墓参り

2009年01月05日 | 健康・病気
1月2日昼前に、兄、姉2人と私の4人で墓参りに行った。
正月だけど、次に私はいつ実家に帰ってこられるかわからないので、
墓参りをしたかった。

墓は、実家から歩いて30分ほどの山の裾野にある。
そこまではなだらかな畑が広がっている。
お盆のとき墓参りに行くと、その畑にはタバコが植えてあり、
大きな緑の葉が夏の風に揺れていた。兄の話では、
そのあたりが来年あたりに芝桜が植えられて観光地化されるという。
もうタバコの栽培をする人も少なくなったのだろう。
(むかし、私の家もタバコを栽培していた)

お墓のまわりには枯葉が散らばっていた。
それらをきれいに取り除き、線香をあげた。
10年前ほどはどの家も地面にちょっとした墓石が置いてあり、
卒塔婆が刺さっていたような粗末なお墓だったが、
今ではどこも御影石で囲われた立派なお墓になっていた。
うちのも兄が3年前、何十万かのお金をかけてつくっていた。
私の実家のある筑波山の裏側地帯(裏筑波といわれてます)は、
むかしから墓石などの産地だった。
しかし最近は、安い中国産の石が主流になっているらしい。
うちの墓もほとんど中国産の石のようだ。

墓に父母の亡くなった日が書いてあった。
父が、平成3年8月18日 83歳、
母は、平成17年2月14日 92歳。
この歳はかぞえで書いてあるのだから1つ引けばいいのかな。
親父は、生きていれば今年、100歳だったのか。
正直な話、私は父母の死んだ日を正確に覚えていなかった。ナサケナイ

墓から見下ろす畑に芝桜が広がるのかと頭の中に描いてみた。
墓に眠る父母にとってはいい眺めだろうけど、
しかし、同じ種類の植物が沢山植えられると
生態系が崩れると何かで読んだことがある。
でも、考えればこれまではタバコが一面に植えられていたんだな。

兄が、最近の実家のまわりの人の噂を話す。
あまり聞きたくないような話ばかりだ。
姉たちは遅れて歩いてくる。
空には冬の青空が広がっていた。
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ブルーベリー畑

2009年01月05日 | 健康・病気
墓から帰って実家から近くの山に行った。
山と行ってもむかしは私の父母が働いた畑だった。
麦、さつまいも、いろいろな野菜などを耕作していた。
そこは今、ヒバという針葉樹の林になっている。
20何年か前、父母がもう畑仕事はできないとヒバの苗木を植えたそうだ。
小さな木を植える父母が可哀相だったと兄が悲しそうにいっていた。
だったら兄が畑をやればよかったんじゃないか、と突っ込みたかったが、
家に残らなかった私は何もいえない。

その林に近所の人が、椎茸の菌を植えた椎の木を置かせてくれといわれ、
兄は断れなくて許可したという。
貸料などいらないといったら、椎茸をいくらでも採っていいといわれたらしい。
それを見に行ったのです。小さな椎茸が少し生えていました。

そこまで行く畑に、ブルーベリーの木が沢山植えてあった。
その椎茸を栽培している人がその辺の畑を購入して植えているという。
その人は、私が小学生の頃よく遊んだ2歳年下のヒデキちゃんだった。
毎日のように遊んだ記憶がある。
中学生になり自然と遠のいてしまった。
彼は現在農協に勤めていて、趣味でブルーベリー、椎茸を栽培しているという。

ヒバの林から戻るとき、ひとりの中年の男がブルーベリー畑に立っていた。
その人が、40何年かぶりに会うヒデキちゃんだった。
「椎茸はまだ生えていながっぺ。3月ごろだど生えてくんのは」
なんて声をかけてくれた。
それから椎茸、ブルーベリーの話を聞いた。
彼なりに苦労している。
しかし、子どもの頃よく遊んだ友が、しっかりとした考えで
ブルーベリー、椎茸、みかん、梨を栽培している。
それらで稼ごうという気はないらしい。
あくまでも趣味で栽培している。
ブルーベリーなどは小学校の給食センターに寄付してジャムにしてもらったという。
ヒデキちゃんとは、いつかゆっくり酒を飲みたいと思った。
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