◎むしろ享楽をむさぼり尽くす
今の中国は、いわば赤い帝王と赤い貴族。今は宗教禁止だが、過去中国の帝王は、究極の悟り(白日昇天、タオ)をあらゆる享楽に別れを告げることで得られると知りつつ、むしろあらゆる享楽をむさぼりつくすために、道教から房中術、外丹、養生術を取り入れた。
結局帝王たちは、死によってすべてを失うなどということは考えないように、周囲の取り巻きに追従、洗脳され一生を終えたのだ。
そうでなければ、享楽は二の次でまず道教の静坐に打ち込んでいたはずだからである。
『歴史を通観すると、万寿無疆の帝王は一人もいないし、万代まで永続した王朝も一つもない。秦の始皇帝の海上求薬、漢の武帝の泰山封禅、唐帝国の老子尊崇、宋朝の黄帝奉祀など、帝王の求仙はすべて水泡に帰し、歴史のお笑い種になった。神仙家からみると、仙を学ぶには修道しなければならず、修道するには恬愉淡白で嗜欲を取り除かなければならないのに、帝王は嗜欲を極め、音楽と女色にふけり、また心を労し思いを尽くし、殺伐を好んでいるのに、どうして成仙することができるであろうか。
帝王についていえば、修道成仙すれば、帝王の楽しみと王朝の支配を放棄しなければならず、その成仙の代価は求仙の目的とともに矛盾する奇妙な輪を構成するが、その奇妙な輪を突破しなければ、神仙になることができないことはいうまでもない。帝王は成仙の代価も受け容れないし、求仙の目的も放棄しようとせず、酔生夢死の好仙遊仙の道を残すだけであ る。その結果、若死にしてしまい、王朝が転覆することは容易に想像することができる。』
(中国遊仙人文化/汪涌豪P111-112から引用)