ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

なんとなく

2011年06月09日 | ぱそこん道
ある方が、30年前、会社にコンピュータが導入された当時の話をしておられました。私がこの仕事をし始めて20年ですから、さかのぼること10年。(う~ん、その頃私は…笑) その当時コンピュータを導入するには100万円ほどもかかったと言われます。今からすれば想像もつかない金額ですが、そのくらいはしたのかも知れませんね。それだけの額を投資しての事だったので、現場には「ワープロとして使うのなら、すぐに撤収する」といった主旨のお達しがあったのだそうです。

おこがましいのかも知れませんが、とても共感する部分があります。今ではパソコンの価格は、その言われる当時からすれば、トテモ下がりました。それでも、家庭にとって高額な買い物であることは変わりません。値段が高いか安いかというのは、単純な金額として感じる以上に、それがどの程度役に立つかどうかで感じる部分があります。つまり買った以上、それを十二分に役立てなければ勿体ないと言う話になっていきます。

パソコンは単純な清書用具に留まる機械ではありません。思考支援ツールだと思います。勿論、パソコンをどのように使おうと、それはその方のライフスタイルの中の事で、他人がとやかく言う筋合いのものではありません。ただ、自分自身が求めようとしているもの、自分自身が関わり続けていきたいと思う世界は、間違いなくある一つの方向を向いています。そろそろ、もう一度自分のあり方を見直す事も必要かも知れません。






オフィス2007にはパワーポイントが入っている?
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大連立

2011年06月08日 | 雑談
街角の景気が上を向いていると言います。震災での自粛ムードがようやく落ち着いて、復興に向けて動き始めていると理解しても良いでしょうか。とことん、落ちるだけ落ちれば、後は上がるだけなのですから、考えれば「ここからが勝負」です。

どんな風な災害に見舞われようが、どんな事故が起ころうが、どんな政府が右往左往しようが、私たちはこの国のこの街で生きていくことしかできはしないのですから。下ばっかり見ているわけにはいかないのです。

政治的な意見をここで書こうとは思っていません。これはブログを始めた当初から、一貫しているつもりです。私自身は、政治も宗教も主義主張も全てを超えるものというものがある…と信じているつもりです。永田町では管降ろしと共に、大連立という声が聞こえます。

個人的には、この時期の大連立は歓迎はしています。とにかく、何にせよ、私たちは前に進まなければならないはずですから、何ひとつ決まって行かないようなやり方ではどうしようもありません。そして、もしかするとこの大連立の精神が根本的に欠けていたことが、これまでの醜態の遠因かも知れないとも思います。

これまで、政治家の先生方の「話し合い」というものには、何の魅力も感じていませんでした。国会や地方の議会で「議論」と言われてはいますが、それは「議論」でなく、ただ大声で自分の意見を主張し、反対の意見をただ封じ込めるだけのものにしか私たちの眼には映りませんでした。

先般、大阪市議会で、維新の会が人数を盾に君が代起立条例を成立させました。他党は、話し合う姿勢がないと批判していましたが、話し合ったところで主張を言い張る応戦なら話し合う意味も何もありません。

大連立が本来の政治のあり方だとは思いませんが、少なくとも大連立に持ち込む過程では、これまでのただ叫び合うだけの話し合いではなく、相手の意見の根本の部分に耳を傾けて妥協できる線を探ろうとするやり取りが、キット行われるのではないだろうかと期待するものがあります。




スライドショー中、Escで中断しない
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貫く

2011年06月07日 | 命の生き方
人間、一生懸命していれば、結果がどうであれ許されるのかと言うと、キットそうではありません。私は検定対策講座の時などは、声を大にして叫んでおります(笑)。「受かればいいな」とか「受かりたいな」ではダメで、「絶対に受かるんだ!」と思ってください。結果はもぎ取るものです…と。

それは、私の本心です。こうありたいと願うことは誰にでもできますが、それを実践するとなると、至難の業なのです。それを実現するためには、多分トテモ強固な意志と忍耐力と不屈の精神が必要です。それでも、結果を出さなければ意味がないのです。

ですが他方で、人には器用なタイプの者と不器用なタイプの者がいることも知っています。不器用なタイプの人間が、山ほどの誠意と山ほどの努力をもってしても、器用な人間の一瞬の振る舞いに負けてしまう事すらあるのだと身を持って痛感しています。それをして、不器用なタイプの人を責める何の理由にもならない事をよく知っています。

この二つの相反するはずの思いが、私の中では不思議とバランスを保って両立しています。どんな時も地道にコツコツと自分の誠意を積み上げていく人間でありたいと思っています。そしてそんな風にふるまえる人を心の底から尊敬しています。そして、最後には、必ずそんな風に努力を積み重ねていく人こそが、本当に強いのだと確信しています。

不器用でも、妥協せずに、自分の思いを貫ける人でありたいと思います。貫くに足る自分の思いを、心の中に持っている人でありたいと思います。




パワーポイントで縦にできるの?
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約束

2011年06月06日 | 雑談
NTTドコモの携帯電話で、大規模な通信障害が発生し、利用者約170万人に影響が出たと報じられていました。関東甲信越地方でのことだったようで、身近なところでは何も影響は聞きませんでした。

最近は、携帯電話に頼る生活になっていますから、これだけ大規模な通信障害はさぞあちこちで混乱を引き起こしたと想像できます。その昔は、このような持ち歩くことのできる電話がありませんでしたから、仕方なく待ち合わせ等は入念に約束をしておかねばなりませんでした。何時何分にどこで落ち合うのか。出かけてしまえば、互いに連絡する術などありませんでしたから、当然の事でした。今、大抵の人が携帯電話を持っています。ですから、「じゃ、近くまで行ったら…」などの約束で、詳細な打ち合わせはできていないことも多々あります。

ですから、こんな風な通信障害は予想以上に、社会の混乱を引き起こしかねないのです。いざに備えて、入念な約束は必要かと思います。

一方、誰もがどこからでも通信の手段を持つにも関わらず、最近は約束に関して、ストイックな人が減って来ているような気がします。間に合わない…と言う時、手元に携帯があるのですから、一報の電話を入れられないわけではありませんが、そんな風なご連絡をいただくケースが減っています。時によれば、何もなければ出席しているはずの会合を休むのに、連絡の一本も来ないケースも珍しくありません。連絡が手軽になった分、連絡の重要性は減ったのでしょうか。

時間励行というのは、文化のバロメーターでもあると認識しています。携帯がますます多機能になり、便利なツールへの進化が止まりません。便利なものは便利に使わせていただくとして、そうしたものだけに頼らない、アナログな約束を大切にしておきたいと思います。


アカデミックパックって何
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救急救命士

2011年06月05日 | 社会派らぼ
救急救命士が、勤務外で救命処置をしたことが、法に触れるとのことで、停職6か月の処分が下りました。当該救命士は、もしもの時にと持ち出していた備品を使って、交通事故の男性を治療したというものです。救命士が休日であったために、勤務時間外であったこと。本来、救急車の中で医師の指示を受け基準を満たした患者に行う処置であったこと。備品を持ち出して自家用車に載せていたこと。また救命士が管理職の立場にあったこと。それやこれやが重なって、処分をせざるを得なかったという顛末のようです。救命士は、既に依願退職したと報じられています。

この処分に関しては、ネット上で処分への疑問が相次いでいると言います。人の命を助けて失職するのか…という声が多いようです。医療ドラマの中にでも出てきそうなネタですが、法律がある以上、処分を下さざるを得なかったということのようです。医療行為は、やはりその資格を持った者が正規に行うということでなければ、医療事故が懸念されます。

割り切れなさが残ります。人の命を助けるのに、資格が要るのか?という問いかけにすり替えてみると、多分資格など要りません。どんな事をしても、救える命を救うということは、社会としての大前提のはずなのに、同じく社会人であるなら、法には従うべきだとする意見には何の反論もできません。

法律にがんじがらめにされて、良心とのギャップに悩む人は多分、もっと数多くいます。できれば本件は、救命士が処罰を甘んじて受け入れ、引き続き職に当たっていただければ良かったのでしょうが、残念ながら貴重な人材を逸することとなりました。法律は法律。しかし、善意の人には、それなりの解釈ができる余地があっても良いのかも知れません。



メールが来たのがなぜわかる?
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人生の縮図

2011年06月04日 | ぱそこん道
パソコン講座には人生の縮図があります。多分、これはどんな世界でも同じことだろうと思います。パソコン講座には、パソコンの習得を目指す方々が集まって来られます。一人一人顔が違うように、一人一人性格も条件も目指すものも違っています。同じようにいくはずがないのです。

それでも、順調に上昇カーブを描いていただける場合と、なかなか線が上を向かない場合とがあります。ご案内の仕方が稚拙なせいもあるのですが、この際それは棚上げするとして(手前勝手、お許しください)。ただ単に聞いて、言われたようにしていれば習得ができるのかと言えば、そうではありません。

そこに、考えるという意思が働いていなければ、なかなか自分の理解の範疇内に入っては来ないものです。いわゆるオウム返しである程度は進歩できても、次のステップへは道のりはスムーズにはいきません。

既成概念が強すぎたり、虚栄心が強過ぎると、間違いなく習得が阻まれます。恐らく、自分が思い描く円内で物事が把握できると勘違いをするのかも知れません。そして、地道にコツコツと、目の前の一歩を積み上げてくださる方は、着実な進歩を示されます。

人間にとって本当に大切なこと。私はパソコン講座を通して、多分それを感じています。そして、できればそのことをこそ、皆さんに伝えていけたらと思っています。パソコンの腕は後から付いてきます。



エクセルのショートカットアイコンが変わってしまいました
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品性

2011年06月03日 | 命の生き方
政治が混迷を極めています。政争というのは、それなりに難しい諸事情があるものだと漠然と思っていた気がしますが、どうやら品性の無い泥試合みたいなものなのだと、改めて気づかされました。

人間って哀しいものです。人間にとって「賢さ」というのは大切な事で、だから学生時代には勉強というものがあるのですが、どうも「賢さ」というものを大きくはき違えている気がします。学校で教わる勉強というものでは、どうやら人は賢くはならない…そんな気すらしてきます。ひたすら暗記をしたところで、それは大切な判断を下す時の思慮深さや、新しい突破口を開いていく斬新なアイディアにはおよそたどり着きません。そして何より、私は人間には「品性」というものが大切だと思っているのですが、残念なことに高い品格を備えている方には、なかなか出会えません。

変わって、自分だけの基準でしか世の中を見ることができなくて、本当に大切なこととどうでも良いことの区別が付かなくて、常に背筋を正して物事を向き合うということが意味を持たなくて…。王道を常にまっすぐに歩くことって大切だと思います。そうでなければ、限りのある人生を生きている私達、空しすぎると思いませんか。



ズームを100%に戻したい
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不信任案

2011年06月02日 | 社会派らぼ
大山鳴動…という感がしなくもありません。今回の内閣不信任案。結局のところ、いつだか分からない管総理の退陣表明で、与党議員の大半が反対票を投じて否決されました。この時期になぜ?と、案提出そのものに懐疑的だった人も含め、どこかで風の流れが変わるのではないだろうかと一抹の期待を持っていた部分がありましたから、これで一体何が残ったのだろうと、空虚感を否めません。

多分、充実していたのが、票の数を数え、根回しを繰り返し、政治生命をかけて、自分達が国を動かす大きな力を握っているかのように感じていた議員の先生方ではないでしょうか。文字通り、ここでどう動くか、誰の味方に付くか、が彼らの政治生命を左右する局面でしたでしょうから、政治家としてこの場面に出くわしていること自体に充実感があったのではないだろうかと、不謹慎にも想像してしまいます。

結局のところ、大きく目立って変わることなく、明日は明けて来ます。が、それが日本にとって幸福なことかどうかは分かりません。そろそろ、気持ちのどこかにある、国がやってくれなければ…!の思いを捨てるところから、私たちは始めるべきなのかもしれません。日赤には多額の寄付が集まっているはずですが、それをどこにどう振り分けるかといった事は、もしかするとバランス感覚に長けた識者達で決めれば良いことかも知れません。必要な復興計画は、国でなく被災地域レベルでドンドン定めて進めなければならないのかも知れません。裏づけとなるお金は必要ではありますが、要るものは要るわけで、極端なことを言えばかかった費用の請求書を国に回し、捻出どころを考えてもらえば良いかもしれません。

大きな組織に寄っかかって、組織が動かないことを、さも自分達には責任がないかのように錯覚をすることは、きっと間違っているのだと思います。それでも私達にやれることはキットあります。



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まちづくり

2011年06月01日 | 社会派らぼ
最近「まちづくり」という言葉がよく使われます。必ず…と言ってよいほど、ひらがなづかいです。実際に、そうした活動に力を入れている方々にもたくさん出会わせていただきます。異なる活動分野で様々な活躍をしておられるのですが、まさに十人十色。色々な考え方に出会います。

今、世の中が目指して行っている方向が果たして正しいのだろうか?と疑問を投げてみると、何か少し違うのかも知れない…とずれを感じたりします。それが何の「ずれ」なのか。自分にすら明確な説明をする事もなかなか難しいのですが、違和感を感じている場面は少なくないことは確かです。

人と人の関係が希薄になり、都会では隣に住む人さえ誰かが良く分からずに暮らしていたりします。実際にこの前の東北の地震や津波の災害が各所で起きたとき、地域のつながりが希薄であることが、救助活動などの支障になるのではないかと懸念されています。ですから、独居老人や高齢者には、災害などの緊急時に手助けを頼める人を定めておくような施策がまかり通ったりします。

だからこそ…まちづくりが強く叫ばれているのだろうとも思います。が、必要なことは平生から無理に人々を集わせたり、動員をかけて無理に何かを催すことではなく…、「ひとづくり」なのではないだろうかと思うのです。権利や損得勘定で動くばかりでなく、「人としてどうあるべきか」という内なる心を育てることこそが必要なのではないのでしょうか。「ひとみがき」という方が近いかも知れません。形の上だけで、何がしかの活動をすることに、それほどの意味を感じてはいません。その活動が、それぞれの心を育てることに発展した時に、それが初めて意味を持ち始めるような気がしてなりません。



CD-Rのセッションを閉じてもいいのでしょうか
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