ラ・プロンジェ深海工学会

深海に関する学術技芸を考究し、海中観測・作業や機器開発などを推進する学会の活動を紹介します。

「小笠原丸」と「泰東丸」の調査結果(制作中)

2024-08-21 06:42:06 | 小笠原丸・泰東丸調査
調査結果の一部を速報でお知らせします。

小笠原丸
右側が船首。アップライトに海底に鎮座しています。


泰東丸
砂に埋もれています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「小笠原丸」と「泰東丸」の調査

2024-07-25 09:14:03 | 小笠原丸・泰東丸調査
2024年8月、新たな調査プロジェクトをおこないます。1945年8月22日に北海道留萌沖で起こった「三船殉難事件」で犠牲になった「小笠原丸」と「泰東丸」を、マルチビームソナーで計測し、立体図を作成し、海底でどのような状況にあるのかを明らかにし、犠牲者の慰霊をおこないたいと考えています。 また、調査を通じでマルチビームソナー調査技術の詳細や海底調査活動の実態を紹介します。
海況にもよりますが、調査実施予定日は8月20日です。

クラウドファンディングを開始しましたので、よろしくご支援ください。
https://academist-cf.com/projects/353?lang=ja
なお、従前通り、ニコニコ生放送およびYouTubeで実況中継する予定です。
【8月3日(土)14:00-】
北海道沖で撃沈された「三船殉難事件」の沈没船を追う
〜なぜこの調査が必要なのか 解説&プロジェクト紹介〜
https://youtube.com/live/p_oBQaUuqms
【8月20日(火)朝6:30-(予定)】
北海道沖で撃沈された「三船殉難事件」の沈没船を追う
〜船上からマルチビームソナー調査の全工程をライブ配信〜
https://live.nicovideo.jp/watch/lv345479660


写真は三船殉難の碑です



碑文には次のように書かれています


沈没した2船は過去に潜水調査がおこなわれ水中写真が撮影されてはいるものの、海底にどのような状態で横たわっているのか、その全体像は明らかになっていません。海洋調査の基本は、マルチビームソナー(MultiBeam EchoSounder:MBES)を使って地形図を作ることですが、戦後の潜水調査ではそれはおこなわれておらず、潮がきつく、透明度も悪いことから、船名確認を含め、十分な調査はできていないのが現状です。



そこで私たちは、最新鋭のマルチビームソナーを用いて沈没した小笠原丸と泰東丸の三次元計測をおこない、立体図を作成し、2船が現在、海底でどのような状況にあるのかを明らかにし、犠牲者の慰霊をおこないたいと考えています。 また、調査を通じでマルチビームソナー調査技術の詳細や海底調査活動の実態を紹介します。 MBESの計測方法は



深さが浅いので、私たちがおこなった呂500の調査結果のような詳細な三次元データが取得されるはずです。地元の遊漁船「第二紀宝丸」んい装置を取り付けて調査をおこないます。




調査予定は
2024年8月19日 留萌港にて調査通信機器を艤装
2024年8月20日 調査
2024年8月21日 予備日
2024年8月22日 予備日、殉難の日

・小笠原丸
 逓信省海底電線敷設船
  総トン数:1,403トン、
  長さ:74.1m、幅:10.4m、深さ:6.8m、喫水4.97m  2軸
  竣工:1906年8月15日、建造:三菱合資会社三菱造船所



・泰東丸
 特設砲艦(戦時標準船2E型) 所有者:東亜海運(株)
  総トン数:880トン、垂線間長:60m
  竣工:1944年7月4日、建造:東京造船所(豊洲)
  泰東丸に関しては適当な写真がありません。

小笠原丸は、日本が初めて建造したケーブル敷設船です。小笠原丸を含め、日本のケーブル敷設についての簡単な歴史を紹介します。
・明治5年(1872)8月 関門海峡・前田~雨ケ窪間(1.1km)に本邦最初の1心GP海底電信ケーブル布設(担当、独人シェーファおよびジョンス)
・明治7年(1874)10月 津軽海峡、福島~今別間(40.2km)にストアノルデスケ号により海底電信ケーブル2条布設
・明治8年(1875)2月 明治丸、英国グラスゴーより横浜へ回航
・明治10年(1877)7月 津軽海峡海底ケーブル修理、(大北電信会社へ委託)完了(本邦初の修理工事)
・明治26年(1893)7月 長崎平畑~五島田部手間(96.7km)に1心GP海底電信ケーブル布設
・明治29年(1896)4月 布設船沖縄丸竣工(英国グラスゴー・ロブニッツ会社)
・明治29年(1896)6月 沖縄丸英国より長崎へ到着
・明治37年(1904)2月 卒土浜(対馬)~巨済島~漆原半島間(147.4km)に1心GP電信海底ケーブル布設
・明治39年(1906)8月 布設船小笠原丸竣工
・明治42年(1909)6月 大連~芝素間(166.1km)に1心GP電信海底ケーブル布設(8.16 一般公衆通信取扱い開始)
・昭和20年(1945)2月 小笠原丸、静岡県下田港にて空撃を受ける
・昭和20年(1945)8月 小笠原丸、北海道増毛沖約4海里で魚雷攻撃を受け沈没



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沈没艦船の特定に向けての浦環日誌

2023-11-20 09:26:28 | 学会からのお知らせ
調査と特定に向かって、どのような活動を浦が行ったかについての日誌です。昔のことについての不足分については、順次たしていきます。月日を4桁の数字で表しています。



2024年7月27日更新

0807
北海道新聞社の取材を受ける

0806
共同通信社の取材を受ける

0803
Youtube のニコニコ公式チャンネルで、私たちのプロジェクトの紹介をしました。古庄幸一さんとの対談です。
北海道沖で撃沈された「三船殉難事件」の沈没船を追う
〜なぜこの調査が必要なのか 解説&プロジェクト紹介〜
https://youtube.com/live/p_oBQaUuqms

0724
「三船殉難事件」で沈没した「小笠原丸」および「泰東丸」の三次元形状をマルチビームソナーで調べる計画をOpenにしました。Academistさんのクラウドファンディング
https://academist-cf.com/projects/353?lang=ja&utm_source=BenchmarkEmail&utm_campaign=academist_newsletter_240724&utm_medium=email
およびニコニコ生放送の予定も広報しました。
8月3日
https://youtube.com/live/p_oBQaUuqms
8月20日
https://youtube.com/live/Wwrkr-ud6-8

2024年
ーーーーーーーーーーーーーー
1120
2018年におこなった呂500の調査に関連し
「日の丸を掲げたUボート」内田弘樹著、イカロス出版
が2023年11月27日に出版されます。浦のインタビュー記事が掲載されています。

0516
アルバコア調査の報告書をブログに上げました。ご一読ください。

2023年
ーーーーーーーーーーーーーー
2022年

1005
多くの方々からご支援をいただいて、10月2日に無事に実行ができました米国潜水艦「アルバコア」の中型潜水艦による調査データを分析しています。まだ未熟ですが、写っている部分がいったい何なのかを取りまとめ速報としてZOOMで講演いたします。ぜひご視聴ください。どなたでも参加できます。

10月 5日 (水曜日):午後8:00~9:00
https://us06web.zoom.us/j/89563210096?pwd=RWVWNGQ4YkhVZ0ROK0g3VkJwSkM5UT09
ミーティングID: 895 6321 0096
パスコード: 745381

なお、クラウドファンディングは、10月6日17時まで開いておりますので、よろしくご支援ください。

1001
皆様
浦@ラ・プロンジェ深海工学会です
私共は、2017年の伊58呂50特定プロジェクトを皮切りに、沈没艦船の調査をおこなってきました。2022年10月2日に、米国の潜水艦「アルバコア」の第二次調査をおこなうにあたって、沈没艦船の調査の歴史や意義、アルバコア調査の内容や課題などを紹介する講演会をZOOMで開催いたします。奮ってご参加ください。

日時:2022年10月1日9時半から約1時間半
場所:
https://us06web.zoom.us/j/85276494389?pwd=NlhqODdyQUFHTWJ2U21pSHhjMWZVUT09
ミーティングID: 852 7649 4389
パスコード: 416407
講師:ラ・プロンジェ深海工学会代表理事 浦  環
題目:「沈没艦船の調査の道 ー潜水艦アルバコア探索第二次調査に向けてー」

どなたでも参加できます。
同時にニコニコ生放送でも放送いたします。
https://live.nicovideo.jp/watch/lv338632583

なお、アルバコアの第二次調査のために、クラウドファンディングをおこなっていますので、よろしくご支援ください。
https://academist-cf.com/projects/265/comments?lang=ja

0927
アルバコア第二次調査のための第八開洋丸は、函館港中央ふ頭を10月1日17時に出港し、アルバコアに向かいます。

0923
 第二次調査のためのクラウドファンディンをすでに開始しました。よろしくご支援ください。
https://academist-cf.com/projects/265?lang=jp
英語版もあります。
調査は、ニコニコ生放送で放送します。同時通訳を付け、海外の視聴者の便宜をはかります。
https://live.nicovideo.jp/watch/lv336612796
ニコニコ生放送のタイトルには「大型」とありますが「中型」が正確です。

0722
 ROVを使ったアルバコアの第二次調査を10月2日におこなうべく、準備を進めています。アルバコアの全体像を明らかにします。これまでは、8月末か9月初旬といっていましたが、準備の都合で、ひと月遅らせました。

0526
 ROVを展開して艦橋付近を調べました。詳細はニコニコ生放送をご覧ください。
https://live.nicovideo.jp/watch/lv326919568
ガトー級潜水艦の艦橋です。
発見位置をプロットしました。海図は日本測地系で描かれているのにご注意ください。

なお、2022年8月30日までに掲載されていた図は誤っていましたので、差し替えました。

0525
 アルバコアとおぼしき沈没艦船を予想位置近くに見つけました。その周囲にはなにもありませんので、これでしょう。長さ47mぐらいです。


0522
 クラウドファンディングのコメント欄に、貴重なご意見をいただいたので、下記のようなご返事をいたしました。

 私は、今から50年程前、大学院生のときに「ぼりばあ丸」「かりふぉるにあ丸」の事故原因に関する基礎的な研究に関係していました。二隻の大型ばら積み船の沈没は、社会的にも技術的にも話題になりました。海難審判で事故原因の特定がなされ、一方の原因は「これだ」という審判に、一方の船は「不明」という審判になっています。沈んだ船を調べる手立てがないので、あくまで状況証拠にのみ立脚しています。50年前は太平洋に沈んだ船を調査する技術がなかったので致し方ないでしょう。しかし、その後の海中技術の発展は素晴らしいものがあり、海に沈んだものは、「できない」といって放置しておいてよいものではありません。1980年に大東島沖合で沈没した大型ばら積み船「ダービシャー」は、台風の中でSOSを出さずに沈んでしまいました。アメリカとイギリスのチームが遠隔操縦式無人潜水機を使って1996年と1997年に集中的に調査し(水深は約4000m)、残骸の写真を撮影し、事故原因を究明しました。その結果は思いもよらないものだったのです。
 日本では、2009年に長崎の第十一大栄丸が沈没したとき、深さが100mだったにもかかわらず、農林水産大臣(前職は防衛大臣)は、海上自衛隊も海上保安庁も引き揚げる技術も装備もない、として引き揚げをいったん断っています。海没艦船の調査に対しても同様な考えに立脚していると聞いています。我が国の海中技術に関する一般的な認識は低く、事実が究明されないままで、多くの人たちが幽冥を異にすることになったにも関わらず、放置されています。日本海で沈没して多大な被害をもたらした「ナホトカ」の船尾部調査に参加した私は、そのような日本の現状を憂いていて、打破するための努力を最大限におこなっています。
お亡くなりになった方々、行方不明の方々へのシンパシーはとても重要です。一方で、海中技術に関わる人間としては、シンパシーに答える技術は何であるのかを示すことが必要です。そのように考えて、微力ながら仲間を募り、寄付を集めて、プロジェクトをやっています。どうぞよろしくご理解いただき、ご声援ください。
また、今回は米国潜水艦が対象です。海没した潜水艦についていろいろと調べる内に、米国がどのように対応しているのかを勉強しました。また、ポール・アレンのグループの素晴らしい活躍についても見聞を深めました。彼我の違いをプロジェクトを通じて実感するところです。アルバコアで成果が上がりましたら、また、次のターゲットを目指して前進していきたいと思います。

2022年
ーーーーーーーーーーーーーー
2021年

2021年7月26日更新

0726 北海道のCOVID-19の感染拡大が収まらず、8月末に予定していたアルバコアの調査を2022年5月末へと延期することを決断しました。先が読めず、調査に期待してくださっている方々を長くお待たせすることになってしまい、心苦しい限りです。
0519 風はほとんど無いが気温が低くて寒い。サブボトムプロファイラーで集中的に調査。USVは取り残した部分のマルチビームソナー調査をおこなう。雨の中にROVをおろすが、視界が悪く、海底はよく見えないので、諦める。15時に帰港して調査を終了しました。撤収。クラウドファンディングは、目標の100万円を越えました。有り難うございます。次は、アルバコアを必ずやる、その次に考えているのは、伊202とニコニコ生放送で宣言しました。
0518 脚が引き上げられた場所に、4名の写真と花束を並べ、菊の花を一輪、海に投げて戦没者を慰霊。マルチビームソナーとサブボトムプロファイラーで海底面を調査。表面には特段のものはないが、海底下1mぐらいの泥の中に多数の落下物がある。そのいくつかを選んで、明日より詳しくサブボトムプロファイラーで調べることにする。
0517 風が強く、調査を延期して、機器の調整などをおこない、準備を進める。
0516 「東京湾B-29探索プロジェクト」の調査作業を開始。早朝より、牛込漁協にて原紺屋丸に調査装置類、生放送のための設備類の艤装をする。USVやROVの調整をおこなう。クラウドファンディングは、目標の半分の50万円に到達した。
天気予報では、10m/sec以上の風が吹くとのこと。予定を一日遅らせて、18日と19日に調査をすることにした。
伊58呂50特定プロジェクトのクラウドファンディングに支援いただいた方々に、メールを出し、東京湾B29探査にも支援してくださるようお願いした。

2021年
ーーーーーーーーーーーーーー
2020年

0804 COVID-19の感染拡大を受け、「アルバコア探査プロジェクト」の調査を2021年6月末に延期しました。準備が進み、クラウドファンディングも目標の半分が集まっていたので、残念ですがいたしかたありません。2021年5月ごろに新しい調査日程を発表する予定です。多くのご支援をいただき、私どもの活動が期待されていることを大いに認識するところです。クラウドファンディングは、8月末に調査をおこないます、と書いているところから、キャンセルし、来年になって再度立ち上げることにいたしました。
0722 新しいプロジェクト「アルバコア探査プロジェクト」の開始を発表しました。クラウドファンディングを開始、直接の寄付集めを開始しました。皆様よろしくご寄付ください。

2020年
ーーーーーーーーーーーーーー
2019年

0407 事務所を五島市に移しました。
0215 「五島列島沖合に海没処分された潜水艦24艦の全貌」を出版しました。

2019年
ーーーーーーーーーーーーーー
2018年

1128 呂500探索プロジェクトと大洋丸探索プロジェクトのクラウドファンディング報告会を12月16日(日)13時半からと15時半から、西新橋の航空会館地下一階会議室にておこないます。
0822 KPLに乗船しました。本航海の航海日誌としてTwitter記事を纏めて掲載することにしました。
0821 ブログの目次を作りました。
0820 22日出港予定を一日遅らせ、23日朝8時半に門司港を出港することにしました。
0819 台風19号の速度は遅く、出港予定日あたりに北九州付近にやってきます。さらに、その後を台風20号がおいかけてきます。22日出港予定は数日延期になるかもしれないと考えています。また、クラウドファンディングの支援が期日を後10日を残して、半分に至っていません。お願いに回らなければならないと切実に思っています。
0813 御遺族に代わって沈没現場に「品」を捧げることにし、SNSを通じて案内をだしました。
0807 東京海洋大に大洋丸の航海日誌を調べに行きました。
0807 「潜水艦の特定に向けての浦環日誌」から「沈没艦船の特定に向けての浦環日誌」にタイトルを改めました
0805 記念艦三笠の講堂にて講演会をおこないました。参加者約70名、ニコニコ生放送でも配信しました。次のプロジェクトとして「大洋丸探索」を紹介し、具体的な調査内容を発表しました。
0802 呂500のクラウドファンディングのReturnのT-Shirtsを、サイズをご返信くださった方々に、約240枚発送しました。次の発送予定は、8月中旬です。
0726 大洋丸探索プロジェクトのクラウドファンディングをACADEMISTで始めました。また、並行して、CFを経由せずに学会が直接ご寄付を賜るページをブログに作りました。
0720 呂500発見記念のT-Shirtsをデザインし、注文しました。クラウドファンディングのReturn用に約300枚、そのた販売用に200枚。注文を受け付けます。
0629 8月5日日曜日午後に横須賀の記念艦三笠講堂にて呂500探索プロジェクトの報告会を開催します。プログラムの詳細は後日ご連絡いたします。
0628 7月3日10時から西新橋の航空会館会議室B102にて記者会見をして、呂500探索プロジェクトの成果を報道関係者に発表します。ニコニコ生放送で中継する予定です。よろしくご覧ください。
0621 呂500の北側に新たな潜水艦を発見し、伊121と確認しました。これで三艦を特定、ハットトリックを達成しました。皆様、ご支援有り難うございました。この成功を、ニコニコ生放送を通して一緒に参加してくださった方々と時を共有できたことは、苦労のしがいがありました。また、多くの方々からご支援ご声援を賜り有り難うございます。この成果を、三艦の計画、設計、建造、運航、ロジなどに関わった皆様、ご家族ご友人、関係者の皆様に捧げたいと思います。
0920 ROVを投入して北の潜水艦を呂500と確認しました。プロジェクトのタイトルは達成いたしました。
0619 冠島西方海域をMBESで調査し、潜水艦二艦を発見しました。南は呂68ですが、北は伊121か呂500です。深田サルベージさんの調査の二艦に対応します。位置を性格にしました。いろいろ考察をして、明日ROVで確かめることにしました。
0618 23時、ReadyForでのクラウドファンディングは、391名から460万円のご寄付をいただき、終了いたしました。有り難うございます。海での作業の財源はいくらあっても足りないのが現状です。呂500探索のためにラ・プロンジェ深海工学会への直接寄付をいつでも受け付けています。よろしくお願いいたします。
0618 調査初日、朝6時に越前漁港を大黒丸で出港し、「シンヤマ」へ向かいました。MBES(マルチビームソナー)で船影がはっきりと見えます。網もかかっているようです。ROVを投入しましたがうまく動かず、船名を確認するのを断念しました。
0615 台風が発生し、海況が気になります。
0614 12日のニコニコ生放送は2時間近くの放送になり、12,769件の視聴があり、「いいね」は97%を越えていました。ご覧になった皆様、コメントをお寄せ戴いた皆様有り難うございました。
0611 12日22時からニコニコ生放送で呂500探索プロジェクトの紹介番組を古庄さん、勝目さん、堀さんと約1時間おこないます。さらに、18日朝6時から調査の模様をニコニコ生放送にておこないます。ぜひご覧ください。
0529 クラウドファンディングは、当初目標としていた200万円のゴールを越えました。皆様、有り難うございます。当初のゴール設定は最小限のものとしました。海洋調査は、その後のデータ処理や、海況の悪化による調査の延期など、別途の経費が必要です。それらを補填するために、目標値をさらに高く再設定することも考えられますが、再設定はしないことにしました。当初のゴールを越えて、ご寄付をお願いします、という態度でいきます。どうぞよろしくお願いいたします。
0518 呂500探索プロジェクトへの寄付を募金するために、ReadyForさんでクラウドファンディングを始めました。https://readyfor.jp/projects/Ro500/comments 一ヶ月間で目標金額を2百万円としました。よろしくお願いします。また、海上保安庁の調査届けを出しました。
0517 海上保安庁舞鶴管区と敦賀管区の境目は、内浦湾正面埼と北緯36度50分、東経135度10分を結ぶ線であると情報を得ました。米軍資料の海没処分位置はこの線より東側すなわち敦賀管区にあります。しかし、舞鶴管区の中も調べる必要があり、両管区に作業届けを出さなければなりません。
0516 北陸財務局より連絡があり、海上保安庁への届けを先にだすようにと言われました。
0509 財務省近畿財務局と北陸財務局に潜水艦調査の許可を取るためにお願い状を出しました。
0507 呂500探索プロジェクトのFacebook Pageを作りました。
0502 国有財産を調査するには財務省の許可が必要です。海は管轄している地方自治体がないので、若狭湾の呂500調査に、どこの財務局に申請書を出せばよいのかわかりません。京都府ならば近畿財務局、石川県ならば北陸財務局、なのですが、とりあえず北陸財務局審理室に電話をしました。
0425 呂500探索プロジェクトの第1回運営委員会を開催し、調査第一日を6月18日としようと決めました。
0417 越前底曳漁協を訪問し、呂500を探索するための船を決めてきました。ROV、MBES、SSBL、衛星アンテナを搭載するスペースなどを確認し、「大黒丸」を使わせていただくことになりました。6月16日から24日の間に調査をいたします。
0413 私が主宰する「海中海底工学フォーラム」で、呂500探索プロジェクトの紹介をし、寄付を呼びかけました。
0412 伊47の全体画像を作り、それを動画にして遠方から見た感じにビデオを作り、これをYouTubeにアップしました。ぜひご覧ください。https://www.youtube.com/watch?v=mDBWLyzkgFY
0409 さっそく4件の寄付の申し込みをいただきました。有り難うございます。
0406 呂500探索プロジェクトを立ち上げました。そのために、ブログの構成を変更しこの頁を「学会からのお知らせ」というカテゴリーに入れました。また、寄付の募集を開始しました。これは、学会のプロジェクトへ直接の寄付をお願いするものです。
0405 Academistに送った報告書のできが悪く、書き直してAcademistに送り、再送をお願いしました。この修正には、SVD(提督兼博士)様にたいへんお世話になりました。有り難うございます。
0321 AcademistのReturnのための報告書を纏めて、Academistに送りました。
0117 横浜の大さん橋ホールで開催されている「海と産業革新コンベンション(うみコン2018)」にて「海のどこでもドア」という題名で講演し、その中で、五島列島沖合の海没処分潜水艦群の調査についてと、バーチャルメモリアルの作成、呂500の調査について述べました。呂500は、2018年の6月ごろから海洋調査を始めると申し上げました。

0218
----------
0217

1222 五島市で講演会をしようともくろんでいましたが、当分の間、未定です。
1216 佐世保での講演会は、大阪から駆けつけてくださった方もいらしてDiscussionはおおいに盛り上がりました。日本中に多くの支援者がいらっしゃることを実感し、次のVR制作に向かって邁進いたします。
1207 終了したイベントのブログのページを「終了」というカテゴリーに移しました。
1203 三笠講堂での講演会は、期待通り盛り上がりました。ニコニコ生放送は一万件を越える視聴があり、嬉しい限りです。この講演会を目指して、特定の詰めをしました。これまで区別がつかなかった伊366と伊367とを区別することに成功しました。また、米国艦の記録から、「波」の区別も進めました。つぎは、16日の佐世保での講演会です。
1116 年明けの1月13日に五島市にて講演会をするために段取りを開始しました。
1024 12月16日佐世保のアルカス佐世保にて講演会を開催する段取りをしました。ブログにプログラムの掲載と詳細の案内は後日おこないます。
1012 12月3日横須賀の記念艦三笠講堂にて開催する講演会のプログラムを作り、ブログにアップしました。前回の三笠での講演会と同じようにニコニコ生放送にて実況中継いたしたく存じます。
1010 JAMSTEC東京事務所会議室にて、ACADEMISTクラウドファンディングの大口寄付者を対象とした講演会を開催しました。20名弱の参加がありました。次は、呂500と客船大洋丸の探索をいたします、と約束しました。回天の探索ももちろんいたします。高知から参加された方より、素晴らしい日本酒をいただきました。
1007 長崎ペンギン水族館で子供達を対象に(同数程度の大人も参加)潜水艦調査の話をしました。一人、小学生の子供でとても詳しい子がいて、いろいろと質問をしてくれました。「どうしてえばるの」「えばるのは楽しいからです」
0914 ACADEMISTクラウドファンディングに寄付いただいた方へのReturnの講演会を10月10日夕刻に開催することにいたしました。
0913 ビデオを編集するために、ボランティアを募集しました。
0912 東京大学の安田講堂にてプロジェクトの成果と海中技術への私の意見を述べました。
0910 T-Shirtsを100枚新たに作りました。SNSで案内をしました。
0908 9月12日に東京大学の安田講堂で開催される海洋技術フォーラム主催のシンポジウム「~第三期海洋基本計画への提言~」の中で、特別講演「知られざる海の世界と歴史と技術~五島列島沖とフィリピン海の船影」をすることになりました。そこでは、もちろん海没処分潜水艦群の調査映像を出します。時間が短いので、工夫が必要です。
http://blog.canpan.info/mt-forum/
0907 プロジェクトの結論を記者会見という形で公表しました。伊58はNo.24、斜めに刺さっている潜水艦です。伊36はNo.7、伊47はNo.25、伊53はNo.1、呂50はNo.19です。お待たせしました。
0904 特定の合議を続けて、結論に至る。記者会見用の資料を準備する。ウインディーさんからNo.25の素晴らしいモザイクとビデオ、3Dを受け取る。そうとう大変な作業だったろう。有り難うございました。
0902 特定に関する記者会見を
     9月7日10時半より
     日本財団ビル2階会議室
    にて開催します。タイトルは「五島列島沖合に沈む伊58や呂50など潜水艦を特定」です。
0830 記者会見の準備をする。9月7日におこなう予定。
0829 T-Shirtsを追加注文する。
0827 下船
0826 0400:調査を終了しました。1800:門司港に到着。長かったが、あっという間に過ぎた。
0822 0430:現場海域に到着しました。0610:ROVのテストを終え、HiPAPのキャル。福江からの支援部隊も到着しました。No.7を伊36と確定しました。漁網などが絡み(被い)、隠してしまうので慎重な判断をおこないました。No.7は分かりやすい状態だったので、良かったのですが、その後は困難を極めています。潜水艦に漁網などが絡み(被い)、艦そのものを見られないようにしているからです。
0821 NHKとテレビ朝日、KBCの取材を、早潮丸にて受ける。「自信満々」と言いました。乗り組みチーム編成を少々変更し、15時出港し、一路五島沖を目指します。夕食後に作戦会議。DVLデータのやりとりに不具合があることがわかり、急いで手当をしました。
0820 Paul Allen氏のチームがインディアナポリスを発見したと19日にTwitterで発表しました。おめでとう。伊58はそれに遅れをとること一週間で、世に示します。台風は西に進みつつあり、23日までの波浪予報を見ると、いけそうです。
0819 米軍が撮影したビデオを見直し、それぞれの艦の特徴について再確認する。寄付を直接いただいた方々に、ニコニコ生放送の案内をする。台風が発生しそうなので、気をもむ。
0817 マスコミ関係の取材の調整をおこなう。
0816 静岡新聞の清水港沖の海没処分潜水艦群についての記事「かくて果つ-潜水艦と海没処分」4回シリーズ(8月13日から16日、社会部坂本昌信記事)と番外編を読む。地元の盛り上がりが重要であると昨日電話で伝える。
0816 沖縄県瀬底島における自律型海中ロボットによるサンゴ調査から、若者達実行部隊を残して、一人北九州へと戻る。
0815 杉浦さんと電話にて日帰り部隊の宿泊と移動について詰める。
0815 ACADEMISTに寄付をくださった方へのお礼のメールの原稿をACADEMISTに送る。
0813 CRESTのプロジェクトで、沖縄県瀬底島沖合にて自律型海中ロボットによるサンゴ調査をおこなうために那覇に到着。琉球大学の瀬底の施設へと赴く。
0812 古庄さんと勝目さんと三人で座談会をしてニコニコ生放送で配信。司会の堀さんがとてもよかった。
0811 ACADEMISTのクラウドファンディングが終了。目標500万円を一割越える。支援者も500名を越え、嬉しい限り。沢山のコメントをいただき、それに全て答えた。
0808 門司の日本サルヴェージにてROV搭載機器と通信機器の調整を検分する。順調である。
0802 呉潜水艦教育隊に潜水艦図面を返却するとともに、データの取り扱いの今後の方針について議論する。
大和ミュージアムと図面資料のデータベース化について議論する
0726 髙井研と浦環のバトルトークを生研でおこなう。長崎の小学生に「浦先生は自分では有人潜水艇が作れないから反対するのでしょう」と言われてのけぞる。
0724 五島市福江の漁業関係者と意見交換
0710 舞鶴総監部を訪ね、呂50についての資料を調べる。
0709 京都の梅宮大社の橋本以裕宮司と面会、伊58艦長橋本以行氏についてお話を聞く
0708 記念艦三笠の講堂で、一般向けにSSS調査の報告会をおこなう。にこにこ生中継をしてもらう。1万7千人が見ていたようだ。
0627 実行委員会でこれまでの反省と今後の計画を議論。ROV調査をにこにこ生中継する方針を打ち立てる。
0526 ACADEMISTのクラウドファインディングを始める
0525 航空会館の会議室でSSSデータについての記者会見
0521 三度目のSSS調査。波が若干あり、画像が良くないので途中で切り上げる
0520 二度目のSSS調査。残りの艦とNo.25を調査
0519 一度目のSSS調査。立ち上がっている潜水艦を発見する。No.24も立ち上がっていた。
0516 日本財団から「海と日本プロジェクト」に「海底調査を通じた海中技術のアウトリーチプログラム」が採択された旨の連絡がある。これで規模は別にしてROV調査が可能になった。
0512 調査会社とROV調査についての詳細を打ち合わせ。
0405 呉の潜水艦教育隊を尋ね、設計図など資料を見る。24艦の特定に役立つものを選ぶ。しかし、建造時のものが多く、後での改造に関するものはほとんどない。
0413 伊58呂50特定プロジェクト実行委員会
0404 ACADEMISTとの打ち合わせをする
0105 一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会を登記する

0217
----------
0216

1013 第1回伊58呂50特定プロジェクトの実行委員会。
0224 呂50潜水艦と今井梅一艦長について調べる。三井玉野造船所建造。
0218 参与会議終了後、古庄参与に「「伊58特定プロジェクト」というのをやりたいのですが、ご協力願えませんか」とたずねたところ、「もちろんですが、呂50も特定してください」と逆提案され、「伊58呂50特定プロジェクト」に本腰をいれることになる。

0216
----------
0215

0816 バンキシャ!で伊402調査の報告がなされる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

報告書 第一部~調査までの道のり~

2023-05-16 17:06:53 | アルバコア探索プロジェクト
潜水艦アルバコア探査プロジェクト報告書

本報告書は三部に分かれています。
第一部~調査までの道のり~
第二部~調査と結論~
第三部~終わりに~

目次

第一部~調査までの道のり~
1. はじめに
1.1 一般社団法人 ラ・プロンジェ深海工学会
1.2 アルバコア探索プロジェクト       
1.3 実行委員会と調査チーム
1.4 調査資金
2.USS Albacore(SS-218)について
2.1 艦歴
2.2 主要目
2.3 青図と模型
2.4 1943年のAlbacoreの状況
2.5 艦橋部分の詳細
2.6 沈没位置の推定
2.7 乗組員
2.8 戦績

第二部~調査と結論~
3.調査の概要と結果
3.1 当初計画
3.2 準備
3.3 第一次調査
3.4 第二次調査
3.5 撮影されたAlbacore
3.6 第二次調査を終えて
4.アルバコアであることの確信

第三部~終わりに~
5.米国の対応
6.新聞等報道
7.終わりに
8.サポートを賜った皆様
8.1 第一次調査
8.2 第二次調査


第一部~調査までの道のり~

1.はじめに

1.1 一般社団法人 ラ・プロンジェ深海工学会

 一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会(https://blog.goo.ne.jp/laplonge参照、以下「学会」と書く)は、2017年に設立された非営利団体で、深海に関する学術技芸を考究し、海中観測・作業や機器開発など、深海を含む海中活動に関する普及と振興に関する活動を行い、もって国民の海洋理解の増進に寄与することを目的として、次の事業を行っています。
(1)海中観測・作業の企画と実施および助成
(2)海中工学・技術に関する情報の提供と資料の刊行
(3)海中情報の収集と提供
(4)海中工学イベントの企画と実施
(5)その他、当法人の目的を達成するために必要な事業

これまでの特筆すべきプロジェクトとして
伊58呂50特定プロジェクト(2017年)
呂500探索プロジェクト(2018年)
大洋丸探査プロジェクト(2018年)
東京湾B-29探索プロジェクト(2021年)
をおこない、沈没艦船の発見と特定などに成功しています。

1.2 アルバコア探索プロジェクト

USS Albacore(SS-218)は、1944年11月7日、北海道恵山岬灯台沖合で触雷し、沈没したと考えられ、日本周辺で沈没位置がかなり正確にわかっている米国潜水艦です。目撃情報は、「大湊防衛隊機密第九一号ノ十四、昭和19年11月15日」に「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号」(2.6節参照)として報告されています。
学会は、最新鋭の海中技術を用いて、Albacoreを探し出し、その位置と現状を明らかにすることによって、学会の設立の目的である海中調査技術や海中活動の普及と振興を目指し、艦とともに戦没された方々を慰霊します。
本プロジェクトは、2020年に実施する予定でしたが、COVID-19の感染拡大により、三度にわたる延期をしました。2022年5月末に第一次調査を、同年10月初めに第二次調査を実施しました。

1.3 実行委員会と調査チーム

 2019年11月、学会は「潜水艦アルバコア探査プロジェクト」を
立ち上げました。実行委員会のメンバーは、下記の通りです。
 浦環(委員長)、古庄幸一、小原敬史、青柳由里子、稲葉祥梧
 柴田成晴、高島創太郞、西林健一郎、John Tamplin
これまでと同様にボランティアとして参加しています。ただし、John Tamplin氏は、後に述べるUSV(Unmanned Surface Vehicle:無人船 実際は準備の都合上、使われなかった)の提供者として加わっています。
 呂500探索プロジェクトの経験を踏まえ、小型ROVでは、200m深度の沈没艦の調査は、十分な操縦性が確保できずに、困難であると判断していました。そこで、調査を二段階に分け、
 第一次調査:マルチビームソナー(Multi-Beam Echo Sounder 以下MBESと記述)による沈没艦の発見と小型ROVによる確認
 第二次調査:大型(実際に利用したのは中型)ROVによる本格調査
としました。
 また、第一次調査にUSVを利用して調査効率をあげようと企画しましたが、数度にわたる延期の影響を受け、USVの準備が間に合わず、USV利用は断念しました。

第一次調査実施担当者
 浦環、古庄幸一、小原敬史、青柳由里子、稲葉祥梧
 柴田成晴、秋山竜也、石川隆規、竹内俊英
 高島創太郞、西林健一郎、西翔太郎、吉住純也
 宇賀神隆志、松本健心

第二次調査実施担当者
 浦環、古庄幸一、小原敬史、青柳由里子、稲葉祥梧
須藤直太郎
宇賀神隆志、松本健心

なお、当初計画では、第一次調査には株式会社ウインディーネットワーク様のご協力を得る予定でしたが、日程的に都合がつかず、参加していません。

1.4 調査資金

 調査資金は、これまでと同様に、一般の方々からの寄付によっています。クラウドファンディングは、Academistに依頼し、以下のように目標に達しています。

・第一次調査
https://academist-cf.com/projects/252?lang=ja
目標金額:200万円
支援金額:2,101,712円
支援者:226人
募集期間:2022年5月日~同年5月30日

・二次調査
https://academist-cf.com/projects/265?lang=ja
目標金額:200万円
支援金額:2,106,300円
支援者:216人
募集期間:2022年9月14日~同年10月6日

 また、並行してラ・プロンジェ深海工学会への直接寄付をお願いいました。


2.USS Albacore(SS-218)について

 Albacoreは、第二次世界大戦中に太平洋戦域で活躍した米国のガトー級潜水艦です。
Naval History and Heritage Command:
https://www.history.navy.mil/research/library/online-reading-room/title-list-alphabetically/u/united-states-submarine-losses/albacore-ss-218.html


図2.1 1942年5月9日時点のAlbacore
http://navsource.org/archives/08/218/0821802.jpg

ガトー級は、1941年から1943年にかけて77隻が建造され、第二次世界大戦におけるアメリカ初の大量生産型潜水艦のクラスです。戦争で失われた52隻のアメリカ潜水艦のうち20隻がガトー級です。Albacoreはそのうちの1隻で、名前はビンナガマグロから来ています。

2.1 艦歴

1942年
2月17日:進水
6月1日:就役
10月20日:ミッドウェーに帰投。改装。200m機関砲を搭載
12月30日:ブリスベンに帰投。エンジンを修理
1943年
3月11日:ブリスベンに帰投。乾ドックで整備
5月26日:ブリスベンに帰投。
7月31日:ブリスベンに帰投。
9月26日:ブリスベンに帰投
12月5日:ブリスベンに帰投
1944年
2月22日:真珠湾に帰投
2月25日:本国へ回航、メア・アイランド海軍造船所で改修工事
5月13日:真珠湾に到着
7月15日:マジュロに帰投
9月25日:真珠湾に帰投
10月24日:第11次哨戒のため真珠湾を出港
10月28日:ミッドウェーで給油
11月7日:北海道函館沖合にて触雷、沈没
艦長:Lieutenant Commander Hugh Raynor Rimmer
乗員:85名
1945年
3月30日:除籍

2.2 主要目(Wikipediaなどによる、いずれも1944年改装後の情報)
排水量:水上:1,550トン、水中:2,460トン
全長:96.3m、垂線間長:75.02m
全幅:8.31m、喫水:5.2m
最高速力:水上:20.25ノット、水中:8.75ノット
乗員:士官:10名、兵員:70-71名
兵装:4インチ砲1基(艦後部)、20ミリ機銃(艦橋前後部)、
21インチ魚雷発射管10基
https://military-history.fandom.com/wiki/USS_Albacore_(SS-218)

2.3 青図と模型

 建造時の青図の立面図と平面図を図2.3.1に示します。また、艦橋部分(Fr.40~Fr.65)の拡大図を図2.3.2に示します。これらの図は、the National Archives and Records Administration (NARA) at College Park, MDからKatonaらが得たもので、本調査の参考にするために学会に送られたものです。ガトー級潜水艦は、建造後も多くの改造が加えられたために、沈没時の最終形を示すものでないことに注意が必要です。




図2.3.1 1944年、建造時の青図(一般配置図)。





図2.3.2 船橋部分の拡大図。

 調査にあたって、立体模型を参照することができれば、網などがかかって外観の判断が難しい沈没艦を同定するのに大変役にたちます。そこで、従来の活動を通して親しくしている「ねりごま船渠」様に、モデルの製作を依頼し、こころよく引き受けていただきました。図2.3.3は、右舷前方から見たモデルです。調査現場にこれを持ち込み参照しました。


図2.3.3 ねりごま船渠様製作のAlbacoreモデル。2.5節の写真の内容が忠実に再現されています。

2.4 1943年のAlbacoreの状況

本節および次節の多くの部分は、
「Identification Guide USS ALBACORE (SS-218) by Stephen J. Katona Volunteer Researcher, NHHC and DDC(SS/SW) David L. Johnston USN (Ret.)」
より引用し、浦が翻訳しています。このGuideは第二次調査に当たって、「調査の参考に」ということで、浦に送られてきたものです

 建造直後のAlbacoreの写真を図2.4.1に示します。右から2隻目がAlbacoreです。5艦のガトー級潜水艦が並び、艤装工事中です。砲の取り付け作業や艦橋前部の建造をおこなっています。2.3節の青図と比較してください。舷側の孔の位置や形が隣のUSS-277 Scampと違っている点などにご注目ください。


図2.4.1 1943年6月4日から7日の間に撮影されたBrisbane港に並ぶガトー級潜水艦。左側から、Grouper (SS-214)、Peto (SS-265)、Scamp (SS-277)、Albacore (SS-218)、およびDrum (SS-228)。NavSource Online: Submarine Photo Archive:http://www.navsource.org/archives/08/08218.htm より。SJレーダーがよく見えます。

2.5 艦橋部分の詳細

 1944年にMareでおこなわれた改造工事時に撮影された写真を以下に示します。詳細が写っている最後の写真で、この状態が沈没時のものと考えてよいと思われます。Katona氏らが注目すべき場所についてマル印で示しています。その解説も紹介します。


図2.5.1 前方から艦橋を見る。

(1) a newly installed watertight ammunition storage gun tub
(2) stanchion hinges
(3) the bridge fairwater
(4) top of the periscope shears
(5) SJ radar emitter dish
(6) the SJ surface search radar mast
(7) the T-shaped SD air search radar
(8) the loop style LF radio antenna

図2.5.1の写真は、前部甲板から左舷後方を撮影したもので、左端には新たに設置された水密性の弾薬貯蔵ストレージ(1)があります。これは、主砲を乗員の要求に応じて前方と後方とに日常的に交換することを想定して設置されたものです。主砲を前方に向けた場合、このストレージは4インチ砲の即応弾を保管するために使用されます。砲を後方に設置した場合、このストレージは20mm Mk2またはMk4機関砲のドラム弾倉を収納するために使用されたと思われます。この20mm機関砲が前部甲板に設置されていたため、このストレージはそのための弾薬を保管するのに適した場所です。写真の一番下のマル印は、スタンション(手すりの支柱)のヒンジ(2)です。
上の大きな円 (3)は、この船をMod 4構成に変更するためにフェアウォーター(ブリッジと監視塔含む構造体)に加えられた変更を示し、下げられたブリッジ、風洞(wind venturi)、露出したリブ構造示しています。艦橋のフェアウォーターには、乗組員が20mm機関砲に素早くアクセスできるようにドアが設置されています。その左下と右下には、主砲を前方に向けた際に4インチ砲弾を通すための弾薬通過用スカットルが新たに設置されています。潜望鏡の一番上には、変更が加えられたことを示す楕円形(4)がありますが、写真ではそれが何であるかはっきりしません。しかし、レーダー探知機APRシリーズのスタブアンテナであると推測するのが妥当でしょう。また、Mod 4の構成では、SJ海面探索レーダーマスト(6)は潜望鏡の前方に位置し、マストは艦橋部分を貫通していることに注意。実際のSJレーダーエミッターディッシュ(5)はマストの上部にあり(後述のようにROV調査で確認されています)、一部見えなくなっています。T字型のSD対空見張り(7)は潜望鏡の後方にある専用のマスト上にあります。また、潜望鏡の間には、ループ式のLF無線アンテナ(8)があります。


図2.5.2 後方から艦橋を見る。
(1) the 4”/50 caliber Mk 9 gun
(2) the gun crew extra deck space
(3) the lifeline stanchions
(4) the newly installed gun tub
(5) likely that the object is a watertight cable junction box for either communication antennas or for sound-powered phones
(6) the structural beams inside, euphemistically referred to as the “covered wagon ribs”
(7) the round holes to allow the superstructure to vent air faster

図2.5.2の写真は後部甲板の左舷前方から撮影したもので、右側の最初に丸で囲んだものが4インチ/50口径Mk9砲(1)です。以前の写真では、この砲は前方の位置にありましたが、1944年のオーバーホールで船尾の位置に移動させられたと思われます。船尾に移動させることで、砲の近く、乗員食堂の下の主弾薬庫のほぼ真上にある電池後ハッチから弾薬を受け渡すことができ、弾薬受け渡しの経路を短くすることができます。砲の左側の楕円は、砲を操作している間、砲の作業員にデッキのスペースを確保するために、デッキが外側に拡張された(2)ことを示しています。砲の左右にある小さな円は、手すりの支柱が変更されたことを示しています(3)。写真でははっきりしないので、何を強調しているのか完全にはわかりませんが、砲の動作中に支柱を折り畳むためのヒンジだと思われます。これによって砲の俯角を最下角とした際に干渉をなくし、かつある程度の安全性も確保できるため、効果的であったと思われます。司令塔のフェアウォーターの後端には、4インチ砲用の即応弾を収容するために新しく設置されたストレージ(4)が円形で示されています。これにより、弾薬受け渡し用の台車が砲の下に設置されている間、乗組員は最初の数発の弾薬にすぐにアクセスすることができるようになりました。
次の前方の円(5)は、これが何であるかを正確に伝えるほど明確ではありませんが、この物体は、通信アンテナの接続箱か、港にいる間の砲兵隊と上層部の監視との間で使用する音波式電話用の防水ケーブルの接続箱であると思われます。その上には、フェアウォーター自体の変更点を強調する楕円が描かれています。この改造で、AlbacoreはMod 4構成になりました。これは、ガトー級潜水艦の戦争後期の構成で、艦のシルエットを目立たなくするための最後の試みでした。フェアウォーターの前部と後部が切り取られ、フェアウォーター上縁の鉄板が取り除かれ、内部の梁が見えている状態となって、艦橋の高さが低くなっています。これらは「幌馬車リブ」と呼ばれたものです(6)。また、図2.5.1と図2.5.2の両写真で注目すべきは、上部構造の上縁に開けられた丸い穴です(図2.5.2の7)。これは潜水時に上部構造の空気を早く抜くために開けられたものです。

このような特徴を持つ船は多くないので、高画質の調査ビデオが入手できれば、Albacoreの同定に役立つと思われます。

図2.5.2の(4)の部分の詳細な写真を、図2.5.3に示します。また、艦橋の上部構造の詳細な写真を、図2.5.4に示します。


図2.5.3 the newly installed gun tub。下の二つの丸はスタンションのヒンジ


図2.5.4 艦橋上部構造。後に述べるROV調査で、この部分の左舷側から見た映像が取得されています。

2.6 沈没位置の推定

図2.6.1にAlbacoreの推定沈没位置を示します。1.2節で述べたようにAlbacoreの沈没は 「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号(図2.6.2~2.6.4)」に記述されています。図2.6.2はその2~4ページを統合したものです。図2.6.3は、機雷敷設図と推定される触雷位置です。図2.6.4は浮上した物品のリストの一部です。これらの資料は、アジア歴史資料センターから入手したもので、一般に公開されている情報です。

図2.6.2の記述は読みづらいところがあるので、下記に転記します。字が判読できないものについては「?」を付してあります。また、一部カナ使いを現代風に書き直してもあります。カタカナ表記はすべてひらがな表記にしました。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
敵潜水艦撃沈確認詳報(昭和19年11月7日恵山機雷礁に於ける潜水艦触雷撃沈)

1. 敵潜触雷撃沈状況
 昭和19年11月7日東口隊の一艇は哨戒中恵山機雷礁南付近に於いて敵潜の触雷撃沈を確認せり。其の状況は次の如し
(1)第七福栄丸(第28掃海隊)は北哨区に在り、半速力7節基準航(?)路南
之字運動を以て捜索聴音を行いつつ対潜哨戒中1235恵山灯台の105度3.5浬に於いて左170度2500mに水中爆発音を聴知すると同時に遠距離に於ける爆雷の爆発音の如き衝撃を船体に感知せり
(2)水中爆発音と同時に約10mの高さに水柱の昇沸(?)するを認め、更に0.5秒の間隔を以て大なる二発の爆発音と船体の振動とを感知せり。この時水中より黒色の飛行機翼状のもの(潜水艦潜舵又は横舵)出現せるを認めたるも瞬時にして全没せり。
(3)是より先約一時間前、恵山岬の20度6浬付近に於いて見張員は左前方に潜望鏡らしきものを認めたるも、確認せざるに見失いたるを以て報告するに至らず、その後30分にして船体に軽度の?衝を感じたるを以て水面を注視したるも何らの浮遊物等をも認め得ざりき。
(4)第七福栄丸は爆発音を聴知するや直ちに面舵に反転、現場に急行し直上付近に至り、約一時間漂泊し水中聴音をおこないつつ監視警戒を続行せり。
(5)爆発後役5分間は気泡の噴出最も盛にして、漸次現象するも重油の噴出は7分後より認められ(海深260m)梅干大油泡無数浮上し、之に混じりて甲板木片「コルク」、寝台「ベッド」書籍煙草被覆類糧食等多数浮上し来るを以て之が参考品としてその一部を?収せり。
(6)敵潜の触雷爆発するや桑畑防衛所に於いては水中聴音機にて二発の水中爆発音を52度40㎞に聴測すると同時に見張り員は黒煙の上昇を認め、恵山見張り所に在りては機雷の爆発音を聴知せり。又、大空哨戒機は現場に重油及多数の浮遊物を認めたり。
(7)当時天候曇、視界15km北西の風8m波浪3、「ウネリ」南東5、海中雑音ありて水中聴音には異音を聴知せしれざるも、前述の状況により敵潜の触雷轟沈を確認し得たるを以てその後爆発点を中心とする5浬?付近を索敵警戒監視せり。
(8)翌8日0700頃、沈没地点を見るに重油の湧出尚盛なり。飛行機偵察に依れば油帯は長さ1200m幅300mに達す。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 目撃情報は、数値が書かれ、具体的です。この位置情報を基にして、沈没位置(触雷位置)を
北緯41度49分05秒、東経141度16分05秒、水深233m
と推定しました。


図2.6.1 沈没位置の推定。海図は「海底地形図第6372号恵山岬」
日本測地系であることに注意

 なお、各種資料によれば、沈没位置は、「北緯41度49分、東経141度11分」となっています。これは、ほぼ恵山岬灯台の位置です。

 浮上物揚収品リストの内、次の二つの記述は注目すべきものです
・ジャンパー背部の「ALB-5」の記載
・白短袴(白のショートパンツ)にASKの記名
前者のALBは明らかにAlbacoreの略称です。また、2.7節の乗組員名簿中のArthur Star Kruger二等水兵 19歳のイニシャルと一致します。

このことから、触雷して沈んだのはAlbacoreに間違いないといえます。

なお、米軍の関係者は、私たちの調査以前に、図2.6.2の記述は知っていたものの、図2.6.4の揚収品についての情報は得ていないようでした。そのため、当初は、私たちの発見したものがAlbacoreであることに懐疑的でした。その後、私たちが送った図2.6.4により、確証を得たようでした。


図2.6.2 「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号」の記述。アジア歴史資料センター提供


図2.6.3 「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号」に記載されている機雷敷設位置と触雷推定位置


図2.6.4 「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号」に記載されている浮上した物品で回収したもののリスト

2.7 乗組員

 沈没時の艦長は、1944年10月3日より任についた図2.7.1の
Hugh Raynor Rimmer少佐
没年30歳です。

乗組員は、総勢85名。全員が行方不明です。乗組員全員の名簿を図2.7.2に掲載します。職責の構成を図2.7.3に、また、年齢分布を図2.7.4に掲載します。

 ショートパンツが発見されたArthur Star Kruger二等水兵の写真を図2.7.5に掲載します。このように、米国潜水艦の乗組員の写真はほぼ全員についてWebsiteに公開されています。残念ながら、日本海軍の潜水艦についてはそのようなデータベースは見当たりません。


図2.7.1 艦長Hugh Raynor Rimmer
https://www.findagrave.com/memorial/30368243/hugh-raynor-rimmer


図2.7.2(1) 乗組員リスト


図2.7.2(2) 乗組員リスト


図2.7.2(3) 乗組員リスト


図2.7.3 乗組員の職位/階級の分布


図2.7.4 乗組員の年齢の分布


図2.7.5 二等水兵 Arthur Star Kruger
https://www.oneternalpatrol.com/kruger-a-s.htm


2.8 戦績

 以下の情報は「uboat.net」からのデータに基づいています。タイトルはドイツの潜水艦U-Boatですが、連合軍の艦艇を広く扱っています。Albacoreの記述については、以下のURLを参照してください。
 https://uboat.net/allies/warships/ship/2964.html

Albacoreが撃沈した日本海軍関係艦船は、以下の11艦です。

・20 Feb 1943
USS Albacore (Lt.Cdr. Richard Cross Lake) attacked Japanese warships, torpedoing and sinking the Japanese destroyer Oshio (offsite link) (駆逐艦大潮)about 140 nautical miles north-north-west of Manus, Admiralty Islands in position 00°50'S, 146°06'E.
・4 Sep 1943
USS Albacore (Lt.Cdr. O.E. Hagberg) torpedoed and sank the Japanese auxiliary gunboat Heijo Maru (2677 GRT)(特設砲艦平壌丸) south-west of Ponape, Caroline Islands in position 05°25'N, 156°37'E.
・25 Nov 1943
USS Albacore (Lt.Cdr. O.E. Hagberg) torpedoed and sank the Japanese transport ship Kenzan Maru (4704 GRT) (陸軍輸送船乾山丸)north-east of Manus in position 00°46'N, 144°50'E.
・12 Jan 1944
USS Albacore (Lt.Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese auxiliary gunboat Choko Maru No.2 (2629 GRT) (特設砲艦第二号長江丸)about 350 nautical miles south-west of Truk in position 03°30'N, 147°27'E. Albacore also damaged the motor gunboat Hayabusa-Tei No.4 (25 GRT) (魚雷艇隼艇)under tow of the Choko Maru No.12 so badly that the smaller craft has to be scuttled in position 03°37'N, 147°27'E.
・14 Jan 1944
USS Albacore (Lt.Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese destroyer Sazanami(駆逐艦漣)about 300 nautical miles south-east of Yap in position 05°30'N, 141°34'E.
・19 Jun 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese aircraft carrier Taiho (29,300 tons)(航空母艦大鳳), about 180 nautical miles north-north-west of Yap in position 12°22'N, 137°04'E.
The carrier was flying the Flag of Adm. Ozawa, Commander of the Kido Butai, heading for the Battle of the Philippine Sea. Her sinking was catastrophic for the Japanese in that communications between the Admiral and the rest of the Fleet were delayed for hours, and the strikes to be launched against the US support forces located off Saipan were uncoordinated and lacking the planes lost with Taiho, which was a major factor in the decisive defeat of Japanese air power in what became known as "The Marianas Turkey shoot" the following day.
・3 Jul 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) makes a deck gun attack in position 08°10'N, 136°18'E, sinking the small Japanese merchant Taiei Maru (130 GRT) (木製機帆船大栄丸)en route from Yap to Palau. 5 survivors were picked up after the sinking but other survivors refused to be rescued.
・5 Sep 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese merchant Shingetsu Maru (880 GRT)(輸送船新月丸) north of Muroto Saki in position 32°24'N, 134°15'E.
・6 Sep 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese auxiliary minesweeper Eguchi Maru No.3 (198 GRT) (特設掃海艇第三江口丸)at entrance to Kii Suido, Japan in position 33°29'N, 135°32'E.
・11 Sep 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese auxiliary submarine chaser Cha-165 (130 tons) (第165号駆潜特務艇)off Kyushu, Japan in position 32°20'N, 131°50'E.

Albacoreの戦果の中で特に著名なのが、当時新鋭だった日本海軍の航空母艦「大鳳」(図2.8.1)の撃沈です。


図2.8.1 航空母艦大鳳。計画基準排水量 29,300トン、全長261m

Albacoreは6本の魚雷を発射し、その内の一本が大鳳の艦尾に命中します。被害は大きくはなかったのですが、航空燃料が漏れ、6時間後に大爆発を起こして沈没します。重装甲を施された新鋭航空母艦の撃沈は、日本海軍に大きな衝撃を与えました。大鳳沈没については、現在に至るまで、設計上の問題点や、被雷後のダメージコントロールの観点等、様々な形で分析がなされています。船舶構造解析の第一人者であった山本善之東京大学名誉教授は、関西造船学会誌に長文の考察を掲げています。また、後に、畑村洋太郎東京大学教授は「失敗学のすすめ」にて、大鳳沈没を山本教授のデータをもとに取り上げています。

参考文献
山本善之:「航空母艦大鳳の大爆発1」、らん、関西造船協会、46巻、1999、pp.58-65
山本善之:「航空母艦大鳳の大爆発2」、らん、関西造船協会、47巻、2000、pp.67-74
畑村洋太郎:「失敗学のすすめ」講談社文庫、2005

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

報告書 第二部~調査と結論~

2023-05-16 17:06:28 | アルバコア探索プロジェクト
第二部~調査と結論~

3.調査の概要と結果

3.1 当初計画

Albacore調査の当初の計画は、2019年11月22日に起案され、現地椴法華側との連絡で良く2020年8月に実施する予定でした。当初の調査概要は、次のようなものです。

1.調査日程
 調査は8月24日から全5日間を予定し、悪天候等に備え、予備日を3日間としました。
2.マルチビームソナー調査
推定される沈没位置の周辺海底地形をMBES(マルチビームソナー)で計測し、不陸(海底の凹凸)を調査します。このとき、MBES等の計測機器は、無人船(USV:Unmanned Surface Vehicle)および小型船(次節で述べる第十八仁栄丸)に取り付け、遠隔操縦あるいは自動で計測します。
3.サイドスキャンソナー調査
小型船からサイドスキャンソナーを搭載した曳航体を曳き、不陸の海底音響画像を計測し、人工物を探索します。
4.ソナー計測結果解析
 ソナーで計測したデータを分析し、Albacoreと思われるターゲットを絞り込みます。
5.ROV映像調
 絞り込んだ候補に対し、小型船からROVを展開して映像観測をおこない、それが何かを確認、記録します。ROVの位置をSSBL(Super Short-Baseline)音響測位装置で記録し、映像が対象のどこを映しているのかを合わせて記録します。
6.映像解析
撮影した映像を解析し、Albacoreである証拠を明らかにします。映像からモザイク画像を作成するなどのして、全体像を明らかにします。
7.調査結果の航海
調査結果はすべて公開・公表します。調査作業の様子をニコニコ生放送によりリアルタイムで放送します。

当初は、USV(図3.1.1)を導入することを技術の目玉の一つとしました。また、4日間あればAlbacoreの発見とROV調査が可能であると想定していました。


図3.1.1 USV:EchoBoat XL:Seafloor社製
全長:2.33m、全幅:0.91m 重量:150kg

3.2 準備

2019年12月19日に、浦は、えさん漁協(〒041-0403 函館市大澗町51-4、電話:0138-84-2231、ファクス:0138-83-3431)二本柳伸義氏(2019年度参事兼総務指導部長、兼昆布種苗センター長)を訪問し、えさん漁協および椴法華支所(〒041-0611 函館市新浜町53、電話:0138-86-2211、ファクス:0138-86-2214)杉山支所長(2019年度)に協力の了解を得ました。

2020年3月30日、浦と柴田と宇賀神は、椴法華漁港を訪問し、えさん漁協椴法華支所の第十八仁栄丸(HK2-19544)の船長佐々木泰一氏と面談し、第十八仁栄丸の利用の了解を得、協力を確認し、漁期を勘案し、2020年5月末に調査をおこなう約束をしました。また、宇賀神は、現場海域では、ニコニコ生放送をおこなうに十分な電波環境があることが確認しました。

第十八仁栄丸(図3.1.2)は
・ホタテ船、7.9トン
・ユニックがついている
・ブリッジは前方にあり、後方は広く空いていて、USVやROVの諸装置を搭載可能


図3.2.1 第十八仁栄丸

しかしながら、COVID-19の感染拡大にともない、2020年5月と約束していた調査はCOVID-19の感染が終息するまで延期することになりました。当時はまだCOVID-19についての情報が少なく、また、椴法華集落は高齢者が多いため、万が一調査関係者によりウイルスが持ち込まれた場合の影響を踏まえての判断でした。

 その後、感染第一波が終息してきたので、佐々木船長と連絡を取り、2020年8月26日を調査初日として、再計画し、準備を進め、次のような詳細計画案を作りました。

・2020年8月24日(月曜日)椴法華港入り。宿泊所はホテル恵風
・第1日(25日):椴法華港にて第十八仁栄丸に機材を取付け、USVを搭載。
・第2日(26日):第十八仁栄丸で調査海域にUSVを運び、クレーンで海面に降ろし、自動航行でMBES調査をおこないます。同時に、第十八仁栄丸でもMBES調査をおこないます。
・第3日(27日):USVについては、第2日と同じ。必要に応じて第十八仁栄丸から曳航体を1ノット程度で曳き、サイドスキャン計測をおこないます。前日にターゲットを発見していれば、一日短縮して以下の第4日の調査をおこないます。
・第4日(28日):小型船にROV2台を積み、その内の1台を潜らせ、船名を確認する。調査終了後帰港し、艤装解除する。
・8月31日までを予備日とする。

ACADEMISTの下でクラウドファンディングを開始し、ニコニコ生放送の放送予定を公表しました。しかし、COVID-19の第二波の感染がひろがり、2020年内の調査を断念しました。クラウドファンディングは、目標額の半分に達していましたが、短期間のうちに再開できる見込みがないので、クラウドファンディングを中止しました。

 調査延期となった間、種々検討をおこない、深度が200mを越えて深いことが予想されるので、利用を考えている小型ROVでは、十分な調査ができないであろう、という考えに至り、
 ・ソナーによるAlbacore、またはその候補となる不陸の発見と小型ROVによる第一次調査
 ・大型ROVによる本格的な第二次調査
の2段階に分けて調査をおこなうことにしました。

2022年3月、COVID-19に対し2020年計画当時に比べ検査が可能となり、また、感染対策など対処が可能になったこともあり、佐々木船長と連絡をとりあい、5月末に第一次調査を実施することにしました。

USVの利用については、USVの準備が間に合わないことが明らかになったので、USVを断念し、漁船をもう一隻チャーターして、そこにMBESを取り付けることにしました。

3.3 第一次調査

(1)第一次調査活動の概要

1.推定される沈没位置の周辺海底地形をMBESで計測し、不陸を調査しました。このとき、MBESの計測機器は、第十八仁栄丸および第十八宝丸(図3.3.1)に取り付け、2台体制で調査しました。


図3.3.1 第十八宝丸。船長小田潤氏


図3.3.2 ROVを展開するための二隻の船の配置

2.2系統のデータを統合し、大きな不陸(数十m程度と思われる)を発見して、候補を絞り込みました。
3.そこをより詳しくMBESで調査しました。
4.第十八仁栄丸から小型ROVを展開して不陸が何であるのかを確認し、撮影しました。ROVの位置は第十八仁栄丸に取り付けられたSSBLによりリアルタイムで計測しました。第十八仁栄丸は、アンカーして基点を作ります。ROVの運転中は、ケーブルトラブルの原因になるので、第十八仁栄丸のプロペラを回すことは極力しません。そのため、第十八仁栄丸を思った位置にもっていくために、図3.3.3のように第十八宝丸と第十八仁栄丸をロープで繋いで、第十八宝丸が第十八仁栄丸を曳きました。
5.ROVが艦橋付近にトラップされたので、ROV撮影は十分にできませんでした。しかし、艦橋周辺の画像を獲得することができました。
6.調査は2022年5月25日から2日間おこないました。
7.調査作業はニコニコ生放送でリアルタイムに放送しました。

Academistによるクラウドファンディングは以下のページで実施しました。
https://academist-cf.com/projects/252?lang=jp
1.4に記述したように、226名の支援者から合計2,101,712円の支援を得ました。

また、ニコニコ生放送は以下のページより配信しました。
https://live.nicovideo.jp/watch/lv326919568

 海上保安庁に届け出た調査海域は図2.6.1に示すように、沈没推定位置を中心として、南北4浬、東西3浬の範囲(図3.3.3)です。具体的には下記の4点で囲まれる範囲です。届け出では測地系を厳密に定義しませんでした。

北緯41度51分、東経141度14分 (北西端)
北緯41度51分、東経141度18分 (北東端)
北緯41度47分、東経141度14分 (南西端)
北緯41度47分、東経141度18分 (南東端)


図3.3.3 海上保安庁に届け出た調査範囲。黒枠内

(2)使用機器

1)MBES(Multi-Beam Echo Sounder) 図3.3.4参照.
・SONIC2024(東陽テクニカ提供):R2SONIC社製
・SONIC2026(いであ提供):R2SONIC社製
・受波器: 480×109×190mm 重量12.9kg
・送波器:
  SONIC2024:273×108×86mm 重量3.3kg
  SONIC2026:480×109×196mm 重量13.4kg
・船上ユニット:280×170×60mm 重量2.4kg


図3.3.4 MBES SONIC

2)ROV(Remotely Operated Vehicle) 図3.3.5参照.
・SeaRover(いであ提供)、Teledyne Benthos製
・本体:
  寸法:L756mm×W581×H568mm
  重量:32kg
  耐圧:300m

図3.3.5 ROV

(3)マルチビームソナー(MBES)調査結果

調査初日の2022年5月25日、早朝05時25分ごろ、椴法華漁港を出港しました。同時にニコニコ生放送を開始しました。
南北方向にまっすぐに走るような計測航路(測線)を設定し、予定観測域の東西の中心からMBES計測を始めました。2時間後の07時40分ごろ、図3.3.6左側に示すように、第十八大栄丸のMBESの表示画面の右舷側に沈没艦が現れました。艦は、図の中央下の地球座標系に変換された計測図と測線、船の位置の表示画面からわかるように、測線に平行、すなわちほぼ北を向いて鎮座していると見受けられました。
MBESの表示は、上下方向は時刻、左右方向は距離です。したがって、表示データの上下方向の長さは、船の前進速度によって変わります。最初の発見の後、数回にわたって、発見艦の上を通り、形状と位置を確認しました。中央の図は、10時ごろ発見艦の中央部分を長手方向に船速を遅くして計測したものです。したがって、艦の映像は、細長く見えます。
また、右側の図は、艦を横断するように船を走らせた結果です。艦の長さが約45mと計測されました。
調査した範囲の海底には、この不陸以外に、人工物らしき不陸はありませんでした。


図3.3.6 MBESによる沈没艦の発見

 多数のMBESデータを統合して製作した沈没艦の鯨観図を図3.3.7に示します。
 この図より、艦は、船首方向を北側に向け、艦橋の前方10mぐらいのところで、艦首部分が失われています。また、艦尾も失われているように見えます。後の第二次調査で明らかになるのですが、艦尾部分は実際には失われておらず、海底に埋もれていて、甲板が一部露出していました。MBESデータは、音響反射店の深度を示すデータなので、周囲との高低差が少ない場合、船体が露出していても、データ上は平らになってしまい、船体が失われたように見えているのです。
 艦橋の後ろに高まりが見えます。これは、漁具がからまっているものと当初考えました。しかし、第二次調査で、破壊された構造物が甲板上にあると観察されました。もちろん、漁具もからまっています。

 発見位置は、図3.3.8に示したように
  北緯41度49分36秒 東経141度16分12秒(WGS84) 
水深:237m
の地点です。


図3.3.7 南西側からみた沈没艦の鯨観図

図3.3.9には、海図上(日本測地系)に発見位置と推測していた位置をプロットしました。予測位置よりも北側に
約800m
離れています。予測に用いた資料が、GPS等の正確な位置情報が得られる機器がない時代の記録である事を考慮すれば、2.6節の資料が非常に正確であることが分かりました。


図3.3.8 Albacore発見位置


図3.3.9 発見位置と予測位置の違い

 MBESのデータから、艦を東西南北から見た鯨観図を図3.3.10に示します。

N→S   
              
S→N


W→E                  

E→W

図3.3.10 四方向から見たアルバコア

図3.3.7を含めてみる限り、周囲には他に大型の落下物はないようです。

 図3.3.11にMBESデータと、位置と縮尺とを対応するように合わせたAlbacoreの平面図を示します。潜望鏡の位置を目印とし、長さをそろえて書き込みました。
図3.3.12は、側面図で、右舷側から見た図です。第二次調査でROVを展開したときに、右舷側に漁具があり、接近が難しかったので、左舷側から接近しています。

図3.3.11 Albacoreの平面図とMBESデータの対応


図3.3.12 Albacoreの側面図とMBESデータの対応

図3.3.13~15に左舷の真横、および前後から見たMBESのデータ示します。


図3.3.13 左舷側から見たAlbacore。左が北で、艦首方向

図3.3.13では、北側が艦首の方向です。艦橋の2段のフロアーおよび胴体が2段になって見えています。胴体は、甲板上面と舷側が見えていると考えられます。

図3.3.14と15は、前後から見た図です。後方から見た図では、艦はほとんど水平になっているように見えます。一方で、前方から見た図では、右舷側に10度程度傾いているように見受けられます。
これは、おそらく、艦橋の後ろのあたりで、船体構造がねじれているのではないかと推測されましたが、側面図の図3.3.12や図3.3.13ではよくわかりません。


図3.3.14  艦首側から見たアルバコア。左の高いものが艦橋の上に立つ潜望鏡


図3.3.15 艦尾側から見たAlbacore。

(4)ROV調査

2022年5月26日、前日と同じように早朝05時54分ごろに椴法華漁港を出港しました。
 機器の調整後、09時54分にROVを投入しました。その後の作業の時系列を以下に示します。

10時33分  ROVが海底(深度250m)に到着
10時40分  海底にクモヒトデ、プランクトンがいっぱい
10時53分  潜水艦の潜望鏡っぽい人工物を確認
11時15分  ROVのケーブルがアルバコアに引っかかり動けなくなる
12時12分  ニコ生の「追っかけ再生」で、引っかかり具合を確認
12時40分  視聴ユーザー有志によるツイート投稿などを船内で確認
13時04分  レーダーアンテナのような構造物を確認
14時24分  1箇所のケーブル絡まりが外れる。
14時52分  ケーブルが全て取れたことを確認!
15時30分  献花
16時30分  港に戻る


図3.3.16 投入時のROVと支援船の位置関係

図3.3.16は投入時の第十八大栄丸、ROVおよびAlbacoreの位置関係と航跡です。ROVの位置はSSBLで計測しています。図に見られるように、支援船は北に流され、ROVは投入後に北上しています。
 図3.3.17は北北西50mの位置に着底したときの海底の様子です。潮が強いためか、海底の砂の粒子は粗く、多くのクモヒトデが生息していました。
その後に、図3.3.18のようにROVを艦に近づけました。
 しかし、支援船の位置をコントロールすることがうまくできなく、ROVは考えていた以上の速度で艦に近づき、図3.3.18に示すように、潜水艦を横断する航路を進みました。艦に衝突したり、艦に絡みつく漁具に絡まらないようにと、高度を上げましたが、間に合わず、ROVは艦橋の右舷側に拘束され、動けなくなりました。


図3.3.17 着底地点の海底


図3.3.18 沈没艦へのアプローチと拘束された位置


 SSBLで計測された位置と、ROVからのビデオ映像を見れば、艦橋の上部に拘束されていることは明らかでした。ROVはほとんど動くことができず、カメラをパン/チルトさせて周囲の状況やケーブルの具合を確認することがやっとでした。支援船の位置を調整し、ケーブルを緩めたり引いたりして脱出作業を試みました。

 4時間近くの格闘の末、15時近くになって、からんだケーブルを外すことができ、無事にROVを回収することができました。この間、ニコニコ生放送を通じて、助言や励ましをいただいたことを、ここに深く感謝いたします。


このトラブルの原因を挙げると、

1.深度が深く、支援船が弱い体制で、ROVを展開した
2.後部カメラの不調など、ROVに不具合があったにも関わらず、無理に潜らせた
3.ROVと支援船の運転指示体制が十分なものでなかった
4.支援船の位置とROVの位置関係が悪いのにもかかわらず、前進させた

これらは、十分に反省すべき点です。ケーブルが外れ、ROVが拘束状況から離脱できたのは、運が良かったとしか言いようがありません。


(5)ROV観測結果

 図3.3.19は、拘束された位置から見た潜望鏡の様子です。多数の漁具が巻き付き、生物が覆っています。


図3.3.19 拘束位置から見た潜望鏡

 図3.3.20は、三枚のビデオ画像を繋げて艦橋の様子を示したものです。


図3.3.20 艦橋上部の潜望鏡などとそれらに絡まる漁具

また、艦橋の前部に図3.3.21のような物体が見えました。調査当時は、これが何かがわからなかったのですが、米国から、SJレーダー(図3.3.22および2.5節参照)であることを教えてもらいました。

Stephen Katona氏はSJレーダーについて次のように連絡してきました。

「The above photograph on the left is the back side of the SJ radar dish from USS Permit SS178 taken on 12 January 1943 following her overhaul at Mare Island Naval Shipyard (USN photo #19 N 40140). Many of the features of this dish are found in the photograph on the right, a snapshot image from the video of the wreckage discovered by Dr. Ura off the coast of Hokkaido, Japan proving this wreckage is a US World War II submarine . However, since by the end of 1944, EVERY US fleet submarine carried the SJ radar, this discovery is not definitive proof that the wreckage is USS Albacore SS 218. At the time the Albacore was lost, even the old S boats had the SJ radar by this point in the war. This is the original version of the SJ radar dish. Starting in early 1945 the boats began receiving an updated version called the SJ 1. It had a bigger wire mesh dish and vastly improved performance and reliability.」


図3.3.21 ROVにより撮影されたSJレーダーの裏側


以下は訳文です
上の左の写真(図3.3.22)は、USS Permit SS178のSJレーダーアンテナの裏側で、Mare Island Naval Shipyardでのオーバーホール後の1943年1月12日に撮影されたものです(USN photo #19 N 40140)。右の写真(図3.3.21)は、浦博士が北海道沖で発見した残骸のビデオからのスナップショットで、このアンテナの多くの特徴が見られ、この残骸が第二次世界大戦中の米国の潜水艦であることを証明するものです。ただし、1944年末にはアメリカ艦隊の潜水艦はすべてSJレーダーを搭載していたので、この残骸がUSS「Albacore」SS-218であることの決定的な証拠にはなっていません。アルバコアが失われた当時は、古いSボートでさえ、SJレーダーを持っていました。これはSJレーダーアンテナの初期型で、1945年初頭からSJ 1と呼ばれる最新型が配備され、金網のアンテナが大きくなり、性能と信頼性が大幅に改善されました。


図3.3.22 ガトー級潜水艦に取り付けられたSJレーダー

(6)第一次調査を終えて

 帰港後、岸壁でNHK、函館新聞、北海道新聞から取材を受けました。その結果、NHKニュースの地方版、および二社の新聞社の記事として掲載されました。記事については6章および付属資料をご覧ください。
 また、調査を終えて帰港した際に、当時潜水艦の沈没を見たという男性が岸壁まで来られ、話を伺いました。話の内容は、はっきりしているのですが、つじつまが合わないところがあり、残念ながら参考にはなりませんでした。

図3.3.23はROVを回収後に撮影した記念写真で、ROVを無事に回収でき、Albacoreを発見したことで、安堵しています。前列右端が佐々木船長です。


図3.3.23 船上での記念撮影

3.4 第二次調査

 計画延期の途中から、小型のROVでの調査は困難を極めることが分かっていましたので、大型(実際に使ったのは中型)ROVを使った第二次調査を行うことを計画していました。第一次調査から大型ROVを使わなかったのは、大型ROVは漁船からは展開できず、相当する大きさの支援船が必要だからです。その用船費は高額であるので、時間のかかるMBES調査を漁船でおこなって経費を節減しようと考えたからです。第一次調査で艦の位置が確定していれば、一日の大型ROV調査で結果をだすことができるはずです。
 2020年以前より、タキオニッシュホールディングス株式会社(社長鈴木敏夫様)にご協力をお願いし、ご快諾を得ていました。第一次調査で予定通り位置が確定したので、さっそく第二次調査に向けて準備をいたしました。

ROVや船の準備、海域の漁業活動、海況予測などを検討し、10月2日に調査を実施することに決めました。潮流の弱い小潮の時期です。船はタキオニッシュホールディングス社の傘下である海洋エンジニアリング株式会社(社長鬼頭毅様)の第八開洋丸、ROVはSAAB社製のCougarです。調査日前日に函館港を出港し、調査日の夕刻に帰港するという強行軍で臨みました。
 実施にあたり、海洋エンジニアリング株式会社技術部の勝野遊様をはじめとする乗組員の方々にお世話になったことをここに記し、改めて御礼申し上げます。

 ニコニコ生放送は、10月2日早朝から始めました。
https://live.nicovideo.jp/watch/lv336612796


図341 ニコニコ生放送の開始画面

なお、非日本語圏の視聴者が調査作業を理解できるように、同時通訳を行いました。
9時間4分の放送で
参加者:28,144
コメント:9,076
とても良かった:96.2
よかった:2.7%
という結果を得ました。

また、1.4で記述したようにACADEMISTでクラウドファンディングをおこないました。
https://academist-cf.com/projects/265/comments?lang=ja
最終的には、216名の支援者より2,106,300円の支援を得ました。

(1)使用機器と作業

1)第八開洋丸:海洋エンジニアリング社所属
全長:46.61m
幅:8.00m
総トン数:272トン


図3.4.1 第八開洋丸

2)ROV Cougar XT
 (SAAB社製、海洋エンジニアリング提供)
全長:1.515m、
全幅:1.0m、
全高:0.79m
重量:409kg
最大前進速度:3.2knots
最大潜航深度:2,000m
INS(Inertial Navigation System):Rovin Nano(ixblue)


図3.4.2 ROV Cougar

3)SSBL測位装置:
μPAP (Kongsberg Maritime社、海洋エンジニアリング提供)

4)MBES(Multi-Beam Echo Sounder):
Kongsberg EM(第八開洋丸備え付け)

 図3.4.3は第八開洋丸の甲板上に設置されたROVと着水揚収のために配置された機器類です。図3.4.4はケーブル類などを示しています。
ROVは、図3.4.6に模式的に示されるように、ケージ(かご)に入れられて、海底に降ろされます。ケージとウインチを繋ぐゲーブルは一次ケーブルとよばれ、ROVに電力を送りビデオ情報や運転指令をやりとりする線が入っています。また、海面から吊り上げるために、必要な張力を受け持つ強度メンバーが入っていて太く長いものです。
ROVを格納したケージが目標位置近くに到達すると、ROVはケージに巻かれている二次ケーブルを伸ばしながら発進し、調査対象に接近して調査をおこないます。二次ケーブルは、多大な張力を受け持つことがないので、一次ケーブルに比べて細く、軽く柔軟性に富んでいるので、ROVの移動は容易になります。また、間にケージを挟むことで、水上の母船の動揺がROVに直接伝わらないために、安定した観測が可能です。
第八開洋丸には、DPS(Dynamic Positioning System)が搭載されているので、少々の風や波や潮流があっても、アンカーを打つことなく一点に留まることができます。


図3.4.3 甲板上の装置類。大きな一次ケーブルウインチとROVに繋がる鎧装一次ケーブル。図341のブリッジの前側に海から見たROVとクレーン装置が見えます。


図3.4.4 ケージに取り付けられた二次ケーブルと巻き取り装置、およびROV正面のカメラ類とマニピュレータ


図3.4.5 ROVの展開の模式図。ケージは魚釣りのおもりの役目もしています。

ROVの準備や操縦は、海洋エンジニアリング株式会社の乗組員がおこないます。操縦者は操縦コンテナ内で操作をおこない、指令は、ブリッジの後ろの部屋から、船長から母船の状況を聞きつつ、操縦者にROVの行動を指示します。私たちは、司令の傍にいて、司令に調査したい場所への移動や、カメラの向きやズームなどの依頼をします。図3.4.6は、ブリッジ後方の部屋にしつらえられたDisplayの様子です。6つのDisplayがROVからの映像、ソナー画像、SSBLやMBESのデータを表示します。


図3.4.6 ブリッジ後部の司令室

(2)MBES(マルチビームソナー)調査

 2022年10月1日夕刻に函館港を出港した第八開洋丸は、2日朝、現場海域にてまず、MBESによりAlbacoreを再確認し、第一次調査と状況が同じこと確認しました。図3.4.7は反射強度を示しています。5月の調査では反射強度を計測していなかったのですが、今回はMBES調査の際にリアルタイムで反射強度のデータを見ました。その結果、これまで不陸として見えていなかった艦尾側の先に、強い反射があることが分かりました。
 図3.4.7は、反射の強さを色で表しています。色が白いところが反射の強いところです。ちょっと見にくいのですが、青の点線は、前回も今回も不陸として見えているAlbacoreです。赤い点線で囲った範囲が比較的強い反射があるところを示しています。第一次調査で見えていた艦尾部の不陸の後ろ側に強い反射があり、そこに何かがが散らばっているか、埋まっていることが推測されました。
青い実線は、後にROVで確認された艦尾部分です。前方破断点から約60mの長さに渡っていることがわかります。その後ろにさらに15mぐらいの長さの物体が海底面下にあるようです。すなわち、艦の前端20mが破壊されて失われ、その後ろの約75mが一体として残っていると考えられます。


図3.4.7 MBESで計測した、海底からの音波の反射強度

(3)ROV調査

 Albacoreの真上で、献花をしたのちに、08時18分40秒、ROVは着水し、潜航を開始しました。海底に到着後、一旦引き上げてケーブルを調整して、09時34分56秒に再投入しました。
5月の調査を踏まえ、まず船橋を目指しました。潮と風を勘案してAlbacoreの東側から図3.4.8のようにROVを進ませました。


図3.4.8 最初のアプローチ。矢印は最初のアプローチの方向。星印の所に図3.4.9の構造物がある。黄色い縦の線は、そこに浮きのついた綱などの漁具が存在していた場所。

しばらくいくと、図3.4.9のような艦を構成する構造部材の一部と思われるものが、海底にありました。規則的に並んだ孔は、図3.4.10ような空気抜きの孔と思われます。あるいは肋板のような構造部材で、そこに軽目孔があいているのかもしれません。いずれにしても、Albacoreの一部であると思われます。
 それを越えてさらに西に進むと、浮きを付けたロープが水中をあちこち走り、漁網も見えました。その上を越えて西に進むのは危険と考えて、漁具に沿って南下し、ついで若干浮上して艦を乗り越え、西側(左舷側)に回り込みました。



図3.4.9 艦橋から離れた海底に落下していたアルバコアの外板と考えられる残骸。左図の赤丸のような軽め孔があいていた。あるいは、肋板のような構造部材の軽目孔かもしれない。


図3.4.10 構造部材に開けられた孔。艦首部および潜水舵の後ろに並んでいる。

以後、13時40分まで調査を続けました。残念なことに、風が強くなり、午後から海況が悪くなることが予想されていたので、調査を打ち切り、ROVを揚収することにしました。


3.5 撮影されたAlbacore

撮影したビデオのクリップを示し、それがAlbacoreのどの部分であるかを解説します。
 図3.5.1は、撮影された位置と撮影方向を示しています。


図3.5.1 ビデオからクリッピングした画像の撮影位置。推定位置なので、必ずしも正確でないことに注意してください。矢印内の番号は、本節の1)から14)の番号に対応しています。


1)左舷艦橋側面と手すり

 図3.5.2は艦橋の左舷上部デッキの後方を側面から見たところです。四角く窓が開いているのが見えます。窓の間の柱は、生物が付着していて、太く見えています。その上に手すりがあります。図3.4.3は、沈没以前の写真および水中写真に構造物を書き込んだもので、左の写真の黄色枠のあたりを横から撮影しています。形状は、よく一致しています。ただし、写真にある垂直梯子は脱落しているのか、見当たりません。
 なお、艦の周りには、多くのタラが生息していました。図3.5.2の中央に一尾見えます。


図3.5.2 艦橋後部と手すり



図3.5.3 写真との対応。左図の□の部分を横から見ている。左図は2.5.4と同じ

2)艦橋後部と手すり、照明台座

 図3.5.4は、図3.5.2の右奥側、すなわち艦橋後部の右舷側を上方から見た写真です。角で曲がった手すりが見えます。図3.5.3には、手すりの上に二本足の鉄筋でできたようなものが立っていますが、それも図3.5.4に見えています。その内側に潜望鏡の支持構造部材の基部があります。図3.5.3の写真には、そこにサーチライトが取り付けられていますが、図3.5.4ではサーチライトは失われていて、その台座のみが残っているのが見えます。


図3.5.4 艦橋後部右舷側の手すり、潜望鏡支持構造、サーチライトの台座など

3)低周波ループアンテナ

 二つの潜望鏡の間には、ドーナッツ状の低周波ループアンテナがついています。図3.5.5は、わかりにくいのですが、中央部分に生物に覆われて白く写っています。右に立っているのは第二潜望鏡です。これを見ると左側の第一潜望鏡は、ループアンテナの上のところで、上部が失われています。それとともに次節で述べるSJレーダー(図3.3.21参照)の柱が外れて前方にかしいでいます。
このループアンテナに当初は気づかなかったのですが、米国の指摘によりここに存在することがわかりました。


図3.5.5(1) 生物に覆われたループアンテナ。ほぼ横側から見ているので直線状に白く見えている。図3.5.5(2)を参照して位置を確かめてください。


図3.5.5(2) 二つの潜望鏡の間に取り付けられたループアンテナ。その手前に立つのがSJレーダーの支柱

4)SJレーダー

 第一次調査で確認されたSJレーダーは、図3.5.6のように外観されます。図3.3.21は右舷側から至近距離で撮影されていますが、図3.5.6は左舷側からやや離れて撮影しており、レーダーそのものの形ははっきりしませんが、支柱の様子がみてとれます。潜望鏡に並立していたのが外れて、前方に傾いでいる。


図3.5.6 SJレーダーとその支柱


5)艦橋前部の張り出し

 図3.5.7は、艦橋の前にある張り出し部で、その上に機関銃座があります。この下側にいくつかの特徴的な形状があるはずなのですが、残念ならが撮影できませんでした。また、向こう側に回り込もうとしましたが、漁具に阻まれ、断念しました。


図3.5.7 艦橋前部の円形の張り出し部分。

6)機関銃台座

 図3.5.7の中央部にあるのは機関銃の台座で、図2.5.1の写真でよくわかります。図3.5.8は台座の頂部です。


図3.5.8 艦橋前部の張り出しに設置されている機関銃の台座。図2.5.1ではこの上に機関銃が乗っている。

7)クリート

図3.5.9は、左舷側甲板上で艦橋の少し前にあるクリート(係船金物)が写っています。水抜き孔も見えています。図3.5.10の右側は、ヨット用の金物ですが形状はほぼ同じです。左側は、模型上に据え付けられたクリートを示しています。水抜き孔もほぼ対応しています。このクリートを基点として、艦橋の位置が分かります。残念なことに、クリートの近くの甲板は破壊されていて、そこにあるものがよくわかりません。外板は、水抜き穴のある局面部分の下が破壊されていることが見えます。


図3.5.9 左舷側にあるクリート



図3.5.10 クリートの説明と模型上のクリート

8)艦橋横水抜き穴と三本足のスタンション

図3.5.11は、図3.5.10より少し艦尾にいった部分で撮影した舷側上部の水抜き穴と甲板上のスタンションです。このスタンションは左右に斜めの支持材がついています。図2.5.1や図2.5.2では、片一方に支持材のついたスタンションが見えるのですが、両方についたものは見当たりません。その後に取り付けたものではないかと考えられます。


図3.5.11 水抜き穴と右側上部にある三本足のスタンション。周囲にはタラが多く生息していました。

9)ハッチ

 図2.5.2のデッキ上にハッチが見えます。図3.5.12はそのハッチです。図中の右上にインポーズされているROVのHeading角が71.7度であることからハッチの後方から艦首の方向を見ている写真になっています。すなわち、艦尾側がまるくなっているので、図2.5.1と形状が対応しています。なお、カメラにはパンチルト装置がついているので、カメラの方向はHeading角とは必ずしも一致しないことに注意してください。
 図3.5.13の青図や図2.4.1の同形艦の写真を見ると、艦の中央線状に2か所、このようなハッチが見受けられます。図3.5.12のハッチは図3.5.13の前方のハッチであると考えられます。後方のハッチは図3.5.15のポールの前に見えています。
 なお、図2.5.2では、艦橋のすぐ後ろの中央線から右舷側に少しずれた位置に開いたハッチが見えています。


図3.5.12 甲板上のハッチ


図3.5.13 甲板上の二か所のハッチ

10)後部デッキ

 図3.5.14は後部デッキを上から見た図です。比較的よい状態が保たれています。図3.5.12や図3.5.15にも同様の状況が映し出されています。濁りがあるために、遠目がきかないのが残念です。


図3.5.14 後部甲板の状況

11)後部デッキ上のポール

図3.5.15は、後部デッキの中央に立つポールです。これが何かは、よくわからないのですが、手すりのスタンション(取り付け金物)か、通信用の電線を張っていた柱ではないかと思われますが、よくわかりません。アメリカからの情報によれば、後部にアンテナポールはないので、スタンションではないかということでした。しかし、形状がスタンションではないように見受けられます。この位置には、デリック(一種のクレーン)ポストが立っていたのですが、沈没時にデリックポストが立ったままであったとは思われません。図3.5.16の模型には、この位置にポールが建てられていて、架空線のための柱である可能性が高いと思います。
ポールの前側にハッチが見えます。
 図3.5.17は、ポールの周辺まで広く見た写真です。右舷側の後部のデッキが砂で覆われ始めているところが見て取れます。


図3.5.15 中央線上に立つポールとその前方のハッチ


図3.5.16 模型上のポールとその後ろにある魚雷用のハッチ。魚雷用のハッチ部分は海底土に覆われてしまっていて確認できていません。


図3.5.17 砂に覆われるポールの右舷側


12)舷側に取り付けられた手がかり

 図3.5.18の上部中央に写っている線状のものは、舷側に取り付けられた手がかりであると思われます。図2.3.1の青図の立面図のデリックの位置に二つ描かれています。


図3.5.18 舷側の手がかり

13)砂に埋もれかかった右舷後部

 ポールの右舷側にROVを回り込ませ、海底面と接する部分が図3.5.19です。左側にいるタラよりもさらに後部は砂に埋まっています。


図3.5.19 砂に接する右舷側。舷側はほぼ垂直で、艦が水平に鎮座していることが分かります。

14)魚雷発射管の前部の外板か?

 潜望鏡の立つ艦橋のすぐ後ろの部分は、残骸でおおわれています。その上に、図3.5.20のような外板と見られる構造物がありました。そこには、二本のへこみがあります。
 Albacoreの艦首には左右に3門ずつ、艦尾には左右に2門ずつの魚雷発射装置が装備され、図3.3.9のように配置されています。その外側の外板の形状ははっきりしないのですが、図2.3.3の模型の写真を参照してください。


図3.5.20 魚雷発射装置の前部であると思われる外板のへこみ





3.6 第二次調査を終えて

 台風の接近で、十分な調査時間を取れなかったものの、沈没艦の主要部分を撮影することができました。マリンスノーや生物が多く、濁っていて見通しが悪いこと、漁具がからんでいること、など困難な状況にありながらも、安全な調査をおこなうことができました。また、同時通訳付きのニコニコ生放送に多くの声援を得て、調査は無事に終了しました。ご支援を賜った方々、ご協力くださった方々、ボランティアの方々に深くお礼申し上げます。
図3.4.22は船の方々とともに集合写真を撮影しました。


図3.6.22 ROVの横での記念撮影


4.アルバコアであることの確信

以下に確認された事実を列挙します。

1)5月にMBESで調査した海域には、他に沈没艦船はありませんでした。
2)2.6節で述べたように、浮遊物に明らかにAlbacoreのものであるというものがありました。
3)ROV調査の結果、潜水艦であることは明らかです。また、全体的な形状はAlbacoreの形状と矛盾がありません。
4)図3.4.2の艦橋の形状は、ガトー級の潜水艦の特徴を表しています。
5)艦橋上部の手すりの配置、サーチライトの台座は、Albacoreの写真と一致します。
6)図3.3.21のSJレーダーは、Albacoreに取り付けられていたはずno
ものと一致し、米国の潜水艦であることの証拠です。
7)艦橋前部の円形の張り出しとその上の機関銃台座は、Albacoreの写真に一致します。
8)後部甲板上に立つポールについては、対応する情報がなく、不明です。
9)撮影されたビデオ画像から、Albacoreでないといえるものはありません。
10)この周辺海域にガトー級の潜水艦が他にも沈んでいるという情報はありませんし、可能性もありません。

以上のことから、発見された潜水艦は、Albacoreであると断定できます。また、次章で述べるように、米国政府機関が私たちの発見した沈没潜水艦をAlbacoreであると認定しました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする