文章の校正はわりと楽しい。言い方を変えると他人様の文章にケチをつけるのを楽しむということになるが、ものは言い様で文章をより高める手伝いをしていると思えばまだいいものである。最低限、誤字脱字くらいは直さなければならない。ところが、校正者の程度も実は仕事から透けてしまう。
書いた人よりも校正者のほうがものを知らなければ、当然間違いを気付くどころか正しいものも「直して」しまう。そうなれば、ゲラを見て原作者は怒る。教える側が教わる側よりも少なくとも教える内容については知っていなければならないのと同様に、ミスを正す側がきちんと知っていなければならないのは当然のこと。
だから、編集すると言ってもただ文章を削ったりするというのはよくないわけで、よく読まなくてはいけない。言ってみれば、言いたいことを反映させる補助だからである。
そして、仕事としてやるからにはきちんとやらなければならず、できることをやらないのは恥ずべきこと。書き手と読み手の橋渡しになれればこれに過ぎたことはないではないか。
書いた人よりも校正者のほうがものを知らなければ、当然間違いを気付くどころか正しいものも「直して」しまう。そうなれば、ゲラを見て原作者は怒る。教える側が教わる側よりも少なくとも教える内容については知っていなければならないのと同様に、ミスを正す側がきちんと知っていなければならないのは当然のこと。
だから、編集すると言ってもただ文章を削ったりするというのはよくないわけで、よく読まなくてはいけない。言ってみれば、言いたいことを反映させる補助だからである。
そして、仕事としてやるからにはきちんとやらなければならず、できることをやらないのは恥ずべきこと。書き手と読み手の橋渡しになれればこれに過ぎたことはないではないか。