鳩時計(2)

2012年07月12日 | 健康・病気

私たちは結婚してから何回引っ越しているのだろう?
今、数えてみたら7回だった。
鳩時計も一緒に引っ越してきた。
結婚した頃にあったもので今も残っているのは少ない。
現在、東京の女房の家にある万年青ぐらいかな?
鉢に植えられて女房の家の中で大きく育っている。
この万年青が枯れずに今も元気なのが嬉しい。
独身のときに買った三寸の将棋盤と駒がある。
クラシックギター、ソプラノリコーダーもそうだ。
当然、中学3年から書いてきた日記、息子たちのことを記録した育児日記、
アルバムや8ミリフィルムとビデオがあります。

鳩時計は、息子たちが新宿区の病院で生まれて高島平団地の家に来たときも、
大学を卒業して社会人になり、新所沢の家を出るときも動いていた。
いつも私の家族の時を刻んでいた。
双子の息子たちを、一人前の社会人に育てることに私と女房は必死だった。
私は勤める会社がいつも傾き、ひどいときは消滅して転職を繰り返してきた。
そんな私を、鳩時計の振り子の音が癒してくれた。

鳩時計は、10何年か前に一度壊れたときがあった。
そのときは、新所沢パルコの時計屋さんに修理を依頼した。
まだ、鳩時計のメーカーは存続していたようだった。
しかし、4年前に壊れたときは鳩時計を作った会社がなくなっていた。
それで女房がインターネットで鳩時計を修理してくれるところを探した。

しかし、そこがいいかげんなところだった。
私は今年になってからもそこに電話をし続けた。
電話をすると、
「今度の日曜日にやります」とその人はいう。
しかし、そのあとうんともすんともいってこない。
日曜日に修理をやったのかやらなかったのか、
やって直ったのか直らなかったのかさっぱり分からなかった。
そして、数ヶ月が過ぎた。

もう私は6月になってから毎週電話をした。
メールも書いた。
なのにメールの返事はないし、電話ではのらりくらりだった。
冬の頃の電話では、
「時計は動くようになったのだが、フクロウの目が動かないんですよ。もう少しやってみます」
といったきり、なんにも連絡が来なかった。
この人は、どこかに勤めていて休日に鳩時計を修理しているようだった。
先々週、電話したとき私は、
「もう動かなくてもいいですから、鳩時計を返して下さい」といった。
腹の中では怒鳴りたい気持ちだったが、相手を怒らせて思い出の鳩時計が返ってこなかったら大変だ。
「それじゃ、ギブアップということにしますか」
「それでいいです。思い出の鳩時計を返して下さい」

そのあと先週、鳩時計は返ってこないし、連絡もなかった。
そして8日にメールが来た。

> 今日発送いたしました。
> おそくなってすみません。

鳩時計は、9日の月曜日に職場に届いた。
私は、家が留守のときが多いので送り先を職場に指定していた。
手紙が入っていた。

> 大変お待たせいたしました。少しは動くようになったかと思いますが、
> 修理完成とまでは至れなかったと思います。このまま返送いたします。
> Ⅰご使用の前に
   (略)
> Ⅱご使用方法
   (略)
> 以上のことを試してみてください。
> 修理代金はいただけません。長い間ご心配を掛けてもうしわけありませんでした。

3年半、私は悩まされ続けたが、なんかこの人の誠意を感じた。
すぐに鳩時計を動かしたいが、東京の女房の家まで運ばなければならない。
現在、発送のために何カ所か固定されている。
それを外してしまうとまずいと思うので動かせない。
今度、女房の家に行ったときに動かしてみます。
しかし、やはり3年半は長いよな~。

  送られてきた鳩時計です

コメント (4)
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世界文化遺産に推薦

2012年07月12日 | 健康・病気

富岡製糸場、世界文化遺産に推薦…近代化けん引(読売新聞) - goo ニュース

先月12日に、富岡製糸場に行った。

> 文化審議会の世界文化遺産特別委員会が12日、文部科学省で開かれ、
> 日本の近代化をけん引し、世界の絹産業に貢献したとして、
> 「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)を世界文化遺産に推薦することを了承した。

2014年夏が楽しみです。

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