真冬のバーベキュー

2009年01月04日 | 健康・病気
1月2日の夜、友人と飲む約束をした。
K とは3年ほど会っていない。
夕方5時頃、K は軽トラックでやってきた。
車の中で私の最近のあらましを話した。
15分ほどで K の会社に着いた。
彼は建設会社の社長をしている。
会社の前に軽トラックを停め、バケツを荷台に載せてまた発車させた。

「どこで飲むんだ?」と訊くと。
「この先だァー」という。
「………」
この先と行ってもその軽トラックの幅しかない道の先には、
真っ暗な山があるだけだった。
5分ほどデコボコの山道を軽トラックは登り停まった。
そこは少し広くなっていて、車から降りると沢水の音がした。
右側のほうにコンクリートのブロックで囲いが作られていて、
大きな金網が載っていた。その脇に薪が沢山積まれていた。
「さあ、真冬のバーベキューやっぺ、うまいどォー」
私はあっけにとられた。私は K と飲む約束をしたときから、
どこかの居酒屋にでも行くのだろうと思っていた。
それがこんなところでバーベキューだ。
私は愉快になった。K らしい。

あいつは昔から独特の考え方で生きていた。
高校を出て、夜間の建築設計の学校を卒業してから、
昼間勤めていた板橋の建築設計会社を辞め、私の部屋に転がり込んできた。
そのうち近くにアパートを借り、
私の友人が働いていたスナックで仕事をするようになった。
1年半ほどそこで働いていたが、大学に行くんだといって、
新聞配達をするようになった。
新聞配達をしながら受験勉強をしていたが挫折して建設会社に就職した。
24歳のとき父親が亡くなり茨城に戻った。
地元の建設会社に就職し勉強して、二級建築士、一級建築士をとった。
そして40歳で会社をつくった。
いきおいのいいときは15、6人の社員を使っていた。
現在は5人になってしまったらしい。

20代の前半、彼と龍彦と私は駒込で別々のアパートにいた。
よく酒を飲んでは夢を語っていた。
そんな思い出話をビールを飲み、牛肉を焼き、食べ、話した。
「あの頃、おめェは、世界的な建築物を設計してェ、といってたよな」
「今でもおれはそう思ってるよ」
「そうか、それはいいことだ。
 おれだって小説なんとかしたいと思っている」
ふるさとの山の麓の沢のとなりで、中年のオヤジふたりが、
若いときに夢見たことを確認しあっている。
寒かった。空にはオリオン座があった。三日月も。

どのぐらいたった頃だったろうか。
K が携帯電話をして人を呼んだ。
しばらくして1組の夫婦が来た。
「まさかホントにこんなどごろにいるとは思わながったっぺよー」
と楽しそうに私たちの中に入ってきた。
そして、K の奥さんも来た。

酒も食べ物もなくなった頃、私は、奥さんの車で送られて実家に帰った。
コメント
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