◎資金運用と黄金への修行
西洋錬金術ものを読むと、錬金術実験の資金を得るために貴族や王に金の無心をするが、大体実験はうまく行かず、詐欺だとそしられるシーンが多数出てくる。
錬金術師の側から言えば、一生の半分を資金調達に費やし、うまく資金ができても大体成功はせず、遅くとも一生の終わりごろには、経典の読み方を誤っていたのか、師匠の教えが悪いのか、実験の回数が足らなかったのかなどと悩むことになる。
一生を黄金変成という冥想修行に使うか、金集めに使うか。
中国の有名錬金術書抱朴子の著者、葛洪は金丹の真経を手に入れたあとで、「わたしは それを手に入れてから、もう二十数年になる。だが少しの財産もなく、実験のしようがなく、長嘆息するだけである。櫃にあふれるほど黄金を積み、山のように銭を貯めた人は、逆にこのような不死の法があることを知らない。たとえ聞かせてやっても、万に一つも信じる可能性はない。どうしようもない」と慨嘆している(「抱朴子」「金丹」)
金が必要だからといって、資金運用、財産形成をメインに活動していけば、大金ができた頃には、人間にとってもっとも大切なもの、真の幸福が、金ではない方面にあることなど思いも及ばなくなっている。
唐代以前の王侯貴族は、資金面にも生活面にも不安はなかったから、最速の修行期間で大悟覚醒できる方法として外丹、金丹の服食の方法を選ぶ人が多かった。ところが、ほとんど失敗におわり、重金属中毒で死んだ人が多かった。
冥想修行の分類としては、外丹あるいは金丹の服食は、近道には見えない。それがソーマだとすれば、ソーマの効能が切れた元の黙阿弥をどう克服するのかという謎もあるし、そもそも服用以前にすべてを捨てる準備ができていなければならない。
すなわち当時の道士たちからは、金丹の服食が一気に登仙することができ、成仙の簡便かつ適当な近道だと推奨されていたが、そんな道士は本物ではなかった。そういうエピソードは、唐代だけでなく、秦の始皇帝にもいくつもあった。
中国歴史ドラマは、戦争と謀略・陰謀と愛欲がメインだが、まず金丹の服食の話題は出ないが、王侯貴族の主たる関心事は、実は金丹だったのだ。
ブランドに価値があると思っている現代人ですらその価値の本質は価格ではなく、精神的なものであることを知っている。だからこそ現代人は日々、冥想修行が第一なのだ。