アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

肥田春充の丹田強化-5

2023-11-24 05:54:48 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎踵の踏みつけ

◎丹田を錬る-13

(2021-03-11)

 

肥田春充は、実家の姓は川合。彼の『川合式強健術/肥田春充』に踵の踏みつけの詳細の記述がある。

『(イ)自然体で独立

(ロ)全身どの筋肉にも力を入れない。踵と踵の間は、約五寸位離して居る。

(ハ) 規定の如き拳(こぶし)を作り、軽く握る。

 

(ニ)腹に力を入れ、グイと首を上げて眼光を定める。

(ホ)重心が両足の中央に落ちる様に、腰を据える。

(ヘ)右足で軽く地を踏み、続いて左足でも軽く踏み、すかさず右足つま先を、右側方に向けて、踵を強く踏み附ける。

 

(ト)同時に左脚は、膝を曲げないで、左側方に上げる。その上げる程度は、右脚と直角となる位である。そして左足と右足とは直角となる様にする。(右足踵と左足爪先が直角)

(チ)上体は力を入れずに、やや前に屈(かが)める。

(リ)左様すると下腹部だけが、石の様に固く緊張する。

 

(ヌ)右脚の踏みつけと同時に、左脚を上げるから、上から来た上体の重さと、下から行った衝動力とは、腹筋でぶつかり合う。そして一つの力となり、腹筋を緊張させる其の緊張力の強弱は、踏み附けの強弱に比例する。その間(かん)実に秒時である。

(ル)左脚の踏み附け方も、要領は之(これ)に同じ。』

(川合式強健術/肥田春充P155-156から引用)

 

これに続いて、『最後の踏み附けは全生命を打ち込むの気合でやる』と注意書きがある。全体として相撲の四股に似ているが、彼はそれについて、『脚から行って腹をしっかりさせるため』とコメントしている。

若い人ならいざ知らず、中高年が四股を踏むのはバランス的にも筋力的にもおいそれとはいかない場合があり、ある程度の練習期間が必要なのだと思う。大相撲はTVでずっと流されているが、腹なる丹田を脚を動かしながら踵の踏み附けで定め固めていくとは、実際にやらないがために気がつくこともなかった。

だが丹田の強化は、丹田をターゲットにした観想法ではないので、このやり方もよくチャレンジしてみるべきだろうと思う。

※拳(こぶし)の作り方は今後書きます。

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一休-1-先師と求道-1-阿育王寺から

2023-11-24 03:20:46 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-05-27

◎青春期の水平の道-26

 

中国の寧波のそばの杭州湾に臨む古刹が阿育王山阿育王寺。阿育王は、インド古代のアショーカ王のことであり、お決まりの如く仏舎利を収めてある。

平清盛も後白河法皇もここ伝来の仏舎利を保有していたという。

平安、鎌倉、室町の日本人にとって、この寺は、イスラムにおけるメッカ、チベット密教におけるポタラ宮のように最高に崇拝された寺であって、一生のうちに一回は参詣するのが知識階級の夢だった。

東大寺の大仏再建の際の首を鋳造した仏師陳和卿は前世において阿育王寺の寺男だったのだが、その当時の住持が三代将軍実朝であったことを告げ、それを受け実朝は、阿育王寺参りの船を製造させようとする。

実朝は1219年、暗殺されて本懐は遂げられなかったのだが、実朝の歌が残っている。

世も知らず 我も得知らず唐国の

いはくら山にたき木こりしを

それから数年、嘉定16年(1223)秋と宝慶元年(1226)に道元がここを訪れる。

 

さて日本臨済宗のルーツ、虚堂智愚は、74歳にして阿育王山の住持であったのだが、1256年(宝祐三年)讒言にあい、僧籍を剥奪されて一か月獄に入った。

その直後の1259年、大応国師南浦紹明は、虚堂智愚に出会い、嗣法して帰国。その後大徳寺隆盛の端緒となる。

さて虚堂智愚は、入獄して、臨済より伝わる伝法の衣を破れ草鞋のように捨て去った。もっとも臨済自身も自分の法を伝える弟子がないことに怒って死んでいった。

 

伝えるものなどない。

 

なにもかもなし。

 

禅は、肉身のマンツーマンで伝承され、一休は虚堂七世の孫と称している。

虚堂-大応-大燈-徹翁-言外-(謙翁)華叟-一休

 

伝わることは伝わったが・・・・。

 

一休は、21歳で自殺未遂。27歳で大悟。冥想法は、公案禅と只管打坐なのだろうから、水平の道。

以後の人生は、十牛図でいえば、第十入鄽垂手(にってんすいしゅ)であって、悟りを持って、街の人々と友人として暮らすというもの。悟っていない街の人々を異類などと区別することもない。

最後は、念仏者として終わった。

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