ぱそらぼ (ぱぁと1)

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平和

2018年12月24日 | 雑談
来年退位が決まっている天皇陛下が、85歳の誕生日に先立ち行われた最後の記者会見で、「象徴と位置付けられている天皇の在り方」を求めながら務めて来たと声を震わせておられました。世の中の多くの人間は、自分自身の生きざまを模索して、正解のない人生を手探りして生きています。それでも、周囲には手本として見習いたいと思うような人もいれば、反面教師よろしくこうにはなるまいと居ずまいを正す事になるような人もいたりします。天皇陛下という立場は、周りの人から生きるヒントがもらえるわけでもなく、とてつもない孤独の中におられるのかも知れない…と、少し想像してみます。

陛下は、会見の中で「これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかし、その後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。」と述べておられます。

人間は、必ず昨日よりは今日、今日よりは明日、進化するのかと言えば、そうとは限らない…というのが本当のところのようです。確かに、もう少し前…の方が、世界は平和に向かっているという実感があったように思います。ただ世界…という大きな視野で見るなら、戦火が止んだことは多分一秒も無かったのかも知れません。それでも、これから互いが歩み寄って行ける…と錯覚を持った者はたくさんいたはずです。

最近は「自分に正直にある」事が大切にされます。就活も、まずは「自分探し」から始めるといったアプローチが主流です。本当の「自分らしさ」というのは、決して自分が心地よいとか、我慢しないとかを指すものでは無いと考えるのです。が、どうも「自分の立場」をためらわず、ひるむことなく主張する…事こそが、「強い」事であるという風潮が拭えません。

世界中がてんでに、自己主張をするばかりであれば、陛下の会見を待つまでもなく、多分世界は後退しているのだとしか思えません。