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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

天之沼矛の風景-1

2025-02-23 21:10:00 | 古神道の手振りneo

◎天と地の間の動くありがたい筒

(2015-03-28)

 

天之沼矛は、まず古事記の劈頭に出現する。

 

『そこで、天津神一同は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神に、この漂える国土を修理固成せよと命じて、天之沼矛を授け、お任せになった。

 

かの二柱の神は天の浮橋の上にお立ちになり、天之沼矛を差しおろしかき回し、塩こをろこをろに画き鳴らし、引き上げた時に矛の先から垂れ落ちた塩が積り積もって島となった。これをオノゴロ島という。』

 

オノゴロ島は日本のことだ、地球のことだと云うが、現象世界全体のことを指すと見なければ、この場面に引き続きその二柱神が陰陽の様々な組み合わせで、この世のものあの世のものを産出していくことと平仄が合わない。

 

従って天之沼矛は、玉飾りを施したおしゃれなスティックであるなどというデザインのことは、実はどうでもよいことであって、天之沼矛の機能が高度に錬金術的なシンボルであることの方が肝心であると思う。

 

精神分析学者ユングが、窓の外の太陽を見ながら首を左右に振っている統合失調の患者に、「何をしているのですか」と問うた。するとその患者は「あの太陽から黒いペニスがぶら下がっている。オレが首を振ると、それに合わせてあのペニスが動いて、世界に風が吹くことに気がついたんだ」と答えた。

 

後日ユングは、古代ミトラ教文献で、それと同じような記述「太陽からは『ありがたい筒』が地面へと向かってぶら下がっている。その筒が西に傾くと東風が吹き、東に傾くと西風が吹く」という件りに遭遇して、黒いペニスのことが単なる患者の個人的無意識の表出でないことを発見する。

 

天と地の間の動くありがたい筒とは、天地間をかき回す天之沼矛のビジョンに近い。

天之沼矛とは、このレベルで錬金術的なのだ。

出口王仁三郎は、天之沼矛の現象創造・コントロール機能を更に詳述してみせる。

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私は、ただこれになり切ろうとするのみ

2025-02-23 06:29:05 | ダンテス・ダイジの風光

◎どうしようもない・・・(老子狂言)

 

どうしようもない・・・

 

どうしようもない今は、

どうしようもない。

 

これも過ぎ去る。

すべては過ぎ去っていく。

これではない・これではない・これではない!

 

どうでもいい 

なんでもいい 

シッチャカメッチャカ!

私は、ただこれになり切ろうとするのみ。

 

念ずれば、私もすべてもなくなってしまう。

オーム・オーム・・・オーム!!

 

私が対象を見ようとすることが不安であり、

私が対象を聞かせてもらうのが愛である。

 

禅定にはいれない今は、

入れない今だ・・・・・・』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【私は、ただこれになり切ろうとするのみ】だが、これになりきれないので、

【どうしようもない今は、

どうしようもない。

 

これも過ぎ去る。

すべては過ぎ去っていく。

これではない・これではない・これではない!

 

どうでもいい 

なんでもいい 

シッチャカメッチャカ!】

冥想も人生もうまくいかないことはある。

 

【念ずれば、私もすべてもなくなってしまう。

オーム・オーム・・・オーム!!】

一遍の「となふれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏なむあみだ仏」が枕。

マンドゥーキヤ・ウパニシャッドでは、

『オームは現在、過去、未来のすべてである。三世を超えるものすらすべてオームである』(現代人のためのヨーガ・スートラ/グレゴール・メーレ/産調出版P57から引用)。

これに対し、OSHOバグワンのヴィギャンバイラブ・タントラでは、

『-39-

ある音をゆっくり唱える「オーム」と。

音が遍音(あまねくひろがる)状態になるとき、あなたもそうなる。』

(沈黙の音/OSHOバグワン/市民出版社P94から引用)

 

【私が対象を見ようとすることが不安であり、

私が対象を聞かせてもらうのが愛である。】

私があることが不安で、私が見ようとすることが不安だが、私が一歩譲り、対象を聞かせてもらうのが愛、とはなかなか気づかない。

 

【禅定にはいれない今は、

入れない今だ・・・・・・】

がすべてを決める。

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さっぱりわからないそのこと

2025-02-23 06:10:59 | ダンテス・ダイジの風光

◎マハー・マーヤー(老子狂言)

 

マハー・マーヤー

 

すべてがイマジネーションだ。

(これもイマジネーションあるいはイリュージョンである。)

 

マハー・マーヤー!

欲念相続である。根本無明である。

さっぱりわからないそのことである。

性であり死である。

このあらゆる多様多元の世界である。

不安そのもの恐怖そのもの!

謎そのもの!

神秘!!

 

久遠に未知なる未知。

疑団?

 

(これ以上は思考不能。)

?!』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

マハー・マーヤーは迷い、根本無明の総称であって、悟り・ニルヴァーナに対置する。

 

【すべてがイマジネーションだ。】

マハー・マーヤーという混乱の極みの原因は、“あなた”の欲望から来るところのイマジネーションだ。

 

ここは、マハー・マーヤーに向きあったが、

地獄の地獄の地獄の闇。

極楽の極まりないカオス!≫であって、なんと天国もマハー・マーヤーの一部なので、

【さっぱりわからないそのことである。】。

 

【性であり死である。】

性も死もホロスコープの第八室。性は、生のエネルギーが下方に向かえば性に向かうが、人間の進化という点では何も生まない。生のエネルギーが上方に向かえば、自分の死(自我)すなわち禅でいう大死一番に向かう。性も死も“生のエネルギー”のミステリアスな方向性。

 

【このあらゆる多様多元の世界である。

不安そのもの恐怖そのもの!

謎そのもの!

神秘!!

 

久遠に未知なる未知。

疑団?

 

(これ以上は思考不能。)

?!】

マハー・マーヤーに向き合った不条理、理不尽、困惑、当惑、だが、この実感を描いてくれている人は稀である。天国と地獄の先。

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すべてがすべてである

2025-02-23 05:48:45 | ダンテス・ダイジの風光

◎地獄の天国のあくび(老子狂言)

 

地獄の天国のあくび

 

そうなっていくそのままでいいのだ、

とも言えまい。

こうなっていく、このままでいいのだ、

ということもわかりはしない。

何もわかっていないのだ!

だが、何もわかっていないとも言えまい。

 

地獄の地獄の地獄の闇。

極楽の極まりないカオス!

———それでも、どんな答えも出やしない。

 

このモノグルオシサよ!

この静寂よ!

もはや静寂とも言えまい。

 

何もかもが至福である。

すべてがすべてである。

そして、あなたは死んでいる・・・』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【こうなっていく、このままでいいのだ、

ということもわかりはしない。

何もわかっていないのだ!

だが、何もわかっていないとも言えまい。】

”これ”を見守るだけしかできず、絶対に答えを得ることのできぬ神秘、絶対の未知の只中にいた、というような一節がこの部分該当する(ニルヴァーナのプロセスとテクニックP70-71)ように思う。

 

それをさらに表現すれば、

【地獄の地獄の地獄の闇。

極楽の極まりないカオス!

———それでも、どんな答えも出やしない。

 

このモノグルオシサよ!

この静寂よ!

もはや静寂とも言えまい。

 

何もかもが至福である。

すべてがすべてである。】

 

そしてこれは、個なる自分が死んでわかる。

【すべてがすべてである。】から、

【そして、あなたは死んでいる・・・】

ただし、肉体の死で、仏になると言い慣わすが、肉体の死に際し、このようにニルヴァーナに気づく人は、ほとんどいない。

※ここは自殺のことではありません。

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OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-5

2025-02-23 03:05:05 | 覚醒のアーキテクチャー

◎ジャンプは気づきを通して起きる

 

OSHOバグワンのMeditation: The Art of Ecstasy

から第六章クンダリーニ-生命の目覚めの仮訳の続き。

 

ポイントは以下。

  1. 断食と踊りなど、瞑想のすべての技法は、あなたがジャンプできる瀬戸際まであなたを押し出すためのもの。
  2. ジャンプ自体は、非常にシンプルで、非常に非方法的な方法(気づき)を通してのみ行うことができる。
  3. 断食などがあなたを死の淵へと導いたまさにその瞬間に、気づいていることができれば、死はない。気づきが方法である。
  4. 気づきが方法であるがゆえに、禅の人々は方法はないと言う。
  5. 気づきは方法ではないからこそ、クリシュナムルティは方法はないと言う。
  6. 一般に人は、突然の緊急時にしか気づいていられないので、気づきには練習が必要。
  7. 心の緊急事態を作り出すために瞑想があるが、クンダリーニではなく、瞑想に関心を向ける方がジャンプには近い。

 

『(仮訳)

では、瞑想に飛び込むための技法とは何でしょうか?私は二つ、断食と踊りについて話しました。瞑想のすべての技法は、あなたが飛び越えることができる瀬戸際まであなたを押し出すためのものです。しかし、ジャンプ自体は、非常にシンプルで、非常に非方法的な方法を通してのみ行うことができます。

 

もしあなたが、断食があなたを死の淵へと導いたまさにその瞬間に、もしあなたが死が始まろうとしている瞬間に、気づいていることができれば、死はありません。そして、今回死がないだけでなく、永遠に死はありません。

 

あなたは飛び越えたのです!ある瞬間が非常に強烈で、あなたは一瞬のうちにそれが自分の手に負えなくなることを知った時、一秒でも失えば二度と戻って来られないと知った時、気づいていなさい――そして飛び越えなさい。気づきが方法なのです。そして、気づきが方法であるがゆえに、禅の人々は方法はないと言います。気づきはまったく方法ではありません。だからこそ、クリシュナムルティは方法はないと言い続けるのです。もちろん、気づきは実際にはまったく方法ではありません。しかし、私はそれでもそれを方法と呼びます。なぜなら、もしあなたが気づいていられなければ、ジャンプが可能なまさにその瞬間に、あなたは道に迷ってしまうからです。

 

だから、もし誰かが「気づきだけがすべてだ」と言ったとしても、それは一万人に一人には真実かもしれません。しかし、その一人は、狂気か死かのどちらかが起こりうる地点まで来た人でしょう。彼はどうにせよ、その地点まで来たのです。

 

そして、他の人々、大多数の人々にとっては、ただ気づきについて話すだけでは不十分です。まず、彼らは訓練されなければなりません。普通の状況で気づいているだけでは不十分です。そして、あなたは普通の状況では気づいていられないでしょう。心の愚かさには非常に長い歴史があります――その無気力さ、怠惰さ、無意識さは、あまりにも長く続いているので、クリシュナムルティや私や他の誰かの話を聞いただけで、あなたが気づくことを期待することは決してできません。そして、あなたがこれまで何度も無意識のうちに行ってきた同じことに気づくことは難しいでしょう。

 

(P50)

 

あなたは、自分が動いていることにまったく気づかずにオフィスに着いたことがあります。あなたは向きを変え、歩き、ドアを開けました。あなたはそれを一生の間ずっとやってきました。今ではそれは不随意的なメカニズムとなり、あなたの意識から完全に切り離されています。

そこでクリシュナムルティは、「歩いているときに気づきなさい」と言います。しかし、あなたはこれまで一度も気づかずに歩いてきたのです。その習慣はあまりにも深く身についてしまい、骨や血の一部となっています。今ではそれは非常に難しいことです。

 

あなたは緊急時、突然の緊急時にしか気づいていられません。誰かがあなたの胸に銃を突きつけたとき、あなたは気づくことができます。なぜなら、それはあなたがこれまで練習したことのない状況だからです。しかし、もしあなたがその状況に慣れていれば、まったく気づくことはないでしょう。

断食は、これまであなたが経験したことのないような緊急事態を作り出すためのものです。ですから、断食を実践してきた人は、それによって助けられないかもしれません。彼はより長い期間の断食が必要でしょう。あるいは、あなたが一度も踊ったことがなければ、踊りを通して簡単に助けられるでしょう。しかし、もしあなたが熟練したダンサーなら、スーフィーの旋回舞踊は役に立ちません。それはまったく役に立ちません。なぜなら、あなたはとても完璧で、とても効率的だからです。そして、効率的であるということは、そのことが今、心の不随意的な部分によって行われていることを意味します。効率性とは常にそういう意味なのです。

 

だからこそ、112もの瞑想法が開発されてきたのです。ある方法はあなたには合わないかもしれません。別の方法なら合うかもしれません。そして、最も役立つのは、あなたにとってまったく未知の方法です。もしあなたが特定のメソッドをまったく訓練したことがなければ、緊急事態はすぐに生まれます。そして、その緊急事態の中で、気づいていなさい!

 

だから、クンダリーニではなく瞑想に関心を向けなさい。』

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