◎ヴィパッサナーから道元の不思量底とクリシュナムルティの死まで
パタンジャリが見たとする隙間理論は、想念と想念の隙間。その隙間の時間的長さがあるとすれば、刹那であり千分の一秒とも称する。これに対して人間の呼吸の数は、一分間に12から20であり、冥想で落ち着いた場合には、さらに少ない。つまり呼吸と呼吸の隙間の長さは、千分の一秒どころでなくもっと長いのだろうと思う。
その意味で、呼吸の隙間と想念の隙間をとりあえず同列に扱うことには疑問がある。
だが、異なるものとも思えない。
シヴァが、宇宙への帰一の方法を問われた時に語った呼吸テクニックには四つあって、
『-1-
光り輝く者よ、この体験は二つの息の間に起こる。
息が入った後、息が出る直前-そこに賜物がある。』
(内なる宇宙の発見/OSHO/市民出版社から引用)
これは、ヴィパッサナーの隙間を問題にする冥想法。
『-2-
息が下降から上昇に転じるとき、
そして再び息が上昇から下降に転じるとき、
この両方の転回を通じ、覚れ。』
(上掲書から引用)
これは、呼気、吸気にそれぞれ転回点があるが、それを覚知するという精妙な感受性が必要となる。
『-3-
あるいは、入息と出息が融け合うその瞬間、
そのエネルギーなき中心、
エネルギーに満ちた中心に触れよ。』
(上掲書から引用)
これは、入息と出息を一体のものと見て、入息と出息の融合点を感得せよという方法。
『-4-
あるいは、息がすべて出終わり、ひとりでに止まるとき
あるいは、息がすべて入り終わり、止まるとき
そのような全休止において、人の小さな自己は消え去る。
これが難しいのは不純な者のみ。』
(上掲書から引用)
これについてはOSHOバグワンは、禅だと言っている。呼吸停止で身心脱落が起きる。これが道元の言う不思量底であり、『死ぬことは、まったく空っぽな心、毎日の願望や楽しみや苦悩のない心をもつことである。』《クリシュナムーティ/自己変革の方法/P161-162から引用》でもある。
要するに呼吸を用いる瞑想法であっても、どれもが隙間を用いるわけではないということ。