Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

嫌われる話しかた

2006年05月12日 | 一般
「PHPスペシャル」という自己啓発モノの雑誌で、ちょっと目を引く記事を見つけました。題して「人生が決まる! ひと言の習慣」。

たったひと言で、人間関係を壊してしまうこと、経験ありませんか? 最近、某掲示板が荒れまして、そこでとくにギャラリーのひんしゅくを買ったのが、正論を語る人。「自分が言ってることって、どこが間違ってる? 正しいでしょ?」という言いかたは、つまりは「あなたが間違ってるのよ!」というふうに相手には、自分が厳しく責められているように聞こえるのです。コミュニケーションでは、自分がどういうことを言おうとするかということも大切ですが、相手にどう受け止められるかということに気を配るのはもっと大切じゃないかな…。上で紹介した記事のリードはこんな内容でした。

「何気なく言った『そうよね』のひと言。
 状況や言い方によって、
 相手を喜ばせることも、逆に怒らせてしまうこともあります。
 あなたがさっき言ったひと言が
 人づきあい、ひいてはあなたの人生を決めてしまうこともあるのです。
 人生をもっと輝かせる『ひと言』を
 あなたも身につけませんか?」

人間関係にヒビを入らせるタイプの話しかたには、
1.陽気でせっかち型
2.知的でシニカル型
3.優しくて心配性型
…とそして
4.まじめでお堅い型
…があるそうです。

たとえば、心をひどく傷つけられた人に、「いつまでもクヨクヨするのって、キライだな…。誰々さんなんかは、こんなふうに考えて立ち直っているのに」なんて言う人。これは№4の「まじめでお堅い型」の人です。記事では、このようにアドバイスされていました。

----------------------------------

☆まじめでお堅いあなた…、「説教」より「提案」スタイルで。


お堅いあなただけに、誰かが間違ったことをしていると黙っていられず、つい「そんなことだから上達しないのよ」などとお説教的な物言いをしがちでしょう。また、「これで決まりね」といった、まとめ的なひと言も嫌がられるもとです。

これを避けるには、上からものをいうような口ぶりは避け、あくまでも助言や提案といった感じにとどめることです。



☆対処;正直な私的で信頼感アップ!


まじめで意志の強いあなた。多くの人が反撃を怖れて本当のことを言わないときでも、あなたなら「おかしくないですか」といったひと言を口にできるはず。

また人の髪型や着こなしなどに対する「あまり似合わないわ」というコメントも、正直者のあなたが口にすれば反感を買わずに済むし、逆に感謝されることも多いでしょう。

「PHPスペシャル 2006/6月号」より。

-----------------------------------------

どうして正論をいうことが「上から見おろした」言い方なのでしょう。それは、人間がコミュニケーションを交わすときに、ほんとうに求めているのは、気持ちを伝えることだからです。伝えたい気持ちが、ネガティブなものだったら、ほしいのは共感してもらうことであって、評価や裁定、ましてや修正ではないからです。人間はつらい気持ちはひとり胸にしまっておくよりは、誰かに話したほうがすっきりします。人間は群れを成す生き物だから。そうやって感情がなだめられたら、今度は自分で処理を始められるのです。だって、自分の人生は他人に操作されるものじゃないから。自分でやってみて失敗するほうが、他人にやってもらって成功するより満足度はずっと高いのです。自分でいちど想像されてみたら容易に理解できるでしょう。

そういえば、アサーションの話がほうったらかしになっていますね。また近々書きますね。今日、ちょっと書いたことを、ほんのちょっと詳しくした内容をね。

それとね、まじめなことって、ふつうは誰でも考えるものです。人の助けになりたいって思うのも、立派なことですが、それは真に相手の必要としているものを理解できていてはじめて「助け」になるのであって、自分を認めさせるためとか、くらい話、ネガティブな感情を抱くことを「悪いこと」なんて考えから、相手を矯正しようとする動機が底にあると、決まって反感を買います。ほんとうに人さまの助けになりたいのなら、ネガティブな感情の吐露も、そのまんま受け止めるのが、相手の必要に真に応じることなのです。マザー・テレサも同様のことをおっしゃっておられます。

-----------------------------

自分たちのことしか考えていない親たちの姿を見るとき、わたしはこう自分に言います。
「この人たちは、アフリカ、インド、その他開発途上国で飢えている人たちのことを気遣うことができるでしょう。人類が感じている飢えに終止符を打つことができる日を夢みることもできるでしょう。しかしながら彼らは、自分の家庭の中に、同じような貧しさと飢えが実は存在していること、自分の子どもたちのそれに気づかずにいるのだ。更に言えば、利己的な自分たちがそのような飢えと貧しさの原因なのだということにも気づいていない」。

「愛は身近な人、つまり家族を気遣うところに始まります。わたしたちの夫、妻、子どもたち、または親たちが、一緒に住んでいながら、十分に愛されていないと感じ、孤独な生活をしているのではないかということを、まず反省してみましょう」。

「聞いてくれる人を持たない人の話しに耳を傾けるのは、すばらしいことです」。


「マザー・テレサ 愛と祈りのことば」/ 渡辺和子・訳

-------------------------------

ほんとうに人の助けになりたいと思われるのなら、重く、痛ましく、耳を覆いたくなるような内心の吐露の話を、すべてその人の観点に立って受け止めてみてください。あなたはこのように考えるべきですとか、その考え方はおかしいとか、消極的な話や怨みごとはやめてくださいとかいう、常識とか、自分の生きかたから得てきた個人の信念とか、宗教信条の善悪の基準とかで評価裁定することなく、その人の感じ方をそのまんま受け止めてみてください。

今すぐ心を押しつぶす問題を解決することはできません。でも個人個人になにもできないというわけではありません。自分の隣にいる人に共感するということはいますぐ始めることができます。気持ちを理解しようとするということは今この時から始められます。人を指導しようとか、教え諭して悔い改めさせようとか、人の生きかたや考え方を自分の思うとおりに変えさせようとするのを止めることも、今すぐに始めることができます。人の助けになりたいとか、人の役に立ちたいとか思うなら、こういうことが基本であり、すべてだとわたしは考えています。どう思われますか?

でも単に暗い話しがイヤ、とか、消極的な感情を抱くのは弱いこと、弱いことはいけないこと、などという精神医学的見地からしても間違った考えで、あくまで正論を主張しないとおさまらないのであれば、あなたはいわゆる「困った人」です。心理療法を試すことをオススメします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする