ラ・プロンジェ深海工学会

深海に関する学術技芸を考究し、海中観測・作業や機器開発などを推進する学会の活動を紹介します。

ラ・プロンジェ深海工学会の活動へのご支援のお願い

2024-08-29 06:04:43 | 規則集
一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会は、
    「海に沈んだモノは必ず見つけ出す」
というスローガンの基に、2017年よりボランティアが集まり、沈没艦船の捜索、発見、潜水調査をおこなってきました。
活動資金は、クラウドファンディングなどを通じたご支援を基本としています。クラウドファンディングはプロジェクトごとに設定され、支援期間が決まっています。そこで、常に支援を受け付けることができるように、支援先銀行口座を下記の口座に設定いたしました。

銀行名:十八親和銀行
支店:福江中央支店
普通預金口座
口座番号:3133611
名義:シヤ)ラ.プロンジエシンカイコウガクカイ

本会の趣旨にご賛同の上、ご支援を賜りたく、よろしくお願いいたします。
お振り込みくださったときには、

お名前(必須:屋号でもかまいません)
    郵便番号
    住所
    電話番号
    Eメイルアドレス(必須)
    寄付金額(必須)
    振り込み日(必須)
    ホームページ等にご氏名の掲載は可能か(必須;どちらかを消去してください)
       可  否
    この活動を何で知りましたか
    活動へのコメント

を、お手数ですが、Eメールで
    office.laplongeeアットマークgmail.com
宛てにお送りください。 なお、アットマークは@に置き換えてください。
どうぞよろしくお願いいたします。

ーーーーーーーーーーーーーーこれまでの調査結果の例ーーーーーーーー
小笠原丸


泰東丸


アルバコア


大洋丸


呂500


伊47


伊58



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「小笠原丸」と「泰東丸」の調査結果(制作中)

2024-08-21 06:42:06 | 小笠原丸・泰東丸調査
調査結果の一部を速報でお知らせします。

小笠原丸

右側が船首。アップライトに海底に鎮座しています。


上が北の平面図です。右下が船首。船首から全長の1/4の部分が抜けていて海底が見えています。そこの船底に魚雷が当たり、沈没したのではないかと考えられます。



泰東丸
砂に埋もれています。




不明の貨物船(?)

船長から知らされた沈没船。船長の祖父様が発見している。全長約75m。



沈没位置

 船名  緯度(北緯)      経度(東経)    水深   全長
小笠原丸  43度54分16.4秒   141度24分42.8秒   57m   83m
泰東丸   44度05分16.8秒   141度28分22.1秒   58m   52m
不明船   43度45分53.2秒   141度16分18.8秒  103m  75m



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「小笠原丸」と「泰東丸」の調査

2024-07-25 09:14:03 | 小笠原丸・泰東丸調査
2024年8月、新たな調査プロジェクトをおこないます。1945年8月22日に北海道留萌沖で起こった「三船殉難事件」で犠牲になった「小笠原丸」と「泰東丸」を、マルチビームソナーで計測し、立体図を作成し、海底でどのような状況にあるのかを明らかにし、犠牲者の慰霊をおこないたいと考えています。 また、調査を通じでマルチビームソナー調査技術の詳細や海底調査活動の実態を紹介します。
海況にもよりますが、調査実施予定日は8月20日です。

クラウドファンディングを開始しましたので、よろしくご支援ください。
https://academist-cf.com/projects/353?lang=ja
なお、従前通り、ニコニコ生放送およびYouTubeで実況中継する予定です。
【8月3日(土)14:00-】
北海道沖で撃沈された「三船殉難事件」の沈没船を追う
〜なぜこの調査が必要なのか 解説&プロジェクト紹介〜
https://youtube.com/live/p_oBQaUuqms
【8月20日(火)朝6:30-(予定)】
北海道沖で撃沈された「三船殉難事件」の沈没船を追う
〜船上からマルチビームソナー調査の全工程をライブ配信〜
https://live.nicovideo.jp/watch/lv345479660


写真は三船殉難の碑です



碑文には次のように書かれています


沈没した2船は過去に潜水調査がおこなわれ水中写真が撮影されてはいるものの、海底にどのような状態で横たわっているのか、その全体像は明らかになっていません。海洋調査の基本は、マルチビームソナー(MultiBeam EchoSounder:MBES)を使って地形図を作ることですが、戦後の潜水調査ではそれはおこなわれておらず、潮がきつく、透明度も悪いことから、船名確認を含め、十分な調査はできていないのが現状です。



そこで私たちは、最新鋭のマルチビームソナーを用いて沈没した小笠原丸と泰東丸の三次元計測をおこない、立体図を作成し、2船が現在、海底でどのような状況にあるのかを明らかにし、犠牲者の慰霊をおこないたいと考えています。 また、調査を通じでマルチビームソナー調査技術の詳細や海底調査活動の実態を紹介します。 MBESの計測方法は



深さが浅いので、私たちがおこなった呂500の調査結果のような詳細な三次元データが取得されるはずです。地元の遊漁船「第二紀宝丸」んい装置を取り付けて調査をおこないます。




調査予定は
2024年8月19日 留萌港にて調査通信機器を艤装
2024年8月20日 調査
2024年8月21日 予備日
2024年8月22日 予備日、殉難の日

・小笠原丸
 逓信省海底電線敷設船
  総トン数:1,403トン、
  長さ:74.1m、幅:10.4m、深さ:6.8m、喫水4.97m  2軸
  竣工:1906年8月15日、建造:三菱合資会社三菱造船所



・泰東丸
 特設砲艦(戦時標準船2E型) 所有者:東亜海運(株)
  総トン数:880トン、垂線間長:60m
  竣工:1944年7月4日、建造:東京造船所(豊洲)
  泰東丸に関しては適当な写真がありません。

小笠原丸は、日本が初めて建造したケーブル敷設船です。小笠原丸を含め、日本のケーブル敷設についての簡単な歴史を紹介します。
・明治5年(1872)8月 関門海峡・前田~雨ケ窪間(1.1km)に本邦最初の1心GP海底電信ケーブル布設(担当、独人シェーファおよびジョンス)
・明治7年(1874)10月 津軽海峡、福島~今別間(40.2km)にストアノルデスケ号により海底電信ケーブル2条布設
・明治8年(1875)2月 明治丸、英国グラスゴーより横浜へ回航
・明治10年(1877)7月 津軽海峡海底ケーブル修理、(大北電信会社へ委託)完了(本邦初の修理工事)
・明治26年(1893)7月 長崎平畑~五島田部手間(96.7km)に1心GP海底電信ケーブル布設
・明治29年(1896)4月 布設船沖縄丸竣工(英国グラスゴー・ロブニッツ会社)
・明治29年(1896)6月 沖縄丸英国より長崎へ到着
・明治37年(1904)2月 卒土浜(対馬)~巨済島~漆原半島間(147.4km)に1心GP電信海底ケーブル布設
・明治39年(1906)8月 布設船小笠原丸竣工
・明治42年(1909)6月 大連~芝素間(166.1km)に1心GP電信海底ケーブル布設(8.16 一般公衆通信取扱い開始)
・昭和20年(1945)2月 小笠原丸、静岡県下田港にて空撃を受ける
・昭和20年(1945)8月 小笠原丸、北海道増毛沖約4海里で魚雷攻撃を受け沈没



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沈没艦船の特定に向けての浦環日誌

2023-11-20 09:26:28 | 学会からのお知らせ
調査と特定に向かって、どのような活動を浦が行ったかについての日誌です。昔のことについての不足分については、順次たしていきます。月日を4桁の数字で表しています。



2024年8月29日更新

0822
増毛と留萌で行われた法要に参加し、調査したデータを参列者に配りました。

0820
調査は無事に終了しました。泰東丸は砂に埋まり、小笠原丸は原型をとどめて海底に鎮座していました。そのデータは、「「小笠原丸」と「泰東丸」の調査結果」のページをご覧ください。さらに、船名不詳の貨物船(?)を雄冬岬の沖に見つけました。

0807
北海道新聞社の取材を受ける

0806
共同通信社の取材を受ける

0803
Youtube のニコニコ公式チャンネルで、私たちのプロジェクトの紹介をしました。古庄幸一さんとの対談です。
北海道沖で撃沈された「三船殉難事件」の沈没船を追う
〜なぜこの調査が必要なのか 解説&プロジェクト紹介〜
https://youtube.com/live/p_oBQaUuqms

0724
「三船殉難事件」で沈没した「小笠原丸」および「泰東丸」の三次元形状をマルチビームソナーで調べる計画をOpenにしました。Academistさんのクラウドファンディング
https://academist-cf.com/projects/353?lang=ja&utm_source=BenchmarkEmail&utm_campaign=academist_newsletter_240724&utm_medium=email
およびニコニコ生放送の予定も広報しました。
8月3日
https://youtube.com/live/p_oBQaUuqms
8月20日
https://youtube.com/live/Wwrkr-ud6-8

2024年
ーーーーーーーーーーーーーー
1120
2018年におこなった呂500の調査に関連し
「日の丸を掲げたUボート」内田弘樹著、イカロス出版
が2023年11月27日に出版されます。浦のインタビュー記事が掲載されています。

0516
アルバコア調査の報告書をブログに上げました。ご一読ください。

2023年
ーーーーーーーーーーーーーー
2022年

1005
多くの方々からご支援をいただいて、10月2日に無事に実行ができました米国潜水艦「アルバコア」の中型潜水艦による調査データを分析しています。まだ未熟ですが、写っている部分がいったい何なのかを取りまとめ速報としてZOOMで講演いたします。ぜひご視聴ください。どなたでも参加できます。

10月 5日 (水曜日):午後8:00~9:00
https://us06web.zoom.us/j/89563210096?pwd=RWVWNGQ4YkhVZ0ROK0g3VkJwSkM5UT09
ミーティングID: 895 6321 0096
パスコード: 745381

なお、クラウドファンディングは、10月6日17時まで開いておりますので、よろしくご支援ください。

1001
皆様
浦@ラ・プロンジェ深海工学会です
私共は、2017年の伊58呂50特定プロジェクトを皮切りに、沈没艦船の調査をおこなってきました。2022年10月2日に、米国の潜水艦「アルバコア」の第二次調査をおこなうにあたって、沈没艦船の調査の歴史や意義、アルバコア調査の内容や課題などを紹介する講演会をZOOMで開催いたします。奮ってご参加ください。

日時:2022年10月1日9時半から約1時間半
場所:
https://us06web.zoom.us/j/85276494389?pwd=NlhqODdyQUFHTWJ2U21pSHhjMWZVUT09
ミーティングID: 852 7649 4389
パスコード: 416407
講師:ラ・プロンジェ深海工学会代表理事 浦  環
題目:「沈没艦船の調査の道 ー潜水艦アルバコア探索第二次調査に向けてー」

どなたでも参加できます。
同時にニコニコ生放送でも放送いたします。
https://live.nicovideo.jp/watch/lv338632583

なお、アルバコアの第二次調査のために、クラウドファンディングをおこなっていますので、よろしくご支援ください。
https://academist-cf.com/projects/265/comments?lang=ja

0927
アルバコア第二次調査のための第八開洋丸は、函館港中央ふ頭を10月1日17時に出港し、アルバコアに向かいます。

0923
 第二次調査のためのクラウドファンディンをすでに開始しました。よろしくご支援ください。
https://academist-cf.com/projects/265?lang=jp
英語版もあります。
調査は、ニコニコ生放送で放送します。同時通訳を付け、海外の視聴者の便宜をはかります。
https://live.nicovideo.jp/watch/lv336612796
ニコニコ生放送のタイトルには「大型」とありますが「中型」が正確です。

0722
 ROVを使ったアルバコアの第二次調査を10月2日におこなうべく、準備を進めています。アルバコアの全体像を明らかにします。これまでは、8月末か9月初旬といっていましたが、準備の都合で、ひと月遅らせました。

0526
 ROVを展開して艦橋付近を調べました。詳細はニコニコ生放送をご覧ください。
https://live.nicovideo.jp/watch/lv326919568
ガトー級潜水艦の艦橋です。
発見位置をプロットしました。海図は日本測地系で描かれているのにご注意ください。

なお、2022年8月30日までに掲載されていた図は誤っていましたので、差し替えました。

0525
 アルバコアとおぼしき沈没艦船を予想位置近くに見つけました。その周囲にはなにもありませんので、これでしょう。長さ47mぐらいです。


0522
 クラウドファンディングのコメント欄に、貴重なご意見をいただいたので、下記のようなご返事をいたしました。

 私は、今から50年程前、大学院生のときに「ぼりばあ丸」「かりふぉるにあ丸」の事故原因に関する基礎的な研究に関係していました。二隻の大型ばら積み船の沈没は、社会的にも技術的にも話題になりました。海難審判で事故原因の特定がなされ、一方の原因は「これだ」という審判に、一方の船は「不明」という審判になっています。沈んだ船を調べる手立てがないので、あくまで状況証拠にのみ立脚しています。50年前は太平洋に沈んだ船を調査する技術がなかったので致し方ないでしょう。しかし、その後の海中技術の発展は素晴らしいものがあり、海に沈んだものは、「できない」といって放置しておいてよいものではありません。1980年に大東島沖合で沈没した大型ばら積み船「ダービシャー」は、台風の中でSOSを出さずに沈んでしまいました。アメリカとイギリスのチームが遠隔操縦式無人潜水機を使って1996年と1997年に集中的に調査し(水深は約4000m)、残骸の写真を撮影し、事故原因を究明しました。その結果は思いもよらないものだったのです。
 日本では、2009年に長崎の第十一大栄丸が沈没したとき、深さが100mだったにもかかわらず、農林水産大臣(前職は防衛大臣)は、海上自衛隊も海上保安庁も引き揚げる技術も装備もない、として引き揚げをいったん断っています。海没艦船の調査に対しても同様な考えに立脚していると聞いています。我が国の海中技術に関する一般的な認識は低く、事実が究明されないままで、多くの人たちが幽冥を異にすることになったにも関わらず、放置されています。日本海で沈没して多大な被害をもたらした「ナホトカ」の船尾部調査に参加した私は、そのような日本の現状を憂いていて、打破するための努力を最大限におこなっています。
お亡くなりになった方々、行方不明の方々へのシンパシーはとても重要です。一方で、海中技術に関わる人間としては、シンパシーに答える技術は何であるのかを示すことが必要です。そのように考えて、微力ながら仲間を募り、寄付を集めて、プロジェクトをやっています。どうぞよろしくご理解いただき、ご声援ください。
また、今回は米国潜水艦が対象です。海没した潜水艦についていろいろと調べる内に、米国がどのように対応しているのかを勉強しました。また、ポール・アレンのグループの素晴らしい活躍についても見聞を深めました。彼我の違いをプロジェクトを通じて実感するところです。アルバコアで成果が上がりましたら、また、次のターゲットを目指して前進していきたいと思います。

2022年
ーーーーーーーーーーーーーー
2021年

2021年7月26日更新

0726 北海道のCOVID-19の感染拡大が収まらず、8月末に予定していたアルバコアの調査を2022年5月末へと延期することを決断しました。先が読めず、調査に期待してくださっている方々を長くお待たせすることになってしまい、心苦しい限りです。
0519 風はほとんど無いが気温が低くて寒い。サブボトムプロファイラーで集中的に調査。USVは取り残した部分のマルチビームソナー調査をおこなう。雨の中にROVをおろすが、視界が悪く、海底はよく見えないので、諦める。15時に帰港して調査を終了しました。撤収。クラウドファンディングは、目標の100万円を越えました。有り難うございます。次は、アルバコアを必ずやる、その次に考えているのは、伊202とニコニコ生放送で宣言しました。
0518 脚が引き上げられた場所に、4名の写真と花束を並べ、菊の花を一輪、海に投げて戦没者を慰霊。マルチビームソナーとサブボトムプロファイラーで海底面を調査。表面には特段のものはないが、海底下1mぐらいの泥の中に多数の落下物がある。そのいくつかを選んで、明日より詳しくサブボトムプロファイラーで調べることにする。
0517 風が強く、調査を延期して、機器の調整などをおこない、準備を進める。
0516 「東京湾B-29探索プロジェクト」の調査作業を開始。早朝より、牛込漁協にて原紺屋丸に調査装置類、生放送のための設備類の艤装をする。USVやROVの調整をおこなう。クラウドファンディングは、目標の半分の50万円に到達した。
天気予報では、10m/sec以上の風が吹くとのこと。予定を一日遅らせて、18日と19日に調査をすることにした。
伊58呂50特定プロジェクトのクラウドファンディングに支援いただいた方々に、メールを出し、東京湾B29探査にも支援してくださるようお願いした。

2021年
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2020年

0804 COVID-19の感染拡大を受け、「アルバコア探査プロジェクト」の調査を2021年6月末に延期しました。準備が進み、クラウドファンディングも目標の半分が集まっていたので、残念ですがいたしかたありません。2021年5月ごろに新しい調査日程を発表する予定です。多くのご支援をいただき、私どもの活動が期待されていることを大いに認識するところです。クラウドファンディングは、8月末に調査をおこないます、と書いているところから、キャンセルし、来年になって再度立ち上げることにいたしました。
0722 新しいプロジェクト「アルバコア探査プロジェクト」の開始を発表しました。クラウドファンディングを開始、直接の寄付集めを開始しました。皆様よろしくご寄付ください。

2020年
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2019年

0407 事務所を五島市に移しました。
0215 「五島列島沖合に海没処分された潜水艦24艦の全貌」を出版しました。

2019年
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2018年

1128 呂500探索プロジェクトと大洋丸探索プロジェクトのクラウドファンディング報告会を12月16日(日)13時半からと15時半から、西新橋の航空会館地下一階会議室にておこないます。
0822 KPLに乗船しました。本航海の航海日誌としてTwitter記事を纏めて掲載することにしました。
0821 ブログの目次を作りました。
0820 22日出港予定を一日遅らせ、23日朝8時半に門司港を出港することにしました。
0819 台風19号の速度は遅く、出港予定日あたりに北九州付近にやってきます。さらに、その後を台風20号がおいかけてきます。22日出港予定は数日延期になるかもしれないと考えています。また、クラウドファンディングの支援が期日を後10日を残して、半分に至っていません。お願いに回らなければならないと切実に思っています。
0813 御遺族に代わって沈没現場に「品」を捧げることにし、SNSを通じて案内をだしました。
0807 東京海洋大に大洋丸の航海日誌を調べに行きました。
0807 「潜水艦の特定に向けての浦環日誌」から「沈没艦船の特定に向けての浦環日誌」にタイトルを改めました
0805 記念艦三笠の講堂にて講演会をおこないました。参加者約70名、ニコニコ生放送でも配信しました。次のプロジェクトとして「大洋丸探索」を紹介し、具体的な調査内容を発表しました。
0802 呂500のクラウドファンディングのReturnのT-Shirtsを、サイズをご返信くださった方々に、約240枚発送しました。次の発送予定は、8月中旬です。
0726 大洋丸探索プロジェクトのクラウドファンディングをACADEMISTで始めました。また、並行して、CFを経由せずに学会が直接ご寄付を賜るページをブログに作りました。
0720 呂500発見記念のT-Shirtsをデザインし、注文しました。クラウドファンディングのReturn用に約300枚、そのた販売用に200枚。注文を受け付けます。
0629 8月5日日曜日午後に横須賀の記念艦三笠講堂にて呂500探索プロジェクトの報告会を開催します。プログラムの詳細は後日ご連絡いたします。
0628 7月3日10時から西新橋の航空会館会議室B102にて記者会見をして、呂500探索プロジェクトの成果を報道関係者に発表します。ニコニコ生放送で中継する予定です。よろしくご覧ください。
0621 呂500の北側に新たな潜水艦を発見し、伊121と確認しました。これで三艦を特定、ハットトリックを達成しました。皆様、ご支援有り難うございました。この成功を、ニコニコ生放送を通して一緒に参加してくださった方々と時を共有できたことは、苦労のしがいがありました。また、多くの方々からご支援ご声援を賜り有り難うございます。この成果を、三艦の計画、設計、建造、運航、ロジなどに関わった皆様、ご家族ご友人、関係者の皆様に捧げたいと思います。
0920 ROVを投入して北の潜水艦を呂500と確認しました。プロジェクトのタイトルは達成いたしました。
0619 冠島西方海域をMBESで調査し、潜水艦二艦を発見しました。南は呂68ですが、北は伊121か呂500です。深田サルベージさんの調査の二艦に対応します。位置を性格にしました。いろいろ考察をして、明日ROVで確かめることにしました。
0618 23時、ReadyForでのクラウドファンディングは、391名から460万円のご寄付をいただき、終了いたしました。有り難うございます。海での作業の財源はいくらあっても足りないのが現状です。呂500探索のためにラ・プロンジェ深海工学会への直接寄付をいつでも受け付けています。よろしくお願いいたします。
0618 調査初日、朝6時に越前漁港を大黒丸で出港し、「シンヤマ」へ向かいました。MBES(マルチビームソナー)で船影がはっきりと見えます。網もかかっているようです。ROVを投入しましたがうまく動かず、船名を確認するのを断念しました。
0615 台風が発生し、海況が気になります。
0614 12日のニコニコ生放送は2時間近くの放送になり、12,769件の視聴があり、「いいね」は97%を越えていました。ご覧になった皆様、コメントをお寄せ戴いた皆様有り難うございました。
0611 12日22時からニコニコ生放送で呂500探索プロジェクトの紹介番組を古庄さん、勝目さん、堀さんと約1時間おこないます。さらに、18日朝6時から調査の模様をニコニコ生放送にておこないます。ぜひご覧ください。
0529 クラウドファンディングは、当初目標としていた200万円のゴールを越えました。皆様、有り難うございます。当初のゴール設定は最小限のものとしました。海洋調査は、その後のデータ処理や、海況の悪化による調査の延期など、別途の経費が必要です。それらを補填するために、目標値をさらに高く再設定することも考えられますが、再設定はしないことにしました。当初のゴールを越えて、ご寄付をお願いします、という態度でいきます。どうぞよろしくお願いいたします。
0518 呂500探索プロジェクトへの寄付を募金するために、ReadyForさんでクラウドファンディングを始めました。https://readyfor.jp/projects/Ro500/comments 一ヶ月間で目標金額を2百万円としました。よろしくお願いします。また、海上保安庁の調査届けを出しました。
0517 海上保安庁舞鶴管区と敦賀管区の境目は、内浦湾正面埼と北緯36度50分、東経135度10分を結ぶ線であると情報を得ました。米軍資料の海没処分位置はこの線より東側すなわち敦賀管区にあります。しかし、舞鶴管区の中も調べる必要があり、両管区に作業届けを出さなければなりません。
0516 北陸財務局より連絡があり、海上保安庁への届けを先にだすようにと言われました。
0509 財務省近畿財務局と北陸財務局に潜水艦調査の許可を取るためにお願い状を出しました。
0507 呂500探索プロジェクトのFacebook Pageを作りました。
0502 国有財産を調査するには財務省の許可が必要です。海は管轄している地方自治体がないので、若狭湾の呂500調査に、どこの財務局に申請書を出せばよいのかわかりません。京都府ならば近畿財務局、石川県ならば北陸財務局、なのですが、とりあえず北陸財務局審理室に電話をしました。
0425 呂500探索プロジェクトの第1回運営委員会を開催し、調査第一日を6月18日としようと決めました。
0417 越前底曳漁協を訪問し、呂500を探索するための船を決めてきました。ROV、MBES、SSBL、衛星アンテナを搭載するスペースなどを確認し、「大黒丸」を使わせていただくことになりました。6月16日から24日の間に調査をいたします。
0413 私が主宰する「海中海底工学フォーラム」で、呂500探索プロジェクトの紹介をし、寄付を呼びかけました。
0412 伊47の全体画像を作り、それを動画にして遠方から見た感じにビデオを作り、これをYouTubeにアップしました。ぜひご覧ください。https://www.youtube.com/watch?v=mDBWLyzkgFY
0409 さっそく4件の寄付の申し込みをいただきました。有り難うございます。
0406 呂500探索プロジェクトを立ち上げました。そのために、ブログの構成を変更しこの頁を「学会からのお知らせ」というカテゴリーに入れました。また、寄付の募集を開始しました。これは、学会のプロジェクトへ直接の寄付をお願いするものです。
0405 Academistに送った報告書のできが悪く、書き直してAcademistに送り、再送をお願いしました。この修正には、SVD(提督兼博士)様にたいへんお世話になりました。有り難うございます。
0321 AcademistのReturnのための報告書を纏めて、Academistに送りました。
0117 横浜の大さん橋ホールで開催されている「海と産業革新コンベンション(うみコン2018)」にて「海のどこでもドア」という題名で講演し、その中で、五島列島沖合の海没処分潜水艦群の調査についてと、バーチャルメモリアルの作成、呂500の調査について述べました。呂500は、2018年の6月ごろから海洋調査を始めると申し上げました。

0218
----------
0217

1222 五島市で講演会をしようともくろんでいましたが、当分の間、未定です。
1216 佐世保での講演会は、大阪から駆けつけてくださった方もいらしてDiscussionはおおいに盛り上がりました。日本中に多くの支援者がいらっしゃることを実感し、次のVR制作に向かって邁進いたします。
1207 終了したイベントのブログのページを「終了」というカテゴリーに移しました。
1203 三笠講堂での講演会は、期待通り盛り上がりました。ニコニコ生放送は一万件を越える視聴があり、嬉しい限りです。この講演会を目指して、特定の詰めをしました。これまで区別がつかなかった伊366と伊367とを区別することに成功しました。また、米国艦の記録から、「波」の区別も進めました。つぎは、16日の佐世保での講演会です。
1116 年明けの1月13日に五島市にて講演会をするために段取りを開始しました。
1024 12月16日佐世保のアルカス佐世保にて講演会を開催する段取りをしました。ブログにプログラムの掲載と詳細の案内は後日おこないます。
1012 12月3日横須賀の記念艦三笠講堂にて開催する講演会のプログラムを作り、ブログにアップしました。前回の三笠での講演会と同じようにニコニコ生放送にて実況中継いたしたく存じます。
1010 JAMSTEC東京事務所会議室にて、ACADEMISTクラウドファンディングの大口寄付者を対象とした講演会を開催しました。20名弱の参加がありました。次は、呂500と客船大洋丸の探索をいたします、と約束しました。回天の探索ももちろんいたします。高知から参加された方より、素晴らしい日本酒をいただきました。
1007 長崎ペンギン水族館で子供達を対象に(同数程度の大人も参加)潜水艦調査の話をしました。一人、小学生の子供でとても詳しい子がいて、いろいろと質問をしてくれました。「どうしてえばるの」「えばるのは楽しいからです」
0914 ACADEMISTクラウドファンディングに寄付いただいた方へのReturnの講演会を10月10日夕刻に開催することにいたしました。
0913 ビデオを編集するために、ボランティアを募集しました。
0912 東京大学の安田講堂にてプロジェクトの成果と海中技術への私の意見を述べました。
0910 T-Shirtsを100枚新たに作りました。SNSで案内をしました。
0908 9月12日に東京大学の安田講堂で開催される海洋技術フォーラム主催のシンポジウム「~第三期海洋基本計画への提言~」の中で、特別講演「知られざる海の世界と歴史と技術~五島列島沖とフィリピン海の船影」をすることになりました。そこでは、もちろん海没処分潜水艦群の調査映像を出します。時間が短いので、工夫が必要です。
http://blog.canpan.info/mt-forum/
0907 プロジェクトの結論を記者会見という形で公表しました。伊58はNo.24、斜めに刺さっている潜水艦です。伊36はNo.7、伊47はNo.25、伊53はNo.1、呂50はNo.19です。お待たせしました。
0904 特定の合議を続けて、結論に至る。記者会見用の資料を準備する。ウインディーさんからNo.25の素晴らしいモザイクとビデオ、3Dを受け取る。そうとう大変な作業だったろう。有り難うございました。
0902 特定に関する記者会見を
     9月7日10時半より
     日本財団ビル2階会議室
    にて開催します。タイトルは「五島列島沖合に沈む伊58や呂50など潜水艦を特定」です。
0830 記者会見の準備をする。9月7日におこなう予定。
0829 T-Shirtsを追加注文する。
0827 下船
0826 0400:調査を終了しました。1800:門司港に到着。長かったが、あっという間に過ぎた。
0822 0430:現場海域に到着しました。0610:ROVのテストを終え、HiPAPのキャル。福江からの支援部隊も到着しました。No.7を伊36と確定しました。漁網などが絡み(被い)、隠してしまうので慎重な判断をおこないました。No.7は分かりやすい状態だったので、良かったのですが、その後は困難を極めています。潜水艦に漁網などが絡み(被い)、艦そのものを見られないようにしているからです。
0821 NHKとテレビ朝日、KBCの取材を、早潮丸にて受ける。「自信満々」と言いました。乗り組みチーム編成を少々変更し、15時出港し、一路五島沖を目指します。夕食後に作戦会議。DVLデータのやりとりに不具合があることがわかり、急いで手当をしました。
0820 Paul Allen氏のチームがインディアナポリスを発見したと19日にTwitterで発表しました。おめでとう。伊58はそれに遅れをとること一週間で、世に示します。台風は西に進みつつあり、23日までの波浪予報を見ると、いけそうです。
0819 米軍が撮影したビデオを見直し、それぞれの艦の特徴について再確認する。寄付を直接いただいた方々に、ニコニコ生放送の案内をする。台風が発生しそうなので、気をもむ。
0817 マスコミ関係の取材の調整をおこなう。
0816 静岡新聞の清水港沖の海没処分潜水艦群についての記事「かくて果つ-潜水艦と海没処分」4回シリーズ(8月13日から16日、社会部坂本昌信記事)と番外編を読む。地元の盛り上がりが重要であると昨日電話で伝える。
0816 沖縄県瀬底島における自律型海中ロボットによるサンゴ調査から、若者達実行部隊を残して、一人北九州へと戻る。
0815 杉浦さんと電話にて日帰り部隊の宿泊と移動について詰める。
0815 ACADEMISTに寄付をくださった方へのお礼のメールの原稿をACADEMISTに送る。
0813 CRESTのプロジェクトで、沖縄県瀬底島沖合にて自律型海中ロボットによるサンゴ調査をおこなうために那覇に到着。琉球大学の瀬底の施設へと赴く。
0812 古庄さんと勝目さんと三人で座談会をしてニコニコ生放送で配信。司会の堀さんがとてもよかった。
0811 ACADEMISTのクラウドファンディングが終了。目標500万円を一割越える。支援者も500名を越え、嬉しい限り。沢山のコメントをいただき、それに全て答えた。
0808 門司の日本サルヴェージにてROV搭載機器と通信機器の調整を検分する。順調である。
0802 呉潜水艦教育隊に潜水艦図面を返却するとともに、データの取り扱いの今後の方針について議論する。
大和ミュージアムと図面資料のデータベース化について議論する
0726 髙井研と浦環のバトルトークを生研でおこなう。長崎の小学生に「浦先生は自分では有人潜水艇が作れないから反対するのでしょう」と言われてのけぞる。
0724 五島市福江の漁業関係者と意見交換
0710 舞鶴総監部を訪ね、呂50についての資料を調べる。
0709 京都の梅宮大社の橋本以裕宮司と面会、伊58艦長橋本以行氏についてお話を聞く
0708 記念艦三笠の講堂で、一般向けにSSS調査の報告会をおこなう。にこにこ生中継をしてもらう。1万7千人が見ていたようだ。
0627 実行委員会でこれまでの反省と今後の計画を議論。ROV調査をにこにこ生中継する方針を打ち立てる。
0526 ACADEMISTのクラウドファインディングを始める
0525 航空会館の会議室でSSSデータについての記者会見
0521 三度目のSSS調査。波が若干あり、画像が良くないので途中で切り上げる
0520 二度目のSSS調査。残りの艦とNo.25を調査
0519 一度目のSSS調査。立ち上がっている潜水艦を発見する。No.24も立ち上がっていた。
0516 日本財団から「海と日本プロジェクト」に「海底調査を通じた海中技術のアウトリーチプログラム」が採択された旨の連絡がある。これで規模は別にしてROV調査が可能になった。
0512 調査会社とROV調査についての詳細を打ち合わせ。
0405 呉の潜水艦教育隊を尋ね、設計図など資料を見る。24艦の特定に役立つものを選ぶ。しかし、建造時のものが多く、後での改造に関するものはほとんどない。
0413 伊58呂50特定プロジェクト実行委員会
0404 ACADEMISTとの打ち合わせをする
0105 一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会を登記する

0217
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0216

1013 第1回伊58呂50特定プロジェクトの実行委員会。
0224 呂50潜水艦と今井梅一艦長について調べる。三井玉野造船所建造。
0218 参与会議終了後、古庄参与に「「伊58特定プロジェクト」というのをやりたいのですが、ご協力願えませんか」とたずねたところ、「もちろんですが、呂50も特定してください」と逆提案され、「伊58呂50特定プロジェクト」に本腰をいれることになる。

0216
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0215

0816 バンキシャ!で伊402調査の報告がなされる。
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報告書 第一部~調査までの道のり~

2023-05-16 17:06:53 | アルバコア探索プロジェクト
潜水艦アルバコア探査プロジェクト報告書

本報告書は三部に分かれています。
第一部~調査までの道のり~
第二部~調査と結論~
第三部~終わりに~

目次

第一部~調査までの道のり~
1. はじめに
1.1 一般社団法人 ラ・プロンジェ深海工学会
1.2 アルバコア探索プロジェクト       
1.3 実行委員会と調査チーム
1.4 調査資金
2.USS Albacore(SS-218)について
2.1 艦歴
2.2 主要目
2.3 青図と模型
2.4 1943年のAlbacoreの状況
2.5 艦橋部分の詳細
2.6 沈没位置の推定
2.7 乗組員
2.8 戦績

第二部~調査と結論~
3.調査の概要と結果
3.1 当初計画
3.2 準備
3.3 第一次調査
3.4 第二次調査
3.5 撮影されたAlbacore
3.6 第二次調査を終えて
4.アルバコアであることの確信

第三部~終わりに~
5.米国の対応
6.新聞等報道
7.終わりに
8.サポートを賜った皆様
8.1 第一次調査
8.2 第二次調査


第一部~調査までの道のり~

1.はじめに

1.1 一般社団法人 ラ・プロンジェ深海工学会

 一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会(https://blog.goo.ne.jp/laplonge参照、以下「学会」と書く)は、2017年に設立された非営利団体で、深海に関する学術技芸を考究し、海中観測・作業や機器開発など、深海を含む海中活動に関する普及と振興に関する活動を行い、もって国民の海洋理解の増進に寄与することを目的として、次の事業を行っています。
(1)海中観測・作業の企画と実施および助成
(2)海中工学・技術に関する情報の提供と資料の刊行
(3)海中情報の収集と提供
(4)海中工学イベントの企画と実施
(5)その他、当法人の目的を達成するために必要な事業

これまでの特筆すべきプロジェクトとして
伊58呂50特定プロジェクト(2017年)
呂500探索プロジェクト(2018年)
大洋丸探査プロジェクト(2018年)
東京湾B-29探索プロジェクト(2021年)
をおこない、沈没艦船の発見と特定などに成功しています。

1.2 アルバコア探索プロジェクト

USS Albacore(SS-218)は、1944年11月7日、北海道恵山岬灯台沖合で触雷し、沈没したと考えられ、日本周辺で沈没位置がかなり正確にわかっている米国潜水艦です。目撃情報は、「大湊防衛隊機密第九一号ノ十四、昭和19年11月15日」に「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号」(2.6節参照)として報告されています。
学会は、最新鋭の海中技術を用いて、Albacoreを探し出し、その位置と現状を明らかにすることによって、学会の設立の目的である海中調査技術や海中活動の普及と振興を目指し、艦とともに戦没された方々を慰霊します。
本プロジェクトは、2020年に実施する予定でしたが、COVID-19の感染拡大により、三度にわたる延期をしました。2022年5月末に第一次調査を、同年10月初めに第二次調査を実施しました。

1.3 実行委員会と調査チーム

 2019年11月、学会は「潜水艦アルバコア探査プロジェクト」を
立ち上げました。実行委員会のメンバーは、下記の通りです。
 浦環(委員長)、古庄幸一、小原敬史、青柳由里子、稲葉祥梧
 柴田成晴、高島創太郞、西林健一郎、John Tamplin
これまでと同様にボランティアとして参加しています。ただし、John Tamplin氏は、後に述べるUSV(Unmanned Surface Vehicle:無人船 実際は準備の都合上、使われなかった)の提供者として加わっています。
 呂500探索プロジェクトの経験を踏まえ、小型ROVでは、200m深度の沈没艦の調査は、十分な操縦性が確保できずに、困難であると判断していました。そこで、調査を二段階に分け、
 第一次調査:マルチビームソナー(Multi-Beam Echo Sounder 以下MBESと記述)による沈没艦の発見と小型ROVによる確認
 第二次調査:大型(実際に利用したのは中型)ROVによる本格調査
としました。
 また、第一次調査にUSVを利用して調査効率をあげようと企画しましたが、数度にわたる延期の影響を受け、USVの準備が間に合わず、USV利用は断念しました。

第一次調査実施担当者
 浦環、古庄幸一、小原敬史、青柳由里子、稲葉祥梧
 柴田成晴、秋山竜也、石川隆規、竹内俊英
 高島創太郞、西林健一郎、西翔太郎、吉住純也
 宇賀神隆志、松本健心

第二次調査実施担当者
 浦環、古庄幸一、小原敬史、青柳由里子、稲葉祥梧
須藤直太郎
宇賀神隆志、松本健心

なお、当初計画では、第一次調査には株式会社ウインディーネットワーク様のご協力を得る予定でしたが、日程的に都合がつかず、参加していません。

1.4 調査資金

 調査資金は、これまでと同様に、一般の方々からの寄付によっています。クラウドファンディングは、Academistに依頼し、以下のように目標に達しています。

・第一次調査
https://academist-cf.com/projects/252?lang=ja
目標金額:200万円
支援金額:2,101,712円
支援者:226人
募集期間:2022年5月日~同年5月30日

・二次調査
https://academist-cf.com/projects/265?lang=ja
目標金額:200万円
支援金額:2,106,300円
支援者:216人
募集期間:2022年9月14日~同年10月6日

 また、並行してラ・プロンジェ深海工学会への直接寄付をお願いいました。


2.USS Albacore(SS-218)について

 Albacoreは、第二次世界大戦中に太平洋戦域で活躍した米国のガトー級潜水艦です。
Naval History and Heritage Command:
https://www.history.navy.mil/research/library/online-reading-room/title-list-alphabetically/u/united-states-submarine-losses/albacore-ss-218.html


図2.1 1942年5月9日時点のAlbacore
http://navsource.org/archives/08/218/0821802.jpg

ガトー級は、1941年から1943年にかけて77隻が建造され、第二次世界大戦におけるアメリカ初の大量生産型潜水艦のクラスです。戦争で失われた52隻のアメリカ潜水艦のうち20隻がガトー級です。Albacoreはそのうちの1隻で、名前はビンナガマグロから来ています。

2.1 艦歴

1942年
2月17日:進水
6月1日:就役
10月20日:ミッドウェーに帰投。改装。200m機関砲を搭載
12月30日:ブリスベンに帰投。エンジンを修理
1943年
3月11日:ブリスベンに帰投。乾ドックで整備
5月26日:ブリスベンに帰投。
7月31日:ブリスベンに帰投。
9月26日:ブリスベンに帰投
12月5日:ブリスベンに帰投
1944年
2月22日:真珠湾に帰投
2月25日:本国へ回航、メア・アイランド海軍造船所で改修工事
5月13日:真珠湾に到着
7月15日:マジュロに帰投
9月25日:真珠湾に帰投
10月24日:第11次哨戒のため真珠湾を出港
10月28日:ミッドウェーで給油
11月7日:北海道函館沖合にて触雷、沈没
艦長:Lieutenant Commander Hugh Raynor Rimmer
乗員:85名
1945年
3月30日:除籍

2.2 主要目(Wikipediaなどによる、いずれも1944年改装後の情報)
排水量:水上:1,550トン、水中:2,460トン
全長:96.3m、垂線間長:75.02m
全幅:8.31m、喫水:5.2m
最高速力:水上:20.25ノット、水中:8.75ノット
乗員:士官:10名、兵員:70-71名
兵装:4インチ砲1基(艦後部)、20ミリ機銃(艦橋前後部)、
21インチ魚雷発射管10基
https://military-history.fandom.com/wiki/USS_Albacore_(SS-218)

2.3 青図と模型

 建造時の青図の立面図と平面図を図2.3.1に示します。また、艦橋部分(Fr.40~Fr.65)の拡大図を図2.3.2に示します。これらの図は、the National Archives and Records Administration (NARA) at College Park, MDからKatonaらが得たもので、本調査の参考にするために学会に送られたものです。ガトー級潜水艦は、建造後も多くの改造が加えられたために、沈没時の最終形を示すものでないことに注意が必要です。




図2.3.1 1944年、建造時の青図(一般配置図)。





図2.3.2 船橋部分の拡大図。

 調査にあたって、立体模型を参照することができれば、網などがかかって外観の判断が難しい沈没艦を同定するのに大変役にたちます。そこで、従来の活動を通して親しくしている「ねりごま船渠」様に、モデルの製作を依頼し、こころよく引き受けていただきました。図2.3.3は、右舷前方から見たモデルです。調査現場にこれを持ち込み参照しました。


図2.3.3 ねりごま船渠様製作のAlbacoreモデル。2.5節の写真の内容が忠実に再現されています。

2.4 1943年のAlbacoreの状況

本節および次節の多くの部分は、
「Identification Guide USS ALBACORE (SS-218) by Stephen J. Katona Volunteer Researcher, NHHC and DDC(SS/SW) David L. Johnston USN (Ret.)」
より引用し、浦が翻訳しています。このGuideは第二次調査に当たって、「調査の参考に」ということで、浦に送られてきたものです

 建造直後のAlbacoreの写真を図2.4.1に示します。右から2隻目がAlbacoreです。5艦のガトー級潜水艦が並び、艤装工事中です。砲の取り付け作業や艦橋前部の建造をおこなっています。2.3節の青図と比較してください。舷側の孔の位置や形が隣のUSS-277 Scampと違っている点などにご注目ください。


図2.4.1 1943年6月4日から7日の間に撮影されたBrisbane港に並ぶガトー級潜水艦。左側から、Grouper (SS-214)、Peto (SS-265)、Scamp (SS-277)、Albacore (SS-218)、およびDrum (SS-228)。NavSource Online: Submarine Photo Archive:http://www.navsource.org/archives/08/08218.htm より。SJレーダーがよく見えます。

2.5 艦橋部分の詳細

 1944年にMareでおこなわれた改造工事時に撮影された写真を以下に示します。詳細が写っている最後の写真で、この状態が沈没時のものと考えてよいと思われます。Katona氏らが注目すべき場所についてマル印で示しています。その解説も紹介します。


図2.5.1 前方から艦橋を見る。

(1) a newly installed watertight ammunition storage gun tub
(2) stanchion hinges
(3) the bridge fairwater
(4) top of the periscope shears
(5) SJ radar emitter dish
(6) the SJ surface search radar mast
(7) the T-shaped SD air search radar
(8) the loop style LF radio antenna

図2.5.1の写真は、前部甲板から左舷後方を撮影したもので、左端には新たに設置された水密性の弾薬貯蔵ストレージ(1)があります。これは、主砲を乗員の要求に応じて前方と後方とに日常的に交換することを想定して設置されたものです。主砲を前方に向けた場合、このストレージは4インチ砲の即応弾を保管するために使用されます。砲を後方に設置した場合、このストレージは20mm Mk2またはMk4機関砲のドラム弾倉を収納するために使用されたと思われます。この20mm機関砲が前部甲板に設置されていたため、このストレージはそのための弾薬を保管するのに適した場所です。写真の一番下のマル印は、スタンション(手すりの支柱)のヒンジ(2)です。
上の大きな円 (3)は、この船をMod 4構成に変更するためにフェアウォーター(ブリッジと監視塔含む構造体)に加えられた変更を示し、下げられたブリッジ、風洞(wind venturi)、露出したリブ構造示しています。艦橋のフェアウォーターには、乗組員が20mm機関砲に素早くアクセスできるようにドアが設置されています。その左下と右下には、主砲を前方に向けた際に4インチ砲弾を通すための弾薬通過用スカットルが新たに設置されています。潜望鏡の一番上には、変更が加えられたことを示す楕円形(4)がありますが、写真ではそれが何であるかはっきりしません。しかし、レーダー探知機APRシリーズのスタブアンテナであると推測するのが妥当でしょう。また、Mod 4の構成では、SJ海面探索レーダーマスト(6)は潜望鏡の前方に位置し、マストは艦橋部分を貫通していることに注意。実際のSJレーダーエミッターディッシュ(5)はマストの上部にあり(後述のようにROV調査で確認されています)、一部見えなくなっています。T字型のSD対空見張り(7)は潜望鏡の後方にある専用のマスト上にあります。また、潜望鏡の間には、ループ式のLF無線アンテナ(8)があります。


図2.5.2 後方から艦橋を見る。
(1) the 4”/50 caliber Mk 9 gun
(2) the gun crew extra deck space
(3) the lifeline stanchions
(4) the newly installed gun tub
(5) likely that the object is a watertight cable junction box for either communication antennas or for sound-powered phones
(6) the structural beams inside, euphemistically referred to as the “covered wagon ribs”
(7) the round holes to allow the superstructure to vent air faster

図2.5.2の写真は後部甲板の左舷前方から撮影したもので、右側の最初に丸で囲んだものが4インチ/50口径Mk9砲(1)です。以前の写真では、この砲は前方の位置にありましたが、1944年のオーバーホールで船尾の位置に移動させられたと思われます。船尾に移動させることで、砲の近く、乗員食堂の下の主弾薬庫のほぼ真上にある電池後ハッチから弾薬を受け渡すことができ、弾薬受け渡しの経路を短くすることができます。砲の左側の楕円は、砲を操作している間、砲の作業員にデッキのスペースを確保するために、デッキが外側に拡張された(2)ことを示しています。砲の左右にある小さな円は、手すりの支柱が変更されたことを示しています(3)。写真でははっきりしないので、何を強調しているのか完全にはわかりませんが、砲の動作中に支柱を折り畳むためのヒンジだと思われます。これによって砲の俯角を最下角とした際に干渉をなくし、かつある程度の安全性も確保できるため、効果的であったと思われます。司令塔のフェアウォーターの後端には、4インチ砲用の即応弾を収容するために新しく設置されたストレージ(4)が円形で示されています。これにより、弾薬受け渡し用の台車が砲の下に設置されている間、乗組員は最初の数発の弾薬にすぐにアクセスすることができるようになりました。
次の前方の円(5)は、これが何であるかを正確に伝えるほど明確ではありませんが、この物体は、通信アンテナの接続箱か、港にいる間の砲兵隊と上層部の監視との間で使用する音波式電話用の防水ケーブルの接続箱であると思われます。その上には、フェアウォーター自体の変更点を強調する楕円が描かれています。この改造で、AlbacoreはMod 4構成になりました。これは、ガトー級潜水艦の戦争後期の構成で、艦のシルエットを目立たなくするための最後の試みでした。フェアウォーターの前部と後部が切り取られ、フェアウォーター上縁の鉄板が取り除かれ、内部の梁が見えている状態となって、艦橋の高さが低くなっています。これらは「幌馬車リブ」と呼ばれたものです(6)。また、図2.5.1と図2.5.2の両写真で注目すべきは、上部構造の上縁に開けられた丸い穴です(図2.5.2の7)。これは潜水時に上部構造の空気を早く抜くために開けられたものです。

このような特徴を持つ船は多くないので、高画質の調査ビデオが入手できれば、Albacoreの同定に役立つと思われます。

図2.5.2の(4)の部分の詳細な写真を、図2.5.3に示します。また、艦橋の上部構造の詳細な写真を、図2.5.4に示します。


図2.5.3 the newly installed gun tub。下の二つの丸はスタンションのヒンジ


図2.5.4 艦橋上部構造。後に述べるROV調査で、この部分の左舷側から見た映像が取得されています。

2.6 沈没位置の推定

図2.6.1にAlbacoreの推定沈没位置を示します。1.2節で述べたようにAlbacoreの沈没は 「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号(図2.6.2~2.6.4)」に記述されています。図2.6.2はその2~4ページを統合したものです。図2.6.3は、機雷敷設図と推定される触雷位置です。図2.6.4は浮上した物品のリストの一部です。これらの資料は、アジア歴史資料センターから入手したもので、一般に公開されている情報です。

図2.6.2の記述は読みづらいところがあるので、下記に転記します。字が判読できないものについては「?」を付してあります。また、一部カナ使いを現代風に書き直してもあります。カタカナ表記はすべてひらがな表記にしました。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
敵潜水艦撃沈確認詳報(昭和19年11月7日恵山機雷礁に於ける潜水艦触雷撃沈)

1. 敵潜触雷撃沈状況
 昭和19年11月7日東口隊の一艇は哨戒中恵山機雷礁南付近に於いて敵潜の触雷撃沈を確認せり。其の状況は次の如し
(1)第七福栄丸(第28掃海隊)は北哨区に在り、半速力7節基準航(?)路南
之字運動を以て捜索聴音を行いつつ対潜哨戒中1235恵山灯台の105度3.5浬に於いて左170度2500mに水中爆発音を聴知すると同時に遠距離に於ける爆雷の爆発音の如き衝撃を船体に感知せり
(2)水中爆発音と同時に約10mの高さに水柱の昇沸(?)するを認め、更に0.5秒の間隔を以て大なる二発の爆発音と船体の振動とを感知せり。この時水中より黒色の飛行機翼状のもの(潜水艦潜舵又は横舵)出現せるを認めたるも瞬時にして全没せり。
(3)是より先約一時間前、恵山岬の20度6浬付近に於いて見張員は左前方に潜望鏡らしきものを認めたるも、確認せざるに見失いたるを以て報告するに至らず、その後30分にして船体に軽度の?衝を感じたるを以て水面を注視したるも何らの浮遊物等をも認め得ざりき。
(4)第七福栄丸は爆発音を聴知するや直ちに面舵に反転、現場に急行し直上付近に至り、約一時間漂泊し水中聴音をおこないつつ監視警戒を続行せり。
(5)爆発後役5分間は気泡の噴出最も盛にして、漸次現象するも重油の噴出は7分後より認められ(海深260m)梅干大油泡無数浮上し、之に混じりて甲板木片「コルク」、寝台「ベッド」書籍煙草被覆類糧食等多数浮上し来るを以て之が参考品としてその一部を?収せり。
(6)敵潜の触雷爆発するや桑畑防衛所に於いては水中聴音機にて二発の水中爆発音を52度40㎞に聴測すると同時に見張り員は黒煙の上昇を認め、恵山見張り所に在りては機雷の爆発音を聴知せり。又、大空哨戒機は現場に重油及多数の浮遊物を認めたり。
(7)当時天候曇、視界15km北西の風8m波浪3、「ウネリ」南東5、海中雑音ありて水中聴音には異音を聴知せしれざるも、前述の状況により敵潜の触雷轟沈を確認し得たるを以てその後爆発点を中心とする5浬?付近を索敵警戒監視せり。
(8)翌8日0700頃、沈没地点を見るに重油の湧出尚盛なり。飛行機偵察に依れば油帯は長さ1200m幅300mに達す。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 目撃情報は、数値が書かれ、具体的です。この位置情報を基にして、沈没位置(触雷位置)を
北緯41度49分05秒、東経141度16分05秒、水深233m
と推定しました。


図2.6.1 沈没位置の推定。海図は「海底地形図第6372号恵山岬」
日本測地系であることに注意

 なお、各種資料によれば、沈没位置は、「北緯41度49分、東経141度11分」となっています。これは、ほぼ恵山岬灯台の位置です。

 浮上物揚収品リストの内、次の二つの記述は注目すべきものです
・ジャンパー背部の「ALB-5」の記載
・白短袴(白のショートパンツ)にASKの記名
前者のALBは明らかにAlbacoreの略称です。また、2.7節の乗組員名簿中のArthur Star Kruger二等水兵 19歳のイニシャルと一致します。

このことから、触雷して沈んだのはAlbacoreに間違いないといえます。

なお、米軍の関係者は、私たちの調査以前に、図2.6.2の記述は知っていたものの、図2.6.4の揚収品についての情報は得ていないようでした。そのため、当初は、私たちの発見したものがAlbacoreであることに懐疑的でした。その後、私たちが送った図2.6.4により、確証を得たようでした。


図2.6.2 「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号」の記述。アジア歴史資料センター提供


図2.6.3 「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号」に記載されている機雷敷設位置と触雷推定位置


図2.6.4 「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号」に記載されている浮上した物品で回収したもののリスト

2.7 乗組員

 沈没時の艦長は、1944年10月3日より任についた図2.7.1の
Hugh Raynor Rimmer少佐
没年30歳です。

乗組員は、総勢85名。全員が行方不明です。乗組員全員の名簿を図2.7.2に掲載します。職責の構成を図2.7.3に、また、年齢分布を図2.7.4に掲載します。

 ショートパンツが発見されたArthur Star Kruger二等水兵の写真を図2.7.5に掲載します。このように、米国潜水艦の乗組員の写真はほぼ全員についてWebsiteに公開されています。残念ながら、日本海軍の潜水艦についてはそのようなデータベースは見当たりません。


図2.7.1 艦長Hugh Raynor Rimmer
https://www.findagrave.com/memorial/30368243/hugh-raynor-rimmer


図2.7.2(1) 乗組員リスト


図2.7.2(2) 乗組員リスト


図2.7.2(3) 乗組員リスト


図2.7.3 乗組員の職位/階級の分布


図2.7.4 乗組員の年齢の分布


図2.7.5 二等水兵 Arthur Star Kruger
https://www.oneternalpatrol.com/kruger-a-s.htm


2.8 戦績

 以下の情報は「uboat.net」からのデータに基づいています。タイトルはドイツの潜水艦U-Boatですが、連合軍の艦艇を広く扱っています。Albacoreの記述については、以下のURLを参照してください。
 https://uboat.net/allies/warships/ship/2964.html

Albacoreが撃沈した日本海軍関係艦船は、以下の11艦です。

・20 Feb 1943
USS Albacore (Lt.Cdr. Richard Cross Lake) attacked Japanese warships, torpedoing and sinking the Japanese destroyer Oshio (offsite link) (駆逐艦大潮)about 140 nautical miles north-north-west of Manus, Admiralty Islands in position 00°50'S, 146°06'E.
・4 Sep 1943
USS Albacore (Lt.Cdr. O.E. Hagberg) torpedoed and sank the Japanese auxiliary gunboat Heijo Maru (2677 GRT)(特設砲艦平壌丸) south-west of Ponape, Caroline Islands in position 05°25'N, 156°37'E.
・25 Nov 1943
USS Albacore (Lt.Cdr. O.E. Hagberg) torpedoed and sank the Japanese transport ship Kenzan Maru (4704 GRT) (陸軍輸送船乾山丸)north-east of Manus in position 00°46'N, 144°50'E.
・12 Jan 1944
USS Albacore (Lt.Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese auxiliary gunboat Choko Maru No.2 (2629 GRT) (特設砲艦第二号長江丸)about 350 nautical miles south-west of Truk in position 03°30'N, 147°27'E. Albacore also damaged the motor gunboat Hayabusa-Tei No.4 (25 GRT) (魚雷艇隼艇)under tow of the Choko Maru No.12 so badly that the smaller craft has to be scuttled in position 03°37'N, 147°27'E.
・14 Jan 1944
USS Albacore (Lt.Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese destroyer Sazanami(駆逐艦漣)about 300 nautical miles south-east of Yap in position 05°30'N, 141°34'E.
・19 Jun 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese aircraft carrier Taiho (29,300 tons)(航空母艦大鳳), about 180 nautical miles north-north-west of Yap in position 12°22'N, 137°04'E.
The carrier was flying the Flag of Adm. Ozawa, Commander of the Kido Butai, heading for the Battle of the Philippine Sea. Her sinking was catastrophic for the Japanese in that communications between the Admiral and the rest of the Fleet were delayed for hours, and the strikes to be launched against the US support forces located off Saipan were uncoordinated and lacking the planes lost with Taiho, which was a major factor in the decisive defeat of Japanese air power in what became known as "The Marianas Turkey shoot" the following day.
・3 Jul 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) makes a deck gun attack in position 08°10'N, 136°18'E, sinking the small Japanese merchant Taiei Maru (130 GRT) (木製機帆船大栄丸)en route from Yap to Palau. 5 survivors were picked up after the sinking but other survivors refused to be rescued.
・5 Sep 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese merchant Shingetsu Maru (880 GRT)(輸送船新月丸) north of Muroto Saki in position 32°24'N, 134°15'E.
・6 Sep 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese auxiliary minesweeper Eguchi Maru No.3 (198 GRT) (特設掃海艇第三江口丸)at entrance to Kii Suido, Japan in position 33°29'N, 135°32'E.
・11 Sep 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese auxiliary submarine chaser Cha-165 (130 tons) (第165号駆潜特務艇)off Kyushu, Japan in position 32°20'N, 131°50'E.

Albacoreの戦果の中で特に著名なのが、当時新鋭だった日本海軍の航空母艦「大鳳」(図2.8.1)の撃沈です。


図2.8.1 航空母艦大鳳。計画基準排水量 29,300トン、全長261m

Albacoreは6本の魚雷を発射し、その内の一本が大鳳の艦尾に命中します。被害は大きくはなかったのですが、航空燃料が漏れ、6時間後に大爆発を起こして沈没します。重装甲を施された新鋭航空母艦の撃沈は、日本海軍に大きな衝撃を与えました。大鳳沈没については、現在に至るまで、設計上の問題点や、被雷後のダメージコントロールの観点等、様々な形で分析がなされています。船舶構造解析の第一人者であった山本善之東京大学名誉教授は、関西造船学会誌に長文の考察を掲げています。また、後に、畑村洋太郎東京大学教授は「失敗学のすすめ」にて、大鳳沈没を山本教授のデータをもとに取り上げています。

参考文献
山本善之:「航空母艦大鳳の大爆発1」、らん、関西造船協会、46巻、1999、pp.58-65
山本善之:「航空母艦大鳳の大爆発2」、らん、関西造船協会、47巻、2000、pp.67-74
畑村洋太郎:「失敗学のすすめ」講談社文庫、2005

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