ぱそらぼ (ぱぁと1)

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TikTok

2018年11月20日 | 社会派らぼ
若者の間でTikTokが流行っています。自分で好きな曲を選び、それに合わせてダンスをしたり口パクで歌ったりの15秒動画を作ってアップするあれです。若者、特に10代に浸透しているらしく、人気の小学生もいるのだそうです。流行る…という事は、それだけ関心を持たれるという事で、当然TikTokに関する記述もたくさん見かけます。

TikTokは10代の心をつかむけれど、大人には決して分からない…ところが10代には魅力なのだと言われます。彼ら若者は、常にネットの世界で新しい文化を開拓してきました。そしてその文化が大人にまで普及すると、新しい文化を求めて逃げて行く感があります。Twitterも、Facebookも、そしてInstagramも。若者たちに感化された大人たちに普及して行くに従って、若者は離れていきます。今、TikTokは10代には人気があっても、いわゆる大人たちは「どこが良いのか分からない」といった風で、そうした世代が入って来ないところが人気の最大の理由のようです。

インスタ映えという言葉が流行りました。おしゃれな写真を撮る事によって、いわゆる「リア充」、実生活が豊かに充実している事を誇示するというもの。動画の世界でも当初、MixChannelという共有コミュニティがありましたが、配信する動画を「リア充」なものに仕上げる必要がありました。そのためには「彼氏」が必要であったり、「仲間」が必要であったりしたのだそうです。その点、TikTokは自撮りで動画が作れます。場所も問いません。ある程度お決まりのポーズをとったりしておくだけで、簡単にタイムラプス(コマ落としのような動画)やスロー、もしくは効果を追加する事ができて、簡単に注目を浴びることができます。

発信はしたいけれど、発信する中身を持たない。たとえそんな人たちでも、簡単に発信ができて、すぐに「いいね!」がもらえたり、時には無名の小学生に法外な数のフォロワーがつくこともある世界が、たまらなく魅力的なのでしょう。言い換えると、何の努力もしなくても、簡単に認めてもらえる世界なのです。

大人には分からないところで、自分たちの世界をおう歌するのがTikTokなのでしょうか。それはそれで、いつの世もいわゆる大人なんかに分かるはずがない若者の特権というのはあったような気がしますから、スマホを駆使して楽しむ世界があっても良いのではないかと思います。

が、一方で、こうした技術の進化に伴い、人間が中身を求めず、中身が無くても楽しめる世界に逃げ込んでしまうのだとしたら、そこは考えなければならないような気がします。本来クリエイティブなことは楽しいもののはずです。が…、次第にクリエイティブでなくても、自らの中に何かしらの情熱が無くても、口パクに効果を盛るだけで、なんだか楽しい気分になっしまう。自分を磨いて…「リア充」なんかではない本物の「自分のあり方」を模索する必要など微塵も感じなくなってしまう世界は、やはり浅い気がしてしまいます。

うん、だから、おじさんおばさんなんかには分からないんだよ。という彼らの声が聞こえそうです。