ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

超えるもの

2018年12月21日 | 雑談
政府が国際捕鯨委員会から脱退する…という方針を示しました。東京オリンピックや大阪万博の開催を控え、多くの反捕鯨国の反発を予想すると、なぜこの時期なのかという心配論が強くあります。「意見が通らないからやめる」というあり様がどうなのかという意見も正論です。

先般、愛用しているパソコンが「アップデートに失敗」し、正常なアップデートができなくなりました。旧いままで使えなくはないのですが、電源を入れ直す度に長時間の「更新中」が示され、何度も「再起動」がかかる上に、挙句は「更新に失敗しました。元に戻しています」に再び時間をとられ、最終的にやっとシステムにログインできるという状況に、対処を迫られる羽目になりました。結果的に、やっと「最新の状態です」というメッセージに至りましたので、やれやれ…ですが、パソコンのシステムに詳しいわけでなく、Windowsに用意されているツールを利用しながら、何とか修復することができました。

コンピューターというボックスの中は、素人には「ブラックボックス」です。直接思い通りの指示を出すことができず、(自分の技量で)分かっている範囲の正規のルートだけを何度も何度もたどりながら、状況を改善して行く方法は、やはり相手が機械である事を思い知らされます。コンピューターの処理能力が、いかに速く優れているか…は十分に分かっていますが(何せ、パソコン大好き人間ですから)、どんなに技術が進んでも、「困っているから何とかしてくれないだろうか」といった人間らしさには叶わないのではないかと、密かに思っています。

ルールづくめの現代社会や、主張ばかりの会議風景を眺めていると、人間がコンピューターに近づいているのではないだろうかと思ったりしています。異なる考え方の多くの人間が、秩序正しく暮らすためには「法律」というルールが必要です。ですが肝心の「法律」は如何様にも解釈が可能であったり、全ての状況が同一であるという訳もなく、考え方の大きな差異はどうしようもなく「三審制度」などといったルールが出来上がりました。…が、それで裁いてすら、100%の人が納得する結果は生まれません。そこで多数決といったルールが出来上がりました。そして、ある意味でそれは一種の「数の暴力」になることを否めません。

そうした隙間を埋めるべく、「会議」が持たれますが、これまた一方的に主張を声高に言い合うだけ…で、最終的に「数の暴力」で押し切る現実があります。そして、そうでなければ、この社会が回って行かないというジレンマがあります。コンピューター内部に私たちが挑めるのは、用意されている多くのツールでなければなりません。同じように、人間対人間の考え方の違いを埋めるのは、現行のルールに則るしかありません。…が、そんな分厚い文字や記号の羅列に、振り回されるのが本当に人間らしいのか…と思うと、本当はそうでは無いような気がします。

政治も宗教もルールも科学も感情も超えるものが無ければなりません。

* * * * * * * * * *

多人数をランダムにグループ分けしたい

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、当ブログとは一切関係はありません。