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失言

2017年04月26日 | 社会派らぼ
今村復興相が東日本大震災をめぐる自身の発言の責任を取って辞表を提出し、代わって吉野氏が復興相に就任しました。経緯は報道されている通り。2度目の失言と言われているように、1度目は避難指示が出ていない地域から自主避難している人たちへの住宅無償提供が打ち切られることについて、避難者の自己責任であるとした件。2度目が今回の被害が「まだ東北でよかった」発言。安倍首相は任命責任はご自身にあると認めているとの報道です。このようなケースでのお決まり、今村氏へは非難の集中砲火が浴びせられています。

今更、元復興相の肩を持とうとは考えていません。大臣という立場にある人の発言は重いもので、誰かがそれによって「傷ついた」のであれば、確かにその発言は人を傷つけるものだったという事になります。ただ、何度も言っているかも知れませんが、事がある度に「集中いじめ」であるかのように、事を荒立てて行くことが良いことだとは思えません。恐らく、学ばなくてはならないのは、発言をする立場の人の「言葉の選び方」、そして聞く側の立場の人間の「善意に解釈する心の余裕」。

6年前、東北地方太平洋沖地震が起こりました。遠く離れたここ滋賀でも感じた強い揺れに驚きました。地震による大津波、更に福島第一原子力発電所の事故が報じられ、ニュースの映像に息を呑みました。放射性物質が広く拡散し、一部には避難指定も出されました。当時誰もが国の発表に疑心暗鬼になり、事態がキチンと発表されない事に苛立ちを隠せませんでした。当然、避難せよと言われた地域外の人が、真に安全が保障されていないと感じる事もごく自然な事のように思われます。

それから年月が流れました。避難を望むすべての人の生活を保障するだけの経済的基盤が国に無いことは理解できます。ですから国の定める基準より、より厳しい基準を自らに課そうとする人たちは、経済的基盤も自分で持たなければならない事は、ある程度仕方がない事で、それを持って元復興相は「自己責任」となったのだろうと想像します。

また「東北で良かった」という表現さえ抜いて聞けば、あの規模の地震が都心で起こった場合の被害の大きさは想像するだけで身震いがします。元復興相の言いたかった事はそこであって、聞かなかった事にはできないのかも知れませんが、本当に首都圏であの規模の地震が起こる想定で、様々な対策も進めておかなければならないのかと思います。

ネットでは「#東北でよかった」タグが、東北の魅力を伝える投稿に使われていっているようです。怒る事は簡単です。…が、もっと大きな包容力もあって良いのかも知れません。

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