フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

12月の記事

2006-12-31 20:59:20 | Weblog
2006-12-31 よい年をお迎えください MES MEILLEURS VOEUX À TOUS !
2006-12-31 リンク集 (年代順)
2006-12-31 リンク集 (分野別)
2006-12-30 椎名豊トリオをパリで聞く YUTAKA SHIINA TRIO À PARIS
2006-12-29 今年の展覧会 LES EXPOSITIONS DE 2006
2006-12-28 美術館訪問 VISITES AUX MUSÉES
2006-12-27 フランス語が想起させるもの CE QUE LE FRANÇAIS M'ÉVOQUE
2006-12-26 メトロにて DANS UN MÉTRO
2006-12-25 「大いなる沈黙」 "LE GRAND SILENCE" DE PHILIP GRÖNING
2006-12-24 翻訳すること、理解すること TRADUIRE, C'EST COMPRENDRE
2006-12-23 「思い出す」 ということ SE RAPPELER, C'EST...
2006-12-22 文系の世界を覗く JETER UN COUP D'OEIL DANS UN AUTRE MONDE
2006-12-21 ボヌフォワさん再び YVES BONNEFOY ENCORE
2006-12-20 映画三題 SUR LES TROIS FILMS
2006-12-19 ブッダと子捨て POURQOUI BOUDDHA A-T-IL QUITTÉ SON ENFANT ? (2)
2006-12-18 ブッダと子捨て POURQOUI BOUDDHA A-T-IL QUITTÉ SON ENFANT ? (1)
2006-12-17 井上陽介を聞く ÉCOUTER YÔSUKE INOUÉ
2006-12-16 エリック・エマニュエル・シュミット ÉRIC-EMMANUEL SCHMITT
2006-12-15 科学すること、あるいは賢くなること FAIRE DE LA SCIENCE OU DEVENIR SAGE
2006-12-14 堂本印象美術館にて AU MUSÉE INSHÔ DÔMOTO
2006-12-13 タワーのある景色 LE PAYSAGE AVEC LA TOUR KYÔTO
2006-12-12 長田弘 「記憶のつくり方」 HIROSHI OSADA : COMMENT ORGANISER LA MÉMOIRE
2006-12-11 東京駅にて À LA STATION DE TÔKYÔ
2006-12-10 「あの人に会いたい」 JE VOUDRAIS REVOIR CETTE PERSONNE
2006-12-09 すべての人間の不幸は・・ TOUT LE MALHEUR DES HOMMES VIENT DE..
2006-12-08 脳血管発作 ACCIDENT VASCULAIRE CÉRÉBRAL 
2006-12-07 考える葦 ROSEAU PENSANT
2006-12-06 色づく並木 REGARDANT LES FEUILLES JAUNES ET VERTES
2006-12-05 偶然の一致 "THE CELESTINE VISION"
2006-12-04 映画 「薬指の標本」 "L'ANNULAIRE" DE DIANE BERTRAND
2006-12-03 最長のコメント届く RECEVOIR LE COMMENTAIRE LE PLUS LONG
2006-12-02 立ち呑み BOIR DEBOUT
2006-12-01 はや師走  IL EST DÉJÀ DÉCEMBRE

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よい年をお迎えください MES MEILLEURS VOEUX A TOUS !

2006-12-31 16:25:39 | Weblog

今年もたくさんの皆様の訪問・コメントをいただき、ありがとうございました。私自身、まだこの一年を振り返る状況にはありませんが、少し落ち着いてからまとめてみたいと思います。今年一年に起こった変化を見ると、来年はどのような年になるのか全く予想もできませんが、これまで通り観察を続けながらいきたいと思います。

   では来年も皆様にとってよい年でありますように!

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 リンク集 (分野別)

2006-12-31 10:13:43 | Weblog
goo ではリンク可能な数は限られているので、分野別にまとめてみました。よろしくお願いします。

美術
弐代目・青い日記帳
CODE_NULL
Floral Musee
雑感ノート
徒然なるまままに

No Need To Argue
はろるど・わーど
徒然と(美術と本と映画好き...)
Beautiful Noise
La vie dans l'art

フランス
コイケランド
allzabesutoの日記
FRENCH BLOOM NET
幸せになるためのフランス語 (そら)
フランス語をのんびりと

50歳のフランス滞在記
Le Grand Cahier de Shigeharu en japonais
薔薇の言葉 (Sophie)
tomohiyoko-blog
フランス de 自然科学研究? 人生探求??

ね式(世界の読み方)ブログ
天神茄子:フランス語の砂漠
蒼いみかん  Paris et Japon
chat gourmand II

ヨーロッパの香り・旅
散歩絵、記憶箱の中身 (seedsbook)
Wein, Weib und Gesang
建築家の旅 塚口明洋
ドイツ日記 楽しみと日々

俳句・短歌
雪の朝ぼくは突然歌いたくなった
Delfini Workshop (冬月)
マブソン青眼 「歳時記」 LE SAIJIKI EN FRANÇAIS

日本
雪月花 季節を感じて

哲学・宗教・読書
自分の言葉で哲学しよう!
南無の日記
やっぱり本が好き LINの読書日記
グーグーパンダの語る人生の目的
教育特区『教科日本語』伴想録

音楽
赤坂音楽ムスメの日々雑感
By The Thames
Stringsとともに

映画
気まぐれ映画日記 (リカ)

日常・夢
夢のもつれ
匂いのいい花束 (ブノワ。)
Errance...ecumes des jours (Saya)
華やぐ時間
あんなこと、こんなこと。どんなこと?

あべまつ行脚
世界一小さい新聞

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 リンク集 (年代順)

2006-12-31 10:09:32 | Weblog

goo ではリンク可能な数は限られているので、別の記事にまとめることにしました。よろしくお願いします。

全リスト
コイケランド
夢のもつれ
弐代目・青い日記帳
気まぐれ映画日記 (リカ)
CODE_NULL

Floral Musee
No Need To Argue
赤坂音楽ムスメの日々雑感
Errance...ecumes des jours (Saya) 
雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

By The Thames
雑感ノート
徒然なるまままに
はろるど・わーど
徒然と(美術と本と映画好き...)

散歩絵、記憶箱の中身 (seedsbook)
華やぐ時間
あんなこと、こんなこと。どんなこと?
Delfini Workshop (冬月)
匂いのいい花束 (ブノワ。)

Stringsとともに
allzabesutoの日記
FRENCH BLOOM NET
幸せになるためのフランス語 (そら)
フランス語をのんびりと

Le Grand Cahier de Shigeharu en japonais
薔薇の言葉 (Sophie)
tomohiyoko-blog
Beautiful Noise
雪月花 季節を感じて

あべまつ行脚
自分の言葉で哲学しよう!
天神茄子:フランス語の砂漠
50歳のフランス滞在記
南無の日記

やっぱり本が好き LINの読書日記
Wein, Weib und Gesang
建築家の旅 塚口明洋
ね式(世界の読み方)ブログ
ドイツ日記 楽しみと日々

蒼いみかん  Paris et Japon
マブソン青眼 「歳時記」 LE SAIJIKI EN FRANÇAIS
chat gourmand
La vie dans l'art
グーグーパンダの語る人生の目的
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椎名豊トリオをパリで聞く YUTAKA SHIINA TRIO A PARIS

2006-12-30 00:04:17 | MUSIQUE、JAZZ

先日、パリの日本文化会館 (Maison de la culture au Japon) 小ホールで椎名豊トリオを聴かせていただいた。

Yutaka Shiina (piano)
Darryl Hall (contrebasse)
Lionel Boccara (batterie)

Charles Mingus と George Gershwin の他にオリジナル4曲。日本で見る時よりも柔らかい、シャイな感じで挨拶をはじめ、いつもながら息のあった演奏を繰り広げていた。普段は小さな場所で聞いているが、小ホールのジャズは違った味があり、1時間ほどのコンサートを十分に楽しむことができた。始る前にホールで椎名さんと偶然にお会いし、演奏中には日本で知り合いになった Lionel さんが最前列にいる私を見つけて驚きの表情をしていた。終わってから再会を約して会場をあとにした。

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今年の展覧会 LES EXPOSITIONS DE 2006

2006-12-29 00:15:15 | 展覧会

一体、一年のどれくらい展覧会に足を運んでいるのだろうか。今年を振り返ってみた。

2006-01-15 「書の至宝」 展 L'EXPOSITION DU TRÉSOR DE L'ÉCRITURE
2006-01-21 雪を愛で、「植田正治: 写真の作法」 を見て LA NEIGE ET SHÔJI UÉDA
2006-05-23 牧野富太郎を再発見 REDÉCOUVRIR TOMITARÔ MAKINO, BOTANISTE
2006-07-08 ある土曜日 アフリカ・リミックスなど UN SAMEDI -- AFRICA REMIX
2006-07-16 ブリヂストン美術館 - 印象派から21世紀へ MUSÉE BRIDGESTONE
2006-08-07 発見: 野田九浦 J'AI DECOUVERT KYÛHO NODA
2006-08-09 清水登之を見つける RENCONTRER TOSHI SHIMIZU
2006-08-14 浜口陽三に再会 TROUVER YÔZÔ HAMAGUCHI
2006-08-20 棟方志功名品展-神々への賛美 SHIKÔ MUNAKATA
2006-09-02 ケ・ブランリー美術館へ AU MUSÉE QUAI BRANLY
2006-09-10 マルモッタン美術館 AU MUSÉE MARMOTTAN MONET
2006-09-11 アルフレッド・ドレフュス展 DREYFUS - LE COMBAT POUR LA JUSTICE
2006-09-23 青山二郎の眼 "L'OEIL DE JIRO AOYAMA" AU MUSÉE MIHO
2006-11-11 雪舟展に向かう ALLER À L'EXPOSITION "VOYAGE À SESSHÛ"
2006-11-12 雪舟展にて À L'EXPOSITION DE SESSHÛ
2006-11-13 雪舟 山水図 絶筆 LE DERNIER TABLEAU DE SESSHÛ
2006-11-14 記念館にて中也を想う PENSER À CHÛYA AU MUSÉE MEMORIAL
2006-11-23 アンリ・ルソー展 HENRI ROUSSEAU ET LES ARTISTES JAPONAIS
2006-11-27 ベルギー王立美術館展 DES BEAUX-ARTS DE BELGIQUE
2006-11-30 オルセー美術館展 À L'EXPOSITION DU MUSÉE D'ORSAY
2006-12-14 堂本印象美術館にて AU MUSÉE INSHÔ DÔMOTO
2006-12-28 美術館訪問 VISITES AUX MUSÉES

こうして見ると、月に1-2回のペースでどこかに足を運んだことになる。それにしても 「植田正治展」 に行ったのが今年であったとは、、。もう遠い昔のような気がする。ブログに書いていてこの調子である。もしほったらかしにしておいたら、車窓の景色のようにどこかに飛んでいってしまうのだろう。 

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美術館訪問 VISITES AUX MUSEES

2006-12-28 01:24:00 | 展覧会

最近いくつかの美術館を訪ねる機会があった。

ルーブル美術館
Le Point で知ったレンブラントの素描展 Rembrandt dessinateur を見るためにほぼ30年ぶりに訪れた。30年前にはミロのビーナスやサモトラケのニケなどを見た記憶しか残っていないが、今とは全く別の頭で別の場所を歩いていたのだろう。今回駅を降りて歩き始めると、どこかのショッピング・センターに迷い込んだような錯覚に陥っていた。目的の会場に入るつもりが間違えて常設展の方に行っていた。それからレンブラントの会場に入ったので、受付嬢から Vous avez de la chance ! などと言われていた。レンブラントの細かい筆も常設展も素晴らしいものばかりでただただ感動していた。同時に、William Hogarth 1697-1764 というイギリス画家の展覧会も覗いてきた。ところで常設展では、Augustin Pajou (Paris 19 septembre 1730 - Paris 8 mai 1809) のパスカル像に出会う。最近少し読んでいることもあり、その指先に至るまでじっくりと見入っていた。

ザッキン美術館
クリスマス・イブの日、ホテル周辺を散策しているとルクセンブルグ公園に出た。そうすると、これは以前にも来たことがある場所であることがすぐにわかった。1年半前に滞在した時に訪れたザッキン美術館が近くにあることに気付き、休みだとは思ったが行ってみると開いていた。この美術館はこじんまりしていて、彫刻も美しく配置され気持ちが休まるところである。庭に置かれた彫刻など宗教的な雰囲気さえ醸し出している。道に置かれたお地蔵さんのような感じのものもある。

ルクセンブルグ美術館
これも1年半ぶりの訪問になった。前回はマチス展でたっぷりマチスの世界に浸ったことを思い出す。今回はイタリアの画家チチアン Titien (フランス語では、ティシアン) (1490-28 août 1576) の肖像画を取り上げた展覧会で、町中に宣伝されているのを見ているうちに行きくなってきた。会場には日本では感じることのできない非常に濃密な空気が流れて、その空気の中にいることを楽しみながら描かれている人物や当時の生活に思いを馳せていた。好きな美術館になりそうである。

ロダン美術館
こちらは3年ぶりの訪問になった。メトロに彼のエロティックなデッサン展の広告があり、時間が空けば行こうと思っていたもの。もう5-6年前になるのだろうか、NHKのテレビでこれらの作品群が彼の家(アトリエ?)の屋根裏から出てきたという話を見ていたので、いつか触れてみたいとは思っていた。今回行ってみて、建物が現代的に大改造されていることを知る。1年ほど前に全面改築されたそうだ。団体客が結構たくさん訪れていた。作品についてはいずれ画集でゆっくり見てみたい。

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フランス語が想起させるもの CE QUE LE FRANCAIS M'EVOQUE

2006-12-27 01:08:49 | フランス語学習

クリスマスに友人MDのお宅に招待を受けた。ご家族・親戚が集まる席なのでお断りしたが、是非とのことで出かけた。いろいろな方とお話させていただき、奥様手作りの創造性溢れる料理を楽しみながら4-5時間があっという間に過ぎていた。おまけにプレゼントまでいただき、恐縮しっぱなしの一日となった。そのプレゼントは奥様が選んだというクロード・ベルナールの 「実験医学序説」。

Claude Bernard “Introduction à l'étude de la medicine expérimentale

実験科学の分野に携わる人にとっては古典中の古典で、岩波の日本語訳は持っているが、まどろっこしいこともありまだ読むところまで行っていない。おそらくMから私が科学哲学のようなところに興味を持ち始めているということを聞いていたものと思われる。いつもながらその心遣いには感謝の念を禁じえない。

その日、Mが私に聞いてきた中に次の質問があった。どうして英語ではなくフランス語に触れることにより、そんなにいろいろなことに興味が湧いてきたのか。その時は、結論めいたことしか話せなかった。以前にも書いたが、自分の中では英語はあくまでも仕事のための言葉、まさしく道具としての機能しか期待していなかったが、フランス語やその文化に触れることによりその背景にまで目が行くようになってきた、というようなことである。

その後、フランス語に向き合ったときに自分の中でどのようなことが起こっているのかを思い出してみた。例えば、私が好きになった言葉に "ouvrir votre esprit" というのがあるが、直訳すれば 「精神を開く」 ということ。そう訳した時、この言葉の意味がより具体的になってきた。現在のみならず過去に存在した世界、そこに生きた、あるいは生きている人や存在する、あるいは存在した物に精神を開く、理解するということだと体感することになった。そう感じた時に、自分の精神がそれまで閉じていたことに目を向けないわけにはいかなかったのである。それからかなり経ってから、それを英語で言えば何のことはない "open your mind" に当たることを知ったが、この言葉からそういう反応は生まれてこない。

あるいは、よくよく考えるという意味の réfléchir という言葉に出会った時に、過去のことを振り返り、周りを見回し考えを巡らせるという具合にその中味を自分の中で反芻しながら読んでいることに気付く。ここでも同じように、それまで réfléxions ということをしてこなかったな、と痛感するようになる。同じようなことが芸術作品を読んだり、見たりする時にも無数に起こっていて、それがあらゆることに対する興味を掻き立てることにつながったのではないか。そうなったのは、フランス語が私にとって処女地であったことが大きいのかもしれない。全く何も知らない状態から始めているので、ある言葉に出会った時に単に日本語に置き換えるだけではなく、その意味するところを考えるという作業を無意識のうちしていたのではないだろうか。

これでMの疑問に答えることになるだろうか。いずれ機会があれば説明してみたい。この話は先日の 「翻訳することは理解すること」 ともつながっているようだ。

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メトロにて DANS UN METRO

2006-12-26 19:17:29 | パリ・イギリス滞在

メトロに乗る。車内ではいつも立っているか、strapontin (この言葉はオリヴィアさんの小説で覚えた。本来の座席の背中に付いている折り畳み式の補助椅子で乗り込むところにある) に坐るだけであるが、その日は空いているので座席に坐ってみた。その背には少し出っ張りがあり腰の少し上の辺りを支えてくれ、非常に坐り心地がよい。こういう小さなことにでも体が反応するようになっている。"ergonomiquement correct" とでも言いたくなるような感じである。それ以来他の車両も注意してみているが、必ずしもすべてがそうなってはいないようだ。

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「大いなる沈黙」 "LE GRAND SILENCE" DE PHILIP GRONING

2006-12-25 00:13:04 | 映画・イメージ

数日前、Le Figaro の文化欄を開くとドイツ人の映画監督が撮影の許可を取るまでに15年を要した映画が始まったことを知る。フランス語を完璧に話すその監督は、科学の教育を受け、天体物理学者を目指していたというPhilip Gröning。映画は “Le Grand Silence” (「大いなる沈黙」) という2時間40分におよぶ僧院 La Grande Chartreuse の日常の記録。彼は語っている。

 "Je me suis dit que j'allais faire un film qui ne raconterait pas un monastère mais serait le monastère lui-même."

 「僧院についての映画ではなく、映画が僧院そのものであるようなものを創ろうと自らに言い聞かせた。」

彼の次の言葉に反応していた。

 "Pour moi il y a une parenté évidente entre le moine et l'artiste. Ils partagent l'idée que chercher une vérité est plus important que posséder et consommer."

 「私にとって修道僧と芸術家のあいだに明らかな血のつながりを感じる。ひとつの真実を探ることが、それを所有し消費するより重要であるという考えを共有している。」

以前、「生きることは哲学すること、哲学することは真実を見つけてそれを使うことではなく、永遠に真実を見つける試みをすること」 というマルセル・コンシュの言葉に強く反応していたので、この監督の見方が手に取るようにわかる。彼はさらに続ける。

 "Beaucoup de choses dans la société occidentale viennent du monachisme, comme l'organisation du temps, entre travail et loisir, avec l'idée que l'action doit être efficace pour libérer le temps de la contemplation. On a oublié ce but pour ne garder que l'efficacité, mais cela ne fait que trios cents ans que le travail est devenu central, et on arrive à la fin de cette époque. Fonder la réussite sur le travail, l'argent, la situation, ne correspond plus à la société actuelle. La vie des moines nous rappelle d'autres valeurs. On les admire volontiers dans le bouddhisme, mais elles sont là depuis toujours, en Occident."

 「西洋社会の多くのものは修道士の規範からきている。例えば、瞑想の時間から解放するために行動は有効であるという考えのもとに、仕事と余暇の時間を割り振りすることなど。しかし、効率だけを維持するために、私たちはこのことを忘れてしまった。しかし仕事が中心になったのはわずか300年くらいのもので、今その時代の終わりを迎えている。仕事、お金、社会的地位による成功は、現代社会には対応しなくなっている。修道僧の生活は私たちに他の価値を思い出させてくれる。私たちは仏教の中にある価値に心からの賛美を贈っているが、それは西洋に昔からあるものである。」

これまで、研究か瞑想か、あるいは生きることと哲学することというような行動と沈思の対比について触れてきた。生きる意味、生きるための価値をどのように見出していくのか、という問題が頭をもたげてきている証拠だろう。そんな中での彼の言葉には強く共振するものがある。また仏教を西洋人がどのように捉えているのかという問題につながる紐の端を捕まえたようにも感じる。

そして、次のように締めくくっている。

 "Le Grand Silence est un voyage vers la meilleure part de nous-même."

 「この映画は、われわれ自身の中にある最良の場所への旅である。」

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レンヌ街のシネマに出かける。映画館がたくさんの人で埋まるとは限らないのだが、この日は年齢層は高いものの多くの人がつめかけていた。監督が言うように、この映画には語りが一切ない。時に聖書の一節が文字で示されるが、最後まで沈黙の時間を過ごす。

アルプスの懐深く隔絶された自然の中にその僧院はある。規則正しい生活をゆっくりと送っている姿が季節の移り変わりを背景に映し出される。薪を割る、鐘を鳴らす、自然を見る、食事を受け取る、パンを切る、黙々と噛む、スープを啜る、水を汲む、布で手を拭く、写経をする、祈る、・・・。年配の人が多い30人ほどの仲間とも言葉は一切交わさない。日常のすべての行為を意識し、時間をかみしめながら生きているように見える。ただ、休みには自然の中に出て、仲間と談笑したり、冬には体だけで雪の斜面を滑り降りたりして気晴らしをする。楽しむのに道具立ては何も要らないのだ、ということに改めて気付かされる。それが終わると外からは単調で味気ないものに見える日常の中に戻っていく。週末に羽根を伸ばした後、仕事に戻るというわれわれの生活と余り変わりないのかもしれない。

途中、見学者のような一団が少しだけ映し出される。その時、外の世界との大きな隔たりが一層はっきりとする。パスカルの言う divertissement に生きているわれわれの世界が際立って見える。彼らはなぜこのような生活を選んだのだろうか。彼らの一人ひとりの顔だけが大写しにされる。何も語らない。何を考えているのか想像もできない。それほど幸福そうにも見えない。最後に盲目の老僧が語っていた。神の存在を考えない人生など生きる価値がありますか・・・私の人生は幸福なものでした、と。

「生きるために生きる」 ということが人生の意味なのかもしれない、そんな思いを抱きながら僧院を出ると、そこは年の瀬で賑わう街であった。

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翻訳すること、理解すること TRADUIRE, C'EST COMPRENDRE

2006-12-24 01:23:27 | フランス語学習

先日の会議で飛び出したこの言葉にどうして反応したのだろうか。それを考えていた。

 "Traduire, c'est comprendre."

フランス語を始めてから曲がりなりにも原典を読むようになり、日本語に翻訳する過程で、日本語だけを読んでいた時と明らかな違いを感じるようになったからだろうか。それまで何気なく見ていたものに新しい光が当てられるようになり、無意識に済ましていたものが今までとは違う新鮮なものとして写るようになってきたからだろうか。

翻訳する場合、すでに理解していると思っているものでも新たに日本語に置き換えなければならない。その行為は対象をいろいろな角度から眺めることになり、これまで知ったつもりになっていたものが少し違って見えるようになる。見えなかったものが見えてくるという経験を翻訳の過程で感じ始めている。

ひょっとすると、これこそ外国語学習の重い意味なのかもしれない。物事をより深く理解できるようになるということこそ、外国語習得において強調されなければならないのかもしれない。そして、理解するためにはいくつかの視点を入れ直すことが不可欠であるという意味で、今日の言葉の逆もまた真かも知れない。

 "Comprendre, c'est traduire."

いずれにしても、フランス語を始めた当初には予想もできなかったところに導かれているようで、私にとってはこの上ない経験になっている。

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「思い出す」 ということ SE RAPPELER, C'EST...

2006-12-23 20:03:51 | フランス語学習

以前にも触れていることだが、この脳には自分でも気付かないほどの膨大な情報が詰まっていると思っている。問題はそのほとんどを引き出すことができないので、そのことがわからないだけなのだと。これもよく経験することだが、一度入ったものを何ものの助けもかりずに思い出すとその後引き出しやすくなっている。そうして初めて記憶に残っていると意識できる。実際にはもっと多くのものが詰まっているはずなのだが。

つい最近、ある方との話の中に次のようなことが出てきた。

 「パリ第7大学 Paris VII (校舎はパリ市内に散らばっているが、これは Campus Jussieu のお話) のビルに 『・・・』 が使われていることがわかり全面改修をしているところなので、あまり美しくないかもしれない。」

状況から考えてアスベストのことを言っているのだと思ったが、そうは言っていなかった。むしろその音を聞いた時、映画の 「オーメン」 のダミアンを連想していたが、内容がわかったのでそのままにしておいた。そして今朝、起き掛けにアミアンという音が聞こえてきたので辞書を見てみると、"amiante" (アミアント) がアスベスト・石綿となっている。こういう形で頭に蘇ってきたものはなかなか忘れない。

人には忘れようとしても忘れられないことはあるが、ほとんどは砂が指の間から落ちるように記憶の彼方へと消えていく。時々、意識的に思い出すという作業を入れることにより、少しは人生が豊かになるのかもしれない。

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文系の世界を覗く JETER UN COUP D'OEIL DANS UN AUTRE MONDE

2006-12-22 23:27:26 | 哲学

フランス日本研究学会の第7回大会 (7ème Colloque de la Société Française des Études Japonaises) に顔を出し、"Le philosophe face à la nature" 「自然に向かい合った哲学者」 というセッションを聞く。自然科学をやっている者にとって、文系の世界がどのように動いているのかということに興味があった。

会場に行ってみると参加者が非常に少なく、自然科学で言えばごくごく内輪の研究会といった風情である。会場もラウンドテーブルで、10-20人くらいが坐っている。発表する人は5人 (スイス人、ベルギー人、日本人3名) いたが、すべてが坐ったまま15-20分原稿を読むという形態である。以前に日本でマルグリット・ユルスナーに関する会に出たことがあり、このような感じであったのでひょっとするとフランスのスタイルなのかもしれない。この日の対象は、西田幾多郎山崎正和和辻哲郎西谷啓治など。日本人の皆さんはフランスで勉強されているだけあって、立派なフランス語であった。

別世界に長い間身を置いていた者としては、まさに小さな社会で言葉だけが飛び交っているという印象が強かった。私であれば自己満足に終わりそうな危険性を感じると同時に、理念ではなく現実を考える政治家が簡単に手を出してくる領域になるのがわかるような気もしていた。内容の新しさや独創性についてよく理解できなかったせいか、このような研究成果を聞く場合、門外漢としてはその現代的な意味がどのように考えられているのかということに一番興味が湧くのだが、私の理解できたところでは余り展開されていなかったようである。「意味」 が大切という点では、自然科学についても同じことが言えるのだろうが。

また私が文系について想像していた中には、真剣勝負で言葉を操りながら存在をかけたディスカッションがされているのではないかという期待感があったのだが、そのセッションではごく普通の日常が流れていた。

この日の討論の中で聞いたジョージ・スタイナー George Steiner という人の "Traduire, c'est comprendre." という言葉がなぜか頭に残っていた。そして不思議なことに、帰りに入った本屋の棚には彼の作品群が並べられていた。

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ボヌフォワさん再び YVES BONNEFOY ENCORE

2006-12-21 07:15:40 | 俳句、詩

最近、俳句などの短詩型芸術についてボヌフォワさんが論じていることについて触れ、仏語版ブログではChristian様と長い交換があった。その時初めてこのフランス詩人を知ったのだが、仏語版の写真を何気なく拡大してみて驚いた。実は今年の9月にパリを訪れた際、詩が書かれた壁を写真に収めていたが、それがボヌフォワさんのものであったのだ。それは次のような詩である。

Passant,
regarde ce grand arbre
  et à travers lui
il peut suffire.

Car même déchiré, souillé,
  l'arbre des rues
C'est toute la nature,
  tout le ciel,
l'oiseau s'y pose
  le vent y bouge, le soleil
y dit le même espoir malgré
  la mort.

Philosophe,
as-tu chance d'avoir l'arbre
  dans ta rue,
tes pensées seront moins ardues,
  tes yeux plus libres,
tes mains moins désireuses
  de moins de nuit.

    (Yves Bonnefoy)

さらに驚いたことに、ブログの写真を選ぶために昔のものを眺めているとき、1年前にも同じ場所を歩いていて同じ壁を撮っていたことを知る。そんな中、近くのリブレリーに入るとボヌフォワさんのゴヤに関する本が飛び込んできた。

Yves Bonnefoy “Goya, les peintures noires

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映画三題 SUR LES TROIS FILMS

2006-12-20 23:41:12 | 映画・イメージ

先日街を歩いていると映画館が立ち並ぶ地区に来る。そのなかにこの映画を見つける。

Lady Chatterley et l'homme des bois (2006) 「チャタレー婦人と森の男」

原作はDH ロレンスの小説だが、この映画は Pascale Ferran によるフランス版。私自身は小説をまだ読んだことはないので、興味を持って見始める。2時間半を超える大作にもかかわらず、その時間を感じさせないものであった。静かに自然を撮っているがどこか意味ありげな感じがする。その色あいやさりげない音にも意味を持たせているような。この映画の主題である男女の複雑な心の揺れ、そして交わりのシーンもきれいに美しく仕上がっていて、気持ちよく見ることができた。以前はまどろっこしくて全く感じなかったフランス映画だが、このところこの手のフランスものでなければ反応しなくなっている自分がいる。時の流れを静かに追っているような、人生の意味を建前ではないところで考えているような、日常そのものを撮っているような映画でなければ満足できなくなっている。フランス語を始めたせいなのか、人生のステージのせいなのか。

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「チャタレー婦人」 の1週間ほど前、この映画を見る。

敬愛なるベートーヴェン
 Copying Beethoven (2006)

ベートーヴェンの曲を写譜する女性を絡ませた映画である。まずベートーヴェンの余りにも芝居がかった仰々しさが気になり、その印象を最後まで引きずったまま見終わった。それとこの映画で使われている英語にほとんど反応しなくなっていることをはっきりと感じていた。これまで長きに渡って捉え続けていたあの歯切れのよい、あるいは威勢のよいあの音にどういうわけか心が躍らなくなっていることを。あるシーンで、artist とはどういう人間かと問われたベートーヴェンは、「それは自分を信じる人だ!」 と答えていた。

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知らない街に来て散策し、眼に入った映画館のポスターの中からよさそうな雰囲気を放っているものを見る。その内容については詳しく調べないで。それが一つの楽しみになっている。その日、若き女性がやや虚ろに写っているポスターに惹きつけられて中に入ってしまった。

Requiem (2006)

詩的な映画ではないかと思って入ったが、その予想は完全に裏切られた。ドイツの田舎町出身の女子大生ミカエラ Michaela がてんかん (epilepsie) のため1年休んだあとにチュービンゲンの大学に戻ってくるところから始る。最初は治療のために薬を飲んだり、あるいは牧師による祈りなどをするが、全くよくなる気配はない。それどころか、ますます悪くなってくる。牧師や両親とのやりとりを聞いているとき、科学と宗教の対立を扱った映画になるのでは、とも思ったが、最後は悪魔 (exorciste) にとりつかれたようになり、消耗のため亡くなった実在の女性を題材にした映画であることを知る。字幕フランス語のドイツ映画であったが、宗教が日常に深く入り込んでいるドイツの生活の一部を覗くことができ、またラストシーンの郊外の風景も素晴らしく、満足して映画館を後にしていた。

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