van eijck - pavane lachrimea (Br�・ggen on original Terton)
私が高校を出て、東京の手工ギター工房に弟子入りして3ヶ月でやめたことは前に書いた。
翌年、大学に入るために3月に上京して就職し、4月から予備校に通った。
(予備校は秋には行かなくなってしまった)
アパートは駒込駅から歩いて10分ほど歩いたところにあった。
駒込駅は、山手線の池袋駅から大塚・巣鴨の次の3つ目です。
3畳の部屋で台所とトイレは共同で、1階はたしかプラスティックの看板を作る工場だった。
左の階段を上がって6畳が2部屋あり、隣に3畳の部屋が2つだった3つだったか、よく覚えていない。
6畳の部屋からいつも笛の音が聴こえてきた。
夏などはドアを開けているので、笛を吹いている男の姿が見られた。
見るとはなしにその部屋を見ると、大きなキャンバスがあった。
その男の人は、笛を吹いているか絵を描いていた。
私の部屋は一番奥で、1階にある台所とトイレに行くときに、必ず彼の部屋の前を通る。
いつしか彼と話すようになり、彼の部屋で酒を飲むようになった。
私より1歳年上の彼は、美大の受験に失敗して大学を諦め、山谷で日雇いの労働をして絵を描いていた。
彼の部屋は、大きなキャンバスが何枚もあり、本が何冊も積んであった。
酒の空き瓶も転がっていて、灰皿には煙草の吸い殻が山のようになっていた。
よく友だちが遊びに来た。
美大の学生、漫画家の卵、大会社のOL(なんて今いわないな)、水商売の人、いろんな人がやってきた。
こんなことを書いているとキリがないですね。
この人は I さんといいます。
I さんの吹いていた笛は、プラスティックのアルトリコーダーだった。
それでバッハやヘンデルのフルート曲の楽譜を吹いていた。
そのうち私もリコーダーを吹きたいと思った。
高校まで吹奏楽部でトロンボーンを吹いていて、何か楽器を始めたいな、と考えていた。
私が、ケーナと出会う前です。
リコーダーの指使いに、ジャーマン式とバロック式があることを教えてもらった。
難しい曲をやるにはバロック式がいいと I さんにいわれ、私はそれを楽器屋で買った。
ヤマハのプラスティックのアルトとソプラノのリコーダーでした。
ジャーマン式とバロック式の違いは、ファの音の押さえ方だ。
ジャーマン式は右手の人差し指だけでいいのだが(小学校で吹いたリコーダーです)、
バロック式は、人差し指に薬指と小指も押さえなければならない。
これがちょっと難しかった。
でも慣れるとこのほうが演奏しやすかった。
それから私は毎日リコーダーを吹いていた。
バッグには、リコーダーを入れていて、吹けるところがあると吹いていた。
I さんと二重奏をやった。
そのうちプロボクサーをやめた龍彦もリコーダーを吹き始めるようになった。
ある時期、リコーダーがすべてという生活を送っていた。
そんなときに出会ったのが、フランス・ブリュッヘン(この動画の人)の「涙のパヴァーヌ」です。
そのとき勤めていた本郷三丁目の会社の近くに輸入楽譜専門のアカデミア・ミュージックという店があった。
そこでリコーダーの楽譜は買った。
そしていつの日か、「涙のパヴァーヌ」(ヴァン・エイク作曲)に出会った。
この曲が好きでしたね。
毎日吹いていた。
フランス・ブリュッヘンのコンサートにも行った。
私が吹いた「涙のパヴァーヌ」をこの九想話にリンクさせてしまいます。
これは7年前の演奏です。
20代の頃はもっとうまかった、と思う ?