Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

「自己犠牲」が尊い、というレトリックの効用

2006年05月05日 | 一般

親が子どもの治療に輸血を拒否して結局死なせてしまった、という例はたくさんあります。いつだったか、エホバの証人の機関紙「ものみの塔」には、親の宗教信念を信じ込まされて輸血を拒み、死に至った子どもたちの顔写真が表紙になったことがあります。あの子たちを見習うべき殉教者として顕彰でもしているつもりだったのでしょうか…。

異端的な聖書解釈を護って子どもが死を選択する、というのはとてもエキセントリックな印象を内外に与えます。エホバの証人信者でも、できるだけ我が身には起きてほしくない事態です。でもそんなめぐり合わせに出会ってしまえば、「究極の選択」に迫られます。ものみの塔協会への忠誠を取るか、子どもの命を取るか。たいてい、このような場合、「輸血をしたから必ず助かるというわけではない」というレトリック=修辞法(ことばを巧妙に操作して説得に至らせようとする技術)が使われます。また「輸血をするほうがリスクは大きい」という言いかたもされます。このレトリックのごまかしについては、「まいけるのおうち:http://blog.goo.ne.jp/jw2」をぜひご覧下さいね。「輸血問題」というカテゴリーに3本の記事が出されています。

殉教者を顕彰するっていうこと、わたしは大嫌いです。同じようにしろ、という教唆の目的があるからです。またそれには、エホバの証人の上層部の人たち自身、内心では十分に自信が持てないでいる「血の教え」で子どもたちを死なせてしまったことへの責任問題を回避する効果もあります。実際には、子どもを失った親たちの、それこそ血の出るような悲しみ、重苦しさをも打ち消してしまって、さらにきれいに飾りたてる効果も持ちます。死人を神格化したりするべきじゃない、死んだ人の家族を慰めること、二度とそのような時ならぬ死者を出さないような対策を立てること、そういうことに努力を傾けるべきであって、同じように殉教に習えというようなお手本にしてしまってはならないと、強く、強く確信しています。

今回は、殉教者を顕彰するということの真意を、戦死者の国家的な祭祀を考察した一文章から明らかにしてみようと思います。いつかはやろうと思っていた靖国神社の問題から、ね。

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9月29日までの報告に拠れば、日清役並に台湾戦争に於いて我軍人の戦死せし者851人、傷死233人、病死5385人、合計6469人にして、其後の死者も少なからざることならん。生き残れる人々は夫々名誉を担うて故国に帰り、親戚故旧に迎えられ国民に感謝さるるのみならず、爵位勲章を授けられ金円を賞せられて光栄を極むれども、独り幾千の勇士は此光栄に与る(あずかる)を得ず、爵位勲章以て其功を輝す能ず(あたわず)、金円を賜うて以て其労を慰する能わず、国民の歓迎用うるに所なく、親戚故旧手を握て無事を祝するに由なし。其遺族は多少の扶助料等を得て細き煙を立て得べしと雖も(いえども)、必ず功名手柄して無事に帰れよがしと日夜に祈りし其父兄は復た(また)影にも見えず、其戦友が赫々(かくかく)たる勲爵を得て揚々たるを見るにつけても先だつものは涙なる可し(べし)。世に不幸の者は少なからずと雖も、身に大功ありて而も(しかも)其報酬を受るに及ばずして死せし者ほど不幸なるものは非ず(あらず)。

国に尽くすの道は一にして足らざれども、危急の場合は身を棄てて職に斃るる(たおるる=倒れる、の意)より切なるは(=大切なことは、の意)非ざる可し。蓋し(けだし)今回の戦争に真実文字通り連戦連勝の奇功を奏して国光を発揚したるには種々の原因ある可しと雖も、士卒何れも(いずれも)戦場に斃るるを以て武夫の本分と為し、死を視ること帰るが如く、生を豪毛の軽きに比したる大精神こそ、其奇功の本源にして、戦死者必ずしも皆強しと云うに非ず、生存者亦(また)固より(もとより)弱きが故に生き残りしと云うに非ず。時の運、生死の別を生じたるに相違なしと雖も、国家が戦死者に負うところのものは凱旋者に負う所のものよりも軽しと云う可らざるは勿論なれば、独り凱旋の士卒に厚くして死者に薄かる可らず。特に東洋の形勢は日に切迫して、何時如何なる変を生ずるやも測る可らず。

万一不幸にして再び干戈(かんか)の動くを見るに至らば、何物に依頼して国を衛る可きか。矢張り夫(そ)の勇往無前、死を視る帰るが如き精神に依らざることなれば、益々此精神を養うこそ護国の要務にして、之を養うには及ぶ限りの光栄を戦死者並びに其遺族に与えて、以て戦場に斃るる(たおるる=倒れる)の幸福なるを感ぜしめざる可らず。然るに聞く所に拠れば、戦死者に対しては只其遺族に扶助料其他僅か許り(わずかばかり)の金円を賜うのみにして、何等の恩典もなしと云う。如何にも気の毒なる次第にして、国民の元気にも関することなれば、此際大いに其英魂を慰むるの挙あらんことを我輩の切望する所にして、先般来各地方に於いては戦死者の招魂祭を営みたれども、以て足れりとす可らず。更に一歩を進て地を帝国の中心なる東京に卜して(ぼくして;占うこと。亀の甲を焼いてできるひび割れを読むことを指していた。ここでは方角を読む、の意か?)此れに祭壇を築き、全国戦死者の遺族を招待して臨場の栄を得せしめ、恐れ多きことながら大元帥陛下(天皇のこと)自ら祭主と為らせ給い、文武百官を率いて場に臨ませられ、死者の勲功を賞し其英魂を慰するの勅語を下し賜わんこと、我輩の大いに願う所なり。

過般佐倉の兵営に於いて招魂祭を行いしとき、招かれし遺族中一人の老翁あり。親一人子一人の身なりしに、其子が不幸にも戦死したりとて初めは只泣く許りなりしが、此の盛典に列するの栄に感じ、一子を失うも惜むに足らずとて、後には大いに満足して帰れりと云う。今若し(もし)大元帥陛下自ら祭主と為らせられて非常の祭典を挙げ給わんか、死者は地下に天恩の難有謝し奉り、遺族は光栄に感泣して父兄の戦死を喜び、一般国民は万一事あらば君国の為めに死せんことを冀う(こいねがう=請い願う)なる可し。多少の費用は愛しむに(おしむに)足らず。呉々も此の盛典あらんことを希望するなり。

-「時事新報」1895年11月4日付け、論説より。 (時事新報は福沢諭吉主宰の新聞です)。



《大意》

日清戦争と台湾戦争において、日本軍の戦死者は合計6469人にのぼった。ところが、その多数の戦死者が国や社会から十分な注目を浴びていない、その功績が評価されていない。これは大問題だ。戦争から生還した将兵たちは、国民に感謝され、国から勲章を受け、報奨金も給付されて、光栄をきわめている。なのに戦死した人たちはまったく逆である。もちろん、戦死者たち自身は、そのような光栄は受けられない。その遺族たちは多少の扶助金を給付はされているかもしれないが、それによって細々と生活を立てているだけで、決して国家による十分な待遇を受けていない。戦友たちは生き残って帰ってきて、たいへんな光栄に包まれているのに、自分たちの父兄は戦死してしまい、社会からも国家からも十分な手当てを受けられない。ほんとうに気の毒なことだし、これはおかしい。戦死者の功績は帰還兵の功績に較べて決して軽くはないからだ。

国家危急の際には身命を賭して戦う。戦場に倒れることをもって軍人の本分となし、命を捨てても国家のために尽くし、そのためには自分の命など鳥の羽ほどの軽さに過ぎないものと考える、そういう「大精神」こそが、戦争に勝つ本源であるのだ。だから、凱旋した軍人・軍属にのみ手厚くして、戦死者とその遺族に薄くするのはおかしい。

それに今、東アジアの情勢は日に日に緊迫度を増してきている。いつどんな戦争が起こるかも予測できないし、予断を許さない状況である。もし今また不幸にしてふたたび戦争になれば、皇国は何によって守られるだろうか。それはなんといってもあの勇壮な精神、皇国のためならば自分の命を羽毛の如く軽いものとし見なし、喜んで棄てるという「大精神」によってである。この精神によって国を守るよりほかないのであって、そうだとすれば、ますますこのような精神を養うことが、国を守る上での必須条件になってくる。さらに、そのような精神、国を守るためなら自分の命などいつでも棄てるという軍人精神を養うには、可能な限りの光栄を戦死者とその遺族たちに与えて、それによって「戦場で死ぬこと」が「幸福なことである」と感じさせなければならない。国のためならば、命など投げ捨てるという精神をつくり上げることこそが戦争に勝つためのエッセンスである。

そのような精神を養うには、現在のように、戦死者とその遺族に冷たくしていたのではだめなのであって、逆に可能な限りの栄光を戦死者とその遺族に与え、彼らが戦場で死に、そして家族を戦争で失ったがゆえに、そのような最大限の栄光を受けることができたのだと思わせ、戦場で死ぬことが幸福であると感じさせなければならない。戦死者はもはや感じることができないから、遺族とそれを見る国民に、戦場で死ぬことがむしろ幸福なのだと感じさせない限り、進んで戦場で命を棄てる精神を作り出すことはできない。

しばらく前に、千葉県の佐倉の兵営で招魂祭を行った際、そこに招かれた遺族の中に、ひとりのお爺さんがいた。そのお爺さんは親一人子一人の身であったが、その一人息子が不幸にも戦死したといって、最初は泣いてばかりいた。そのお爺さんがこの招魂祭に参列したところ、その名誉心をくすぐられ、ハレの場に昂揚して、自分の息子を失ったのも『惜しむに足りないことだった』といって、大いに満足して帰っていった。

もしも今から、明治天皇が自ら祭主となって、非常の大祭典を挙行すれば、戦死者は黄泉の国で、天皇の恩がいかにありがたいかを感じ入って感謝するだろう。『天皇陛下が、私の功を讃え、私に感謝するために、祭りをやってくれた』と。遺族はそういうことになれば、その光栄に感きわまって嬉し泣きをして、父や兄が戦死したことを喜ぶようになるだろう。さらに重要なことは、このようにして天皇に、そして国家に褒め称えられ、顕彰される戦死者や遺族を見ている一般国民は、万一戦争になったら、天皇=国家のために死ぬことを希望するようになるであろう。自分たちも、あの戦死者たちに続いて天皇の国家のために死ぬことによって、永遠に天皇の国家から感謝され、褒め称えられたいと思うようになるであろう。そうすれば次の戦争に対する十分な準備になる。こういう効果を考えると、費用を惜しんでいてはならない。

(「国家と犠牲」/ 高橋哲哉・著)

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ものすごい露骨な文章ですが、これは実在する記事です。そしてこの記事に呼応するかのように、この記事が出された同じ年の12月、明治天皇が参拝する招魂祭が実施されたのです。引用した時事新報の記事には、どこの神社で行うかまでは指示していませんでした。「帝国の首都で」とだけ書いてあります。1895年12月に実施された日清&台湾戦争の臨時招魂祭は靖国神社でした。当時の政策を遂行するために、国民を総動員させようとしたのですね。国民の心に国家の方針にまったく賛成させる思考回路を、国家が設置したのです。

しかも、その効果もこの記事は明らかにしています。最後のほうにある、おじいさんの実例ですね。ひとり息子を失った悲しみを、国家が意味づけして癒しました。現代人なら、二度と自分のような悲しみを人々が味わわないようにと、反戦運動を行ったかもしれません。そういう活動に意味を見出し、子どもの喪失の傷を癒そうとしたかもしれません。今現在は、個人の心は国家の干渉を受け得ない法の下にあるからです。たとえば、親が子どものために自分の命を投げ出すというのは、これは人間の自然な感情です。だれに指図されなくとも湧きあがってくるものでしょう。しかし、国家のために自分の子どもの命を棄て去るという考えはどうでしょう。それはやはり特殊な教育を受けなければ心に上ってくるものではないでしょう。

エホバの証人はそういう教育を行います。イエス・キリストは「杭」、十字架ではなく「杭」で磔刑に処された、それは父エホバが人類を救うために、自分の子どもの命を投げ棄てたのであり、それほどまでに人類を愛しているのだ、それゆえ人類よ、悔い改めてエホバに帰依せよ、エホバが地上で用いている唯一の宗教団体である「ものみの塔聖書冊子協会」の指導下に入れ、入ったら無条件で協会の指導に服するようにと。わたしには明治時代以降、大日本帝国の崩壊に至るまでの日本の体制とエホバの証人の体質とがぴったり重なって見えるのです。エホバの証人の教育を受けるまでは、だれも自分の子どもに輸血をさせないようにしようなどとは思いません。エホバの証人の教育を受けて初めて、そういう選択を苦悩のうちに行うようになります。そしてそうやって失われた子どもたちを、大会の経験や、世界中のエホバの証人の信者に配られる機関紙で褒め上げます。過度に悲しまないように、来るべき神の王国で、彼らは復活するであろうと教えます。ものみの塔協会の指導者たちが、子どもを失った親たちに代わって、メンタルケアを行い、子どもの死に栄光を賦与し、意味づけを行います。他の信者たちが、同じような局面を迎えたときに、協会の支持にしたがって、命がけで「血の禁令」を擁護しようという意思を持つように。危険なカウンセリングです。

カウンセリングの倫理は、本人の心のなかでの葛藤は本人で決着をつけることができるように、カウンセラーはサポートをする、というものであり、決してカウンセラーが本人に取って代って、解決してしまってはならないというものです。アメリカでは、精神分析医療の現場で、カウンセラーが、事実無根の「児童期における性的虐待の記憶」をクライエントに植えつけた実例があります。その事件の後の研究によって、そういうことが可能であることが証明されました。子どもを失ったという事件は深いトラウマを心に残します。そのトラウマを乗り越えるのは、あくまで本人なのです。それを国家や宗教団体が一方的に意味づけを行って、解決しようとするのは心理操作であり、人権の甚だしい侵害になります。エホバの証人で、輸血治療を拒んで家族を失った人の中には、「ほんとうにこれでよかったのか」という気持ちが意識から抹消されえないでいる人たちもいるかもしれません。そういう気持ちを、ほんとうの気持ちをはっきり意識に上らせることが、心理操作されないで、自律的に生きる秘訣なのです。

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子どもが、夫が、立派にご奉公申上げることができたと喜ぶのと、折角大事に育てた子どもを、御国のためとはいへ、不幸にも亡くしてしまったと悲しむのとは、非常に心持が違うと思ひます。喜ぶのも、悲しむのも、つまりは自分の心の持ちやうです。

いったい自分のものだと思っている財産も、実は自分のものではありません。みんな国家のものです。いや、財産ばかりではない。この身体も、生命も、みんな上御一人からお預かりしているのです。だから、いざといふ場合、立派にお役に立つように、ふだんから大切にせねばならぬわけです。

遺家族の方々は、このたび大切に育てた倅、大切に仕えた夫を、潔く醜の御盾(しこのみたて)として捧げられたのです。陛下からお預かりしたものを御返しになったのです。しかも、その息子、その夫はいまや靖国の神として祀られ、いつまでもいつまでも、上、陛下の御参拝を仰ぎ、下、国民からは護国の忠霊として仰がれるのです。男子の本懐これに過ぐるものはないと存じます。

ふつうに死んだのでは、同情こそせられ、決して尊敬され、感謝せられることはありません。遺家族の方々は、君国にわが身を捧げた息子のお陰で、見ず知らずの人々から、非常な感謝と尊敬を受けられているのです。

「靖国の精神/忠霊の遺族に贈る」/高神覚昇・著より

(「靖国問題」/ 高橋哲哉・著)

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ここら辺の教え方はまったくエホバの証人そのものです。個人の尊厳などかけらほども認められていません。人間は罪を受け継いでいる、だから本来生きるに値しない、しかしイエスの贖いの死によって請け戻された、だからエホバとイエスに従うことによってのみ、人間は価値ある生を享けることができる、だから今、ものみの塔協会に黙って従え、不平を言うなというのがエホバの証人の言い分です。ですから、このような他人による自分の存在の操作から脱出する方法は次のようになります。すなわち、自分という個人に尊厳を見いだすことです。自分は誰かから表彰されなくても、誰かから感謝されなくても、価値ある存在であるということを知ることです。喜びも悲しみも心の持ちようである、それは事実です。感情は思考に規定され、考えかたによって感情はコントロールできる、でも「自分の感情はあくまで自分の思考によってコントロールするもの」であって、他人の思考を無批判に受け容れてコントロールするものではないのです。そうでなければ、自分は他人の思惑で生きることになるからです。自分の心は自分だけのものです。それが基本的人権の要であるのです。高橋教授はこのように訴えておられます。

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もしそうだとすれば(ルナ註:喜ぶのも、悲しむのも、つまりは自分の心の持ちやうです、というとおりならば)、靖国信仰から逃れるためには、必ずしも複雑な論理を必要としないことになる。ひと言でいえば、「悲しいのに嬉しいと言わないこと」。それだけで十分なのだ。(ルナ註:「時事新報」の記事で取り上げられていたおじいさんのように、ほんとうは悲しいけれど、天皇陛下=国家が大々的に祀ってくれているので光栄に思う、などとごまかさないこと、という意。)

まずは家族の死を、最も自然な感情にしたがって悲しむだけ悲しむこと。十分に悲しむこと。ほんとうは悲しいのに、無理をして喜ぶことをしないこと。悲しさや虚しさや割り切れなさを埋めるために国家によって用意された物語や、国家が用意した意味づけを決して受け容れないことである。

「喪の作業」を性急に終わらせようとしないこと。とりわけ国家が提供する物語、意味づけによって「喪」の状態を終わらせないこと。このことだけによっても、もはや国家は人々を次の戦争に国民を動員することができなくなるだろう。戦勝主体としての国家は機能不全をきたすことだろう。

(「靖国問題」/ 高橋哲哉・著)

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この文章の「国家」を「エホバの証人」に置き換えると、そのままエホバの証人によるマインド・コントロールから脱却する特効薬となるでしょう、この文章は。悲しむことは悪いことじゃない。弱いことでもない。それは自然なことなのです。気落ちするのも、迷うのも、優柔不断になってしまうのも。いつからかわたしたちは、こういうネガティブな感情を、持ってはいけないもの、抱くべきじゃないもののように扱うようになりました。それはひょっとしたら、不安に対処する術を見失った、わたしたちの未成熟さが、大人になっても、老齢になっても解決しないままになったことの表れなんじゃないでしょうか。それとも成果を上げることが最重要で、そのために一休みしたり、座り込むことを許さない雰囲気が蔓延したからかも知れません。自分たちの生活のための社会活動が、いつのまにか社会のための自分というふうにすり替わってしまっていたのではないでしょうか。すでにファシズム思考は徐々に醸成されてきたのではないでしょうか。戦後昭和のずっと早いうちから。でも、いまならまだ取り戻せる、心理療法の発達した今なら、明治の頃の国民のようには騙されにくくなっている、いくら公に表彰されても、愛する人とともに生きることに勝るものはないと思える、自分の自然な感情を決して見失ったりしないと…。そのためにも、わたしたちは、ネガティブな感情と向き合うことを怖れていてはならないのだと思うのです。


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