WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

評価されている自分

2005-02-01 | 人生妙なり
先日の「子連れお見合い」!??が私の中で尾をひいています。
翌日、セッティングをして下さったお友達がら
「で、どうだった?」
とメールがきました。私は、当日のブログにも書いたことを携帯用に250字程度に要約してレスしました。私の予想では、先方も同じように思われているだろうと…
お友達からは、「今後、発展の可能性はないわけですね。お疲れさまでした。難しいものなのね。」
というような返事。これで「チャン チャン!」というわけです。
これで、もう二度とあの親子にお会いすることはなくなったという訳です。子供達はあんなに喜んで、また遊ぼうね!と約束してたのに、この収拾を自分でする必要がない…って、とっても楽チンな反面、「あの時間はいったい何だったんだ??」と…

ここから先は余計なことだとわかってはいます。
私は「お見合い」というものをしたことがないので、これまでにない出会いと別れ?について、考えこんでしまうのです。

「評価されている自分」

「妻にふさわしいか、母親として適格か、趣味は合うか…」
和やかな会話の裏で、目まぐるしくソロバンが弾かれていたんだろうなあ~。
そういう自分自身も、とりあえずは「夫にふさわしいか、父親として…」などと、どこかで評価していたのかもしれないし。

…で、私は×を頂いたというワケです。(予想。でもきっと。)
どうして私はバツなんだ?
私のTakとのかかわり方は「そりゃマズイ」ってこと?
私の音楽に対する姿勢は「そりゃ違う」ってこと?
日々、生活に追われ、立ち止まって周囲を見渡す余裕がないのかも。
自分の周りには、こんな私を許容してくれる居心地のいい人たちばかり集めている。
以前からの案件である、「郷里に引っ越す」ということも、もしかしたら、私の砦になってくれている人たちの外に出ていくのが恐いからかも。
「あなた、それは違うでしょう」という指摘に直面したくない自分がいるのかも。
でも、そんな私の怯えとは関係なく、私を評価して「×」をつけている人は当然いるってことです。

私は今日1日、自分の「×」について、ずっと考え込んでしまいました。
日常レベルのことですが、些細なことの奥には、大きな問題があるのでは…などと。

「お見合い」って、お互いに楽しんで過ごそうとした時間が、実は◯か×かの評価をするためのもので、「×」が決定すれば、はい、残念でした~~!ってわけです。
すごいシステム。
この是非を言いたいわけではなく、客観的に自分の「×」について、かなり冷静に、真面目に考えるきっかけになったのは、とっても意義あることでした。

明日は具体的なことを書きます。





Comments (7)
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