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作詞家の想い

2007年08月02日 | 命の生き方
作詞家の阿久悠氏の訃報が報じられました。まだ70歳。最近の日本の平均寿命からすると、まだもっと心に沁みる詞を世の中に提供してくださるような気がするのに、残念です。テレビ等で代表曲が流されていますが、誰もが必ず聞いたことのある歌が、これもあれも…と阿久氏の作品だと紹介されます。確かに1時代を築いた方でした。

歌というのは特別な力を持っているようでもあります。でも詞がいくらよいものであったとしても、よい曲とよい歌い手に恵まれなければ、陽の目を見ることなく終わるかもしれません。「どのようなメロディ」に乗せ「どんな歌手の個性で」彩られるかによっても、歌の命は左右されるはずです。氏の言葉は、作曲家や歌手の才能まで引き出すものがあったのでしょうか。

阿久悠氏の、文には考えさせられるものがあります。最近の若いミュージシャンは器用で、作詞作曲も自分で手がけ自分で歌うという人も少なくありません。心に沁みる歌も、たくさん世に送り出されてきます。今風?の楽曲は、「イメージ」で作られたものが多いように思います。「愛」だの「恋」だののメロウなものから「心」だの「魂」だの深いものまでテーマは様々ですが、どれも「一瞬の心象風景」のようなものを感じます。それらに比べると、阿久氏の文は「想い」で綴られているように感じます。「詩」しか書かない人と、「文」も「詩」も書ける人の違い…とでも説明すれば良いのかも知れません。

「死ぬことを特別に考えるよりは、どうして生き抜くかを考えた方がいい。つまり、生きっぱなしである」とされた氏は、そのメッセージを世の中に発信し続けることが、ご自分が生きている値打ちであると考えられていたのではないでしょうか。そして、それが氏の「本能」であり、氏の「存在」であったかのようです。

楽曲だけに留まらず、世の中はこうあるべきだとの正論を、分かりやすい言葉で人に伝えることを、ご自分に課しておられた一人の才を失ったことが、今の日本に損失なのは言うまでもありません。変わるべき、新たな才が育つことを切に願います。


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