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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

解脱への修行は苦あれば楽あり

2025-02-21 06:57:21 | ダンテス・ダイジの風光

◎欲念相続(老子狂言)

 

『欲念相続

 

悟りへの修行———

これもまた他のあらゆる人間営為と同様に

欲望の一形式であり、

したがって、

欲望のあるところに苦しみがあるのは、

当然である。

 

解脱への修行は

他の一切の人間の欲念の戦いと変わるところなく、苦あれば楽ありである。

 

ああ、それにしても、

余りの戯れよ!

夢よ!』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

※欲念相続:人が生きている間に抱く様々な欲望や執着(欲念)が、死後も消滅するのではなく、来世に引き継がれること。

 

一切の人間の欲念の戦いも苦あれば楽あり、解脱への修行も苦あれば楽あり。解脱への修行の結果、すべての現象は夢幻であることを通過し(空)、悪カルマはその後発生しないようになり、中心太陽に突入した結果、限りなき高みを天かける孤独の鳥であるならば、

【ああ、それにしても、

余りの戯れよ!

夢よ!】。

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そうなる以外にないかのように

2025-02-21 06:25:23 | ダンテス・ダイジの風光

◎かのように・・・(老子狂言)

 

かのように・・・

 

あらゆるものは

そうなる以外にないかのように

生々化々する。

 

そうなってゆく

そのままで

完全にいいのだ。

 

不安や恐怖や苦痛でさえ

神の中なる神の戯れ。

 

それではよくない!

と言ったところで、

ストーブの上のヤカンのお湯は

うなっている。』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【あらゆるものは

そうなる以外にないかのように

生々化々する。】

人為は効かない。天意神意で生々化々するから、

【そうなってゆく

そのままで

完全にいいのだ。】。

 

私は、苦しいのより楽しいのが好きな性分ときている≫が、

【不安や恐怖や苦痛でさえ

神の中なる神の戯れ。】

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絶対即絶対に至れば

2025-02-21 06:25:23 | ダンテス・ダイジの風光

◎格言4-4すべてが(老子狂言)

 

『4○

すべてが

こうである以上にこうである

そのすべてがすべてでいいんだ

いいや、いいんだ以上のいいんだ。

 

聖人タイプは、

すべてのすべてのすべての絶対を欲望する

相対と対立する絶対ではなく、

絶対即絶対に至れば、 

もともと何ということもない。

 

人様にメイワクかけ、世界にメイワクかけ、自分にメイワクをかけ続ける、

いわゆる俗人様つまり恐れ多くも御ブタ様々タイプは、

喜んでいるのか悲しんでいるのか・・・

楽しんでいるのか苦しんでいるのか・・・

ガンにかかってシチテンバットウしている人が、ミジメなのだろうか???

モグラの近視眼で、国をウレエ、世界をウレエ、だが自己をウレウルことだけは、さけて、立派な偉大な事業に励んでおられる。

私は心の底から頭のさがる思いだ!

 

どういうわけか、

私は、苦しいのより楽しいのが好きな性分ときている。

 

さて、

何もかもが、ありとあらゆるもの、まったくないといったもの、シッチャカメッチャカのすべてのすべてのすべてが、生命なわけだから、

生命ゆえに、

価値も意味も方向もありはしない。

 

それが、どのようなプロセスを経たニルヴァーナ・エクスタシーであろうと、

それであるのなら、

何も言うことはない・・・・・・・・・・・

 

チェッ! オレは言っちまった!』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【人様にメイワクかけ云々】は、珍しく冷笑的な部分。ダンテス・ダイジは、人との応対では、まず冷笑的であることはなかった。そうしないとわからない人もいる。

 

【相対と対立する絶対ではなく、

絶対即絶対に至れば、 

もともと何ということもない。】

この部分は、色即是空空即是色が色是色空是空に転ずること。

魚行って魚に似たり、鳥飛んで鳥の如し(道元)

限りなき高みを天かける孤独の鳥

 

モグラの近視眼で、国をウレエ、世界をウレエ、だが自己をウレウルことだけは、さけて、立派な偉大な事業に励んでおられる。

大半の人がこのとおりだが、冥想は自己をウレウル第一歩。冥想には、効果や目的を求める冥想と、効果や目的を求めない冥想の二種あるが、求めない冥想の方が本丸である。

 

それでも、【私は、苦しいのより楽しいのが好きな性分ときている。】

と言ってみせる。

 

そこで、

【それが、どのようなプロセスを経たニルヴァーナ・エクスタシーであろうと、

それであるのなら、

何も言うことはない・・・・・・・・・・・】

ととどめを刺す。

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クンダリーニの取扱-7(完)

2025-02-21 03:34:01 | 開拓されるべき地平たち

◎あなたは、無意識のうちに自分に最適、最短の冥想法を選ぶ

 

OSHOバグワンの“I Am the Gate Chapter #5 冥想と内なる覚醒への道”の仮訳の続き。

 

ポイントは以下。

  1. 現代は、宗教、文化の混淆した時代なので、私たちにはどのタイプにも属さず、すべてのタイプが使用できる新しい方法が必要。
  2. あなたは、無意識のうちに自分に最適、最短の冥想法を選ぶ。
  3. 逆に、意識的な心によってのみ、あなたはどこにも通じない道や、到達する前に死んでしまうほど長い道を選び始める。

 

それはそうかもしれないが、準備ができていないということはあるし、耐えられないルートは選ばないものではないだろうか。

 

『(仮訳)

そして、来るべき世界、そして今日の世界においても、このような柔軟な方法だけが使われることができます。なぜなら、現在では非常に多くの種類の人々がいるからです。古い世界では、そうではありませんでした。特定の地域には、特定のタイプの人々が存在していました。もしヒンドゥー教徒がいたなら、そこにはヒンドゥー教徒しかいませんでした。イスラム教徒はいませんでした。実際、彼らは互いのことを聞いたことさえありませんでした。彼らは互いの慣習について知らなかったので、混乱することもありませんでした。彼らは単一のタイプでした。もしチベット仏教徒がいたなら、彼らはチベット仏教徒であり、他のことについては何も聞いたことがありませんでした。皆の条件付けは同じで、皆同じ環境で育ちました。ですから、一つの方法が必要であり、それが機能しました。

 

今、それはすべて困難です。心は混乱しています。実際、単一のタイプはありません。誰もが多種多様なタイプです。非常に多くの影響、矛盾する影響があります。すべての宗教は「他の人を学んではいけない。他の教師のところへ行ってはいけない」と言います。それは単なる独断主義ではありません。独断的に見えるかもしれませんが、基本的には自分たちのタイプを守るためでした。これは不必要な混乱につながりました。そうでなければ、どの方法も完全に使われることはなかったでしょう――あれもこれも。これは、人が混乱しないようにするために行われましたが、今ではそれは不可能です。

 

しかし今、誰もが混乱しており、助けはありません。今、単一のタイプであることはありえず、タイプを守ることはできません。ですから、私たちはどのタイプにも属さず、すべてのタイプが使用できる新しい方法が必要です。ですから、この方法は柔軟性があります。私は特にクンダリーニに関心があるわけでも、何か特定のものに関心があるわけでもありませんが、すべてに深く関心を持っています。

 

あなたがこの方法を使うと、この方法が道を見つけ出すでしょう――あなたの中で開拓できる道を。私はこれをその方法に委ねます。その方法が見つけ出すのであり、あなたが見つけ出すよりも正確に見つけ出します。しかし、この発見は無意識的なものです。それはただあなたをある状況に置くだけです。ちょうど家の中に火事があるようなものです。あなたは状況の中にいます。もし走れるなら走りなさい。もし飛び跳ねられるなら飛び跳ねなさい。状況があり、その状況があなたにとって可能なことへとあなたを押し出すでしょう。

そして、無意識の心は常に最小抵抗の道を選びます。それは必然的に、心の数学、内なる経済なのです。あなたは無意識のうちに長い道を選ぶことは決してなく、常に最短の道を選びます。意識的な心によってのみ、あなたはどこにも通じない道や、到達する前に死んでしまうほど長い道を選び始めるのです。しかし、無意識は常に最短の道を選びます。ですから、この方法は状況を作り出し、あなたの無意識は潜在的にそのタイプである道を取るでしょう。』

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OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-3

2025-02-21 03:06:20 | 覚醒のアーキテクチャー

◎クンダリーニは、死よりも深く、誕生よりも深い

 

OSHOバグワンのMeditation: The Art of Ecstasy

から第六章クンダリーニ-生命の目覚めの仮訳の続き。

 

ポイントは以下。

1.チャクラの数は無数にある。

2.クンダリーニは、死よりも深く、誕生よりも深く、血よりも深い。なぜなら、クンダリーニはあなたの第二の体の循環だから。血は生理的な体の循環であり、クンダリーニはエーテル体の循環。それは完全に非自発的であり、ハタヨーギでさえ、それを自発的にどうすることもできない。

3.よって、まずクンダリーニを動かそうとか、チャクラを刺激しようと考えず、まず瞑想すること。

4.深く瞑想に入れば、内なるエネルギーが上方に動き始める。生物学的には、頭よりも足が暖かい方が良いが、霊的には、足が冷たい方がエネルギーが上向きに流れている兆候なので、霊的にはよい。(内なるエネルギーは、悟りに向かっては上方に動き、肉体の健康に向かっては下方に動く。)

5.だから悟りに向かって、エネルギーが上向きに流れ始めると、多くの病気が起こり始めるかもしれない。

6.仏陀は病気で亡くなり、マハーヴィーラは病気で亡くなり、ラマナ・マハルシは癌で亡くなり、ラーマクリシュナは癌で亡くなったが、大悟覚醒によりカルマがクリアになるということは、覚者の肉体が永劫不滅になって死なないということではない。

 

『(仮訳)

もしクンダリーニが動き、ブロックがなければ、あなたは決してチャクラを感じることはないでしょう。だからこそ、ある人は9つのチャクラを感じ、別の人は10個のチャクラを感じ、また別の人は3つか4つ、あるいは1つ、または全く感じないかもしれません。それは場合によります。実際には、無限のチャクラがあり、クンダリーニのすべての動き、すべてのステップのそばに、チャクラが助けるためにいます。もし助けが必要なら、それは与えられることができます。

 

だからこそ私は、理論的な知識は役に立たないと主張するのです。そして、瞑想そのものは、実際にはクンダリーニとは全く関係がありません。もしクンダリーニが現れたら、それは別のことですが、瞑想はそれとは何の関係もありません。瞑想はクンダリーニに言及しなくても説明できます。必要ありません。そして、クンダリーニに言及することで、物事を説明する際にさらに多くの矛盾が生じます。瞑想は直接的に説明できます。あなたはチャクラについて悩む必要はなく、瞑想から始めればよいのです。もし通路が塞がれていれば、あなたはクンダリーニを感じるようになるかもしれませんし、チャクラもそこにあるでしょうが、それは完全に非自発的なことです。それが非自発的であることを覚えておかなければなりません。あなたの意志は全く必要ありません。

 

道が深ければ深いほど、非自発的になります。私は手を動かすことができます。これは自発的な道ですが、血を動かすことはできません。試みることはできます。長年の訓練によって、人は血行を自発的にコントロールできるようになるかもしれません。ハタ・ヨーガはそれをすることができます。それは行われてきました。不可能ではありませんが、無駄です。血の動きをコントロールするためだけに30年間の訓練をするのは、無意味で愚かなことです。なぜなら、そのコントロールによって何も得られないからです。血行は非自発的であり、あなたの意志は必要ありません。あなたは食べ物を摂り、それが体内に入った瞬間から、あなたの意志は必要ありません。身体の機械装置、身体のメカニズムが引き継ぎ、必要なことは何でも行い続けます。あなたの睡眠は自発的ではありません。あなたの誕生は自発的ではありません。あなたの死は自発的ではありません。これらは非自発的なメカニズムなのです。

 

クンダリーニはさらに深く、あなたの死よりも深く、あなたの誕生よりも深く、あなたの血よりも深いです。なぜなら、クンダリーニはあなたの第二の体の循環だからです。血はあなたの生理的な体の循環であり、クンダリーニはあなたのエーテル体の循環です。それは完全に非自発的であり、ハタヨギでさえ、それを自発的にどうすることもできません。

 

人は瞑想に入らなければならず、そうするとエネルギーが動き始めます。あなたがすべきことは瞑想です。あなたが深く瞑想に入ると、内なるエネルギーが上向きに動き始め、あなたは流れの変化を感じるでしょう。それは非常に多くの方法で感じられます。生理学的にさえ、その変化を知ることができます。

 

例えば、通常、生物学的には、足が暖かく、頭が冷たいことが健康の兆候です。生物学的には、それは健康な兆候です。逆のことが起こると、つまり足が冷たくなり、頭が暖かくなると、その人は病気になります。しかし、クンダリーニが上向きに流れるとき、同じことが起こります。足が冷たくなるのです。

 

実際には、足の暖かさは、性エネルギーが下向きに流れているに過ぎません。生命エネルギー、つまりクンダリーニが上向きに流れ始めると、性エネルギーもそれに続きます。それは上向きに流れ始めます。足は冷たくなり、頭は暖かくなります。生物学的には、頭よりも足が暖かい方が良いのですが、霊的には、エネルギーが上向きに流れている兆候なので、足が冷たい方が健康なのです。

 

エネルギーが上向きに流れ始めると、多くの病気が起こり始めるかもしれません。なぜなら、生物学的に、あなたは全有機体を乱してしまったからです。仏陀は非常に病気で亡くなり、マハーヴィーラは非常に病気で亡くなり、ラマナ・マハルシは癌で亡くなり、ラーマクリシュナは癌で亡くなりました。その理由は、生物学的システム全体が乱されたからです。他の多くの理由が挙げられていますが、それらはナンセンスです。

(P49)

 

ジャイナ教徒は多くの物語を作り上げてきました。なぜなら、彼らはマハーヴィーラが病気であったとは考えられなかったからです。私にとって、逆が真実です。彼が完全に健康であったとは、どう考えても想像できません。彼はそうではありえませんでした。なぜなら、これが彼の最後の生となるはずであり、生物学的システム全体が崩壊しなければならなかったからです。何千年にもわたって続いてきたシステムが崩壊しなければならなかったのです。彼は健康ではありえませんでした。最終的には、彼は非常に病気でなければなりませんでした。

そして、彼は実際にそうでした!』

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