肴やの夜

2009年04月11日 | 健康・病気
私が6時半頃、肴やに行くと肥さんがいました。
そこにいた友人と3人で飲んでいたら、
翔空さんがいらっしゃった。
見たことある人だなと思いながらも、
自信がないので黙っていたら、
そのうち肥さんが、「翔空さんです」と紹介してくれた。
(あ、やっぱりそうだ)と納得がいきました。
翔空さん、肥さんには、九想庵を立ち上げた2001年に
楽家(今の肴やですが)で、「旅人4000人」のお祝いをしていただいた。

現在、翔空さんはシントコの近くの小学校に勤務していて、
そこを卒業した子たちは、肥さんの中学校に入学するという。
肥さんの中学校は、息子たちが通ったところです。

私は、15年ぶりに持つ現在の職場の名刺を渡し、
今の仕事の内容などを説明した。

金曜日ということもあり客が多く、
じっくりお話できなかったことが残念でした。
でも、お会いできてうれしかった。

私は、午後9時前に肴やを後ろ髪を引かれながら出た。
女房が残業をして9時半に帰るといわれていた。
清瀬の家まで40分ほどかかるのです。
他のなじみの客とも話したかった。
以前だったら時間を気にせずに飲んでいられた。
ちょっとさびしかった。

シントコは、現在の私にとって“ふるさと”ですね。
ほんとのふるさと茨城にはあまり思い入れはなくなってしまいました。

昨日、家に帰ったら頭が痛かった。
悪い酒を飲んだわけでもないのですが…。
九想話を書けずに寝てしまいました。
久しぶりに高速道路に乗り、長距離を運転したので疲れたのかな?

コメント (1)
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