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科学研究

2018年12月06日 | 社会派らぼ
ノーベル賞は、アルフレッド・ノーベルの遺言によって設立され、氏の命日である12月10日に、スウェーデンのストックホルムで授賞式が行われます。今年のノーベル医学生理学賞を受賞されるのは、日本の本庶佑氏です。

実は、本庶研究室は外国人研究者が全体の半数以上を占める多国籍集団なのだと報じられています。京大の他の研究室も似たようなもので、日本の学術論文の発表数は減少しつつあると報じられています。日本人学生の多くは、修士課程には進学するものの、博士課程に進まなくなりました。その分、アジアや中東からの外国人研究者が増えているようです。世界的に有名な研究者の下には、最先端の研究を目指す優秀な外国人研究者が集まって来るという訳です。が、これはある意味で、日本の科学の危機ではないかと思えてきます。

毎年のように発表される日本人のノーベル賞受賞ニュースは誇らしい一方で、日本の科学研究が段々衰えを示している事に、各方面から警鐘が鳴らされています。科学技術関連論文の数が、ここ10年次第に減って来ているという報告があります。他国の論文数の推移グラフは従来のカーブと同様の上昇を示す中、日本の論文数だけが次第に減少しており、中国の目覚ましい上昇カーブが印象的です。テレビドラマなどの「医療もの」で、論文ばかり書いて治療をおざなりにする悪い(笑)医者の姿が誇張されるのが目に付きますが、そんなことで影響が出たとも思えません。

優秀な学生たちが博士課程に進まなくなったという、人材面の落ち込みが大きいのではないでしょうか。国立大学が独立法人化され、大学に配られる運営費交付金がどんどん減額され、研究者への道を諦める若者の増加といった事が想像されます。

世界から、多国籍の優秀な研究者が集まって来ると捉えると前向きですが、要は日本の若者が地道な研究の世界に興味を示さなくなっているわけで、外国人でその屋台骨を支えようとする試みには、近い将来の衰退しか見えません。論文の数を増やせば良いわけではありませんし、ノーベル賞の数を競う必要もありません。ただ、全てが下降線を描いている現状は、真摯に見直すべきではないでしょうか。

本庶氏が、受賞会見でオプジーボの売り上げを大学に還元するよう求め、小野薬品を非難したと伝えられています。キット一方的に小野薬品が悪いのでは無く、いくら大きな収益があっても、将来特許が切れて、業績が急激に落ち込むことを念頭に置けば、本庶氏が求める高額の寄付金を出すことが躊躇されるのではないでしょうか。特許が切れれば、安いゾロ薬品に取って変わられる現状、大学が独自に採算を上げなければならなくなった現状。儲かる事が確実なら企業が寄って来るのでしょうけれど、採算がとれる目途が無いものは、資金繰りが難しくなります。…採算が取れないからこそ、国が拠出すべきではないのでしょうか。