みみさんおめでとう!!

2014年02月25日 | 健康・病気

みみさんのブログが本になるという。
九想話のブックマークにある「気がつけば82歳」の2/23に「このブログが本に!」として書いてあった。
「86歳ブロガーの 毎日がハッピー 毎日が宝物」(幻冬舍)というタイトルになるそうです。
82歳でブログを始めて現在86歳になるからですね。

みみさんを知ったのは、今から21年前です。
私が40歳のとき、
ASAHIネットで「パスカル短篇文学新人賞」というものが始まると新聞に書いてあった。
パソコン通信で小説を募集し、その中から賞を選ぶというものだった。
(その頃、インターネットはなくパソコン通信の華やかなときでした)
それまで私は、小説雑誌の文学新人賞に投稿していた。
それが、パソコン通信でやれると知り、絶対投稿しようと考えた。
そのためにはパソコン通信をやれる環境を持たなければならない。
それで私は、清水の舞台から飛び降りる気持ちでパソコンを買った。
パソコンなんてものはどんなものかまったく知らなかった。
女房を説得して、新所沢のラオックスで20万円ほどするNECのノートパソコンを買った。
さあ、それからが大変だった。
(こんなことを長々と書いていては、みみさんと出会えなくなってしまう)

本の付録にあったパソコン通信の「WTERM」というソフトをパソコンにインストールして、
環境を設定してASAHIネットになんとかつなげた。
パソコン通信につなげるといことは、パソコンに無知な私には大変なことでした。
ASAHIネットにはいろんな会議室があった。
そのひとつに「かしの木亭談話室」というものがあった。
私は、その「かしの木亭談話室」を読んでいて、書き込んでみようかな、と思った。
そう思ってもなかなか書き込めなかった。
その頃、浜松に住むサラティさんという70歳くらいの男性がよく書き込んでいた。
若い頃いろんなことをやってきて、外国にも行っているひとだった。
かなり独善的な書き込みが多かった。
私はそのひとに抵抗するような気持ちがあり、少しづつささいなことを書き込み始めた。
「かしの木亭談話室」のモデレーターをしていたのが、みみさんだった。
私の書き込みに、みみさんが必ず返事を書いてくれた。
ときには、パソコン通信のやり方、ルール、マナーなどを教えてくれた。
みみさんは、私のパソコン通信の先生でした。

「かしの木亭談話室」はよくオフ会をやりました。
たいがい東京でした。
ASAHIネットの所有していた銀座のビルでやったときは、私の女房がフラメンコを踊り、私はケーナを吹いた。
「かしの木亭談話室」に参加者の多い浜松でもやった。
鎌倉・小田原にも行った。
みみさんの家でもやりました。
浜松の何度目かのオフ会で、入院していたサラティさんの病院にみんなで見舞いに行った。
そのとき、サラティさんが私の手を握って「君はいい奴だ」といってくれた。
それがサラティさんとの最後になってしまった。

みみさんの素晴らしい会議室運営のおかげで、「かしの木亭談話室」は楽しい思い出がいっぱいです。
私は、「かしの木亭談話室」に書き込んでいるうちに、あるときから「九想話」として書き込むようにした。
なんの役にも立たない「クソ話」としてです。
これが、現在の「九想話」になりました。
そのうち「かしの木亭談話室」に書き込むひとが少なくなってきた。
ASAHIネットは、パソコン通信会社からインターネットのプロバイダーに力を入れていた。
世の中のひとがみなパソコン通信からインターネットに移行していった。
1・2年「かしの木亭談話室」には九想話だけという日々になってしまった。
そんなときでも、みみさんは九想話への感想を書いてくれた。
ありがたかったです。

みみさん、ブログが本になって、ほんとうにおめでとうございます。

コメント (4)
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