、いざという時のために
テレビも備えてありましたが、もちろん消してあります。

違うところがあるとすれば、下総には神棚があったことくらいでしょうか。

続いて「ベースオペレーション」という建物で、
哨戒に出ているP-3Cをモニターしているコーナーなどを見学しました。

この中は特にカメラを没収されることはありませんでしたが、
かといって写真を撮るのが憚られたので画像はありません。

前後は忘れましたが、車で基地の外周を回るというツァーもあり、
こちらはもちろんのこと写真禁止。

なぜかというと、八戸基地には旧軍施設時代からの壕があり、
そこは秘密の武器燃料庫となっているからです。

例えばこの写真に見られる妙に直線的な台地状の小山、
こんな感じで至る所に壕があります。

ご興味のある方は、グーグルマップで見てみてください。
(今のマップにはどうしたことか、F-2戦闘機が6機に写っています)
いかにも人工的な造形に盛られた部分が基地内に点在しているのがわかります。
これらの壕はおそらく防爆のため堅牢なシェルターでできており、
その周りに土嚢を積んで草を植え、もれなく緑で覆われています。

壕の周りは鉄柵で囲まれ、シェルターの入り口はて鉄扉で硬く閉ざされて、
何人たりとも突破することはできまいと思うくらい警備は厳重でした。

この見学で一番興味深かったのは、航空基地には実は
自衛艦のCICに相当するような地下指令室があったことです。

もちろん写真禁止で、わたしたちは靴のまま入れましたが、
出入りする隊員は必ず入り口でIDチェックの後靴を脱ぎ、
外部の埃を持ち込まないよう靴を履き替えて入室します。

その部屋は、わたしが今まで見てきた自衛隊のどこにも見たことがない、
あえていえば地球防衛軍の指揮発令所のような物々しさで、
そこでは、哨戒機の観測データの解析等が行われていました。

 

実は、わたしたちがここを訪れてしばらくしてから、統合幕僚本部から

6月5日(火)午後1時半頃、
海上自衛隊第1ミサイル艇隊所属「くまたか」(余市)及び
第2航空群所属「P-3C」(八戸)が、
宗谷岬の北約35kmの海域を西進するロシア海軍グリシャⅤ級小型フリゲート2隻
及びナヌチカⅢ級ミサイル護衛哨戒艇2隻の合計4隻を確認した。
その後、当該艦艇が宗谷海峡を西進し、日本海に向けて航行したことを確認した。

という発表があったわけですが、これをみた時、
その解析があの地下の部屋で行われたのか、と非常に感慨深かったです。

 

ところで、ここで説明を受けていてふと気になったのが、

「ズールー時間」

という言葉でした。
疑問に思ったらなんでも聞いてみずにはいられないわたし、

「どうして”Z"なんですか」

すると、説明の方、

「え・・・・と・・。調べておきます」

群司令、

「(説明できるのは)大事なことだよね」

 

後にお礼方々そのことについて改めて伺ってみると、

世界標準時が「Z」の理由ですが、Zは「0(ゼロ)」を意味しており、
Zから東に、Aから順番に指定され、日本は9番目の「i」となります。
JとO(オー)はi及び0(ゼロ)との錯誤を防ぐため指定されていません。

という返事が来ました.

なーるほどー!

「ズールータイム」というのは「軍事時間」です。
一般には「UTC」として「協定世界時と」言われています。

海自では時間を表す場合、このズールー時間に則り時刻の後に日本の時刻帯を付します。
例えば

14:46 i

のように。
グリニッジ天文台のある地域の世界標準時を「Z」とした場合、
それより9時間早いのが日本の時刻帯「i」です。

この際「z」の「ズールー」と同じく、「i」もフォネティックコードにより
「インディア」と呼称します。

自衛隊の人が上の時間をいう場合には、

「ヒトヨンヨンロク、インディア」

となるわけで、これは海自であれば艦船であろうが航空であろうが共通です。

前回「航空隊は海上部隊と文化が違う」ということについて少し書きましたが、
やはり突き詰めていくと航空隊も海自である限りその考え方、物の見方において

「海の上を活動の基軸としている」

のに間違いないのだと知った瞬間でした。

 

さて、みなさま、お待たせいたしました。

何を食べても美味しい食のパラダイス?八戸にある、海上自衛隊での喫食。
ゲストとしてお招きされ、昼食が予定されていると知ったときから
何を食べさせていただけるのか、ワクワクしていたのです。

用意された部屋は、司令官クラスが食事をする部屋で、
座る席にはちゃんと名札が置かれています。

前とわたしたちの横に居並ぶ基地の司令官の前には、
わたしたちに読めるように肩書きと名前が書かれた名札あり。

テーブルクロスは鮮やかな黄緑の布、迎賓室のような立派な椅子に座っての食事です。

これがこの日八戸基地で出されたお昼の御膳だ!

どうですか?みなさん、すごいでしょ。
メインはサケとマグロに三つ葉をふんだんにあしらった海鮮丼、
山菜の天ぷらはちゃんと天つゆが別に添えられています。
そして、お吸い物をご覧ください。

こ、これは・・・せんべい汁ではないか!

前日せんべいを入れて食する「せんべい鍋」初体験をし、
この日も八戸に200年以上伝わる(とはこの時には知りませんでしたが)
せんべい汁を、お澄ましバージョンで再び味わえるとは。

「せんべい汁」の定義は、味噌汁だろうがお澄ましだろうが、
鍋だろうが、とにかくせんべいを入れたものであることを知りました。

そして、写真からもおわかりいただけると思いますが、とにかく美味しかったです。


「海自は何を食べても美味しいですよね」

という話から、舞鶴の術科学校で料理の技術を習得した旧要員のレベルは高く、
退官後に大使館付きのコックになった人もいるという話を伺いました。

(陸自は隊員が交互で料理すると聞いたのもこの時です)

ところでこんな豪華なお昼ご飯は、わたしたちが客で、海将補はじめ
幹部の皆さんだけがいただけるのだろうか?とふと思ったのですが、

聞いてみたところ、この日の隊員のメニューも全く同じものなんだそうです。

テーブルの真ん中には、好みに合わせていろんな味付けができるように、
調味料がぎっしりと並んでいます。

とんかつソースと中濃ソースの使い分けができるってあたりが普通じゃない。
本当に海自というところは食へのこだわりがすごいと感じさせられます。


この会食では、幹部の皆さんからいろんな話を聞いたり、
参加したばかりの練習艦隊体験航海の話をこちらからしたりして、
あっという間に時間が過ぎていきました。

飛行基地とはいえ、練習艦隊の話なども普通に伝わってくるらしく、
晴海埠頭は今工事中らしい、という話題にもなったので、

「横須賀からタグが防眩物を運んできて回収していましたよ」

とその二日前に見たばかりのことをご報告すると、

「防眩物、という単語が普通の人の口から出るとは・・・」

と軽く呆れられたりしました。

 

また、こちらからは出身地や、防大かどうかなども伺ったりしましたが、
割合として一般大卒の幹部が多いと感じました。
ただ一人だけ、航空基地隊司令の二佐が「海上自衛隊生徒」出身でした。

「そういえば体験航海で乗った時の『あきづき』の艦長が生徒出身でした」

「同期かな・・・その艦長の名前覚えてますか」

「えー・・・・・(; ̄ー ̄A 」

鉄火お嬢さんとのメールにしょっちゅう出てきて覚えていたはずなのに、
最近記憶力の低下が激しく、とっさに出てきません。
同じ2佐なので司令の同級生であった可能性は高かったと思うのですが。

「私、海上自衛隊生徒のパンフの表紙になったことがあるんですよ」

そうおっしゃる基地隊司令の面影からは、未だにその写真における
紅顔の美少年ぶりがありありと眼に浮かぶようでした。


皆さんに出身地も聞いてみたのですが、やはり幹部に地元出身は少なく、
三重県、島根県、千葉県などなど。
ちなみに群司令の出身は北海道で、趣味はアイスホッケーだそうです。
スティックを持ちスケート靴姿の写真を見せていただきました。


ところで、八戸基地は、隊員の不祥事など、問題がほぼないのだそうです。
隊員のほとんどが地元出身であることに関係あるでしょうか。

「東北出身の兵隊は粘り強く黙々と任務を果たすので強い」

という俗説がありますが、東北人の真面目な気質も影響しているかもしれません。

その後、色々あって(詳しいことは割愛)基地を辞去する時間になりました。

左側に第二航空軍と八戸航空基地の、右側の門柱には
警務分遣隊、システム通信分遣隊、機動施設隊、そして、
第二航空修理隊の所在を示す表札がかかっています。

システム通信隊群は2002年に再編成されてこの名前になったばかりで、
(それまでは中央通信隊群)本部は市ヶ谷ですが、組織としては
大湊地方総監部からの分遣隊という形です。

なお、八戸基地ではつい最近(3月28日)、部隊が改変され、

第2整備補給隊に「機側整備隊」

八戸航空基地隊に「航空警備隊」

が新たに編成され発足したばかりだそうです。

「君にしかできないことが、ここにある」

八戸の若者諸君、八戸航空基地は職場としてもホワイトだし、ご飯は美味しいし、
君にしかできないことが必ずここにあるはずなので、ぜひ入隊をご検討ください。

青森地本に代わって当ブログ運営からもお願いしておきます。

さて、八戸駅まで送っていただき、予約した新幹線を待ちました。

東京行き「はやぶさ」が到着。

「はやぶさ」は東北新幹線最速の全席指定です。

実は今回、帰りだけですが、「はやぶさ」のグランクラスに乗ってみました。

グランクラスは飛行機で言うところのファーストクラスみたいなものですが、
せっかく滅多に来ることのない八戸に新幹線で行くことになったので、
一度は体験してみようと、TOが予約しておいてくれたのです。

座席はコクーンのようになっているので、思いっきり席を倒しても後ろの迷惑になりません。
流石にフルフラットにはならないようでしたが。

席に着くなり、専任のアテンダントがおしぼりと飲み物の注文を取りに来て、
車内で出る食事をいつ持ってくるか聞いてくれます。

食事は和食か洋食が選べ、飲み物はおかわり自由。(お酒もあり)

スリッパや毛布などのアメニティもあります。

サンドイッチを頼んだら、こんな感じでした。
わたしは食べませんでしたが、パウンドケーキなどのお菓子も出ます。

座席も広く楽ちんでしたが、問題は東京で新幹線を降りてから。

改札を出たらいきなり折悪く通勤ラッシュの在来線に乗ることになり、
気分はまるで魔法が解けたシンデレラのようでした(笑)

 

さて、と言うわけで、八戸訪問も終わりました。

大湊基地、そして空自の三沢基地、同じ八戸の陸自駐屯地とともに、
八戸基地は東北という防衛上の要所において海上を今日も淡々と守っています。

基地で働く人々がどのように航空基地の任務と向き合っているのか、
そして哨戒機を持つこの航空基地がどのように運営されているのか、
片鱗だけとはいえ垣間見ることができました。

この貴重な体験をする機会を与えてくださった第二航空群司令、
そして八戸基地の皆様に心からお礼を申し上げる次第です。

 

 

 

 


航空警備隊 救難消防車〜海上自衛隊八戸航空隊

2018-06-27 | 自衛隊

                

さて、格納庫でP-3Cの機体と、エンジン部品換装の貴重な瞬間を
見せていただいた後は、航空隊基地に必須の消防施設です。

冒頭youtubeは、ここに装備されている消防車の放水の様子です。

この時に哨戒に出ている飛行機は2機だと思うのですが、
エプロンには見渡す限り2機しかP-3Cの姿はありません。

格納庫の中に2機いるのは確認しましたが、まさか全部で4機ってことはないでしょう。
2017年現在で、海自のP-3C保有機数は62機ということですが、
全国に航空基地は全部で六ヶ所にあるので、少なく見積もっても
10機くらいは保有しているはずですよね。

しかし、航空基地のページでも飛行機の保有数って明らかにしませんね。
何か軍事上の機密に属するんでしょうか。

海自の航空基地見学に訪れるのは下総2回を足すと3回目です。
下総でも、基地消防隊の消防車に乗せていただいたことがあります。

おお、消防車の下に一般人でも乗車できる脚台が用意されているぞ。

消防車の車庫に近づいていくと、最新型の救難消防車の横に、
消火活動の時に着る防炎服が立っていました。

隊員さんが消防服と寸分違わない立ち方をしているのは
偶然か、それとも、いつもこの消防服を着ているため、
消防服の「中の人」であることが常態化して、
ついつい普段からこのポーズを取らずにいられないのか。

この右側の消防服が、誰も入っていないのに(入ってませんよね)
どうしてこんな状態なのか、その理由はあとでわかりました。

消防車はこれも下総基地で見た

救難消防車 IB型  OSHKOSH

となります。
救難消防車、というのはイコール自衛隊所有のこのタイプであり、
航空事故に備えて空港に配備される化学消防車を意味します。

●水槽が大きい

●強力な放水の衝撃に耐えるため大型車

●広大な飛行場で速やかに展開する速力

●高い不整地走行能力

これらの条件を備えた車体で、これはアメリカのウィスコンシンに
本社がある「オシュコシュ」というメーカーのものを輸入しています。

オシュコシュ社について調べると、日本でこの「グローバルストライカー」
救難消防車を輸入しているのは陸自、としか書いていないのですが、
わたしは下総でも確かに同じタイプを見た記憶があります。

 

「オシュコシュ」というと、アメリカの子供服ブランドで、
向こうでは安いので息子によく買ったものだ、という話も確か
下総基地見学の後ここでした覚えがあるので、間違い無いでしょう。

 

車両の前面上部に放水ノズルがついています。

もちろん手で持ってホースから放水することもできます。

この隊員さんの制服は所属が「航空警備隊」となっています。
第二航空隊群の編成表を見ても「消防」という文字はありません。
八戸航空基地隊隷下の警備隊として消火部門を担当、という位置付けのようです。

ちなみに、この隊員さんが被っている八戸航空基地隊の隊帽は、
鍬形の立派な兜がモチーフです。

この後はグローバルストライカーの運転席に乗せてもらい、
気持ちの赴くままに放水をさせてもらいました。
(が、カメラを自分が持ったままだったので放水シーンはなしです)

この運転席に座って滑走路を見ると、ちょうど正面にポツンと
消防車が停まっているのが見えました。

滑走路にいつでも侵入できる場所で待機しているのです。

ところで、ふと疑問に思ったのですが、今この時、
消防車の中に誰か乗っているのでしょうか。

何か滑走路で事故が起こった時、人がもし乗っていなかったら、
人は建物から駆けつけることになり、ここに車を置いておく意味がありません。

ということは・・・やっぱり中に人が・・・。

例えばアメリカの空母では、「アラート」の状態になった時には、
カタパルトにつながった機体にはパイロットが乗り込んで、
コクピットの電源はいつもONにしたまま待機するそうです。

パイロットは1時間か2時間で交代するそうですが、アラートの間は
他の作業ができないので、そこでじっとしているしかありません。

カタパルト発進しないヘリコプターなどはいわゆるトラブルシューターという
係が機内でドアを閉め、こちらもじっとしています。

流石に寝るわけにはいかないので、横になって目を閉じるだけです。
これは人によっては「寝ている」と解釈される場合もあります。

 

何が言いたいかというと、もしこの滑走路で待機している消防車に
待機する人がいるなら、その人は飛行機のアプローチがあるまで、
「目を閉じてじっとしている」こともアリなのではないかということです。

ちなみに空母のトラブルシューターを買って出る人は「大変多い」そうです。

そんな推測はどうでもよろしい(笑)

次にこの救難消防車の設備について説明していただくことになりました。

「どうぞこちらからお入りください」

訓練では滑走路を走るだけなので、タイヤはとても綺麗です。
いや、たとえオフロードを走っても毎日ピカピカに磨き上げるのかな?

 まず、車体右側から。

車体後部から中を見せてもらいました。
椅子は跳ね上げ式になっていて、基地を出るような時にしか使わないようです。

自衛隊の消防部隊は、地域災害の時にも出動し消火を行う場合があります。

リール、ボンベ、ストレッチャー、ソリなどが整然と収納されています。

ちょっと「ソリなんですか?」と聞いただけで、全部引き出して見せてくれました。

ところで、先ほど乗った運転席に、こんな状態で防炎服が置かれていました。
これ、どういうことかわかります?

座席に乗り込み、席に座ると同時に、足を長靴に突っ込み、
上着とマスクも瞬時に付けられるようにスタンバイしているんです。

いやー、これは暑い(断言)

八戸の冬は厳しいらしいので、冬場の訓練はいいけど、夏は魔法瓶状態、
一度訓練で着用したら1キロくらいは体重が減っていそうです。

こちらも、整理整頓を異常なくらい旨とする海上自衛隊にしては、
まるで脱いだまま散らかした如く乱雑に捨て置かれているように見えますが、
これも、車両に乗るなり、ここに足を入れて次の瞬間ズボンを引き上げ、
防災服を身につけることができるような置き方をしているんですね。

これを見る限り、防災服のズボンは長靴と一体になっていることがわかります。

もう一度防災服(中の人なし)を見てみましょう。
ズボンが靴と一体型なので、こんな風に人の形を保って立っているんですね。

 

 この夜間消防訓練の映像は必見です。
 
皆が「みんな〜」のAAみたいになって、猛烈な火に立ち向かっております。
 
参考画像
 
USJで「バックドラフト」を見たことがある人なら、実際の経験がなくても
いかに火というのが恐ろしいか、お分かりだと思います。
 
上のyoutubeも、防災服をフル装備で身につけ、
その猛烈な炎に平常心で立ち向かっているように見えるとしたら、
それは恒常的な訓練の繰り返しの賜物なのに違いありません。
 
 
 
実際の消火訓練は、この飛行機を模した構造物で行われています。
この中に取り残された搭乗員を救出する、という説明が出てきたので、
実際にその搭乗員の役を誰かがするのか?とびっくりしたのですが、
映像を見ると、現場から担いで救出している隊員というのは、
この「中の人のいない防災服」でした。
 
これだけリアルだし適当に重いし燃えないので、救助訓練人形にもなるんですね。
 
防災服を担架に乗せて緊縛し、救急車に乗せて運ぶまで行いますが、
担架に乗せている女子隊員がつい笑っているように見えるのは気のせい?
 
 
こちらは従来型のタンク車。

 
海上自衛隊も救急車を保有していることを改めて知りました。
 
自衛隊の救急隊員は、救急医療に必要な技能を持つスペシャリストです。
彼らは救急車積載器具取扱訓練AEDを使用した心肺蘇生法訓練
外因性・内因性救急シミュレーション訓練などを受けています。

大規模災害が起きると、航空基地所属の消防部隊はすぐさま現場に出動し、
他機関と連携・協力して人命救助に当たることを任務の一つとしています。
 
 
 
消防車庫には、このような出動ランプがあり、非常時には点灯するようになっています。
 
向こうに見えるのは管制塔です。
わたしたちはこの後、管制塔の見学を行いました。
 
今のうちにお断りしておきますが、管制塔に上る前に、わたしたちは
またしてもカメラと携帯電話を没収されたので、内部の写真はありません。
 
 
 
 
続く。
 

P-3Cエンジン部品換装作業を見る〜海上自衛隊八戸航空基地

2018-06-25 | 自衛隊

 

日本国自衛隊は、陸海空そのいずれもが航空機を持っています。

航空自衛隊はもちろん固定翼機、回転翼機のいずれもを、そして
陸自は陸上で展開するための回転翼機のみを所有しています。

これに対し回転翼機、飛行艇、そして固定翼機を保有するのが海自です。

飛行艇US-2は洋上着水して救難を行う固定翼機ですが、旧海軍時代の
二式大艇の流れを受け継ぐものなので、海自が運用するのはある意味当然でしょう。
回転翼機は艦(ふね)に乗せるのですから海自が所有するのが当たり前。

なぜ海自が運用しているのか素人にはわかりにくいのがP3-Cです。
もちろん、「対潜哨戒機」という本来の用途を知ればその意味は明白ですが、
近年海自では「対潜」の文字をを取って「哨戒機」としているとか何とか。

つまり、

「ASW:Anti Submarine Warfare aircraft 」

ではなく、

「MPA:Maritime patrol aircraft」

です。
これは決して反戦派への忖度などではなく、昔の潜水艦だけ相手にしてた頃に比べ、
高性能なレーダーや赤外線監視装置の導入で水上艦にも対応できるようになったこと、
洋上監視、捜索救難支援、軽貨物輸送、映像・電波情報収集、通信中継など、
任務の多目的化が進んだからだそうです。

 

八戸基地は海上自衛隊の基地でありながらポートはポートでも
エアポートなので、
艦艇を持ちません。

「うちは、そのため気質的には空自に近いかもしれません」

この日訪問し、施設見学をした八戸基地で司令はこのように言いました。


海自と空自の気質の違いというのが具体的にはどんなものなのか、
わたしはここで説明できるほど内部に詳しくないのですが、
一般的に三自衛隊の傾向は

「用意周到 動脈硬化(頑迷固陋)」陸自

「伝統墨守 唯我独尊」海自

「勇猛果敢 支離滅裂」空自

とされており、このブログの読者の方々であれば、おそらく
海自についてはその所以について説明する必要もないでしょう。


旧陸軍を頑ななまでに否定して生まれたのが陸自、
航路啓開の任務をきっかけに旧海軍の組織とやり方を継承した海自。

陸海には旧軍に対する正反対の向き合い方があるわけですが、
そういったしがらみが全くなく、戦後ゼロからの出発となったのが
航空自衛隊です。

ただし、黎明期の空自には旧陸海軍の搭乗員が集まってきたため、
特に元士官同士で、それはそれは根の深い対立が起こりました。

ただでさえ戦時中反目し合っていたのが呉越同舟となったのですから、
その確執は想像に余りあります。

しかし、不幸中の幸いというのか、国内の旧軍飛行場は終戦後、全て
アメリカ軍はじめ連合軍に接収されていたこともあり、その流れで空自は
陸海どちらでもなく、アメリカ軍のやり方が主流になったと言えるかもしれません。

ただし、アメリカのエアフォースというのは戦後(47年)生まれ。
こちらは陸軍航空隊が主流になっていましたが、いかんせん歴史が浅く、
よく言えば因習にとらわれないリベラルな自由闊達さが、悪く言えば
言葉通り支離滅裂というかアナーキーな体質が醸成されたのでしょう。

かたや海自P-3C部隊のルーツをたどれば、航空偵察部隊の「彩雲」でしょうか。
しかし対潜哨戒機部隊となると、海軍には

東海(九州飛行機製作)

という幻の飛行機にその片鱗が見られるだけで、厳密な意味での
P-3C部隊のルーツは存在しないと言ってもいいのかもしれません。

つまり同じ海自でも水上艦と違い航空隊に「伝統墨守」は微妙に当てはまらないのです。


新生海上自衛隊の固定翼機部隊は、アメリカからの引退寸前の
お古飛行機をもらって
運用することから始まりました。

最初に導入した対潜哨戒機は、「おおわし」と名付けられたアメリカのP2V-7で、
(現在鹿屋に機体が展示されて見ることができる)
特筆すべきは、
この時最初の搭乗員となった海自隊員は、渡米して操縦
訓練を行い、
向こうで機体を受け取ってきたということでしょう。

この時点で、海自固定翼部隊からは旧海軍のしがらみというのが
ほぼ払拭され体質的に生まれ変わった、とわたしは考えます。

つまり、群司令がおっしゃった「空自に近い空気」というのは、
単に「フネを扱わない」ということのみならず、アメリカの血
(しかもそのアメリカ空軍も新生で根無し草的体質だったりする)

を初期に導入したということにあるのではないかと洞察するものです。

その意味では、やはり最初の艦をアメリカで受け取ってきた潜水艦も、
例えば魚雷発射の時に「テー」ではなく「ファイアー」と号令するなど、
微妙に海軍とは別組織のかほりを身につけて今日に至るのではないか、
とわたしは思ったりしますが、正直どちらも推測の域を出ません。



現群司令が前職だったとき、進水式や引き渡し式でお会いすると、

「私、飛行機なので、こういう式典って本当に珍しいんですよ」

と式典に出た地本の陸自隊員と全く同じことをおっしゃっていたのを思い出します。
司令の同期だという航空整備出身の海将補も、

「この配置(艦艇装備関係)になって生まれて初めて進水式を見た」

といっておられましたっけ。

ともあれ艦(ふな)乗りと飛行機乗りが存在する唯一の自衛隊が海自です。
そしてこれは素人にもわかりますが、両者は文化が違えば気質も違ってくるわけで、
もちろん彼我に対する基本的な知識の欠如といった問題も起こります。

そしてその話を裏付けるような、こんな笑い話?を司令ご自身から聞きました。

かつてトルコ駐在武官であったときのこと、おそらくですが、
艦艇の入港に関する連絡を電話で受けていたところ、相手が言った
「Pontoon」という単語がわからず、その意味を聞き返したのだそうです。

すると相手は大いに驚き、

「貴官ハ海軍士官ニアラザルヤ」

と(もちろん英語で)聞いてくるので、

「我航空士官ナリ」

と(もちろん英語で)答えたというお話。

 

 

さて、八戸航空基地見学に戻ります。

P-3Cの内部を見学し、操縦席に座らせてもらって、中の説明を受け、
搭載武器についても実物(ダミーかもしれませんが)を見せてもらい、
車で移動して別の格納庫にやって来ました。

そこには、翼のところに作業台を置いたP-3Cがいました。

「今からエンジンの部品交換をします。
部品を外して整備済みのものと交換する作業です」

脚立の上には合計三人の整備員が乗って折しも作業中。
これはもしかして、ものすごく貴重なシーンを見せてもらえるのでは・・・。

「しゃ、写真撮ってよろしいんでしょうか」

「大丈夫です」

そこで、大胆にも作業をしている台の真下まで近づいてみました。
3番エンジンです。

座っている二人が、ちょうど部品を外す作業を済ませ、取り外し中。
後ろの人は手を滑らせても部品が落下しないように牽引して支えているようです。

外した部品は右の人の脚の向こう側にあります。

左の人が外した部品を置く場所に手早く毛布を敷きました。
手前の人の体に遮られて見えませんが、二人で部品を毛布の上に移しています。

向こうの人の名札には「整備 検査」と書かれています。

そしてこちらには調整検査済み部品がスタンバイしています。
どこかで調整してから、台車でここまで運んで来た模様。

毛布に乗せた部品は、作業員二人を乗せたまま電動でウィーンと下げられました。
それを、同じ高さにあげられた台車の上に乗せて、こちらも電動で下に降ろします。

とにかく、手渡しで上から下に、という危険なことは絶対に行いません。

部品はこのような大きさなので、一人で持てないこともないと思うのですが、
黄色い木製の専用台の上に乗せて慎重の上にも慎重を期しています。

 

ところで、すごく基本的な疑問なのですが、
この部品って、なんなんでしょうか(爆)

そこで大胆にも外した後のエンジンマウントのなかをのぞいてみました。

毛布が敷いてある上の空間が、部品のあったところです。
前部は右側の中央にノズルのあるところにはめ、後部は
比較的太めの黒いチューブにつながるのだと思われます。

ということで、わからんなりにコンプレッサーでは?と推察してみました。

違ってたら大恥ですが、ここで恥をかくのはもう慣れっこなので平気です。
みなさん、ぜひ正解を教えていただきたく存じます。

わたしがエンジンルームの中を覗き込んでいる間に、無事
取り外した部品はこれから取り付けるもののところにたどり着きました。

奥が今取り外したもの、これから取り付ける部品は台の上です。

ところでですね。

わたしは、ちょうどわたしたちが車でここに到着したその時に、
換装作業が「ヤマ場」、つまりちょうど部品を外すところであったのが
あまりにもタイミングが良すぎる、と不審に思ったわけです。

こういうときの自衛隊がそれこそミリミリで物事を進めることを
今までの経験から知っていたので、もしかしたら、ここの整備の人たちが、
私たちの到着予定時間に合わせて準備をして、ちょうどここに来る時間に
ぴったり部品の取り外しを見せてくれたのでは?と考えました。

その後、高松での掃海隊殉職者追悼式に出席したわたしは、式前日の
「うらが」艦上でのレセプションで、固定翼操縦出身の呉地方総監に
このことを伺ってみました。

「あの作業って、わたしたちの到着に合わせて行われたんでしょうか」

「そうでしょうね」

「つまり、ちょうど外すところを見せるために?」

「そうです」

言下に肯定されて、またしても、

「わたしたち二人のために、そこまで・・・」

と恐縮するとともに、海上自衛隊おそるべし、と舌を巻きました。

このツールデスクにもびっくりさせられましたよ。

このデスクは蓋がそのまま天板になる仕組みで、特別に制作されたらしい、
ぴったり工具の形をした窪みにツールが整然と収まっています。

全ての工具が一覧でき、一つでも回収できていなければすぐにわかる仕組み。
作業が終わってデスクを片付けるときには、工具に不足がないか、
必ず点検を行うのだそうです。

「工具の置き忘れなどを防ぐための工夫です」

なるほど、あわてんぼうの外科医が患者のお腹に器具を置き忘れる如く、
エンジンルームの中に工具を置き忘れるというようなことがないようにですね。

また、航空機の場合、プロペラから異物を吸い込むことが重大なインシデントとなります。

コンコルドの事故のように、他の飛行機の破片をタイヤが踏んで破裂したことが
原因で墜落することだってあるので、アメリカ空母の甲板では、

「フォッド・ウォーク・ダウン」(FOD Walk Down)

といって、乗員が総出で端から端まで歩いて異物やゴミなどを拾う、
という作業がこの手の事故を避けるために行われたりしています。

Foreign Object Debris Walk-down On Supercarrier USS George H.W. Bush

小さなネジ一本もきっちり使用後は元に戻し、それを点検することで
この基地ではインシデントの原因を取り除いているのです。

デスクの下は棚になっていて、まず右端は先ほどの部品を
乗せて上げ下ろしするための木の台を収納する場所です。

作業で出たゴミは、可燃不燃、銅線、安全線に分別して
きっちりと缶に捨てることになっています。

これも格納庫内に異物を残さないための小さな工夫です。

 わたしたちが促されて次の見学のために歩き出したときには、
調整済みの部品を換装する作業に入っていました。

同じ格納庫の隅のショップでは、白い防護服を身につけた人たちが、
室内で行われている作業を外から見ている様子です。

彼らの作業姿と、室内が全てビニールで覆われているところを見ると、
中では塗装作業が行われていたものと思われます。

 

この写真に写っている柱に、安全標語があります。

「安全は心で流すな 鼻で守れ」

で・・・いかにも現場ならではの経験から出たらしい言葉ですね。

 

続く。

 

 

 

 


空対艦ミサイル〜海上自衛隊八戸航空基地

2018-06-24 | 自衛隊

 

海上自衛隊八戸基地はP3-Cの航空基地です。

「八戸基地を見学してきました」

とパイロット出身の将官にご報告したところ、懐かしそうに、

「八戸はわたしがウィングマークを取った想い出の基地です」

 

格納庫で見学を終わった後、わたしたちは広大な基地内をマイクロバスで
順次見学して回ったのですが、その施設見学中、案内の方が

「彼は今パイロットの資格を取るためにここで修行してます」

すらりと長身で綺麗な面立ちをした隊員を指差して紹介しました。

P3-Cのパイロットになるには、高校卒業後適性試験を経て航空学生になり、
山口県下関市にある小月教育航空隊において基礎教育を受けたのち、
要員として機種を決定され、徳島の教育隊でTC-90を使った訓練を行います。

彼はここで現在P3-Cのコパイとして経験を(養成訓練)積んでいるわけです。

「おいくつですか」

「23です」

機長になれるのは早くて24からということですから、彼は後1年もすれば、
冒頭の海将のように、ここ八戸でウィングマークを取ることになるのでしょう。

「頑張ってください」

励ましの言葉をかけると、彼はにこりと微笑んで

「はい」

と頷きました。

一切写真は撮れませんでしたが、見学コースの中には、現在当基地を飛び立った
P3-Cがどこにいるのかモニターをしているデスクもありました。

「今どこにいるのか見せて頂いていいですか」

見ろとも言われていないのに好奇心からついモニターににじり寄るわたし(笑)

「ここです」

モニター員が指差したところは、ほぼ下北半島南側の海上でした。

東日本大震災が起こった平成23年3月11日にも、八戸航空基地からは
任務飛行のP3-Cが飛んでいましたが、発災から9分後の14:55、
当時の第2航空群司令は地上から発令し、その機体を直ちに
三陸沖に向かわせています。

震災の時の第二航空隊群の活動についてはこちら。

東日本大震災の活動

ここは正確には「八戸飛行場」が公称であり、海上自衛隊の飛行場ですが、
滑走路そのものは海自と滑走路を挟んで反対側にある陸上自衛隊八戸基地が
共同で運用しています。

1941年に陸軍の飛行場として開港し、戦後は進駐軍に摂取され、
1956年の撤退まで「キャンプ・ホーゲン(ハウゲン)」という名前になっていました。

日本に返還されてからは海自と陸自という現在の形になりましたが、
一時は三沢飛行場をアメリカ軍が(おそらくベトナム北爆の関係で)独占していたので、
追い出されていた空自と民間機がここから発着していた時期もあったそうです。

第二航空隊群の任務の一つに、「オホーツクの流氷観測」があります。
昭和35年に始まった流氷観測は、冬季における北海道周辺での船舶航行の
安全のために欠かせない任務で、気象庁からの依頼で行われています。

 

ところで冒頭画像は、格納庫でP3-Cを見学する前に撮った記念写真で、
左が第二航空隊群司令の海将補、右が第二航空隊司令一等海佐です。

この3月に着任した群司令の瀬戸海将補は、今回八戸の勤務は4度目。
右端の藤原一佐の現職である第二航空隊司令だった平成24年以来、
6年ぶりに八戸に帰ってきたということになります。

 

ちなみに海将補が二空司令だった時に、そのオホーツクの流氷観測に上がった
2機編成のP-3Cの編隊長(左席)として操縦する当時の産経新聞ニュース映像は、
youtubeで今でも見ることができます。

海上自衛隊P3C哨戒機 オホーツク海の流氷観測


この訪問時、わたしたちは、航空基地の司令官クラスの官舎前に停めた車で
司令をお待ちしたということがありました。

官舎は基地の一番外側、道路に面したところに位置しますが、敷地からは
直接基地の中に入っていける仕組み、つまり職住一体型で、何かあれば
夜中でも休みの日でも、次の瞬間現場に駆けつけることが可能です。

 

「起床時間より前に、P-3Cのエンジンを始動させる音で目が覚めるんです」

経験がないので想像でしかないのですが、あの独特の「キュイーン」という
金属音を含む響き、そしておそらくは航空燃料の匂いも漂ってくるのでしょう。

この言葉に、わたしはP-3C乗りの原点であり、故郷でもある飛行基地に
司令として帰ってきた自衛官の隠しきれない高揚を見た気がしました。


さて、基地見学の続きと参りましょう。

格納庫には、まるで基地祭の時のように、魚雷などが解説付きで並んでいます。
この辺りで、わたしは、

「もしかしたら、わたしたち二人の見学のためにここまでしてくれているの?」

とむしろ不安になってきました(笑)

この日はただの表敬訪問というわけではなく、それなりにこちらも
一種の「仕事」を兼ねていたのですが、それにしてもたった二人のために、
格納庫のP-3Cも、
内部見学のための動員もスケジューリングされている、
と考えると畏れ多さに身が縮む思いがしたものです。

 

この接遇に対して何か恩返しができるとすれば、それは・・・

ここで見たことを当ブログで少しでも多くの人たちに宣伝することだ!

そういう思いに至ったわたしは、わたしたちのために出してくれた説明の、
一枚の看板も無駄にせず、
ブログネタにする気満々で写真を撮りまくりました。

一番左にあったのは、Mk46航空短魚雷だと思われます。


ご覧のように、艦艇からちゅどーん、P-3Cからフワフワ、
ヘリコプターからぼちゃんと落として、つまり潜水艦をやっつけます。

そもそも短魚雷そのものが対潜を目的に作られていますのでね。

この図ではP-3Cから投下された短魚雷はパラシュートを開いて海に落ち、
その後旋回して目標捜索を行い命中!となっていますが、
空中を自走する魚雷には(別バージョンかな)

「Blood hound」(血の猟犬)

という中二病好みのあだ名があると聞きました。
なるほどね。
血に飢えた猟犬のごとく、放たれた途端確実に相手を仕留めにかかる、
というわけだ。


ただ、これを落とされる潜水艦の方も、例えばアクティブ追尾に対しては
擬似気泡高圧空気の放出(バブル)、
パッシブ追尾に対しては、
雑音を発生させて音響的視野を撹乱したりして生存をはかります。

また潜水艦は、海中にダミーの航跡を作ったり、急加速、急旋回、
そして急潜航など、
原初的な方法でも魚雷をかわすことが可能なので、
対潜魚雷は決して一撃必殺というわけではありません。

 


ところで潜水艦といえばここだけの話ですが、今回八戸基地への訪問に際し、
わたしたちは(
あくまでもコンプライアンスに則ったものという前提で)
司令に軽い手土産をお持ちしようとしていました。

ある日、TOがわたしにこれなんかどうかな?と指し示した
ネットのページを見て、わたしはクラクラとめまいがしました。

「あのさあ・・・・」

「え、ダメかな?」

ダメもなにも、身に付けるものというアイテムだけでもアウトなのに、
どこの世界に潜水艦の形をしたネクタイピンのお土産をもらって
喜ぶP3C乗りがいると思っているのか。

TOの恐ろしいところは、冗談やウケ狙いでやっているのではなく、
心の底からそれが良かれと思っていたことです。

「海自の人だし、いいと思ったんだけど」

「ケンカ売ってると思われてもいいならどうぞ」

「(´・ω・`)」

結局無難に「消えモノ」になったことはいうまでもありません。 

これはこの下につけられていた説明によると「機雷」です。


名称が書いていないので調べたのですが、

67式150キロ対潜爆弾

ではないかと思われます。
爆弾でありながら、航空機で敷設する機雷にもなるということなんでしょうか。

真正面から撮ってみました。ハープーン・ミサイル
Harpoonはマクドネル・ダグラス社の商品名で、捕鯨用の銛のことです。

空対艦のハープーンミサイルはAGM-84という型番です。

発射するときには大体の方向を入力すればその方向に向かって飛び、
最終的には自分でレーダーを作動させて目標艦船へと突入するという賢い奴です。

「亡国のイージス」では「うらかぜ」はこれで「いそかぜ」に撃沈されましたよね。
真田広之演じる先任伍長の仙石が、

「ハープーンかっ!」

と飛翔するミサイルを見て叫ぶシーンを覚えている方もおられるでしょうか。


これは説明要りませんね。
本体にでかでかと名前が書いてあります。

ASM-1C、91式空対艦誘導弾

つまりここにある武器は、P3-Cが搭載し、攻撃に用いるものばかりです。
搭載については、先ほど開けて見せてもらったボム・ベイまたはウェポン・ベイではなく
翼の下のパイロンに牽引するようですね。

そもそもこの誘導弾は、P-3C専用に我が技研と三菱重工業が開発したもので、
誘導弾の翼の形など、全てオーダーメイドでぴったり合わせてあるとか。

ただし、自衛隊は、最初に空自のために作った

ASM-1 80式空対艦誘導弾

を基にして、陸海空の使用用途に合わせて少しずつ仕様を変えて運用しているので、
オーダーメイドというより「セミオーダー」「イージーオーダー」というべきかもしれませんが。

 

さて、P-3Cの搭載武器を見学したあと、わたしたちは
別の格納庫に連れていかれました。

格納庫の隅には関係者のロッカーが設置されています。

地面に荷物を置いておくと、カラスがやってきてやられてしまうそうです。
この敵ばかりには空対空戦を仕掛けるわけにもいきませんしね。

 

 

続く。