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女子カーリング

2014年02月12日 | 健康・病気

 

【ソチ五輪】カーママ、地元ロシアも下しランク上位国を連破/カーリング(サンケイスポーツ) - goo ニュース


今日、日本・ロシア戦を午後7時過ぎから観ていた。
ルールを分かっていなかたが、解説の話を聞いていて少しづつ理解してきた。
分かってくると面白い。
選手の顔が魅力的に見えてきた。
結果は、日本8―4ロシア、
日本が勝った。

 


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スノボ平野が銀メダル

2014年02月12日 | 健康・病気

 

15歳平野「銀」、平岡「銅」…スノボ男子HP(読売新聞) - goo ニュース

快挙です。
おめでとう!!

オリンピックのメダルの数は?、とか、
オリンピックはメダルじゃない、とか、
そんなことは知ったことじゃねぇ、という感じですね。
15歳の平野くんはエライ。
平野くん、平岡くん、ありがとう。


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沙羅4位

2014年02月12日 | 健康・病気

 沙羅4位 タイミング修正しきれず(日刊スポーツ) - goo ニュース

私は、高梨沙羅の金メダルを取るところを観たくて深夜まで起きていた。
やはりオリンピックというものは難しいのですね。
今は、沙羅さんに「お疲れ様」といいたいです。
まだ若いんですから、次のオリンピックで目標を達成して下さい。


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私が住んできた家 2

2014年02月11日 | 健康・病気

高島平団地で暮らしていたときに一度だけ、飛び降り自殺の現場に遭遇したことがあった。
息子たちを双子用ベビーカーに乗せ、女房と散歩しているときに人が沢山集まっている所があった。
そこにいた人々の話を聞いていると、飛び降り自殺だといっていた。
私と女房は急いでその場から去った。

高島平団地には2年ぐらいしか住んでいなかった。
公団住宅は、4人家族になると2DKに住宅変更が出来た。
それで1DKの高島平団地から鶴瀬団地(埼玉県富士見市)の2DKに引っ越した。
このことは、双子で生まれてきてくれた息子たちに感謝した。
富士見市には、市民吹奏楽団があって、私は入団してトロンボーンを吹いた。
水曜日に、コミュニティセンターのホールで練習していた。
指導者は、東京シティ・フィルのチューバ奏者で、素晴らしい指導をしてくれた。
その人は、ジャズのフルバンドにも参加していて、私たちは渋谷でのジャズコンサートに行ったりした。

息子たちが幼稚園のときに新所沢のテラスハウスに引っ越した。
テラスハウスというのは、2階建ての長屋で小さな庭があった。
その庭に私は小さな花壇を作って、チューリップやバラや水仙などを植えた。
そこに住んでいたのは、息子たちが幼稚園から中学3年までだった。

息子たちが中学生になった頃、新所沢団地の建て替えの話が起きた。
建て替えになると家賃が高くなり住めなくなってしまうかな、などと不安になった。
家を買おうか、などと女房と話し、実際に不動産屋に行き、中古住宅を見に行ったりした。
しかし、その頃の私たちには家を買う資金がなく、家を持つことを諦めた。
建て替えは駅前の住宅から始まった。
テラスハウスを壊して、高層の建物になった。
駅前の建て替えが完成して、そこに住んでいた人たちが最初に入居した。
そして、残っている家に、団地の人たちが入居出来る案内が来た。
傾斜家賃なので、最初の頃は家賃が安かったから私たちにも住めた。
建て替えられた建物の家に、入居するための順番を決めるくじ引きがあった。
団地の集会場であったくじ引きで、私は1等を引いた。
そんなことは私の人生にとってその前もその後もない。
私は、住宅を一番最初に選べる権利が出来た。
それで、7号棟の5階(最上階)の3LDKを選んだ。
新築の家は気持ちよかった。
中学生の息子たちに、それぞれの部屋を与えられたことは良かった。
それまでは、ひと部屋で2段ベットに寝ていた。
                                                     つづく


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自分の家にいます

2014年02月10日 | 健康・病気

今日は仕事が休みでした。
明日が仕事で、明後日が休みです。
それで考えた。
埼玉の私の家に行こう、と。
でも、夜の高速道路には乗りたくなかったのでやめた。
それじゃ今日の朝に行こうか、でも、それで明日帰って来るんじゃ疲れるな、と思った。

やはり、埼玉の家に行くことはやめよう、と諦めた。
今日、軽井沢の家で朝からうじうじしていた。
久しぶりに、トンボの湯にでも行こうか、と考えた。
なのに、iPadをいじっていたら12時になってしまった。
「笑っていいとも」を観る。
タモリは、3月で辞めるという気持ちがあるのか、のびのびしていた。
こういうタモリは好きだ。

「笑っていいとも」を観ていて、やっぱり埼玉の家に行こうと決意した。
いろいろあるが、埼玉の家に行きたいというのが正直な気持ちなんだ。
夕方行って、女房が会社から帰って来るころに駅に迎えに行こう、と思った。
でも、今日の夕方行って、明日帰ってくるのは疲れる。
やっぱり埼玉の家に行くことは、諦めよう、と結論づけた。

そうだ、軽井沢の押し入れに置いているアルバムや日記を埼玉の家に持って行こう。
そうすれば、軽井沢の家が広くなる。
そう考えたら、気持ちが変わった。
(やっぱり私は、なんとか埼玉の家に行く理由を考えていたような気がする)
清瀬の家は狭かったから、私は出来るだけ自分のものは自分の住む軽井沢に置いていた。
その荷物を埼玉に移動すれば軽井沢の空間が広くなる。
それで決まった。

午後4時頃、軽井沢を出た。
6時前に埼玉の家に着いた。
女房にメールをすると、8時には帰るからそれまでお風呂入っていてくれる、と返事が来た。
私は、つまらなかった。
それで駅の向こうのホームセンターにでも行こうと思った。

ホームセンターに来たとメールを送る。
ホームセンターでうろうろしていたら、女房からメールが来た。
外壁のヒビを埋めるものを、部屋の壁を補修するもの、フローリングを磨くワックス、LED電球などを買って。
そんなにたくさん見られないよ、とメールを返した。
「川越駅に着いた」とメールが来た。
私は、急いで買い物をして駅近くのドラックストアに車を停めて駅に行った。

マスクをした女房がゆっくり階段を降りて来た。
車を停めてあるドラッグストアまで女房はゆっくり歩いた。
雪の道で滑ることが怖かったという。

家に帰る途中、スーパーで買い物をした。
家に帰り風呂に入り、食事をする。
自分の家というのはいい、
息子たちが小学生のときに、こんな家を買っていたらよかったな、と思った。
買えなかったけどね・・・。

 


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掌蹠膿疱症の治し方

2014年02月09日 | 健康・病気

それは、患者と病気の症状を診るセンスのいい医師に治療をしてもらう、ということですかね。

このブログの右上のところに「掌蹠膿疱症」と入力して、「このブログ内で」検索すると、
掌蹠膿疱症について書いた九想話が出てくる。
2013年3月13日に「内科検診」という九想話があります。
その最後のほうに、内科医師が私の手を診てからのことが書いてある。

> 「おや、それどうしたんですか?」
> 私の左手を診て医師がいう。
> 「皮膚病なんです。足もひどいんです。もう2年ほど隣の皮膚科に通っています」
> 「掌蹠膿疱症だよね。どんな治療をしてるの?」
> 「塗り薬を塗っているだけです。この病気は原因が分からないと皮膚科の医師はいってます」
> 「足も診せて」
> 私は足を上げ靴下を脱いで、医師の前に差し出した。
> 「ステロイドを塗っているんですね?私の範囲ではないんだけど、ビオチンを出しますので飲んでみて」
> それで診察は終わった。
> 今日の内科検診は、皮膚病を診てもらったような感じです。
> でも、もしこれからビオチンを飲んで掌蹠膿疱症が治ったら、めっけもんですね。
 
この翌日からビオチンを飲んで、あと内科医師が処方してくれた塗り薬を塗って、掌蹠膿疱症は治った。
私は、荒れた手のことを2011年6月3日に「診療逃避」という九想話で書いていた。
それからいくつか、醜い私の手と足の写真を載せて(モウシワケアリマセン)九想話を書いた。
皮膚科と内科の病院は道路を挟んで隣同士なんです。
あの皮膚科の医師が私のことを、
「最近来ないな、おれの治療で治ったのかな」なんて思ってたりしていたら笑っちゃいますね。
もし佐久のどこかでバッタリ会ったら、
「隣のK内科クリニックで治してもらいました」と報告してみたいです。


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所沢の仲間との同窓会

2014年02月08日 | 健康・病気

  
所沢駅前

2月4日は私の引越の日だったが、その夜、むかしの所沢の仲間と飲むことになっていた。
1週間前、私が東京に来ているときに友人からショートメールが来ていた。
「この電話は九想さんの電話でいいですか?
電話をすると、「今、Hさんが中国から帰ってきている。久しぶりに会いたいです」という。
私は、賛成した。
みんな住んでいるところが所沢ではなくなったので、会わなくなった。
その日、中国四川省、さいたま市、軽井沢、狭山、所沢に暮らす人間が集まった。
仕事環境などもいろいろ変更がありまして、ここんところ5年ほど集まっていない。

私が40歳でパソコン通信を始めたときに、ニフティサーブに入っていた。
ある日、ある人のメールが届いた。
所沢近辺で仲間を作りたいと、500通ほどのメールを送った人がいた。
そのひとつが私にも届いた。
そのメールには、オフ会の日・時間・場所が書いてあった。
最初は30人ほどレストランに集まっただろうか。
そのオフ会が、3ヶ月に1回ぐらいにあった。
しかし、そのオフ会に参加する人がだんだん少なくなってきた。
そして残ったのが、私を含んだ7人だった。
4日に集まったのはそのうちの5人だった。
なんだかんだいっても、20年続いているんです。
長いですね。

この仲間は、まずパソコンが大好きなんです。
ほとんどがマッキントッシュです。
ウインドウズは私ともう1人ぐらいだ。
5年ほど集まってないのに、会話は盛り上がった。
お互いの暮らしのことを報告し、パソコン、タブレット、スマホのことなどを話す。
楽しい夜はあっという間に過ぎていった。

その夜、Sさんが「ipadあまっているのがありますが九想さんいりますか?」という。
私は急いで住所を教えた。
それが昨日、届いた。
今、そのipadで遊んでます。


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パソコンを修理に出す

2014年02月07日 | 健康・病気

女房が使っていたNECのノートパソコンを修理に出すことにした。
画面が暗くなり始めたときは、ウインドウズの何かのファイルが壊れたのかと思い再セットアップしてみた。
ところが何も変わらなかった。
いろいろネットで調べてみると、ディスプレイのバックライトかインバーター故障のようだった。
本日、このパソコンを買った***デンキに持って行く前に、念のために保証書を探した。
探しながら、買ったのは3年ほど前だから保証期間は切れているはずだと思っていた。
ところが、このパソコンを買うときに、TWG5年延長保証というものに入っていた。
このために6640円を払っていた。
あ・・・、保証書を探してよかったと思った。
***デンキ佐久平店に持って行く。
そのときに対応してくれた店員の態度がよくなかった。
なんか私がパソコンの修理に出すことが迷惑そうだった。
5年延長保証に入っていることが不愉快そうだった。
パソコンを買ったときの店員はしつこく5年延長保証に入るように勧めたのに・・・。
「5年延長保証に入っていてよかったですね」
などと一言いってくれてもいいじゃないか、と思った。
「この5年延長保証に入っていても、壊れかたによって有償になることもあります」
なんてことをいう。
さも私が、パソコンを落として壊したか、水分をパソコンにかけて壊したようなことをいう。
そんなことは、中を開けてみれば分かることだ。
まるで私がパソコンの扱いに慣れてないような言い方をした。
不愉快だったが、私は黙って息子のような歳の店員のいうことを聞いてパソコンを預けてきた。
さあ、あのパソコンは無事修理されて返ってくるのでしょうか?
もう***デンキでは買うのはよそうとしみじみ思った。
いや、***デンキにも態度の良い店員はいると思う。
でも、あんな接客態度をとられるとあの店が嫌いになる。

コメント (2)
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引越終了(つづき)

2014年02月06日 | 健康・病気

私は、早朝2時に目が覚めてしまった。
それからラジオ深夜便を聴いていた。
6時過ぎに起きて、6時半にはラジオ体操をした。
「朝飯は?」と女房に訊くと、「ない」と素っ気ない。
仕方ないので、30メートルほど離れたコンビニに買いに行く。
冷凍したご飯があったので、レトルトのチキンステーキときんぴらゴボウを買った。
店長がいた。
こんな朝早くにいるということは、バイトが休んだせいだろう、と思った。
じつは、私が軽井沢に行く前の2ヶ月間に、ここで深夜にバイトをしていた。
「Aさん、おはようございます」
「ああ・・・、**さん」
「おれ今日引っ越します。いろいろお世話になりました」
「いえ、なにも・・・」
店長はあのとき30歳ぐらいだったから、今は35・6歳だと思う。
無口なシャイな男だった。
ひょっとするとまだ独身かも知れない。
コンビニの雇われ店長は過酷だろう、女性とつきあう時間などないと思う。
そんなことは話さずにコンビニを出た。

家に帰り、食事してから引越の準備をした。
大部分は女房がやっておいてくれた。
私は、ネットの機器を外してNTTに返すものを梱包したり、テレビのアンテナの接続を外したり、
テレビを解体して箱に詰めたりした。
ガスレンジを捨てなくてはならなかった。
市役所に電話して訊くとすぐ近くに持って行けばよかった。
コンビニで400円のシールを買いそれを貼って持って行った。
引越会社の人が来る約束の時間は午後1時から4時ということだった。
前の引越が延びると遅くなるらしい(午後の料金はその分安いようだ)。
4時頃来たら困るなと思った。
その夜、昔の友人たちと所沢で飲むことになっていた。
女房の電話に引越会社から1時半から2時までにうかがうと電話があった。
それまでゆったりしていた私と女房は、いっきに引越気分になった。
朝から雨は降っていたが、午後になって雪がまじっていた。
かなり本降りになった。

 

引越スタッフは3人で、ひとり若い女性がいたのには驚いた。
3人はキビキビ動いた。
1時40分ぐらいに来て、50分ほどで荷物を全部積んでしまった。
どのように引越先まで行くのか訊くと、高速道路で行くという。
時間が勝負の仕事なのだ。
一般道を通れば1時間半かかるところだが、高速道路で行くと30分で行ける。

私と女房は、貴重品や壊れ物を積んで自分の車で行った。
私たちが先に着いて、荷物をを降ろしているとトラックが来た。
降ろすのは、積むときより早かった。
清瀬はエレベーターのない3階だった。
雪はどんどんやまずに降っていて、あたりは雪景色になっていた。
3人の引越スタッフはよくやってくれた。
トラックが行ってから、私と女房は引越荷物をバラしてそれなりの位置に置いた。
とうとう“自分の家”に暮らすことになるんだな、とあらためて思った。

前日、女房がガスを止めてしまったから風呂に入れなかった。
風呂にお湯を入れ入った。
ステンレスの浴槽で気分よかった。
築29年の中古住宅だが、“おれには十分だ”と思った。
これから女房と2人でこの家を、きれいに住みやすくしていきます。

 

コメント (2)
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引越終了

2014年02月05日 | 健康・病気

昨日、女房の家の引越をした。
これまで購入した家に行った日はほとんどいい天気だった。
なのに、引越の日に雪だった。
午前中はまだ小降りだったのに、午後から本降りになった。
引越会社との約束は午後だった。

いや~だめです。
眠いです。
明日、早朝に軽井沢に帰って、午後から出勤です。
申し訳ありませんが、今日はここまでにして寝ます。

コメント (8)
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