フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

リュシー・オブラック LUCIE AUBRAC EST MORTE

2007-03-26 22:20:22 | 年齢とヴィヴァシテ

昨日の記事で13区の市役所が話題になったが、そのホームページを見ていて先日のマレー地区散策でRさんに教えていただいたリュシー・オブラックさん (29 juin 1912 - 14 mars 2007 ) へのオマージュが出ていた。彼女は13区の住人だったようだ。

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Hommage à Lucie Aubrac, figure de la Résistance

Lucie Aubrac, l'une des dernières figures de la Résistance vient de nous quitter.

レジスタンスを象徴する最後のひとり、リュシー・オブラックが亡くなった。

Avec elle disparaît une figure exceptionnelle de la Résistance, associée de façon fusionnelle à celle de son mari, Raymond. Elle était l'une des dernières personnalités de la Résistance à avoir côtoyé Jean Moulin.
Lucie Aubrac incarnait le courage au service de la liberté, la droiture, la force de conviction et l'élégance.

これで彼女の夫レイモンドと分かち難く関連していたレジスタンスの比類ない人物が
いなくなった。彼女はジャン・ムーランとよく会っていたレジスタンスの最後の人物のひとりであった。リュシー・オブラックは自由のために戦う勇気、清廉潔白、信念の力、洗練を体現していた。

Vivant dans notre arrondissement, Lucie Aubrac était restée une militante inlassable de la mémoire de cette époque. Après la guerre, elle s'est consacrée à l'enseignement de l'histoire et a employé toute sa retraite à parcourir la France pour témoigner auprès des jeunes de ce que fut la Résistance.

われわれの区で生活していたリュシー・オブラックはこの時代の記憶のために最後まで休みなく戦う闘士であった。戦後、彼女は歴史の教育に打ち込み、定年後の人生をレジスタンスが何であったのかを若者に証言するためにフランスを歩き回ることに費やした。

Puissent nos enfants s'enrichir de son message et s'inspirer d'une telle intégrité face aux menaces persistantes de xénophobie et d'intolérance.

われわれの子供たちは彼女のメッセージにより心豊かになり、外国人嫌いや不寛容の執拗な脅威の前であのような人間としての無欠さを示したことに霊感を受けることができた。

Lucie Aubrac restera dans la mémoire de chacun.

リュシー・オブラックはわれわれ一人一人の記憶に残るであろう。

L'équipe municipale du 13e salue le souvenir de cette grande dame et assure son époux de toute sa sympathie et son amitié.

13区市役所チームはこの偉大な婦人の記憶に敬意を表し、彼女の夫には心からのお悔やみと友情のしるしを贈る。

Par la Mairie du 13e arrondissement, publié le 21/03/2007

発行13区市役所 (2007年31月21日)

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Youtube にもオマージュが出ていた。

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定年へのアドバイス COMMENT VIVRE PENDANT LA RETRAITE

2007-03-01 23:33:02 | 年齢とヴィヴァシテ

今朝、仏版ブログにPaule様からコメントが来たので、それについて考えを巡らせる。対話というのは、人の考えを広げ深める可能性があるということを改めて意識する。それから日本語版ブログにアクセスのあったキーワードを頼りに面白そうなところを探していると、フランス哲学、科学哲学を専門にされている愛知県立大学の本多英太郎氏の講演記録に辿り着く。モンテーニュ、デカルト、パスカルを初めとして、カンギレム、フーコー、メルロ・ポンティなどの現代哲学者に及ぶ流れを簡潔に捉えているので読みやすい。さらにこれからどのように深めていったらよいのかがわかるようなお話で参考になった。

午後から仕事場で委員会があり、そこに外部委員として加わっていたわれわれの先輩のIT先生と国の機関の長をされていた御年82歳のOA先生が私のところを訪ねてくださった。OA先生は、活力に溢れ、目がキラキラと輝き、未だ青年の香りを残しておられる。会議での発言を聞いていて、その理解力の素晴らしさと言葉の力にいつも目を見張っていた。自分もこうありたいと思わせてくれる方である。今日は、若輩の私に向けての助言と受け取られる言葉をいくつか聞くことができた。

その助言は、最近このブログで触れたことばかりであったのには驚いた。よく出てきた言葉は、「自由」 である。縛られずに自分がすべてを決められるような位置に自分を置くようにすること。いわゆる 「仕事」 をしている間は、気が付かないが人に気を使いながら生きている。特に先生のように重要な立場にあると、自分の意思だけで動くことは少なく、最後のある時期は仕事に行くのが嫌になったというお話であった。その辛い時期のこともどこか超然と突き放して話をしている様子は、先日の水木しげるを思い出させてくれた。

定年を迎えたら囚われては駄目。囚われのない生活が人生で初めてできる時期が始るのに、どうして自らそういう道に入って行かないのか、と言いたいようだ。自分の思うように生きるのが最高で、そうでなければ生きる意味がないだろうという心が透けて見える。定年後を気持ちよく送る秘訣は3Kだと言って、ある程度のお金と好奇心と健康をあげておられた。第一のお金に関して、最初に年金を手にした時の感激を、何もしないでお金が出るなんて信じられますか、という言葉で表現されていた。ある程度のお金は必要だが、生活が苦しくなれば田舎に行けばよいだけの話とあっさりしたものである。このあたりの思い切りの良さ、快活さが若さの秘密なのかもしれない。

最後に、定年後の生活を全く別物として捉え直すことが大切、そうすれば人生で一番素晴らしい時期を迎えることができすよ、がんばってください、とのお言葉を聞きながら別れた。人生の先輩の体験談を身近に聞くことができ、元気の出る一日となった。

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百歳 100 ANS

2007-02-24 07:08:12 | 年齢とヴィヴァシテ

この週末、早朝に目が覚める。テレビをつけると 「百歳」 という番組が流れている。その日は、漢詩とともに生きている元教師が紹介されていた。3年前に奥さんを亡くし、一人暮らし。朝食や夕食後にはりんごを食べるという。大学の時に作った漢詩を先生に褒められたのが切っ掛けで、本格的に始めたのは定年後。万年筆と漢和辞典を手に、自分の気持ちにぴったり合う字を探している時が苦しいが楽しいという。その結果が200くらいの作品になっている。途中に教え子との食事会の様子が映し出されていたが、若い頃彼女と会っていた時より80代の彼らと話をすることの方が楽しいと言って目を輝かせていた。最後に、しっかりとした声でこう語っている。

  「好奇心から詩が生まれる。それが命を繋いできたのかな。」

何気なく語られていた <命を繋ぐ> という言葉に重みを感じていた。肖りたいものである。


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2006-07-22 100歳から現在を見る VIVRE EN REGARDANT DE 100 ANS

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アート・バックウォルド再び INTERVIEW AVEC ART BUCHWALD

2006-04-30 00:49:53 | 年齢とヴィヴァシテ

先日アート・バックウォルド (1925-) が死の床にあることを書いた。本日、ホスピスでのインタビューを見る (こちらから)。いくつか印象的な話があった。

彼が生まれた直後、母親が精神病院に入ったため、彼は母親を知らない。里親に育てられ、6-7歳の時に孤独を味わい、混乱した。そんな時に、人を笑わすことを覚えた。後年、人を笑わすことでお金が取れることを知り、New York Herald Tribune の仕事をフランスで始めて以来、半世紀以上もの間この仕事を続けてきた。これまでに8,000のコラムを書いているという。

ワシントンに帰ってからは、民主党、共和党のどちらかの立場に立つのではなく、権力にあるものに対する立場で、正義と悪の対比で言えば、正義の立場 (side of good) でものを書いてきた。なぜなら、"I'm a good person." だから。

書く時に参考にするのは、新聞記事。特に、怒りに震える時の方がユーモア溢れる記事が書けるという。ここでも政治家の本態が語られているが、彼らはいつも物事を捻じ曲げて、真実を語る以外は何でもやる。だから彼は真実 (彼から見える、と断っているが) を語ってきた。

彼は透析を断りホスピスに入ったが、その前に壊疽で足を切断している。これには本当に頭にきたという。死については、皆怖がって語ろうとしない。しかし彼は、われわれがどこに行くのか、そんなことは問題じゃない、問題なのは今ここで何をするかだろう、ときっぱり。

ホスピスに入る決断をしたことは正解であった。ここにはわれわれが死に向かう存在であることを知っている仲間がいるし、これまでに出会った人々や友人がいろいろなところから私を訪ねてきてくれ、今一番幸せなときを過ごしている。家にいたならばそんなことにはならなかっただろう。

最後に、どのように記憶されたいかと問われて、皆を笑わせた人、そして私が good guy であったことと答え、今葬儀を計画しているが、素晴らしいセレモニーになるだろうと結んでいる。

彼の底にある善意のようなものがあふれ出たインタビューが、最後までユーモアと活力を失わない彼の人生を照らし出しているように感じた。

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ガルブレイス伝記 "JOHN KENNETH GALBRAITH: HIS LIFE"

2006-04-16 22:24:33 | 年齢とヴィヴァシテ

はっきりしないお天気の日曜日。最近届いたガルブレイスの伝記を読み始める。この方、1908年生まれというから御年98。ハーバード大学を退官してすでに30年が経っている。日本のマスコミにも人気があるのだろう、テレビでも取り上げられている。

"John Kenneth Galbraith: His life, his politics, his economics" by Richard Parker

2メートルを超える身長なので、まさに towering figure である。最近私が抱いている思いの一つは、長生きをすること自体が一つの大きな才能。その上に仕事を続けている人を見ると憧れに似た気持を抱かざるを得ない。元気が出てくるのだ。

彼はエリー湖のほとりのカナダの小さな町に生まれ、地元の農科大学で畜産を学び、バークレーで経済学に初めて触れるという、所謂アメリカのエリートとは異なるバックグラウンドの持ち主。20代半ばにハーバードの一年契約のインストラクターとして仕事を始める。そこに向かう時に他の誰もしなかったやり方、大西洋を見るために Acadia という船でボストンに向かう。その船旅で彼は将来の大きな可能性に思いを馳せていたことだろう。それから彼自身も予想もしなかったような人生を歩むことになる。専門領域からの批判はあるようだが、20世紀で最も有名な経済学者として、大きな絵を描きながらこれまで来たと言えるだろう。

この本の最初に出てくるボストンに向かう彼の様子を読んでいるうちに、自らの30年前の姿が鮮やかに蘇ってきた。また Acadia という名前を聞いただけで、その名の付いたメーン州の国立公園に紅葉狩りに足を伸ばしたこと、その鮮やかな景色とともに当時抱いていた将来に対する思いなどが呼び起こされてくる。時の流れを味わう贅沢な時間を過ごす。800ページに及ぶ大著だが、読み進むうちにいろいろなことが呼び覚まされる予感がして、これからの週末の楽しみになりそうだ。

この本の邦訳が全三巻で最近出版されたようだ (「ガルブレイス 戦う経済学者」)。

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アート・バックウォルド ART BUCHWALD EST SUR SON LIT DE MORT

2006-04-10 22:34:20 | 年齢とヴィヴァシテ

本日の Le Point の小さな記事に目が行く。アート・バックウォルドが死の床にあるという。私のアメリカ時代にテレビで見たり、読んだりしていたアメリカのジャーナリスト。ニューヨーカーの彼は22歳でフランスへ行き、14年もの間パリの様子を本国に送り続け、その後も新聞に連載をしていた。

もう80歳になる彼は透析を断り、従容と死に向かう道を選んでいるようだ。ホスピスにお見舞いに来た人が駐車する場所が見つからなかったと文句を言った時、こんな冗談を言ったという。

« Mourir, c'est facile, trouver une place de parking, c'est impossible. »
(死ぬのは簡単、駐車場を見つけるのはお手上げだ)

四半世紀前に初めて知った時から皮肉たっぷりに時世を切っていたが、後味の悪さがないので嫌いではなかった。今本棚を探してみたところ、数冊はあるはずだが、彼が58歳の時の本、"While Reagan Slept" だけが顔を出した。少しだけ読んでみたい。

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30 avril 2006 アート・バックウォルド再び INTERVIEW AVEC ART BUCHWALD

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年を重ねるということ VIEILLIR C'EST ORGANIZER ...

2006-04-09 08:51:11 | 年齢とヴィヴァシテ

羽田からの帰り、長谷川宏という在野の哲学者が茨木のり子の詩を取り上げ、その詩に誘導される思いを綴った本を見る。

思索の淵にて 詩と哲学のデュオ

そのはじめに、これはまさに!と思うポール・エリュアール (Paul Éluard, 1895-1952) の詩が茨木氏によって取り上げられていた。

  Vieillir c'est organizer
  Sa jeunesse au cours de temps

  年をとる それは青春を
  歳月のなかで組織することだ

    (大岡信訳)

これこそ自分がこの1年余りの間やってきたことではないのか、という思いである。少なくとも真面目に過去と向き合うこともなかったのが、少しだけ真剣にこれまでに起こったこと (自分に、そして世界で) の意味を見出そうとしているようにも見える。それこそが年をとるということですよ、と言われているようだ。

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老齢の女性科学者 FEMME SCIENTIFIQUE DE 80 ANS

2006-01-26 00:39:53 | 年齢とヴィヴァシテ

科学雑誌に80歳で今なおアクティブなシカゴ大学の女性科学者JRが紹介されていた。15歳で大学に入り、その後医学部に進む。卒業時に同級生と結婚し、4人の子供に恵まれる。旦那のキャリアを支えるため、彼女は20年以上も週2-3日のパートで働いていたという。

オックスフォード大学で1年過ごし、その成果によりシカゴ大学からパートの仕事をもらう。アメリカでも家庭に入るか、仕事をするかのどちらかだった当時の女性科学者としては異例だったようだ。それから彼女の仕事が花を咲かせることになる。

81歳を前にして、「いつかは辞める時が来るだろうが、それは今ではない」 と語っている。また家庭と科学の両立を成功させ、「科学以外の世界で非常に豊かな生活を送ってきた」 という。何とも羨ましい人生である。


研究者の定年(II)

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五十、六十鼻垂れ小僧 - 「独特老人」 NE COMMENCE PAS ENCORE

2005-12-11 00:48:07 | 年齢とヴィヴァシテ

「五十、六十鼻垂れ小僧」と昔聞いた時、何を仰っているのか、ご老人の戯言くらいに思っていた。しかしどうだろう。自分がその領域に入ってくると、まだ何も始まっていないことに気付く。もちろん、すでにやりつくしたと考えている方もおられるだろう。私の場合はとてもそのような心境には至っていない。これまでが何か準備期間のように思えてきてしようがない。錯覚でないことを願うが、。

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夜、ある本を探すために本棚を覗いていたら 「独特老人」 なる3年ほど前に買った本が出てきた。ページを開いたところ何という偶然だろうか、「植田正治」 の名前と顔写真が出てきた。この人がインタビューされていたのだ。買った当時は気にもかけていなかった。少し読んでみると、アマチュア写真家の批判を繰り返している。景色やお祭りなどばかり撮っていないで、もっと勉強しろと言っている。

こういう偶然なので他のところも少し読んでみた。「堀田善衛」の中には次の言葉が。

「徳川時代には字の読めない人というのが非常に少なかった。今でもそうだと思いますけど、徳川時代からね、日本の識字率ってのが世界一だったろうと思いますよ。...
 ところが、二十世紀の近代戦争においては、やっぱり日本の軍人たちというものが実に無教養だった。それこそ江戸時代の知的水準とかさ、それ以前の知的水準なんかよりもずーっと低かったでしょう。とにかくあの知的水準の低さっていうものは、それは日本の歴史の中でも驚くべき低さですよ。」

彼は7年ほどバルセロナに住んでいたが、不思議なつながりを感じるこんな記述がでてくる。

「日本人が亡命できるか? できないことは全然ないよ。でも、僕はしないよ(笑)。...それからたとえば、バルセロナで僕の家の近所に住んでいたのが、バルガス=リョサって言ったかな、ペルーかどっかの作家ですね。いろんな南米の作家たちが家持ってました。」

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この本、30人ほどの老人へのインタビューからなる。その序文は次のように始まる。

「人の魅力とは何だろうか? 今の世の中のように、社会に飼いならされながら歳をとっても、それはその人を少しも魅力的にしない。」

その後に線がついているところがある。

「人が正しく生きるとは、年齢を重ねるにしたがって、解放されてゆくことだと思う。当たり前にこわいものがなくなり、よりこわい領域に入る。それは、ある意味では、人から逸脱してゆくことになる。かつて江戸の文人は『奇なくして趣なし』と言ったが、人の魅力とは、『奇』であり、言いかえればその人を突き動かす『妄想』である。妄想なくして魅力なし。」

「独特とは、円満な境地の中に現れない。むしろ『奇』『狂』『偏』の中にこそ現れる。したがって彼らは皆『野』の人である。通俗的な『権威』『名声』とは無縁、それを超えている。たとえ評価を得たとしても、結果に過ぎず、すぐさま破り捨ててしまう。手がつけられないのである。」

他にも面白そうな話が満載の趣。ゆっくりと噛みながら味わってみたい。

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第四コーナーを味わう COMMENT VIVRE DANS LA DERNIERE PHASE

2005-09-22 20:49:21 | 年齢とヴィヴァシテ

今週は二日間に亘って大学で講義をした。一日に三コマ (一コマ90分)。普段大きな声でこれだけの間お話をすることがないので、最後の方にはふらふらしてきた。修行が足りないですね、と言われる訳である。しかし、白いキャンバスのような若い人たちと話をしていると、こちらの頭の中が意外と先入観に凝り固まっていることに気付いたり、本当の理由はよくわかっていないことが多いことを再認識させられたりと、頭の中にそよ風が吹いたような清々しさを覚えた。

その帰りに、本屋に寄ると入り口に並べられていた足立則夫著 「遅咲きのひと」 に目が行き、読んでみることにした。年とともに透明に、鋭く、しかも円やかになっていくことは、嬉しいこと。「高齢と Activité」 というのは私のテーマの一つにもなっている。いろいろな人にあやかりたいという思いでもあったのか。一つ一つのエピソードが短いので、何かのついでに目を通すことができる。参考になるお話が出てくるだろうか。期待したい。

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PIERRE BERES, LIBRAIRE, 92 ANS

2005-07-18 20:43:54 | 年齢とヴィヴァシテ

パリから成田に向かう機内で Le Figaro の文化欄に目が止まった。Le livre des sortilèges (= charme irrésistible qui paraît magique) と見出しにある。パリで本の売買をやっている Pierre Berès さんの紹介記事。ただ普通の本屋さんとは相当違うようだ。1913 年にストックホルムに生まれ、パリで育ったとのことなので、今年何と 92歳の現役である。昔 127, rue d'Assas に住んでいたようなので、先日訪れた Zadkine 美術館 (100, rue d'Assas) の近くである。以下は彼の述懐。

J'allais tous les jours à pied à Louis-le-Grand en descendant le boulevard Saint-Michel. Je m'arrêtais chez un bouquiniste, rue Auguste-Compte, où je feilletais les revues. J'étais âgé de 13 ans, je suppose, lorque mon copain de banc à Lous-le-Grand sor de sa poche un petit livre du XVIIe dans sa reliure en vélin, ouvrage en latin de l'imprimeur hollandais Blaeu.

(いつも学校にはサン・ミシェル大通りを歩いて行った。オーギュスト・コント通りの本屋に立ち寄り、そこで雑誌のページをよくめくっていた。その時おそらく13歳。学校の友達がポケットから犢皮紙(とくひし:peau de veau mort-né)で製本された17世紀の小さな本を出したのは。オランダの印刷所から出されたラテン語の作品を。)

そしてその友達は Je l'ai acheté 25 centimes chez le bouquiniste ! と彼に言ったという。それがすべての始まりだったようだ。

J'ai été ébloui, pas par le livre, un tout petit format, mais par l'idée que, pour 25 centimes, on pouvait avoir un témoin aussi intact et évocateur de 300 ans avant nous. Cette illumination ne m'a jamais quitté.

(私が魅了されたのは、その小さな本を見たからではなく、25サンチームあれば300 年前の生々しく想像を掻き立ててくれる証言者を手に入れることができるという考えだった。そのひらめきに今まで導かれてきたのだと思う。)

彼の古本歴(?)は 80年に及ぶことになる。世の中には凄い人がいるものだ。彼に会った人たちは、食事の時に滲み出る教養を、本に触れる時の手の美しさを、また本についてのみならず市場についての膨大な知識に裏打ちされた鋭い目、完璧主義、などを語っている。

Pierre Berès さんに関するイメージ

今回のパリ滞在で、この世界の面白さに少しだけ (123) 目を開かされたようだ。これからその興味がどのように変化していくのか、楽しみではある。

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高齢 - Activite (V) - 三岸節子

2005-05-20 21:03:53 | 年齢とヴィヴァシテ

先週から、昼休みには L'homme qui marche になっている。昨日は夏を思わせる暑さの中、隣の駅の本屋まで歩く。画家三岸節子(1905-1999)についての澤地久枝の ドキュメンタリー「好太郎と節子 宿縁のふたり」 が目に入る。おそらく、先日の新日曜美術館でその経歴を知り、非常に興味を引かれたためだろう。今年は生誕 100年。

節子の夫は画家の三岸好太郎(札幌出身)。31歳で亡くなったので、結婚生活は僅か10年で終わる。それから65年生きたことになる。40代中頃には日本を代表する女流画家になっていたらしい。丁度その頃(1954年)息子黄太郎が留学していたパリを訪れている。彼女のどこかに何かを感じたのだろう。1968年、63歳の時にひたすら絵を描きたいという一心で日本を脱出、フランスへ向かう。言葉が通じない孤独の中、作品だけによって償われるという求道的な生活を続ける。途中迷ったこともあったようだが、結局20年もの間、緊張感の中若い時と同じように一生懸命に描いたそうだ。日本に帰れば得られるであろう老後の栄誉、お金、平和な生活が何だ、と思いながら。今、澤地の本を読み始め、結婚に至るところまで来ているが、その印象では子供の時からの反骨の精神が最後まではっきりと宿っていたことを感じる。それにしても、その精神力には感動させられる。

テレビで息子黄太郎は母親を次のように評していた。「向こう見ずで、やりたいことをやる人」と。またその時の私のメモには以下のような書き込みがあった。

何のために描くのか?神を見るためか?「人間を完成させるために描くのです。」


高齢 - Activite (IV) - リズ・スミス
高齢 - Activite (III)
高齢 - Activite (II)
高齢 - Activite (I)

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高齢 - Activite (IV) - リズ・スミス

2005-05-12 23:09:43 | 年齢とヴィヴァシテ

今日はどういう訳か、出勤時のキオスクに出ていたニューズウィークの「外国人が見た日本」というような特集に目が行って、買ってしまった。朝に雑誌を買うなどということは今までになかったこと。最近は日課になりつつあるお昼の散歩に出た時、カフェで読んでみた。いつものことながら、英語圏の本が主に取り上げられている。フランス語でも日本に関する本は出ているのだが、影響力は英語には到底及ばないらしい。ほとんど取り上げられていなかった。

雑誌の最後のページに目をやると、懐かしい顔にお目にかかった。もう20-30年前にもなるのだろうか。アメリカ滞在中にニューヨーク・ポストかデイリー・ニューズのゴシップ欄を担当し、テレビにも定期的に顔を出ていたリズ・スミス (Liz Smith) である。やや太めで裏返るような返らないような、ごろごろ(形容が難しい)という感じの声で、いつもストレートに話していてなかなかよかった。すでに82歳になるということに驚いたが、まだ現役。写真が現在のものだとすると、いまだ若さを十分に保っている。これまでに経験した芸能人との衝突についても触れられている。圧巻はドナルド・トランプ (Donald Trump) に、「あんたを首にするために、会社を買収してやる」と言われたことだろう(今は仲直りをしているようだ)。彼女の場合、仕事を辞める度にいい仕事が転がり込んできたという。やはり、人生終わってみないとわからないことが多いようだ。

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高齢 - Activite (III)

2005-04-20 00:33:11 | 年齢とヴィヴァシテ

ソール・ベロー (Saul Below) が今月5日に亡くなった。89歳。彼の小説は読んだことはないが、ピューリッツアー賞、ノーベル賞(1976年) を受賞した20世紀を代表するアメリカの作家であることは知っている。シカゴ大学のホームページによれば、1930年代にシカゴ大学で学生時代を過ごし、1962年から1993年までの30年間、大学の Committee on Social Thought で教鞭をとっていたらしい。また、今週の Le Point の記事を読んでみると、以下のような一節があった。

**************************

... Il avait des lèvres sensuelles et des « yeux de faon ». Tout le mond parlait de son « charme », qui faisait chavirer les femmes. Des femmes, il y en eut. Officiellement cinq, qu'il épousa. Quatre divorces, dont les motifs et séquelles fournieirent plus d'une fois la trame vaudevillesque de ses livres. Trois fils. Et, à l'orée du XXIe (il avait 84 ans), la naissance de Naomi. Mort cette semaine, à 90 ans, le romancier américan aura tranversé avec alacrité son siècle.

**************************

女性を引き付ける魅力を持ち、生涯に5回結婚している (英語で言うところの womanizer の素質があったのか?)。また84歳にして父親の気分はどんなものだったのだろう。機嫌の良い快活さを保ちながら20世紀を駆け抜けたという人生には憧れを感じる。

彼にあやかって « alacrité » という言葉も好きなフランス語に入れたくなる。ニュアンスとしては、「不機嫌ではなく、がむしゃらではなく、機嫌よく、陽気に、快活に、元気一杯に」 というような意味が込められているように感じるが、どうだろうか。陽気さという意味での同義語として、enjouement、gaieté などが、また快活さ・活気という点では、これまでもこのブログで取り上げた vivacité や entrain、allant などが辞書にあった。


vivacité のつながりで興味を引く記事が、同じシカゴ大学のホームページからのリンクで出てきた。ミルトン・フリードマン (Milton Friedman、1912-) という経済学者のインタビュー記事である。経歴を見ると、1946年から1976年までの30年間シカゴ大学で教え、1976年にはノーベル賞を受賞。1976年から現在 (92歳) までフーバー研究所 (Hoover Institute) で上級研究員として働いている。年齢で言うと、34歳から64歳までシカゴ大学で教え、64歳からほぼ30年間現役を通しているというのだから、驚異のエネルギーである。インタビュー記事を読んでみても、(経済の詳しいことはわからないが) 年齢は全く感じさせず、むしろインタビューワーの方が緊張しているような印象さえ受ける。« Il a encore un esprit lucide. » とでも言えばよいのだろうか。ただただ羨ましい限りである。

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高齢 - Activite (II)

2005-04-05 20:35:00 | 年齢とヴィヴァシテ

高齢でマスコミを賑わしている人に瀬戸内寂聴と日野原重明氏がいる。彼らの「いのち、生ききる」は読んだことがある。人のことは気にしないで、自分の興味をとことん突き詰めている、エネルギッシュだ、しかも社会との接点を失っていない、好きなことを彼らのようにできれば幸せなことだろう。先日、日野原氏が面白いことを言っていた。「なぜ長生きしなければならないのか?それは、それまでに犯した罪を償うためなのだ。」と。私なりにパラフレーズすれば、真っ当な人間になるためには、まだまだ修行が足りないから、ということになる。

そのためには、私の場合できるだけ現役でいることがどうしても必要条件になる。こればかりは、本当に運・相手任せでどうなるか全くわからないが、。これまでの経験では深慮して行き先を決めたことは一度もなく、より危険に満ちていそうな方をえいやっー、と選んできた。あとは必死にやるだけ。やった後で初めて、自分とはこういう人間だったのかと埋もれていた自分を発見できることを知った。苦しい時もあるが、黙って考えているよりはよっぽど有効な自分の知らない自分に出会うことができる方法なのだ。そしてその積み重ねが私にとっては大きな財産になっている。

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