ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

P3-Cオライオン見学〜海上自衛隊八戸航空基地

2018-06-23 | 自衛隊

というわけで、青森県は八戸市に初めて新幹線でやってきたわたしたち。
八戸観光の後、地元の食材を使った美味しい料理に舌鼓を打ち、明けて翌朝。

約束の時間に、お迎えの車を運転してきた自衛官が海自迷彩の戦闘服
(って言ってもいいですか)を着て別人になっていたのに目を見張りました。
確かに昨日と同じ人なんだけど雰囲気が・・・制服マジックって、すごい(笑)

坂を登っていくと、住宅街に忽然と現れる航空基地の看板。

建物の正面玄関を入ったところに、司令部幹部と海曹長の顔写真があります。

左上から時計回りに群司令、主席幕僚、基地隊司令、整備補給隊司令、航空隊司令。
ちなみにこの日のお昼ご飯はこの方達といただきました。

隊のマークの一番左は、当基地隊所属機P3-Cのコールサイン、
「ODIN」(オーディン、北欧神話の戦いの神)を図柄化したのもの。

ちなみにオーディンというのは、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」では
神々の長、「ヴォータン」として登場します。

それはそれは立派な応接室に通されました。
呉地方総監部を除くと、今まで訪問した自衛隊基地で一番立派かもしれません。

後ろの墨痕も鮮やかな書をなんと読むのかは聞きそびれました。
碧・・・・なんだろう。志?馬?穹?

応接室に飾ってあった写真。
日本全国の海上自衛隊航空基地のスコードロンマークをつけたP3-Cが
八戸に集合し、1機ずつ並んだ二度とない歴史的な瞬間なんだそうです。

尾翼のマークには手前から1から8までの番号が付されていますが、
奥の3機は番号なしです。

 

しばらくそこで待機してから、今にして思えば時間きっちりに
わたしたちは見学に出発しました。

まずは会議室で、八戸基地についてのビデオ(撮影録音禁止)を
を鑑賞し、基地の歴史に始まって任務などについてを把握した後、
実機を見学という段取りです。

格納庫までマイクロバスで移動するとそこには、見学のための
P3ーCオライオンがわたしたちを待ち構えていたのでした。

わたしたちが到着するなり案内の掲示板が引き出されました。
せっかくだから、これもちゃんと紹介させていただきましょう。

製造会社の「ロッキード社」を見て今更ですがあっと思いました。

もともと日本は次期対潜哨戒機を国産で、と計画していたのにも関わらず、
田中角栄がハワイに外遊した途端アメリカから購入することを急に決め、
選定されたのがこのP3-Cでしたよね。

「ロッキード事件」ではロッキード社が田中と児玉誉士夫に
トライスターの選定をさせるため多額の献金をしていたといわれましたが、
実はこのP3-Cもこの経緯を見れば相当怪しい経緯で選定されたということです。

当時の防衛庁長官は中曽根康弘でしたが、次期対潜哨戒機を
国産開発ではなく輸入することに決まったと知らされた時、
中曽根はあからさまにがっかりしていたと伝えられます。

結局アメリカから直接有償援助された機体は最初の3機だけで、
あとは川崎重工業でノックダウン生産されたものが配備されました。


機体は非常に完成度が高く、ベストセラーになるほど安定していますし、
導入そのものは結果的にしてよかったのではないでしょうか(小並感)

わたしたちはこの日、この機体の内部も見学させてもらいました。
P3-Cの中に入る者はすべからく身分を明らかにすべしということで、
前もって名簿に記載する氏名は提出してあります。

さらにカメラはもちろん、携帯電話も全て持ち込み不可なので、
カメラは預かってもらい、電話はトレイの上に置いて搭乗しました。

驚いたのが、一緒に乗り込んだ群司令も携帯を没収?されていたことです。

中は撮影できないのでせめてもと外側の写真だけは撮りまくりました。
前輪の脚を収納してあるハッチ。

操縦席の後ろにある窓はバブルウィンドウになっていて、
顔を出して機体の下を見ることができます。

確かここにはTACOと言われる戦術士の席があったはず。

操縦士以外の航法員などは機体に対して横に座り、ご覧のように
窓が少ないので外が見えず、そのため酔うこともあるといいますが、
仕事がないときにはクルーは寝ていてもいいそうです。

機内には簡単なキッチンもありお湯を沸かすことくらいはできます。

エンジンは4基、左から順番に番号がついているので
これは4番エンジン(とプロペラ)ということになります。

1番ならびに2番エンジンとプロペラ。

P3-Cは上空に上がったら燃料の節約のために「ロイター」と呼ばれる
省エネ操縦を行いますが、海上自衛隊の場合、その時には外側の
1番と4番を停止すると決まっているのだそうです。

その時にはもちろんプロペラも止まるんですよね?

4基のエンジンのちょうど真下の位置に垂れてきたオイルを
受けるためのトレイが置いてあります。

ところで、この日わたしは海自基地や装備、艦艇を
TOと一緒に案内してもらうと必ず起こる、ある現象を体験しました。

それはこういうことです。

見学の当初、エスコートしてくださる自衛官は、まず皆間違いなく、
わたしではなくTOに向かって説明を行います。

決してわたしが無視されているというのではないのですが、
見学者の主体、つまり本当に興味があるのは夫婦ならば夫であり、
奥方というのは付いてきただけで飛行機や船などに興味はあまりない、
というのが一般的なパターンであるらしく、当然のことながら、
説明者はまず夫であるTOに向かって話しかける形になります。

ところが、見学が進むに従って、夫の反応がほとんどないと言っていいほど
希薄なのに対し、女性であるわたしが喰いつかんばかりの熱心さなので、
次第に説明の方はあれ?という感じになってきます。

TOに言わせると

「興味がないわけではないのだが、あまりにも基礎的なことを
知らないので、疑問も湧いてこない」

ゆえにそのような反応になるそうですが。

そこで、わたしが妙にマニアックな質問をしたりします。

「この翼の先の黒い部分、どうして塗装してはいけないんですか」

写真でも見にくいですが、実際にもよくよく見なくてはわからない場所に、
「ノー・ペインティング」と書いてあるので聞いてみました。

「ここにセンサーが内蔵されているからです」

今回もこの質問あたりから潮目が変わったような気がします(笑)
つまり、解説をわたしに向かってしてくれるようになったのです。

ソノブイを投下する投下孔。
この投下孔に手動で装着するそうで、ソノブイ本体はそんなに重くはないそうです。

機内の見学では、ソノブイの殻や、内部から投下する装置も見せてもらいました。

wikiに載ってるアメリカ軍の機体内部にあるソノブイラック。
値段は一本いくらかこの時にも聞いたけど、すっかり忘れました。
(回収できなくても勿体無い、というほどではなかった気がします)

やっぱり見学したらすぐにエントリ制作しないとダメですね。

コードが繋がっていますが、充電中だったかもしれません。

P3-Cを特徴付けているところのMADブーム、磁気探知装置です。
潜水艦が航行すると起こる地磁気の乱れを、これで探知するのです。

潜水艦の人がこれが空を飛んでいるのを見るだけでイヤーな気持ちになる、
というのは、こういうものとかああいうものとかを搭載しているからですね。

ところで、この潜水艦経験者のP3憎たらしいという証言、わたしはたまたま
何度か耳にする機会こそあったものの、P3の人から潜水艦をどう思っているのか
一度も聞いたことがないのですが、実際はどうなんでしょうか。

忌憚のないところをぜひ一度飛行機の方から伺ってみたいものです。

ここで、「ウェポン・ベイ」と呼ばれるハッチを開けるところを
実際に見せていただきました。

ウィーンと音を立ててドアが下に向かって開いていきます。
この中には魚雷を搭載する牽引装置が内蔵されているのです。

せっかく開けてもらったのに、下から見ることを思いつきませんでした。

ウェポン・ベイの下に入ってまず最初に赤いタグを下げています。

この赤いタグが下がっている小さなハッチには

「BOMB BAY DOOR SAFETY LOCK 」

とあり、ここを引き出して赤いタグが見えている限り、
人がいるのにドアが閉じてしまわないようになっているのです。

あー、これ、やっぱり下から見られるようにしてくれてたんだ・・。

ピトー管は機体の大きさの割に小さいですが、速度と高度が測定できればいいので無問題。

ヘリのピトー管は機首の両側、戦闘機は機首先端などにありますが、
P3-Cは機体下部両側に付いていたりします。

ウェポン・ベイ(注意書きによるとボム・ベイ)から突き出しているのは
「ブレードアンテナ」ちうやつだと思われます。

そういえば、ガンダムの「ツノ」ってあれ、ブレードアンテナなんですってね。
今調べていて初めて知った(笑)

ボム・ベイを開け閉めしてくれています。

格納庫の隅に、このようなコーナーがありました。

航空隊の安全実績を大きく貼り出し、その数字を心に刻むことで、
総員の任務に対する
責任と自覚を一層深めるための試みです。

安全実績は一ヶ月ごとに書き換えられるらしく、この時には
5月1日現在の記録となっていますが、これによると

安全飛行時間 44万62130時間

地上安全日数6,255日

一般安全日数1323日

後者二つの定義を聞かなかったのが悔やまれますが、とにかく
案内くださった航空隊司令によると、当航空基地は

「開隊以来、飛行事故を一度も起こしていないのが誇りです」

飛行機のクルーはもちろんのこと、機体の整備や管制、基地整備、補給、
基地に関わる隊員全員がが自分の任務を確実に果たしてこその安全です。

 

 

 

私たちはこの後、基地内の各施設を説明を受けながら午前中一杯かけて
見学させていただきました。


続く。


「掃海隊員の歌」〜平成三十年度 掃海隊殉職者追悼式 於 金刀比羅神社

2018-06-09 | 自衛隊

 金毘羅宮における本年度の掃海隊殉職者追悼式が行われる日になりました。

車は追悼式終了後の食事会が行われる旅館の駐車場に停めて、
そこから出発しているシャトルバスで会場近くまで運んでもらい、
そこから少し参道を下っていくと追悼式会場です。

山門前には「五人百姓」といって、古くから金刀比羅宮に奉仕してきて
境内で商売を許された五軒の飴屋さんがあります。

ミカさんにはここで売っているべっこう飴、「加美代飴」を
家族の人数分いただきました。

ここに来るとつい立ち寄らずにはいられないひやしあめの屋台。
生姜を入れるかどうか、聞いてもらえます。

ひやしあめ屋さんの舞台裏。
大村崑の「元気はつらつオロナミンC」の看板を廃物利用。

さてそろそろ、と会場に向かい始めると、隊伍を組んだ儀仗隊の列が
颯爽と追悼式会場に向かって階段を降りていくのを目撃。

参拝客は皆目を丸くするように立ち止まって見ています。

殉職者追悼式が行われることは、参道から少し入ればわかるように
大きな案内が出ています。

本日の天気は雲が太陽を隠し、晴天ではありませんが、むしろ
列席者にとっては大変凌ぎやすい天候だったと言えます。

会場で地レンジャー発見。

自衛隊のリクルートを行う地元協力本部のことを地方連絡部、略して
「地連」と言っていた頃には、
存在していた「地レンジャー」ですが、
略称地本となった今は絶滅しました。

しかしこの本部長はレンジャー出身なので、
「地レンジャー」とお呼びしても良いかと思われます。

この日緑の制服を着ておられる地レンジャー本部長に

「まだ制服を新しいのに変えておられないんですか」

と質問すると、

「今日その質問100回くらいされてるんですけど」

と憮然として答えられました。
将官と新入隊員クラス、つまり上と下からじわじわと新しくなっているので、
真ん中の佐官クラスはもう少し後になるのかもしれませんね。

というわけでわたくしの席は、ここ。
一番前から執行官と幹部、政治家、歴代地方総監、そして掃海隊員、
と続き、掃海隊司令の真後ろです。

会場全面にテントを張る設営法は去年と同じ。
それまでは真ん中を通路として列席者が通路を挟み、
向かいあう形になっていたのですが、去年からこの形に変わりました。

これだと慰霊碑も国旗掲揚も見えないのではないか、などと、
去年追悼式が終わった直後、僭越ながらいくつか進言させていただいたのですが、
今回、追悼式の直前、それに対してこのようなご返答をいただきました。


1️⃣ 参列者の席の向きについて

慰霊碑に正対することが正しい座り方であり、
後方の席の方はテントの影になり見えにくくなりますが、
参列者が200名を超え、さらに朝日岡が慰霊碑に対し
長方形となっているため、止むを得ないものと考えています。

したがって配席は昨年どおりとします。

2️⃣ 儀仗隊の動線について

儀仗隊は本来待機場所から正面に出てくるもので、
参列者席の中央を通すやり方は礼式上、本来の姿ではないと考え、
本年度も昨年どおりとします。

3️⃣ 現職自衛官の配席について

ご指摘のとおり追悼式執行者は呉地方総監であり、
現職が掃海殉職者のご遺志を顕彰するものであります。
現職自衛官が最後列に位置するのは適切ではないため、本年度から
歴代総監、歴代掃海隊群司令の次に配席し献花順も改めました。

 

一番大切なことは殉職者に捧げる慰霊の形であり、それゆえ
列席者が慰霊碑に正対すべき、というお答えには得心がいきました。

何より、呉地方総監部が、たかが一般人のわたしごときの具申を拾い上げ、
検討してくださったことに対し、感激するとともに深く感謝する次第です。

まだ到着していない列席者の席もありますが、儀仗隊はご覧のように
微動だにせず待機しています。

会場の入り口でご遺族を迎え、政治家をエスコートするために待つ式執行官。

ここに見える金毘羅宮の宮司の名前、「琴陵」はことおかと読みます。
現権宮司琴陵容世氏は、金毘羅宮の宮内にブロンズ像のある

琴陵宥常(ことおかひろつね)[1840~1892年]

の子孫で、琴陵は代々権宮司を務めてきた家の名前でもありますが、
その一人琴陵宥常は「金刀比羅宮」と言う神社名の「名付け親」でもありました。


ところでみなさんは、金毘羅宮がなぜ海の守り神となっているかご存知ですか?

こんぴらさんは象頭山という金毘羅宮が祀られている山そのものが神様という考えなのですが、
昔からこの山が航海するものの目印となっていたことが起源と言われています。


そして「海の神様」といえば琴陵宥常にまつわるこんな話もあります。

1886年、イギリス船「ノルマントン号」が紀州沖で沈没する事故が起きました。

この時、イギリス人船員は全員助かったのに、日本人乗客は全員水死し、これが
人種差別的な対応によるものではないかとして裁判にまで発展しています。

ノルマントン号事件

この事件の後、琴陵宥常は海上安全を祈願し、「大日本帝国水難救済会大旨」を作成し、
水難救助活動に携わる団体への顕彰、補償などを行うことを目的に
「海の赤十字」とも言われる「大日本帝国水難救済会」を創設しています。

現在、同会は

公益社団法人日本水難救済会

として、沿岸地に設置された民間ボランティア救助組織、
救難所に対する支援を行なっています。

殉職隊員の遺族の皆さんの入場です。

式典は、

国旗掲揚

霊名簿奉安

黙祷

に続いて追悼の辞が何人かによって行われました。

儀仗隊による敬礼・弔銃発射

が終わると、名前が呼ばれ、献花が行われます。
献花はまず遺族の方々から始まり、そのあとは前列から順番に行われるので、
わたしの献花の順番は現職自衛官のあと、最初ということになりました。

そして、呉音楽隊による追悼演奏が行われたのですが、

前日の立て付けの通り、追悼演奏の最初が歌付きの「掃海隊員の歌」。

独立日本の朝ぼらけ 平和の鐘は鳴り響き
大国民の度量を持て 雄飛の秋は迫りけり
今躍進の機に臨み ああ 掃海は世の鑑

このあと「軍艦」と「海行かば」が演奏される、と確か
昨日司会が言っていたはずなのに、曲は続きました。

・・・・あれ?二番も歌うんですか?

海上保安の重責をその双肩に担いつつ荒天怒涛もなんのその
浄めつくさん 機雷原 防衛庁(省、に変えて歌っていた)
内にその名あり  
ああ 掃海は世の鑑

周りを見ると、皆配られた小冊子の歌詞を見ながら聴いています。

実はこの「掃海隊員の歌」、五番まであって、三番は
「北は室蘭稚内」と始まり、後段には英霊眠れ安らけく」

四番は

「肉弾砕く釜山港」「痛恨虚し対馬沖」

と、ストレートに朝鮮戦争などの表現が出てくるのです。
この三番と四番を歌うのかどうか、ドキドキしながら聴いていると、

挺身集う臨関掃 精鋭すぐる吉見沖
良心こめし丈夫が 水も漏らさぬこの布陣
成果は挙がるかくやくと ああ掃海は世の誠

という最終の五番だけを歌い、演奏は終わりました。

食事会の時に地方総監が暴露?したところによると、
やはり直前まで一番だけで終わる予定だったのが、どういう経緯か、
1、2、5番を急遽演奏することになったということです。

気の毒だったのはリハなしぶっつけ本番で歌わされた指揮者でした。

確かに1番は朗々と歌い上げていたのですが、2番、5番と、
明らかに声が遠慮がちだった謎が解けたというわけです。

「この次はちゃんと練習させるようにします」

食事会でご挨拶した時、地方総監がわたしになぜか恐縮しておられましたが、
音楽関係者としてはこの事情を聞いて歌手に大いに同情しました。

その後、霊名簿を降納し、国旗を降下して式典は恙無く終了しました。

歌、現場の設営、献花の順番、運営の全てに遺漏なく、曇りがちな天気も
列席者にはある意味天助となって、厳かで心に残る立派な追悼式となりました。

まあ、確かに中にはつまらない追悼の辞を述べた「小物議員」もいましたが、
この追悼式にとって全くどうでもいい話です。(断言)

毎年恒例の、遺族と自衛隊等による記念写真撮影。

カメラクルーの姿が見えますが、これはNHKの制作で、
またしてもどなたか遺族の方を追いかけているのだと聞きました。

去年の殉職者を扱った番組の内容を人伝に聞く限り、また今回も

「戦争の後始末をさせられて命を失った気の毒な人たち」

的なコンセプトで番組が作られるのは間違いないと思われます。
どなたか番組を視聴された方、またぜひご報告お願いします。

霊前へのお供えは果物、鯛、餅、酒に野菜、昆布など。

海軍の艦内帽を被り、杖をついて参加されている方を見ました。
かつて殉職者の同僚として共に掃海に当たった方でしょうか。

大正11年に東宮殿下がの御時とあります。
ということは、皇太子時代の昭和天皇のこととなります。

追悼式の後は、金毘羅宮を下山したところにある料理旅館で
遺族の皆様を囲む昼食会が行われました。

追悼式の後なので「乾杯」ではなく「献杯」を梅酒で行いました。
月桂冠のボトルが置かれていますが、飲めないわたしには無縁のものです。

この時隣に座った方が、現在大企業の子会社の社長をしておられる元自衛官で、
共通の知人がいたことから、初対面なのにすっかり話が弾みました。

執行官、呉地方総監池太郎海将のご挨拶。
この時に、指揮者の歌の後半がぶっつけ本番だったことが暴露され?

「後になるにつれだんだん声が小さくなってしまって、申し訳ありません」

という言葉には会場から暖かい笑いが起きました。

ご遺族代表で挨拶をされた方。
この方の親族である掃海隊員は、触雷ではなく、艇の沈没で殉職されました。

殉職当時追悼式で読み上げられた式辞は、当時遺族の手に渡り、
何年もの時を経てこの日皆に公開されたということになります。

語尾が「なり」「けり」で書かれた式辞は、今のものよりいわば格調高く、
より濃く当時の空気を感じさせ、皆は真剣に聞き入りました。

この方の甥御さんは、殉職者の遺志を継ぎ、長じて海上自衛隊に入隊、
現在航海長として練習艦隊随伴艦「まきなみ」に乗り組んでおられます。

宴はたけなわでしたが、わたしは飛行機の時間があるので、一足先に会場を離脱しました。

飛行場の芝に「さぬき」と書かれていることをこの時初めて知りました。

離陸。
次に高松にくるのは一年後でしょうか。それとも・・・。


今年も戦後の日本の海の安寧を取り戻し、復興の足がかりとなった
尊い掃海活動に命をかけられた殉職隊員の皆様に対し、

追悼の誠を捧げることができたことに微かに安堵を感じながら、
わたしは翼の下に広がる讃岐の地に別れを告げました。

 

終わり 

 

 

「うらが」艦上レセプション@高松港〜平成三十年度 掃海殉職者追悼式

2018-06-08 | 自衛隊

金毘羅宮で次の日に行われる掃海殉職者追悼式の立て付けが終了しました。

立て付け終了後、執行者呉地方総監、掃海隊群司令ら幹部が
信仰について司会役の総務課長らと問題点の洗い直しをしています。

なんか無駄にかっこいい。

その後、車で1時間かけ、高松市内のホテルにチェックインしました。

今年もシングルの予約が取れなかったので、仕方なくツインをツイン料金で取りました。
チェックインの時にフロントで「一人で泊まる」というと、フロントマンが
なぜか二枚あった朝食券を一枚引っ込めようとするので、

「いえ!それはいただきます」

と強く言い切り、二枚もらって一枚をミカさんに献上いたしました。
こちとら二人分払ってるんだから当然の権利よね。

着替えと帰って寝るだけの部屋ですが、ベッドが二つあると、
遠慮なくそのうち一つにモノをぶちまけていくことができたので便利でした。

今年はお城跡側の部屋です。

約1時間半でチェックインと着替えを済ませ、高松港に突撃。
今年の艦上レセプションは「うらが」で行われます。

「うらが」さんには、かつて日向灘の訓練でもお会いしています。
掃海隊の機雷除去訓練を見学するために「えのしま」に乗った時ですが、
昼ごはんを「うらが」でいただくために「えのしま」を接舷しようとしたら、
その日は大変波が高く、舷梯を架けることがどうしてもできませんでした。

当時の掃海隊群司令、岡海将補が「うらが」の舷側に立って、ハンドマイクで
接舷を断念することを謝っておられるのを見たのがまるで昨日のことのようです。

岡司令はその後退官され、お食事をご一緒する機会は永遠に失われました。

岸壁埠頭に座って、しみじみと「うらが」舳先を眺めている女性。

もう乗艦が始まっていたので、入って行きました。
わーい、みんながにこやかにお迎えしてくれてるー。

高松港埠頭にあるレストラン「ミケイラ」には去年お昼ご飯を食べに訪れました。
景色もいいし味もおすすめです。

レセプションに訪れた客は、必ず会場入り口で呉地方総監と
掃海隊群司令にご挨拶をさせていただきます。

着物の女性は、わたしの知り合いの防衛団体会長が最近スカウトしてきた会員。
着付けの先生だそうです。

お料理にはサランラップがかかっているので、大阪の時のように
開始前から人が食べ始めるということにはなりません。

なるほど、これから大阪でのレセプションではこうすればいいのでは・・。

格納庫の壁には「うらが」と掃海隊についての知識を周知すべく、
わかりやすい説明のパネルが掲げられています。

「うらが」のエンブレム、かんむり座のモチーフが
命名の元となった浦賀水道の走水神社に祀られている日本武尊の
冠伝説にちなんでいることはここで初めて知りました。

開始前、甲板後部から。
甲板の広い掃海母艦でのレセプションは、「かしま」艦上のように
芋の子洗う状態には決してなりません。

その広いスペースを利用して、甲板には機雷も展示されています。
これは係維式機雷K-13で、この台座ごと海に沈めると、
ツノのある機雷部分だけが係維、つまり糸に繋がれて海面付近まで浮き上がり、
赤いツノに航行する艦船が接触すると爆発する、という仕組みです。

係維機雷のうち「磁気機雷」かもしれません。

「うらが」の後ろには阪神基地隊からやってきた「あいしま」「つのしま」がいます。
今年も去年のように日曜には体験航海が行われたのでしょう。

レセプションが始まり、偉い人の挨拶が行われました。

指揮執行官の呉地方総監。
手前の男性は掃海殉職者のご遺族です。

レセプションの雰囲気を軽快な音楽で盛り上げるのは呉音楽隊メンバー。
バンド名は「マリーンナイツ(海の騎士)」です。

ボーカルも加わり、「スィート・メモリーズ」などを素敵な歌声で聞かせます。

「YMCA」が演奏された途端、周りがほぼ全員と言っていいほど、
その直前に亡くなった西城秀樹を話題にし始めました。

ある年代以上の人たちにとってはヒデキは関心の有る無しに関わらず
歌手にとどまらないアイドルの象徴みたいなものでしたからね。

自衛艦に乗ったらカレーを食べずして何かを食べたとは言えません。
というわけで、「うらが」カレー初体験です。

カレーをよそっている人を写真に撮ろうとしたら、彼は
ピタリ!とおたまを止めて、シャッターを切るまでポーズしてくれました。

というわけでこれが「うらが」カレー。
黒いスパイスのような粒が見えることからも想像できるように、
かなりのスパイシーカレーでした。
具は・・・ビーフだったと思いますが美味しかったことしか記憶にありません。

とかなんとか会場を回遊しているうちに、自衛艦旗降下の時間になりました。
降下を行う乗員が5分前から旗竿の前で静止して時を待ちます。

じか〜〜ん!

同時に電飾が灯ります。

♪ ドーソードドミー ドーソードドミー ミミソー ミミソー
ミードミソーソー ミードドドー♪

ソーソソソーソ ミードーミードー ソーソソソーソー ミードーミードー
(最初に戻って♪で終わる)

この日は女性乗員が風で竿に巻きついた旗を外していました。

「あいしま」「いずしま」でも同じように降下が行われていたはずですが、
喇叭の音はそちらからは聞こえてきませんでした。

母艦の喇叭を聴きながら行なっていたのかもしれません。

降下終了。

灯りが点くと同時に、闇が一層濃く降りてきたように感じます。

レセプション会場にも電灯が灯るとより華やいだ雰囲気が漂います。

この日、わたしは会場でいろんな方と初めてご挨拶をさせていただきました。

自称「オールド・セイラー」氏。
地元の郷土作家。
江田島に生まれ育ち、幹部学校のことならなんでも知っているという方。
某防衛団体の会長にスカウトされて会員になった着物の先生。
掃海隊が高松港にくると必ず駆けつけてくるという熱心なファン。

「オールド・セイラー」氏はこう書けば当ブログ読者なら自衛隊関係の方ならずとも
きっと誰かわかる、東日本大震災の時の海自出動部隊指揮官だった方です。

後は掃海隊の司令官クラスの方々。

なんどもお会いしてすっかり顔なじみになった掃海隊司令が
もうすぐ転勤されると聞いたときは少しさみしい思いをしました。

開始から約1時間、めぼしい食べ物はほぼ食い尽くされた模様。

気がつけば高松港の玉藻防波堤灯台、通称赤灯台が赤く光っています。
世界初総ガラス張りの灯台で、内部に灯りがともると全体が赤く光ります。

本州と高松を結ぶコミューター、四国フェリーの「しょうどしま丸」。
緑のうどんの絵の下には「うどん県」と書かれています。

屋台はカレーの他には天ぷらと焼き鳥。
焼き鳥は割と早くに終了してしまったので、天ぷらを無くなる前に
一つ食べておこうと思ったら、前に並んでいた方が、

「ほらあんた食べなさい」

と順番を譲ってくれ、それでは、とエビ天一ついただきました。
ちなみに天ぷら屋さんの後ろにいる男性は、かの

「北の馬鹿者が」

の元司令です。

楽しんでいるうちに蛍の光が鳴りだしたので素直に退出。

地面のテントは明日行われる地元地本の広報ブースです。
掃海艇での体験航海の他にも、陸自が乗り物を持ってくるのかもしれません。

舷側に立つ自衛官は、一人一人に

「ありがとうございました」

と声をかけて見送ってくれます。

掃海母艦は大きいので、舷梯が長くて比較的急です。

わたしはこの日長いスカートを履いていたので、階段を上る時には
裾を踏まないように持って歩いたのですが、下りでは手すりを持つので手が使えず、
結果的に裾で階段を掃き清めながら降りていくことになりました。

帰って洗濯すればいいや、と思いながら構わず降りていたら、後ろの自衛官
(しかも帽子にカレー付き)が
ご丁寧にも声をかけてくださいました。

「裾・・・・持ちましょうか」

海軍軍人って、皆さんジェントルマン。

だがそれだけは断る。

岸壁に降りてからも、ここでまず呉地方総監が降りてくるのを待ち、
写真を撮るというミカさんに付き合って長時間立っていました。

防衛政務官の艦内見学が長引いて出てくるのに時間がかかり、
おまけに地方総監の退出シーンの撮影に失敗するし・・・

どう失敗したかというと、この大きさでしかお見せできないくらい。

電飾で彩られた掃海艇兄弟を撮りに行きました。

わたしたちの前をついさっきまで制服だった掃海隊司令らが、
私服に着替えて汗をかきながら通り過ぎていきます。

「風呂入ってきたんで暑いです」

この時に聞いたのですが、掃海艇などは司令とか艦長が一番にバスを使うため、
偉い人が早く入ってやらないと皆が入れないのだそうですね。

最後に「うらが」の電飾を撮りに艦首のところに行きました。

ところでこの写真を見てちょっとゾッとしました。
舳先のところにいるの、もしかしてさっき見た女の人でわ((((;゚Д゚)))))))

正面から。
「いずも」の時のように三脚もミラーアップ機能も使っていませんが、
埠頭のブイにカメラを乗せて固定して撮りました。

ミカさんに聞いたところによると、後ろの掃海艇二隻のマストの赤と青のライトは
通常点灯しない(だったっけ)ものなんだそうです。

海面に映る電飾が美しいですね。
わたしにとって最後に見る「うらが」に別れを告げ、埠頭を後にしました。

レセプション中枝豆一個しか食べていない、と豪語するミカさんのために、
(逆になぜ一個だけを食べることになったのか、むしろそちらが不思議)
去年地元の人に教えてもらって、ミカさん、わたし、そして元海将の三人という
シュールな取り合わせでうどんを食べに行った、「鶴丸」に再び。

わたしも、パーティではあまり食べていなかったので、さっぱりした梅うどんは
美味しくいただけましたが、
それより朝早かったため眠気と戦うのが大変でした。

 

さて、一夜明ければ、いよいよ掃海隊殉職者追悼式です。

 

続く。

 




立て付け〜平成三十年度 掃海隊殉職者追悼式 於 金刀比羅宮

2018-06-07 | 自衛隊

さて、金刀比羅宮の一角にある掃海隊殉職者の慰霊碑前で、
明日執り行われる予定の追悼式の立て付けが行われています。

前回「建て付け」か「立て付け」かふと疑問に思ったと書いたところ、
エントリがアップされてすぐ、元自衛官から一言

「立て付けなり」

というメールをいただきました。


そこで調べてみたところ、この「立て付け」という言葉、
「建て付け」、つまり会場の設営という意味ではなく、式典など
行事の前に一通り本番の予定を実施するという海軍用語なのだそうです。

つまり海上自衛隊が海軍から引き継いだ言葉の一つらしいのですね。


「立て付け」とは、本番通りに通して予行演習をおこなうことで不具合を洗い出す、
といういかにも海軍らしい慣習ですが、これさえすれば本番は完璧、
というものではもちろんありません。

いかに慎重に前日立て付けを行なっても、たとえば

引き渡し式で授与すべき自衛艦旗がない!

というようなことが起こってしまうのをわたしは実際に目撃しています。

ちなみにあの件をブログにアップしてから、合計三人の元自衛官から、

「実はわたしの現役時代にも似たようなことが・・・・」

と全く個別に打ち明けられました。
長い自衛官生活で、皆、それかそれに近いことを一度くらいは経験しているのです。

いかに組織として完璧を期しても所詮は人間のすることですから、
何かの弾みで事故は起こるということなのでしょう。

これは自衛隊だからとか、戦後だからというのではなく、
きっと海軍時代にも色々とあったはずだとわたしは思っています。

根拠はありませんが。

これが掃海隊殉職者の顕彰碑です。
この碑については以前も書きましたが、掃海任務で殉職された七九柱の名前が
刻まれており、刻まれた文字は吉田茂の揮毫によるものです。

会場ではリハーサルのリハーサルが続いています。
最後の国旗降下に入りました。

国旗降下に対し儀仗隊入場。
上衣がセーラー服でない以外は本番と同じスタイルで行います。

国旗を扱う時、それがリハーサルであろうが、リハーサルのリハーサルであろうが、
自衛官は必ず国旗に対して正対し敬礼を行います。

この時には本殿を参拝していた呉地方総監や掃海隊群司令は到着しておらず、
時々「総監の現在位置」を知らせる報が入ってきていました。

リハのリハでの内容について、その場にいる自衛官の間で協議が始まりました。

特に儀仗隊については実に入念に調整を行います。
儀仗隊長は三尉。

先日二尉が約30名の指揮官であることを「まきなみ」での体験航海のログで
書きましたが、その法則でいうと、三尉はまさにこの儀仗隊の
10名程度を指揮する指揮官である、ということかと思います。

つまり防大を卒業したばかりの幹部は、いきなり10名程度の部下を持つということですね。


それから、この写真で海士の着ている制服の襟が、

「セーラー服ではないのにセーラーカラーのようなデザイン」

であることに気がつきました。
開襟なのですが、どことなくセーラーカラーを思わせる形になっています。

学生時代にセーラー服を着ていた女子として言わせて貰うと、
セーラーカラーって、あれ、結構それだけで暑いもんなんですよ。
そこだけ布が二重になっているわけですからね。
たかが布一枚ですが、日本の夏には結構な意味を持ってきます。

わたしはこの時防暑用にキャンバス地のサマーハットをかぶり、
虫除けのつもりで白っぽい薄手の長袖の上着を着ていたのですが、
テントの下で写真を撮っていると、暑くて暑くて、ミカさんに

「どうしたんですか、顔真っ赤ですよ」

と心配されてしまいました。

この第二種制服には、夏の過酷な炎天下で日常の任務に当たる海士たちに
ちょっとでも負担を軽くしようというデザイナーの意図が見えます。

アイロンがけの手間もこれならかなり軽減できるでしょうし。

慰霊碑前の広場の一角には、前にも書きましたが江田島兵学校の桜があります。
兵学校出身の殉職者のために江田島から運んできて植えたものと思われますが、
この桜についての由来などは今に至るまでわかっていません。

そこに本殿への参拝を済ませた呉地方総監と掃海隊群司令が来場。
執行者立ち会いのもとで「立て付けの本番」が始まりました。

呉地方総監などの「役割札」を胸にかけた自衛官が本番通りに動き出しました。

地方総監も副官も、本人がいるのにどうして代役を使うかというと、
立て付けというのは「本人の練習」のためというより、全体的な進行に対する
問題点の洗い出しを目標としているからだと思われます。

入場に続き国旗掲揚。
儀仗隊は国旗を頂点とする三角形を作るような位置に整列します。

捧げ銃は「銃の敬礼」。
着剣した銃で行います。

捧げ銃が終わると、銃の台座を地面につけて右手で銃を軽く支え、
左手で剣を外し、腰のホルダーに装着します。

手首の角度や手の添え方、銃を置く場所、全てがピシリと揃っていますね。
ここにくるまでに何度も練習を重ねているからこそです。

わたしは本番には慰霊祭に参列するという立場で来賓席に座るので、
残念ながら弔銃発射の瞬間を写真に撮ることはできません。

だからこそ前日の立て付けに参加しているわけなので、チャンスはこの時だけ。

「前に出てもいいと思います?」

ミカさんに小さい声で聞いて、行くなら今ですよといわれ、前方に回り込みました。

弔銃発射に先立ち、隊長が慰霊碑前の霊名簿、七九柱に向かって敬礼を行います。

儀仗隊は海士ばかりで構成されますが、一番端に一人海曹が立つ決まりのようです。
リハーサルなので、幹部役の自衛官は敬礼をしますが、遺族役(右側)は行いません。

それにしても、この海曹の腕の惚れ惚れするような筋肉を見よ。

空砲を撃つ瞬間銃口から見える炎がちょうど写りました。
兼ねてからわたしはこの弔銃発射、全員ではなく、何人かしか
実際に撃っていないのではないかと思っています。

もし9名が全員空砲を撃ったら発射音はこんなものでは済まないでしょうから。
確かめようがないのでそれが正しいかどうかは謎のままですが。

発射が終わり、銃を傾けて持ち直します。

退場。
銃の台座には「うらが」と通し番号が打ってあり、
彼らが列の順番どおりの番号の振られた銃を持っていることがわかります。

続いて、慰霊演奏のリハーサルが始まりました。
ここで、追悼式始まって以来初めての試みが行われることを知りました。
例年演奏だけの「掃海隊員の歌」に、今年は歌が加わるのです。

指揮者でもある呉音楽隊副隊長が、イントロを指揮すると同時に
指揮棒をマイクに持ち替えて、朗々と一番を歌い上げました。

確かに、この「掃海隊員の歌」、メロディだけではあまり意味がないと感じる人もいて、
カメラマンのミカさんなど兼ねてから「歌も歌えばいいのに」と言っていたとか。

わたしもこの時無骨な男性の声で歌われてこその歌詞であると感じ、
この演出?に
心から感嘆した次第です。

追悼演奏では、「掃海隊員の歌」の他、「軍艦」「海ゆかば」などが演奏される予定のようでした。
少なくともこの時はそうなっていたと思われます(伏線)

 

立て付けが終了後、呉地方総監池海将や総務課長、管理部長、そして
呉音楽隊長(演奏されないのに監督のために来られていたようです)と
ご挨拶をする機会がありました。

音楽隊長に、先日の練習艦隊出航の時、呉音楽隊のコンマスだったクラリネット奏者が
「かしま」に乗って出航していくのを目撃した、という話や、
わたしが見てきた呉音楽隊の色々について、
気が付いたことなどをお話ししたところ、

「・・・・詳しいですね」

とびっくりされました。
まー、東音、横音、呉音についてはちょっとした追っかけみたいなもんですし。

ところでこの時、池海将を通じてとても嬉しいプレゼントをいただきました。
呉音楽隊新作CD、「HOMAGE」です。

八木澤教司氏の作品集であるこのCD、タイトルの『オマージュ〜海の守り詩』は、
呉音楽隊創設60周年記念に委嘱された作品で、儀礼曲「海のさきもり」を曲中に取り入れ、
同曲に対するオマージュが込めてあります。

昨年の自衛隊記念日に行われた呉での式典でも演奏されました。

「オマージュ」〜 海の守り詩/八木澤教司 作曲

このCDの解説のブックレット、曲目解説、ソリスト紹介などが後半には
英語翻訳されて掲載してあるのが目を引きます。

練習艦隊に乗り組んだ同隊クラリネット奏者の小村一曹が、世界の寄港地で配るためではないか、
と思ったのですがいかがなものでしょうか。

そして国旗降下が行われ、立て付けはここに終了いたしました。


この後は高松港に係留した「うらが」艦上で行われる
レセプションへの出席をすることになっています。

 

続く。

 

 

 


平成三十年度 掃海隊殉職者追悼式 於 金刀比羅神社〜参拝

2018-06-05 | 自衛隊

わたしが掃海隊殉職者追悼式の本番前日に現地に向かったのは、
幹部による本殿参拝とたてつけ、式典のリハーサルを見るためでした。

 

自衛隊で儀式などの会場を設営することを「たてつけ」というのですが、
耳ではよく聞くこの聞く言葉、今タイプしていて

「建て付け」なのか「立て付け」

なのかわからなかったので、ひらがなで記しました。
どなたか正確なところをご存知の方がおられましたら教えてください。

(アップされてすぐ、『立て付け』であるとご指導をいただきました。
ありがとうございます) 

掃海隊殉職者追悼式については、ここですでに一度取り上げました。

元民進党の野党議員が、追悼の辞にかこつけて、明らかにモリカケ問題を
政府に当てこするというゲスな真似をやらかし、その場の顰蹙を買い、
ただでさえゼロに近い支持率をまた減らしていたので、そのお手伝いをするべく
そのことだけにフォーカスしてここで取り上げましたが、本当のところは、
本来の追悼式を取り扱うのに不愉快な話題を混ぜたくなかったのです。

というわけで、追悼式前日の午前中からお話しします。

朝一番の便に乗り、一年ぶりの高松上空にやってきました。

高松自動車道が大きく海岸線に迫っている、ここはさぬき市の
青木海水浴場付近ではないかと思われます。

使用機材はANAの新しい飛行機と聞いていましたが、外に出て見ると
今時ガルウィングではないのがちょっとびっくりでした。
タラップからは機内清掃の人たちが乗り込んでいます。


空港からレンタカーを借り、ナビには金刀比羅神社の参道に面した
資生堂のカフェの位置をセットして出発です。

ところが、そのカフェの名前を入力しようとしてなかなかうまくいかず、
おかしいなと思ってネットで調べたら、(便利な時代です)
「神椿」を「玉椿」と勘違いしていたことが判明しました。

それにハッと気付くと同時に、去年、さらには一昨年も、
「神椿」と「玉椿」を勘違いしたことを思い出しました。

わたしはボケ老人か。

気を取り直してナビの指示通りに車を走らせると、このGPS、
参道と平行に走る、地元民しか通らない超狭い一本道を案内しやがったので、
たどり着くまでの間、向かいから車が来ないかヒヤヒヤ。

おかげでスリル満点のドライブとなりました。

というわけで「神椿」の駐車場に無事車を停め、おなじみの
「えがおみらいばし」を渡っていきます。

この橋、わざわざカフェと駐車場を結ぶためだけに山中に作ったんですよね。

忽然と山中に現れるモダンな建物。
お茶屋や、昔ながらの土産物屋兼飲食店しかないこの近辺で、
そのセンスの良さで鄙には稀な佇まいを見せる建物です。

資生堂と金刀比羅神社の繋がりについては昔このブログでも取り上げました。

聖地にあるせいか、いつ来ても「気」の良さを感じる店内。
追悼式で金刀比羅神社に来る時のわたしの密かな楽しみとなっています。

この日7時の飛行機に乗るために5時起きして以来、
水と紅茶以外何も口にしていなかったので、これが朝ごはんです。

なんとなく白身魚のカツサンドを選んでしまい、

「ビーフカツサンドも食べてみたかったかな」

と軽く後悔するのも、去年と全く同じであることに気がつきました。


実はこの間、自衛官だけが参加して執り行われる、神主が祝詞をあげる
正式な慰霊祭が行われているのをわたしは知っていましたが、

去年現場で感じた、「わたしがここにいてもいいんでしょうか」という場違い感、
ブログに上げるために神事を写真に撮るのは如何なものかという思いから、
今年は見学を遠慮しました。

目にも鮮やかな緑を愛でながら、お茶をお代わりなどして過ごしていると、
掃海隊を撮ることをライフワークとしているカメラマンのミカさんが登場。

二人で挨拶をしていると、横を白い制服の自衛官の団体が通り抜けました。

追悼式を執り行う呉地方総監と掃海隊群司令、そして阪神基地隊から
第42掃海隊司令ら掃海隊員のうち幹部が恒例の食事会を行うのです。

ミカさんに、

「下で食べないか誘われたんですけど、一緒にどうですか」

とお誘いいただいたのですが、そんなとんでもない、と一人で待っていると、
ちょうど観桜会の時に同地方隊に着任された、パリッパリの一尉が、
わざわざ名刺を持ってご挨拶に来てくださいました。

単に見物に来ているだけのわたしなどに、と恐縮いたしました。

例年、この食事会が終了してから、幹部のうち地方総監と群司令は
「海の守り神」でもある金刀比羅の神に内々に参拝を行います。

これは防衛省自衛隊の幹部としてというより、四方の海を護る使命を帯びて
任務を遂行する海の防人としての安全祈願であろうとわたしは解釈しています。

 

何年か前にそういう慣例があることをミカさんに教えていただいてから、
何回か、それを写真に撮る彼女に付き合って本殿まで参拝を兼ねてきていますが、
幹部が参拝に向かう様子を目の当たりにしようとすると、彼らより先に
山頂にある
本殿まで、長い階段を上って到達していなくてはなりません。

下で食事を済ませてきた彼女から、

「まだまだみなさん食事は終わりそうにないです」
(その心は食事にワインが供されているから)

という報告を受けるも、自衛官の脚力というもののすごさを知悉しているので、
わたしたちは彼らがまだ食事をしているうちに石段を上り始めました。

上の旭社を左手に見ながら、賢木門(さかきもん)をくぐります。
この辺りは、石段を上ってきて上がった息をつけるところ。

最後の急な石段を上る手前にある鳥居と手水。
上から陽が射してくる、この光景はいつ見ても神々しいと思います。

これが百度石のある最後の難所、御前四段坂です。
さて、頑張って上るぞー!と気合いを入れて足を踏み出すと・・・

ここであっさり追い抜かれましたorz

日頃鍛えている人たちなので、こんな階段(下から七百八十五段、
神椿からなら二百八十五段)くらいなんでもないんだろうな。

海上自衛隊の白い制服は境内でも人目を引きます。

左側は神札授与所。
制服を着た自衛官が必ず誰か一人はお守りを買い求めています。

その前の玉砂利越しに見えるのは右側に見える本殿への渡り廊下。
南渡殿と言います。

拝殿前にある大きな御神木のクスノキ。
幹の周りは4〜5mありそうです。
高さは25メートルなんだとか。

拝殿ではなんと珍しい、お賽銭の回収作業をしていました。

しばらく待っていると、記帳を行い、祓厄殿でお祓いを受けた
幹部を迎えに、神官が渡り廊下を進んでいくのが見えました。

神官、大変お若くていらっしゃる。

玉砂利のところには、下から登って着たツァーが集合し、
黄色いベストのガイドが本殿などの説明を始めました。

黒い服の女性は最近すっかりスマートになったミカさんです。

神官を先頭に、呉地方総監、掃海隊群司令、地方総監副官、群司令副官らが
渡り廊下を本殿に向かいます。

着任して今年が初めての追悼式参加となる掃海隊群司令は、
久しぶりの掃海隊出身です。

一行が一礼して拝殿脇から本殿に入る姿を確認してから、
わたしたちは
すぐさま追悼式場まで下山することにしました。

絵馬殿の屋根は修理中です。

旭社の拝殿でいつも目を引くマルキン醤油の奉納缶。

式場に到着すると、設営は終わり、慰霊碑前にはすでにテントが立っていました。

そしてすでに現場ではリハーサルのリハーサルらしきことが行われている模様。
青い事業服二人は掃海隊員遺族役、現在行われているのは献花のリハです。

テントの向こうでは儀仗隊が細かくチェックを受けております。

花のリハーサルのために、わざわざ白菊の造花を用意するというこの仕事の細やかさ><

呉地方総監役の女性隊員が、霊名簿の降納を行なっているところです。

国旗掲揚、国旗降納のリハーサルも入念に行われます。

次回、儀仗隊が参加してのリハの様子をお伝えしたいと思います。

 

 

続く。


護衛艦「いずも」の電飾 @ 横浜大さん橋

2018-06-03 | 自衛隊

 

この週末、息子の卒業式セレモニーが二日続けてありました。
その1日目が終わり、一人で車を走らせていたところ、知人から
このような写真が届きました。

「今日は横浜大桟橋でいずもの一般公開をやっているようですね。

大きさが実感?出来るように海軍の空母と並べて見ました。
上の写真で上から大鳳、いずも、翔鶴です。

いずもは引けを取りません。カッコいいと思います。」


「いずも」は「翔鶴」よりこんなに大きかったとは。

それはともかく、早速わたしは次の日の艦艇一般公開を検討したのですが、
大変残念ながら次の日は卒業式の本番があります。
大抵のことなら自衛隊行事を優先するわたしも、流石に諦めざるを得ません。

そこで、疲れた体に鞭打って、家に帰ってから着替えて、
日が沈んから行われるに違いない電飾を撮りにいくことにしました。

教えてもらって、全体が撮れる汽車道の延長からまず撮ってみます。
まだ電飾は点灯されていません。

それにしても大きい。陳腐ですがこれしか言いようがありません。

マリーンルージュは横浜港を就航するレストランクルーズ船です。

日が沈んで一層闇が濃くなってきました。

横浜といえばおなじみのみなとみらいの光景。
手前は警察署で、裏手には警察の巡視艇が係留されています。

巡視艇ですので「営業終了」ということはなく、夜間でも巡回を行います。

「いずも」は大桟橋にこの週末係留し、二日に渡って広報活動を行います。
昼間の艦内一般公開では格納庫から航空機用昇降機で甲板に上がり、
飛行甲板を見学することができます。

なぜか陸自音楽隊による音楽演奏、太鼓の演奏などがあり、
先着500名に豚汁が振舞われるという豪華イベント。

もう少し早く知っていたら、この日行事が終わって駆けつけたのになあ・・。

ちょっと横から撮ってみようと思い、通路を通って山下公園に行ってみました。
なんとびっくり、海沿いの遊歩道には、いずれも三脚に設置したカメラの放列が!

皆ご自慢のカメラで「いずも」の電飾を撮りにきたんですね。

わたしがここで悩みながらカメラをいじったりシャッターを押したりしていると、
なぜか何人にも

「何撮ってるんですか」

とかなんとか聞かれました。
他にいっぱい人がいるのに、なぜわたしにだけ聞くんだろう。

多分、他の人のプロっぽい感じとは違う、隙というか、
声をかけても怒られなさそうな感じがあったんだろうなあ。

一人目は、少し話すと外国の方とわかる男性。

「あそこにいるのは軍艦ですか」

「海上自衛隊のヘリ搭載艦ですよ」

「飛行機が飛ぶんですか」

(ここで日本人ではないことに気がつく)

「飛行機じゃなくってヘリコプターですね」

「あの橋は・・・」

「ベイブリッジです」

「レインボーブリッジは見えませんか」

「あれは東京ですのでここからはちょっと無理ですね」

人民解放軍のあるお国の方かしら、とちょっと興味が出て、

「旅行ですか?どちらから?」

と聞くと、なぜか

「近くに住んでいます」

しかしあまりこの辺のことはよく知らない模様。

「明日一般公開で艦内が見られますよ」

と言いかけてなぜかやめたわたしでした(笑)


二人目、子供連れの家族のお母さん。

「皆何を撮ってるんですか」

「あれは海上自衛隊の以下略」

「いつもあそこにいるんですか」

「今日明日だけです。明日は中に入れますよ。
お子さんが喜ぶから行って見られたらどうですか」

さりげなく見学を宣伝するわたし(笑)


三人目、自転車の男性。

「それで撮ったらどんな風に写るんですか」

わたしが上の写真を見せてあげると、

「いつも船とかよく撮られてるんですか」

に始まり、ひとしきりカメラ談義に突入しました。
実は談義するほどカメラのことなんて知らないんですがね。

「しかし、そういうスタイルで撮っておられると、なかなかいいですね」

単なる綿の白シャツに無印良品で買ったチノパンとスニーカーですが。

「なんでも形から入ることにしてるので・・・」

とかなんとか適当なことを言いつつ、その場をフェイドアウトしました。

元の陸橋の上に戻った頃、「いずも」の電飾が点灯されました。
時計を見るとフタマルフタキュウ、8時半からの点灯のようです。

この写真は青っぽく撮ってみたかったので、ホワイトバランスを「蛍光灯」で、
シャッターをミラーアップにしてみました。

Nikon810にはブレの原因となるミラーの振動を軽減するために、
ミラーアップという機能が付いているのですが、これを使ってみたのです。

それはいいのですが、ミラーアップでシャッターを押すと、
気が遠くなるくらいシャッターが切れるのに時間がかかります。

ぽちっとな、と押してから、シャッターが切れるまで待っている間に
現場でスクワットを軽く10回くらいできます。やらなかったけど。

ここでわたしは「いずも」が係留されている大桟橋に行ってみることにしました。

三脚を担いだまま移動です。

大桟橋に続く道を歩いていくと、「象の鼻突堤」という、
まさに象の鼻のようなカーブを描く形の突堤があります。

そこからのみなとみらい地区の眺めは最高で、
赤れんがパークのライトアップされた赤レンガの建物までが一望できます。

「フルノ」の機器を搭載した船ごしに撮ろうと三脚を立てていたら、
釣りをしていた人が、

「やっぱり見えている通りに撮れたりするんですか」

と話しかけてきました。

「見えている通りに撮れなくて苦労しているんですよ」

と笑いながら答えるわたし。
逆に、

「何か釣れるんですか?」

と聞いてみると、

「向こうの人はいまさっき何々を(忘れた)釣りましたよ」

「えーすごーい」

馬鹿みたいな反応ですが、他になんて言っていいかわからなかったのです。

大桟橋のウッドデッキに到着。
ここにもたくさんのカメラを持った人たちが三脚を立てています。

その大半が男の人で、観閲式や観艦式などで大きなカメラ持参で
朝の暗いうちから並んでいそうなオーラの人たちばかり。

どうして皆がわたしに声をかけるのか、少しわかったような気がしました。

同じような写真ですが、こちらはベイブリッジを背景に入れてみました。
ベイブリッジのタワーがブルーにライトアップされているのを初めて知りました。

電飾のやり方というのは自衛隊法で決まっていて、船の形を問わず、
艦橋から山形に舳先と艦尾に向かって垂らし、さらに艦首には
水面に向かって一筋電飾線を張ります。

それにしても「いずも」ともなると、舫の張り方がすごい。

舷門からは見ていると上陸していた隊員が時々帰ってきていました。
上陸の時には制服は着ていないので、帰ってくると舷門に立っている人が敬礼しても、
乗艦する人は敬礼を行なっていません。

一般公開の時にはここから乗艦し、艦載機エレベーターで上まで運ばれるのでしょう。

ボートを搭載している艦体比較的後方の右舷側を撮ってみました。
ボートを置いてあるところが明るくなったと思ったら、見回りが懐中電灯で
この部分に異常がないか見回っているところでした。

艦尾のファランクス・シウスとベイブリッジのマッチング。
昔と違って、今の電飾はLEDなので、安全面からも楽になったのではないでしょうか。

この日の月がちょうど「いずも」を彩る電飾の灯と同じ大きさです。

月といえば。
「いずも」甲板に設置されたアンテナが収納されているらしい、
スポンソンという丸いものの向こうに見える月。

月齢16.6の、満月から二日だけ欠けた状態です。

大さん橋のウッドデッキを上に向かって登ってみました。
ここにも三脚がいくつも立っています。

それにしても、このデッキの上、海からの風が容赦無く吹き付け、
6月になったとはいえ湿度の極めて少ないこの日は、日が沈むと
ただでさえ結構寒かったので、わたしは震えあがりました。

ここはデートスポットでもあるのですが、昼間の陽気に合わせて
ノースリーブを着てきたデート中の女性を目撃しました。

寒さのせいで無表情になっている彼女を、自分の上着を貸すこともなく
ただ連れ回しているこの男性がフラれるのはおそらく時間の問題であろう、
とわたしは預言者のように心の中でつぶやきました。

「いずも」の電飾ごしに、山下公園の氷川丸の電飾、
そして横浜マリンタワーが見えます。

NORQ-1スーパーバード衛星通信アンテナとマリンタワーの組み合わせ。

 
もう一度、アンテナと月。
なかなか風流なものでございます。


この写真を最後に、わたしは大さん橋を後にしました。

今回内部を見学できなかったのは残念ですが、その代わり
日頃あまりみることのない夜の「いずも」を見ることができ、
ついでに夜間撮影の練習にもなりました。

ちなみに、大桟橋の現在状況は、ライブカメラで見ることが出来ます。

 
 
 
 
追加。日曜日の朝0940現在。
 
「いずも」の出航を見るために人が桟橋に集まっているようです。
この後もう一度見たら出航が始まっていました。

 
0957。
 
 
0959。
 
 
1010。
 
 
1017。
 
 
1020には画面から完全に姿を消しました。
それにしてもこの画面に映ってた人、ライブカメラの存在を知らないんだろうなあ。
 
 
 
 
 

横須賀入港〜平成三十年度 海上自衛隊練習艦隊 体験航海

2018-06-01 | 自衛隊

さて、朝10時に晴海を出港してここまで着た時、時計は1240を指していました。
「まきなみ」、いよいよ横須賀に入港です。

米軍基地のこんな様子も船の上からしか見ることはできません。
ちなみにレンガの建物の

「DRY DOCKS 5↔︎4」

は、ドックに入渠する海上の船に向けてわかるように書かれました。
ちなみに4号ドックが完成したのは日露戦争直後の1905(明治38)年、
5号ドックはイギリス海軍の「ドレッドノート」ショック以降世界の趨勢となった
建艦競争に呼応する形で建造が始まり、1916年に完成したものです。

「かしま」はもう最終の接岸態勢に入っています。

 

 

岸壁には音楽隊が待機しており、横須賀地方総監が挨拶をする
台も用意されているようですが、一般客の姿はありません。

あくまでも横須賀入港を歓迎する行事ということなのでしょう。

わたしたちのいた左舷ウィングに、黄色い立ち入り禁止ラインが張られ、
ブリッジから「まきなみ」艦長大日方二佐が出てきて配置に就きました。

わたしは邪魔にならないようにラインの外からかぶりつきで見学です。

ブリッジ横の速力標が、ちょうど目の前の位置にやってきました。
艦の両側のこの赤い籠の位置で、速力を表すシステムで、
両側の籠がこの高さにあると、それは「微速」という意味です。

速力標の横で信号旗を合図があれば揚げ降ろししようとする二人の海曹。
左はこれから旗を揚げる係、右側は降ろした旗を受け取る係。

何を待っているかというと、左舷にいる艦長の号令によって接岸した瞬間です。
接岸した瞬間というより、速度が0になる瞬間かもしれませんがわかりません。

微動だにせず、発動の瞬間に備えています。
この女性海曹は先ほど「まきなみへようこそ」と手旗信号した人では・・。

その(接岸か速度0かどちらかの)瞬間「U」らしき旗が揚がりました。

そして上から「回答旗」など三旒の旗が降ってきます。

翻っている時に思うよりずっと旗って大きいんですね。
これを雨の日に行うと、結構大変なのでは・・・・・。

「まきなみ」接岸前から、風に乗って横須賀音楽隊の演奏が聴こえてきていました。

音楽隊の演奏は、「かしま」を横須賀に歓迎するためのものです。
そのせいか「錨を上げて」はなかったような気がします(笑)

ヴェルニー公園からはたくさんの人が見ていますが、この中には
わたしの知りいもいたはず。

こちら、最後の瞬間までずっと入港作業を見守り続ける大日方艦長。

艦長の操艦は、言葉を発するとそれを同じウィングにいる人が復唱し、
舵手まで伝言で届けるという、当たり前ですが原始的な方法で行われます。

こればかりは昔の帆船だろうが最新のイージス艦だろうが変わりありません。

自分の号令一つで、大きな艦体を自在に動かす仕事。
やっぱり艦長配置というのは艦乗りの本懐なのだろうと、
横で大日方艦長の操艦ぶりを見ていて思いました。

さて、下艦の時間が近づきました。
わたしたち一行は再び招集をかけられ、格納庫に集合です。

いつの間にかヘリの後部にかけられていた立入禁止索が外され、
ヘリ甲板そのものへの立ち入りができなくなっていました。

格納庫で永遠と思われるほど長い時間待ってから、ようやく列が動き出しました。
この黄色いものはなあに?

ヘリのトウイングをするトーバーでしょうか。

やっと格納庫から舷側に出ることができました。
「護衛艦まきなみ」のバナーのある舷梯の下には、
万が一人が落ちた時のためにネットが張られています。

このことも、わたしは写真を見て初めて気が付きました。
一般人を乗せて航海する時、自衛隊とはここまで細心を払うのです。

 

この舷梯のどこから下に人が落ちる可能性があるのか、と思いません?
もしかしたらカメラや携帯を落とすことを考えてるのかもしれませんが。

乗艦者が全員降りきるまで、彼らは敬礼で見送ります。
左の運用員の女性海曹、今日は特に目立ってましたね。

岸壁に降り立ち、まずは「まきなみ」を見上げてみる。

右二人の女性海曹以外は、「まきなみ」乗組の実習幹部たちのようです。
十数人だけのようですが、彼らは航空志望でもあるのでしょうか。

少なくとも、わたしが晴海で話をしたブラボー三尉はそうでしたが・・。

「まきなみ」の実習幹部をバックに自撮りするカップル。

「かしま」の前を通った時写真を撮ろうと考えていたのですが、
「まきなみ」から降りた後は、グループごとにまとめられ、
きっちりそのまま裏を通って外にリリースされました。

門で警衛の人に乗艦の際に渡された番号札を返して、退出です。

あれ、この看板前に見たときは違うものだったような気が・・。
リニューアルしたんでしょうか。

メルキュールホテルにランチの予約を取っていたのですが、
全員が「できれば歩きたくない」モードだったので、
横須賀駅前からタクシーに乗ろうとしたら、一台も来ず、
諦めてスカレーくんの写真を撮ってから歩き出しました。

昨晩遅くまで仕事をしていて、今朝はギリギリまで寝ていたため、
何も食べずに乗艦してしまったという若い男性参加者は、
初めての自衛艦クルーズだったこともあって、半死半生でした。

ヴェルニー公園ではバラが綺麗に咲いています。

お待ちかね、メルキュールホテル上階のレストランのランチビュッフェ!
ここの売りはその都度湯煎で温めて自分でトッピングするパスタです。

右側にピンクのボウルがありますが、これは「イチゴクリーム」。

「パスタにイチゴクリームかけるの?」

と皆は騒然としていましたが、一人チャレンジャーが試してみました。

「・・・・どう?」

「思ったよりいけるけど・・・今じゃないっていうか」

そんなの食べなくてもわかる。

ここの窓から見る軍港の眺めは最高です。

手前に「はたかぜ」がいます。

この時のわたしには知るべくもなかったのですが、この時からきっちり
一週間後、わたしは海保の観閲式で海上自衛隊代表として展示を行う
「はたかぜ」の雄姿に心躍らせることになります。

米軍基地側のミサイル駆逐艦娘たち。
艦体が汚いとか手入れがなっとらんとか、軍人精神がたるんどるとか、
だからアメリカ人は大雑把って言われるんだよ、とか言ってごめんねー。

「かしま」さん、そして「まきなみ」さん、ありがとうございました。
彼女らはこの9日後、同じ岸壁から遠洋航海に出航していきます。

ところでメルキュールホテルの一階の売店で、「しらせ」「ひゅうが」
「きりしま」などの缶入り艦艇カレーの中に、新作発見!
なんと、

「ちびしまカレー」

ですよみなさん!

艦番号1.74、横須賀地方隊のどこかの倉庫に定係されている
あの「ちびしま」、ついに!カレーが発売されました。

電車で帰らなければならないのに、思わずセットをお買いあげです。

「ちびしま」というだけあって、お味は

甘口、子供用

というのが泣かせるじゃーありませんか。
辛すぎるカレーが実は苦手なわたし、大変美味しくいただきました。

皆様もぜひお試しください。

その日家に帰ったら、外猫が「お疲れー」と出迎えてくれました。

 

練習艦隊体験航海シリーズ 終わり


海の儀礼〜平成三十年度 海上自衛隊練習艦隊 体験航海

2018-05-31 | 自衛隊

晴海から横須賀までの体験航海もそろそろ終わりに近づいてきました。

簡単な艦内ツァーを行なった後、わたしたちはブリッジに上がり、
そこで入港の様子を見学することになりました。

最初、わたしは右舷側ブリッジのウィングに落ち着くことにしました。
そこに今回のツァーのアレンジをしてくださった幹部校の方がおられたので、
ご挨拶などをしておりますと・・・・・、

曳船YT10が「まきなみ」を右舷を軽やかに抜き去っていきました。

追浜が航路右手に現れるところにある防波堤には、ご覧の通り
赤い可愛らしい灯台が設置されています。

YT10の今日のお仕事は、「まきなみ」と「かしま」の間の防眩物を回収し、
それを晴海から横須賀に持って帰ることです。

上から見ていると、前甲板に運要員が出てきました。
舫などを出すハッチが開けられます。

ちなみに、右舷を歩いていく海曹さんを見てください。

朝と同じ位置に立ち、朝に持っていた同じ棒を手にしています。
舫作業は個人個人が作業を専門分担し、それが変わることはないようです。

舳先の赤メガホンの士官が甲板での作業を率いる指揮官ですが、
朝と同じくサングラス着用です。

そういえばどんな晴天下においても、海曹海士が制服姿でサングラスをかけているのを
見たことがない気がするのですが、禁止されているのでしょうか。

ハッチから太い舫が引き出されました。

「かしま」は米海軍基地の手前にあるブロックの向こう側を航行中。

このブロックですが、赤字で「航泊禁止」と書かれています。
向こう岸は米軍基地なので、海からの不審船の侵入を防ぐためのものでしょう。

米軍基地の白いビルに青文字で「 NEX Navy Exchange」とありますが、
ネックスは、アメリカでネイションワイドに展開する海軍直営の小売店です。
ファッション、雑貨、電化製品、家具、
とにかくなんでも扱っているようです。

「かしま」の入港を補助するために、タグボートが2隻、
湾口でこんな風にちゃんと並んで待っています。

あー・・・・・いじらしくって、萌える(笑)

女性海曹の持っている物体、朝も見ましたが何にするのだろうと謎でした。
軽い不織布で作られているように見えますが・・・・。

その時、右舷側のウィングを立ち入り禁止にする旨告げられたので、
私たちは左舷側ウィングに移動しました。

「かしま」とタグボート2隻が合流し、連れ立って逸見岸壁に向かう、
こんな後ろ姿を見ることができるのも「まきなみ」乗艦者の特典かもしれません。

左舷側にいると、米海軍基地の艦艇を見ながら通り過ぎることになります。
艦番号89は横須賀ウォッチャーにはもうお馴染み、「マスティン」。
横須賀に来て、もう足掛け12年になります。

YOKOSUKA軍港めぐりの船とすれ違いました。
年々人気が出て乗客が増加傾向にあるそうで、この日も満員御礼の状態です。

もう今年でオープンして10年になるそうですが、最初の頃は、
出航するたび米海軍から監視船がずっと跡を付いて来ていたそうです。

左から

85「マッキャンベル」

65「ベンフォールド」

54「カーティス・ウィルバー」

「アーレイ・バーク」型ミサイル駆逐艦三人娘。

「マッキャンベル」と「カーティス・ウィルバー」は、東日本大震災の時
トモダチ作戦に従事して災害救助活動を行なってくれました。

みなさんその節はありがとうございます。


ところで最近、震災当時横須賀地方総監であった高嶋博視氏著、

「武人の本懐」

を読みました。
あの未曾有の国難に当たって、海上自衛隊が災害と斯く戦ったかを、
災害地担当地方隊である横須賀地方総監部の指揮官が語るというもので、
ニュースやメディア媒体とは違う角度から見た震災の記録です。

同じように「トモダチ作戦」について、第7艦隊の中の指揮官によって書かれた
あの時の記録があれば、ぜひ読んでみたい、と思った次第です。

「かしま」後甲板には、すでに登舷礼の黒と白の列ができています。

信号旗は先ほどとは違うものが揚がっています。
「かしま」のコールサインは「JSUK」だそうですが、
わたしの乏しい知識でもこれが違うことくらいはわかります。

「横須賀港のどこそこに繋留する」

ということを意味するバース信号ってやつではないでしょうか。

 
 
ブリッジから実習幹部らしき三尉が出て来ました。
外を見ながらなにやらノートに書き込んでます。
 
斜めに線がいっぱい書き込んである・・。
 
 
こんな風に。
うーん、当艦の艦位を示してるんだろうけど、
具体的にどこがが何をしめしているのか想像もつかないぞ。
 
 
「マッキャンベル」さん、ちょうど正面から。
こうしてみるとマストの形とか、自衛艦とは全く違いますね。
 
 
左、記録を続ける三尉の右腕。

ほとんどの実習幹部は「かしま」に乗り組んでいますが、
「まきなみ」にも何人かが乗艦し船務を行なっています。
 
 
「ベンフォールド」さんの艦橋をアップにしてみました。
 
赤白のストライプの真ん中に蛇がいて、
 
たしを踏みつけるな」(Don't tread on me)
 
といっている軍艦旗「ファースト・ネイビー・ジャック」が揚がってます。
「ベンフィールド」、イージスシステムのレーダー補修中みたいですね。
 
 
おっと、「ベンフォールド」の舷側に腰掛ける海軍軍人の姿発見。
 
 
見ているともう一人やって来ました。
 
「どうしたんだよカルロス・・・元気ないな」
 
「ああ、ジムか・・。
彼女のマリアからメールが来たんだけどさ・・・終わりにしたいって」
 
「リアリー?まじかよ!」
 
「俺が日本に行ってる間に俺のダチと付き合いだしたんだって」
 
「オーマイガー、そりゃひどいな」
 
「ガッデム、ホセのやつ、サンディエゴに帰ったらただじゃおかねー」
 
みたいな?
まあ違うと思うけど、決して楽しそうな雰囲気ではないのよね。
 
 
ほらね?
ていうか、甲板でタバコ吸ってますが、いいんですかね。
 
 
と、そんな妄想をしている間にも、「かしま」の入港作業は始まっています。
「押し船」に右舷側を押してもらって、左舷側で着岸。
 
 
左舷側にはメルキュールホテルと、自衛隊の潜水艦基地が見えて来ました。
艦番号63は、これも「アーレイ・バーク」型の「ステザム」
 
 
 
初めて護衛艦に乗り、初めて横須賀基地で米軍艦を見た人たちは、必ず
 
「アメリカの船って、全然サビとか補修しないんだね」(その心は”汚い”)
 
などと口にします。
この時の艦橋でも、あちらこちらでこの会話が聞かれました。
 
特に「ステザム」さんの艦体はひどい。
これだけサビが筋になっているのに、なんとかしようという気ゼロ。
赤いのは錆止めだと思うんですが、工事中にも見えないし、
レーダーが真っ黒け、HEEEの文字もすげーテキトーに描いた感アリアリです。
 

ところで、本件とは全く関係ないですが、「ステザム」って、
ハイジャック事件(トランスワールド航空テロ事件)で飛行機に乗っていて
犯人に射殺され、たった一人の犠牲者となった水兵の名前なんだそうです。

駆逐艦に名前を残すのは、昔から基本的に名誉の戦死者ということになっていますが、
不慮の事故で亡くなった場合というのもあるもんなんですね。
 
 
さて、それではその前方に目を移して、遠目にも手入れの行き届いた
我らが海上自衛隊の潜水艦でお口(目)直し?をしましょう。
 
どちらも「しお」型ですが、右側が明らかに新しいのがわかります。
 
 
左側のセイルの上アップ。
二人の姿があります。

士官は作業服でなく冬服を着ているのに注意。
双眼鏡のストラップは青なので、艦長ではないと思われます。
 
 
あっ、右側の潜水艦の人はこっちを見てる!
どちらにも「UW2」、「ようこそ」の信号旗が揚がっています。

こちらも、冬服の士官と作業服の取り合わせです。
 
 
「まきなみ」が潜水艦を横から見る位置までやって来ました。
この写真を拡大してみます。
 
 
実は肉眼では、人がいることすら見えない距離だったので、
写真を拡大してみて初めてそうだったのか、と思ったのですが、
2隻の潜水艦のセイル上の、士官と青い作業服の組み合わせ、
そして甲板上の二人、全員が正対してこちらを見守っていたのです。
 
「ようこそ」の信号旗を、練習艦隊を迎えるために揚げて。
 
海軍の伝統に則った「海の儀礼」は、現代の海上自衛隊においても、
如是粛々と継承
されていることを、改めて確認した次第です。
 

続く。
 
 

オペレーション『MOE』〜平成三十年度 練習艦隊 体験航海

2018-05-30 | 自衛隊


格納庫前ヘリ甲板で手旗信号と信号ラッパの展示が終わったとき、
わたしたち御一行様にエスコート役のイケメン自衛官が招集をかけました。

「これから艦内の見学を行いますので私についてきてください」

ツァーはここから出発です。

「クラッシュクルー レスキューツール」

うーん・・・意味はよくわかりますが、

「クラッシュした場合にレスキューに当たるクルーのツール」

なのか、

「クラッシュしたときクルーを助けるツール」

なのかどちらなんでしょうか。


さて、ツァーは始まり、わたしたちはこの画面左奥にある階段から階下に降りました。

有害ガス検知器とは、大気中の可燃性ガス,毒性ガス(硫化水素・一酸化炭素)
などを検知する器械で、ポータブルのものが市販されています。

応急工作、というよりもしかしたらダメージコントロール、といったほうが
もしかしたら皆様にはピンとくるかもしれません。

応急工作は海上自衛官の職種であり、つまりこのドアの中は
応急工作員の執務室?なのだと思われます。

応急工作とは、艦艇に乗り組んで火災や浸水から艦を守る仕事で、
船体や機械部品等が損傷した際に、溶接や旋盤で部品を作成したり、
修理を行ったりする隊です。

その特殊な技術は第2術科学校の海士応急工作課程で
5ヶ月をかけて習得します。

例えば、隊員食堂の前にあった角材、これなども
ダメコンに使うためのもので、自衛艦には必ずどこかに装備してあるものです。

応急工作員はこの木材を使ってドアを抑え、防水作業を行います。

右列が応急工作ならびに艦上救難員の任務の紹介です。

普段は艦内の修理などを行なっていますが、艦が危険に晒された時、
彼らの本来のスキルが本領発揮となります。

ちなみに左の「デミスター装置」には、気体中に含まれる液体の微粒子を
分離除去する機器という定義がありますが、ここでは空気を取り込んで
エンジンを稼働させる役割であるということです。

さて、エスコート自衛官がわたしたちを連れていったのはこのドアの前。
なんの変哲も無いドアには「倉庫」と小さな札があります。

「この部屋はなんだと思いますか?」

自衛官はわたしたち全員に質問しましたが、皆黙ったまま。
わたしとTOを除いて、全員、護衛艦に乗るのは初めてという人たちです。

そこで、

「・・・・艦内牢屋」

わたしが小さな声で答えると、

「その通りです!」

「えーすごーい」(周りの人)

いや、だって格子がついてるし下には食べ物を入れる窓があるし。
アメリカの軍艦に必ずあったジェイルのことを思い出したのさ。

自衛官の説明によると、普段は実際にも倉庫として使われているこの部屋、
いざとなったらチェンジャブルかつリバーシブルに牢屋に早変わりします。

アメリカの軍艦にある牢屋の役割は、主に規律を守らなかった乗員を収監することです。
が、まさか我が海上自衛隊が規則違反の自衛官を檻に閉じ込めるはずがありません。

つまりこの牢屋は、海賊対策で「まきなみ」がソマリアに派遣されるにあたり、
拿捕した海賊船のメンバー等を仮収監する為作られたのだそうです。

そして、なんとびっくり、実はこの牢屋には、実際に4名の海賊様ご一行が
ご宿泊されたことがあるという話を聞いてしまいました。

外国人の、しかも海賊を収監している間、「まきなみ」乗員も怖かったと思いますが、
捕まって海軍艦の牢屋に入れられる
海賊はもっと怖がっていたと思います。

しかしながら、日本国自衛隊、他の国の軍隊みたいに問答無用で船を撃沈したり、
海賊をキャッチアンドリリースして海上に漂流させたりしませんし、
収監に当たってももちろん殴る蹴るなどの暴力もなく、それどころか

空調の効いた艦内で毎日三度三度ご飯を食べさせてもらえるし、下手したら
金曜日にはカレーが出たりするわけですから。

自衛隊に拿捕された海賊はまだしもラッキー!と思ったのではないでしょうか。

ほとんどの護衛艦はだいたい似たようなものが似たところにあります。
確か「あきづき」も、先任海曹室は食堂の階にあったと記憶します。

そして、ドアにはなにやら凝ったプレートが掲げられているのも共通。

 

食堂の全体写真を撮らなかったのは、そのテーブルというテーブル、椅子という椅子に、
すでに疲労困憊した人々が座り込んで虚ろな顔をしていたからです。

我々一行の家族連れは、食堂で空いたテーブルを見つけるや座り込み、

「わたしたちここでちょっと休憩しますからみなさん行ってください」

 

冷凍庫に「アイスクリーム」と書かれているので、TOは

「アイスクリーム食べられるの?」

と目を輝かせましたが、残念、自衛艦のアイスクリームというものは、
乗員たちの大事な大事な楽しみで、アイジャンで取り合うことはあっても、
一般客に売るために載せているのではありませんねん。

食堂には本日の手書きによるメニューが貼られております。

ちなみにこのメニューの下段、「具だくさん汁」のところをご覧ください。
「白葱」の「葱」の漢字を間違えたくらいで訂正印を押してあります。

「楽京」はラッキョウのことらしいのですが、こんな漢字だったっけ。

と見ているだけで楽しい(うるさくつっこんでごめんねー)メニューですが、
なんといっても最大の発見は、左上の「ポークカレー」が
カレー曜日の金曜日ではなく、月曜日の昼食であることでしょう。

どうも「まきなみ」では金曜日以外にもカレーを食べているらしいのです。

その「まきなみカレー」はポーク入り。
ちなみにレシピを拝見しましたが、しょっぱなに

「前日から鶏骨、人参、玉葱、キャベツ、にんにくを7~8時間煮詰める。
旨みの出ただし汁を作る。」

もうここで一般人には再現不可能、土下座して「まいりました」の世界です。
大量に作るからこそこのようなこともできるわけで、そりゃ美味しいはずだわ。

TOが衝撃を受けて写真を撮っていた、「食べ過ぎご飯例」。
トレイはお茶碗と違うのでついご飯を盛りすぎてしまうようです。

艦艇勤務は、運用などの目に見えてカロリー消費しそうな職種でなくとも
艦内を行ったり来たり、階段を昇ったり降りたりなので、多少食べすぎても
太ることなどないのでは、と一般人は思いがちですが・・。

若くて代謝のいい人はともかく、ついつい消費カロリー以上に食べ、
お腹周りに脂肪を備蓄しがちなお年頃の隊員に向けての警告かと思われます。

隊員の胃袋を賄う食材を搭載するのも大事な仕事です。
「ぶんご」で補給を見たことがありますが、やはりこの写真のように
バケツリレー方式で物品を運び込んでいました。

「まきなみラーメン?食べてみたい!」

「火曜日はラーメンの日」のご紹介。
これも大量に仕込むから、とんでもない手のかけ方をしているはず。
スープとか絶対に超美味しいよね。

 自衛隊の給養員は退官後、「行列のできるラーメン屋」も開けそうです。

 

電測と通信の任務を紹介しています。

電子整備(エレクトリックテクニシャン、つまりET)の係は、
高いマストに登って整備を行うこともあるとのこと。

また、万が一事故でアンテナが折れてしまった時も、
応急空中線(アンテナ)を展開して代替できるんだそうです。

軍艦には思いもつかないところにも二重三重にセーフティネットが張られています。

こちらは先ほど見学したCIWS(左)、アスロックなどの紹介です。

左はシウスの砲身を外して油を染み込ませた布を使い手入れしているところ。

オトーメララとHOSの紹介です。
先日紹介した砲口カバーのカジキは、「まきなみ」のロゴマークだそうです。
赤字で「百発百中!」と力強く言い切っているのが頼もしいですね。

経理の仕事にもちゃんとスポットを当てて紹介。
経理はメッセンジャーの仕事をすることもあるなどと書かれています。

真ん中の甲板散水、このシステムは、かつて米海軍で起こった
空母艦上の誤射爆破事故をきっかけに開発されたと聞きます。

違ってたらごめんなさい。

食堂を出たところにはどんな自衛艦にも大抵備えられている艦内神社。
「まきなみ」の御祭神はなんと奇遇にも、金比羅神社でした。

この体験航海の直後、わたしは金刀比羅での掃海殉職者追悼式に参加しています。

いつもそうするように、お参りの後ガラス戸を開けてお賽銭を寄進しました。
艦内神社で溜まったお賽銭は隊員さんのジュース代になることもあるようです。

食堂前通路にあった謎の蛇口。修理のため閉鎖中!です。

大抵の護衛艦内部の施設には、カメラと携帯は持ち込むのも不可です。
先日訪問した航空基地では、航空機内部や作戦司令室など、
わたしたちはもちろん、基地司令ですら携帯を預けて内部に入っていました。

ここはソナー室かCICか・・・・?

みんなと一緒に移動しながらだと。設定を変えないでシャッターを押すので
写真がことごとくお見苦しいものになりますがご容赦ください。

練習艦隊司令官勤務方針

伝統の魁 練習艦隊

「不屈」「向上」「自覚」

とあります。
晴海の艦上レセプションで泉練習艦隊司令官がおっしゃっていた

「三つのC」

「うれC」「おいC」「うつくC」

とは一体なんだったのか。

コントロールルームにやってきました。

そしてこちらが艦内に異常がないかチェックするダメコンパネル。
(というのかどうか知りませんが)

このデスクの上にはいつも刻々と変わる艦の状況を書き込むノートがあり・・、

実習幹部らしい乗組員がなにやら書き込んでおりました。
別の護衛艦見学で、誰も周りにいないのを見計らって内容を写真に撮ったこともありますが、
今回は自粛しました。

艦内ツァーはこれにて終了。
あとは適宜好きな場所で過ごし、入港の時に操舵室を見学、ということになりました。

ツァーを終えて外に出たところには掃除道具をまとめてある箇所があります。

で、出た〜〜!

溺者救助人形「ミス・マキナミ」は、目力のめっぽう強い美人さんです。
遠洋航海での寄港先で「まきなみ」を訪れ、彼女を目にする外国の人たちは、

「さすがは日本のネイビー、溺者人形まで『MOE』(萌え)か!」

と我が意を得たりで感嘆することでしょう。

知らんけど。


 

続く。

 


「彩雲」〜平成三十年度 海上自衛隊遠洋練習艦隊 体験航海

2018-05-29 | 自衛隊

 

練習艦隊が晴海から出航地である横須賀に移動する際に
一般見学者と乗員の家族などを乗せてクルーズする特別企画、
体験航海に、今年は同乗させていただいております。

艦内で行われる最初の展示であるヘリのローター稼働がおわり、
「かしま」が当艦「まきなみ」を追い越す際に行われる登舷礼、
発光信号が実際に送られている様子を見るなど、次々に
見学者にとっては見逃せないイベントが続きます。

続いては甲板に搭載されている飛び道具の動的展示、ということで、
まずは近接防火器システム、ファランクス・シウスを動かして見せてくれます。

アメリカでは正式には「シーアイダブリューエス」だそうですが、
案の定、それが面倒な人がその形から「R2ーD2」と呼んでるらしいです(笑)

動かす前に、シウスの下側にある扉が開いて、中から人が出て来ました。
実際にこれが実弾を撃つ時にはここは開けっ放しにしないと思うのですが。

シウスはただ動かしてもあまり見ていて面白いものではないですが、
この時の展示ではご覧のように結構限界まで上を向けて見せてくれました。

「まきなみ」が搭載しているのは最新型の一つ手前だと思います。
(「かが」が搭載している白ではなくグレーのCIWSが向上型最新タイプ)

「まきなみ」の はそれまでのタイプに比べてマウントの改良により
俯仰角が大きくなったということですので、それを披露しているのでしょう。

空砲を撃つ時、弾倉が「ガラガラガラガラっ!」とすごい音を立て、
見学者はその度に「わっ」とびっくりします。

わたしはこの時、舷側の舫杭(ちょうど一人がけのスツール状)に座って
撮っていたのですが、その近くにいた海士くんとそのマミーが写り込んでいます。

展示が終わってから海士くんに

「どこの配置ですか」

と聞いてみると、通信士だとの答え。

「今はお仕事しなくてもいいんですね」

「家族が乗っている者は一緒にいてもいいことになってます」

そこで母上に、

「半年間息子さんが遠洋航海に出てしまったらちょっと寂しいですね」

この秋から息子が家を出る親としてはついそのように聞いてしまいましたが、
お母さんは笑いながらそんなこともない、との答え。
海上自衛隊に入った時にすでに親元を離れているので、今更、ということのようです。

確かに、ソマリアに派遣されるならともかく、練習艦隊の遠洋航海なら
親としての心配もかなり軽くなるのかもしれません。

続いては主砲オトー・メララの動的展示です。
これも、空砲を撃つとかそういうことはできないので、
砲身をぐーるぐーると動かして見せてくれるだけです。

しかし、この展示でわたしはすごいことに気がついてしまいました。
オトー・メララが台座ごと180度後ろを向くことができるということです。

つまり自分で自分を撃つことも理論的に可能だってことです。
てっきり何があっても自分には絶対に当たらないような設計だと思ってたのに。

そして砲口のカバーにこんなマークが入っているのも初めて見ました。
肉眼では「何かある」と思っても正体を確かめることはできませんが、
写真を拡大して初めてこれがメカジキのようなモチーフであることに気づきました。

ところで、わたしの頭上で話をしていた通信士くんとマミー。

わたしが声をかける前ですが、息子がふと、母親に向かって

「彩雲が見えるよ」

と優しい調子で呟きました。

わたしと彼の母親が空を見上げると、薄いですが綺麗な彩雲が
太陽の周りをぐるっと描く円となって浮かんでいます。

「あ、ほんとだ」

その母に向かって息子は

「彩雲が出ると吉兆だから、きっといいことがあるよ」

かつて彼が小さな男の子だった時、母はその手を引いて息子に
空を見ながら同じことを言ったことがあったのかもしれません。

その息子は長じて海上自衛隊の制服に身を包み、遠洋航海に船出しようとする今、
あたかも母を安心させるように吉祥の現れた空を指し示しているのです。

この会話に、わたしは息子を持つ母としての我が身を重ね合わせ、
彼らに思わず声をかけてしまったというわけです。

そこまでは聞きませんでしたが、「まきなみ」は大湊所属の船なので、
このお母さんはわざわざ青森から駆けつけてきた可能性もあります。
そうでなくてもただでさえ朝から立ちっぱなしで疲れているに違いない、と考え、

「どうかお座りください」

わたしは立ち上がって自分の座っていた舫杭を彼女に譲りました。

ダイジェストでも書いたように「風の塔」を間近で見るのも今回初めてです。

右側の、高さ90mの大きな塔はアクアトンネルへ外気の給気、
75mの小塔はトンネルからの排気と二つの塔の役割は違います。

東京湾上で南北に抜ける風は2本の塔の間を通り抜けます。
この時、ベルヌーイの定理により効率的な換気ができる設計です。

この青と白のストライプは、羽田空港を発着する旅客機からの景観や、
船舶からの視認性を高めるために採用されたとのことです。

ちょっと遠いですが、アクアラインの「海ほたる」が見えます。

週末空港に行く時、時間に気をつけないと、海ほたるに行こうとする車が
湾岸線にはみ出してきて渋滞が起こるんですよね(´・ω・`)

たかが海の上にあるパーキングエリアなのに、どうしてあれほど人が詰めかけるのか。

さて、続いてはヘリ甲板です。
ローターを回す展示が終わったあと、柵がもう一度元に戻され、
ローターが後ろ側に束ねられて、甲板への立ち入りができるようになりました。

ヘリパイと一緒に写真を撮ってもらう人あり。

ヘリのピトー管は固定翼機と形が違います。
空気を取り込むノズルにたくさん穴が空いています。

根元には「持つな」とダイレクトな注意が書かれていて、
ついウケたので写真を撮っておきました。

窓から覗いて撮ったコクピットテーブル。

コクピットの左舷の窓は機体の下部を目視できるようにドーム型です。
これをバブルウィンドウという模様。

ウィンドウの下の羽根状のものはパイロンなんですって。
その気になれば武器を牽引することができます。
海上自衛隊で武器を搭載することがあるのかどうかは知りません。

ローターを固定させておく器具は回転方向だけを抑えるものであることが判明。

息子を抱きかかえる父親の向こうにスネアドラムみたいなのがありますが、
フライトデータが記録される、つまりブラックボックスに相当するもののようです。

なぜ外付けになっているかというと、それは万が一海に墜落した場合でも
浮かび上がって回収することができるようにではないかと思います。

四角い箱はそうは見えませんが、チャフ・フレアランチャー。
ミサイルの接近を検知すると、自動でチャフやフレアを射出し、
ミサイルを誤誘導させます。

手前の親子三人は我々のグループの参加者です。
張り切って歩いている男の子はこの日をむちゃくちゃ楽しみにしていて、
ほとんど彼の希望で参加が決まり、一家は静岡県からわざわざ出向いてきたとか。

女の子はお兄ちゃんほど熱心ではないせいか、要所でぐずって
お母さんを手こずらせていました。

子供でもコクピットを覗けるように足台が置かれています。
女性海曹の左下に見える灰色のものはFRIR(forward looking infra-red)
 前方監視型赤外線装置といって、熱線映像装置です。

ヘリパイの左腕にあるマーク、日章旗じゃなくて海上自衛隊旗だったんですね。
OD色に紅白の旭日旗・・・・うーん、クール!

海曹のパパに坊主頭をどつかれながらというのと傾向は違いますが、
これもまたパパの職場見学の姿。

「パパー、わたし大きくなったらヘリコプター操縦する人になる」

とか?
今は回転、固定翼を問わず、女性パイロットが増えているそうですよ。

通信科の展示が始まることになり、同行の家族は
前列の特等席から見学することにしたようです。

まず、いきなり手旗で女性海曹が信号を披露しました。

「なんと通信したかわかりましたか?」

わたしが周りにしか聞こえない声で

「まきなみへようこそ」

というと、その直後、

「正解は『まきなみへようこそ』でした!」

おお、とどよめくわたしの周りの人々。
しかし実は全くの当てずっぽうでした。
というか、こういう時に通信することといえば、それ以外にないでしょう。

続いて、総員起こしに始まり、出航、巡検など信号ラッパの披露です。

格納庫の隅に、ヘリの着艦記録ボードがありました。
T/L U/L F/L  の意味を聞くのを忘れましたが、とにかくこの日で
トータル7540回の着艦を行なったということです。

「まきなみ」が就役したのは2004年の3月ですから、14年2ヶ月の間、
搭載日数はおよそ収益日数の半分、ヘリを搭載していたことになり、
述べにすると1日に1.4回平均の発着を行なっていたことになります。

このあとわたしたちはエスコートの自衛官からの招集によって
軽い艦内ツァーに出発することになりました。

 

続く。

 

 


ローター稼働展示と先導艦交代〜平成三十年 海上自衛隊練習艦隊 体験航海

2018-05-26 | 自衛隊

 体験航海では、一般乗客のために艦内でイベントが用意されますが、
ヘリ搭載艦「まきなみ」では、搭載ヘリのローターを回して、
その風力を体で感じてもらう、という企画(たぶん)が行われました。

格納庫にはロープが張られ、皆が見守る中、周りの手すりを全て取り払う作業が始まりました。

艦内で甲板の手すりが全くなくなるのを見るの初めてです。
ローターを回転させるだけであっても、こうすることに決まっているようです。

青と緑の作業服がきれいに交互に並んでの作業です。

舫の作業を行う運用員は黒の制服を着用しますが、
搭乗員とメカニックあるいは飛行作業などの部署はいつも通りでいいようです。

手すりは外に向けて倒すとそのままセーフティネットになる優れもの。

 作業終了です。

ヘリのドアがここで初めて開けられました。

インカム兼耳栓?の黄色いイヤフォンがミッキーの耳みたいで可愛い(笑)

空自のパイロットスーツは文句なしにカッコいいですが、
ベースボールキャップと合わせた海自の深緑の搭乗員服もいいなあ。

左腕の日の丸から、つい海軍航空隊を想起してしまいます。

そういえば最近すっかり忘れていましたが、そもそも
わたしがこの世界に興味を持つきっかけが海軍航空隊だったんだわ。

思えば遠くまで来てしまったものです。(遠い目自粛)

思うところあって最近任務中の自衛官であってもできるだけ顔にブラーをかけ、
はっきりと写さないようにしていますが、このコクピットの中だけは
パイロットの様子を見ていただきたいので、加工なしで出します。

「P3のパイロットはヘリパイほど目が良くなくてもいいらしい」

と航空志望の新任幹部に聞きましたが、こちらのパイロットは眼鏡着用。

Pー3Cのコクピットだとこちらから向かって右側が機長ですが、
ヘリコプターの場合反対側の左側が機長となります。

固定翼機は一般の航空機の交通ルールが右側通行なので左に席がありますが、
回転翼機の場合、低高度で航路を決めずに飛行することが多く、そのため
右側の視野を広く確保する必要性から右席になっているようですね。

ですから、管制官が誘導する際、固定翼機に対してはパイロット席のある側が
内側に来る左旋回を、回転翼機に対しては右旋回を指示します。

そして二人が被っているものに注目。

まるでスイミングキャップのような布の帽子ですが・・・。

機長が前に立つ誘導員にハンドサインを出しました。

そして次に写真を撮った時には二人ともヘルメットを着用していました。
ヘルメットに専用のマスク型のサンバイザー。
スイミングキャップはヘルメットの下に、蒸れないように(多分)つけるものだった模様。

そしてまたしても謎のハンドサイン「V」がむちゃくちゃカッコイイ。

これが最終の合図だったらしく、このあとローターが回り始めました。
わたしの近くに立っていたTOが慌てて帽子を脱ぎ出したので、

「格納庫にいる限り帽子が飛んだりすることはないと思う」

とこれまでの経験からアドバイスを送りました。

ちょうど羽田空港を過ぎたあたりで、国内線の航路を盛んに飛行機が通り過ぎます。

スマホでローターが回るのを延々と動画に撮っていた人が多かったようですが、
もちろん回して見せるだけが目的で飛び上がったりしません。

わたしの後ろに小学4年生くらいの男児がいたので、前に押し出して

「子供がいるので前に行かせてあげてください」

と言ったのですが、中学生くらいの子は自分も子供だという意識があるからか、
頑として動いてくれませんでした。

せっかくローターが派手に回っているので、シャッタースピードを30分の1に落としました。
ローター以外は動くものもなく、このスピードでもブレず楽勝です。

人の頭越しにしばらくローターが回るのをただ見ていましたが、
ちょっと飽きてきたので左舷側に出て外から撮ってみました。
こちらには誰もいません。

展示が終わり、ヘリがローターを止めたころ、後ろに「かしま」が見えてきました。

「まきなみ」に遅れて出港した「かしま」、これから「まきなみ」に追いつくようです。

こちらでは展示を終わったヘリのローターを畳んで、
見学者に触れられないように後ろにまとめる作業中。

デッキブラシのようなものでローターを扱っています。

「ミッドウェイ」について書かれた本で読んだ話ですが、
ある整備員が風でふわっと動いたローターを、スピードがなく
回り始めだということもあって、ふと手を伸ばして手で止めようとしたところ、
すっぱり指が切れてしまった、ということもあるくらい、
ローターを扱うのは危険な作業であるようです。

その整備員は負傷してすぐ、静かに「俺が悪い」と言ったとか・・・。

「かしま」がもりもりと接近中。
左舷側から追い越すつもりのようです。

「まきなみ」が行った後、「かしま」のまえを第三高神丸が横断しました。
東京湾で作業する砂利船だそうです。

ほとんどギリギリのように見えますが、よくあることなのでしょうか。

続いて通りかかった不思議な形の船。
真ん中部分の喫水線がほとんど海面と同じです。

船名が読めなかったのですが、何をする船かな?

ANAの飛行機が脚を出したまま上空を通過しました。
「まきなみ」の煙突からの空気で機体が歪んで見えます。

あっという間に「かしま」が「まきなみ」に追いつきました。

旗艦だから先に行くのか、単に横須賀に入港する順序の関係なのか、
その理由はわかりませんが、何れにしてもこの「追いつき、追い越し」が
本航海中の最大のイベントとなったことは間違いありません。

甲板から「まきなみ」の艦橋に士官が見えました。

実は今、高松市の金刀比羅神宮における追悼式を済ませ、
直会も終えて空港のラウンジでこれを製作しているのですが、
その食事会の席で、
戦後掃海活動で殉職された隊員のご親族のかたが、
その遺志を継いで海上自衛隊に入り、
「まきなみ」の
「長」配置にいるということを聞きました。

つまりわたしはこの時、その方の乗務する船にまさに乗っていたことになります。

 左舷側に並んだ「かしま」に対し「まきなみ」では登舷礼が行われました。
左舷側で敬礼を行う実習幹部たちです。

「かしま」甲板には立ったままの体験航海参加者がいっぱいです。

この日も船を降りた後、自分がクタクタに疲れているのに気がついたのですが、
よく考えると、航海の間というのはほとんど座ることがないんですよね。

見るものが多く、写真を撮ったりしているので2時間くらいは余裕で過ぎますが、
2時間揺れる船で立ちっぱなし、動きぱなしって考えたらかなり重労働です。
 

「まきなみ」と違い、「かしま」には艦橋の上の階が
観覧席のようになっていて、ここにも人があふれています。

いざとなれば国家元首級の方々の貴賓席にもなるような作りなのでしょう。

そこにものすごいスピードで現れたプレジャーボート?

撮っている時には全く気づかなかったのですが、この後ろに
ディズニー・シーが写っています。

左の山は「プロメテウス火山」、客船は「SSコロンビア」、
右側の建物は「タワー・オブ・ザ・テラー」ですね。

「かしま」に揚がっているのは「U」「W」「1」、
一番上の紅白三角は「回答」のようです。

「まきなみ」に対する回答だと思われますが、正確には

「協力に感謝する。御安航を(Thank your cooperation, bon voyage)」

となります。

一番上は、艦隊司令である泉海将補座乗を意味する二つ桜です。

ついに「かしま」の艦首が「まきなみ」と並びました。

その時、「かしま」艦橋から発光信号が送られてきました。

内容はアナウンスされたと思いますが、残念ながら記憶にありません<(_ _)>

発光信号を送ってきている探照灯の部分を拡大してみました。

さらにアップ。
さすがは解像度の半端ないNIKON810である。
ちなみに、この航海のために買ったタムロンの中望遠レンズ使用です。

「まきなみ」がこれに対してどう返答をしたのかはさらにわかりませんでした。

発光信号は、「かしま」が艦尾の艦名が読めるくらい前に進むまで続けられました。

航行中の「かしま」をこんなに長時間間近に見ることができたのは初めてです。
繰り返しになりますが、

「皆さんはまきなみに乗れてラッキーです」

とわたしたちに来た自衛官からの案内状に買いてあったわけが、この時わかりました。

 

 

続く。

 

 


出航作業〜平成三十年 海上自衛隊練習艦隊 体験航海

2018-05-25 | 自衛隊

 さて、練習艦隊は5月21日に出航し、今現在も平均時速12.7ノットで
一路インドネシアに向けて航行しているわけですが、当ブログでは
少し時間を巻き戻し、体験航海の続きについてお話ししたいと思います。

わたしとTOが格納庫に呼び戻されたのは、出航時間に人員を把握するため、
エスコートの自衛官がグループに招集をかけたからだとわかりました。

出航作業を行うために待機するボースンの皆さん。
職域的には運用員ということになるのでしょうか。

舫を扱うための手袋をきりりと身につけます。

サングラスの幹部は甲板作業を率いる指揮官です。
階級は二尉、旧軍の中尉ですが、このクラスの幹部が束ねるのは
三十人くらいの部隊、ということになっています。

甲板での作業は肉体的にも大変だと思いますが、最近の自衛艦では
女性自衛官の姿をここに見ることは決して珍しくなくなりました。

彼女はタグボートから受け取った牽引用の舫を固定しているようです。

出航を補助する曳船と「まきなみ」が舫で繋がれます。
「あすか丸」、芝浦通船所属の中大型タグボートです。

右舷側ではおなじみの「舫ダッシュ」が始まりました。
引き上げる舫を持って数メートル走って放ち、
また根元に行って同じことを何人かで繰り返します。

着岸した時にサンドレットを受け取り岸壁で行われる舫ダッシュと違い、
この舫は太く結構重たそうです。

この作業に女性が参加しているのを見るのは初めてです。
自衛隊こそ男女共同参画職場ですよね。

ここでふと興味が湧いて、この「舫取り、舫取りはずし」の作業が
民間では金銭的にいくらに換算されるのか調べてみました。

作業を行うのが岸壁なのか、片浮標か、両浮標かで料金は違ってきて、
当然船の大きさによっても違ってきます。

この場合は岸壁での作業なので、小さな船、299トン以下であれば
綱取料 9,500円、 放料5,800円といったものですが、
「かしま」クラスを総トン数5.400トン強だとすれば(最大排水量で計算)
今やっている舫はずしはある会社で19,400円。

ちなみに舫取りは31,700円、基本料金(おそらくどちらも行う)は
51,100円となっていました。

これらは平常の料金であり、

時間外割増 自 6 時 01 分 至 8 時 30 分······ 70%増
自 16 時 31 分 至 22 時 00 分·················· 60%増
自 22 時 01 分 至翌 6 時 00 分··············· 120%増

また、 荒雨雪天(気象庁の発表する注意報発令下)では
自動的に50%増となります。

これらの民間企業の行う舫作業と、海上自衛隊のそれは
どのようにかはわかりませんが、おそらく全く違うものでしょうから、
金銭に換算すること自体、意味がないかもしれませんが。

たくさん写真を撮っているので長時間やっているように見えますが、
実は作業そのものにかかる時間は15秒くらいのものです。

彼らの手袋を拡大して見ると、どの人のものも真っ黒でボロボロです。
昔は軍手で行なっていたんでしょうか。

岸壁の舫が放れると、同時にタグボートが引っ張りにかかりました。

その時、向こう側に自衛隊のタグボートがいるのに気がつきました。
はて、なんでここに?しかも何も仕事をしていません。

これは、後で甲板にいる自衛官に聞いて理由がわかりました。
晴海に「かしま」と「まきなみ」をメザシ状態に係留するのに、
両艦の間に入れていた防眩物を持って帰るために横須賀から来たのです。

YT10くんは、この後「かしま」から防眩物を回収して、
我々と同じ航路で横須賀に向かうことになっています。

タグボートの巨大な巻き取り機をアップにしてみました。
大型船を引っ張るタグラインはタグボートのものです。

艦首側のタグは「武蔵」という東港サービス所属の船です。
「あすか丸」は芝浦通船。
同時に作業を行う船が必ずしも同じ会社ではないみたいですね。

「まきなみ」の作業が終わり、「武蔵」は早速「かしま」に近づき、
「かしま」に今からタグラインを渡すところです。

ここで面白い光景を目にしました。
「あすか丸」の乗員が差し出した虫網のようなものに、乗員が何かを入れています。

トランシーバーのようですね。
タグボートと大型船の間では、トランシーバーや書類などを受け渡しするのに
原始的なようですが、この方法が一番確実で話が早いのだとか。

いつの間にか「まきなみ」は出航しましたが、格納庫の中からは
艦尾にいるダイバーの帽振れしか見ることはできません。

トランシーバーを受け取った「あすか丸」も「かしま」の作業にかかります。

「かしま」の左舷側にYT 10の回収する予定の防眩物があります。

そこに水産庁の漁業取締船「はまなす」が通りかかりました。
この時には知るべくもなかったのですが、写真を点検していて見覚えがあるのに気がつき、
海保の観閲式のパンフを調べてみたら、この子も参加していました。

「はまなす」は、密漁などを防止・摘発し水産資源を保護することを目的に、
水産庁が運用しており、外国漁船の違法操業に対しても
拿捕などの主権行使できるという結構強面のやつです。

乗組員は非殺傷性とはいうものの、手榴弾や警棒で武装していますし、
自身もボディアーマーに身を包んでいます。

HOS302 三連装短魚雷発射管については、もう今やTOの質問に
スラスラと答えられるくらいにわたしも成長いたしました。

「これどうするの」

「海に向かって落とすの」

「どうやって?」

「撃つ時は筒が海の方を向くの」

というか、「むらさめ」見学の時に、船が魚雷を撃つとは知らなかった、
と言って恥をかいたのを忘れたのか君は。

晴海を出港してすぐ、レインボーブリッジの下を通過します。
聞いた話ですが、この橋の下を通れない船って結構あるそうですね。
クイーン・エリザベス二世が干潮のときに通れる高さ、という基準で設計されましたが、
実際に女王陛下は晴海にご来臨されたことはないそうですし、
帆船でも「日本丸」「海王丸」豪華客船「飛鳥」も通れません。

そして、なんと自衛艦のうち半分以上、イージス艦は全部アウトだそうですが、
これは正確な資料を見たわけではないのであしからず。

国際都市である東京の港への入り口なのにこんな微妙な高さなのはなぜかというと、
近くに羽田空港があり、高さに規制がかかっているせいだそうです。

昨今は大型の外国客船が続々と増えているのにも関わらず、
そのほとんどが東京に入港できないというのはかなりの問題かもしれません。

「まきなみ」がレインボーブリッジ下に差し掛かります。
甲板の運要員の皆さんが帽振れをはじめました。

実習幹部らしいこの人も。
どこに向かって帽振れしているのかな?

レインボーブリッジ真下なう。

ブリッジ下の公園で自衛艦旗を振っている人がいたのでした。
この後、もう一度帽振れがあったのですが、なぜかわからなかったので
帽子を振っていた一人に聞いて見ると、

「あそこで自衛艦旗を振ってる人がいたので」

指差す方向を探しましたが、わたしには見えませんでした。
後でメールにより、それが知り合いの一団だったことがわかりました。

余裕でレインボーブリッジ通過。
わかっているけどついつい息を飲んで見てしまいます。

東京湾には実にいろんな船が生息しているものです。
警視庁の巡視船「かわせみ」が通りかかりました。

そして、またしてもわたしはこのとき知るべくもなかったのですが、
この直後海保観閲式で受閲船隊として邂逅することになった
本庁所属HL01、測量船「昭洋」の横を通り過ぎました。

測量船とは、海図、地図の作成や海上工事の資料収集等を目的とした測量、
測地を行う船舶のことです。

自衛隊では艦種記号AGSで「海洋観測艦」と称しており、現在就役しているのは
 「わかさ」「にちなん」「しょうなん」の3隻です。

さて、晴海を出港してレインボーブリッジ下を通過した「まきなみ」。
この後には、東京湾航行中に練習艦隊旗艦「かしま」に追い抜かされるという、
ある意味この航海におけるメイン・イベントが待ち受けていました。

 

続く。

 

 

 

 


鹿島立ち〜平成三十年 海上自衛隊遠洋練習艦隊出航行事

2018-05-24 | 自衛隊

平成三十年度遠洋練習航海に出航する海上自衛隊練習艦隊、
出航に向けた激励のための儀式を終え、乗員は岸壁から
練習艦「かしま」に乗艦していきます。

「かしま」乗員が出航作業を粛々と行う中、前甲板側の舷梯から乗艦した実習幹部たちが
行進曲「軍艦」に乗って行進し、整列を行います。

今年の実習幹部は右舷後方に横4列に並んで帽振れを行うようです。

左から二人目にタイ王国からの留学生の姿がありますね。

定位置に着くと、帽子のストラップを顎に掛けて準備。

この配置だと、後ろの方に並んでいる幹部の顔が見えないので、もしかしたら
残念に思った家族の方もおられるのではないかとちょっと心配しています。

舷側にずらりと一列、というのは出航してからのことになります。

「かしま」音楽隊が舷側にスタンバイ。
この時、岸壁では横須賀音楽隊が「軍艦」を演奏し続けています。

準備の間、横音は「錨を上げて」など軽快なマーチを中心に演奏していましたが、
隣の方が、何曲目かに、

「こういう時にアメリカの曲ばっかりというのはどうもね」

とまたしてもわたしに向かって呟きました。
言われてみれば4〜5曲めに演奏された「宇宙戦艦ヤマト」が
この日初めて演奏された国産のマーチというこの現状です。

「愛国行進曲」「太平洋行進曲」などは戦後世論への忖度ゆえ無理だとしても、
何年か前に演奏されたこともある「君が代行進曲」が最近さっぱり
演奏されなくなったのを、わたしは非常に寂しく思っております。

呉音楽隊が潜水艦をテーマにした委嘱作品を最近演奏しているように、
海自音楽隊は練習艦隊出航をテーマにした曲をどなたかに依頼してはどうでしょうか。
(提案)

ものすごいスピードで舷梯を引き揚げる作業が行われています。
またしても隣の方がわたしに、

「土曜日に海保の観艦式に行きましたが、あちらとは随分スピードが違いますな」

いや、わたしたちの乗った大型の巡視船は、何かあった時に
緊急出動するようなタイプの船ではないからでは・・・。

そんな好き勝手なことを言いながら見ている間にも、作業は早回しのように進みます。
舷梯に吊り上げのためのワイヤを引っ掛けて・・・。

牽引の準備が終わったら、最後に「かしま」乗員が乗り込みます。

前を上っている人が持っているのは、儀式で使ったお立ち台のようです。

手すりのない舷梯をものを抱えて駆け上るというのもなかなか怖いのでは・・。

この人が本当に本当の最後の「かしま」への乗艦者。

舷梯の吊り上げ作業を前列の国会議員は動画に撮っています(笑)

後ろ甲板では、作業の合図を待って、舫を持ったまま待機しています。

舷梯引き揚げの間、舷側から作業の進行を見守る係。

ところで、当ブログコメンテイター陣によると、「かしま」には
舷梯をぶつけてしまったと思しき痕が艦体に見られるわけですが、
一体どんな状況でそんなことになったのでしょうか。

これらの揚収作業を見る限り、よほどの強風でもない限り、
舷梯が外れるということなどありえない気がするのですが・・。

軍艦」が終わると、「かしま」艦上の遠洋航海音楽隊に演奏は移りました。
写真を見て呉音楽隊のクラリネット奏者が参加されているのに気づきました。

遠洋航海に随伴する音楽隊は全国の音楽隊からの志望者で構成されます。

舷側の他には艦橋付近に立つ実習幹部もいます。

純白の制服で舷側に立つ若き自衛官の一団、清冽さに溢れなんと凛々しいことか。

招待客は岸壁での見送りを促され、わたしも赤絨毯の後ろにやってきました。
左端でたった一人後ろを睨め回しているのは、防衛大臣付きSPです。
防衛大臣、外務大臣政務官、海幕長、横須賀地方総監らは台上からの見送りです。

ほとんど前振りなしで「まきなみ」がすでに離岸を始めています。

この同時刻、Kさんは軍港巡りの船の上から岸壁を見ておられました。
出航した「まきなみ」、海上からの写真。

時間差で出航する「かしま」の艦上では出航喇叭を待つ状態です。

X字型にかかっている舫を、二人の乗員がずっと持っていますね。
紺色の軍服はスウェーデン海軍、その左は在日米海軍の軍人です。

陸自の隊員が二人写っていますが、こうして陽の光の下で見ると、
空自の青とは全く異質の、まさに「紫紺」としか言いようのない色です。
「陸自らしさ」のポイントは右腕のワッペンだとこの日わたしは思いました。

「まきなみ」乗員に「帽振れ」がかかりました。

岸壁でも帽振れ。

こうして見ると海上保安庁の制服は、海自と全く違いクリーム色です。
帽子の振り方も、海自の人たちは軽く円を描くように降りますが、
海保は横に振っているような、若干違う振り方のように見えました。

今鹿島立ちせんとする艦上の若武者を、帽振れで見送る高官たち。

これと全く同じ光景が、ここ横須賀では戦前から繰り返されてきたのだろうな、
と、彼らの後ろ姿を見ながらわたしはしみじみと考えていました。

艦橋の上でも帽振れが始まっていますが、青ストラップの船務長?、
「かしま」艦長(赤)の二人は帽振れは行わないようです。

「まきなみ」艦上では左舷から右舷に移動を始めています。

わたしはこの時点で柵外に出て、自分の車に乗り込もうとしていました。
今年も観音埼に先回りして、見送りしようと思ったのです。

走る車からウィンドウ越しに「かしま」が最後の帽振れをしているのが見えました。

こちらは「軍港巡り」の船上から撮ったKさんの写真。
ほぼ同じ時間だったかもしれませんね。

練習艦隊去りし後の岸壁の様子。

さて、わたしはおそらく当日車で来場していた招待客の中で一番早く
横須賀地方総監部を離脱し、一路観音埼に向かいました。

去年観音埼灯台から見送るという方(司令官の盟友)に教えていただき、
ここを横須賀出航して30分後に練習艦隊が通過することを知りました。

観音埼灯台の下の駐車場に車を停めて歩いていくと、
すでに「まきなみ」の姿が見えてきていました。
この写真を撮ったのは1125、横須賀で最後に撮った「かしま」の写真は
1058です。

この日の観音埼灯台下には去年のように自衛艦旗を振る人の姿もなく、
去年と同じ「ご安航を祈る」の旗を立てて船を撮影している人に、
女性(おそらく参加者の家族)が一人話を聴きながら見送っているだけでした。

わたしは深い考えもなく、去年行ったから今年も、と思ったのですが、
あとで「観音埼まで行った」というと、ほとんどストーカーですね、と言われました。

舷側に白い登舷礼の立つ「まきなみ」には、防衛大学校の学生が
走水から四隻の船を出してお見送りをするのが毎年の恒例となっています。

「まきなみ」前方にいるヨットは、知り合いなのか、このあとずっと、
「まきなみ」が姿を消すまで横を伴走し続け、ご安航のおじさんに、

「迷惑だ!あのヨット、ナンバー調べて通報してやる!」

とブーブー文句を言われていました。
写真を撮っているおじさんには邪魔なヨットだったかもしれませんが、
「まきなみ」にすれば別に迷惑でもなんでもなかったのでは・・・。

続いて艦首から艦尾まで一列の登舷礼が美しく並ぶ「かしま」がやってきました。

防大の四隻は、最後にきっちり並んで、
「かしま」が去っていくのを見送っています。

「かしま」からは帽振れも行われ、一度は汽笛も鳴らされました。

この日、去年わたしがヨットに乗せていただいた防大卒の方が、
土曜日に行われた
学連OBレースの写真を送ってきてくれたのですが、
その写真に写っている防大卒女子は、なんとなんと、
この「かしま」に乗って遠洋航海に出航する予定の訓練幹部でした。

彼女も今この登舷礼の中に立ち、後輩の激励を受けているというわけですね。

見送りが終わると、防大の小艇は走水に帰って行きました。
一隻の艇には十人くらいの防大生が乗り組んでいます。

「かしま」は浦賀水道を通過しながら最後にもう一度汽笛を鳴らし、帽振れを行いました。

もちろんこちらに向かって帽振れしたわけではないと思いますが、わたしは思わず
彼らに向かって最後に大きく手を振り、心の中で行ってらっしゃい、ご安航を祈ります、
と呟いてから観音埼を去りました。

 

(練習艦隊シリーズはまだ終わってないので続く)

 


遠洋練習航海出航行事〜平成三十年 海上自衛隊練習艦隊

2018-05-23 | 自衛隊

海保の観閲式のことをお話ししたと思ったら昨日は練習艦隊の出航だったため、
体験航海も海保もまだ全く触れていない海自基地隊見学も一切置いておいて、
この出航行事をお伝えしたいと思います。

 

冒頭画像は儀式が始まる前の横須賀地方総監部岸壁の様子です。
手前の白い塊が実習幹部たち、その向こう儀仗隊と海曹海士です。

これら一連の写真は、以前も降下始めの時に写真をお借りしたKさんの撮ったもの。

それにしても、これらはどこから撮った写真なんでしょうか。
逸見岸壁をこんなに見下ろす場所・・・。

ちなみに不思議に思ってグーグルアースを見ると、現在のグーグルアース画像、
DDH「いずも」と書いてあるところに「いずも」でなく「しらせ」がおります(笑)

それはどうでもいいんですが、この瞬間わたしはどこにいるかというと、
おそらく、ゲートを入る車の後ろを車で走行していたはずです。
わたしの車はもちろんゲートには入れず、手前で左に誘導されました。

車を停めて入っていくと、ゲート左のテントで受付をします。

これも同じKさんの写真。
整列が済んでいますがまだヘリが来ていないので開始前かと思われます。
ヴェルニー公園か、それとも参加するとおっしゃっていた軍港めぐりの船の上から?

9時半から受付というお知らせをいただいていたのですが、外から見ると
岸壁には乗員の家族などがすでにたくさん来ておられる上、
実習幹部の整列が始まったので、入場することにしました。

車のナンバーはあらかじめ知らせてあり、門を入ってすぐに
名簿を持った自衛官が目視でチェックをしてそれを警衛のゲート前に伝え、
そこではダッシュボードに置く許可証をもらえます。

車を停めたところから岸壁に入っていくと、岸壁では自衛官が
赤絨毯に立つ自衛隊高官とVIPの名札をつける作業をしていました。

ここが招待客の席です。
なんと、今年はテントがありません。

視界を良くするために今年はテントを無しにしたと聞きましたが、
わたしは、去年、強風の中テントが倒れないように、自衛官たちが総出で
一生懸命テントのポールを抑えていたことを思い出しました。
あれがテント中止の本当の原因だと思うな。

ただ、この日の日差しは結構強烈で、じっと座っていると結構大変でした。
帽子を着用してきてまだしも助かったと思ったものです。

わたしが席に着いたのは受付開始まであと10分といったところでしょうか。
彼らがすでに整列しているのは、招待客を迎えるためらしいことがわかりました。
式の開始まで小一時間、彼らは同じ姿勢で立っていたことになります。

儀仗隊に女性隊員が三人いるので少し驚きました。
こんなところにも男女平等か・・・・。

彼女らには悪いけど、こういう男女平等、わたし個人的に嫌いなんですよね。

この件についてはリベラル派からの非難を覚悟ではっきり言います。
儀仗隊はセーラー服の一団だけで行っていただきたい。
もし女性を混ぜるのなら、彼女らにセーラー服を着せてください。以上。

そして練習艦隊司令官はじめ、各艦艦長と幕僚が登場です。

家族席にも今年はテントがありません。
あまりの辛さに顔まで覆ってしまっている人あり。

日焼けを死ぬほど嫌う日本人女性のほとんどには
地獄のような試練だったかもしれん。(一応シャレ)

来年横須賀で練習艦隊お見送り予定のご家族の皆様、この仕様は来年も
同じである可能性が高いので、ぜひ帽子と日焼け対策を万全になさってください。

横須賀音楽隊も到着しました。
岸壁を走りぬけていく海曹の躍動感、ハンパ無し。

練習艦隊幕僚を先頭に、実習幹部たちが岸壁を指揮台の前に移動し始めました。
写真のクレジットを見ると0929、「海軍1分前」に発動したらしいことが判明。

いつも自衛官の幹部常装第一種夏服姿を撮ると、彼らの日焼けした顔色が
白の効果で暗く写ってしまうのですが、どうしたらいいでしょうか(相談)

まあ、気持ちマスク効果にもなっていいかなという気もしますが。

最近自衛隊の制服論議がこのブログでもありましたが、
幹部の夏の制服はやはり海自が最高だと思います。

このスタイルが世界基準であり、海軍の第二種軍服と似ているのもよろしい。

写真を下さったKさんのおばあちゃまは日本橋で鰻屋の看板娘だった頃、
此の制服で来る海軍士官に

「お嫁さんになる」

とつい言ってしまわれたそうです。
昔はこれに加えて腰に短剣でしたからね。破壊力もすごかったかと。

泉海将補、練習艦隊司令官として今から出航の儀式に臨みます。

泉海将補の向こうは「かしま」艦長金子一佐。

「かしま」乗員のうち海曹海士代表がここに立ちます。
「気をつけ」などの号令は右側の女性三尉が下していました。

海幕長が儀仗令を受け、巡閲を行う間は敬礼を行います。
それらの行事一切、わたしの座っているところからは見えませんでした。

式典の間「かしま」甲板から写真を撮っていた海上自衛隊写真員。

海自の写真員は千葉県柏市にある海上自衛隊第3術科学校で技術を学びます。
第3術科学校は哨戒機P-3C基地のある下総にあります。
そういえば、下総に表敬訪問した時、コクピットで撮ってもらった写真が
その少し後にはプリントアウトされて(文字入り)渡されたということがあったっけ。

なぜ航空基地に写真員養成期間があるかというと、写真員は海軍時代、
航空機による写真偵察を行うことを目的に誕生したからだそうです。

「かしま」前部寄り舷門にも二人立っています。

海幕長、現在巡閲中。

「かしま」VIP専用、特別仕様のボートを撮っておきました。

「いつかあれに乗ってみたいものです」

わたしの隣の方がわたしに向かって囁きました。
うーん・・これだけは国賓級の来客でないとダメじゃないかな。

今年はついに小野寺防衛大臣のご来臨を仰ぐことになりました。

いつ見ても腰の低い防衛大臣でいらっしゃいますが、この時は
御年91歳、元衆議院議長の綿貫民輔先生がここにおられたので、
もうほとんど平身低頭状態でご挨拶なさっています。

右側に仁王立ちしているのは防衛相のSPですが、
いつ何があっても小野寺防衛相に覆いかぶさって守る気満々な態勢。

練習艦隊出航に向けて、防衛大臣からの挨拶。

防衛大臣の激励の辞に耳を傾ける実習幹部たち。
練習艦隊出航行事に防衛大臣本人が出席するのはわたしの知る限り初めてです。

国会の期間でもあるため、いつも政務官とかせいぜい副大臣なので。

そしてこの方も練習艦隊行事では初めてお見かけしました。
「文藝春秋」の腕章を携帯されているところを見ると、
どうやら次の写真集はここから出版されるようですね。

防衛大臣の次に挨拶されたこの方、みなさんどなたかご存知ですか?

元スピードスケートの選手で、引退後政治家に転身された
堀井学外務大臣政務官です。

練習艦隊は日本の親善大使の役割も担って世界を周航するのが任務です。
本日の式典には訪問先関係者である、メキシコ、スウェーデンの駐在武官や
在日大使館関係者も何人か来賓として参加していることから、
外務省代表として彼らを激励するために出席したのでしょう。

リンク先を読んでいただければわかりますが、堀井政務官は、日本では
オリンピックのメダリストとして初めて代議士になった人物だとか。

最後に村川海幕長の激励の辞。

「いかようにも変化する海の厳しさ、美しさを学んでほしい」

「伝統のユーモア精神を発揮して」

「半年後の諸君の帰りを一日千秋の思いで我々は待っている」

などといったフレーズは、練習艦隊出航の際の定型句です。
訓示の最初に練習艦隊の出航のことをして

「鹿島立ち」

と表現したのは、もしかしたら去年の真鍋練習艦隊司令の一句から
着想を得られたのかなとちらっと思いました。

続いて練習艦隊司令官の出航あいさつが行われました。

「行ってまいります」

という内容のあいさつと敬礼を、普通の観閲官は黙ったまま受けるのですが、
律儀で心優しい(知らんけど多分)小野寺大臣は、アドリブで

「行ってらっしゃい」

とそれに返答したため、一瞬泉司令は戸惑ったように見え、
一旦下ろした敬礼を改めて
行っておられました。

ちなみに最前列は全員政治家で、白髪のブルースーツはHSK議員です。
HSK先生、政界の大物綿貫氏には、

「先生!HSKでございます!」

と大声でアピールしておられました。

儀式が終わり、行進曲「軍艦」の調べの中、総員乗艦となりました。
今年の練習艦隊司令官は花束を持ったまま乗艦を行うようです。

例年、花束をもらったあと、すぐに副官に渡す司令官がほとんどで、その結果、
副官が
花束を持って行進するということになるのですが、泉司令の場合、
持ったまま歩くのがご自身の雰囲気に似合っているような気がしました。

司令官がそうすれば当然艦長たちもそれに倣い花束を持って歩くことになります。
「まきなみ」の大日方艦長も。

そして、目の前を敬礼した実習幹部たちが通り過ぎていきます。

  

  

   

艦長乗艦。
次にこの逸見岸壁に彼らが降り立つのは、半年後の10月30日となります。

 

続く。

 

 

 

 


乗艦〜平成三十年度 練習艦隊 体験航海

2018-05-20 | 自衛隊

 「かしま」艦上で行われたレセプションから明けて一夜、
わたしたちは再び晴海にやってきました。

晴海埠頭にはいつも車でやってくるのですが、今日は電車でJR新橋からタクシーです。
なぜなら今日は晴海から横須賀までのワンウェイだからです。

出港前、晴海のターミナルからレインボーブリッジを望むテラスから撮った写真。
今日は素晴らしい体験航海日和になりそうな空の色です。

テラス二階からこれから乗り込む「まきなみ」と「かしま」のメザシ状態を一枚。
岸壁には体験航海の乗客がいますが、まだ乗艦は始まっていません。

この時になって初めて、今年の練習艦隊が二隻で行われることに気がつきました。

この後、受付のために結構な時間並ぶことになりました。
今回のわたしは、TOの職場団体の一人としての参加です。

今回あることからTOが自衛隊に関わったところ、幹部学校が
体験航海への集団での参加をお誘いくださったため、わたしとTO二人で行こうか、
と思っていたら、TOの職場の人たちが我も我もと参加を申し込んできました。
中には在宅勤務で浜松から駆けつけてきた四人家族もいたほどです。

自衛隊の船になんとなく関心はあったものの、実際に乗る機会など全くないので、
それにすぐにでも乗れるとなると皆驚くほど『食いついてきた』とのことでした。

 

この日わたしたちは随伴艦の「まきなみ」に乗ることになっていました。
担当の自衛官が送ってこられた「ご案内」には、

「皆さんは(かしまではなく)まきなみに乗れてラッキーです!」

と!マーク付きで書かれています。
どうして「まきなみ」がラッキーなんだろう、という疑問は最後まで残りましたが、
今にして思うと、乗艦者の数の違いだったかもしれません。

「かしま」甲板にはもう一番乗りした乗客の姿が見えます。

受付済ませた後、わたしたちはグループにまとめられ、一緒に乗艦することになりました。
「まきなみ」組は「かしま」後方にある別のラッタルから乗艦するようです。

わたしたち一団を案内してくれた方は制服は着ていませんでしたが、
どうやら防衛省の職員が駆り出されていたようです。

「かしま」後部から左舷を回っていよいよ「まきなみ」に乗艦です。

案内されたのは格納庫。
ここでわたしたちは一行をこの日一日エスコートしてくれる自衛官とご対面しました。

「今日1日よろしくお願いします。
わたしは艦艇出身で、大抵のご質問には答えられると思いますので、
何か質問があったら遠慮なく聞いてください」

という挨拶を聞いた時、わたしは、どうやら今日の体験航海では
自分勝手にいろんなところに行くことはできないらしい
と知りました。

いや・・・いいんですけどね。いつも自分勝手に動いてるので、たまには。

搭載ヘリの周りにはまるで結界を張るように舫が敷かれています。

「このヘリのプロペラの先の形、おもしろーい」

TOがいうので、この形でSH-60はKかJかを見分けるのだと説明したところ、
ものすごい勢いで博識ぶりに?感心されました。

そういえばわたしがそれを教えてもらったのもこのブログのコメント欄だったなあ・・。

形は違いますがどれにも「ガスタービン」の表示。

ガスタービンとは、燃料を燃やして動力を得るエンジンの一種です。 
取り入れた空気を圧縮し『燃焼器』の燃料に噴射して燃焼させると、

高温高圧で「ガス」になった気体が『タービン』を回転させ、推進力を得るので、
「ガスタービン」です。

ガスタービンは『圧縮機』で圧縮するために大量の空気を吸い込む必要があるので、
外側に先端が繋がっているのだと思ったのですが、果たしてこれは
「まきなみ」艦内のエンジンのためのものなのかどうか・・・・?

左舷側から煙突、艦橋など上部構造物を見上げたところ。

実は、この時わたしは格納庫で待たされているのにすっかり飽きてしまい、
勝手にグループを離脱して独自に艦内見学を始めてしまったのでした。

前甲板にはすでにたくさんの人が到着し始めています。

「まきなみ」からすぐ下の海面には、クラゲが大量に発生していました。
これは日本近海でどこにでも見られるミズクラゲですね。

四つの輪に見えるのは胃腔と生殖腺なんだそうで、この輪のせいで
「ヨツメクラゲ」という名称も持っているそうです。

端っこをお魚にかじられてしまったらしいクラゲもいました。

さて、勝手に艦内ツァーを決行中のわたしとTO。
出航作業を艦橋で見たいので、外階段から上がっていきます。
体験航海などの時、自衛艦は狭いラッタルを一方通行にすることがあり、
「まきなみ」でも艦橋には外付け階段から上り、退出は艦内の階段、
と決められていました。

外付け階段にはチャフ・ロケットシステムを見ながら上っていきます。

アルミニウム箔やワイヤー等の入ったコンテナを空中に射出して、
飛来するミサイルの誘導装置や、相手方のレーダーを欺くための装置です。

艦橋横ウイングに到達しました。
当たり前ですが停泊しているので速度は0ノットを指しています。

ウィングから甲板を見下ろす。

艦橋には本日参加のお子様たちがたくさんいましたが、どうもそのほとんどが
「まきなみ」乗員のご子息たちではないかと思われました。

ちなみに今モニターの前に座っているのが後ろに立っている自衛官の御令息で、
とーちゃんに「お前早くそこ次の人に代われ」などと言われ、
頭を叩かれたりしておりましたが(笑)息子はそれにもめげず色々と質問し、
とーちゃんもまんざらでもない様子でそれに丁寧に答えてあげていました。

そうか、この日は「昼間のパパはちょっと違う」を見せる絶好の機会でもあるのね。

艦橋にいた実習幹部のお嬢さん方。

操舵室後方には、今日の予定が丁寧な字で書き込まれています。

0940の「晴海出発」の後にあるMKNは「まきなみ」KSAは「かしま」でしょう。

1010 航空機ローターラン 

1245武器操法展示

1115手旗・ラッパ演奏(格納庫)

など、今日の体験搭乗者に見せるための展示予定も。

燃料等の「ネザミザコクザセリザチョリザヒリザ」
この表記にはいつ見てもウケます。

「在庫量」として「燃料」「水」とかじゃいかんのか。

先ほどの息子くんに、とーちゃん自衛官はずっと船のことを説明してあげていました。
実にほほえまC。


さて、このまま出航作業に入るのを待つか、とわたしたちが艦橋隅に落ち着くと、
その時TOの携帯に下にいる同行者から電話がかかってきました。

「みんなと一緒にいてほしいそうです」

とほほ、やっぱり単独行動は禁止されていたのか・・・。
出航作業を艦橋で見るのを諦め、格納庫に戻ることにしました。

甲板からは人がいなくなり、こちらでも出航作業が始まりました。

こちらはその時折しも海面に着水していた水上艇。

舫作業を行う時、必ず甲板のハッチが開けられます。

作業を行う海曹海士がスタンバイ。
右から二番めの人が持っている棒は何かしら。

舫の作業メンバー打ち合わせ中。

格納庫に行くために甲板まで降りてきました。

舫作業に合図を送る赤旗白旗の人もスタンバイ。

そして格納庫まで戻ってきました。

こちらでも出航作業の準備が始まろうとしています。

TOの職場の女性たちは、自衛艦に乗るのが初めての人たちばかりだったのですが、
彼女らが事前に、「もし海に落ちたらどうなるんだろう」と心配していたので、
わたしは艦尾にいる黒ウェットスーツのダイバーを指差し、

「その時には、あそこにいるイケメンが飛び込んで助けてくれますよ」

女子にこれをいうと、必ずと言っていいほど

「そんなことになったら恋が芽生えるかもですね!」(ワクワク)

という返事が返ってくるのももはやお約束のようなものです。

 

さて、いよいよ平成三十年度練習艦隊体験航海、横須賀に向けて出航です。

 

続く。