「食べ物は大地の恵み。感謝して、残さず食べよう」
これが原則だと思います。
なのに、私はTakがファミレスで残すことを容認しています。
但し。「お母さん、これ食べられない」と言ったら、「じゃあ、これは食べなくてもいいから、これとこれは全部食べなさい」となります。
「お相手」さんの息子さんは、絶対に残すことは許されないらしい…遊び食べだろうがなんだろうが、何時間かかっても全部食べるってのがどうやら「家訓」のようです。息子は食べるのが遅いという話しになって、夕飯を最長3時間かかって食べたと息子さんが言ってました。この話は、お互いの家庭の方針の違いをよく現していると思います。
私は、まずここで、ブッブ~~!!「×」が点灯したような気がします。
「パパは、お昼ごはんのみんなの残り物を全部食べたから全然お腹がすいてないよ」
1日の日程をこなしたあと、「おなかすいた」と騒ぐ子供達に対して、彼が言った言葉です。私は自分に向けて言われているような気がしました。
私には私の言い分があるのですが、あまり説得力はなく、「言い分」というより、「言い訳」かも。
子供の頃から食の細かった私は、幼稚園のお弁当をお昼休みになっても、午後の保育時間が始まっても、円卓に残されて最後まで食べさせられていました。とっても嫌~な時間でした。また、美味しいと思って食べ過ぎると、少し体調が悪い時など、後になって吐いたりもよくしていました。
こんな子供の頃の体験が息子の躾にも反映されるもんなんだなー。
5歳の子供はファミレスのメニューを見たとき、「これが美味しそうだ」と思ったら、全部食べられると思い込んでしまうもんです。それを、「あなたには食べられないから、こっちにしときなさい」というのは、かわいそう。←甘いでしょか??…というか、この場合、本人、納得できずあばれだす。
さらに、「全部食べるって約束したんだから、絶対に全部食べなさい!」というのは、拷問のように思います。いかがでしょうか?(反論覚悟です)
食物に感謝して、残さず食べなくてはいけないことを伝えながら、一方では残すことを許すって、矛盾しているけれど、発達途上の子供は、学習段階なので、仕方がない(もちろん、程度はありますが)…というのが私の言い訳です。いずれ自分の食べられる量を判断できるようになり、「残してはいけない」という思いが健全に育っていれば、きちんとした「食事」ができるようになるのでは、と思うのですが。
でも、例えば、大人数の家族で、ひとつの食べ物でも分け合って食べる子供時代を過ごした人などは、レストランで食べ物を残すとは何ごと!!ってことになるでしょう。それとか、ほんとうに飢えを経験した人や、親から厳しく躾けられた人。そんな人たちから、「きちんとした食事」ができるようになるまでに、大量の残飯を捨てなければならないのか!と言われたら、私は言葉を飲み込んでしまう。
やはり、正論は「残してはいけない」だと思うので、今は私、自分の方針でやってますが、「父親」がいて「絶対残すな!」とやり始めたら、方向転換せざるを得ないだろうなあ… と、弱気です。
それでいて私は、「席を立たずにきちんと座って食べなさい」「手づかみはやめなさい」「汚れた手は服で拭かずにお絞りで」「よそ見しないで、食べ物を見ながら」などなど、いちいちうるさいガミガミ母です。
「お相手」さんの息子さんも、これらがまだ発達途上のようだったので、私がTakにいちいちうるさく言うことが耳が痛いを通り越して、うんざりされたのではと思います。(これも程度の問題と思いますが)
私は、Takがなんかやらかすたびに「くどくどくどくど」言うことしか、今のところ方策をみつけられません。5歳の子供がイッパツで、もしくは、短時間で言うことを聞く方法があったら、ぜひ教えてください。
「お相手」さんは、食事のマナーについて最後に息子さんにこうおっしゃっていました。
「あのなー。お前は汚くないと思ってることも、相手からみたら汚くて嫌だなと思うこともあるんだぞ。そんなことやってると、お前が汚いといって嫌われて、悲しい思いをするんだぞ。だから少しずつ直していこうな。」
なんていいとうちゃん! それはスバラシイ!! 全くです!!!
私には、この発言は私への批判というか、反論がこめられているのではないかという気がしました。
しかし、この一言は、心には響くかもしれないけど、やはり5歳児にイッパツというわけにはいかない。くどくどの根気もある程度は必要かと私は思うのですが、いかがでしょうか。
私は躾け論を書いているのではなく、◯と×について書いているのですが、
ついついくどくどとなってしまいました。
「×」を言い渡されると(って、別に言い渡されてないって(^_^;))「◯」よりもずっとずっといろんなことを掘り下げてしまうというものです。
なのでさらに続く。
これが原則だと思います。
なのに、私はTakがファミレスで残すことを容認しています。
但し。「お母さん、これ食べられない」と言ったら、「じゃあ、これは食べなくてもいいから、これとこれは全部食べなさい」となります。
「お相手」さんの息子さんは、絶対に残すことは許されないらしい…遊び食べだろうがなんだろうが、何時間かかっても全部食べるってのがどうやら「家訓」のようです。息子は食べるのが遅いという話しになって、夕飯を最長3時間かかって食べたと息子さんが言ってました。この話は、お互いの家庭の方針の違いをよく現していると思います。
私は、まずここで、ブッブ~~!!「×」が点灯したような気がします。
「パパは、お昼ごはんのみんなの残り物を全部食べたから全然お腹がすいてないよ」
1日の日程をこなしたあと、「おなかすいた」と騒ぐ子供達に対して、彼が言った言葉です。私は自分に向けて言われているような気がしました。
私には私の言い分があるのですが、あまり説得力はなく、「言い分」というより、「言い訳」かも。
子供の頃から食の細かった私は、幼稚園のお弁当をお昼休みになっても、午後の保育時間が始まっても、円卓に残されて最後まで食べさせられていました。とっても嫌~な時間でした。また、美味しいと思って食べ過ぎると、少し体調が悪い時など、後になって吐いたりもよくしていました。
こんな子供の頃の体験が息子の躾にも反映されるもんなんだなー。
5歳の子供はファミレスのメニューを見たとき、「これが美味しそうだ」と思ったら、全部食べられると思い込んでしまうもんです。それを、「あなたには食べられないから、こっちにしときなさい」というのは、かわいそう。←甘いでしょか??…というか、この場合、本人、納得できずあばれだす。
さらに、「全部食べるって約束したんだから、絶対に全部食べなさい!」というのは、拷問のように思います。いかがでしょうか?(反論覚悟です)
食物に感謝して、残さず食べなくてはいけないことを伝えながら、一方では残すことを許すって、矛盾しているけれど、発達途上の子供は、学習段階なので、仕方がない(もちろん、程度はありますが)…というのが私の言い訳です。いずれ自分の食べられる量を判断できるようになり、「残してはいけない」という思いが健全に育っていれば、きちんとした「食事」ができるようになるのでは、と思うのですが。
でも、例えば、大人数の家族で、ひとつの食べ物でも分け合って食べる子供時代を過ごした人などは、レストランで食べ物を残すとは何ごと!!ってことになるでしょう。それとか、ほんとうに飢えを経験した人や、親から厳しく躾けられた人。そんな人たちから、「きちんとした食事」ができるようになるまでに、大量の残飯を捨てなければならないのか!と言われたら、私は言葉を飲み込んでしまう。
やはり、正論は「残してはいけない」だと思うので、今は私、自分の方針でやってますが、「父親」がいて「絶対残すな!」とやり始めたら、方向転換せざるを得ないだろうなあ… と、弱気です。
それでいて私は、「席を立たずにきちんと座って食べなさい」「手づかみはやめなさい」「汚れた手は服で拭かずにお絞りで」「よそ見しないで、食べ物を見ながら」などなど、いちいちうるさいガミガミ母です。
「お相手」さんの息子さんも、これらがまだ発達途上のようだったので、私がTakにいちいちうるさく言うことが耳が痛いを通り越して、うんざりされたのではと思います。(これも程度の問題と思いますが)
私は、Takがなんかやらかすたびに「くどくどくどくど」言うことしか、今のところ方策をみつけられません。5歳の子供がイッパツで、もしくは、短時間で言うことを聞く方法があったら、ぜひ教えてください。
「お相手」さんは、食事のマナーについて最後に息子さんにこうおっしゃっていました。
「あのなー。お前は汚くないと思ってることも、相手からみたら汚くて嫌だなと思うこともあるんだぞ。そんなことやってると、お前が汚いといって嫌われて、悲しい思いをするんだぞ。だから少しずつ直していこうな。」
なんていいとうちゃん! それはスバラシイ!! 全くです!!!
私には、この発言は私への批判というか、反論がこめられているのではないかという気がしました。
しかし、この一言は、心には響くかもしれないけど、やはり5歳児にイッパツというわけにはいかない。くどくどの根気もある程度は必要かと私は思うのですが、いかがでしょうか。
私は躾け論を書いているのではなく、◯と×について書いているのですが、
ついついくどくどとなってしまいました。
「×」を言い渡されると(って、別に言い渡されてないって(^_^;))「◯」よりもずっとずっといろんなことを掘り下げてしまうというものです。
なのでさらに続く。